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法華三部経の要点 ◇◇76
立正佼成会会長 庭野日敬

和顔をもって法を説け

批判についての慎み

 法華経布教者の言葉の使い方(口安楽行)については、まず次のように説かれています。
 「楽(ねが)つて人及び経典の過(とが)を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ。他人の好悪長短を説かざれ」
 現代語に訳するとこうなります。「好んで人の欠点を掘り出したり、経典のあら探しをするようなことがあってはならない。また、教えを説く他の人たちを軽べつする気持ちを持ってはならない。他人のよしあし、長所・短所などをあげて批判することも避けなければならない」。
 同じ法華経を説く他の人々に対してはもちろんのこと、仏教の他の宗派の人々や、他の宗教に対してもこのような心がけを持っていなければなりません。
 批判ということも大切です。しかし、それは、政治とか、外交とか、技術とか、産業とか、文化とかいった現実的な問題において大切なのであって、信仰というその人ないしその民族の魂に深くしみ込んでいるものは批判の対象外のものなのです。もしそのタブーを犯すようなことがあれば、必ずそこに無用の争いが巻き起こり、その争いは根が深く、どこまで拡大するかわかりません。
 人を批判したり、訓戒したりする場合も、その人の本質にかかわる言葉は絶対に慎まなければなりません。「大体おまえは頭が悪いよ」とか「あんたって冷たい人なんだから」といった言葉は、相手の胸にグサッと突き刺さり、いつまでも消えません。
 批判や訓戒は、行為のうえに現れた事実そのものに即すべきです。よくない行為をした本人は、その事実を自分自身よく承知しているのですから、その行為についてしかられたり、注意されたりしても、余計な恨みをいだくことはないのです。この点よくよく心得ておきたいものです。

方便なくして人は導けない

 口安楽行の積極面については、次のように説かれています。
 「若し比丘 及び比丘尼 諸の優婆塞 及び優婆夷 国王・王子 群臣・士民あらば 微妙の義を以て 和顔にして為に説け 若し難問することあらば 義に随つて答えよ 因縁・譬諭をもつて 敷演し分別せよ 是の方便を以て 皆発心せしめ 漸漸に増益して 仏道に入らしめよ」
 じつに細やかなご指導です。まず和顔を以て説けとあります。終始おだやかな態度で、できればニコニコ顔で説法しなさいというのです。
 それも「微妙の義を以て」とあります。仏法の本義は、奥の深い、いわく言い難い微妙なものです。その深い内容を、だれの胸にもしみ入るように、わかりやすく説きなさい、というのです。その具体的な方法は次の一節に述べられています。
 「もし難しい質問をしてくる者があったら、必ず仏道の本義にもとづいて答えよ。ただし、その本義を、あるいは実例(因縁説)をあげたり、譬えを引いたり(譬説)、さまざまな方法でおしひろめて説くことである。このように相手の機根にふさわしい方便を用いて、仏道に入ろうという心を起こさせ、その心をだんだんと強めるように指導して、いよいよ本格的に仏道に入るように仕向けることである」
 この方便(たくみな手段)ということこそが大事なのです。法華経の二つの柱の一つとして「方便品」という章が設けられているほど大切なものです。この方便を身につけるには、何はともあれ人を導いてみることが第一です。試行錯誤もいろいろとありましょう。案外うまくいくこともありましょう。そうした体験の積み重ねによってこそ、ほんとうの方便が身につくのです。付け焼き刃は役に立ちません。とにかくお導きの実践こそが最高の道なのです。


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