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法華三部経の要点 ◇◇75
立正佼成会会長 庭野日敬

法華経伝道者の身の振る舞い

いつも柔和で落ち着いて

 安楽行品に入ります。この品は、文殊菩薩が「後の世においてはどんな心がけでこの法華経を説いたらよろしいのでしょうか」とお尋ねしたのに対して、(一)身の振る舞い(身安楽行)・(二)言葉の使い方(口安楽行)・(三)心の基本的な持ち方(意安楽行)・(四)伝道者としての誓いと祈り(誓願安楽行)の四つに分けてこまごまとお教えになった章です。まず初めに、
 「若し菩薩摩訶薩忍辱の地に住し、柔和善順にして卒暴ならず、心亦驚かず、又復法に於て行ずる所なくして、諸法如実の相を観じ、亦不分別を行ぜざる、是れを菩薩摩訶薩の行処と名く」
 とお説きになります。この一節に、誓願安楽行を除く(一)(二)(三)の基本が尽くされていますので、このくだりを解説しておきましょう。現代語に意訳しますと、こういうことです。
 「もし法華経の伝道者が、いつも忍耐づよい境地におり、柔和な心を持ち、我(が)を張らずに正しい理によく従い、挙動に落ち着きがあり、つねに『すべてのものごとはもともと空である』という実相を観じて現象(法)にとらわれることなく、と同時に、目の前にある現象は起こるべくして起こったものであることをも認識して、現実を無視した判断や対処をする過ちをおかす(不分別を行ずる)こともないならば、それが菩薩としての正しいあり方である」
 この一節の前半はまことにそのとおりで、できればいつもニコニコしていて、立ち居振る舞いがゆったりしており、怒りを表にあらわしたりせず、人に親しまれるような態度でおればいいわけです。
 ところが、後半が問題です。つねに「空」を観じていることは普通の人にはなかなか難しいことです。ですから、こうすればいいのです。「空」の教えから導き出され、それを現実に即して説かれた「諸行無常(すべての現象は変化する)」という真理と、「諸法無我(すべての人・すべての物は相互依存、すなわち持ちつ持たれつで存在している)」という真理をつねに心に置いておればよいのです。これならば、自分も納得できるし、人をも納得させることができると思います。

利益を求める心を持たず

 さて、この一節のあとに、いろいろな地位や職業の人に近づいたり親しくしたりするなということが説かれていますが、二十世紀の今日においては事情がたいへん違ってきています。そういえば、前の「勧持品二十行の偈」に法華経の行者がさまざまな迫害に遭うことが説かれていますが、日蓮聖人の時代まではそうであっても、現在はまったくそんなことがありません。時代の変化です。
 こういった変化があることは、「諸行無常」の真理に説かれているとおりですから、経文の一語一句にこだわることなく、どんな地位の人であろうが、どんな職業の人であろうが、どしどし近づき、親しくし、仏道に導かなければなりません。
 ただ、ここのくだりに「是の若(ごと)き人等 好心を以て来り 菩薩の所に到って 仏道を聞かんとせば 菩薩則ち 無所畏の心を以て 悕望(けもう)」を懐(いだ)かずして 為に法を説け(こういう人たちが素直な気持ちでやってきて、仏道について聞こうとするならば、なにものをも恐れはばかることなく、自信を持って、しかもなんら求める心を持たずに法を説きなさい)」と断り書きがしてあることを見落としてはならないのです。
 ここのくだりでは「求める心を持たず」ということが特に大事であって、物質を求める心はもちろんのこと、偉く見てもらおうとか、名誉を得たいとか、そういった私心など一切いだくことなく法を説かなければならないのであります。


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