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法華三部経の要点54

人間は前へ前へと歩まねばならない

1 ...法華三部経の要点 ◇◇54 立正佼成会会長 庭野日敬 人間は前へ前へと歩まねばならない 安らぎの境地から菩薩行へ  化城諭品の核心は何といっても題名になっている『化城宝処(けじょうほうしょ)の譬え』でありましょう。こんな話です。  最高の宝を求めて、険しい、困難な道を旅する一行があった。ところが、その道程があまりにも長く、苦しいことが次々に起こるので、多くの人がへばってしまい、途中から引き返そうと言い始めた。その一行のリーダーは、智慧にすぐれ、その道の全貌を知り尽くしていたので、道の前方に一つの都城(城壁に囲まれた都市)を幻として現し、「あそこに行ってゆっくりしなさい」と言った。  人々は大喜びでその中へ入って休息した。しばらくして疲れがすっかり治ったのを見すましたリーダーは、その幻の城を消してしまい「さあ、出かけましょう。宝のある所はもうすぐそこですよ」と励ました。みんなは新しい勇気をふるい起こして再出発したのであった。  この譬えの古典的な解釈は、「仏になるための修行は大変長くて困難な道程なので、倦(あ)いたり疲れたりして退転する人が多い。そこで仏さまは声聞・縁覚という個人的な心の安らぎの境地を教え、そこから再出発して菩薩の道を進むことによって、究極の悟りへと達せしめようとするのである」ということです。法華経の精神をわかりやすく表現された譬えであります。 理想へ進む一歩一歩にこそ  これをわれわれ在家のための教えとして解釈しますと、人間は常に前へ前へと進まなければならない。後戻りしてはならないということです。人生にはさまざまな困難や障害がつきまといます。ある目標へ向かって努力しても努力してもなかなかそれに近づけない。そこでつい挫折して自分の人生を投げ出してしまったり、ヤケを起こして堕落の道をたどり、破滅してしまう人もあります。  動物心理学者によりますと、夏の虫は月がいくら明るく照っていてもその方へは飛んで行かず、誘蛾灯(ゆうがとう)――農薬の多用によって近ごろあまり見受けませんが――に向かってまっしぐらに飛んで行って自ら身を焼いてしまうのは、月へ向かって飛んでも明るさを増す感覚がないからだそうです。発達した頭脳と英知を持つ人間が、目標になかなか近づけないからといって、夏の虫と同じ行動をしていいものでしょうか。  堕落の道はすぐそこにあって、だれでもたやすく行ける道です。理想ははるか遠くにあって、行けども行けども近づき難い感じがします。しかし、理想というものは、到達して初めて価値を生ずるものではなく、それへ向かって歩く一歩一歩にすでにその価値が存在しているのです。その一歩一歩に理想の何百分の一か何千分の一かが達成され、それだけ確実に自分が高まっていくのです。ですから、あせることもなく、くじけることもなく、コツコツと歩き続けなければならないのです。  もちろんそうした緊張の連続では神経がもたない、挫折もしかねないという弱い一面も人間にはあります。その弱さに対処する妙策として、スポーツとか、山歩きとか、土いじりとか、カメラとか、バードウオッチングとか、その他の健全な趣味・娯楽によって心がホッと休まるひと時を持つことも大切です。坐禅や読経のような信仰の行によって我(が)をすっかり忘れてしまうのが、最高の安らぎであることはもちろんですが。  そうしたひと時の休みは必要ですけれども、後戻りしてはならないのです。前へ前へと歩き続けねばならない。これが万物の霊長と言われる人間に与えられたさだめなのです。   ...

法華三部経の要点55

創造と調和の世界こそ現実の宝処

1 ...法華三部経の要点 ◇◇55 立正佼成会会長 庭野日敬  創造と調和の世界こそ現実の宝処 全体の幸せのための創造  前回では「化城宝処の譬え」をおおむね個人の人生に即して解説しました。そして「宝処」とは何かということまで立ち至ることはできませんでしたので、ここであらためてそのことを吟味してみましょう。  元の意味での宝処はもちろん「仏の悟り」ですが、それはまずさておいて、ここでは二十世紀末あるいは二十一世紀の現実世界における宝処とは何かということについて考えてみることにします。  前回に「前へ前へと歩きつづけねばならないのが人間のさだめである」と述べましたが、その「前へ歩く」とはどんなことかといいますと、「創造すること」です。価値あるものごと、すなわち自分をも他人をも、世の中全体をもしあわせにするものごとをつくり出していくことです。  なにも「大きな仕事を」というのではありません。また、「物」を造り出すことばかりが創造ではありません。流通にせよ、サービスにせよ、文化活動にせよ、すべてが創造なのです。その人その人の才能や職分に応じ、それぞれの持ち前を正しく、十分に発揮しつくせば、それが創造なのです。  そうした創造のはたらきは、かならず目に見えぬところで総合され、大きな、ダイナミックな調和をつくり上げるものです。そのような創造と調和の状態こそが、人類究極の理想の姿「この上ない宝もの」だと断じていいでしょう。  お釈迦さまは、救われの一つの段階として「我(が)を捨てよ。現象を超越せよ。そうすれば心の安らぎを得ることができるのだ」と教えられました。つまり「化城」の中での安らぎです。ところが、自分自身はそうした安らぎを得てみたところで、世間のおおぜいの人があいかわらず苦しみもがいているのでは、その安らぎは独善的な自己満足に過ぎません。ですから、その「化城」を出て、人間みんなのしあわせのための創造的人生に歩み出す、それこそが宝処への再出発にほかならないのです。 後戻ってのやり直しも  もう一つ断っておきたいことがあります。前回に「後戻りしてはならない」と書きましたが、ただ一つ例外があります。それは、道に迷ったときの、やり直しのための一時的な後戻りです。こういう実例があります。  初めての山に挑んだパーティーが道に迷ってしまいました。六人のうちの五人は「なあに、そのうち見当がつくさ」と、そのまま進んでみることにしましたが、一人だけは「そんないい加減なことはできない。おれはおれのやり方でやる」と頑固に主張してそこに残りました。  ただひとりになったその人は、いま来た道を後戻りして、正しいルート上だったことが確認できる地点まで帰りました。そして、その場所を原点としてほかのルートをたどり、それも間違いだとわかるとまた原点まで戻り、また他のルートをたどってみるというやり方で、八度もやり直したあげくついに正しい道をみつけて助かったのでした。あとで、他の五人はけわしい谷間で遺体となって発見されたそうです。  いまの人類がそのとおりではないでしょうか。間違った道に踏み込んでいるのではないでしょうか。このまま進めば、破滅に立ち至るのではないかと心配されます。その悲劇から逃れるためには、いっぺん人間らしい人間という原点、自然と人間との共存という原点に立ち戻り、正しい道を発見して再出発すべきではないでしょうか。  法華経全体がそうですけれども、特に化城諭品は、人類の未来についていろいろなことを考えさせる一章です。                                                       ...

法華三部経の要点56

説法第一の富楼那に学ぼう

1 ...法華三部経の要点 ◇◇56 立正佼成会会長 庭野日敬  説法第一の富楼那に学ぼう 「助宣」の今日的な解釈  五百弟子受記品に進みましょう。この品は多くの弟子たちが「将来かならず仏の悟りを得るであろう」という保証を頂く章ですが、経文の大半は富楼那という高弟への授記とお褒めの言葉に尽くされています。お釈迦さまがよほどの信頼を託された人物であったのでしょう。こうおおせられています。  「我常に其の説法人の中に於て最も第一たりと称し、亦常に其の種種の功徳を歎ず。精勤して我が法を護持し助宣し、能く四衆に於て示教利喜し、具足して仏の正法を解釈して、大に同梵行者を饒益す。如来を捨(お)いてよりは、能く其の言論の弁を尽くすものなけん」  この一節の中に布教の心得がおおむね尽くされていますので、その要点をあげて説明することにしましょう。  第一に「我が法を護持し助宣し」とあります。この護持、すなわちお釈迦さまのお説きになった法を心の底から信じ、護り持(たも)っていること。これが布教者にとって絶対不可欠の第一条件です。いささかでも疑念などを抱いていたのでは、自然と人を説得するだけの迫力が不足してくるからです。  また「助宣」ということも大事な要件です。直訳すれば、お釈迦さまの助手として教えを宣(の)べ伝えることですが、後世のわれわれとしては次のように解釈すべきでしょう。  タテには時代の移り変わりがあり、ヨコにはさまざまに風習の異なる国や民族があり、それぞれに環境や生活様式やものの考え方がずいぶん違ってくるものです。そうした差別相を無視して千遍一律な説き方をしたのでは、根本においては万世不変である仏法であっても、すべての人を納得させることはできません。ですから、二千五百年前にインドで説かれた正法に、それぞれの差別相に応じた解釈を加えて人びとに「なるほど」と領得してもらってこそ、仏さまの説かれた正法が生きてくるのです。これが「助宣」の現代的な受け取り方であり、そのあとに「仏の正法を解釈して」とあるその「解釈」もやはりそういった意味に考えていいと思います。 教えを説く合理的な順序  次に「示教利喜し」とあります。これは教えを説き、人を導く合理的な順序です。  第一に、教えのあらましを示します。のっけから細かいことを説いたりすると、初心の人には何のことやらわからず、かえってそっぽを向かれてしまいましょう。ですから、未信の人も心を動かすような話題を選んで仏教のすばらしさを説くのです。それが「示」です。  そして、相手の人が「なるほど」と心を動かしたら、そこでもっと深く教えの意味を説いてあげます。それが「教」です。  教えの内容がほぼ理解できたら、次には教えを実行して得られる利益(りやく)を話します。それが「利」です。相手によってはこれを第一に持ってきてもよいのであって、そこは隨宜説法(ずいぎせっぽう=相手に応じて適宜な説き方をする)でいくことです。  そうしていよいよその人が教えに入ったら、絶えず感激を覚え、法の喜びを感じるように仕向けるのです。それが「喜」です。そこまでいけば、その人はもはや退転することはないでしょう。  もう一つ、お釈迦さまや富楼那に学ばなければならないことは、「わかりやすい言葉で法を説く」ということです。お釈迦さまは、マガダ国ではマガダ国の俗語で、コーサラ国ではその地方の方言で法を説かれたといいます。  富楼那は六十種もの言語に通じていて、どんな辺境にも布教に出かけて行ったといいます。今後の日本人は世界人とならなければなりません。政治家や事業人はもちろんですが、信仰者にしても、これからの若い人は、この点においても富楼那の後を継ぐ意気込みを持ってもらいたいものです。                                                       ...

法華三部経の要点57

富楼那は布教者の最高の手本

1 ...法華三部経の要点 ◇◇57 立正佼成会会長 庭野日敬  富楼那は布教者の最高の手本 半歩主義で好リードを  五百品の中で過去世の富楼那をお褒めになるお言葉に、見過ごしてはならない教えがあります。  「彼の仏世の人咸(ことごと)く皆、之を実に是れ声聞なりと謂(おも)えり。而も富楼那は斯の方便を以て無量百千の衆生を饒益(にょうやく)し」とあります。  富楼那は立派な菩薩でありながら、常にへりくだって一介の声聞のようにふるまい、そうした方便によって多くの人々を教化したというのです。あとの偈にも「自ら是れ声聞なり 仏道を去ること甚だ遠しと説く」(「わたしはまだ修行中の身なんですよ。仏の悟りなんぞまだまだ遠い先のことです」と話す)とあります。  そんな下がった態度でおれば、一般の人々は一種の親近感をおぼえて気安く付き合い、気軽に話を聞くことができます。そうしているうちに、富楼那の人柄に自然と感化され、またその素晴らしい教化力に導かれて、いつの間にかしっかりした信仰者となっているのです。  わたしはこれを「半歩主義」と名づけ、一般の人を導くうえでいちばん好ましい、そして効果的な態度として推奨したいのです。  お釈迦さまのような大威徳を持ったお方は別として、名も聞いたこともないような人がお導きをしようと近づいてこられた場合、一般の人が心からの信頼を持って迎えるとは思えません。もし偉そうにしておれば、近づき難い感じを覚えましょうし、かえって反発を感じる人もありましょう。  ですから、賢明な布教者は、一歩ではなく、半歩だけ未信の人より先を歩んでいるぐらいの気持ちでいなければならないのです。信仰の場合だけでなく、世間よろずのことで人をリードする時、特に青少年の場合は、これに限ります。後輩たちは、兄貴といったような親しみを覚えて、心からその人についてくるのです。ボーイ・スカウトなどがうまくいっているのはそのせいなのです。そして富楼那は、そういった態度のいい手本なのであります。 人・天交接して  富楼那への授記のお言葉のうち、もう一つ大切な一句があります。「諸天の宮殿近く虚空に処し、人・天交接(きょうしょう)して両(ふた)つながら相見ることを得」です。  天人の宮殿が地上のごく近い空中に浮かび、人間界のものは天上界をまざまざと見ることができ、天上界のものは人間界をまざまざと見ることができ、お互いに心が通い合うのである……というのです。  人間界のものは財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲といった欲を追いかけ、煩悩にふりまわされて生きていますが、天上界のものはそうした煩悩にとらわれない清らかな身であるとされています。従ってわれわれは、ふつう人間界と天上界は別々のはるかに離れた世界であると思っています。  ところが、人間界全体に仏法がひろまれば、人間界と天上界の区別はほとんどなくなってしまいます。つまり、仏法を信じ行じることによって人間としてのさまざまな欲望も、自行化他の善のエネルギーとなってしまうからです。  そこで、清らかさという点では人間界と天上界はぐっと近づき、ますますこの世を楽土と化していくであろうということなのです。これがこの句に含まれている深い意味であります。  ですから、われわれ佼成会員が朝夕のご供養で唱える回向唱に「先祖代々過去帳一切の精霊。別しては今日命日に当たる精霊志す所の諸精霊」とありますのも、一種の「人・天交接」であるとも言えましょう。われわれは天上界の方々を見ることはできませんが、天上界の方々はわれわれを見ていてくださるに相違ありません。それを信じながらご供養しなければならないのです。ついでながら、大歌人、窪田空穂の傑作を紹介しておきます。  我が心引きしまる時は大空は手もて触るべく近寄りきたる ...

法華三部経の要点58

問題多きものをも見放されなかった釈尊

1 ...法華三部経の要点 ◇◇58 立正佼成会会長 庭野日敬 問題多きものをも見放されなかった釈尊 問題多き比丘・迦留陀夷も  五百品の一つの特色は、お釈迦さまに手間をかけさせてばかりいた問題多き比丘の迦留陀夷(かるだい)と、知恵遅れの周陀(しゅだ)が「仏の悟りを得るであろう」と保証されたことです。  迦留陀夷はカピラバスト国の名門の出で、太子時代のお釈迦さまのご学友でしたが、才気にあふれ、弁舌さわやかな美男子でした。太子が出家された後、外務大臣もしくは移動大使ともいうべき要職にあり、後に祇園精舎が建てられたコーサラ国に駐在し、そこの大臣の妻と問題を起こしたほどのプレーボーイでした。  カピラバストの浄飯王は、出家されたお釈迦さまを何とか翻意させて太子の地位へ引き戻そうと考え、この迦留陀夷を使者としてつかわしましたが、かえってお釈迦さまに教化されてお弟子入りをしてしまいました。  しかし、出家したとはいえ、在俗時代の素行はなかなか改まらず、沙弥(少年僧)たちの先頭に立って村々を歩きまわり、人びとをからかったり、大声で騒ぎちらしたりしました。若い比丘をなぐる。他教の修行者とケンカをする。祇園精舎の森のカラスを得意の弓で何羽も射落とす。そうしたヤンチャばかりでなく、出家の身でありながら、いろいろと女性問題を起こし、比丘尼や在家信者たちがお釈迦さまに訴え出たこともたびたびでした。  お釈迦さまは、そのつどこんこんと戒められました。迦留陀夷は恐れ入っておわびを申し上げるのですが、しばらくするとまたいたずらの虫が頭をもたげるのでした。それでもお釈迦さまは、教団から追放されることなく、辛抱づよく見守っておられました。  悟りをひらいてからの彼は家庭教化の名人となり、舎衞城の一千軒の家庭を夫婦もろとも仏道に導いたのでした。最後には、かつて自分が教化した女が人妻でありながら盗賊の首領と通じたのを改心させようと努め、かえってその女に謀られ、盗賊に殺されるという壮烈な殉教を遂げたのでした。 知恵遅れの周陀も悟った  周陀は周梨槃陀迦(しゅりはんだか=しゅりはんどく)の略です。たいへんな知恵遅れで、兄の離婆多(りはた・この五百品で一緒に授記された頭脳明せきな仏弟子)が出家した後は暮らしにも困っていました。そこで、兄にすすめられて出家し祇園精舎入りをしたのですが、なにしろ自分の名前さえ覚えられず、板に書いてもらって首にさげているという始末でした。  ましてや偈ひとつ覚えることもできなかったので、兄は最終的な励ましとして「おまえのような者はとても仏法を学ぶことはできない。出て行きなさい」と、祇園精舎の外へ押し出してしまいました。  門の外でシクシク泣いている周陀をみつけられたお釈迦さまは、「心配せずにここで暮らすがよい」と慰められ、一本のほうきを与えて「これで毎日精舎を掃除しなさい。掃除しながら『塵を払わん、垢を除かん』と唱えなさい」と命じられました。  周陀はいいつけられたとおりを懸命に行じましたが、この偈だけはなかなか覚えられず苦心しました。しかし、一心というものは恐ろしいもので、いつしか完全に唱えることができるようになり、と同時に、なんともいえぬすがすがしい心境に達したのです。ある日久しぶりに弟の顔を見た離婆多は「あッ、おまえは悟りをひらいたな」と言いました。そのとおりで、知恵遅れだった周陀も、後にお釈迦さまに命じられて比丘尼たちに説法するまでになったのでした。  この二人への授記は、後世の凡夫であるわれわれにとって絶大なる励ましです。と同時に、どんな人間をも見放すことをされなかったお釈迦さまの大慈悲にただただ頭の下がる思いを禁じえません。ありがたいことではありませんか。                                                        ...

法華三部経の要点59

われわれはすでに救われているのだ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇59 立正佼成会会長 庭野日敬 われわれはすでに救われているのだ 衣裏繋珠の譬え  五百品には法華七諭の一つである『衣裏繋珠(えりけいじゅ)の譬え』があります。それは、世尊から憍陳如(きょうじんにょ・お釈迦さまの鹿野苑の最初の説法で教化された五比丘の筆頭)に続いて仏となりうる保証を頂いて大歓喜した五百人の阿羅漢たちが、これまでの考えの根本に誤りがあったことを譬え話によって告白するくだりです。こう申し上げるのです。  「ある貧しい人が親友を頼ってやって来ました。親友は酒さかなを出してもてなしましたので、その人はすっかり酔っぱらって寝込んでしまいました。ところが、その親友は急に公用で長期の出張に出かけなければならなくなり、寝ている友だちを起こすのも気の毒だと思い、計り知れないほどの値打ちのある宝石を着物の裏に縫いつけておきました。  目が覚めたその人は、親友が長く帰って来ないことを知り、仕方なくそこを立ち去って、あいかわらず食うや食わずの放浪をつづけていました。ずいぶんたってから、その親友とパッタリ出会いました。親友は以前と変わらぬ友の哀れな姿を見て『なんということだ。君が安楽に暮らせるようにと思って着物の裏に高価な宝石を縫いつけておいたのに……』と言いました。  世尊はこの親友のようなお方でございます。世尊は過去世でまだ菩薩であられました折、わたくしどもに『人間だれにも一様に仏性(計り知れぬほどの値打ちのある宝もの)が具(そな)わっているのだ』と教えてくださったのですが、現世に生まれ変わってからはそのことをすっかり忘れてしまい、ただ煩悩を除くことができただけで、それを悟りだと思い込んでおりました。  心がすっかり眠りこけていたのでございます。ところが、世尊はいまわたくしどもの目をはっきり覚まさせてくださいました。これからは菩薩としての自覚を持ち、世のため人のために尽くしていくことによって、ついには仏となれることがわかりました。こんなうれしいことはございません」  こうお礼を申し上げて、この品は終わりとなるわけです。 すでに救われているのだ  この章でお釈迦さまはなぜ大勢の弟子たちの成仏を保証されたのでしょうか。いや、この五百人の仏弟子をはじめとする千二百人の阿羅漢のみならず、一切の人間にその可能性があることを断言されるのでしょうか。  まえにもたびたび書いたとおり、すべての人間は宇宙の大生命ともいうべき久遠本仏と本質的に同じ仏性を平等にもっているからです。仏となる可能性を仏性といいますが、仏性というものは言葉を換えていえば「久遠実成の本仏と同質のいのち」なのです。  しかし、われわれはその真実をなかなか自覚できません。なぜかといえば、衣食のためにアクセク働き、欲望を追って右往左往しているこの身が自分であり、そういった心が自分そのものだと思い込んでいるからです。ちょうどこの貧しい人が、尊い宝石が縫いつけられた着物を現に着ていながら、それに気づかずにいたのと同じなのです。  この譬えをとことんつきつめていきますと、「われわれはほんとうはすでに救われているのだ」ということになります。われわれの本質は久遠本仏と同質の自由自在ないのちなのですから、すべての人間がすでに救われているのです。その真実を知らないからこそ、お互いさま苦の人生をさまよっているわけです。  したがって、救われるのはなにも難しいことではない。「すでに救われているのだ」という真実を心の底から自覚すればいいのです。これが『衣裏繋珠の譬え』の真義であり、五百品の結論でもあるのです。                                                       ...

法華三部経の要点60

阿難は後世の仏教徒の恩人

1 ...法華三部経の要点 ◇◇60 立正佼成会会長 庭野日敬 阿難は後世の仏教徒の恩人 常随の侍者・説法の記憶者  授学無学人記品に進みます。この品で阿難・羅睺羅をはじめ学・無学のお弟子二千人が授記されますが、「学」というのはまだ学ぶことが残っている人、「無学」というのはもはや学ぶべきことの無くなった一人前の声聞のことです。  ところで阿難には、われわれ後世の仏教徒が深く感謝しなければならぬ三つの功績があります。  その第一は、お釈迦さまの晩年の二十数年のあいだ常随の侍者としてお仕えしたことです。それまで二、三の者が侍者となったのですが、あまり思わしくなく、長老たちが最後に阿難に白羽の矢を立てたのでした。  阿難は純真で優しい性格の人でしたので、心からまめまめしくお仕えしました。お釈迦さまが背痛という持病に悩まされながらも八十歳という高齢まで布教の旅をお続けになったことには、阿難の一分の隙もない忠実なお世話がずいぶん寄与していることは否定できますまい。  第二には、いつもおそばにいただけに世尊の説法をほとんど残らず聞いており、しかも素晴らしい記憶力でそれを正確に覚えていたことです。ですから、仏滅後にその教えを確かめる大会議が開かれた時、「経」については阿難が誦出者となり「わたしはこのように聞きました」(如是我聞=にょぜがもん)と前置きしてお説法のとおりを述べ、一同が「そのとおりだった」と合点したらそれが正式に認められ、後世にまで伝えられたのです。阿難の功績の最大のものと言えましょう。 女性修行者の道を開いた  お釈迦さまの養母として赤ちゃんの時からお育てした摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)は、かねてから世尊のもとで出家したいという望みを持っていましたが、何度お願いしても許されませんでした。しかし、どうしてもその志を捨てることができず、夫の浄飯王が亡くなったのを機に、ビシャリ国におとどまりの世尊のもとへ参って必死に歎願することを決意しました。すると、夫たちの出家によって同じ思いを抱いていた多くの貴族の婦人たちもご一緒したいと言い出しました。  婦人たちは黒髪をおろして青々と剃り上げ、粗末な衣をまとい、はだしでカピラバスト城を後にしました。夜は野宿する苦しい旅を続けたのち、ようやくビシャリ国の精舎の前にたどりついた時は、立っていられないほど疲れ果てていました。  知らせを聞いて門前に出て来た阿難は、その決意を聞くとさっそく世尊のもとへ参って代わりにお願いいたしましたが、「女人が厳しい戒律のもとで道を修めるのは非常に難しい。また、男子の修行者たちに悪影響を及ぼす恐れがある」として断固お許しになりません。  「お言葉を返すようですが、世尊のみ教えは男子だけに門を開かれているのでしょうか」「そうではない。真理というものは、人間界の者にとってはもとより、天上界の者にとっても真理である。ましてや男女の差別などあるはずがない」「それならば、女人の出家をとどめることは不当ではないでしょうか」  といったやりとりの後、もとより慈悲深いお釈迦さまですから、ついに女人の出家をお認めになりました。阿難こそ真の意味のフェミニストであり、後世の女性にとっても大恩人であるわけです。  そのような阿難が、なぜ後輩である五百品の大勢の仏弟子たちよりあとに、ここでようやく授記されたのでしょうか。その理由については次回でいろいろと考えてみることにしましょう。 ...

法華三部経の要点61

身近の人の教化の難しさを

1 ...法華三部経の要点 ◇◇61 立正佼成会会長 庭野日敬 身近の人の教化の難しさを 羅睺羅の偉さは密行  お釈迦さまの実子羅睺羅も、この授学無学人記品でようやく授記されます。その授記のおことばに「羅睺羅の密行は 唯我のみ能く之を知れり」とあります。  密行という語には二つの意味があります。第一は、戒律のどんな細かい条項でも、そして人の見ていない所でも、それをキチンと守って違反することがないこと。第二は、ほんとうは菩薩の境地に達していても、へりくだって、あたかも一介の声聞であるかのように振る舞うことです。  われわれ在家信仰者の行持としてこれを解釈すれば、第一に、ただひとりでいる場合でも、知らない人ばかりの群衆の中でも、つねに良心的に振る舞い、ささいなことでも正しい道にもとづいて行うこと。第二に、自分はどんなに高い境地に達していても、人びとに接するときには驕ったり、偉ぶったりせずに交わり、仏さまの教えをその身を通して示していこうという心構えです。  羅睺羅はお釈迦さまの実子でありながら、それを鼻にかけることなど微塵(みじん)もなく、黙々として修行し、見えないところで徳を積んでいました。それは、幼くして出家せしめられた羅睺羅を舎利弗に預けて厳しい養育を頼まれたお釈迦さまの方針が実を結んだわけです。その成長ぶりを少し離れた所から見守っておられたお釈迦さまの、人の子の親としてのお気持ちがほのかに察せられるおことばが、前出の「唯我のみ能く之を知れり」なのです。 なぜ授記を遅らされたのか  前回に阿難の人間性のすばらしさとその功績について述べましたが、その阿難も、この羅睺羅も、いわゆる十大弟子の中にはいっていたのです。ついでですから十大弟子の顔触れを紹介しておきましょう。舎利弗(智慧第一)・目犍連(神通第一)・摩訶迦葉(頭陀=ずだ・質素生活第一)・阿那律(天眼第一)・須菩提(解空第一)・富楼那(説法第一)・迦旃延(論議第一)・優波離(持律第一)・羅睺羅(密行第一)・阿難(多聞第一)。  このように十大弟子の中にさえ入れられている羅睺羅や阿難が、なぜずっと遅れて、学(まだ学ぶべきことが残っている見習いの声聞)たちと一緒に、授記されたのでしょうか。それがこの品の大事な要点だと思います。  お釈迦さまのみ心のうちを拝察しますと、二人とも現身のお釈迦さまにとって血のつながりの濃い存在であることに、かえって修行のためのマイナスの要素がかくされていることを、人びとにお示しになるために、わざと授記を遅らされているのではないかと思われるのです。  阿難の場合は、二十数年間いつもおそばにいて、お食事の世話からご用便の始末までしていました。水浴をなさるときは背中をお流ししました。そうしますと、仏としてのお釈迦さまの偉大さと、肉体を持つ人間としてのお釈迦さまのお姿がまじり合って、ほかのお弟子たちのような純粋な帰依が困難になるのはやむをえません。  羅睺羅の場合にしても、父親がいくら偉い人でも、肉親以外の人があたかも神さまのように仰慕しているのと同様な気持ちにはなりきれないでしょう。甘え心もぜんぜん起こらないとは言い切れません。まことに微妙な心理の問題がそこにあるのです。  そのことから、われわれは大きな教訓をくみ取らなければなりません。というのは、妻とか、夫とか、親とか、子といったいちばん身近の者を教化することの難しさです。そのためには行住坐臥によほど気をつけて、いい手本を示すことに心がけねばなりますまい。いわゆる「後ろ姿で導く」ことです。それができれば、逆に身近の者ほど導きやすいということもいえるのです。                                                       ...

法華三部経の要点62

感動と慣性が人を大成させる

1 ...法華三部経の要点 ◇◇62 立正佼成会会長 庭野日敬 感動と慣性が人を大成させる 感動なくして向上なし  法師品に入りましょう。この品も非常に大切な章です。まず冒頭に「わたしの滅後にこの法華経の一偈一句でも聞いて一念にでも隨喜する者があったら、その者に成仏の保証を授けよう」とおおせられています。「一念も隨喜せん者」とは、一瞬のあいだでも心から「ありがたい」と深く感動する人ということです。  この感動ということが信仰のうえばかりでなく、世間でひとかどの人物となるための重大な踏み切り台となるものですから、ここでじっくりと考えてみることにしましょう。  わが国最初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士が理論物理学の道へ進まれたのは、旧制高校生時代に来日したアインシュタイン博士の講演を聞いて感動したのが、そもそものきっかけであることは有名な話です。  ガンジー翁がサチャグラハ(非暴力不服従運動)によってインドの独立を達成したのも、もともとは一冊の本を読んで感動したことに始まっているのです。今から約百五十年前、アメリカにデーヴィッド・ソーローという哲人がいました。ソーローは人里離れた湖のほとりの小屋で、自給自足の仙人のような生活をしていました。ところが当局はかれに税金を課したのです。かれは税金を納める理由はないと拒否し、投獄までされましたが、自説を曲げることなく『非暴力反抗』という本を書いて闘いつづけたのです。  ガンジー翁が読んだのはその本でした。そして、それに示唆されてサチャグラハ運動を起こしたのです。たった一冊の本を読んでの感動がインド数億の民衆を救ったのでした。 初隨喜を伸ばすエンジンは  あるものごとを見たり、聞いたり、本を読んだりして感動を覚えても、それをそのままにほうっておいたのでは、けっして大きな実は結びません。感動(信仰でいえば一念隨喜=初隨喜)は心に一つの方向を与えたものですから、その方向への動きを伸ばしていかなければならないのです。それが修行です。  物理の法則に慣性というのがあります。物体がある方向へ動き出したら、ずっとその運動を持続しようとする性質が慣性です。心もそれと同じで、ある方向へ向かって動き出したらそれを持続しようという性質があるのです。しかし、車もエンジンの力を借りなければ大地の摩擦で次第に止まってしまうように、心にもエンジンの力が必要なのです。そのエンジンこそが修行なのです。  法師品には、そのエンジンを五つに分けて説いてあります。すなわち、受持・読・誦・解説・書写です。受持の受というのは、教えを深く心に信ずることで、つまり帰依することです。持というのは、その帰依の心を固く持ちつづけることです。読というのは経典を読むこと。誦というのは声を出して読むことと、それをそらんじる(暗誦する)ことをいいます。  解説というのはひとに解説してあげることです。これはもちろん教えを説きひろめるためのものですが、同時に教えに対する自分の理解を深めるためにもおおいに役立つのです。ひとに説いてあげるためにはどうしてもしっかり勉強し直す必要があるからです。書写というのには二とおりの意味があります。一つは経典の一字一字をていねいに書き写すことによって自身の信解(しんげ)を深めること。一つは、文書その他のメディアを通じて教えを広宣流布する行為です。  これらの修行をたゆみなくコツコツと続けることによって、最初に起こした感動(初隨喜)はその慣性によってまっすぐ成仏の方向への進行をつづけていくのです。これは、世間一般のものごとのうえにおいても人を大成におもむかせる、あるいは大事業を達成させる不可欠の要件なのであります。よくよく心得ておきましょう。                                                       ...

法華三部経の要点63

法華経行者こそ真のエリートである

1 ...法華三部経の要点 ◇◇63 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経行者こそ真のエリートである 人間という語の重大な意味  法師品の次の要点は、こう説かれていることです。「法華経の一偈でも受持し、読誦し、解説し、書写し、この経巻を仏と同じように敬い、さまざまに供養する者は、前世において無数の仏を供養し、そのもとで悟りを得た者であるが、衆生が苦しんでいるのを哀れに思うがゆえにこの人間界に生まれてきたのである」。 経文には「衆生を愍むが故に此の人間に生ずるなり」とあり、後の偈にも「清浄の土を捨てて 衆を愍むが故に此に生ずるなり 当に知るべし是の如き人は 生ぜんと欲する所に自在なれば」とあります。  この人間というのは、ヒトとか人類という意味ではなく、人と人との間、すなわち人々がたくさん住んでいる社会を言うのです。大漢和辞典を引いても、「人間」の項には①人の世、世間、俗界。②人。人類。俗に誤っていふ。とあります。  これはたんに辞句の解釈の問題ではありません。人の生きざまの上にとって実に重大な意味を持っているのです。というのは、人は決して単独に生きているのではなく、あらゆる人、あらゆる動物・植物、あらゆる自然環境と関連し、相互依存の上に生きているのだが、その中で最も濃密な関係は人と人との関係なのだ……という真実をこの語は含んでいるのです。われわれが何気なしに使っているこの「人間」という言葉を、この機会にじっくりとかみしめてみることが大切だと覆います。 エリートには責任がある    さて、冒頭にかかげた経文を玩味しますと、この世で法華経に縁のあったわれわれは、前世において無数の仏さまのみもとにおいて修行し、すでに仏の悟りを得た身であったのに、悩みを抱えて苦しんでいるこの世の人々を見るに見かねて、それまで住んでいた安楽世界(清浄の土)を捨てて、わざわざ汚濁に満ちたこの娑婆世界に生まれてきたのだ、ということです。  なんというスバラシイことでしょう。なんという有り難いことでしょう。あなたが今どんな境遇にあろうとも、あなたは真の意味のエリートなのです。選ばれた人なのです。俗には、一流大学を出て、政界・官界・大企業などで活躍している人物をエリートと言いますが、それは永遠のいのちの世界の中ではホンの一瞬に過ぎないこの世のエリートであって、いま法華経を信じ、行じているあなたこそが本当のエリートなのです。  どうか絶大なる自信と誇りを持って頂きたい。社会的には恵まれない境遇にあろうとも、あなたは「仏さまに選ばれた人」なのです。このあとの経文にも「当に知るべし、是の人は則ち如来の使(つかい)なり。如来の所遣(しょけん)として如来の事を行ずるなり」とあるではありませんか。  ただし、選ばれたからには必ず責任が伴います。経文にも「衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり」とあるように、この法華経を広く説きひろめ、しかもさまざまに説き分ける(分別する)こと、これがわれわれの責務なのです。  この「分別」ということに特に留意しなければなりません。時代が変わり、国や民族が異なれば、生活様式も異なり、環境も変わります。社会風潮も違ってきます。それなのに、千遍一律にワンパターンの説き方をしたのでは、人を引きつけることもできないし、「なるほど」と納得させることもできません。ですから、この「分別」ということが不可欠になってくるのです。  いずれにしても、人に説かなければ、人を導かなければ、「如来の使い」とは言えず、真のエリートとしての責務も果たし得ないのです。それこそが、われわれがこの世に生まれ出た一大事なのです。                                                       ...

法華三部経の要点64

象徴の尊さ大切さ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇64 立正佼成会会長 庭野日敬 象徴の尊さ大切さ 経巻の中に如来の全身が  法師品の説法でお釈迦さまは、「薬王菩薩よ。法華経が読まれ、書かれ、説かれる所、そしてその経巻の安置されている場所には七宝の塔を建てよ。ただし、その中に仏舎利(ぶっしゃり=仏の遺骨)を納める必要はない」。その理由は、「此の中には已に如来の全身います(経巻の中には仏の全身が宿っているからだ)」とおおせられています。  また、ずっと前のほうに「仏を罵る罪よりも、法華経を受持し読誦する者を罵る罪のほうがはるかに重い。仏をたたえる功徳よりも、法華経の持経者をほめたたえる功徳のほうがはるかに大きいのだ」ともお説きになっておられます。  お釈迦さまはそんな私のないお方なのです。病身の老弟子バッカリを見舞いに行かれたとき、バッカリが「世尊にお目にかかりたくてたまらなかったのですけれども、こんな体で長い間くやんでおりましたから……」と申し上げると、「いや、いや。やがて死んで腐るわたしの肉体を見る必要はないのだよ。わたしを見るというのは法を見るということなんだよ」とおおせられました。  私心というものが微塵(みじん)もなく、法(真理)をこそ第一とお考えのお方だったのです。「此の中には已に如来の全身います」の一句には、世尊の悟られた正法の全ぼうが尽くされているという意味はもちろんですが、こうした無私の正法尊重のご精神もこめられていることを知るべきでしょう。 象徴が人を神仏に近づける  それにしても、「経巻所住の所に塔を建てよ」とはどういうことでしょうか。よく「仏像や仏塔を拝むのは偶像崇拝だ」と言う人もありますが、それは一方的な決めつけであって、われわれは帰依の対象である「見えざる仏」の象徴として拝むのです。  この象徴というものが、われわれ凡夫にとっては非常に大切なものなのです。偶像否定のプロテスタントが多数の国であるアメリカにおいても、大統領の就任式には聖書に手を置いて誓いのことばを述べるではありませんか。  また、アメリカの法廷では、聖書に手を置いて、正直な申し立てをすることを誓います。そうすることによって心が神に近づくからです。聖書は考えようによっては一種の「物」です。しかし、物ではあってもただの物ではない。真理の書であり、神の象徴なのです。われわれが拝む仏像も、仏塔も、そして法華経の経巻も、まさにそれなのです。  ついでですが、ブッシュ大統領就任式の際のことばを思い出しましょう。  「私は大統領として最初に行うことは祈ることである。『天にまします父よ、我々は頭を垂れ、あなたの愛に感謝します。今日をあらしめた平和と、その平和の継続を可能にする信仰を共有できることに対する我々の感謝を受け入れたまえ。(中略)正しい力の使い方がただ一つあります。それは人々に奉仕することであります。神よ、我々にそれを想起せしめよ。アーメン』」  長々と引用しましたが、その理由はほかでもありません。政治の基底となるものは正しい信仰でなくてはならぬという認識を持ってもらいたいためです。政教分離は、制度の上では必要でしょう。しかし、正しい宗教が真理に帰依し、真理を行うものである以上、政治も経済もこれがバックボーンとならなければならない。それがないと必ず腐敗します。  すこし脱線しましたが、これは大切な脱線だったと思います。ともあれ、象徴としての仏像などを礼拝し、供養することは、神仏に近づく正しい、そして賢明な手段だということを、ここのくだりから悟っていただきたいのであります。                                                       ...

法華三部経の要点65

こだわりのない心で人に対せよ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇65 立正佼成会会長 庭野日敬 こだわりのない心で人に対せよ 衣・座・室の三軌  法師品の要点中の要点は「わたしの滅後にこの法華経を説く時は、如来の室に入り、如来の衣(ころも)を着、如来の座に座して説きなさい」と教えられた、いわゆる衣(え)・座・室の三軌でありましょう。その三軌を「如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり」と解説なさっています。  ただ概念的に「大慈悲心を持て。忍耐せよ。空の悟りを基本にせよ」とおっしゃるのでなく、部屋・衣服・座席という具体的な物に即して説かれたところに、人々の心を把握しておられるお釈迦さまの説法名手ぶりがよく現れています。前回に「象徴」の大切さを強調しましたが、ここにもまたそれが巧みに用いられているのです。  如来の室というのは大広間です。そこには大勢の人が入れます。大慈悲心の象徴です。衣服は寒さを防ぎ、外傷から身を護ります。妨害・中傷・悪口など、説法者に加えられるマイナス行為に動揺しない忍耐心の象徴です。座というのは座席です。座席はどっかと腰を落ち着けている所ですから、つまり「空」がすべての説法の不動の座標となるべきだということの象徴です。説法者はこの三つの心構えの上に立って法を説けと教えられているわけです。 空の原理からが入りやすい  さて、その三軌の中の慈悲は感性に関するものです。柔和忍辱の心もおおむね感情の問題ですから、それを持とうと思っただけではなかなかその通りにできるものではありません。そこで、理性的な現代人にとっていちばん入りやすいのは最後の「空」という仏法の基本原理でありましょう。  空といっても、それを完璧に解説するには一冊の本が必要なほど難しい問題ですが、現実のわれわれの心がけとして煮つめてみますと、結局「現実の姿にこだわらない」ということに帰すると思います。すべての人は仏性をもち、久遠の仏さまに生かされている存在ですから、現象に現れている姿にこだわることなく、どの人にも同じ気持ちで対する、そういった態度こそが「如来の座」であり、それはひとりでに慈悲の心にも、柔和忍辱の心にもつながるものだと思います。  福沢諭吉が少年のころ、知能の遅れたチエという若い女性がよく彼の家へやって来ました。諭吉の母親は快くそれを迎えて庭に座らせ、髪のシラミを取ってやってから、何か恵みものをして帰らせるのを常としていました。  諭吉は母親が取ってやったシラミを庭石の上に乗せて小石でつぶす役目をさせられるのが毎度のことでした。汚いし、臭いし、いやでたまりません。ある日、「母上、胸が悪くなりました。やめさせてください」と言いました。すると母親は、「情けない人ですね。チエはね、シラミを取ってもらうと気持ちがよくなることを知っているんですよ。しかし、自分ではシラミが取れないから、こうしてやって来るんです。チエができなければ、できる人がしてあげるのが当然ではないですか。同じ人間ですもの」と、こんこんと言い聞かせました。  後日、「天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず」という不滅の名言を残した福沢諭吉をつくったのは、母親のこうした「諸法空」の心であり、それに基づいた家庭教育だったのです。  衣・座・室の三軌は決して別々の徳目ではなく、密接につながっているのです。ですから、いちばん入りやすい「現象の姿にこだわらず、人と人とを差別しない」という「空の座」から出発すれば、ひとりでに「慈悲心の室」にも入り、「柔和忍辱の衣」を着ることもできるものと思います。 ...

法華三部経の要点66

多宝如来は真理そのものだが

1 ...法華三部経の要点 ◇◇66 立正佼成会会長 庭野日敬 多宝如来は真理そのものだが 宝塔には如来の全身います  見宝塔品に入ります。この品には初めから終わりまで不可思議な神秘的なシーンが展開されますがその一つ一つが重大な意味を持っていますので、どうしても解説の必要がありましょう。  前の法師品の説法が終わるやいなや、目の前の地上に、さまざまな美しい宝に飾られた光り輝く大塔がこつぜんと浮かび上がりました。そして、その宝塔の中から大音声(だいおんじょう)が響きわたり、「善哉、善哉。釈迦牟尼世尊は、すべての人間が平等に仏性を持つことを見通す智慧(平等大慧)に基づき、すべての人に菩薩の道を示す教え(教菩薩法)という、もろもろの仏が秘要として護ってこられた(仏所護念)妙法蓮華経をお説きになりました。まことに説かれる通りです。すべてが真実です。実に素晴らしい」と賞賛し、証明されるのです。  一同はその荘厳な情景に言い知れぬ感動を覚えるのですが、大楽説菩薩という人がお釈迦さまに「どういうわけでこのような美しい塔が地中から湧き出し、このような大音声が響きわたったのでしょうか」とお尋ねします。するとお釈迦さまは「この宝塔の中には如来の全身がおられるのである」とお答えになります。  如来とは「真如(しんにょ=根本の真理)から来た人」のことですから、つまり、この塔の中には宇宙の真理の完全なすがたがあるというわけです。 真理の現れは自由自在  宇宙の真理(真如)の完全なすがたと言っても、われわれ凡夫にはどうもピンときません。そこでお釈迦さまは、それを多宝如来という人格を持った仏さまとして説かれたのです。はるかなむかしに多宝如来という仏さまがおられ、その仏さまがまだ菩薩の時代に「自分が仏となったのち、いずれの世界ででも法華経が説かれるならば、その説法会の前に大塔を出現させ、その教えの真実を証明し、賞賛しよう」という誓願を立てられた……とお説きになりました。  このように、根本の真理という目に見えないものに人格を与えますと、凡夫にもなんとなく信仰の焦点が定まってくるからです。  キリスト教では、創造主である無形の絶対神に対しても「天にましますわれらが父よ」と言って祈ります。これも、「天にまします神」つまり、目に見ることのできない神を「父」という言葉で象徴して、人間にとってよりわかりやすく表現したものです。いずれにしても宗教信仰においては、信仰の対象を心にしっかりとつかみとるということが、なによりも大切なことだからです。  ここで、一つ心得ておきたいことがあります。仏教では「三身一体(さんじんいったい)」といって、法身仏(ほっしんぶつ=根本の真理である真如そのものである本仏)と、報身仏(ほうしんぶつ=法身がわれわれに理解できるような人格をそなえられた仏)と、応身仏(おうしんぶつ=真如に基づいて衆生教化のためにこの世に出現された仏、つまり釈迦牟尼仏のこと)とはもともと一体であるとしています。すなわち、『妙法蓮華経』を説かれたお釈迦さまこそ、この三身をそなえられた仏であり、その現れは自由自在であるということです。  このことを心の底にしっかりとつかまえることができてこそ、この品に充ち満ちている神秘的な出来事も腑(ふ)に落ちることと思います。                                                       ...

法華三部経の要点67

法華経は全真理を統合した経典

1 ...法華三部経の要点 ◇◇67 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経は全真理を統合した経典 部分的な真理は散在するが  宝塔の中に真理の全身である多宝如来がおられると聞いた大楽説菩薩が「ぜひ多宝如来の仏身を拝みとう存じます。世尊の神力をもってどうぞ拝ませてください」とお釈迦さまにお願いします。するとお釈迦さまは「多宝如来は、十方世界に散らばっておられる諸仏の分身をことごとく呼び集めたうえでないと身をお現しにならないのである」とおおせられます。  このことにも重大な意味があるのです。世の中には真理の教えはたくさんあります。哲学もそうですし、科学もそうです。道徳も人間の道を教え、文学も人生の真実を伝えています。しかし、それらは真理の部分部分を明らかにしたものです。それに対して法華経はあらゆる真理を統合した経典です。  ですから、法華経が真実であることを証明しようとするならば、どうしても全宇宙に散らばっている真理の部分部分の教えを一ヵ所に集めたうえでなければ証明できないわけです。  そこでお釈迦さまは、まず十方世界の真理の教えをことごとく呼び集め、またご自分の分身をも呼び集められました。それを見とどけられたお釈迦さまはスーッと空中におのぼりになり、宝塔の頂上の前におとどまりになりました。  そして右手(智慧の象徴)でギーッと宝塔の扉をおひらきになりますと、その中に、多宝如来があたかも禅定に入ったかのように身動きもせず座しておられるのです。梵語の経文からの訳には「あたかも瞑想を完成したかのように、四肢が痩せ身体は衰えて玉座に座り」とあります。  ということはつまり、真理は尊いものではあるけれども、ジッとしているだけでは意味がないということにほかなりません。真理はそれが動き出し、多くの人びとのために説かれ、理解され、そして活用されてこそ意義が生じてくるということが、多宝仏の右のようなお姿に象徴されているのです。 行動こそが決め手である  玉座の中央に座っておられた多宝如来はおん身を半ばおずらしになり、「釈迦牟尼仏よ。どうぞこの座におつきください」とおおせられました。釈迦牟尼仏はすぐ宝塔の中にはいられ、多宝仏と並んでお座りになりました。このことを「二仏同座」といい、見宝塔品の要点中の要点といっていいでしょう。  二仏同座は何を意味するかといいますと、真理そのものと、真理を説く人とは同格であり、同じように尊い存在であるということです。前にも申しましたように、真理はだれかによって説かれ、理解され、活用されてこそ意義が生じてくるものだからであります。  法華経は、多宝如来が大音声を発して言われたように、すべての人間が平等に仏性を持っていることを説き、その仏性を顕現するための菩薩行を教える経典です。  そのことは、方便品の「万善成仏」の法門から説き始められています。子供が遊び半分に砂の上に仏さまの絵を描くという素朴な行為ですら、成仏の因となるとあります。その行為によって仏性が育てられていくわけですから。  譬諭品の『三車火宅の譬え』では、羊の引く車や鹿の引く車や牛の引く車を求めて門の外へ走り出るという行動こそが救われにほかならない、と説かれています。信解品の『長者窮子の譬え』でも、窮子が二十年間もコツコツと汚い所を掃除する働きをつづけたからこそ長者(仏)の後継ぎになれたのだ、とあります。  われわれ今日の信仰者にとっても、その道理はまったく不変です。行動こそが大事なのです。だからこそ、法華経信仰者を特に法華経行者というのであります。                                                       ...

法華三部経の要点68

法華経行者は多宝塔である

1 ...法華三部経の要点 ◇◇68 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経行者は多宝塔である 日蓮聖人の阿仏房への手紙  前々回と前回には、多宝如来は真理(真如)そのものであることを書きました。ところが、それと同時に、経文にもありますように、どこででも法華経が説かれるならばその場に出現し、それが真理であることを証明する役割を持っておられるのです。ですから、古来「証明法華(しょうみょうほっけ)の多宝如来」とお呼びしているわけです。  と申しますと、われわれ在家の法華経行者とはまったくかけ離れた天上の存在のように思われるかもしれませんが、そうではありません。われわれが法華経に帰依し、身に行じ、そして人のために説くならば、われわれがそのまま多宝如来となるのです。これはわたしの独断ではなく、日蓮聖人がハッキリとそうおっしゃっておられるのです。  日蓮聖人が佐渡に配流されたとき、その地に阿仏房という熱心な念仏の信者がいました。元は武士で、順徳上皇が佐渡に流されたもうたときお供をしてここに来て、上皇没後は妻の千日尼と共にそのお墓を守ってここに住みついていたのでした。  日蓮聖人がこの島へ配流されたと知ると、念仏の大敵が来たとして殺そうと企み、庵室を襲ったのですが、かえって聖人に教化されて弟子となったのでした。そして、妻と共々怨敵の多い聖人をお守りし、夜中ひそかに食糧を届け続けたのでありました。そればかりか、身延へ退隠されてからも三度もはるばる佐渡からお見舞いに行ったほど尊信の誠を尽くしました。  その阿仏房が、手紙で、「多宝如来の宝塔はどのようなことを表しているのでしょうか」と質問したのに対して、聖人はこうお答えになっておられるのです。  「……末法に入って法華経を持(たも)つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若し然らば貴賤上下を択(えら)ばず、南無妙法蓮華経と唱うる者は、我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり。(中略)。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益(さいかくむやく)なり。(中略)。多宝如来の宝塔を供養し給うかと思えば、さにては候わず、我が身を供養し給う。我が身又三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給うて南無妙法蓮華経と唱え給う、ここさながら宝塔の住処なり。経に曰く、『法華を説く処あらば、我が此の宝塔其の前に涌現せん』とは是れなり……」と。 説かねば宝塔も意味がない  この中でも「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり」の一節をよくよく味読して頂きたい。「阿仏房がそのまま宝塔であり、宝塔がそのまま阿仏房である。学問的解釈や理屈づけは何の役にも立ちはしない」という意味です。つまり、「法華経の説かれる所には必ず宝塔を涌現させよう」という経文の言葉を素直に受け取ればいいのだ……ということです。  佼成会員の皆さんは、法華経にご縁を頂いた人であり、朝夕「南無妙法蓮華経」を唱えている人ですから、みんな多宝如来の分身です。お釈迦さまと半座を分けて並んで座れる資格を持つ人です。どうか、そのような自覚と誇りを持って頂きたい。  ただし、それには条件があります。宝塔は、ただそれが地上に顕現しただけでは意味がありません。中におられる多宝如来が大音声を発して、最高無上の教えである法華経の真実を証明されてこそ宝塔は生きて働くのです。皆さんも、人のために法華経を説き、わが身にそれを実践してその真実を実証してこそ、その尊い事実も生きてくるものだと承知して頂きたいものです。 ...

法華三部経の要点69

現実から理想へ理想から現実へ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇69 立正佼成会会長 庭野日敬 現実から理想へ理想から現実へ まず現実の大安心を  法華経は、すべての人間が仏となるという究極の理想を説きながらも、決して現実をおろそかにしていません。例えば信解品の『長者窮子の譬え』においても、父の長者(仏)が窮子(衆生)に「ずっとここで働きなさい。そうすれば賃金も上げてやろうし、米とか麺(めん)とか塩や酢など、日々の必需品は必ず供給するから、安心して働くがいい」と生活の保証をしています。つまり、信仰による安心(あんじん)の境地を説き、考えようによっては現世利益を約束しているとも受け取れるのです。  そうした理想と現実の絡み合いは法華経全巻に見られるのですが、この見宝塔品では、次に挙げる一節に見られるように、ひとまず理想への希求が説かれています。「爾の時に大衆、二如来の七宝塔中の師子座上に在して結跏趺坐(けっかふざ)したもうを見たてまつり、各是の念をなさく、仏高遠に坐したまえり。唯願わくは如来、神通力を以て我が等輩(ともがら)をして倶に虚空に処せしめたまえ」。  仏さまはわれわれよりはるかに遠い所にいらっしゃる、われわれもあの境地にまで達したいものだ……と大衆は願ったのです。するとお釈迦さまは、ただちに大衆を宝塔のある虚空へ引き上げてくださいました。つまり、理想への希求を承認してくださったわけです。  これから先、『嘱累品第二十二』までは虚空で説かれたということになっています。『序品』からこの『見宝塔品』までは霊鷲山で説かれたのですが、『薬王品第二十三』以降は虚空から再び地上である霊鷲山に戻って説かれたとされており、これを「二処三会」と言い、法華経の重要な教相となっています。つまり、信仰もまず現実の問題から入り、次第に理想の境地へと向かうけれども、理想の境地を体得したら再び現実に立ち返り、一段と高い次元で現実の諸問題を解決しなければならない。それが信仰というものの大筋なのだ……というのです。まことに完ぺきな構造の教えであると言わざるをえません。 教化・養成には二方針あり  この品にはもう一つの要点があります。それは最後のところにある「六難九易」の法門です。「須弥山を手にとって他の世界へ投げ移したり、足の指で大千世界を動かしたりすることは難しそうだがまだまだ易しい。わたしの滅後の悪世で法華経を説くことのほうがずっと難しいのだ」といったような、ふつうの見方からすれば正反対のことがいろいろ説かれています。  教義的に見ればさまざまな解釈ができます。例えば「あなたが確かな存在であると思っている心身は、空なのですよ」と説いてもなかなかわかってもらえない。それほど難解な真理なのだ。……といったような意味だという考え方もありましょう。しかし、それよりも、六難九易の法門は教化や養成の方法の一つだと考えたほうがより適切なようです。  おおまかに見て、教化や養成の行き方には二通りあります。例えば三味線を習いに来た人に、初めはやさしい曲から入らせて、「上手、上手」とほめながらだんだん難しい曲へと進ませていく行き方が一つ。もう一つは、専門家を志す人には「一人前の三味線弾きになるには二十年かかると思いなさい」と最初にドカンとおどかす行き方です。そう言われて逃げ腰になる人はしょせん専門家にはなれない人で、「よし、やってみせるぞ」と発奮し、覚悟を固める人こそがモノになるのです。難しいことは承知の上でけいこしているうちに次第にそれに引き込まれ、夢中になってしまうのです。  「六難九易」の法門も、この後者のように受け取るべきだと思います。法華経の信仰には専門家・素人の相違はないのですけれども、とにかく難信難解を承知の上で必死に取り組む人こそがその神髓を体得できるのだ……というわけでありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点70

マイナスの力をプラスに変える

1 ...法華三部経の要点 ◇◇70 立正佼成会会長 庭野日敬 マイナスの力をプラスに変える すべてを投げ出して法華経を  提婆達多品に入ります。お釈迦さまは大勢の弟子たちに語り始められました。  「わたしは、はるかな過去世において一国の国王であったが、それに満足せず、無上の悟りを得るために全財産を投げ出し、妻子への愛着も断ち、自分の命さえ捧げてもよいとまで思っていた。そして四方にふれを出し、『もし、世の全ての人を救う真実の教えを説いてくれる人があったら、わたしは一生涯その人に仕えよう』といって師を求めた。すると一人の仙人が現れて、妙法蓮華経という最高無上の法を説いてあげようと言った。国王は、そくざにその仙人の弟子となり、水くみから、薪(まき)拾い、食事の用意までの万端の仕事をしたばかりでなく、師を休ませるために椅子(いす)のかわりとなる奉仕までした。そのような修行を長いあいだ続け、ついにその最高無上の法を得たのであった」  こう話されてからお釈迦さまは、驚くべきことを言いだされました。「そのときの国王とはもちろんわたしであり、仙人とは提婆達多である。私は提婆達多という善知識(善き友人)のおかげで、仏の悟りを得ることができたのである」  一同はあまりにも意外なお言葉に、ただあっけにとられていました。するとお釈迦さまは、さらに言葉を継がれ「提婆達多は無量劫の後に天王如来という仏となるであろう」と言われたのです。一同はますます驚き、疑問の私語によるざわめきさえ起こったのでした。 なぜ提婆は善知識か  無理もありません。提婆達多はお釈迦さまの従兄(いとこ)であり、長年の弟子でありながら、嫉妬(しっと)心と政治的野心が強く、時のマガダ国王アジャセに取り入って別派を興し、お釈迦さまにそむいた人間でした。そこまではまだいいとしても、三十一人の弓の名人たちに命じて矢を射かけさせたり、崖(がけ)の上から大岩を落としたり、象に酒を飲ませてけしかけたり、八度もお釈迦さまのお命を狙った大悪人だったのです。  そのような提婆達多を、なぜ過去世の物語にことよせて「自分に悟りを得させてくれた善き友人」とおおせられたのでしょうか。これを現実的に解釈すれば、煩悩にまみれた提婆の弱い人間性や、その煩悩のなすがままになしたさまざまな悪行が、お釈迦さまの悟りを深める機縁となったところが多々あったからだと思われます。  「お釈迦さまが菩提樹のもとでひらかれた仏の悟りはすでに完全円満なもので、それに付け加えるべきものは何もなかったはずだ」という説をなす向きもあります。しかし、それは、あまりにもお釈迦さまを神格化した非現実的な考えです。  お釈迦さまは、宇宙と人生のギリギリの真理を悟られた方ではありましたが、あくまでも人間であられました。人間であられたことが尊いのであって、それがわれわれ凡夫にとってまことにありがたいことなのです。なんとかそのみ跡をたどり、それに近づこうと努めることができるからです。  また、三十歳で菩提樹下において悟りをひらかれたお釈迦さまが八十歳でお亡くなりになるまで、最初の悟りに付け加えるものが一つもなかった、少しも進歩されなかったと考えるのは、かえってお釈迦さまに対する大いなる冒涜(ぼうとく)となるのではないでしょうか。  進歩・向上の機縁には「順縁」と「逆縁」があります。よき師・よき友・よき書のようなプラスの力に巡り合うのが順縁です。反対に、外部から受けるマイナスの力、もしくは自身がひき起こしたマイナスの状況、たとえば迫害・嘲罵(ちょうば)・不運・失敗というようなことがらに遭遇したとき、それを自らの成長の糧としてプラスの力に変える、そのマイナスの力を逆縁といいます。この「提婆達多が善知識に因(よ)る」というお言葉を、その逆縁の尊さを喝破されたものと考えるのも、われわれの人生に大いに役立つ受け取り方でありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点71

真の許しは仏性を認めること

1 ...法華三部経の要点 ◇◇71 立正佼成会会長 庭野日敬 真の許しは仏性を認めること 悟りの究極は仏性の認識  お釈迦さまは大悪人の提婆達多へも授記されました。天王如来という仏になるであろうと保証されたのです。これはいったいどういうわけでしょうか。  その理由には智慧と慈悲の二面が考えられます。ではその智慧とは何か。すべての人間には平等に仏性が具わっていることを認める透徹した理知です。  菩提樹の下でいわゆる仏の悟りをひらかれたとき、思わずこうつぶやかれたと伝えられています。「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな如来の徳相を具有す。ただ、妄想・執着あるを以ての故に証得せず」。  不思議だ。不思議だ。一切衆生はみんな仏と同じ徳を具えているではないか……という驚くべき発見、言い換えれば、すべての人間には仏となりうる本質(仏性)が具わっているのだ……という、これまでの人類だれひとり経験したことのない一大発見だったのです。  「それでは、なぜ多くの人間は仏の悟りを得られないのか。なぜお互いに争い合い、奪い合いして苦しみ悩んでいるのか。それは仮の現れである自分の心身を確かな実体であるかのように妄想し、その心身の楽しみに執着しているからにほかならない」。これがお釈迦さまの人間観の基底となるものであります。  提婆達多がそうでした。青年時代から、シッダールタ太子(後の釈尊)と張り合うほどの秀才で、武術の達人でもあったのですが、残念ながらあまりにも自己顕示欲が強く、したがって嫉妬深く、闘争・対立を好む人間でした。それで、つい身を誤ってしまったのです。しかし、お釈迦さまは透徹した理知をもって、そのような提婆にもちゃんと仏性が具わっていることを見通されたのです。 仏性を見れば自然と許せる  では、慈悲の面とはどんなことでしょうか。  お釈迦さまは無限の慈悲の持ち主でした。それは法華経譬諭品の「今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり」という一語の中に尽くされています。すべての人間をわが子として大きく包みこみ、一人として冷淡に突っ放すことをされませんでした。自分の名前さえ覚えられない知恵遅れのシュリハンドクをも教団の一員として粘り強く教化されました。どうしようもないほどの暴れん坊でプレーボーイのカルダイをも追放されることなく、ついに家庭教化の名人にまで育て上げられました。  「愛とは許すことである」と言った人がありますが、お釈迦さまはすべての人を許す人だったのです。ご自分の命を何度も狙った提婆をも大きく許されたのです。それもただの許し方ではありません。普通の人間の許し方は、相手の悪に憤りや不満を覚えつつもそれを理性で抑えて許すのですが、お釈迦さまの許し方は、相手の本質である仏性を認めることによって、完全に、余すところなく許されるのです。だからこそ、成仏の保証まで与えられたのです。  それにしても、なぜいま突然そのような発表をなさったのでしょうか。これまで法華経の説法の中で授記されたのは、おおむね誠実な弟子たちでした。順当な授記だったと言っていいでしょう。ところが、そうした順当さは、ともすれば聴法の人たちの心に一種のマンネリズムを生ぜしめがちです。右の耳から左の耳へ聞き流し、自分自身のこととしてかみしめることをしなくなりがちです。  そこで、ここで突然「悪人成仏」という異常とも見えることを言い出され、強いショックを与えられたのではないでしょうか。後世のわれわれも、この提婆品に強いショックを覚え、「悉有仏性」ということを深く深く心にしみこませざるのをえないのであります。    ...

法華三部経の要点72

「信」の力の偉大さ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇72 立正佼成会会長 庭野日敬 「信」の力の偉大さ 八歳の竜女がたちまち成仏  提婆達多品の後半は、海底の竜宮の娘でわずか八歳の竜女(りゅうにょ)が成仏するくだりです。海底の竜宮というのは、文明の中心地から遠く離れた島国と解すべきでしょう。したがって、竜女とは、そうした国や民族の幼女のことだと考えれば、つじつまが合います。  そういう場所に布教に行っていた文殊菩薩が、そこでは妙法蓮華経だけを説いたという話をしますと、多宝如来の侍者の智積菩薩が「その国にすぐに仏の悟りを得そうな人がいましたか」と尋ねます。「いました。八歳になる竜王の娘がそれです」と文殊は答えます。すると、たちまちその幼女が現れて、お釈迦さまをうやうやしく礼拝するのです。  それを見ていた舎利弗は、その娘に「仏の悟りというものは、計り知れないほどの年月、血の出るような修行をしてこそ到達できるものであって、もろもろの障りの多い女人のそなたがとうてい達しうるものではない」と言いました。  竜女はそれには答えず、手に持っていた三千大千世界にも値するほどの宝珠をお釈迦さまに捧げました。お釈迦さまはただちにそれをお受け取りになりました。すると竜女は智積菩薩と舎利弗尊者の方に向き直り、「お釈迦さまは、わたくしの捧げた宝珠をすぐお受け取りくださいましたが、わたくしの成仏はそれよりも早いのです」と言ったかと思うと、たちまち男子の姿に変わり、はるか南方の無垢(むく)世界という所で仏となって法華経を説いているありさまを見せました。  それを見た智積菩薩も、舎利弗も、その他の大勢の人々も、じっと黙りこんだまま深い感動をかみしめるのでありました。 素直な「信」が何より大切  八歳の幼女というのは、「幼子のような素直な心」を象徴したものであり、竜宮界というのは先にも述べたように文明の中心地から遠く離れた国を象徴しているのです。そして、三千大千世界にも値する宝珠というのは、「信」ということにほかなりません。  いつも言いますように、信仰というのは理屈ではありません。心と実践の問題です。純粋な心で仏さまの大慈悲心へ直入してしまうことです。そうしますと、その瞬間に宇宙の大生命ともいうべき本仏さまと溶け合い一体となる心境になれます。まことに「信」は三千大千世界に匹敵するほどの値打ちがあるのです。  科学時代に育ったわれわれは、仏教を学ぶに当たっても、どうしても頭での「理解」ということを先に立てがちです。仏教の教義はたいへん理性的なものですから、たしかに理解できるものですし、それも大切なことです。しかし、宗教であり、信仰であるかぎりは、理解ということだけで「信」の働きがなければ、その究極の境地、すなわち涅槃(ねはん)という大安心の境地に達することはできません。このことを、よくよく心得ておくべきでしょう。提婆品の後半の竜女成仏のくだりには、このことが教えられているのです。  ここで一言付け加えておきたいのは、真の男女平等を説いたのは世界中でこの法華経が最初であるということです。自由平等の本家とされているフランスでさえ、完全に婦人の参政権を認めたのが一九四六年(昭和二十一年)なのですから、ほんの最近のことです。そして、それは「権利」という人間に与えられた「権(か)り=仮」のものに過ぎません。それに対して法華経が認めた男女平等は、「仏になりうる」という人間のギリギリの本質における平等です。実に素晴らしいことではありませんか。  一つ気になるのは、男の姿に変わって成仏したということですが、それはおそらく当時のインドの大衆を納得させるために、そういった表現をしたのでありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点73

世にもすぐれた二人の比丘尼

1 ...法華三部経の要点 ◇◇73 立正佼成会会長 庭野日敬 世にもすぐれた二人の比丘尼 母性愛が尊崇に変わって  勧持品に入ります。この品は二つの部分に分かれており、前半はお釈迦さまの養母であった摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)比丘尼と、かつて妻であった耶輸陀羅(やしゅたら)比丘尼が授記されるくだりです。  摩訶波闍波提は、お釈迦さまの生母摩耶夫人の妹で、お釈迦さまの誕生七日目に摩耶夫人が亡くなられたのち、浄飯王の二番目の夫人となり、生みの親にもまさるとも劣らぬ愛情をそそいで太子を育て上げた人です。その太子が出家されたときの悲歎は察するに余りがあります。  その後、実子の難陀(つまりお釈迦さまの異母弟)も、愛孫の羅睺羅もつぎつぎに出家し、夫の浄飯王にも先立たれたのですから、一国の王妃でありながら別離の悲しみを味わい尽くした人であるといえましょう。その出家のいきさつは本稿六十回に書きましたのでここには略しますが、とにかくお釈迦さまの女性のお弟子としては最初の人でした。  教養の高い、しっかりした人でしたから、在家のときは在家婦人としての務めを尽くし、出家しても比丘尼たちの統率者として信望を集めました。お釈迦さまも、比丘尼集団のことは一切この人に任せられたのでした。  摩訶波闍波提比丘尼は、お釈迦さまが年を取られてお体がずいぶん弱られたのを見ると、そのご入滅に会うことはとうてい忍び得ないという思いから、おいとまごいをしてビシャリ国に行き、そこで禅定に入ったまま入滅しました。その野辺の送りは、お釈迦さまご自身によって執り行われました。遺体をお釈迦さまと難陀・羅睺羅・阿難の四人がかついで寒林(かんりん=墓場)まで運ばれたといいます。立派に生き、立派に死んだ、婦人の鑑(かがみ)ともいうべき人でありました。 「道心の中に衣食あり」  耶輸陀羅尼は、夫の太子がとつぜん出家されたときは、身も世もあらぬほど歎き悲しまれましたが、すぐに気を取り直し、一子羅睺羅の愛育にすべてをささげました。  そして、一切の化粧を断ち、太子が褐色の衣を召しておられると伝え聞いては自分も褐色の衣を着、太子が一日に一度しか食事されないと聞けば、自分も一度に減らし、つねに夫と共にある心を忘れませんでした。  やがて、羅睺羅も出家し、舅の浄飯王も亡くなり、姑の摩訶波闍波提も出家してしまいましたので、自分もその後を追おうと決意し、ビシャリ国にいる姑の所へ行って比丘尼の仲間に入りました。  それから祇園精舎におとどまりのお釈迦さまの下へ行き、教えを受け、修行に励みました。祇園精舎には羅睺羅も住んでいましたので、その近くに住居を定め、お釈迦さまのお許しを得ては羅睺羅を見舞ったりしておりました。  生来おとなしい性格の人でしたので、比丘尼としての事跡にはあまり目立ったものは伝えられていませんが、しかしそのおっとりした人柄のせいか、在家・出家の多くの人たちに慕われていたようです。そして舎衛城の信者たちがわれもわれもと供養物をささげますので、王宮にいたときよりもかえって生活が豊かだったといいます。  しかし、耶輸陀羅比丘尼はあまりそれを喜ばず、かえって煩わしく思い、ビシャリ国に移ってしまいました。ところが、そこでもいつしか同じような状態になり、またまた居を移して王舎城のほとりに住むようになったと伝えられています。  清貧を好む人だったのでしょうが、それにしても伝教大師の名言「道心の中に衣食(えじき)あり」を絵に描いたようなことで、たいへんほほ笑ましく思われます。                                                       ...