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法華三部経の要点 ◇◇82
立正佼成会会長 庭野日敬

寿量品の究極は自由自在の人となること

われわれの仏性も不生不滅

 前回に、われわれ衆生が仏さまと共通の不生不滅の仏性を持っているという真実について述べました。といえば、いかにも畏れおおい気がしますが、それはわれわれが「仏」という名にこだわり、仏といえばすぐ応身の仏のお釈迦さまを思い出すからでしょう。
 ところが、この寿量品で明らかにされたように、仏というもののギリギリのところは、久遠実成の本仏にほかならないということなのです。
本稿49回にくわしく書きましたように、この宇宙は、百五十億年前のビッグバンによって生成したというのが定説となっていますが、その時に飛び散った放射線からさまざまな元素が生じ、それがさまざまに結び合って諸物質となり、もろもろの生命体となったわけです。
 では、そのビッグバンを起こしたのは何かというと、それはもはや科学的に証明できるものではなく、学者たちもお手上げの状態です。ある学者によれば、それは宇宙意志ともいうべきものだというのです。宇宙意志といえば一種の「心」です。「根源のいのち」といってもいいでしょう。そういう存在を、ある民族は「神」と呼び、ある民族は「天」と呼びました。われわれ仏教徒はそれを「久遠実成の本仏」と呼んでいるわけです。
 これも第49回の処で書いたことですが、一九八七年二月十四日に大マゼラン星雲中に発見された超新星の光の分析をしたところ、その元素の配列が人間の体を構成している元素の構成比と全く同じであることがわかったそうです。このことからも、人間が宇宙の星々と共通のいのちを持っており、宇宙の大生命ともいうべき久遠本仏の分身であることがわかるでしょう。
 ですから、前回で解説したように「衆生劫尽きて大火に焼かるると見る時」も、本仏さまの国土は安穏なのです。つまり、不生不滅であり永遠のものなのです。
 したがって、その分身であるわれわれの本質の仏性も不生不滅で永遠のものなのです。現象としてあらわれている肉体は滅んでも、根源のいのちである仏性は滅びるということがないのであります。

久遠本仏の水中にいるわれら

 このことを心底から悟ることができれば、心はつねに自由自在であり、肉体や環境がどんなに変化しようと、泰然としておられるのです。徳川時代の名僧・白隠禅師は法華経によって悟りを開かれた方ですが、その著『坐禅和讃』の中でこううたっておられます。
 衆生本来仏なり
 水と氷のごとくにて 
水をはなれて氷なく      衆生の外に仏なし
 まことにこのとおり、われわれは久遠本仏という水の中に浮かんでいる氷のようなものなのです。氷だから水とは別物だと思っているのですが、じつは同じ水なのです。その真実を、ここで静かにかみしめたいものです。


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