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経典のことば19

諸仏如来はこれ法界身(ほっかいしん)なり。一切衆生の心想の中に入りたもう。この故に汝ら心に仏を想うとき、この心すなわちこれ三十二相、八十随形好(ずいぎょうごう)なり。このこころ仏を作る、このこころこれ仏なり。 (仏説観無量寿経)

1 ...経典のことば(19) 立正佼成会会長 庭野日敬 諸仏如来はこれ法界身(ほっかいしん)なり。一切衆生の心想の中に入りたもう。この故に汝ら心に仏を想うとき、この心すなわちこれ三十二相、八十随形好(ずいぎょうごう)なり。このこころ仏を作る、このこころこれ仏なり。 (仏説観無量寿経) 仏を想い心にえがく  マガダ国のアジャセ太子は提婆達多にそそのかされて大それたことをもくろみました。お釈迦さまに深く帰依している父王ビンビシャーラを殺して王座を奪い、提婆に新教団を作らせ、政治と宗教両面に権力を得ようとしたのです。  そして父を牢獄に幽閉し、食物を一切与えぬよう番兵どもに厳命しました。妃のイダイケ夫人は、毎日面会に行くとき乾飯(ほしいい)の粉を蜜で練って全身に塗り、首飾りの玉の中にぶどう液を入れて行き、それらで夫の命を長らえさせたのでした。そのことを知った太子は激怒して母后を刺し殺そうとしましたが、重臣たちにいさめられて思いとどまり、これまた牢獄に閉じこめてしまいました。  獄中で悶々の日を送っていたイダイケ夫人は、ふと高窓から見上げた霊鷲山にお釈迦さまがいられることを思い出し、はるかに伏し拝んで一心に救いを求めました。その切ない願いがお釈迦さまに感応し、哀れとおぼしめされたので、折から説いておられた法華経の説法を一時中止され、目連・阿難を従えて獄内に姿をお現しになりました。そして夫人のためにお説きになったのが、浄土三部経の一つである観無量寿経です。  夫人が「こんな汚れた世の中がつくづくいやになりました。来世には阿弥陀仏の世界に生まれとうございます。それにはどんなことを思いめぐらせばよろしうございましょうか」とお尋ねしたのに対して、まず心の持ち方と行いの道についてお説き聞かせになってから、「仏を想い仏を心にえがくこと」が信仰にとって欠いてはならぬ大事であることと、その方法についてくわしくお教えになりました。その最初の一節が標記に掲げたおことばです。 仏像礼拝は偶像崇拝に非ず  ここに説かれておりますように、仏とはこの世界全体に充ち満ちている目に見えぬ存在(法界身)です。したがって、すべての人の心にもチャンと内在しておられるのです。ですから、われわれが仏さまを想えば、そこに仏さまが現れたもうのです(三十二相・八十随形好は仏の尊いお姿)。  それはちょうど電波とテレビの画面のような関係にあると言っていいでしょう。電波は目には見えないけれど、われわれの家の中にも入りこみ、充ち満ちています。しかし、受像機のスイッチを入れなければ、またスイッチは入れてもチャンネルを合わせなければ、望みの局の音声も画像も現れません。  それと同じように、われわれがさまざまな欲望に魂を奪われ、心を波立たせているときは、仏さまはチャンと内在しておられるのにそれと波長が合わないために、心身への救いが現れてこないのです。  では、どうすれば心の波長を仏さまに合わせることができるのか。標記のことばの後に「かの仏を想わん者はまずまさに像を想うべし」と述べられています。これはきわめて初歩の段階ではありますが、非常に大切なことなのです。  「仏を想う」といっても、もともと形のない存在ですから、どう想っていいのか見当もつきません。そこでまず仏像に現されたお姿を心にえがくことから入るべきだと教えられているわけです。  こうして仏像の慈顔に心の焦点を合わせてから、智慧と慈悲に満ちた仏さまのみ心に思いをめぐらしていけば、しだいに波長が合っていくわけです。ですから、仏像を拝むのもけっして偶像崇拝ではないのです。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば20

忿恚(ふんい)は百千大劫(こう)に集めし善根をすみやかに損害す。ゆえに忍辱(にんにく)の鎧を被(き)、堅固の力をもって忿恚の軍を砕くべし。 (大宝積経)

1 ...経典のことば(20) 立正佼成会会長 庭野日敬 忿恚(ふんい)は百千大劫(こう)に集めし善根をすみやかに損害す。ゆえに忍辱(にんにく)の鎧を被(き)、堅固の力をもって忿恚の軍を砕くべし。 (大宝積経) 怒りは火事のようなもの  電車の中でマナーの悪い少年を一老人が注意したところ、少年はカッとなって老人をなぐりつけた。その子は逮捕され、少年院送りとなった。最近あった話です。  このことを新聞で読んで、一瞬の怒りというものの恐ろしさをあらためて考えさせられました。その子が少年院で立ち直ってくれればいいのですが、万一「どうせおれは悪い人間だ」というレッテルを自分自身に貼りつけ、その後ズルズルと日陰の人生を歩むのではないかという危惧を抱かざるをえませんでした。もしそうなったとしたら、一瞬の怒りがその子の人生をめちゃめちゃにしてしまったことになります。  仏教では「貪・瞋・痴の三毒」ということを説いています。人間を破滅にみちびく心ざまの代表として、この三つを戒めているのです。貪(とん)は過去の欲望、瞋(じん)は私憤という怒り、痴(ち)は道理を知らぬ愚かさです。  人が財産を失う道にたとえていえば貪は快楽追求のためのムダな消費のようなものです。痴は無計画な借金のようなものです。この二つはジワジワとその人の財産を食いつぶしてゆきます。それに対して、瞋は火事のようなものです。これまでコツコツと築き上げた財産をたった一夜で灰にしてしまいます。  標記に掲げたことばは、人間の精神的財産について、同じようなことを言ってあるのです。百千大劫という長いあいだに積み重ねた善根も、私憤という怒りを爆発させれば、一瞬にしてそれを損なってしまう……というのです。  赤穂城主浅野内匠頭長矩は名君でした。藩民を可愛がり、製塩業を奨励し、国を繁栄させていました。しかし、吉良上野介の意地悪を腹にすえかねて江戸城内で斬りつけたばっかりに、自身は即日切腹を命ぜられ、お家は断絶、家臣たちは浪々の身となってしまいました。まことに、長いあいだに積んできた善根をたちまちに無に帰したばかりか、藩民すべてに大きなマイナスを与えてしまったのでした。 怒りを解消する最高の道  腹を立てることは自分自身の健康にも悪影響をおよぼします。ひどく怒れば、頭がガンガンし、手足がブルブル震えるという自覚症状からでも大方の察しがつきますが、医学的な検査によれば、脈摶が非常に速くなり、血圧が上がり、血液中の糖分が増加し、胃腸の運動が一時停止するのだそうです。恐ろしいことです。  では、腹が立ったらどうすればよいのか。ここには、忍辱の鎧を着て怒りの軍勢をうち砕け……とあります。この「忍辱」というのをたんに「忍耐する」という意味に解釈したのでは不十分だと思います。もちろん、腹が立った瞬間にジッとそれを抑える忍耐は必要ですが、そのままでは必ず相手に対しても、自分の心身にも、シコリが残ります。  お釈迦さまがお説きになった「忍辱」にはもっと深い意味があるはずです。それは「この世は調和と融和によってこそ成り立っている」という真理に裏打ちされた「和の心」だと思います。そうした「和の心」を持って事態を観じ、相手の立場を理解しようと努めるならば、きわめて自然に、そして後にシコリを残すこともなく、その怒りは消滅してしまうでしょう。「忿恚の軍」は完全に砕かれてしまうでしょう。  つまり、無理な抑圧でなく、真理に基づいて怒りを解消せよというのが、仏法の教えだと信じます。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば21

雑(ぞう)毒薬をもって太鼓に塗り、大衆の中においてこれを撃ちて声を発(おこ)さしむるがごとし。聞かんと欲する心無しといえども、これを聞けばみな死す。 (大般涅槃経・如来性品)

1 ...経典のことば(21) 立正佼成会会長 庭野日敬 雑(ぞう)毒薬をもって太鼓に塗り、大衆の中においてこれを撃ちて声を発(おこ)さしむるがごとし。聞かんと欲する心無しといえども、これを聞けばみな死す。 (大般涅槃経・如来性品) 潜在意識は忘れない  これは大般涅槃経の功徳を説かれた一節ですが、法華経その他の経典にもそのまま通ずる「経力(真理のことばの霊妙な力)」のはたらきを解き明かしたものと考えていいでしょう。  いろいろな毒薬を太鼓に塗りつけ、それを多くの人びとの中で打ち鳴らせば、たとえ聞こうとする心はなくても音は自然と耳に入りますから、人びとはその毒に当てられてみんな死んでしまう……というのです。  死んでしまうのに功徳とは? と不審に思う人もあるかと思いますが、じつは逆のことが言ってあるのです。仏法の教えを大衆に向かって説きますと、それを聞こうという気持ちのない人があっても、その一言一句はどうしても耳に入ります。表面の心では反発を感ずる人もありましょうし、サラリと聞き流す人もありましょう。  しかし、現代の心理学でも証明しているように、人間が経験する物事は、表面の心では忘れてしまっても、潜在意識には一つ残らず刻みつけられて消滅することはないのです。そしてある機会にふと表面の心に浮かび上がり、それが現実の行為となってあらわれるものなのです。  仏教ではそういった「経験」を「阿頼耶識(あらやしき=深層の潜在意識)に植えつけられた種子(しゅうじ)」と名づけ、その種子はある因縁に会うことによって表面の心に芽を出すのだ……と、現代の心理学とそっくりのことを言っています。  そこで、一度でも仏教の説法を耳にした人は、その場ではさほどの感銘も受けずに過ごしても、いつか何かの機縁に触れてフッとその記憶がよみがえり、仏法に心を引かれるようになるものです。それほどハッキリとは思い出さなくても、無意識のうちにその「さとり」の方向へ、その「救い」の方向へ近づくような心身の歩みを起こすことが多いのです。 布教にムダはない!  法華経の方便品に、ある人が「散乱の心に(いい加減な気持ちで)」仏の画像に花を供えたり、ほんの少し頭を下げて片手拝みに仏像を拝んだりしても、その人はいつか必ずさとりを得ると説かれています。  現代でも、宗教にはほとんど関心のない人でも、元日には初もうでをしたり、お彼岸やお盆には墓参りをしたりします。これらは、一見ただ儀礼的にしているようでも、心の底の底にはやはり「目に見えない大いなる存在に抱(いだ)かれたい」「天地の真理に合一したい」という願いが潜んでいるからなのです。そしてそういう願いの起こるのは、先祖代々の人びとが聞いた、あるいは信仰した真理の教えが、潜在意識に刻みつけられておればこそなのです。  作家の水上勉さんは≪悲しみの復権≫という随筆の中で標記のことばをそっくり引用され、そのあとに「怒りや、喜びなどの価値よりも、≪悲しみ≫の方に大きな価値があると太鼓をたたく者があれば、そっちの仲間へもぐりこみたい」と書いておられます。もぐりこみたいどころではなく、水上文学がどれほど多くの日本人の胸の奥に眠っていた「同悲の心」を呼びさましたことか。すばらしい太鼓だと思います。  ともあれ、われわれ仏教徒は、片時も布教ということを怠ってはならないのです。いい加減に聞き流す人もありましょうし、そっぽを向く人もありましょうが、けっしてムダには終わりません。聞く人の阿頼耶識にしみついた種子はいつかは必ず芽を吹くのです。その意味で、標記のことばをよく記憶していただきたいものです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば22

もろもろの苦悩を脱せんと欲すれば、まさに知足を観ずべし。知足の法はすなわちこれ富楽(ふぎょう)安穏(あんのん)の処なり。足るを知る人は地上に臥(ふ)すといえどもなお安楽なりとす。 (遺教経)

1 ...経典のことば(22) 立正佼成会会長 庭野日敬 もろもろの苦悩を脱せんと欲すれば、まさに知足を観ずべし。知足の法はすなわちこれ富楽(ふぎょう)安穏(あんのん)の処なり。足るを知る人は地上に臥(ふ)すといえどもなお安楽なりとす。 (遺教経) 「しかない」か「もある」か  芭蕉の句に  春立つや新年ふくべ米五升 というのがあります。  新しい年を迎えて、ふくべ(瓢)の中に米が五升あるというのですが、これを詠んだ芭蕉の気持ちは「新年というのに五升しかない」というのでしょうか。それとも「五升もある」というのでしょうか。もちろん後者です。米が五升もある。ゆったりしたお正月ができるぞ……という満ち足りた、豊かな気持ちです。  五升(いまの計量でいえば約七・五キロ)という絶対量に変わりはありません。それを「しかない」と思うか「もある」と思うかによって、天地ほどの違いが感情のうえに生ずるのです。「しかない」と思えば、不安がわきます。焦躁(そう)も生まれます。劣等感を覚えることさえありましょう。「もある」と思えば、とたんに幸せな、やわらいだ、満足感を覚えます。人間の感情というものはじつに不思議な生きものです。  標記のことばは、そういった感情のはたらきを心に定着させ、いわゆる「情操」として持っているならば、つねに満ち足りた気持ちで人生を送ることができる、それがほんとうの豊かさだということを教えられたものです。 二十世紀への遺言か  「知足」というのは、足るを知る心、つまり満足感ということです。ところで、物質生活においてこうした満足感を覚えるためには、欠くことのできない前提があります。それは「少欲」ということです。標記のことばの前にも、こう説かれています。  「多欲の人は利を求むること多きがゆえに苦悩もまた多し。少欲の人は求むることなく、欲することなければ、すなわちこの患(うれい)なし」  欲求が少なければ、少ない物質にも「足るを知る」ことができる、というわけです。さきに紹介した芭蕉の生活感覚などがそれでしょう。その最高の典型をお釈迦さまに見ることができます。お釈迦さまの財産といえば、一枚の衣(ころも)と鉄鉢一つでした。しかも、法華経譬諭品に「今此の三界は皆是れ我が有なり」とあるように、宇宙全体がわたしのものだと考えておられたのです。まことに、世界第一の「富める人」だったのです。  普通の生活をしている二十世紀のわれわれは、お釈迦さまの真似などとうていできません。しかし「少欲知足」というその教えは、ますます重みが増しつつあるのです。多くの人が欲求不満のために、イライラした日々を送り、それが高じてあるいはノイローゼになり、あるいは家庭不和を生み、あるいは犯罪に走るという現代の苦悩から脱する道は、ただ一つ「少欲知足」よりほかにないのではないでしょうか。  さらに拡大して考えますと、これからの地球上は、資源は枯渇する一方ですし、食糧の生産は人口の増加に追いつかなくなることは必至ですし、人類が生き抜くためには、これまた「少欲知足」をつらぬくよりほかに道はありますまい。  この遺教経というお経は、その名のとおり、お釈迦さまがご入滅直前に遺言として説かれたものと伝えられています。表面は残されるお弟子たちへの戒めの形になっていますけれども、今になってみますと、二十世紀から二十一世紀にかけての人類のための遺言だったのではないか……と思われてなりません。  まことに「少欲知足」こそ、個人をも、人類全体をも救う最重要の大道だと断じていいと思います。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば23

心の中の弓矢と刀を捨てよ (法句譬喩経巻1)

1 ...経典のことば(23) 立正佼成会会長 庭野日敬 心の中の弓矢と刀を捨てよ (法句譬喩経巻1) 現実の武器は捨てても  舎衛国の一隅に夫婦そろって心が険悪で、人間の道をまるで知らない男女が住んでいました。お釈迦さまは、何というかわいそうな人間だろうと深くお哀れみになり、二人を教化しようとみすぼらしい修行者の姿となってその門の前に立たれました。  夫は出かけており、妻だけが留守居していましたが、修行者を見るや、「何の用だ。早く行ってしまえ」と、つっけんどんにののしるのでした。修行者が「わたしは仏道を修行している者です。一食を供養して頂きたい」と言いますと、ますます声を荒らげ「お前さんがそこで立ったまま死んでも、食べものなんかやらないよ」と悪態をつくのです。  すると、修行者はたちまち目をつり上げ、呼吸を止め、死相を現しました。妻は震え上がって逃げ出しました。  修行者は静かに立ち去り、近くの木の下に端座していました。そこへ夫が帰ってきて、妻が震えているのを見て「どうしたんだ」と聞くと、「あの修行者におどかされたのです」との答えです。  夫は大いに怒り、弓矢と刀をもって修行者のところへ走って行きました。修行者は神通力をもって自分の周りに城壁を造り、男を寄せつけません。男は怒りに狂って「城の門を開けろ」と、どなります。修行者は「お前が弓矢や刀を捨てれば開けてやる」と答えます。  男は考えました。――よし、弓矢と刀は捨てよう。そして、門を開けたら、げんこつでなぐり殺してやろう――と。男は弓矢を投げ出し、「さあ、開けろ」と言いました。しかし、門は閉じたままです。  男が「弓矢と刀を捨てたのに、なぜ門を開けない?」となじりますと、修行者は重々しい口調でキッパリと言いました。  「お前の心の中にある悪意の弓矢と刀を捨てよ、と言ったのだ。手に持っている弓矢と刀のことではない」  男は――この人はわたしの心の中を見抜いた。きっと偉い聖者に違いない――と直感し、思わずその場にひれ伏しました。そこでお釈迦さまは光り輝く仏の相を現され、夫婦にじゅんじゅんと正法をお説き聞かせになりましたので、二人とも人間らしい人間に立ち返ったのでありました。 世界平和も「心」から  この「心の中の弓矢と刀を捨てよ」という言葉ほど、二十世紀の人類にとって重大な戒めはないのではないでしょうか。  アメリカ・ソ連をはじめとする先進諸国の間で、核戦力に関するいろいろな取り決めが行われつつあります。しかし、どんな体制がつくられようとも、それぞれの国民、それぞれの民族の心の中にある敵意や猜疑(さいぎ)などがなくならないかぎり、戦争はなくなりません。核戦争の危険も去りません。この地球上にほんとうの平和をもたらすのは、人間の心の平和化よりほかに道はないのです。心の中の弓矢と刀を捨てるよりほかにはないのです。さればこそ、ユネスコ憲章の前文にも「戦争は人の心から起こる。ゆえに平和の砦(とりで)は人の心の上に築かれねばならぬ」とあるのです。  これは世界平和という大きな問題ばかりではありません。われわれの日常生活のうえでも、心の弓矢で人を射、心の刀で人を刺していることが多いのではないでしょうか。法律などにはかからぬそうした罪を犯すことによって、人をも傷つけ、自分の心にも悪業(あくごう)を積んでいるのではないでしょうか。大いに反省すべきことだと思います。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば24

若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん。 (法華経・法師功徳品)

1 ...経典のことば(24) 立正佼成会会長 庭野日敬 若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん。 (法華経・法師功徳品) 形而上は形而下に通ず  新しく生まれた電信電話会社の社長・真藤恒さんは、電電公社総裁時代から、おおむね評判のよくないわが国の官公庁・公団・公社などの中にあって、さまざまな思い切った新機軸を出し、名総裁とうたわれた人ですが、さきごろNHKの鈴木健二アナウンサーのインタビューに対して、こんなことを話していました。  それは、以前造船の仕事で苦労していたころ、ふと「自分には形而上的(けいじじょうてき)なもの(筆者注・現象を超越し、その背後にある本質を究めようとする考え、宇宙の成り立ち・神・霊魂などが主要問題)の根底がないのではないかと気づき、たまたま神田の古本屋で道元禅師の『正法眼蔵』を見付け、求めて読んだら大いに啓発された。そして、それが事業の上にたいへん役立ち、苦境を乗り越えることができた……という意味の話でした。  これを聞いてすぐ頭に浮かんだのは、法華経にある標記のことばです。俗間(ぞっけん)の経書というのは、宗教書以外の哲学・文学・評論など人生の諸問題を説く本をいいます。治世(じせ)の語言(ごごん)とは政治・経済・外交・法律・社会問題のような、世を治めることがらについて考究する言論のことです。資生(ししょう)の業を説くというのは、農・工・商など人間の物質生活を与える産業や職業について論じたり、アドバイスしたりすることです。  この句の前に「もし信仰深い男女がこの教えを受持し、読誦し、人のために解説し、書写したならば、次のような功徳を得るであろう」という前置きがあります。  つまり、仏法の教えを素直に信じ実践している人は、実生活上のことがらについて説いてもおのずからそれが仏法に一致してくる……というわけです。人に説く場合にかぎらず、自分自身の事業や生活についてもそのとおりのことが実現するのは言うまでもありません。 真理のレールに乗るから  仏法を学んだり信仰したりするのは、ともすればたんなる心の救いのためと考えられがちです。現実の生活とは離れた世界のことと思われがちです。それも一応は正しい考えだといえましょう。四六時中暮らしの現実に追われている人間にとって、心の救い、魂の浄まりを求めるのは大事なことですから。  しかし、仏法とは心の世界のみにとどまるものではありません。そんな狭いものではないのです。宇宙の万物・万象に通ずる真理・法則、それが仏法なのですから、それはそのまま現実生活のすべての問題に当てはまるのです。  したがって、しっかりと仏法を学び、素直な心でそれを信奉している人は、言うこと為すことがひとりでにその真理・法則のレールの上に乗るわけですから、万事スムーズに運び、生々発展するのは当然のことなのです。  真藤恒さんが『正法眼蔵』のどういうところに啓発されたかは知りませんが、道元禅師は法華経に深く傾倒していた方ですから、おそらく法華経の説く世界観・人間観と同じような言説に悟りをひらき、それを事業と人生の道しるべとされたものと推測されます。  古くは伝教大師が「衣食(えじき)に道心なし。道心に衣食あり」と喝破したのも、最近の識者たちが「これからの社会で事を成す人は自身の哲学を持つ人である」と断じているのも、右のような道理にほかなりますまい。哲学といえば難しげに聞こえますが、つまりは確固とした精神の背骨のことと考えていいでしょう。法華経こそはその背骨をつくる教えだとわたしは確信しています。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば25

もろもろの飲食(おんじき)を受くることはまさに薬を服(の)むが如くすべし。好きに於ても悪しきに於ても増減を生ずることなかれ。わずかに身を支うるを得て以て飢渇を除け。蜂の花を取るにただその味のみを取って色香を損ぜざるが如し。 (遺教経)

1 ...経典のことば(25) 立正佼成会会長 庭野日敬 もろもろの飲食(おんじき)を受くることはまさに薬を服(の)むが如くすべし。好きに於ても悪しきに於ても増減を生ずることなかれ。わずかに身を支うるを得て以て飢渇を除け。蜂の花を取るにただその味のみを取って色香を損ぜざるが如し。 (遺教経) 食物の本来の役目を  これはサンガの修行者たちに対してお釈迦さまが遺言的に説かれた教えの一節です。  ――好きな食物は多く嫌いなものは少なく食べるようなことをしてはならない。ちょうど薬を服むような心がけで食事すべきである。薬の目的は病気を治すのが目的なのだから、甘いから苦いからといって増減してはならないのと同様である。飲食物は身を支え、飢渇を除くのが本来の役目である。蜂が花の蜜を取るのに蜜だけを吸って花の色香を損じることがないのを見習わなければならない――という戒めです。  これはもちろん托鉢によって食物を受ける修行者たちに対する戒めではありますけれども、しかしよくよく考えてみますと、食物というものの根源的な役目をもう一度われわれに考え直させる貴重なお言葉ではないかと思われるのです。  現在の先進諸国の人々は、ほしいままな飽食にふけっています。とりわけ日本ではその傾向が甚だしいようです。  しかし、近い将来に人類総飢餓の時代が来るのではないかと心配されていることを忘れてはなりますまい。現にそのきざしはアフリカ諸国に顕著に表れているのです。  お釈迦さまのお言葉を、われわれは今日の人類への遺戒として受け取るべきではないでしょうか。 どこへ消えた知恵と慈悲  釈尊教団では、托鉢によって受けた食物は平等に分配され、もし余分があったら町の飢えた人々へ配られたと聞いています。人間として当然の知恵であり、慈悲でありましょう。  戦前の中国広東に旅行した人の話を聞きますと、一流料理店での宴会ではフカのヒレのスープだけは全部食べ――料理人の腕の最高の見せどころなので、それに敬意を表するため――その他の料理は多少なりと残しておくのが礼儀だったそうです。  その残りをどうするかといえば、調理のための材料が足りない料理店や、その日の食にありつけない人々に無料で還元される、という仕組みになっていたそうです。まことに数千年の歴史の中で戦乱や凶作のために飢えた経験を数知れず持つ民族の知恵であると感心しました。  ところが、四月二十六日の朝日新聞には次のような記事が載っていました。  「年間の売り上げで、外食産業界初の一千億円突破を昨年末果たした日本マクドナルドの銀座八丁目店。ハンバーガーは焼いて十分以内に客のオーダーがないと、ゴミ箱に投げ込まれる。フライドポテトは七分以内。同店では月に平均して、こうした手つかずのハンバーガー四千五百箱、ポテト二百四十キログラムを、月額二十万円を払ってゴミ処理業者に回収してもらう」  また、ある学校給食調理場の給食日誌の一部も記載されていました。  「残飯のコンテナ終了。二百リットルのドラム缶三本、イワシ各クラスで十枚前後の残あり、新学期を祝った赤飯、多いクラスで三分の一残る」  これらを読むとき、標記のお釈迦さまのご遺戒が痛いほど胸に突き刺さるのを覚えざるをえないではありませんか。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば26

美しく飾り立てた王の馬車も朽ちてしまう。 人のからだも同じように老いてしまう。 しかし聖者の説いた法のみは朽ちない。 心ある人が互いに心ある人に伝えるからである。 (法句経151)

1 ...経典のことば(26) 立正佼成会会長 庭野日敬 美しく飾り立てた王の馬車も朽ちてしまう。 人のからだも同じように老いてしまう。 しかし聖者の説いた法のみは朽ちない。 心ある人が互いに心ある人に伝えるからである。 (法句経151) 形あるものの定め  コーサラ国の波斯匿王(はしのくおう)と末利夫人(まりぶにん)は、たいそう仲のよい夫婦で、そろってお釈迦さまに帰依した篤信の人でした。  ところが末利夫人が重い病気にかかり、手を尽くしたかいもなくあの世へ行ってしまいました。  王はたいへんに嘆き悲しみ、葬儀がすむと毎日祇園精舎におもむき、夫人がどこへ生まれ変わったかをお釈迦さまにうかがおうとしました。しかし、お釈迦さまが大衆に向かってお説きになる説法の妙理に聞き惚れているうちに、ついそういうお尋ねをすることを忘れていました。  八日目のことです。お釈迦さまが托鉢に出られ、王の宮殿の前に立たれました。それを聞いた王は自分から出てきてお鉢を受け取り、宮殿の中へ案内しようとしましたところ、お釈迦さまはそれを押しとどめ、庭の隅にある馬車小屋にはいって行かれました。  仕方なくそこで朝の食事をさしあげた王は、かねてから心にかけていたことをお尋ねしました。  「世尊、末利はどこへ生まれているでしょうか」  「王よ、夫人は兜率天(とそつてん)にいます」  「それは有り難いことです。しかしわたくしは、末利がいなくなってからこの世に生きているのが空しくなりました……」  世尊はしばらく沈黙しておられましたが、やがてこうお尋ねになりました。  「王よ、あちらにあるのはだれの馬車ですか」  「わたくしの祖父のでございます」  「こちらにあるのは……」  「わたくしの父のでございます」  「ここにあるのは……」  「わたくしのでございます」  世尊は深くおうなずきになって、こうおっしゃるのでした。  「王よ、あなたの祖父の馬車はあなたの父の馬車よりも前に古びて使えなくなりました。あなたの父の馬車はあなたの馬車よりも前に使いものにならなくなりました。このように硬い木で造ったものでさえ朽ちてしまうのです。ましてやなまみの人間のからだがいつまでもそのままある道理がありません。それがこの世の定めです。ですから王よ、悲しんではなりません」 「心ある人」の誇りを  こうお慰めになってから、最後におおせられた一言が千鈞(せんきん)の重みを持つことばです。  しかし聖者の説いた法のみは朽ちない。  心ある人が互いに心ある人に伝えるからである。  形あるものは必ず滅します。生あるものは必ず死にます。しかし、真理のみは不滅です。真理を説いた教えのみは朽ちはてることはありません。なぜならば、その真理を知った「心ある人」から、真理を知りたいという「心ある人」へと、つぎつぎに伝えられるからです。永遠に人から人へ伝えられないような教えはニセモノです。真理ではありません。ニセモノはいつか消えていきます。  仏法は二千五百年のあいだ人から人へ伝えられ、いまも脈々と生きています。日に日に生命を新しくしています。それを思えば、われわれの信はますます深くなり、同時に、自分もそれを人に伝える「心ある人」の一人だという誇りを覚えざるをえません。あなたはいかがですか。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば27

衆生の類(たぐい)是れ菩薩の仏土なり。 (維摩経・仏国品)

1 ...経典のことば(27) 立正佼成会会長 庭野日敬 衆生の類(たぐい)是れ菩薩の仏土なり。 (維摩経・仏国品) 浄土は現実社会にある  お釈迦さまが、ビシャリ国においでになったときのことです。国をあげて大勢の人が仏陀のご説法をうかがおうと集まった中で、長者の子の宝積(ほうしゃく)という青年が、「わたくしども在家の人間で、仏さまの世界を浄めようという志を持っている者は、どんな行いをしたらよろしゅうございましょうか」とお尋ねしました。  その菩薩心をたいへんおほめになったお釈迦さまが、宝積の質問に対してお答えになった第一声が標記のおことばです。  「すべての人間の住む所が菩薩のための仏国土である」ということですが、じつに明快な、しかもじつに重大な定義をおくだしになったものと、後世の仏教徒の一人としてズシリと胸にこたえるものを覚えます。(衆生とはあらゆる生きものということですが、後に続く説法の内容からすれば、この場合、人間に限定していいと思われます)  さて、続いての説法は大略つぎのようなものでありました。  「(仏の浄土は限りもない、上下もない、広狭もない光明世界であるのに対して)菩薩の造り現す仏国土とは現実社会にほかならないのだから、教えを受けて真実を求めようとする人が多くなればなるほど、その仏国土は広くなるのである。  また、菩薩というものは、どのように環境を整えれば仏の智慧を求める人が多くなるかを工夫するものだから、その環境のよしあしでその仏国土の優秀さも決まるのである。  さらに、人々が菩薩の導きによって善い行いを積極的に実践するかどうかによって、その仏国土の浄まりの程度にも上下があるわけである。  いずれにしても、菩薩とはひたすら世の人の幸せを願う存在なのだから、現実を離れた思想や教説でなく、あくまでも人々を幸福へ導くことを本位として教えを説かなければならない。そうして成就されるのがすなわち菩薩の浄土なのである」 空中に家は建てられない  そして、最後にこう締めくくっていらっしゃいます。  「例えば、家を建てるのに、適当な空き地があればそこに建てることができる。しかし、空中に建てようとしたら、だれも文句を言う人はないけれども、家を建てることは不可能ではないか」  まことに胸のすくような譬えです。維摩経は「空」の実践について説かれたお経と言われていますが、そのエッセンスがここに集約されているといっていいでしょう。「空」は仏法の根本思想ではあるけれども、それを哲学的にいじくり、それに執らわれていたのでは、世の中は少しもよくならない……ということでしょう。  では「空」をどう考えたらいいのか。きわめて素直に「宇宙の根源のいのち」と受け取ればいいのです。  「ここに自分がいる。ここに宇宙のいのちがある」「あそこに人がいる。あそこに宇宙のいのちがある」  このように考えていくならば、自分もかけがえのない存在、あの人もかけがえのない存在という実感が、しみじみとわいてくるはずです。  こういう考えかたの徹底こそが、この現実社会に浄土をうち立てる基盤だと思うのです。標記のことばを煮詰めていけば、こういうところに到達するものと思うのです。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば28

直心(じきしん)はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品)

1 ...経典のことば(28) 立正佼成会会長 庭野日敬 直心(じきしん)はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品) 素直なものに苦悩はない  前回には、「浄土は現実社会にこそ建設されなければならない」という維摩経の根本思想について述べましたが、お釈迦さまはそれに続いて、人間がどんな心を持てば幸福になれるか、この世を浄土化することができるかについて、箇条的にお説きになりました。その第一条が標記のことばです。  直心というのは、一口に言って、素直な心です。何に対して素直であるかといえば、自分を生かしている大いなるいのちに対して素直なのです。大自然の摂理に対して素直なのです。  インドの古典であるウパニシャッドの中に「神は鉱物の中に眠り、植物の中で目ざめ、動物の中で歩き、人間の中で思惟する」ということばがあるそうです。  神(宇宙の大いなるいのち)はこの世のありとあらゆる存在の中に宿っているのです。しかし、無生物はもちろんその真実を知りません。知らないから、ただ大自然の摂理のままに流転していきます。たとえば、水は温められれば水蒸気となって大気の中に溶けこみ、その中で冷やされれば雨となって降ってきます。もっと冷やされれば氷となります。完全に素直です。  植物となれば、ほんの少しばかり「生きる意志」というものが目ざめてきます。そして自ら生きるいとなみをします。しかし、一定の場所から移動することはできません。ですから、これも大自然のなすがままに素直に生死を繰り返します。  動物ともなれば、「生きる意志」がはっきりしてきます。自らの意志でさまざまな行動をするようになります。  しかし、(人間以外の)動物には本能以上の欲望はなく、これまた大自然の摂理に逆らうことなく生き、そして死んでいきます。  したがって、植物はもちろん、人間以外の動物には悩みというものがありません。苦痛はあっても、それを思い悩むことがないのです。 知恵を絶対者の方向へ  それに対して人間はどうでしょうか。素晴らしく発達した創造力と、他の動物とは比較にならない自由自在な行動力を持っているのに、いっこう幸福にはなれません。文明が進めば進むほど、人々の不安・焦燥・嫉妬・猜疑・抑圧・欲求不満その他さまざまな苦悩が増大しています。  あまりにも暮らしを楽にしようというわがままから、限りある地球の資源を枯渇させ、自然をいじくり、大気を汚染したために、恐ろしい気象異変が起こり、酸性の雨が降り、この面からも生命の危険におびやかされつつあります。  つまりは、大自然の摂理というか、神仏のみ心というか、そういう絶対の存在に対する素直さがなくなったために、自分で自分の首を絞めつつあるのが、現在の文明社会の人間の生きざまなのです。  かといって文明の逆もどりは不可能でしょう。しかし、自制ということは可能です。もうここいらへんで大自然への反逆はおしまいにしたいものです。人間の中にある「神の思惟」に目ざめたいものです。  大自然に生かされているからには、「生かされているように生きよう」という素直な心に返りたいものです。人間の素晴らしい創造力もそういった方向へ百八十度の転回をさせたいものです。そのことを教えられたのが標記のことばだと思うのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば29

布施はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品)

1 ...経典のことば(29) 立正佼成会会長 庭野日敬 布施はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品) 布施は恩恵の循環である  前回にひきつづき、維摩経の中で、人間はどんな心を持ちどんな行為をすれば幸福になれるか、そしてこの世を浄土化できるかを個条的に説かれた中の重要な徳目について、これから数回にわたって考えてみることにします。  まず「布施」ということですが、一般にこれは何か特別の意思による特別の行為のように考えられています。しかし、そうではなく、もともとはごく自然な「恩恵の循環」なのだと思います。  例えば、緑色の植物は葉から空気中の炭酸ガスを吸い取り、太陽光線のエネルギーと地中から吸い上げた水を利用して糖類などの有機物をつくって身の養いとし、そのとき水を分解して酸素を放出します。人間を含む動物たちはその酸素を吸って生命を維持しますが、そのかわり炭酸ガスを吐き出して植物たちに供給します。全く自然な「恩恵の循環」です。  人間同士のあいだでも、このような循環が行われるのが自然の姿だと思うのです。人間は、科学的にいえば大自然の無限のエネルギーを、宗教的にいえば神仏の無限の慈悲を受けて生きています。また、不特定多数の人間仲間から有形無形の恩恵を受けて暮らしています。そうした慈悲や恩恵によって自分の心身を養ったら、その供給の流れを断ち切ることなく、他へも流し、広く社会へ還元するのがほんらいの姿なのです。  ところが、残念なことには、人間には「我」というものがあります。その「我」がはたらいて、自分が得たものは自分の思いのままに処置していいという観念が生じ、他へ流すパイプの栓を閉じて自分のふところに蓄めこんでしまおうとするのです。  そうして不自然に蓄めこまれたものは、あたかも狭い所に長いあいだ閉じこめられた水が腐敗するように、そして、そこにボウフラがわくように、必ずさまざまな悪作用を起こすもので、人間世界の不幸というものはおおむねこうした「我」による自然の流れの断絶から起こります。広い世界からの供給を私物化することから起こるのです。 理想社会建設のすすめ  布施というのは、財物をしかるべき人にさしあげる「財施」ばかりでなく、自分が獲得した真理や知識を人に提供する「法施」もあり、体を使って他のために尽くす「身施」もあり、愛情のこもったことばを投げかける「言辞施=ごんじせ」もあります。  いずれにしても、こうした布施をした場合、われわれは何ともいえないスガスガしい気持ちになります。心が洗われたような気持ちになります。それはなぜか。ひととき「我」がなくなるからです。「恩恵の循環」という大自然の理にかなった行為をしたことによって魂の浄化作用が起こるからです。  また、心からの布施を人から受けた場合、たとえそれが乗り物の中で席を譲ってもらったとか、俄(にわか)雨で困っているとき傘をさしかけてくれたとかいう小さな親切行であろうと、受けた身としてはほのぼのとした感謝の気持ちで胸が温まります。  もし人間みんなが、他のすべての存在から受ける物的供給を独り占めすることなく、余った物は他へ流す「循環」の行為に徹すれば、社会の不幸の半分ぐらいはなくなってしまうでしょう。また、お互いが親切を尽くし合うことによってそこに感謝と感謝の交流が無限に展開されれば、この世はじつに美しい世界へと一変するでしょう。  「布施はこれ菩薩の浄土なり」というのは、こうした理想社会建設のすすめであろうと思うのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば30

忍辱はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品)

1 ...経典のことば(30) 立正佼成会会長 庭野日敬 忍辱はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品) たんなる忍耐ではない  忍辱というのは、現代語に訳せば「忍耐」となりましょうが、それでは、不幸な境遇や生活の苦難などをジッと辛抱することのように単純に解釈されがちです。もちろんそれも忍辱の一部ではありますが、しかしこの徳目の中心となるのは、じつは人間関係のうえの苦痛を耐え忍ぶことなのです。  それも、たんにこらえるということではありません。歯をくいしばって己を抑えることではありません。他から与えられる苦悩や侮辱などに心をかき立てられることなく、よく平静を保つことをいうのです。  中村元先生監修の『新・佛教辞典』には、「瑜伽師地論(ゆがしじろん)によると、忍辱には三つの特相があって、①忿怒(ふんぬ)しないこと。②怨みを結ばないこと。③心に悪意を懐(いだ)かないことと説く」とあります。  忿怒しないというのは、カッとならないことです。怨みを結ばないというのは「いつかは仕返ししてやる」などという思いを胸中に残さないことです。悪意を懐かないというのは「お前だって欠点だらけじゃないか。そのうち思い知るぞ」といったような考えを起こさないことです。つまりは寛容ということです。許すということです。 自己を反省、相手を理解  豊臣秀吉が小田原城を攻めた時のことです。城の守りが固く、なかなか落ちません。秀吉は少しも焦らず、京都から芸人を呼んで能狂言などを催していました。  ある日のこと、本陣近くで将兵たちが能狂言を見物していますと、宇喜多秀家の部下の花房職之(もとゆき)という武士が馬に乗って通りかかり、「大事な戦いの最中に何たることだ」と大声に言い放って行きました。それを伝え聞いた秀吉は激怒して秀家を呼び、「花房をすぐ縛り首にせよ」と命じました。  秀家は「家来の中でもすぐれた豪の者である花房を……」と、足取りも重く自分の陣屋の方へ歩いていますと、秀吉の使いが馬で追いかけてきて「殿のお召しでござる」とのこと。御前に出ると秀吉は「いま怒りに任せて縛り首を命じたが、名誉を重んずる武士である。切腹にしてつかわす」と命じます。秀家は心ならずもお礼を言上して引き返しますと、途中でまた使いの者が追ってきて「殿のお召しでござる」と言います。  不思議に思って再び伺候すると、秀吉はニコニコしながら「先刻の切腹は取り消しにする。花房とやらは余の威光を恐れもせず堂々と苦言を呈するとは見上げた者だ。加俸してつかわせ」と、打って変わった命令です。秀家は感涙にむせんで引き下がったのでした。  秀吉ほどの地位にあれば、いったん命じたことは簡単に取り消せないものです。それを自らの反省によって早々に取り消したばかりか、かえって増俸を命ずるとは、やはり天下を統一したほどの人物であると思います。しかも、反省したら、もったいぶったりせずにすぐ使いを出したところなど、いかにも淡泊で、じつに好感が持てます。われわれ庶民にも真似のできるような、ちょっといい話ではありませんか。  つまるところ、忍辱とは、自らを反省し、相手を理解することによって心を平静に保つことです。こうした反省と理解が自他の間に交わされるようになったら、この世はずいぶんと平和な、明るいものに変わることでしょう。まことに「忍辱はこれ菩薩の浄土なり」なのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば31

持戒はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品)

1 ...経典のことば(31) 立正佼成会会長 庭野日敬 持戒はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品) 戒とは良い生活習慣  人間の究極の望みは何であるかといえば、完全な自由ということでしょう。現在の人間は、飛行機によって空を飛び回れるようにもなり、電波によって何万キロ離れた所のありさまを瞬時に知ることもできるようになりました。しかし、果たして人間は完全な自由を得ることができたでしょうか。あらゆる不幸から解放されることができたでしょうか。答えは、もちろんノーでしょう。  なぜノーであるかといえば、文明が進めば進むほど、人間は物に執らわれ、物に束縛されるようになったからです。こうした状態が続く限り、未来永劫いつまでも真の自由を得ることなく、ますます不幸な境界に陥っていくことでしょう。  では、真の自由とはどこにあるのでしょうか。真の幸福とはどこにあるのでしょうか。その疑問への回答が標記のことばなのです。戒律を守るところこそ、その成就があるというのです。これは逆説でも何でもありません。真の自由とは「心の自由」にほかならず、心の自由は真理に即した戒律を守るところにこそあるからです。  「戒」の原語である梵語のシーラは「良い生活習慣」という意味だそうです。例えば、朝起きたら歯を磨き、顔を洗う。これは良い生活習慣です。それをやらないと一日中気分が悪い。それをやると気持ちがサッパリします。  また、たとえ家族同士でも、朝、初めて顔を合わせたら「おはようございます」「おはよう」とあいさつを交わします。良い生活習慣です。それをやらない者がいると、何か怒っているのではないかなどと気懸かりになります。気懸かりということは、心が自由自在でないということです。お互いが機嫌よく「おはよう」を言い合えば、心がスガスガしくなります。  「戒」というものの本来は、こういうことなのです。 「律」は社会秩序の道  おもしろいことに、人間は表面の心では自由自在を欲しているようですが、一方では自ら制約を作り、その中で生きようという性向をも持っているのです。例えば、お茶などは勝手放題に飲んだらよさそうなものですけれども、いつの間にか茶道という難しい制約を作り出し、その中でお茶を喫することに楽しみを覚えるようになりました。  また、ボールを投げたり、打ったり、蹴ったりも、自由自在にやって遊べばよさそうなものですが、それでは本当の楽しさがないので、いろいろと様式を作り、ルールを決め、その厳しいルールに制約されながら精いっぱいに技を競うところに遊びの醍醐味があることを発見しました。  社会全体においても、やはり一定のルールというものがなければ、安らかに楽しく暮らしてはいけません。それも、もともとは特定のだれかが作って一般人に押しつけたものではなく、いつしか自然に出来上がった普遍的な筋道なのです。魯迅(中国の有名な文学者)は、その作品『故郷』の中で、「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる」と言っています。じつに至言だと思います。戒律の「律」というものの本来はそうした道をいったのです。  そのような道を歩いておれば、心にひっかかりがなく、自由自在な気持ちでおられます。そして世の多くの人がそうした人倫の道を歩くようになったとき、この世がそのまま楽しい浄土になることは必至です。まことに「持戒はこれ菩薩の浄土なり」なのであります。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば32

右足を放せ。左足を放せ。右手を放せ。左手を放せ。 (阿育王経)

1 ...経典のことば(32) 立正佼成会会長 庭野日敬 右足を放せ。左足を放せ。右手を放せ。左手を放せ。 (阿育王経) 絶体絶命にどう処する  南インドに一人の出家修行者が住んでいました。修行者とはいえ、自分の身を愛することにすこぶる熱心でした。温かい湯に入り、油を全身に塗り、いろいろと美食をあさっていましたので、身体はブクブク太っていました。仏さまの教えに思いをめぐらしたり、瞑想をしたりはするのですが、身を愛する心がつきまとって離れませんので、いっこう悟りの境地に入ることができません。  だれか悟りを得られるような説法をしてくださる人はないものかと思いわずらっていたところ、中インドのマトゥラー国にウバキクタという世にも希な聖者がおられると聞き、はるばる訪ねて行きました。  聖者は一目見て、この修行者の自身への執らわれの深さを見抜きました。そして言いました。  「そなたがわたしの命令を絶対に守るなら、説法してあげよう」  修行者は即座に答えました。  「どんなことでも必ずお言いつけを守ります」  そこで聖者は修行者を連れて山に入り、大きな木の下に行くと、この木のてっぺんまで登れと命じました。修行者がそのとおりにすると、聖者は、  「右足を放せ」  と叫びます。修行者が右足を空に浮かせますと、今度は、  「左足を放せ」と命じます。修行者は左足も放しました。ところが今度は、  「右手を放せ」  と叫ぶのです。修行者は右手を放し、左手だけで必死にブラ下がりました。思わず下を見ると、いつの間にか真下に底知れぬ深い穴ができているのです。しかも、聖者は、  「左手を放せ」と叫ぶのです。修行者は声をふり絞って言いました。  「放せば穴に落ちて死んでしまいます」  ところが聖者は、情け容赦もなく言いました。「さっき、どんなことでも命令を守ると約束したではないか。なぜ約束を守らぬ」。  もはや絶体絶命です。そのとき修行者は自分の身を愛する気持ちがフッと消えて、思わず左手を放しました。気がつくと、彼は聖者の両腕にフワリと抱えられているのでした。大樹も、大穴も、聖者が神通力をもって造り現したものだったのです。そして聖者の説法を聞いた彼は、即座に悟りを開いたといいます。 あとは仏さまにお任せ  なかなか禅味のある説法だと思います。求道という宗教上の修行ばかりでなく、人生の旅におけるさまざまな行き詰まりの打開についても、じつに貴重な真理を教えています。  たいていの人が一生に一度か二度は、絶体絶命のピンチに立たされることがあります。その危機にどう対処するか、右か左かという決断がその後の運命を大きく変えるものです。「よし。裸一貫になって一からやり直そう」といったいさぎよい対処の仕方をした人は、たいていそこから新しい道を切り開き、かえって大きな成功をおさめるものです。いわゆる「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」です。  そうした大危機はともかくとして、小さな困難や行き詰まりは人生途上に絶えず起こってきます。そうしたとき、小さな利害や見栄(みえ)にしがみつくことなく、右足も、左足も、右手も、左手も放して「あとは仏さまにお任せします」という気持ちになれば、不思議にもフワリと軟着陸できるものです。これはわたしの八十年の経験から確信をもって言えることです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば33

四大の寒熱まさに医薬を須(もち)うべし。衆邪の悪鬼まさに経戒を須うべし。 (法句譬喩経第一)

1 ...経典のことば(33) 立正佼成会会長 庭野日敬 四大の寒熱まさに医薬を須(もち)うべし。衆邪の悪鬼まさに経戒を須うべし。 (法句譬喩経第一) 唯心に偏した思想の弊  舎衛国にコウセという長者がありました。まだ仏道に触れたことがなく、独特の頑固な人生観を持つ人でした。たまたま重い病気にかかり、生命も危うくなったのに、何の手当もしません。親戚や知人たちが心配して見舞いに来ては、なんらかの治療を受けるよう忠告するのですが、「わたしはこれまで太陽や月を拝み、王さまには忠義をつくし、親には孝行してきた。それさえやれば、たとえ命を落とそうともかまわないというのが、わたしの主義だ」と言い、頑として聞きません。  ところが、親友のスダッタという長者が、「君の言うことにも一理はあるが、わたしが師事している釈尊というお方は、たいへんな神通力の持ち主で、そのお方にお目にかかった者はみんな福を得ている。一度こころみにお招きしてご説法を聞き、呪願をしていただいてはどうかね」と勧めましたので、さすがのコウセの心も折れて、それならばよろしく頼むということになりました。  スダッタのお願いに応じてお釈迦さまがコウセの邸の門をくぐられると、美しい光明が病室まで差し込んできて、コウセはにわかに気分がよくなり、起き出してきておん前にぬかずきました。お釈迦さまは次のようにお説きになりました。  「人間が天寿をまっとうしないで死ぬのには三つの場合がある。第一は病気にかかって治らないこと。第二は治っても身を慎まないために死を招くこと。第三は、わがままをとおし、事の正邪をわきまえずに振る舞うことである。このような病者は、たとえ日月を拝んでも、天地を拝しても、先祖を敬っても、忠孝をつくしても、病を除くことはできない。  ではどうすればよいのか、第一に四大(身体の意)の悪寒や発熱は医薬を用いて治すことである。第二にもろもろの悪鬼の憑依(ひょうい)は経典読誦の力により、また戒を固く守ることによって除くのである。第三に(標記には省略しましたが)、聖者に仕え、貧国の者に施しをし、徳を積むことによって神々の感応を頂くことである」  コウセは仰せに従って良医を招いて病気を治し、さらに布施の徳を積み、心身共に安らかな身となったのでした。 素直に信じ行ずる  ある特殊な宗教・宗派に属する人の中には、その教義の規定にだけ従って服薬やある種の医療行為を拒みあたら命を落とす人があります。その点仏教は「物心一如」の真理にもとづき、「医薬も手術も本仏の広大な慈悲の具体的な現れである」としているのです。本会が現代医学の粋を集めた綜合病院を設立したのも、そうした本義にもとづいているわけです。  さて、右に述べられた治病の方法の第二ヵ条ですが、これは仏教をあまりに純粋化して神通力とか功徳とかを無視したがる人々にとっては、考え直さざるをえないお言葉ではないかと思われます。われわれ法華経を信奉する者としては、このまま素直に受け取らせていただけることです。法華経は初めから終わりまで神力と功徳につらぬかれたお経ですから。  また第三ヵ条にも、神秘の力が説かれています。困窮の人々に布施するのは人間として最大の徳であることは言うまでもありませんが、その徳が神々に通ずるというお言葉は見過ごしてはならぬものと思います。そこに宗教の宗教たるゆえんがあるのではないでしょうか。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば34

穀食を得んと欲せばまさに耕種を行うべし。  大富を得んと欲せばまさに布施を行うべし。  長命を得んと欲せばまさに大慈を行うべし。  智慧を得んと欲せばまさに学問を行うべし。 (法句譬喩経第一)

1 ...経典のことば(34) 立正佼成会会長 庭野日敬 穀食を得んと欲せばまさに耕種を行うべし。  大富を得んと欲せばまさに布施を行うべし。  長命を得んと欲せばまさに大慈を行うべし。  智慧を得んと欲せばまさに学問を行うべし。 (法句譬喩経第一) 多数の犠牲で一人の命を  和黙王(わもくおう)の国は辺境にあって、まだお釈迦さまの教化に浴していませんでした。邪法が幅をきかせ、祭祀といえば動物をいけにえとして神にささげるのが一般の風習でした。  たまたま王の母君が大病にかかり、あらゆる手を尽くしましたがどうしても治りません。そこで国中のバラモン二百人を呼び集め、最後的な治癒の方法を考究させました。ところがその結論としてこう答申したのです。  「城外の清らかな場所を選んで、日・月・星をまつり、百頭の家畜と一人の小児を殺して天にささげ、王おんみずから祈祷されることです」  王はさっそく象・馬・牛・羊百頭を集め、一人の子供と共に城外にしつらえた祈祷場へと追い立てました。動物たちは悲鳴をあげて後ずさりし、子供を見送る両親はもとより、他の人びとも声をあげて泣き叫び、生き地獄さながらの光景を現出したのでした。  神通力によってこのありさまを知られたお釈迦さまは、哀れな多くの生命を救い、王の頑迷を改めさせようと、弟子たちを引き連れてその場におもむかれました。  王はお釈迦さまの光り輝くようなお姿に打たれ、思わず車から降り、ひざまずいて手を合わせて礼拝しました。あらためて王から一部始終をお聞きになったお釈迦さまは、  「王よ、まあお聞きなさい。穀物を得ようとすれば田畑を耕して種子を播かなければなりませんね。それと同様に、大きな富を得ようと欲するならばまず布施をすることです。長寿を得ようと願うならば慈悲の行いをすることです。智慧を得ようとするならば学問をすることです。このように、よい種子を下ろせば必ずよい結果が生ずるのが真理の法則なのです。多くの生きものを殺して一人の命を救おうとしたところで、よい報いを得られるはずがありません」  と、じゅんじゅんとお説き聞かせになりました。王はたちまち自分の過ちを悟り、お弟子に加えていただきたいとお願いして許されました。病気の太后もその教えを聞いて感銘し、ほどなく快癒することができました。 来世まで続く因果の法則  この経文を読んですぐ浮かんでくる連想は、近ごろまたひん発するようになった爆弾テロや航空機乗っ取りの非道さです。わずかばかりの仲間を助けるために、不特定多数の人びとの生命を犠牲にするなど、これほど大きな罪悪は他にありますまい。まったく無関係の人をムシケラのように殺してはばからぬその非人間性は、人類の将来に絶望感さえ覚えさせるものがあります。  いいえ、やはり絶望してはなりますまい。唯一の救いとして仏教があります。人間の最高の属性として慈悲を説き、最高の行為として布施を説く仏教。そして善因善果・悪因悪果の法則がこの世限りのものでなく、輪廻転生のあの世まで厳として存続することを説く仏教。これを根気よく世界の人びとの脳裏に植えつけてこそ、人類は生き長らえることができるものと信じます。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば35

阿難よ、あの羊飼いは、草の傘をもって仏を暑さから覆うた。その功徳によって十三劫(こう)のあいだ天のよき所に生まれ、自然に七宝の傘をもって覆われるであろう。 (菩薩本行経・上)

1 ...経典のことば(35) 立正佼成会会長 庭野日敬 阿難よ、あの羊飼いは、草の傘をもって仏を暑さから覆うた。その功徳によって十三劫(こう)のあいだ天のよき所に生まれ、自然に七宝の傘をもって覆われるであろう。 (菩薩本行経・上) 微笑された世尊  お釈迦さまが、大勢の弟子たちと共に、ウツタンラエン国のある村に行かれたときのことです。  ちょうど真夏のことで、太陽は頭上から照りつけ、あまつさえその村には林も木立もなく、涼しい陰がひとつもありませんでした。  一人の羊飼いが道端の野原で羊の番をしていましたが、お釈迦さまの一行がカンカン照りの中を歩いて行かれるのを見て、気の毒に思いました。なかでも、いちばんお年を召したお釈迦さまがおいたわしくてなりません。  そこで、大急ぎで道ばたの草を集めて傘を作り、一行のあとを追って走りました。ようやく追いつくと、お釈迦さまの後ろからその粗末な傘をさしかけて歩きました。  ずいぶん行ってから、少年は、羊の群れから遠く離れてしまったことに気づき、傘を地上に投げ出して駆けもどって行きました。  それをごらんになったお釈迦さまは、ニッコリとほほ笑まれました。お供をしていた阿難は、お釈迦さまに申し上げました。  「世尊はめったにお笑いになったことはございませんのに、いまニッコリなさいました。どうしたわけでございますか」  お釈迦さまはおっしゃいました。  「そなたはあの羊飼いを見ていたか」  「はい、見ていました」  「阿難よ、あの羊飼いは、草の傘をさしかけて、わたしを暑さから守ってくれた。その功徳によって十三劫(劫=数字では表しきれないほど極めて長い年月)のあいだ天界のよい所に生まれ、自然に七宝で飾られた傘で覆われるであろう」 純粋な思いやりこそ  この話を読むと、二千五百年前のこととは思えず、つい昨日あたり、そこいらの村での出来事のように感じられるのです。そして、ほのぼのと胸が温まるような美しい情感に、しばらくうっとりとさせられます。  少年のしたことには、理屈も何もありません。ただ自然に起こった「おいたわしい」という心情です。純粋な思いやりです。  そして、その辺の草を集めて傘を作ってさしかけてお供をした。そこには、為になろうとか、良いことをしようとかいう心さえありません。文字通り無邪気そのものです。フト気がついたら遠くまで来てしまったので、あわてて傘をほうり出して走って帰った……その子供らしい行為、これまた無邪気そのものです。  お釈迦さまは、その無邪気さについニッコリされたのではないかと拝察されます。そしてその純粋さの功徳を大きく評価されたのでありましょう。  最近の社会には、こうした心温まる話が少なくなりました。新聞・雑誌・テレビなどの報道も、ギスギスした、血なまぐさいものが主流を占めています。そのために人の心もますます乾いていくのではないかと思われます。  アメリカのある地方で、いわゆる美談ばかりを報道する新聞を発刊したところ、じつに売れ行きがよいということを聞きました。人間の心の底にはまだまだそうした尊いものが残っているものと、ホッとする思いがしました。  思わず微笑が浮かぶようないい話、そんなものをたくさん掘り出したいものですね。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば36

愚人に交わるは 臭き物に近づくが如し 次第に迷いて非を習い 自ら覚えずして悪をなす 賢者に近づくは 薫香に染むが如し 自然に智を進め善を習い 清浄の行をなす (法句譬喩品第一)

1 ...経典のことば(36) 立正佼成会会長 庭野日敬 愚人に交わるは 臭き物に近づくが如し 次第に迷いて非を習い 自ら覚えずして悪をなす 賢者に近づくは 薫香に染むが如し 自然に智を進め善を習い 清浄の行をなす (法句譬喩品第一) 紙の香りと縄のにおい  大雨が降ったあとの道を、お釈迦さまのあとについて、最近教化されたばかりのバラモンたちが歩いていました。  お釈迦さまがつと立ち止まられて、路上に落ちている紙を拾うように命ぜられました。そして、  「その紙は何だと思うか」  と尋ねられました。バラモンは、  「いい香りが残っておりますから、多分香を包んだものだったのでございましょう」  とお答えしました。  しばらく行くと、縄切れが落ちていました。お釈迦さまはそれも拾わせてお尋ねになりました。  「何の縄だと思うか」  バラモンは縄をかいでみて、  「魚をゆわえたものでございましょう。なま臭いにおいがいたします」  と答えました。そこでお釈迦さまは、  「すべての物は本来、清らかなものだが、因縁によってあるいは罪を作り、あるいは福を得るようになるのだ」とお説きになり、重ねて標記の偈をお示しになったのです。 情報化時代に生きる教え  偈の意味は説明するまでもありますまい。また――こんなことは昔から言い古されたことで、何をいまさら――という思いをされるかもしれません。  だが、ちょっと待ってください。情報化社会といわれる今日こそ、このお言葉が千鈞(きん)の重みを持って迫ってくるとはお考えになりませんか。  交わる相手は、何も人間だけとはかぎりません。現代においては人間よりもむしろ、テレビと交わり、ラジオと交わり、新聞と交わり、雑誌と交わる分量が多いのです。  そういったものが提供する情報の中で、純粋な「報道」は、それがいかに痛ましい、残虐な、腹立たしい、汚濁に満ちたものであろうとも、現実の社会に生きる者として耳を覆うわけにはまいりません。  しかし、純粋なニュース以外の情報に対しては、よほどしっかりした態度をもって選択し、対応しなければ、この偈に示された「臭き物」に近づいてそのにおいに汚染される恐れが十分にあるのです。  とりわけ拾うのをやめるべき縄切れは、有名人のプライバシーを興味本位に覗き見る番組や週刊誌等の記事だと思います。それは、あるときは人間の心の隅に潜んでいる「人の不幸を喜ぶ気持ち」をかき立て、あるときは「ひとの幸福を羨む嫉妬心」を呼び起こし、ろくなことはありません。  自分では井戸端会議をしているような軽い気持ちで見ているつもりでしょうが、この偈にあるように「次第に迷いて非を習う」ものです。いつしか人間としての品性が下落していくものです。  やはり読書は、しっかりしたシンのある、重みのある本を読みたいものです。現代人は、ともすれば軽く読み捨てられるものに手を出しがちですが、その傾向が大きく集積すれば、軽薄で、刹那的で、無責任な思想の流れを生み出すことは必至です。そうした病弊はすでに顕著に表れつつあります。  ものを見通す力を持つ人が見ると、真理の書からは尊い光が射し出ているそうです。そのような書物をゆっくりと読み、そのような後光の中で暮らしてこそ、ほんとうの文化人と言えるでしょう。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば37

大毒蛇なり阿難。 悪毒蛇なり世尊。 (大荘厳経論・巻六)

1 ...経典のことば(37) 立正佼成会会長 庭野日敬 大毒蛇なり阿難。  悪毒蛇なり世尊。 (大荘厳経論・巻六) あぶく銭を得た農夫  あるとき、お釈迦さまが阿難を連れて、舎衛国の農村を歩いておられました。  田んぼのそばに土が小高く盛り上がった所があるのに目を留められた世尊は、  「阿難よ、あれをごらん。あの中には大毒蛇がいるんだよ」  と仰せになりました。阿難はそれを見て、  「なるほど、世尊。恐るべき悪毒蛇がおります」  こう話し合いながら歩いて行かれました。すぐ近くの田を耕していた一人の農夫がこの会話を聞いていて、仏さまと阿難さまは千里眼を持っておられるのか……と思い、その小さい丘を掘ってみると、中からたくさんの黄金が出てきました。  「なぁんだ。金じゃないか。仏さまがたはどうしてこれを『大毒蛇だ』『悪毒蛇です』などと言われたんだろう。こんな有り難いものを……」  そうつぶやきながら黄金を掘り出し、家へ持って帰りました。  それまでこの農夫はたいへん貧乏で、着る物にも食べる物にも不自由していたのですが、思わぬ大金が入ったのでいい気になり、新しい着物は買うわ、毎日ご馳走は食べるわと、大いにぜいたくを始めました。  近所の人たちがそれを見て怪しく思い、いつしかそれが役人の耳にも入り、彼は役所に引っ立てられました。そして金の出所を追及されました。ありのままを言ったのですが、そんな夢みたいなことは通らない、と吟味は厳しくなるばかりです。  もはや刑罰を受けるのは必至となってから、彼は弁解をやめて、ただ、  「大毒蛇なり阿難。悪毒蛇なり世尊」  と口の中でつぶやくばかりでした。 現代にも毒蛇はいる  そのことを刑吏から聞いた王は不思議に思い、農夫を呼び出して直接事情を聴きただしてみました。彼は一部始終を申し上げ、  「仏さまと阿難さまの仰せられた通りだと、今つくづくわかりました。わたくしは毒蛇に咬まれたのでございます。いや、毒蛇に咬まれたのは一身だけですみますが、黄金に心をくらまされると、その害は家族や親戚までにも及びます」  と言いました。王は深く感じ入り、  「よくぞそこまで悟った。まことに仏陀のお言葉は常に真実である。よろしい。そなたから取り上げた残りの金は返してやる。そのうえ、褒美の金も遣(つか)わすとしよう。これからは仏陀の教えを敬信して、正しい道を歩むがよい」  と、嬉しい判決を下したのでありました。  「黄金は毒蛇である」という言葉を聞いて、素直に納得しない人も多いことと思います。たしかにお金は大切なものです。今の世の中に生きていくには無くてはならぬものです。  しかし、この農夫が額に汗することなく得た大金が身に災いを呼んだような実例は、今の世にも数多くあります。  楽をして儲けようという心理につけ込むさまざまな商法が次から次へと出現することは周知の通りです。そして多くの悲劇を生んでいることも新聞紙上などで見られる通りです。そういう意味で、まことに「黄金は毒蛇」なのです。  釈尊も決して金銭を無視してはおられません。そのことは、善生経の次のお言葉でも知られます。  「まず技術を習って、しかる後に財業を得べし。財業すでに具わらば、宜しくみずから守護すべし」 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば38

麤(そ)者は麤事に悟り細者は細事に解(げ)す (大荘厳経論・巻六)

1 ...経典のことば(38) 立正佼成会会長 庭野日敬 麤(そ)者は麤事に悟り細者は細事に解(げ)す (大荘厳経論・巻六) 三帰依だけで助かった  今回はひとつ笑い話をしましょう。  むかし、ある所に一人の修行者が住んでいました。たびたび盗賊に襲われて、なけなしの物を盗まれるので、固く戸を閉ざして用心していました。  ある日また盗賊がやってきました。戸締まりの厳重なのを見て、  「おい、戸を開けろ」  と怒鳴ります。修行者は言いました。  「あんたを見るのが怖いから、戸は開けないよ。しかし、欲しいものは何でもやるから、この窓から手を入れなさい」  単細胞で頭の回転の鈍い盗賊は、言われるとおり小窓から手を差し入れました。修行者はすかさずその両手を捕まえ、縄でギリギリに縛り、あわてて逃げようとする盗賊をとらえて柱に縛りつけてしまいました。  そして、太い棍(こん)棒をふり上げ、力まかせに打ち据えました。  一つ打つと、  「帰依仏と言え」  と言います。盗賊が、  「帰依仏」  と唱えると、修行者はまた一つ打ち据え、  「帰依法と言え」  と言います。盗賊がそのとおりに唱えると、また一つ殴りつけ、  「帰依僧と言え」  と言います。あまりの痛さに気を失いそうになりながらも、言われるとおり唱えましたが、心の中に思いました。――この修行者はいくつ帰依を持っているのだろう。もうこの辺でおしまいにしてくれないかなあ――と。  ところが、修行者は、盗賊が素直に三帰依を唱えたのに免じて、縄を解いてやり、早く立ち去るように言いました。 骨身にこたえる悟りこそ  よろよろと立ち上がった盗賊は、帰依仏、帰依法、帰依僧とは何の意味かと質問します。修行者がその由来と意味を説明してやりますと、にわかに――わたしを出家させてください――と言い出しました。修行者が――突然、どうしたわけで――と尋ねますと、盗賊は、  「仏さまは今日のわたしのことをチャンと知っておられて、三帰依だけを説かれたのでしょう。もし四帰依も五帰依も説かれたら、わたしは死んでしまったでしょう。仏さまはわたしをあわれんで、生かしておいてくださったのです。ですから、お弟子になりたいのです」  じつに見当違いも甚だしい解釈で、笑いがこみ上げてきますが、しかし、後でその盗賊が歌った標記の詩(偈)を読むと、出かかった笑いが急に止まるのを覚えます。 麤というのは粗(あら)いという意味で、細というのは緻密なとでもいう意味です。つまり「粗放な人間は粗放なことで悟り、緻密な人間は緻密なことで理解する」というのです。  これはスバラシイ真理だと思います。人間はすべて平等に仏性を持っているのですが、その発現の動機やプロセスは千差万別で、ある人はとんでもない事件によって仏性を開発させられ、ある人は教義などを細かに研さんして悟りを開くでしょう。そこに、どんな人にも向上の希望があり、また教化のおもしろみもあると思います。  国家としても、わが日本国は太平洋戦争という粗放極まる行為によって悟りを開き、軍備を放棄し、平和国家として生きることを決意しました。理論的に平和の大切さを探究した結果ではありません。国家の命運を賭けた荒々しい行為の結果の悟りです。それだけに、骨髄に徹して忘れることはありません。また、忘れてはならないのです。 題字と絵 難波淳郎...