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人間釈尊66

パセナーディ王との別れ

1 ...人間釈尊(66) 立正佼成会会長 庭野日敬 パセナーディ王との別れ 師弟であり親友でもあった  パセナーディ(波斯匿=はしのく)王とお釈迦さまは、もちろん師弟の間柄ではありましたが、その数々の接触を振り返ってみますと、なにか親しい友という感じがしてなりません。  あるとき王が、下腹を突き出すようにしてハァハァ息をしているのを見て、  「苦しそうだが、どうしたのですか」  と聞かれ、王が、  「今朝の食事を少し食べ過ぎたようで……」  と答えると、  「食べ過ぎはいけません。量を知って食をとることですよ。そうすれば寿命も延びるのですよ」  と忠告なさったこともあります。  あるときは、祖母を失って悄然(しょうぜん)としている王に、  川の水は休みなく流れ、往って帰ることはない。人の命もそれと同じである。逝く者は帰らない。たとえ千年の寿命があっても、必ず死んで去るのである。云々  という偈(げ)を詠んで、その悲しみを静められたこともあります。  このような親しい関係は晩年に至るまで変わることはありませんでした。 世間と僧伽を比べて  晩年のある時期、お釈迦さまが釈迦族の国のメーダルンバという村にご滞在になっていました。ちょうどそのときパセナーディ王が近くまで所用で来たので、お釈迦さまを訪問しました。  ところが、いつもと違って王の顔色が冴(さ)えないのを見られて、  「王よ。何か心配事でもあるのですか」  とお尋ねになりますと、  「はい。心にかかることがいっぱいあります」  「どんなこと……」  「いまや、国は国と争い、王族は王族と争い、バラモンはバラモンと争い、金持ちは金持ちと争っております」  「うーむ。そのとおり」  「しかも、母は子と争い、子は母と争い、父は子と争い、子は父と争い、兄弟は兄弟姉妹と争い、姉妹は兄弟姉妹と争い、友人は友人と争っております」  お釈迦さまは、何度もうなずきながら聞いておられました。  二十世紀末のわれわれが、このパセナーディ王のこの言葉を読むとき、現在の世界の情勢や国内の世相と思いくらべて、何か慄然(りつぜん)たるものを覚えざるをえません。  さて、王は言葉を改めて、  「その点、世尊の僧伽(さんが)を見ていますと、お弟子さん方はよく和合し、共に喜び、争うことはありません。乳と水のように融和し、お互いに愛情をこめた眼で見ながら暮らしておられます。じつに世の中の最高の手本でございます」。  お釈迦さまは、口辺に微笑を浮かべながら聞いておられます。そのとき王は、改まった口調で、  「世尊よ。世尊もクシャトリヤ(王族)でいらっしゃいます。わたくしもクシャトリヤです。世尊もコーサラ人ですし、わたくしもコーサラ人です。世尊も八十歳になられましたが、わたくしも八十歳になりました」  「王よ。そのとおりですね」  「わたくしは世尊に最上の尊敬と親愛を抱いていることを申し上げておきます。……さて、用事がございますので、これで失礼いたします」  そして座を立ち、辞去して行きました。  お釈迦さまは、それからマガダ国の霊鷲山に戻られ、そして最後の旅に出られたのですから、これがパセナーディ王との一生の別れだったのでした。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...

人間釈尊67

舎利弗の死を迎えられて

1 ...人間釈尊(67) 立正佼成会会長 庭野日敬 舎利弗の死を迎えられて 師と己の死期を知って  お釈迦さまが最後の旅にお出かけになる少し前のことです。  かねてから病気がちだった舎利弗は、自分の寿命があまり長くないことを知っていたのですが、と同時に、世尊の入涅槃も遠くないことを、その天眼をもって見抜いていました。  ある日、禅定から出て澄み極まった心境にあったとき、ふと思い出したのは、過去の諸仏の高弟たちはみな師よりも先に入滅したという言い伝えでした。  ――そうだ。自分としても、世尊のご入滅をこの目で見たてまつるのは忍びえない。一日でも先に涅槃に入ることにしよう――  そう決意した舎利弗は、竹林精舎のお釈迦さまのみもとに行って申し上げました。  「世尊。わたしは近いうちに涅槃に入ろうと存じます。どうぞお許しください」  世尊は黙然として舎利弗の顔をみつめておられるばかりです。一言もお答えになりません。舎利弗は繰り返し繰り返し三度も同じことをお願いしました。世尊はようやく、  「なぜこの世にとどまることを願わず、涅槃に入ることを急ぐのか」  とお尋ねになりました。舎利弗は、  「過去の諸仏に仕えた弟子たちは、みな師より先に涅槃に入ったと聞いておりますので……」  とお答えします。世尊はしばらくじっとお考えになっておられましたが、  「そうか。そなたはよくその時を知った。では、どこで涅槃に入るつもりか」  「故郷の母を訪ねまして、その地で……」  「よろしい。許してあげよう」  「ありがとうございます。長年お導きくださいましたご恩は永久に忘却いたしません。最後の礼拝をさせて頂きます」  舎利弗はみ足に額をつけて伏し拝み、両の手を合わせて世尊を仰ぎ見ながら、お姿が見えなくなるまで後じさりして去って行きました。世尊は慈しみをこめた眼で、じっと見つめていらっしゃいました。 遺骨をわが掌に乗せよ  舎利弗は久しぶりに母を見舞い、ねんごろに仏法を説いて大安心を得せしめたあと、一人で別室に退き、右わきを下にして横になりました。そしてゆったりと禅定に入ってゆき、その極みにおいて静かに息を引き取ったのでした。  ずっとお供をしていた侍者のマハーチュンダは、涙ながらに遺体を火葬に付し、遺骨を抱いて竹林精舎へ帰ってきました。  迎えに出た阿難は、驚きと悲しみで声をあげて泣きながら世尊のおん前に手をつき、  「何ということでしょう。舎利弗長老が入滅されました」  と申し上げます。世尊は、  「嘆くことはない。すべては移り変わるのがこの世の定めではないか」  と慰められましたが、しかし、そのお顔はさすがに曇ってみえました。世尊はマハーチュンダに向かって、  「マハーチュンダよ。その遺骨をわたしの掌の上に乗せておくれ」  とおっしゃいました。  マハーチュンダが恐る恐る進み出て舎利弗の遺骨をお手の上に乗せますと、お釈迦さまはそれを大勢の比丘たちに示しながら、  「これが数日前までそなたたちに法を説いた大智舎利弗である。わたしの子の遺骨である。よく見ておくがよい」  とおっしゃるのでした。  人間味あふれるそのお言葉に、泣かない比丘はありませんでした。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...

人間釈尊68

最後の旅への出発

1 ...人間釈尊(68) 立正佼成会会長 庭野日敬 最後の旅への出発 「連れていっておくれ」  ある日お釈迦さまは、霊鷲山のご香室でひとり瞑想(めいそう)にふけっておられましたが、やがて傍らにいた阿難に、  「阿難よ。旅に出よう。今度は北へ向かって行こう」とおおせられました。  おん年すでに八十歳、お足もともなんとなくおぼつかないおからだなのに、また布教の旅にお出かけになろうとは、なんという強靭(きょうじん)な精神力でありましょう。  それにしても、北を目指されたのはどういうわけでしょうか。北といえば、生まれ育たれたカピラバストの方向です。やはりお年を召して故郷に引かれる思いが生じられたのではないかとも推測されるのですが、仏伝にはそれについてはなんら記されていません。  さて、阿難と数人のお弟子を連れて旅立たれたお釈迦さまは、まずナーランダ村におとどまりになりました。この地は、後に史上最大の仏教大学が建てられた所で、七世紀に中国の玄奘(げんじょう)三蔵(『西遊記』の主人公)もここで数年間学び、そのころは一万人の学僧がいたということです。  その地にしばらくご滞在になってから、お釈迦さまは「阿難よ。パータリ村へ連れていっておくれ」とおおせられました。中村元先生著『ゴータマ・ブッダ』の注に――「行こう」というパーリ文よりも「つれていってくれ」という梵文(ぼんぶん)のほうが、老齢の釈尊の姿をよく示している――とありますが、まことにそのとおりで、以前にも増して何かと阿難の介護が必要だったのでありましょう。 川を渡す人々への称賛  パータリ村はガンジス河の舟着き場で、北へおもむく旅人はここを通らねばならぬ交通の要衝でした。後には首都として栄えた所です。  人々は村をあげて世尊のご一行をお迎えし、心からの接待を申し上げました。世尊は村人たちのために戒・定・慧の三学についてこんこんとお説き聞かせになったと、仏伝には記されています。  いよいよ世尊がここからガンジス河を渡られる日が来ました。村人たちは総出でお見送りしました。ちょうどマガダ国の大臣が二人、この地に都城を築くために来ておりましたが、そのうちの一人がこう申し上げました。  「世尊よ。きょう世尊がお出になるこの門を『ゴータマの門』と名付けましょう。世尊がお渡りになる渡し場を『ゴータマの渡し』と名付けようと存じます」  世尊は感慨深げにその言葉をお聞きになりながら、一隻の筏(いかだ)にお乗りになったのでした。  さて、向こう岸にお着きになった世尊は、しばらくの間、はるかパータリ村のほうを眺めておられましたが、やがてお目を転じて、こちらの岸辺で働いている船頭たちや、筏造りの人々を親しげにご覧になりながら、次のような偈(げ)をお詠みになりました。  深い所をすてて橋を造り、流れを渡る人々もある。浮き袋を結びつけて筏を造って渡る人もある。渡り終わった人々は賢者である。  この偈の表面の意味は、煩悩と人生苦に満ちた世界から解脱の彼岸に渡る修行の種々相と、渡り終えた人の尊さを詠まれたのであることは明らかです。しかし、中村元先生は「交通が不便であった時代に、橋や筏をつくって実際に交通の便を開いてくれる人々に対する称賛の気持ちが含まれている、と見てよいであろう」と解説しておられます。  そういう見方をすれば、人間としての釈尊のお姿がまざまざと目前に浮かび上がってきて、ひとしお懐かしい思いが込み上げてくるのを覚えるではありませんか。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...

人間釈尊69

これが最後の眺めであろう

1 ...人間釈尊(69) 立正佼成会会長 庭野日敬 これが最後の眺めであろう 重き病を克服されて  ガンジス河を北へ渡られたお釈迦さまの一行は、ヴェーサーリー(毘舎離)の都の近くに足をとどめられました。  かつてこの一帯に疫病が流行したとき、お釈迦さまを招請して祈願して頂いたところ、たちまちその疫病が終息したので、ヴェーサーリーの人々はとくに世尊に感謝し、帰依し、その教えを聞くことを喜びとしていました。お釈迦さまもしばしばここを訪れられ、法をお説きになった懐かしい土地です。  今度この地に来られたとき、雨期が始まりました。前にも書いたように、雨期の約三カ月のあいだは道も田畑も水びたしになり、旅をすることはできません。そこで一ヵ所にとどまって、いわゆる夏安居(げあんご)という修行をするのが教団のしきたりになっていました。  ところが、この年はあいにくたいへんな凶作で村々は食糧不足に苦しんでいました。そこでお釈迦さまは、比丘たちをヴェーサーリーの知人の家に分宿させ、ご自分は阿難と共にヴェルヴァーナ(竹林)という村で夏安居に入られたのでした。  もちろんこの村も食糧に困っており、ついには馬の飼料を召し上がらねばならなくなりました。おそろしい暑熱と湿度の高い季節でもあり、ひどく胃腸をそこなわれ、死ぬほどの苦しみをなさいました。しかし世尊は、比類のない精神力をもってその重病を克服されたのです。ホッとした阿難が、  「ああ、世尊のご病気が重くあらせられたときは、目の前が真っ暗になる思いでございました。ただ、教団の今後について何か遺言をなさらないうちは入滅されるはずがないと思っておりましたが……」と申し上げますと、  「わたしはすでに余すところなく法を説いた。もうわたしを頼りにすることはない。これからは各自が自らを灯(ともしび)とし、自らを依りどころとし、法を灯とし、法を依りどころとして修行しなければならないのだ」  と、有名な「自灯明・法灯明」の教えをお説きになったのでした。 象のごとく眺められた  ある日、世尊は阿難を連れてヴェーサーリーの町に托鉢に行かれ、帰って食事をすまされると、  「阿難よ。日中の休息をとるためにチャーパーラ霊樹のもとへ行こう」とおおせられました。そして、神聖な木といわれるその大樹の木陰に座具を敷いてお休みになりました。そのとき次のような感想を述べられたといいます。  「阿難よ。ヴェーサーリーは楽しい。ヴデーナ霊樹は楽しい。バフブッタ霊樹は楽しい。チャーパーラ霊樹は楽しい」  そしてまた、こうもおおせられたとあります。  「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」と。(中村元著『ゴータマ・ブッダ』より)  お釈迦さまはご入滅の日の近いのをハッキリ予知されていたそうですが、現世に対するこうした楽しく明るい、そして肯定的な回顧をなさったことに、あらためて深い感銘を覚えざるをえません。  さて、いよいよヴェーサーリーを去られる日がきました。お釈迦さまは、象が眺めるように(と仏伝には記されている)ヴェーサーリーの町のたたずまいを眺めながら、おおせられました。  「阿難よ。これはわたしがヴェーサーリーを見る最後の眺めであろう」と。  これはまた、違った響きをもってわれわれの胸にしみこむ、人間味あふれるお言葉ではないでしょうか。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...

人間釈尊70

阿難へ感謝のお言葉

1 ...人間釈尊(70) 立正佼成会会長 庭野日敬 阿難へ感謝のお言葉 刻々と死に近づきながら  ヴェーサーリーに別れを告げられてから、世尊はバーヴァー村の金属細工人チュンダ所有のマンゴー林に足をとどめられました。  チュンダは敬虔(けいけん)な信者でしたので、大喜びで世尊をお迎えし、世尊も――『道に生きる者』『道を説く者』がこの世で最も尊い存在である――という教えをねんごろにお説きになりました。  ところが、ここで思いがけないことが起こりました。チュンダがご供養申し上げた食事の中に、世尊だけに特別にお出ししたキノコ(一説には豚肉ともいう)がありましたが、そのキノコにあたって中毒にかかられた世尊は猛烈な腹痛を起こされ、激しい下痢をなさったのです。  それでも、その苦痛を耐え忍びながら、クシナーラへと出発されたのでした。しかし、いくらもお歩きにならないうちに、  「阿難よ。わたしは疲れた。わたしは座りたい。上衣を四つにたたんで敷いておくれ」と命ぜられました。座られるとすぐ、  「阿難よ。水を持ってきておくれ。わたしはのどが渇いている。水が飲みたい」  とおっしゃるのです。近くの河からくんできてさしあげると、おいしそうに飲まれてから、  「さあ、これからカクッター河のところへ行こう」  と阿難をうながして歩き出されました。そしてカクッター河にたどりつかれると、流れに入って水浴され、また水をたっぷりお飲みになりました。  そして岸に上がられると、「わたしは横になりたい。上衣を四つ折りにして敷いておくれ」と命ぜられるのでした。前には「座りたい」とおっしゃり、今度は「横になりたい」とおっしゃったことからも、体力が急速に衰えつつあったことが如実にうかがわれます。こうして、バーヴァーからクシナーラまではわずか数キロの道のりなのに、二十五回もお休みになったといいます。  その苦痛のなかから、  「阿難よ。そなたはチュンダの所へ行って、食事にキノコを出したことをくれぐれも後悔しないように言っておくれ。わたしの成道の因をつくってくれたスジャータの乳粥(ちちがゆ)と同じように、チュンダの供養した食事によって無余涅槃界(肉体さえも残さない絶対平安の世界)へ入ることができるのだから、最大の功徳なのだ……と、そう伝えるのだよ」  と命ぜられました。その深い思いやりのお言葉に人間釈尊のお徳の結晶があると言っても、けっして言い過ぎではないでしょう。 阿難よ、よく仕えてくれた  クシナーラ村に入られた世尊は、阿難に、  「さあ、わたしのために、サーラ双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いておくれ。わたしは疲れた。横になりたい」  とおいいつけになりました。いよいよご臨終の時が近づいたのです。阿難は悲しみのあまり、お床の傍らで激しくしゃくりあげていました。すると世尊は、  「阿難よ。泣くのはやめなさい。わたしがいつも教えていたではないか。愛するものや好むものとも必ず別れなければならない。生じたもの、存在するものは必ず滅するものだ……と……」  それから言葉を改められ、  「阿難よ。そなたは長いあいだわたしによく仕えてくれた。そなたは善いことをしたのだよ。これからも努めはげむことだ。必ずすべての煩悩を除き尽くした身になるだろう」  と優しくおおせられたのでした。  阿難がどんな気持ちでそのお言葉を聞いたか、察するに余りがあります。  そのとき、クシナーラには夕暗が迫りつつありました。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...

人間釈尊71

大いなる人は去ったが

1 ...人間釈尊(71) 立正佼成会会長 庭野日敬 大いなる人は去ったが 臨終に際しても説法  その夜、クシナーラの町に住むスバッダという異教の修行者が、ぜひお釈迦さまの教えを聞きたいとやってきました。  阿難が、もうご臨終が間近いのだから世尊をわずらわしてはならないと断りますと、「だからこそお命のあるうちにお目にかかりたいのです。わたくしには大きな疑問があるのですから……」と言って動きません。  そのやりとりをお聞きになった世尊は、  「阿難よ。道を聞きに来た人を拒んではならない。通しなさい」  とおおせられました。スバッダはお床の近くへにじり寄ると、まず多くの宗教家の名前を次々に挙げ、  「こういう人たちは、教団を持ち、多くの弟子や世間の大衆に崇敬されていますが、かれらは自分の知恵で悟っているのでしょうか。あるいは悟っていない者もいるのではないでしょうか」  と、お尋ねしました。すると世尊は、  「そんなことは問題にならない。スバッダよ。ある宗教において、ものごとを正しく見、正しく考え、正しく語り、正しく行為し、正しい生活をし、正しい努力をし、正しい方向へ向けて思念し、正しい瞑想をして不動の心境に達するという八つの聖なる道を教えない者は、それは『道の人』とは言えないのだよ」  と、お説きになりました。スバッダは目が覚めたようになり、お弟子に加えていただきたいとお願いし、特に入門を許されました。彼がお釈迦さまの最後のお弟子となったのでした。  思えば、お釈迦さまが鹿野園で五人の修行者に初めて法をお説きになったときも、この八正道の教えをお説きになり、ここで最後にお説きになったのも、やはり八正道だったのです。ということからしても、仏教の実践面の教えは――布施ということ以外は――この八正道に集約されていると断じても差しつかえないでしょう。 限りなく懐かしい人  さて、夜もしんしんと更けてきました。お釈迦さまは阿難に向かって次のような遺言をなさいました。  「わたしが死んだからといって、『自分たちの師はいない』などと考えてはならない。わたしが説いた教えと、わたしが制定した戒律がそなたたちの師である。ただし、細かい戒律の項目は、教団のみんなの同意があれば廃止してもよろしい」  お釈迦さまはしばらく沈黙しておられましたが、再び口を開いておおせられました。  「さあ、比丘たちよ。質問はないか。あったら今のうちに聞いておきなさい。わたしが死んでから、聞いておけばよかったと後悔しないように……」  しかし、だれひとり質問を発する者はありませんでした。そこでお釈迦さまは、  「では比丘たちよ。すべてのものごとは移り行くものである。怠らず努力するがよい」  そして、優しいおん目で比丘たちを見回されてから、静かに、安らかに、息をお引き取りになったのでした。まことに「大いなる死」でありました。  長部経典に、お釈迦さまのお人柄を集約して、こう記されています。(中村元先生訳による)  「修行者ゴータマは、実に『さあ来なさい』『よく来たね』と語る人であり、親しみのあることばを語り、喜びをもって接し、しかめ面をしないで、顔色ははればれとし、自分のほうから先に話しかける人である」  われわれは、仏としての世尊を限りなく尊崇すると同時に、人間釈尊として無限の懐かしさを覚えざるをえないのであります。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...

人間釈尊72

仏塔から生まれた法華経

1 ...人間釈尊(72) 立正佼成会会長 庭野日敬 仏塔から生まれた法華経 比丘は葬儀にかかわるな  お釈迦さまがクシナーラの沙羅の木の下で偉大なる死を遂げられると、土地の住民であるマルラ族が、そこから一キロばかり離れた、同族が聖なる地としている場所まで野辺の送りをし、そこで火葬に付し奉りました。  なぜお弟子たちがそれをしなかったかといいますと、お釈迦さまのご遺言によるものなのです。ご臨終が近づいたとき、阿難が、「ご遺体をどうしたらいいのでしょうか」とお尋ねしたところ、世尊は、  「阿難よ。そなたたちはそのようなことに心を煩わしてはならない。比丘というものは最高の善に向かって努力するのがつとめなのだ。わたしの遺骸は、わたしに帰依している世俗の人々が処置し、供養してくれるだろう」  とおおせられたのでした。  それにしても、――わたしの遺骸は林の中に捨てて鳥や獣に食わせてくれ――とか、――灰をガンジス河に流してくれ――とかおっしゃらなかったところが、あくまでも「中道」の人であったお釈迦さまらしいと思われてなりません。  さて、ご入滅を聞いたマガダ国のアジャセ王や、ヴェーサーリー国のリッチャビ族や、カピラバストの釈迦族をはじめ、七つの国や部族たちがご遺骨を渡してくれと要求してきましたが、クシナーラのマルラ族は頑としてはねつけ、争いが起ころうとまでしました。そのとき、あるバラモンが仲裁に入って仲よく分骨することになり、それぞれが仏舎利塔を建ててお祀りしたのでした。 師の最高の遺産・法華経  そこまでは、お釈迦さまは大衆の心の中にしっかりと住んでおられたのですが、だんだん年月がたつにつれ、仏の教えを受け継いだ比丘たちが世間から離れて寺にこもり、自分の解脱のみを目的とした修行に専念するようになりました。  百年たち、二百年たつと在家の信仰者たちはお釈迦さまが懐かしく、恋しくてたまらなくなりました。そこで、富裕な商人(長者)たちを中心として仏塔を建て、そのまわりに集まってお釈迦さまをしのび、お残しになった教えをおさらいしました。  そして、一般民衆のみんなが一緒に救われるというのがお釈迦さまのご精神だったのだ……として、さまざまな経典を編集し、それを大乗(大きな乗り物)の教えだと唱え、比丘たちの守っている教えを小乗(小さな乗り物)とさげすみました。それに対して比丘たちは――おまえたちの経典は世尊の教えとは違う――といって反論し、論争がはてしなく続きました。  そのとき、仏塔礼拝者の中から、――いや、お釈迦さまの教えには小乗も大乗もない。ただ一仏乗しかないのだ――と主張する一団が現れ、お釈迦さまが最晩年に霊鷲山で説かれたこの教えこそがその一仏乗の教えだとして編集したのが、法華経にほかならない……といわれています。  そういえば、後世にはお釈迦さまが「この世は苦だ」とお説きになったことだけが増幅され、前(69回)に書いた「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」とおおせられたような一面はすっかり忘れられているようです。  その点、法華経は明るい人生肯定の経典で、お釈迦さまのみ心の底の底にあったお気持ちをよく表していると思われてなりません。お釈迦さまが悟りをひらかれた瞬間につぶやかれたという「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生みな如来の徳相を具有す」という言葉を思い出してみますと、そのことが胸に落ちるようにわかります。  お互いさま、師がお残しになった最高の遺産である法華経を、いのちと魂の糧として、この世を明るく元気よく生きていこうではありませんか。   (完) 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...

法華三部経の要点1

法華経はすべてを「一つ」にまとめる教え

1 ... 法華三部経の要点 ◇◇1 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経はすべてを「一つ」にまとめる教え これこそが仏陀の真精神  法華経の成立にはさまざまな説がありますが、わたしはつぎの説が正しいと信じています。  お釈迦さまが入滅されてから年月がたつにつれて、出家の修行者たちはだんだんと世間の一般大衆から離れて山や寺にこもり、自身の解脱だけを目的とした修行に専念するようになりました。  一方、一般の人々にとっては、たぐいなき大聖者であられたお釈迦さまのおもかげとみ教えが、心の底に焼きついて離れません。それで、お釈迦さまをお慕いするやむにやまれぬ気持ちから、富裕な商人(長者)たちを中心にして仏塔を建て、その周りに集まって礼拝したり、残された教えをおさらいしたりしました。  おさらいをしているうちに、――お釈迦さまの教えの真精神はここにあったのだ――という新しい解釈をうち出すようになり、それをまとめて『般若経』をはじめとするいろいろな経典を世に出しました。その人たちは、それらの経典を、これこそが世の多くの人間を救いにみちびく大きな乗り物のようなものだという意味で「大乗」と称し、比丘たちが信奉している初期のままの経典を「小乗(小さな乗り物)」といってさげすみました。  それに対して比丘たちは、――おまえたちの説くのは仏説と違う。本当の仏教ではない――といって一歩も退きません。同じ仏教を信奉する者が、そうした二つの派に分かれて(細かくいえばもっとたくさんの派に分かれていたのですが)お互いに背を向け合うのは、なんといっても不幸なことでした。 仏の教えはただ一乗  そのとき、やはり仏塔礼拝者の中から――お釈迦さまの教えには大乗とか小乗とかの区別はないのだ。もともと一仏乗しかないのだ――と主張する一団が現れました。  そして、「お釈迦さまのご真意はどこにあるかといえば、ご入滅を前にして霊鷲山でなさったこのお説法に尽くされているのだ」と、そのお説法の内容をくわしく叙述し、しかもそれが説かれたときの有り様を目の前に見るようにいきいきと再生して、経典として編集しました。その経典が法華経にほかなりません。  ここに法華経の大切な性格があるのです。すなわち、もともとは一つであったものが形のうえで別物のようになってしまっていたのを、それらのすべてを受け入れ、包容しながら、しかも元の一つにまとめてしまうという、統合の精神であり、「和」のはたらきであります。  だからこそ、この経典はしだいに多くの人々の帰依をかち得たのです。そして、中国からインドに留学した高僧竺法護(じくほうご)が帰国して第一番に漢訳したのが『薩陀芬陀利経(さっだふんだりきょう=サッダルマ・プンダリーカ・スートラという原名を音写した題号)』であり、あとでふたたび訳し直したのが『正法華経』だったのです。  この二つの漢訳は文章が硬くて読みづらいものでしたので、あまり広く流布しませんでした。ところが、いまのシルクロードにあったクッチャ国の鳩摩羅什(くまらじゅう)という人が漢訳した『妙法蓮華経』は、まことに流麗な、そして胸にしみ入るような名文でしたので、たちまち中国の人々の間にひろまり、そして、日本に渡っても多くの人々の信仰をかち得たのでした。  これからわたしが解説しようとする法華経も、その『妙法蓮華経』なのであります。 ...

法華三部経の要点2

法華経はなぜ「諸経の王」といわれるのか

1 ...法華三部経の要点 ◇◇2 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経はなぜ「諸経の王」といわれるのか 仏さまの教えを一つに統合  むかしから「法華経は諸経の王」と呼ばれてきています。なぜでしょうか。  第一には、前回で述べたようにこのお経はお釈迦さまのお説きになったさまざまな教えの底にある真精神を掘り起こし、形のうえで別々になっていた教えを見事に一つに統合したものである、ということです。  さらに、その内容を見ますと、この宇宙のすべてのものごとのありようから、そのなかで人間はどう生きねばならないかという現実の指針までが、あますところなく述べ尽くされているのです。  現実に生きるわれわれには、さまざまな苦しみや悩みがつきまとっています。そうしたものごとに突き当たるごとにこのお経を読み返してみますと、おのずからそこに解決の道がひらけてくるのであって、このことはわたしの法華経信仰六十年の体験から、確信をもって申し上げることができます。  また、このお経には、「仏さまはいつもそばにいて、われわれを導いてくださる」ことと「すべての人は仏さまの実の子であり、だれもが仏さまと同じになれる」ことが教えられています。この真実を魂の底までしみこませ仏さまの心のごとくに実践すれば、現実の苦しみに振り回されることのない自由自在の境地に達しえられるのです。そこがまたこの上もなく有り難いのです。 生きる喜びを与える経典  そのような真実を、このお経はただ理論的に解説するのでなく、劇的な譬え話や美しい文学的な表現で説いてありますので、読んでいくうちに人間として生きる喜びに全身の血が躍動するのを覚えざるをえません。  しかも、たんに個人としての喜びだけでなく、縁あって触れ合う人々を仏道に導き、幸せな社会、平和な世界を築き上げねばならぬという使命感のようなものが燃え上がり、ほんとうの生きがいがわいてくるのです。そうしたエネルギーに充ち満ちていることも「諸経の王」といわれる大きな理由の一つでありましょう。  ですから、多くの重要な仏典を中国語に訳した鳩摩羅什(前回参照)が、インドで仏教を学んで帰国するとき、師の須梨耶蘇摩(しゅりやそま)がとくに法華経を授け、「この経典は東北に縁あり。なんじ慎んで伝弘(でんぐ)せよ」と告げたのでした。  また、中国においても、小釈迦といわれた天台大師が、あらゆる仏典を学び尽くした結果、「仏陀の真意はこの法華経にある」と断じて、このお経を中心にして仏教を説きひろめました。それがいわゆる天台宗です。  日本に渡ってからも、わが国仏教の始祖である聖徳太子がこのお経の精神を基にして「十七条の憲法」をお定めになったことはだれ知らぬ者もないでしょう。  時代が下って、伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を建て、わが国仏教の中興の祖となりましたが、大師の信仰の中心となったのも法華経でした。  そして、後に念仏の教えをひろめた法然上人も、親鸞上人も、この比叡山で学んだ人でした。ですから、法華経を所依(しょえ)の経典とはしていない浄土宗の教えも、その奥の奥には法華経の精神がこもっていることは間違いありません。  わが国最高の法華経行者日蓮聖人は、十二年間比叡山その他のお寺であらゆる仏典を学び尽くした結果、法華経こそは仏教の神髄であるという信念に達し、この教えを説きひろめるために命をかけられたのでした。  このように、インド・中国・日本の最高の宗教者たちがこぞってこの経を賛仰している事実からしても、法華経が諸経の王であると断じていいのであります。 ...

法華三部経の要点3

さまざまな宗派の人々からも賛仰された

1 ...法華三部経の要点 ◇◇3 立正佼成会会長 庭野日敬 さまざまな宗派の人々からも賛仰された 道元は死の直前まで唱えた  法華経は究極の真理の教えです。ですから、いわゆる法華経系の宗派以外の人々も、ほんとうに真理を求め、真理を愛する人は、この教えに傾倒し、賛仰したのでした。二、三の例をあげてみましょう。  道元禅師といえば、わが国曹洞宗の開祖として、また不滅の名著『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)の著者として、古今の宗教界にそびえ立つ巨峰ともいうべき禅者です。その『正法眼蔵』を読みますと、禅師の思想の底には法華経の精神が脈々として流れていることがはっきりとわかります。  その一々については後で触れることもありましょうが、禅師が亡くなられる直前の行動こそが、いかに深く法華経に傾倒しておられたかを端的に物語っています。  禅師は京都の一信者の家で死を迎えられたのですが、最期の時を前にして法華経神力品の一節を低い声で唱えながら部屋の中を静かに歩き回っておられたといいます。そして、その一節を正面の柱に書きしるし、終わりに「妙法蓮華経庵」と書かれたのでした。  じつに禅師は、法華経に生き、法華経に死んだ人といえましょう。 キリスト者もこの経を賛仰  白隠禅師は徳川時代の臨済禅の最高峰でした。出家して間もない十六歳のとき法華経を読みましたが、「譬え話と因縁話ばかりで何ということはない」と失望し、それ以来ずっと手にしたことはありませんでした。  ところが、修行を積んでひとかどの僧となってから、久しぶりに法華経を読み返してみました。すでに四十二歳になっていました。ある夜、譬諭品を読んでいて「今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」という偈(げ=詩形で説かれた経文)のところにさしかかったとき、にわかに悟りが開け「法華経とはこんなお経だったのか」と、有り難さがジーンと胸に来ました。  ふと、軒下で鳴くキリギリスの声が耳に入りました。それを聞いたとたん、思わず大声をあげて号泣したといいます。  白隠禅師は八十四歳まで長生きし、当代随一の高僧として世の尊崇を受けましたが、その悟りも法華経によってこそ開かれたのでありました。  法華経は、宗教の違いにこだわらず、究極の真理を求める人には高く評価され、賛仰されました。その代表的な例が賀川豊彦師でありましょう。師は大正から昭和初期にかけて神戸の貧しい人々と共に住み、キリスト教の伝道に身命を惜しまず、のちに社会運動に転じた菩薩的キリスト者でした。  その著『生活と宗教』には次のような文章があります。  放蕩(ほうとう)息子の譬え(筆者注・長者窮子の譬え)、火宅の譬え、最微者(筆者注・弱い小さな存在)を愛する心持、すべてに化身して救いを全うする精神などを教えてくれる「法華経」はけっしてイエスの敵ではないと思う。永遠の生命を説き、真理の把持を説き、肉の誇りとする霊の勝利を説くことにおいて、「ヨハネ伝」の東洋流の注釈書と解してすこしも差支えない――。私は仏者が「法華経」を捨てる日にそれを拾い上げよう。そして「法華経」が教えてくれるすべての尊いものを、私自ら実行しよう。――  これを読んでいるあなたは、今まさしくこの法華経を学び、お釈迦さまのお心に直接触れているのです。ということは、お釈迦さまの直参の弟子であり、すでに救いへの第一歩を踏み出しているわけです。  どうか、頭で学ぶのでなく、心で、魂で、そして全身でこの尊い経典を読んでいって頂きたいものです。 ...

法華三部経の要点4

仏の本体は宇宙の大いなるいのちである

1 ...法華三部経の要点 ◇◇4 立正佼成会会長 庭野日敬 仏の本体は宇宙の大いなるいのちである 無量義経とはどんなお経か  では、いよいよ本文に入りましょう。  法華三部経とは、無量義経(むりょうぎきょう)・妙法蓮華経・仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつかんふげんぼさつぎょうほうきょう)の三つの経典をいいます。  無量義経は、お釈迦さまが妙法蓮華経をお説きになる直前に、おなじく霊鷲山でお説きになったものです。このお経を説き終わられてから長い三昧(さんまい=心を一つのことに定めてなす瞑想)に入られ、その三昧を終えてから、いよいよ妙法蓮華経を説き始められたわけで、いわば妙法蓮華経の序曲ともいうべきお経です。  ですから、むかしから妙法蓮華経の「開経」と呼ばれ、まずこれから学び始めるのが正しい順序とされてきました。  では、このお経の題名の無量義とはどんな意味かといいますと、このことばには次のような意味があります。  つまり、「数限りない意味をもった教え」ということです。しかし、このことだけでは、このお経の題名である無量義ということばの意味としては不十分です。  さらに、「その数限りない意味をもった教えは、ただひとつの真理から出てくるのだ」ということまでいわなければ、本当の意味にはなりません。  では、そのただひとつの真理とは、いったいどのようなものなのでしょうか。それをこのお経では「無相」であるといっているのです。そして、その無相とは「実相」と名づけられるものであるというのです。  いきなり難しいことを言い始めたようですけれども、仏さまの教えはすべてこの「実相」の悟りにもとづくものですので、難しくてもまず右に述べたことをいろいろと考えめぐらしてみてください。わかったようでもあり、わからぬようでもある……ぐらいで結構です。あとでだんだんわかってくるのですから。 仏さまのお徳の偉大さ  さて、その無量義経の第一章は「徳行品」(とくぎょうほん)ともうします。この品は、大荘厳(だいしょうごん)菩薩というお方が、仏さまの完全円満なお徳と、衆生をお救いくださる慈悲行の素晴らしさを賛嘆もうし上げる章です。  まず、仏さまの法身(ほっしん)についてほめたたえます。法身というのは、仏さまの本体であり、久遠実成(くおんじつじょう)の本仏とももうします。すなわち、この宇宙のあらゆるところに充ち満ちている大生命ともいうべきものであり、この世のすべてのものを生かしてくださっている久遠のいのちをもつ本仏のことです。  大荘厳菩薩は「其の身は有に非ず亦無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず」などと哲学的な表現をしていますが、つまるところは、久遠実成の仏さまは、無始、無終の存在であられ、つねにわれわれと共にいてくださり、天地の万物を生かしてくださっているお方であるということなのです。  お釈迦さまが、このむずかしい真実を、一般の人々になっとくさせるために、譬え話やその他のさまざまな形をとってわかりやすくお説きになったのが妙法蓮華経にほかなりません。ですから、大荘厳菩薩のこのことばは、法華三部経のいとぐちとして、大衆に向かって宿題を投げかけたものといっていいでしょう。  この宿題をいつも頭の中に置き、絶えずそれを意識しながら、これから展開される教えを学んでいって頂きたいと思います。 ...

法華三部経の要点5

われわれも仏さまと同じ悟りを得られる

1 ...法華三部経の要点 ◇◇5 立正佼成会会長 庭野日敬 われわれも仏さまと同じ悟りを得られる 善業の因縁より出でたり  前回に引き続き無量義経・徳行品の要点について述べましょう。  法身(ほっしん)の仏さまの無量のお力とお徳を賛嘆した大荘厳菩薩(だいしょうごんぼさつ)は、今度は一転して、法身の仏のこの世への現れである応身(おうじん)の仏、すなわちお釈迦さまの完全なお徳を賛嘆します。  そして、どうしてそのようなお徳を完成されたかについて、「それは、長い間さまざまなご修行をなさった結果であり、そうして得られた慈悲のはたらきと、智慧のはたらきと、何ものにもはばかることなく法を説かれるはたらきによるものであります。さらにそのおおもとをただせば、衆生の一人として善業(ぜんごう)を積まれた因縁によるものであります」ともうしあげるのです。  この最後の一節は、原文では「衆生善業の因縁より出でたり」とありますが、これが徳行品の最大の要点の一つです。  お釈迦さまは完全円満な人格のお方でありますが、もともとは平凡な衆生の一人だったのです。また、ある日突然、神がかりになって仏となられたのでもありません。カピラバスト城の王子ではありましたが、とにかく普通の人間だったのです。妃もお持ちになり、お子さんもつくられたのです。  現世においてだけではありません。前世のそのまた前世においてもやはり衆生のひとりに過ぎなかったのです。それが、何世にもわたる多くの過去世においてさまざまな修行を積まれ、無数の善行をなさったその積み重なりに加えて、現世においても、一切の世の人びとを救おうという志を立てられ、数々の修行を積まれたその結果、たぐいのない大人格を成就(じょうじゅ)されたのです。  このことはつまり、われわれのような平凡な人間も仏道修行を積み、善い行いを重ねていけば、いつかは必ず仏さまのような悟りを得られるのだということにほかなりません。これが法華三部経全体に通ずる大思想ですが、「衆生善業の因縁より出でたり」の一句に、その大思想がさりげなく述べられているのです。ですから、この一句はしっかりと胸に刻んでおいて頂きたいと思います。 容貌も心と行いによって  次に大荘厳菩薩はお釈迦さまのお顔やお姿の美しさを、口を極めてほめたたえます。そして、その結論として「衆生身相の相も亦(また)然(しか)なり」ともうしております。これがまた大切な一句です。  もちろん、前の「衆生善業の因縁より出でたり」と密接につながっているのであり、われわれ衆生の顔や姿の相も、仏道修行と善い行いを積むことによってどんなにでも美しくなっていくものだ、という真実を述べているのです。  よくテレビなどで、娘時代から病人の世話に一身を捧げてきた看護婦さんとか、一生を草花の愛育に努力してきた園芸家とかの人びとが紹介されますが、そんな人たちの相貌(そうぼう)を見ますと、目鼻立ちといった表面の形を超えた何ともいえないりっぱな顔をしておられます。内から輝き出してくる美しさです。慈愛というか、慈悲心というか、そうした高い精神性がおのずから相貌に現れているのです。  真・善・美ということがいわれますが、これはけっして別々のものではなく、つながっているのです。「真」(宇宙の真理・天地の道理)を行いのうえに実践するのが「善」であり、真をありのままに具現したのが「美」なのです。花が美しいのは、本仏に生かされるままに咲いているから美しいのです。  ですから、見かけの姿・形の美醜にこだわることはありません。心に「真」を思い、行いの上に「善」を行っておれば、それは必ずあなたの相貌をほんとうの「美」に変えていくことに間違いありません。 ...

法華三部経の要点6

無量義経は深く考えさせる経典

1 ...法華三部経の要点 ◇◇6 立正佼成会会長 庭野日敬 無量義経は深く考えさせる経典 まず観察して考え抜け  無量義経の説法品に移りましょう。説法品といっても、ここに説いてある教えは主として「空(くう)」ということです。  大荘厳菩薩が「わたくしどもが、まわり道しないでまっすぐに仏の境地に達するためには、どんな修行をしたらよろしいのでしょうか」と、お尋ねしたのに対して、お釈迦さまはこう教えられます。  「無量義という法門を修めることです。そのためには、まずつぎのことを見究めなければなりません。すなわち、この世のあらゆるものごとは、宇宙ができてから(本)ずっと(来)今日まで(今)、その性質にしても、すがたにしても(性相)、固定されたものではなく、一切が平等でしかも大きな調和を保っている(空寂)のです。われわれが肉眼で見る現象は、大きいとか小さいとか、生ずるとか滅するとか、止まっているとか動いているとか、進むとか退くとか、さまざまな差別や変化があるように見えるけれども、ほんとうは、ちょうど虚空というものと同じように、凡夫が見るような相対的で、固定した存在ではないということを見究めねばならないのです」と。  この「見究めねばならない」という一語に注意することが肝要です。「こうだよ」と断定的におっしゃらずに、「よく観察し見さだめなさい」とおっしゃっているのは、つまり菩薩たちに宿題を出されたのです。一生懸命に考えさせてから、あとで妙法蓮華経の説法でわかりやすく説いて聞かせようというみ心なのです。宿題であり、伏線でもあるわけです。  ですから、現代の菩薩であるあなた方も、いますぐにはわからなくていいから、とにかく懸命に考えてください。考えずにただ教えを聞くのを声聞(しょうもん)といいますが、それではほんとうの悟りに達することはできません。考えて考え抜いたあげく、「こうだ」と教えられると「なるほど!」と、打てば響くようにわかり、ほんとうの菩薩行の実践ができるようになるのです。 なぜガタピシが起こるのか  さて、前述のお言葉に続いて、こうお説きになります。  「ところが多くの人々はこの真理を知らず、目の前にあらわれた現象だけを見て、此(こ)れは此れ、彼(あ)れは彼れ、これは得、これは損と、わがまま勝手な計算をして、そのために不善の心を起こし、さまざまな悪い行為をし、地獄(怒りの世界)・餓鬼(欲求不満の世界)・畜生(本能のみに振り回される世界)・修羅(闘争の世界)・人間(凡夫の世界)・天上(仮の喜びの世界)という六道をグルグル回り、いろいろな苦しみを受けるばかりで、いつまでたっても自分だけではほんとうの平安な世界に到達することができないのです」と。  まさにそのとおりですね。人間みんなはもともと仏の子なのだという真実を悟らずに、だれもかれもを他人だと見ることから、争いも起これば苦しみも生ずるのです。  この一節の初めの部分の原文は「是(こ)れは此(し)、是は彼(ひ)、是は得、是は失と横計して」とあります。この彼と此に注目してください。よく、建具などの具合のわるいのを「ガタピシする」と言います。また、人間と人間や国と国との関係がしっくりいかないのも「ガタピシする」と言います。  このガは「我」であり、タは「他」であり、ピは「彼」であり、シは「此」です。我だ、他だ、彼だ、此だと差別の眼で見るからお互いの関係がガタピシするようになるというのであって、ガタピシ(我他彼此)というのは仏教のそういう教えから出た言葉なのです。たいへん意味の深い言葉ですから、ついでによく記憶しておいて頂きたいと思います。 ...

法華三部経の要点7

注意深い観察のすすめ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇7 立正佼成会会長 庭野日敬 注意深い観察のすすめ かくすれば、かくなる  無量義経とは深く考えさせるお経だと前回に述べましたが、考えさせる宿題はなおも続きます。  「法の相(そう)是(かく)の如(ごと)くして、是の如き法を生ず。法の相是の如くして、是の如き法を住す。法の相是の如くして、是の如き法を異(い)す。法の相是の如くして、是の如き法を滅す。法の相是の如くして、能(よ)く悪法を生ず。法の相是の如くして、能く善法を生ず」  この「法」というのは「ものごと」という意味です。この一節のあらましの意味は、「ものごとの現在のあり方を見て、それがどう変化していくかを考えてごらん。どうすればどんな変化が起こるか、どうすれば悪い結果が出るか、善い結果が出るか、そこのところをよく観察し、考究してごらん」ということなのです。  この宿題が、妙法蓮華経方便品の「十如是」の法門につながり、天台大師の「一念三千」にもつながり、また、わたしがいつも言う「法華経とは、かくすればかくなる(こうすればこうなる)という教えだ」ということにもつながっているのです。だから、無量義経を読む段階でよく観察し、考えておきなさい、そうすればあとで「そうだッ」とはっきりわかるのですよ……というわけなのです。 注意力を集中せよ  そのすぐあとに、これまた重大な言葉があります。  「次に復(また)諦(あきら)かに一切の諸法は念念に住せず、新新に生滅すと観じ」という一節です。世の中のすべてのことがらは、一刻も元のままでいるものではなく、一瞬一瞬に生じかつ滅しているものだということをよく観察しなさい……というのです。  われわれがものごとをボンヤリ眺めていますと、それが一瞬一瞬に生滅しているようには見えません。しかし、真理に照らし合わせながら注意力を集中して観察しますと、それがよく見えてくるのです。  いま地球上の自然破壊や汚染が重大問題となっています。しかし、日々の生活をただ惰性的にやっていますと、その実態がピンときません。だから、相変わらず強い農薬を施したり、中性洗剤を使ったり、排ガスを撒(ま)き散らしたりしています。「これくらいなら……」とか「私一人が使ったくらい……」といった考えからです。  しかし、こういったものごとというものは、ある限界に達したとき爆発的な結末をもたらすものなのです。人類を危機から救おうと世界の知性を集めて結成されたローマ・クラブが先年刊行した警告の書『成長の限界』(大来佐武郎監訳・ダイヤモンド社)に、つぎのような譬え話が述べられています。  「池の睡蓮が毎日二倍に殖えて、その成長をとどめられることがないとしたら、三十日で池を完全におおいつくして、水の中の生物を窒息死させてしまうそうだ。しかし、睡蓮は小さなものだと思っていたので、池の半分をおおうまでは刈り取ることをしないでいたとする。いつ、その日が来るだろうか。答えはもちろん二十九日目である。その池の生物を救うのには一日しか残されていないのである」  なるほど。二倍、三倍と殖えて三十日目に池いっぱいになるのなら、二十九日目には池の半分を睡蓮がおおっている。それを、「まだ半分水面が見えている」と思って安心していると、翌日はアッという間に睡蓮は池を覆いつくしてしまうのです。油断大敵です。  誠に「念念に住せず、新新に生滅す」なのです。この教訓は、あなたの商売のうえにも、健康維持のうえにも、また子育てのうえにも、そのまま役立つものと思います。活用してください。 ...

法華三部経の要点8

無量義とは一法より生ず

1 ...法華三部経の要点 ◇◇8 立正佼成会会長 庭野日敬 無量義とは一法より生ず 性欲無量だから説法無量  これまで「この世のすべてのものごとの変化のありさまをよく観察しなさい」と教えられてきましたが、ここで一転して、それを人々の説法のしかたに絞り「是(かく)の如(ごと)く観じ已(おわ)って、衆生の諸の根性欲に入る」とおおせられました。いよいよこの無量義経(もちろん後につづく妙法蓮華経も)の眼目である「人を救う」という本題に入るわけです。  根というのは「機根」のことで、その人が持っている根本的な能力のこと。性というのは性質。欲というのは欲望。この三つは人それぞれによって持ち前が違います。人を救うには、まずその持ち前を見究めよというわけです。そして、こうお説きになります。  「性欲(しょうよく)無量なるが故に、説法無量なり。説法無量なるが故に、義も亦(また)無量なり」  性質と欲望は人によって千差万別です。金銭を極度に欲する人、愛欲に溺(おぼ)れる人、名誉欲にかられている人、権勢には目のない人等々、数えあげればきりがありません。  いや、そのようにある欲求を極端に求める人もありますが、世の多くの人はそれらの欲求をおおむねいくらかずつ持ち合わせており、その持ち合わせ方の分量が人によって違うわけです。よくコーヒーなどでいろんな種類の品種を混ぜ合わせるのをブレンドするといいますが、人間の性質や欲望もそれと同じで、ごく普通の人でもさまざまな性質や欲望を自分なりにブレンドして持ち合わせているのです。  そのブレンドのありようがじつに千差万別なのです。ですから、人に仏法を説いて救いに導くには、その人の性質や欲望のブレンドのありようをしっかりと見究めて、それに応じた教えを説かなければならない……というのが「性欲無量なるが故に、説法無量なり。説法無量なるが故に、義も亦無量なり」の意味なのです。  どうかすると、どんな人に対しても型にはまった同じような説き方をする人がありますが、それでは現実に人を救えるものではありません。われわれの教団では「会員即布教者」を旗印としていますから、この「性欲無量なるが故に、説法無量なり」という一句こそは、全会員が常に頭に刻み込んでおかねばならぬ金言なのであります。 久遠本仏の大いなる慈悲  この一句は人を導く現実的な手段を述べられたものですが、しかし、その手段の枝葉末節ばかりにとらわれていますと、つい小手先の導きに終わり、大事な根本を忘れてしまう恐れがあります。そこで、続いて、  「無量義とは一法より生ず。其(そ)の一法とは即ち無相なり、是の如き無相は、相なく、相ならず、相ならずして相なきを、名(なづ)けて実相とす」  とお説きになるのです。  それぞれの人の性質・欲望に応じてそれにふさわしい内容の法を説かなければならないのだけれども、その千差万別の説法の内容(無量義)も必ず宇宙の真理である一つの法にもとづくものでなければならない……というのです。  そのあとにつづく「其の一法とは即ち無相なり」に始まる実相ということはたいへん難しい教えですが、宗教的にわかりやすく言いますと、「この世の一切のものは、久遠本仏の大いなる慈悲によって生かされているのだ」ということになりましょう。  一人びとりは、現象面ではさまざまな姿・形・性質・欲望を持っているのだけれども、もとをただせば、久遠本仏の実の子という尊い存在だということです。別の言葉で言えば、みんな仏性をもっているのだということです。そのことをしっかりと胸の底におさめていてこそ、ほんとうの教化、ほんとうの救いができるというのです。 ...

法華三部経の要点9

真実の慈悲とは何か

1 ...法華三部経の要点 ◇◇9 立正佼成会会長 庭野日敬 真実の慈悲とは何か 仏の掌の外へは出られない  前回までに解説した無量義の説法の結論として、お釈迦さまは次のようにおおせられています。  「菩薩の皆さん。このような真実の相(すがた)を悟り、その悟りがすっかり身についてしまったときに起こる慈悲心というものは、はっきりした根拠の上に立った慈悲心でありますから、その働きは、必ず立派な結果となって現れるものです。すなわち、それぞれの境遇そのままで、多くの人々の苦しみを抜き去ってあげることができましょう。苦しみを抜き去ったら、そこで再び法を説いて、多くの人々に生きる喜びを与えることができましょう」と。  このお言葉の最初にある「このような真実の相」というのは、前回に述べたように「この世の一切のものは、久遠本仏の大いなる慈悲によって生かされているのだ」という真実を指すのです。  この真実を悟ることこそが最高の悟りなのです。考えてもごらんなさい。ひと握りの土、一匹の虫、一本の草、ひと片(ひら)の雲、一人の人間、どれとして久遠本仏の大いなる慈悲に生かされていないものがありますか。そのような存在を想像できますか。できないでしょう。そのとおりなのです。  人間の知恵がいくら進んだからといって、この本仏の大いなる慈悲の埒外(らちがい)に出ることはできないのです。孫悟空がお釈迦さまの掌(てのひら)から飛び立って三千里も飛んで行き、違った世界へ出たと思って着地してみたところ、やはりお釈迦さまの掌の上だった……という説話は、この真実を如実に物語っているのです。 共に生かされている一体感  では、そのような悟りに達したとき、われわれの心にどんな変化が起こるのでしょうか。一言にしていえば、「この世のすべてのものは自分と同じように仏に生かされているのだ」という思いが、切々として胸にわいてくるのです。あの人も、この人も、自分と同じように本仏に生かされている兄弟姉妹だ……という思いです。あの虫も、この草も、自分と同じように仏性をもっている同胞だ……という思いです。切実な一体感です。  そのような一体感が心の底に定着すればどうなるか。例えば苦しんでいる人を見れば、我を忘れて「ああ、なんとかしてあげたい」という思いがおのずからわいてくるのです。それがほんとうの慈悲心というものなのです。本仏の大慈悲に直結する真実の慈悲なのです。原文に「是(かく)の如(ごと)き真実の相に安住し已(おわ)って、発する所の慈悲、明諦(みょうたい)にして虚しからず。衆生の所に於(おい)て、真に能(よ)く苦を抜く」とあるのは、そこのところを言っているのです。    ロシアの文豪ツルゲーネフが、朝早く散歩に出ると、一人の男が近づいてきて、「どうぞお恵みを」と手を差し出しました。ブラリと出た散歩だったので、あいにくお金を持っていなかったツルゲーネフは「許してくれ。わたしは今お金を持っていない。今わたしにできるのはこれだけだ」と言って、その男の手をしっかりと握ったのです。そして「からだに気をつけなさい。そして、早く何か仕事をみつけて働くことですよ」と励ましました。その男は感激して、「だんなの握手が何よりのお恵みです。これからしっかり働きます」とはっきり誓って立ち去ったということです。  これこそが真の慈悲というものです。思わず手を握って励まさずにはおられなかった……そこに大きな一体感があったのです。だからこそ、そのたった一つの行動が相手にほんとうの幸せをもたらしたのです。 ...

法華三部経の要点10

四十余年には未だ真実を顕さず

1 ...法華三部経の要点 ◇◇10 立正佼成会会長 庭野日敬 四十余年には未だ真実を顕さず 究極の真理は妙法蓮華経に  無量義経・説法品の中にどうしても見落としてはならぬ要点があります。それは……  「諸の衆生の性欲(しょうよく)不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕(あらわ)さず」  とある、この一節の末尾の一句です。「人々の性質や欲望が千差万別であるから、これまでは方便(その人の機根に応じた適切な手段)によってさまざまな説き方をしてきた。それで、この四十年余りの間には、究極の真理をすっかり説き明かすことがなかったのである」とのおおせです。  古来、この「四十余年には云々」の一句が、無量義経が妙法蓮華経の開経であることを決定するポイントの一つとされてきました。と同時に、妙法蓮華経が法の真実の奥の奥(究極の真理)を顕されたお経であることの文証となる重大な一句なのです。 「真実」と「事実」との違い  それならば、これまでお釈迦さまは真実でないことをお説きになったのかといえば、決してそうではありません。  たいていの人が「真実」と「事実」を混同しているようですから、この機会にその違いをハッキリさせておきましょう。  「事実」というのは、現象のうえに現れた客観的なものごとを言います。前回にツルゲーネフがもの乞(ご)いをする男の手を握った話を書きましたが、その「手を握った」ということが「事実」なのです。  それに対して、「真実」というのは、仏法で言えば「究極の真理」のことであり、人間に即して言えば、その人の心の本質である「誠(まこと)」です。「真心(まごころ)」です。  こういった「真実」は目に見えないものですので、心ない人はそれを悟ることができません。たとえば、ツルゲーネフがもの乞いの男と握手したその場を通りかかったある人が「あの汚い手を握るなんて……」と思ったかもしれません。ひとの心の中の「誠」が見えないからです。  もう一つ例を挙げましょう。お釈迦さまがこんな話をなさったことがあります。  ――ヒマラヤの山中に寒苦鳥(かんくちょう)という鳥がいる。夜はひどく寒いので、雌の鳥は一晩じゅう「寒苦必死(かんくひっし=寒くて死にそうだ)」と鳴き続ける。雄の鳥はそれに応じて「夜明造巣(やみょうぞうか=夜が明けたら巣を造ろう)」と鳴き続ける。しかし、夜が明け日が差して暖かになると、ついノンビリして巣を造ることを忘れてしまう。そうしてまた夜を迎えると「寒苦必死」「夜明造巣」と鳴き続けるのだ――。  これはお釈迦さま得意の譬え話で「事実」ではありません。しかしわれわれはこの話を聞くと、われわれ凡夫の人生に対する態度をつくづくと反省させられます。そうさせるものが、フィクション(物語)の中にある「真実」なのです。  お釈迦さまは、これまでの四十余年間、このような巧みな方便を用いて現実に人々を救ってこられました。舎利弗のような高弟たちも、まだ法の真実のすべてを受け入れるだけの機根が熟していなかったので、お釈迦さまは――説いてもムダであろう、かえって迷いを深めるかもしれない――とお考えになって、さし控えておいでになったのです。  ところが、妙法蓮華経の方便品で、「法を聞いて実践すれば、だれもが私と同じになれる。すべての人を成仏させるために、方便力でもって法を説いてきたのだ」と述べられ、仏の本願をお説きになったので、まず舎利弗が悟りを開き大歓喜したのです。そして寿量品に至ってさらに深遠な真実を悟ることになるのです。  「四十余年には未だ真実を顕さず」にはこのような重大な意味があるわけです。 ...

法華三部経の要点11

義異なるが故に解異なり

1 ...法華三部経の要点 ◇◇11 立正佼成会会長 庭野日敬 義異なるが故に解異なり 「空」は積極的に解するもの  無量義経の説法品には、妙法蓮華経以前のお釈迦さまの説法についていろいろと解説されています。「初説・中説・後説、文辞は是(こ)れ一なれども而(しか)も義別異なり。義異なるが故に衆生の解(げ)異なり。解異なるが故に得法・得果・得道亦(また)異なり」という一節もその重要な一つです。  すなわち――これまで「空」とか「十二因縁」とか「六波羅蜜」などを繰り返し説いてきたが、説く言葉(文辞)は同じでも、初めて説いたときと、中ごろと、今ここに説くのとでは意味・内容に開きがあるのだ。そのために人々の受け取り方に違いが生じ、したがって、得た悟りにもおのずから違いがあるのだ――とのおおせなのです。  このことは、われわれがお導きをするに際しても重要なことですから、よく心得ておきたいものです。例えば、「空」の教えには、「この世の現象はすべて仮の現れであって、実体はないのだ」という意味(義)があります。これをうっかり否定的なムードで聞いてしまうと、仙人のような生活や悟りを追求する人にだけ通用するような「義」となってしまうこともありましょう。  したがって、普通の生活をしている人がこの「義」にとらわれると、ひどい虚無感に陥ってとんでもないことにもなりかねません。  しかし、この「空」の義を、「空であるすべての現象はある原因(因)にある条件(縁)が合致してあらわれたものである」と肯定的に正しく受け取りますと、「どのようなことに対しても、自分がよい縁となれば、ものごとをよい方向へ変えることができるのだ」という積極的な気持ちが生じ、勇気りんりんたるものを覚えるでしょう。あとで説かれる妙法蓮華経は、こうした積極的な受け取り方を教えているのです。 不殺生戒の現代的な「解」  また、例えば五戒の第一である不殺生戒にしても、その「義」には広狭の大きな開きがあります。いちばん狭い「義」は、あらゆる生きものを殺してはならぬということです。提婆達多はこの義にこだわり、戒律の改革案をお釈迦さまにつきつけ「比丘は魚や肉を食べてはならぬ」という規則をつくられるよう迫りました。  ところが、大自然の姿を透徹した眼で眺めてみますと、いわゆる食物連鎖という冷厳な事実があります。タカが小鳥を食べ、小鳥は昆虫を食べ、昆虫は植物の葉を食べますが、その代わりそれらの動物たちは自らの死骸によって土壌を肥やし植物を育てるという恩返しをします。そのような連鎖関係によってすべての生態系がバランスを保っているのです。  お釈迦さまはこのような大自然の姿を徹見しておられたのでしょう。比丘たちにも、自分で魚や肉を捕って食べることは禁じられましたが、托鉢などで出されたときなどはありがたく受け取り、食べてよいと定められていました。もちろん、提婆改革案など一蹴(いっしゅう)されたのです。  さて、二十世紀末のわれわれはこの不殺生戒をどのような義に解せばいいのでしょうか。「戦争をしてはならぬ」というのが第一義であることは言うまでもありません。もう一つ大切なのは「物の殺生をつつしめ」ということだろうと思います。地球の限りある資源を人間はあまりにもほしいままに浪費しつつあります。便利で安逸な生活をしたいという欲望を限りなく肥大させ、そのために「物のいのち」をムダに殺生しつつあるのです。少欲知足の生活における物の消費は、前に申した大きな連鎖の一環になるのですが、ムダな消費は全体のバランスを崩し、自然を汚染・破壊する自殺行為となります。  このように、経典の文辞はその「義」を時代に応じて柔軟に解せねばならないのです。 ...

法華三部経の要点12

教えは実践にこそ生きる

1 ...法華三部経の要点 ◇◇12 立正佼成会会長 庭野日敬 教えは実践にこそ生きる 究極の慈悲心とは  それでは無量義経の十功徳品に移りましょう。この品の第一の要点は、大荘厳菩薩が「この教えはいったいどこから出てきたものでございましょうか。そしてどういう目的へ向かって行くものでございましょうか。また、この教えの住みつく所はどこでございましょうか」とお尋ねしたのに対して、お釈迦さまは、  「善男子、是(こ)の経は、本(もと)諸仏の室宅の中より来り、去つて一切衆生の発菩提心に至り、諸の菩薩所行の処に住す」  とお答えになっているところです。  これは、無量義経の「本質」と「目的」と「目的の完成」とを短い文句の中に言い尽くされた重大なポイントであります。  「本諸仏の室宅の中より来り」というのは、この教えは諸仏のお住まいになっているお部屋から出たものであるというのですから、つまり諸仏の大慈悲心からほとばしり出たものであるということです。  慈悲心にも広狭深浅いろいろあります。例えば、飢えに苦しんでいる開発途上国の人々に食糧を送ってあげるのも慈悲心です。その人たちに農業技術を教え、食糧自給の道を開いてあげるのはより深い慈悲心です。さらに、海外協力隊員が実践しているように、現地の人々と生活を共にしながら「自立の精神」を育てていこうとするのはもっと広大な慈悲心といえましょう。  身近な例をあげれば、子供が転んだとき「かわいそうに……」と助け起こすのは小さな慈悲心であり、「坊やは強いからひとりで立てるよ」と励まして手を貸さないのは大きい慈悲心ともいえましょう。  では仏さまの大慈悲心とはどんなものかといいますと、「この世のあらゆる存在をあるがままに生かしてやりたい」というみ心であり、これが究極の慈悲心なのです。これを現代風に表現しますと、「ありとあらゆる存在に、その本来の存在価値を十分に発揮させたいというのが仏の大慈悲心なのである」ということになります。  「成仏」という言葉がありますが、その最も広い意味は「それぞれの持つ存在価値と使命を百パーセント完遂する」ということです。これは、人間のみに限らず、あらゆる生物・無生物にも通ずる真実であり、「草木国土悉皆成仏」という言葉がそのことを端的に言い表しています。そして、それこそが無量義経の「本質」であるというわけです。 現実に人を救ってこそ  次の「一切衆生の発菩提心に至り」ですが、菩提心というのを『仏教語大辞典』で引いてみますと、「さとりを求めて仏道を行おうとする心」とあります。そういう心を起こすのが発菩提心ですから、すべての人々にそのような心を起こさせるのが無量義経の「目的」だというのです。  次の、この教えはどこに住するかというのは、「この教えは、どこにおれば最も真価を発揮するか」ということです。  その場所は、お寺の中でもありません。書物の中でもありません。頭脳の中でもありません。人を救うという菩薩行の中にこそそれがあるのだ……と説いてあるのです。現実に人を救わなければ、仏法も絵に描いたモチに過ぎないからです。ですから、菩薩行の実践こそが無量義経の「目的完成」の道だというわけです。  この三ヵ条はたんに無量義経のみならず、次に説かれる妙法蓮華経の、いやあらゆる大乗仏教典の「本質」と「目的」と「目的の完成」を述べ尽くしたものと知るべきでありましょう。 ...

法華三部経の要点13

煩悩もよい方向に生かせば

1 ...法華三部経の要点 ◇◇13 立正佼成会会長 庭野日敬 煩悩もよい方向に生かせば 宇宙の理法に従っておれば  無量義経の十功徳品に、次のような重要な一句があります。  「煩悩ありと雖も煩悩なきが如く、生死に出入すれども怖畏の想なけん」  煩悩というものは人間の生存本能からわき出てくる、いわば本能的な欲望というものであって、生身(なまみ)の人間としては避け難いものであります。お釈迦さまが「煩悩を滅せよ」とお説きになったのは比丘・比丘尼に対してであって、そうした出家修行者は阿羅漢という聖者の域に達するのをまずもっての目的として修行しているのですから、そうした本能的な欲望からも超脱する必要があったわけです。  しかし、在俗の信者たちには「煩悩が起こるがままにしておれば、それはいくらでも増大して身を誤るもとになるから、ほどほどに抑制しなければならぬ」と説かれたのでした。あくまでも「中道」を教えられたのです。「調和」を教えられたのです。「バランス」こそが平安への道であると教えられたのです。  ところが、この無量義経においては、「このお経の説く真実を悟れば、煩悩があっても煩悩がないのと同じような心境に達し、人生のどんな変化(生死)に遭っても動揺することがない」と説かれています。  つまり、宇宙の理法に素直に従って生きておれば、煩悩があってもそれが気にならなくなり、どんな逆境にあっても挫折することなく、いつも前向きの姿勢で暮らしていける……というわけでしょう。 「平等」と「バランス」  では、その「宇宙の理法」とはどんなものでしょうか。いろいろな見方がありましょうけれども、次の二つに要約できると思います。  第一に「この宇宙には千差万別の存在があるが、すべてがそれ自身の存在価値を持っているのだ」ということです。仏教的にいえば、「すべてが久遠の本仏すなわち宇宙の大生命の分身であり、本質的には平等な尊い存在である」ということです。  第二は「それらの千差万別の存在が一つの大きな調和を保ち、バランス(つりあい)をとることによってこの宇宙は成り立っている」ということです。仏法的にいえば「諸法無我」ということです。  この二つの理法をしっかりと胸におさめておれば、現実の生活のうえでさまざまな苦悩や異変につき当たっても、「このマイナスの裏には必ずプラスがあるのだ」というバランスの理を思い出し、そこから新しい世界が開けてくるはずです。  戦後の洋画界に新しい分野を開いたとして名声の高かった林武画伯は、まだ若い画学生のころ石こう像のデッサンをしながら、「自分には石こう像の前半分しか見えない。背後に見えない半面がある」という考えがひらめいたそうです。その考えをつきつめた結果、この世界はすべて明と暗、陰と陽、プラスとマイナスといった相反するもののつりあいによって成り立っていることを悟り、それが後半生の素晴らしい画業となって結実したのだそうです。  また、このあいだ「朝日賞」を受賞した映画評論家の淀川長治さんは、子供のころから体も弱く、勉強もできず、体操は絶対ダメ、何の取りえもない存在だったと自ら告白しています。しかし、好きでたまらなかった映画に打ち込んだ結果、世のすべての人に愛されるあの「サヨナラ、サヨサラ」の淀川さんとなったわけです。  このように、すべての人に、表面の姿はともあれ、その本質においては平等な存在価値があるのです。表面がマイナスであっても、裏面には必ずプラスの世界があるのです。それによってこの世はバランスがとれているのです。  そのことを悟れば、煩悩があってもかえってそれを活用することができ、また、逆境にあってもその裏にあるプラスを見つけ出すことができ、つねに勇気と希望に満ちた人生を送ることができましょう。 ...