経典のことば(11)
立正佼成会会長 庭野日敬
色即是空 空即是色
(般若心経)
空とは何か
仏教経典には随所に「空」ということばが出てきます。初めて仏典を読む人は、いったい「空」とはどんなことなのか、何のためにそれが説かれるのかがつかみにくくて、ぼう然と見過ごしている人が多いのではないでしょうか。
しかし、仏教の教義はこの空という思想――というよりは真理――を基礎として説かれているのですから、仏教を学ぶ以上はどうしてもこれを避けて通るわけにはいかないのです。そしてまた、空といえばたいへん哲学的で難しそうな感じがしますけれども、考えかたによっては案外やさしくわかるものだと思います。
現在の原子物理学では、この世の万物は素粒子という目に見えぬ極微の単位物質から出来ていることを立証しています。しかしその素粒子も、新しいもの(すでに三十種以上)が続々と発見されるところから、当然それらの素粒子をつくる大もとのなにものかがあるはずだということになっています。といっても、そのなにものかはもはや物質というべきものではなく、宇宙全体に透き間もなくみなぎっている「根源のエネルギー」と考えるほかはないわけです。
学者の説によりますと、この「宇宙の根源のエネルギー」こそが、じつは「空」にほかならないというのです。その目に見えないひといろの空が、さまざまな原因と条件の和合によってさまざまな存在をつくり現しているわけです。
こういう真実を、お釈迦さまはそのたぐいなき直観力によって悟られたわけですが、「この世のすべての存在には実体がないのだ」という一見全面否定と見えるその表現が昔の人にはなかなか理解できなかったのではないでしょうか。それに対して、原子物理学がすでに常識の世界にまではいりこんでいる今日では、わりあい容易に納得できるようになったと思われるのです。
空は宇宙の大生命と同じ
納得がいっても、右の般若心経の「色即是空(この世の存在はすべて空である)」という教えをストレートに聞けば、なんとなく自分自身が空中分解しそうな虚無感を覚える人もありましょう。そんな人は「空すなわち根源のエネルギー」という科学的な考え方を一転して「空すなわち宇宙の大生命」と考えればいいのです。結局は同じことなのですから。
そうすれば「ああ、自分は宇宙の大生命の一つの現れなのだ。宇宙の大いなるいのちに生かされているのだ」という深い喜びがわいてくるはずです。それが「空即是色」の真義にほかならないと思うのです。冷たい哲学思想が一転して宗教的法悦に変わるのです。般若心経のこの名句もそう考えてこそ人間の救いになるのだと信じます。
また、空の思想は、対人関係においても大きな救いをもたらすものです。もしわれわれと他の人とが絶対的に別々の存在だったら、対立や抗争こそ起これ、お互いの間に友情や思いやりとかが生ずることはありえません。もともとはただ一つの空すなわち宇宙の大生命に生かされている仲間同士であればこそ、そこに相通ずる心情がありうるのです。
自然に対する感情でもそうです。山の緑を眺め、野の花を見て「美しいなあ」と感ずるのは、やはり宇宙の大いなるいのちに生かされている縁つづきなればこそなのです。そうした感情は、空の思想に徹すれば徹するほど深まり、おのずから自然を大切にするようになり、したがって自然からも大切にされるようになりましょう。空の思想はこのように受けとるべきだと信じます。
題字と絵 難波淳郎