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経典のことば(4)
立正佼成会会長 庭野日敬

仏のたまわく「さえぎることなかれ。この老母は五百生の中においてわが母となれり。愛する心いまだ尽きず。これをもって我れを抱くなり」
(雑宝蔵経・巻1)

仏陀に抱きついた老婆

 お釈迦さまが布教の旅の途中コンカナ国をお通りがかりになり、とある道ばたの木の下でお休みになっておられました。
 道の向こうに井戸があって、一人のみすぼらしい老婆が水を汲んでいました。灰色の髪は蛇がからまったように乱れて垂れさがり、深い皺(しわ)をたたんだ顔はどす黒く、よれよれの衣を着ていました。
 垢(あか)だらけの細い腕で、けんめいにつるべの綱をたぐっては水を汲み、水がめに移しているのです。
 お釈迦さまは、おそばにいた阿難に、あの水をすこし供養してもらいたいと頼んでおいでと、おいいつけになりました。
 阿難が老婆のところに行って、そう言いますと、老婆は水がめを頭にのせて道を横切っておん前までやって来ました。
 ところが、その老婆は水がめを地に下ろすや、いきなりお釈迦さまに近づき、抱きつこうとするのです。
 阿難がびっくりして、
 「何をするのだ。この方は仏陀におわしますぞ」
 と老婆の腕をひっつかんで引きもどそうとしました。そのとき、お釈迦さまがおっしゃったのが右のことばです。
 阿難が思わず手を放すと、老婆はしっかりとお釈迦さまを抱きしめ、しばらく涙にむせんでいましたが、やがて引きさがり、いかにもうれしそうに手を叩き、足を踏みならして躍るようなしぐさをするのでした。

宿世を思えばみな血縁

 その老婆はカタンシャラという名前で、ある家の奴隷として使われているのでした。お釈迦さまは阿難に命じて、その主人を呼んで来させました。そして、「この老婆を解放して出家させたらどうか、もし出家したら必ず阿羅漢(すべての煩悩を除き尽くした境地)に達するであろう」と相談されましたところ、主人は一も二もなくおことばに従いました。
 お釈迦さまは、その老婆を波闍波提比丘尼(はじゃはだいびくに=出家前は釈尊の義母)に預けて修行させられましたところ、ごく短いあいだに阿羅漢の悟りを得、仏陀のお説きになる経文を理解すること比丘尼中で随一となりました。
 お弟子たちは不思議に思ってその理由をお尋ねしたところ、お釈迦さまは、「じつはこの老母は、わたしの過去の無数の人生において常にわが母であった。ところが、ある宿世において物惜しみと貪りの心が強く、わたしが布施しようとするのを止めだてしたために、その因縁によって貧しい家に生まれたのだ云々」とお答えになりました。
 それにしても、現実の問題として、汚らしい老婆が抱きついて来ようとしたのを、さえぎろうとする阿難を制してその行為を喜んでお受けになったお釈迦さまの隔てないみ心を思うとき、ただただ頭が下がります。
 また、われわれはお釈迦さまのような宿命通(しゅくみょうつう=過去世を知る神通力)は持っていませんけれど、この世で巡り会う人びとが、はるかな過去世においてあるいは父であり、母であり、兄弟姉妹であったかもしれないことを思うとき、どんな人に対しても憎悪や、軽蔑や、拒否感をいだいてはならないことを、この経文によってしみじみと思い知らされるのであります。
題字と絵 難波淳郎

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