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法華三部経の要点 ◇◇87
立正佼成会会長 庭野日敬

仏性を認め合い拝み合ってこそ

人を礼拝した常不軽菩薩

 法華経は文学性においても、最高の仏教経典だと言われていますが、その中でも常不軽菩薩品は最も迫真の感銘深い章であると言っていいでしょう。というのは、そこに登場する主人公がいかにも人間臭く、それを取り巻く人々もごく普通の凡夫たちだからであります。話はこうです。
 はるかなる昔に、一人の菩薩比丘がありました。(ただ「比丘」といわず「菩薩比丘」といってあるところに注目)。その菩薩比丘は、町や村で人に会うごとにその人を拝み「わたしはあなたを敬います。けっして軽んじません。あなたは必ず仏になる人だからです」と言うのでした。
 拝まれた人の中には心の曲がった人もいて、「何だと。おれを軽んじないだと。余計なお世話だ」とか「わしが仏になるんだって……うそもいい加減にしろ」とか、怒って言い返す人もいました。中には、腹を立てて石を投げつけたり、棒でたたこうとする人もありました。しかし、常不軽は、さっさと逃げて、遠くのほうから相変わらず「わたしはあなたを軽んじません。あなたは仏になる人ですから」と合掌して言うのでした。

法華経の二つの大事な骨格

 ところが、この菩薩が病気にかかってまさに死に至ろうとした時、虚空から響く真理の声を聞き、それによって寿命を増益(ぞうやく)しました。それからというものは、いまの法華経と同じ内容の教えを多くの人に説きました。前に常不軽を迫害した人々も、その教えを聞いて、ようやく仏の悟りを得ようという志を起こしました。
 常不軽菩薩はやがて死を迎えましたが、そののち何度も生まれ変わってはその世その世で仏に遇(あ)いたてまつり、そのつど法華経の教えを聞き、しかもそれを人々のために説きましたので、数え切れぬ生まれ変わりの後、ついに仏となることができました。
 ここまでお話しになったお釈迦さまは、あらたまった口調でこうおおせられたのです。「その常不軽菩薩はほかでもない。わたしの前世の身であったのだ。わたしはたくさんの仏のもとでこの法華経を学び、受持し、読誦し、人のために説いたがゆえに、仏の悟りを得ることができたのである」と。
 この前世物語の中に、法華経の大事な二つの骨格がハッキリと浮かび上がらせてあります。
 その第一は、「すべての人の仏性を拝め」ということです。これこそが菩提心を育てる――現代的に言えば人格完成を目指す――ための大道なのです。人の仏性を認め、それを礼拝すれば、心はおのずからエゴから離れ、清らかにしかも温かになってくるからです。
 第二に、「但(ただ)礼拝を行ず」は、その大道の出発点にしか過ぎず、さらに進んで法華経の教えを学び、そして人のために説くことが大事だということです。そうして世の多くの人がお互いの仏性を認め合い、拝み合うようになってこそ、この世にほんとうの平和が生まれるからです。
 この「仏性の拝み合い」こそは、倫理・道徳の域をはるかに超えた、地球上すべての人間関係を美しくし、和やかにする究極の道なのであります。


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