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経典のことば65

観音妙智の力 能く世間の苦を救う (法華経・観世音菩薩普門品)

1 ...経典のことば(65) 立正佼成会会長 庭野日敬 観音妙智の力 能く世間の苦を救う (法華経・観世音菩薩普門品) 隠された子供の声を聞け  近ごろは、中学校でのイジメがますますひどくなり、自殺する子が次々に出ています。本当に痛ましいことです。  それにはいろいろな原因が考えられますが、ひとつには「教師なり父母なりが子供たちをしっかりと見ていない」ということがあると思います。見るということは、すべての物事の基点となるものです。お釈迦さまが説かれた「八正道」にしても、その最初に「正見」が据えられています。  見るということの一番初歩は、現象に現れた相(すがた)を見ることです。ところが、今の教師や父母たちはこの一番初歩の「見」を怠っているのではないでしょうか。子供たちの間に何が起こっているのか、自分の子供は何をしているのか。それさえもしっかり見ていないのではないでしょうか。  現象に現れたものをしっかりと見る努力をすれば、現象の中に隠された微妙なサインも見えてくるようになります。この子は何かに悩んでいるな、何かを訴えようとしているな、ということが見えてくるようになります。教師や父母の眼がそこまで達すれば、事態はずいぶん変わってくるのではないでしょうか。  観世音菩薩は、世間の音を観る菩薩、現象の奥に隠された心の声までも見て取る妙智を持っているお方です。そのような観世音菩薩のものの見方を習うことが、今の教育の危機を救う出発点になるものと思うのです。 心情を養う教育を  さらに大切なのは、標記のことばのあとにある「真観・清浄観・広大智慧観・悲観及び慈観あり」の五観です。とりわけ現在の教育に欠けている最大のものは、悲観であり、慈観であると思います。悲観というのは、子供たちを苦しみから救ってやらねばならぬという切々たる願いです。慈観というのは子供たちに本当の幸せをもたらしてやりたいという情熱です。理屈より何よりこうした心情こそが人を動かし、人間性をつくるのです。  以前に読んだことですが、イギリスの物理学者ファラデーが、ある日、学生たちに一本の試験管を見せて「この中に何が入っていると思うか」と尋ねました。そこにはホンの一粒ほどの透明な液体が入っていました。だれにもわかりません。  ファラデーは、こう語るのでした。「じつはさっき、ある学生の母親が来て、苦しい事情を泣きながら訴えられた。この試験管の中のものは、その母親の流した涙なのだ」。そして、さらに語をついで、「科学を学ぶ諸君は、この涙を分析すれば水分とわずかな塩分であることを知っているだろう。しかし、その涙の中には、科学では絶対に分析することのできない、尊い、深い愛情がこもっているのだ。諸君は、ただ学問を学ぶだけではなく、この尊いものを忘れてはいけないのだよ」と諭したということです。  今の日本の教育は目先の利益につながる知恵一点張りで、妙智がない。そのうえ、悲観もなければ慈観もない。ファラデーが強調した尊いものがない。だから子供たちは人間らしい心情からだんだん遠ざかっていくのです。  今、イジメが深刻になっているのは、ここがポイントの切り替え時だぞ……という啓示だと思います。今こそみんなが本当の智慧(妙智)と慈悲観に立ち戻る時だぞという天の警告だと思います。この警告に従わなければ、どんなに物質的に豊かになろうと、社会は崩壊してしまうでしょう。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば66

観世音浄聖は 苦悩死厄に於て 能く為に依怙と作(な)れり (法華経・観世音菩薩普門品)

1 ...経典のことば(66) 立正佼成会会長 庭野日敬 観世音浄聖は 苦悩死厄に於て 能く為に依怙と作(な)れり (法華経・観世音菩薩普門品) 現実の救いともなる  依怙(えこ)というのは、「たよりになるもの」という意味です。観世音菩薩は、人間が日常生活のうえでさまざまな苦悩に陥った時ばかりでなく、死に瀕するような災厄に直面した場合でさえ、心の頼りとなるお方だ……という意味です。  お釈迦さまが「一切皆苦」とお説きになったように、人生に苦はつきものです。とりわけ、老いること、そして死に至ること、これは避けようとしても避けられない絶対の宿命です。しかし、観世音菩薩を念じ、その名を唱え、それと一体となるほどの信仰を持てば、どんな苦に遭ってもそれが苦にならない、そこに救いがあるのだ……というのが唯心的な解釈でしょう。  ところが、苦を苦としなくなるとそのために気力が充実し、新しい希望がわき起こり、現実の苦の状況を克服することも大いにありうるのであって、こうした実例は多々あります。その最も顕著な例を紹介しましょう。 普門示現の真意ここに  ユダヤ人の心理学者ビクトル・フランクル博士は、第二次大戦中、あの悪名高いアウシュビッツの強制収容所に入れられ、ろくろく食べ物も与えられず、苛酷な重労働を強(し)いられていました。みんなひどい栄養失調で、次々にバタバタ倒れ、役に立たなくなると容赦なくガス室に送られて殺されました。まさにこの世の地獄でした。  博士も同じ運命を覚悟していましたが、ある時、最愛の妻への思いが強く浮かび上がりました。――自分がナチに捕えられたあと妻はどうしているのだろうか。きっとどこかでやはり苦しい目に遭っていることだろう――そう思った時、――よし、どうせ死ぬのだったら、妻のために、妻の苦しみを代わって受けることにしよう――という決意が胸につき上げてきたのです。  そう思い定めると、不思議なことに、自分でも驚くほどの生きる力がわいてきたのです。そして、どんな虐待にも堪えられるようになったばかりでなく、周りの人たちをも元気づけ、勇気を持たせるようになりました。そして、ついに戦争が終わるまで生きのびることができたのでした。  後に博士は、当時のことを思い出し、どこにいるかわからない妻の存在がどれほど心の支えになったかをつくづく述懐し、「人間がだれかを心から愛し、全く自己を無にしてしまうと、素晴らしい力がわいてくるものだ。しかもその相手は、時間的にも空間的にも全くかけ離れていようと、その効果は同じだ」と、自分の体験に基づいて論断したということです。  これは一心理学者の説というよりも、むしろ宗教的境地と言っていいでしょう。仏教の説くところと全く一致していると思います。  ともあれ、この場合の博士にとっては、妻が、そして自分自身が観世音菩薩だったのです。観世音菩薩の徳は大別して二つあるとされています。一つは大悲代受苦(だいひだいじゅく=大慈悲の心をもってひとの苦しみを代わりに引き受ける)であり、一つは施無畏(せむい=恐れのない心を施す)です。観世音菩薩は、まさしく博士の心の中におられたのです。後でわかったことですが、奥さんは同じ収容所の中ですでに死んでおられたのでした。しかし、その奥さんの代わりになろうと思った博士の心が観世音菩薩にほかならなかった……といえましょう。  つまり、心に慈悲さえ持てば、観世音菩薩はどこにもおられるのです。それが普門示現の真意ではないでしょうか。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば67

忍辱の地に住し、柔和善順にして卒暴ならず、心また驚かず (法華経・安楽行品)

1 ...経典のことば(67) 立正佼成会会長 庭野日敬 忍辱の地に住し、柔和善順にして卒暴ならず、心また驚かず (法華経・安楽行品) 柔軟心のすすめ  現代語に訳せば、「いつも忍辱の境地におり、柔和な心をもち、我を張らずに真理に従い、身のふるまいに落ち着きがあり、どんなことがあっても驚いたり、慌てふためいたりしないことである」ということであり、菩薩はこうあるべきだというお諭(さと)しです。  とくにこの前半が大切だと思います。忍辱というのは、たんに苦難に対して忍耐強いというばかりでなく、物事がうまくいっている場合も驕(おご)ることのない心境をもいうのです。ということは、本当の意味で自己を確立していることです。  この「自己の確立」ということが、ともすれば誤解を招きやすいもので、うっかりすると「我を張る」ことにつながりやすいのです。ほんとうの自己というのは、仏のおん命に生かされている自分、宇宙の真理に従って生きている自分……でなくてはなりません。  ですから、これまで真理だと思いこんでいたものがそうではないとわかったとき、あるいは、これが真理だという新しい発見をしたとき、従来のゆきがかりに執らわれることなく、面子(メンツ)にこだわることなく、真理の道に従うのが、本当に価値ある人間であり、価値あるものをつくり出すことのできる人間だ……ということになります。これが「柔和善順」です。  仏法では、こういう意味の柔らかな心を何よりも重視しており、法華経はとくにそれを強調しています。寿量品にも「質直にして意柔輭に」とあります。道元禅師が宋の国に渡って五年の間、血の出るような勉学と修行をして帰国したとき、ある人が「宋の国で何を学んで来られましたか」と尋ねたところ、道元禅師はただ一言「柔軟心を学んできた」と答えたそうです。 柔軟心はチャンスをつかむ  今の世の中にも、この柔軟心を欠く人や、団体や、国家がたくさんあります。ある主義を、ある時期に「これが正しい」と認め、信じ、その主義にのっとって行動した。そこまではよかったのですが、月日がたつに従ってその主義に重大な欠陥があることがわかっても、なおかつそれにかじりついている団体や国家があり、そういう存在が、結局は自らも繁栄することなく、他にも迷惑をかけつづけていることを、皆さんはよくご存じのことでしょう。  ところが、もっと自由自在な存在であるべき個人にも、そういう心の固い人がよくあります。そして自分で自分をがんじがらめに縛っているのです。そんな人を見ると早く目覚めてほしいと願われてなりません。  帝政ロシアの文豪、アントン・チェーホフは、若いころ興味本位のユーモア小説を書きまくって流行作家になっていました。それまで貧しい生活をしていた一家を、二十歳を少し過ぎたばかりの身で、豊かに暮らせるようにしました。  ところが、当時の文壇の長老格だった人から手紙が来て、「あなたの作品にはただおもしろさだけを狙って内容の空疎なものがある。才能を浪費せぬよう自重されたい」と忠告されました。チェーホフはそれを素直に受け、一転して人の心を、世の中を、深く深くみつめるようになりました。  そして、百年たった今日でも盛んに上演されている『桜の園』『三人姉妹』などの名作を残したのでした。もし彼に柔軟心がなかったら、おそらく一時の流行作家で終わったことでしょう。  柔軟心は、たんに真理を把握させるばかりでなく、実人生の上でもチャンスをものにさせる貴重な宝だと知るべきでしょう。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば68

煩悩ありと雖(いえど)も煩悩なきが如く、生死に出入すれども怖畏の想(おもい)なけん (無量義経・十功徳品)

1 ...経典のことば(68) 立正佼成会会長 庭野日敬 煩悩ありと雖(いえど)も煩悩なきが如く、生死に出入すれども怖畏の想(おもい)なけん (無量義経・十功徳品) 猛虎と対決した二人の達人  沢庵禅師は三代将軍家光の厚い帰依を受けていましたが、あるとき江戸城に将軍を訪れますと、ちょうど朝鮮から巨大な虎が贈られてきたばかりで、城中城外の大評判になっていました。  家光は庭先に据えた虎の檻を禅師にも見せて得意になっていましたが、そのうち、傍らに控えていた柳生但馬守に「柳生、あの虎の檻に入ってみよ」と言い出しました。将軍の剣道指南役として一万石を頂いている身として、猛虎が怖いというわけにもいかず、「ハッ」と答えて檻に近づきました。  但馬守は、袴のもも立ちを高く取り、決死の形相で檻の中へ入って行きますと、虎はウォーと唸り声を発し、らんらんたる眼を光らせ、まさに飛びかかろうとする勢い。但馬守は短刀を抜いてその切尖(きっさき)をピタリと虎のほうに向け、グッとにらみつけていますと、虎はしだいに畏縮の様子を見せ、座り込んでしまいました。但馬守は素早く檻の外へ飛び出し、面目をほどこしました。  家光は、こんどは禅師に「和尚、あの中へ入れるか」と言い出しました。禅師は、「お望みとあらば入ってみましょう」と答え、身に寸鉄を帯びず、ただ手首に数珠を巻いただけで、静かに檻の中に入って行きました。  そして、その手を虎の頭の上にのせ、さも「かわいい」といったふうになでてやりますと、虎は小猫のように目を細めて禅師の胸のあたりに頭をすり寄せていきました。  その様子には、家光も、近侍の者たちも、但馬守も、ただ感嘆するばかりだった……ということです。  これが日本一の剣豪と修行を積んだ仏教者との違いです。  威をもって屈せしめる人と、常に仏と一体となり得る人との違いです。よくよく味わうべき逸話だと思います。 仏さまにお任せすれば  沢庵禅師も、人間であるかぎり、猛虎にたいする怖れは持っておられたでしょう。死を怖れるという煩悩は本能からわき上がってくるもので、どうしようもないものです。  しかし、禅師はおそらく心中に仏を念ずることによってその煩悩を一瞬に滅してしまわれたものと考えられます。そうなればもはや仏と一体になった境地なのですから「煩悩あれども煩悩なきが如く、生死に出入すれども怖畏の想なけん」だったに相違ありません。  また、そんな境地になったら、その全身から発する「気」は柔和そのものであり、慈悲そのものですから、猛虎も顔をすり寄せてきたのでありましょう。  標記のことばに、その前にある文章を補えば、「若し衆生あって是の経を聞くことを得て、若しは一転、若しは一偈乃至一句もせば、百千万億の義に通達し巳って、煩悩ありと雖も煩悩なきが如く……」となります。  「一偈乃至一句もせば」ということがたいへん味わい深いのです。無量義経およびその後に続く法華経全体に精通しなくてもいい、その核心である一句でもいいから、ほんとうに自分のものにしておればいいというのです。つまりは信心の深さです。仏さまの教えにたいする絶対の信です。そのような信があれば、人生行路の上でさまざまな苦難や障害にぶつかることがあっても、仏さまを念じ、仏さまにお任せして自分を無にできるので、何も怖くはなくなる、何も苦にならなくなる……というのです。  煩悩多き在家生活者にとって、じつにありがたい教えであると思います。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば69

未だ自ら度すること能わざれども、巳に能く彼を度せん (無量義経・十功徳品)

1 ...経典のことば(69) 立正佼成会会長 庭野日敬 未だ自ら度すること能わざれども、巳に能く彼を度せん (無量義経・十功徳品) 平凡な選手が名監督に  無量義経の中でこれがいちばん尊いことばだ……と言っても差し支えないでしょう。このお経のあとに説かれる法華経では、人を仏道に導く菩薩行を最高の美徳としていますが、自分はまだ悟ってもいないし、人を導くなんて……と思っている一般大衆にとって、これぐらい大きな励ましはないと思います。  「度する」というのは、救うということです。サンズイのある「渡」と同じ意味で、迷いの世界である此岸(しかん=こちらの岸)から、悟りの世界である彼岸(ひがん=向こう岸)へ渡らせるという意味です。  この一句を読むごとに思い出すのは、野球の監督やコーチに、現役時代にはパッとしなかった人がよくあることです。とくに高校野球の監督に多いようです。逆に、現役時代は名選手といわれた人が、監督としてはどうも思わしくない例が往々にしてあることはご存じのとおりです。  こういう現象はどこから起こるのでしょうか。名選手といわれた人には多分に天才的なところがあるのに対して、下積みだった人はいわば平均的な凡人だったのです。凡人だったからこそ、自分の欠点もよくわかり、その欠点を直そうと血の出るような苦労をした。すると、他の欠点も長所もよくわかるようになる。従って、監督やコーチとして、未熟な者を育てたり、チームをまとめたりする役目になったとき、その苦労の体験がモノをいうわけでしょう。 人の頭上のハエを追いつつ  かつてある本で読んだことですが、大酒飲みで酒代のために三人の子のふだん着まで質に入れ、二十年間に五十回も職を変えた人が、ある断酒会でついに酒をやめたという話です。  その人はまず、ためしに三日ほど酒をやめてみたところ、断酒会の仲間から「たいしたもんだ」と褒められ、褒められると悪い気がせず、さらに断酒を続けました。その会では、みんなが酒と自分との関係についてざっくばらんに話をします。ざっくばらんに自分を語るためには自分をみつめなければならない。その人と、自分の心をみつめることができるようになった。まだ酒への未練は十分残っている。飲みたくてたまらない。しかし、飾りけのない仲間たちを裏切ってまで飲むことはできない……とジッと我慢しつづけていました。  そのうちに、新しく入会してきた仲間たちのことを夢中で心配するようになり、なぜ酒をやめなければならないかを懸命に説得するようになりました。心の底から相手のことも思って話をするので、新しい入会者たちもつぎつぎに断酒の意志を固めていったのです。すると、後輩たちを説得することがそのまま自分自身を説得することになり、とうとう三年近く一滴も飲まずに過ごしたのです。  そのとき、その人が言ったことばが面白いのです。「てめえの頭の上のハエは人が追ってくれると思い、てめえは人さまの頭の上のハエを追っているうちに、つけ焼刃の意志力がホンモノになりかけているのかもしれません」。  これこそが、「未だ自らを度すること能わざれども、巳に能く彼を度せん」を地でいったスバラシイ見本だと思います。  わたしどもの会にも、ふつうのお年寄りですでに何百人もの人を仏道に導いた人がいます。まだ二十歳そこそこでたくさんの人を入会させた人もいます。要は、相手を救おうという熱意の問題、愛情の問題なのです。これが菩薩行の第一の条件だと知るべきでしょう。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば70

諸仏は五濁(じょく)の悪世に出でたもう。所謂(いわゆる)劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁なり (法華経・方便品)

1 ...経典のことば(70) 立正佼成会会長 庭野日敬 諸仏は五濁(じょく)の悪世に出でたもう。所謂(いわゆる)劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁なり (法華経・方便品) つねに新しい生命力を  この一句に説かれていることをつくづくと思い巡らしてみますと、二十世紀末の現在の世相に対する重大な警告が含まれていると思われてなりません。  劫濁(こうじょく)というのは、ある時代が長くつづいたときに起こる世の濁りです。人間の体も、年老いてくると動脈は硬化し筋肉の働きも鈍くなり、万事にハツラツさが欠けてきます。それと同じように世の中全体も、ともすれば惰性的になり形式主義的になり、目の前の仕事を無難に片づけていけばよいといった気風に墮してしまいがちです。  世の中全体ばかりでなく、一つの団体(特に政治団体)についても一つの事業体についても同様のことがいえます。そして、そうなると、その存在の生命力は衰えていかざるを得ません。  それを防ぐためには、本来の存立の精神は堅持しながらも、常に方便力を働かせて新しい血液を創り出し、または注入しなければなりません。標記のことばのすぐ後に「諸仏、方便力を以て、一仏乗に於て分別して三と説きたもう」とあるのを、実生活への応用課題として、このように受け取ってもいいと考えます。  煩悩濁というのは、人々の煩悩がますます盛んになるために起こる世の濁りです。大むかしは生活が単純でしたから、煩悩といっても生存欲と種族保存欲から出たものだけで、それも割合浅いものでした。  ところが、だんだん世の中が複雑になり、文明が進むにつれて、物質への執らわれが強くなり、それに権勢欲・名誉欲などが加わり、それらが度を越して貪欲となってしまうので、世の中がどうしようもなく濁ってくるのです。先ごろついに没落したフィリピンのマルコス政権などがいちばん顕著な例でしょう。 諸仏の代理として  衆生濁とは、個人主義による濁りです。それぞれの個人が自己の存在を主張し、大切にするのは当然のことですが、ともすれば全体を忘れて自分本位にばかり振る舞うようになりがちで、それがいつの間にか全体をそこなってしまうわけです。そういう時代にこそ「すべては一つ」という法華経の教えに立ち返らなければなりますまい。  見濁とは、モノの見方がそれぞれ違うために起こる世の乱れです。思想の自由が認められている時代でもあり、いろいろな見方があるのはいいことですが、末法の悪世においては邪見が横行して正見を圧倒してしまう傾向があるために、世の中が濁ってくるのです。例えば、道徳教育などは不要だという論がまかり通ったために、子供の世界にまでイジメや非行がはびこるようになったのは、目の前に見られる明らかな実例です。  命濁とは、人間の寿命が短くなるために起こる世の濁りということです。これは現在の先進諸国における平均寿命の延びから見ると反対の現象のように思われますが、アフリカや東南アジア諸国等の現状および人類全体の将来を考えますと、必ずしもそうとは言い切れません。ましてや第三次世界大戦でも起ころうものなら、核の冬の中に生き残った人々の寿命は、十年以下になりましょう。  このような五濁の悪世にこそ、このような危機をはらんだ時代にこそ、諸仏は出現されるというのです。二十世紀末の現在がちょうどその時ではないでしょうか。このとき、われわれが、手をこまねいて諸仏の出世を待ってばかりいては、かえって仏さまのみ心に反することになりましょう。仏さまの使いとして、代理として、不変の大真理である仏道を世に広めるためにあらゆる努力を尽くす、そのこと自体が「諸仏の出世」に当たるのではないでしょうか。よくよく考えるべきことだと思います。 =おわり= 題字と絵 難波淳郎...

仏教者のことば1

 日日是好日(にちにちこれこうにち)  雲門禅師・中国(碧巌録第六則)

1 ...仏教者のことば(1) 立正佼成会会長 庭野日敬  日日是好日(にちにちこれこうにち)  雲門禅師・中国(碧巌録第六則) 無限の生命を持つ名句  唐時代の名僧雲門禅師がある日、講堂に集まった弟子たちに言いました。  「十五日以前のことは問わない。十五日以後のことを一句で言ってみよ」  十五日以前というのは過去のことです。十五日以後というのは未来の意味です。つまりこの問いは「これから先のそなたたちの生きざまを、一言で言ってごらん」という意味です。  弟子たちは俊秀ぞろいでしたが、一句で言えとなるとなかなか答えが出てきません。みんな押し黙っていました。そこで雲門禅師はみんなに代わって答えを出しました。  「日日是好日」  来る日も来る日も好い日ばかり……というのです。禅の問答や文句には意味のつかみにくいものがたくさんありますが、これなどは例外中の例外で、だれにも分かりやすく、しかも鮮烈な印象を残す名句です。以来千年以上もたった今日でも、いや、これから時代がどう変わろうとも、「生命をもつことば」としてわれわれに無限の教訓と勇気を与えてくれるでしょう。  人間の心は、その場その場の状況によって左右されやすいもので、朝起きて天気がよければ「ああ気持のいい日だ」と感じ、雨がシトシト降っておれば「うっとうしいなあ」と思いがちです。今日はゴルフに行くのだという朝は心が浮き浮きし、税務署に出頭する日だなと思い出すと、とたんに気が重くなります。  そういう心のありようはまるで浮き草のようなものです。大地にしっかと根をおろしていない、頼りない生きざまです。それに対して「日日是好日」の悟りは、その場その場の感情やちっぽけな自己中心の考え方から一歩抜け出して、「自分はまぎれもなく宇宙の一片なのだ。宇宙の大いなる生命に生かされているのだ。だから今日を精いっぱい生きればそれでいいんだ」という、しっかりした人間観と自己認識の上に立つ心のありようなのです。これでこそ、毎日毎日が有り難くなるのです。 人生を変える座右の銘  ある駆け出しの記者が、気むずかしいことで有名な作家に執筆の依頼に行くことになりました。面会の約束を取りつけたその日があいにくの台風で、電車も止まり、タクシーも通りません。しかし、彼は重い気を取り直し、レーンコートをビショ濡れにさせながら、約束の時間どおり相手の邸の玄関に立ちました。すると、その作家は「こんな日によく来たね」と上機嫌で迎え、執筆の依頼も快く承知してくれました。これが「日日是好日」の生き方です。  人生にはいろいろなことがあります。得意の日もあれば挫折の夜もあります。病気をすることもありましょうし、災難に遭うこともありましょう。しかしどんな失意のときも、困難の日にも「これが人生なんだ」という悟りを持ち勇を鼓してその状況を乗り越えていけば、その人はひとまわりずつ大きくなっていくこと請け合いです。  中国の古典『大学』に出ていることですが、殷(いん)の湯王は、銅製の洗面器に「まことに日に新(あらた)にせば、日日新に、また日に新なり」と彫りつけ、毎朝顔を洗うごとに一日一日自分を新しく成長させていくことを、自身に言い聞かせたそうです。  それに見習って、あなたも、あるいは洗面所に、あるいは鏡の傍に「日日是好日」と書いた紙を貼りつけておかれたらどうでしょう。あるいは、一日中いつでも、フト思い出してはこの句を口に出して唱えるようにしたらどうでしょう。きっとあなたの人生を明るく変えるに違いないと思います。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば2

二種の衆生あり。来りて菩薩に向かい、一は恭敬供養(くぎょうくよう)し、二は瞋(いか)り罵(ののし)り打ち害す。そのとき菩薩はその心よく忍び、敬養(けいよう)の衆生を愛せず、加悪の衆生を瞋らず。  ナーガールジュナ・インド(大智度論一四・…

1 ...仏教者のことば(2) 立正佼成会会長 庭野日敬  二種の衆生あり。来りて菩薩に向かい、一は恭敬供養(くぎょうくよう)し、二は瞋(いか)り罵(ののし)り打ち害す。そのとき菩薩はその心よく忍び、敬養(けいよう)の衆生を愛せず、加悪の衆生を瞋らず。  ナーガールジュナ・インド(大智度論一四・二四) 忍辱の二つの意味  現代語に意訳しますと、こうなります。「自分を救い導こうとする菩薩に対する衆生の態度には、大別して二種類がある。一つはその菩薩を尊敬し、ていねいにもてなす。他の一つは、いらぬお世話だと怒り、悪口を言い、はなはだしきは打ったり傷つけたりする。そのとき菩薩は心を動揺させることなく、自分を敬い供養してくれる衆生に対しても得意になったり、特別な愛着を持ったりせず、また自分に悪感情をいだき、反発の行為を加える衆生に対しても怒ることがない」  ここで注目すべきは、前者の場合です。わたしが若いころ恩師新井助信先生に法華経の講義を聞いていたとき、「忍辱という教えには、外部から加えられる迫害を耐え忍ぶことと同時に、褒められたり敬われたりしても有頂天にならないことも含んでいるのです。むしろ、こっちのほうが難しいんですよ」と教えられました。後に、それがこの『大智度論』に典拠を持っていることを知りました。  『大智度論』は、八宗の高祖といわれるナーガールジュナ(龍樹菩薩)の主著で、大乗仏教を理解するためには不可欠の書とされているものです。ここに掲げたことばは、その中の、忍辱について解説した章の一節ですが、新井先生も言われたとおり、まず得意のときに天狗にならないことから説き起こしてあります。  すなわち――提婆達多が阿難から神通の法を伝授されるや、たちまちおごりの心を生じ、自分の教団を作ろうとして王子阿闍世(あじゃせ)をたぶらかして後援者にした。阿闍世は提婆のために立派な精舎を建て、毎日たくさんの供物をささげた。ますます得意になった提婆は、明らかにお釈迦さまに反逆する態度を取り、ついに自ら墓穴を掘った――と、最大の実例として挙げてあります。 現代にも提婆は多い  現代においても、この戒めはそのまま通用しましょう。役所においても、会社においても、その他の団体においても、ある高い地位を得ればついおごりの心が生じます。しかもその周りには、おのれの利益や出世のために媚びへつらう人間が寄ってくるので、ますます真実を見る眼がくらみ、ズルズルと転落の道をたどった実例は、最近いやというほど新聞紙上を賑わしているではありませんか。日蓮聖人も喝破しておられます。「愚人にほめられたるは第一の恥なり(開目抄下)」と。  明治三十八年の日本海の大海戦で、勝利を得て以来、司令長官だった東郷大将の人気は、国の内外を問わずたいへんなものでした。大将の肖像を撮った写真屋が絵ハガキにして売り出したところ、飛ぶように売れました。  それを聞いた大将は困ったことだと思い、その写真屋に行って、原板を譲ってくれるよう頼みました。写真屋は「閣下のお望みなら断るわけにはまいりませんが、こちらも商売でございますから、相当の代金を頂きませんと……」と言います。いくらかと聞けば、二十円との要求、今のお金でいえば五十万円ぐらいにも当たりましょうか。  大将は清貧の人でしたが、大枚二十円を出して原板を買い取ってしまいました。このような人だったからこそ、「聖将」と呼ばれ、名誉ある一生を送ったのでした。総理大臣になろうと思えば、いつでもなれる人だったでしょうが、政界とは一切関係を持つことをしませんでした。得意な時に有頂天にならない人の典型というべきでありましょう。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば3

径寸十枚、是れ国宝に非ず、一隅を照らす、此れ即ち国宝なり。  伝教大師最澄・日本(山家学生式)

1 ...仏教者のことば(3) 立正佼成会会長 庭野日敬  径寸十枚、是れ国宝に非ず、一隅を照らす、此れ即ち国宝なり。  伝教大師最澄・日本(山家学生式) 灯の持つ不思議な力  比叡山を興した伝教大師は、国民の指導者を養成する目的で『山家学生式・さんげがくしょうしき』という学則を作りました。その冒頭にあるのが有名なこの一文です。現代語に訳しますと、「直径が一寸もあるような大きな宝玉が十枚あろうとも、それは国の宝とは言えない。道心をもって世間の一隅を照らす人こそが国の宝なのである」ということです。  この「一隅を照らす」という一句は、表現はへりくだっているようでも、非常に力強い響きをもってわれわれの胸に迫ります。  わたしが生まれ育ったのは、越後の山奥の小さな村ですが、用があって町へ行っての帰りに夜の雪道を何キロも歩いて疲れきったころ、村外れの家の灯が一点ポツリと見えてきます。それが目に入ると、何とも言えない喜びと安らぎを覚えたものでした。  村の人間でもそうですから、まして他国からやってきた人が吹雪の中で道に迷い、必死になって歩いているとき、一軒の人家の灯を発見したとしたら、どんな思いがするでしょうか。その家の人は、自分の家のランプはいろりにあたっている自分一家だけを照らしているとしか思っていません。いや、そんな意識さえないのです。ところが、その明かりは障子を通して遠くの人々の目にも入ります。そして、ある人にはそこはかとない安心感を覚えさせ、ある人々は生命の救いをさえ与えるのです。一隅を照らしているはずの一点の灯、それはこのように尊いはたらきを持っているのです。 一つの灯を世界の灯へ  われわれはすべて人生の旅人です。あるときは山坂の苦しみにあえぎ、あるときは荒野に行き暮れることもあるでしょう。そのようなとき、仏道を求めてやまない不動の心を持った人に出会い、その人の明るくも力強い生きざまに接したとすれば、どれぐらい大きな希望を与えられることでしょう。  仏道を求めることは、まずもって自分自身を高めるためです。しかし、そのひたむきな一心の姿は、周りの人々に何らかの影響を与えずにはおきません。ある人はその言行の正しさに胸を打たれ、ある人はその風格の清らかさに畏敬の念を抱き、ある人はその人間的な思いやりに言い知れぬ親しみを持つようになるでしょう。  そのような人の身体からは見えざる後光がさし、その後光が周りの人々の心を照らすのです。これが「一隅を照らす」ことにほかなりません。そして、照らされた人がその感化を受けて自ら発光体となり、一隅を照らす人となり、そうした発光体が次から次へと増えていけば、日本の社会は隅から隅まで明るくなること必至です。さればこそ伝教大師が、「一隅を照らす人こそ国の宝である」と述べられたのです。  灯というものは、たとえ最初は小さいようでも、無限の発展性を持っています。『四十二章経』の第八章でお釈迦さまは「一つの炬火(かがりび)の所へ数千百人の人が、おのおのたいまつを持ってきて、火をつけて帰り、それで炊事をしたり、明かりにしたりしても、その炬火は元のままである。福もまたこのようなものである」とおおせられています。  願わくは、われわれ一人一人がその炬火になりたいものです。そして、その火を次から次へ転々と無数の人に分けてあげたいものです。そのようにして日本の国全体を明るくすれば、世界中の人々が今どき珍しいその現象に引きつけられ光を求めて集まってくるでしょう。  それが日本という国の理想の姿ではないでしょうか。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば4

苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせ南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや  日蓮聖人・日本(四条金吾殿御返事)

1 ...仏教者のことば(4) 立正佼成会会長 庭野日敬  苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせ南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや  日蓮聖人・日本(四条金吾殿御返事) 苦も楽も実体なきもの  これは日蓮聖人が在家の愛弟子四条金吾に与えられたお手紙の中にある一節です。  奥の奥を探ればたいへん深遠な世界観にもとづいているのですが、それをさらりとした分かりやすいことばで言い表されているところに、何ともいえぬ味わいがあり、聖人の温かく優しいお人柄もしのばれる一文です。  「人生に苦はつきものだから、苦に遭った場合は素直にそれを受け取ることだ。あわてふためいたり、くよくよすることはない。苦といっても、ほんとうは実体のない仮の現象でいつかは必ず消えていってしまうものなのだから……」。これが「苦をば苦とさとり」の真意です。  「楽しいことに出会ったときも素直にそれを受け取って楽しめばいいのだ。ただし、それに執着してはならない。楽というのも実体のない仮の現象だから、時のまに過ぎ去ってしまうものだ。それを承知の上で楽しむこと」……これが「楽をば楽とひらき」です。  この「苦・楽ともに実体のないものだ」というのが、法華経の諸法実相の悟りなのです。と同時に、「実体のないものが現象として現れるのも抜き差しならぬ事実だ」というのも、やはり法華経の説く真実なのです。  この両面の真実を悟りきって、苦に対しても楽に対しても心騒がず、悠々として処する人生態度こそが、「法華経に南無する」ことにほかなりません。ですから、「苦楽ともに思い合わせ南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え」とおおせられたのです。この「い=居」の一字を見逃してはなりません。常に、いつも、南無妙法蓮華経と唱えていなさい……という勧めなのです。 自受法楽が最高の楽  こういう人生態度は、つまり天地の真理のままに生きることですから、最も高い意味で人生を楽しむことになるのです。それを「自受法楽」と言います。「自受法楽」というのは、もともと自分の悟った境地を自分で味わう楽しみを言います。お釈迦さまは、菩提樹の下で悟りを開かれてから、二十一日間その地にとどまられて、ご自分の悟りをじっとかみしめておられたと伝えられますが、それほど次元の高い「自受法楽」ではなくても、われわれでも何か一つの悟りを得れば、そのような精神の楽しみを味わうことができるはずです。  われわれは、あまりにも身のまわりに起こる一々の現象に、損だ得だといって心を引きずりまわされます。境遇の変化に一喜一憂します。そうして一生を過ごすのは、せっかくこの世に得たいのちをムダにするものではないでしょうか。何か一つ人生のシンになる悟りを得て、自受法楽したいものではありませんか。  有名な栄養学者の川島四郎博士は今年(一九八三年)卒寿(そつじゅ・数え年九十歳)を迎えられましたが、連日三つの大学で教鞭を取り、夏休みには必ずアフリカの奥地に旅して原住民の食生活を研究しておられます。数年前奥さまを亡くされ、研究室で独り暮らしをしておられるのですが、先日テレビの『徹子の部屋』に出られたとき、「わたしは朝五時半に起きるのですが、起きるとすぐ鼻歌が出るんですよ」と語っておられました。  九十歳で起き抜けの鼻歌には、いささか驚きました。一つの仕事に打ち込んだ数十年の生活から得られた一種の「自受法楽」の境地だと、感心しました。あなたも、この世に生を受けたからには、何か一つの「自受法楽」を得たいとは思いませんか。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば5

仏は常に在(いま)せども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁に 仄(ほの)かに夢に見えたもう。  作者不詳・日本(梁塵秘抄巻ニ)

1 ...仏教者のことば(5) 立正佼成会会長 庭野日敬  仏は常に在(いま)せども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁に 仄(ほの)かに夢に見えたもう。  作者不詳・日本(梁塵秘抄巻ニ) 仏への恋慕渇仰の思い  平安時代の後期に、今様(いまよう)という歌謡が盛んに作られ、盛んに歌われました。その中には珠玉のような文学的価値のあるものが数多くあります。その輝かしい民間の作品を徹底的に整理して後代に伝えようとなさったのが、後白河法皇であり、その勅撰によって成立したのが、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』です。  ここに掲げた今様は、極端に言えばその書全巻中の白眉というべきもので、今われわれが読んでも、しんしんと胸に泌み入る深い信仰の思いが込められています。現代語に意訳しますと……「仏さまが、いついかなる所にもいらっしゃることは、よくよく承知しているのだけれども、現実に目の当たり拝することができないのは悲しいことだ。ただ、何の物音もしない暁のころに、ほのかに夢の中に現れたもうばかりである」。  信仰は理屈ではありません。合理を超えたものです。法華経の如来寿量品に「恋慕渇仰」ということばがあります。宇宙の大生命たる久遠の本仏の実在は、教義的には理解でき、それが相(すがた)のない存在であることも分かっていながら、あたかも生ける人に対するように恋い慕う気持はおさえきれぬものがあります。ですから、「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜まず」ということになるのです。  ここまで思いつめるのが、ほんとうの信仰というべきでしょう。信仰においてばかりでなく、人生のさまざまな問題においても、真剣に思いつめることがどんなに大事なことか、どんなに尊いことかを、改めて考え直してみる必要があると思います。  この「仏は常に在せども」の今様が、仏教の信仰者でない人々にも深い感銘を与え、愛唱されている事実は、人間の奥底にあるこのようなひたむきさ、真剣さに引かれる心理に根差しているのではないかと考えられるのです。 思いつめる心の美しさ  亀井勝一郎さんも、その著『思想の花びら――もの思う人のために――』の中で、こう述べておられます。   もし単純に、「然り、私は信仰をもっている」と答えたら、それは傲慢というものだろう。同様に、「否、私は信仰などもたない」と答えたら、それは怠慢というものだろう。前の場合は自ら断定すべきことではないからであり、後の場合は、考えつめるという経験の拒否を示すことになるからである。(傍点筆者)  「単純に」という語に傍点をつけたのは、いい加減な、上撫でした程度の信仰しか持っていないのに、「信仰を持っている」と断言するのは増上慢である……と解釈するからです。「考えつめる」という語に傍点をつけたのは、人間とは何か、どうして生きているのか、という問題を深く深く考えつめていけば、どうしても宗教に突き当たらざるをえないからです。だから亀井さんも、そこまで行かないのは人間としての怠慢だと決めつけておられるのです。  いずれにしても、この今様は、何度口ずさんでも、美しくも尊い共感を覚えざるを得ません。宇宙に遍満してわれわれを生かしている実在を、ひたむきに思いつめながら、それを見ることを得ない悲しさ。しかし、せめて夢に見ることによって慰められるいじらしい心。いかにも人間的ではありませんか。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば6

二つの芦束は相依ることによって立つ  サーリプッタ・インド(相応部経典一二・六七)

1 ...仏教者のことば(6) 立正佼成会会長 庭野日敬  二つの芦束は相依ることによって立つ  サーリプッタ・インド(相応部経典一二・六七) 世に独立の存在はない  釈尊教団で智慧第一といわれたサーリプッタ(舎利弗)が鹿野苑に住んでいたときのことです。同信の友であるマハー・コッティカ(摩訶拘絺羅)が、ある朝訪ねてきて、むずかしい質問をするのでした。  「友よ。わたしはかねがね思いあぐねていたのだが、いったい老死というものは自己がつくるのであろうか。他のなにものかがつくるのであろうか。それとも、原因がなくて生じたのであろうか」  サーリプッタは答えました。 「友よ。老死は自己がつくるものではない。他のなにものかがつくるのでもない。原因がなくて生じたものでもない」  さあ、いよいよ分からなくなりました。分からぬままにマハー・コッティカは「生」についても、「執着」についても、「愛」についても同じ質問を繰り返しましたが、サーリプッタの答えは同じでした。そこでマハー・コッティカは、  「どうもあなたの言うことはのみ込めない。どう考えたら理解できるのかね」  と聞きました。するとサーリプッタは答えました。  「それならば、譬えによって説こう。ここに芦の束があるとしよう。芦の束は一つでは立つことができない。二つが相依ることによって立つことができる。そして、一つを取り除くと、他の一つは倒れてしまうだろう。この世のすべての現象も、心の中の思いもすべてそのとおりなのだ。独立して存在しているものは一つもない。他のものとの関係によってこそ成立しているのだ。だから、一つ一つのことをいくら考えても解決はできない。すべて他との関係性にもとづいて考えなければならないのだ」  そこで、マハー・コッティカは自分の視野の狭かったことを悟り、ものの見方の根本が分かって、大いに喜んで帰りました。 助け合い補い合って……  これは、もちろん釈尊が唱導し始められた「縁起の法」であり、「諸法無我」の原理でありますが、舎利弗の巧みな譬喩によって、なるほどと納得することができたのです。わたしがこの話を取り上げたのも、宗教上の話をするときに譬喩と実例が、どんなに大事であるかを知って頂きたかったからです。  理論的に、哲学的に、いくら精緻な説明を述べ立てても、相当な教養ある人でさえなかなか納得できないことを、一つの譬喩を説き、一つの実例を挙げることによってスーッと分かってもらえることが多いのです。  例えば、関係性ということについての一つの実験を示しましょう。三本のビール瓶もしくはジュース瓶と、三本のフォークを用意してください。そして、瓶をフォークの長さより少し遠く離して三角形をつくるように立ててください。そこで、その三本のフォークを瓶の上に乗せる工夫をするのです。 瓶と瓶との距離がフォークより長いのですから、一本ずつ乗せようとすれば絶対に乗るはずはありません。ところが、三本のフォークの先を矢車のように組み合わせて乗せると、見事に乗ります。「結び合う」ことの大切さが、この実験でもよく分かりましょう。人間それぞれ短所を持っています。完全な人はまずありません。しかし、足りない同士がたくみに結び合えば、不可能なようなことでもできるのです。世の中を順調に動かしていくこともできるのです。舎利弗の説いた「二つの芦束」も、こう受け取りたいものです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば7

和を以て貴しと為す。忤(さから)うこと無きを宗と為せ。  聖徳太子・日本(十七条憲法 第一条)

1 ...仏教者のことば(7) 立正佼成会会長 庭野日敬  和を以て貴しと為す。忤(さから)うこと無きを宗と為せ。  聖徳太子・日本(十七条憲法 第一条) 単なる反対は世を乱す  「和を以て貴しと為す」というのは、だれ知らぬ人もいない名言です。日本という国のゆくてを照らす不滅の指針であるばかりでなく、全人類のめざすべき究極の理想を一言に尽くした、永遠の命をもつ言葉です。  ところが、この第一句のあまりの大きさと重みに圧(お)されて、その布演および解説ともいうべき、第二句以下の文章が忘れられているように思われますので、ここでそれを、学んでゆきたいと思います。  第二句の「忤うこと無きを宗と為せ」というのは、聖徳太子から千四百年たった現在にこそピッタリの箴言(しんげん)ではないでしょうか。小は家庭や学校から、大は政界や国際関係に至るまで、「反対することはいいことだ」「逆らうことが権利の主張だ」といった風潮がはびこっています。逆らえば、相手もそれに対抗します。そこに必ず闘争が生じ、火花が散ります。これでは人間は未来永劫、ついに幸せにはなり得ません。  もちろん、反対すべきこと、逆らうべきことにまで泣き寝入りする必要はありませんが、「何でも反対」のムードがよくないのです。そうではなく、「仲よくしよう」という意識を先に立て、それを前提として事に当たりなさい、というのが「忤うこと無きを宗と為せ」の真意だと思います。  次に「人にはみな党(ともがら)有り、亦達(さと)れる者少し」とあります。人間には大小にかかわらず党(仲間)というものがありますが、正直なところ、天地の道理を悟った人が少ないために、それらの党もたいていは道理に合致した結びつきではなく、自己中心の結びつきです。それゆえ、反対のための反対、自分たちの利益のための抗争に終始し、それが世の乱れを誘うのだ……というのです。  これもまた、今の世にそのまま通用する明察というべきでしょう。 和にも深浅の段階あり  そこで、この第一条の結論として、「上和(やわら)ぎ、下睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(ととの)いぬるときは、すなわち事の理(ことわり)自(おの)ずからに通(かよ)う。いかなる事が成らざらん」とあります。  上というのは、家庭でいえば、父母、学校でいえば教師、国家でいえば為政者に当たりましょう。いろいろな立場の人が「和」の気持をもち、一方、子供・生徒・国民大衆のほうでも前記の人々に対する「睦び」の気持をもち、お互いに物事を相談し合うことである。そうしてその相談が煮詰まって諧和の状態に達すれば、そこに自然と天地の道に通うものが生じてくる、そうなれば何事でも成就しないものがあろうか……というわけです。  わたしは、十七条憲法第一条の真価はこの結論の段にこそあると信じます。ただ何でもいいから和せよ和せよとおっしゃっているのではありません。「和ということを前提として、ジックリ話し合いなさい」と教えられているのです。「民主主義には時間がかかる」という言葉がありますが、まさしくその通りです。太子は民主主義の真髄をも洞察しておられたのでしょう。誠に頭が下がります。  とにかく、ほんとうの「和」を軽々しく考えてはなりません。孔子も「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と言っておられます。君子は私利私欲がないから道理に従って和するのであって、利己的な党(ともがら)に付和雷同することはない。小人は私心をもって同じような仲間に入るのだから、それはほんとうに和しているのではないのだ……というのです。和にも深浅さまざまの段階があると知るべきでしょう。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば8

人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。  兼好法師・日本(徒然草・九三段)

1 ...仏教者のことば(8) 立正佼成会会長 庭野日敬  人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。  兼好法師・日本(徒然草・九三段) 死が来るのを忘れて  兼好法師は、鎌倉末期の歌人であり、随筆家でもありました。僧侶といっても、何寺にも何派にも属せぬまったくの自由人でしたから、その随筆集『徒然草・つれづれぐさ』でも、思ったままをざっくばらんに言い、ユーモアもあれば、皮肉もあり、読んでこれくらい面白い中世文学はないといっても過言ではありますまい。  ここに掲げた一句は、もとより仏教思想に根ざしたものですが、自分自身の解釈によって鋭く人生の機微と仏教の神髄の接点を衝いているところに、深い味わいがあります。しかし、その思想はこの一句だけには尽くされていませんので、この後に続く文章をも紹介しておきたいと思います。  「人、死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがわしく外の楽しびを求め、この財(たから)を忘れて、危うく他の財を貪るには、志、満つ事なし。生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり。もしまた、生死(しょうじ)の相にあずからずといわば、実(まこと)の理を得たりというべし」(新仮名と新送り仮名採用)  「現代語訳」 人間死が恐ろしいならば、生を楽しまなければならない。命のある喜びを日々楽しまなくてどうするのだ。愚かな人は、この楽しみを忘れて、ご苦労千万にも(いたづがわしく)外側に楽しみを求め、生というこの宝を忘れて、危なっかしくも他の宝を貪ろうとばかりしているが、その欲求が満たされることなどありはしない。生きている間に(真の意味で)生を楽しまず。死に臨んで死を恐れるなんて、そんな理屈に合わぬことはないではないか。人がほんとうに生を楽しまないのは、死を恐れないからである。いや、死を恐れないのではない。死が近くにあるのを忘れているのだ。ところで、もし生死という相対的世界を超越している人があれば、その人こそほんとうに天地の道理を心得ていると言っていいだろう。 生死を超越した生き方  この現代語訳を読んで頂けば、大意は分かって頂けると思いますが、念のためにすこし解説を加えましょう。  ここにある「生を楽しむ」というのは、精神的な楽しみを指すのです。本業に精を出すにも「これが社会の進展に役立つのだ」という信念と喜びをもってし、そのほか、学問でもよい、芸術でもよい、信仰でもよい、社会奉仕でもよい、平和活動でもよい、とにかく魂の喜びを覚えるような仕事をして生きがいを感ずることをいうのです。これは、やろうと思えばだれにでもできるのです。  それなのに、愚かな人はそのような精神的な楽しみを忘れて、外側の物質的な財や楽ばかりを求めて、あくせく一生を過ごし、死の間際になって金も物もあの世に持って行けないことがわかり、「死にたくない。もっと生きていたい」と苦悩するのです。さて、最後の一節「生死の相にあずからず云々」ですが、これは、生死を超越し、生に執着せず、死をも恐れず、自由自在に生きる最高の人生を言っているのです。われわれ凡人はそこまでは行きつけそうにはありませんが、しかし、ほんとうの意味で「生を愛して」生きていけば、いつかは自然と到達できる境地だと、私は信じています。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば9

愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり。  道元禅師・日本(正法眼蔵・菩提薩埵四摂法巻)

1 ...仏教者のことば(9) 立正佼成会会長 庭野日敬  愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり。  道元禅師・日本(正法眼蔵・菩提薩埵四摂法巻) 慈心から出た言葉こそ  愛語というのは慈愛のこもった言葉ということです。廻天のちからというのは、時勢を一変する働きということです。言葉というものは偉大な力を持つもので、聖書にも「初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」(ヨハネ伝一・一)とあるくらいです。  われわれの人生においても、ある一言がその人の一生の転機となることが多々あります。ですから、仏教においても、この愛語ということを非常に強く教えているのです。  愛語といっても、ただベタベタした口先の愛の言葉ではありません。その人を幸せにしたいという慈悲心からほとばしり出た、真実の語でなくてはならないのです。そうでなくては、相手の心の琴線に触れ、それを共鳴させる力はないのです。道元禅師のこの語の前にも、こう述べられています。  「むかいて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかわずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり」 母の愛語に廻天の力  ここに、面と向かって聞く愛語も嬉しいものだが、面と向かわずに洩れ聞いた愛語も、深く心に刻みつけられるものだ、とあることに注目しなければなりますまい。  スウェーデンのハンス少年は文章を書くのが好きでした。十一歳のとき戯曲らしいものを書いて、だれかれとなく読んで聞かせましたが、だれも褒めません。隣の小母さんに至っては、「そんなへたなもの、聞いている暇なんかないよ」と、途中で台所へ行ってしまいました。  ガッカリしたハンスが泣いていると、お母さんが花壇の所へ連れて行き、「咲いている花もきれいだけど、土から出たばかりのこの芽を見てごらん。みずみずしくて元気そうじゃないの。おまえはこの芽みたいなものなんだよ。やがてズンズン大きくなってきれいな花を咲かせるのは間違いないのだから、さあ、元気を出して好きなものをどんどん書きなさい」と励ましてくれました。  このハンス少年こそが、後日『マッチ売りの少女』その他の名作で世界中の何千万という子供達の魂を育てた童話作家ハンス・アンデルセンにほかならないのです。アンデルセンは、何かといえば、「あの花壇での母の言葉は有り難かった」と話していたそうです。  それでは「むかわずして愛語をきく」ことによる感銘の例を挙げましょう。イタリアのオーガスチンは、青年時代不良の仲間に入り、毎晩大酒を飲んでいました。ある晩ひどく酔っ払って帰り、いさめようとする母親を足蹴にして自室に入り、寝込んでしまいました。  暁近くフト目を覚ました彼は、母親の部屋から灯が洩れているのに気づき、ドアの隙からのぞいてみますと、母親はこう言って神に祈っていたのでした。「神さま。あの子はほんとうはいい子でございます。十九歳になるまでは心やさしい子でございました。わたくしの余生はどうなってもよろしいですから、どうぞあの子を元のような立派な子にもどしてくださいませ」。  それを洩れ聞いたオーガスチンは、たちどころに本心を取り戻しました。それからの精進はめざましく、後年ついにローマ法王に選ばれたばかりか、キリスト教神学史上最大の思想家といわれるまでになったのでした。洩れ聞いた母の愛語が、まさしく廻天のちからを持っていたのでした。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば10

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。  良寛和尚・日本(山田杜皐への手紙)

1 ...仏教者のことば(10) 立正佼成会会長 庭野日敬  災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。  良寛和尚・日本(山田杜皐への手紙) 徹底的に純粋な人  日本人はみんな良寛さんが好きです。それは、かくれんぼをしているうちに、日が暮れて子供たちがみんな帰ってしまったのに、まだ物かげにかくれていたというような、浮世離れした純粋さに引かれるのでしょう。  子供の時からそんな人だったらしいのです。ある時、父親に叱られて、上目使いに父親の顔を見上げたのに対して、父親は冗談に、「親をにらむようなやつは、カレイになるぞ」とおどかしたところ、カレイになったらひとりで冷たい海に住まなければならないと大変心配し、裏手の海岸の岩の上に立って、泣きながら海を見つめていたといいます。日が暮れても帰って来ないので、探しに出た母親が栄蔵(幼名)をみつけて抱きかかえると、栄蔵は「お母さん、おれはまだカレイになっとらんかえ」と聞いたそうです。  私塾に通って漢字を勉強し、十八歳のとき名主だった父親の跡を継ぐために名主見習役になりました。たまたま代官と漁民たちの間に争いが起こり、その仲裁をしなければならなくなったとき、代官に対しては漁民の悪口・雑言をそのまま上申し、漁民たちには代官の罵りや嘲りをそのまま伝えたので、調停はますます困難になりました。そこで、自分はこのような役目には向かない人間だと悟り、すぐさま出家したのだと伝えられています。この話にも、嘘のつけない純粋な人柄がしのばれます。  その後、備中の円通寺の国仙和尚を慕って行き、弟子となりましたが、そこでの修行ぶりは努力また努力の素晴らしいものだったそうです。 苦もおおらかに受け取る  また、諸国行脚ののち、越後に帰って山中の五合庵で暮らしていた時も、仏典を読み、漢詩を作り、和歌を詠み、一面ではたいへんな勉強家だったわけです。  良寛さんの愉快な逸話だけを聞くと、いかにもノンビリした生活をしておられたようですが、必ずしもそうではなく、吹雪が数日も続く冬のさ中など、草葦きの小さな草庵に閉じこめられた暮らしは、寒さと飢えがこもごも迫り、文字通り死と隣り合わせの生活だったのです。このことを見忘れてはなりません。  ここに掲げた文章は、三条に地震があったとき、親しく交わっていた山田杜皐(とこう)という人へ出した手紙の一節ですが、ほかの人が言ったのでは「非情な言い分だ」という批判も成り立つでしょうけれども、良寛さんの心情の吐露だということになると、なるほどと納得できるから不思議です。  つまり、「人間いい時ばかりはありはしない。災難に遭うこともあろうし、病気にかかることもある。そして、いつかは必ず死ぬのである。そんな時に、驚き騒いだり、悶々と悩んだり、嘆き悲しんだりすれば、かえってその災難の傷を深くし、病を重くし、死んでも死に切れぬ思いをするばかりだ。  だから、『世の中というものはこんなものなんだ』と、おおらかに、素直に受け取ればいいのだ。そうすれば、大難も気持の上では小難ですみ、病気とも仲良しになって楽な養生ができ、死ぬのも恐ろしくなくなるのだ」という意味でありましょう。  とにかく、大難・小難の渦巻く今の世の中にあっても、良寛さんのこの言葉を読むと、とたんにホッとする思いがするから、じつに有り難いことです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば11

 一日作(な)さざれば一日食(くら)わず。  百丈懐海禅師・中国(百丈清規)

1 ...仏教者のことば(11) 立正佼成会会長 庭野日敬  一日作(な)さざれば一日食(くら)わず。  百丈懐海禅師・中国(百丈清規) 己に対して妥協せず  禅宗のお寺では、ただ座禅をしたり、お勤めをしたりするばかりでなく、「作務(さむ)」といって、堂塔・庫裡(くり)の掃除から、庭の清掃、草むしり、食事の準備・世話、野菜作りの労働までを、一山の僧がしなければならないことになっています。  唐代の名僧百丈懐海(えかい)禅師は、九十五歳の長寿を保った人でしたが、どんなに年を取っても、衆僧に交じってこの作務を続け、一日として欠かしたことはありませんでした。  ある日、あまりにも老いを深められた師の姿を見かねた弟子たちが、「もう作務をなさる必要はないのではございませんか。わたくしどもがいたしますから、どうかゆっくりな さっていてください」と申し上げました。  禅師は黙って立ち去って行かれました。ところが、食事どきになって一同が食堂に居並んだのに、禅師の姿が見えません。あちこち捜してみたところ、座禅堂で端然と座っておられました。  驚いた弟子たちが、「食事の時間でございますが……」と申しますと、禅師は決然として言い放たれました。  「一日作さざれば一日食わず」  弟子たちは、自分に対していささかも甘えた妥協をしない禅師の態度に、深く恐れ入ったのでありました。 「するな」と「しない」  「働かざる者は食うべからず」というのはレーニンの言葉だと伝えられていますが、この「食うべからず」という思想と、「食わず」という思想の大きな違いを、しっかり吟味してみることが大事だと思います。前者は革命家もしくは為政者の思想であり、後者は宗教者の思想です。  仏の最も基本的な教えとされる七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)の「諸悪莫作(しょあくまくさ)・衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)・自浄其意(じじょうごい)・是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」にしても、「もろもろの悪をなすなかれ」といった命令的なものでなく、「もろもろの悪をなさず、もろもろの善を努め行い、自らその心を浄くする。これが諸仏の教えである」と、すべて自発的になすことを本位としています。  すなわち、仏教というものは「こうしなさい」と命令するものでもなく、心の持ち方や行動を縛るものでもなく、「こうすれば幸せになるのですよ」と、道を指し示すものなのです。こう考えてきますと、百丈禅師の「一日作さざれば一日食わず」の言葉も、いよいよ光ってきます。  さて、この言葉は「作務も修行の一部」といった義務的な考えをはるかに超えた、「働くことこそ人間の道であり、働いてこそ人間としての価値があるのだ」という、人間存在の最も基本的な真実をえぐった名言として、千二百年以上たった今日まで、禅家のみならず、一般の人々の胸にもつよく銘刻されているものであります。  パスカル(フランスの哲学者)は、あたかも百丈禅師の言葉を布演するかのように、次のように述べています。  「労働を、単に物質の収穫の野を耕す鋤(すき)と思ってはならぬ。それは同時に、われわれの心情の原野を開拓する尊い鍬(くわ)なのである。何よりもまず労働によってわれわれの心身は強められ、心にはびこった種々の邪悪な雑草の根が断ち切られ、そして、そこに幸福と喜悦の種子が蒔(ま)かれて、四時に繁殖し、花を咲かすに到るのである」  よろず機械・器具に頼って身体を動かすことをしなくなった今日、禅師の言葉と共に、深く味わうべき文章だと思います。 題字 田岡正堂...