経典のことば(8)
立正佼成会会長 庭野日敬
善男子よ、もろもろの善知識に親近(しんごん)し供養するは是れ一切智を具する最初の因縁なり。このゆえに、此に於て疲厭(ひえん)を生ずるなかれ。
(華厳経・入法界品39・3)
五十三人に教えを聞く
華厳経はお釈迦さまが菩提樹下で悟られた悟りの内容をつぶさにえがき出したお経です。お釈迦さまご自身は何も発言なさらず、多くの菩薩たちがつぎつぎに仏の世界の素晴らしさを語るのですが、つまりは、この大宇宙はビルシャナ仏(光の仏)が透き間もなく遍満しておられる光明世界だということになるのです。
しかし、初めのほうはじつに難解で、その説法の座につらなっていた智慧第一の舎利弗や神通第一の目連でさえポカンとするばかりだったと伝えられています。ですから、後世のわれわれにとって親しみやすいのは、後段の入法界品(にゅうほっかいぼん)だという人もおります。
この品は、大富豪の子である善財という少年が、一切智(すべてのものごとの真実を知る智慧)を求めようという志を起こし、文殊菩薩の指導によって四方八方に旅をし、さまざまな人に教えを受ける話です。
ここにかかげたのは、その文殊菩薩の教えの一節で、「一切智を得ようとするならば、何よりもまずさまざまな人生の先達(せんだつ)たちに近づき、尊敬のまことをささげ(その教えを受け)ることである。けっしてそのことを面倒に思ったり、途中で投げ出してはならない」というのです。
善財童子はそのことばを忠実に守り、諸国を旅して、じつに五十三人の人に教えを受けるのですが、その中には仏教以外の修行者もあり、仙人(超能力者)もあり、医者もあり、船大工もあり、自分より年下の少年少女もあったのです。その求道心の熱烈さには驚嘆せざるをえません。
話はそれますが、わが国の東海道五十三次というのは、この五十三人という数から出たものだといわれています。苦労の旅を重ねながら五十三の宿場を過ぎ、ついに目的の京の都に達する……というわけでありましょう。
自分以外の人はみな師
この善財童子の求道遍歴についてとりわけ教えられることは、相手が仏教者とは限らず、どんな人の話にも耳を傾け、その中から自分の魂の修行にプラスするものを吸収していった心の柔軟さです。姿勢の謙虚さです。
それにつけて思い出されるのは、作家の吉川英治さんの「自分以外の人はみんなわが師である」「大衆即大知識」ということばです。吉川さんは家運が傾いたために小学校を中退し、印章店の小僧、横浜税務監督局の給仕、雑貨商の店員、横浜ドックの船具工など、さまざまな職業を転々としました。
善財少年が一切智を求めて遍歴したのに対して、吉川少年は家計を助けるためにより多くの収入を求めて職業を転々としたわけですが、しかし、そうした遍歴の中においても、主人や、上司や、同僚や、周囲の人びとの言行の中から、魂の糧(かて)となるものを貪婪(どんらん)に吸収していったことは、前述の二つのことばからも推し量ることができます。
それが『宮本武蔵』や『新書太閤記』などの名作にしらずしらずの間に注ぎ込まれたのでしょう。それが日本中の庶民大衆の絶大な共感を呼んだ秘密だと思われるのです。
文殊菩薩の「もろもろの善知識に親近し」ということばは、裏返していえば「めぐりあう人の中に善知識を発見せよ」ということでありましょう。わたしども、どんな地位にあろうとも、どんなに年を取っていようとも、一生そのような心構えでいたいものです。
題字と絵 難波淳郎