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法華三部経の要点 ◇◇70
立正佼成会会長 庭野日敬

マイナスの力をプラスに変える

すべてを投げ出して法華経を

 提婆達多品に入ります。お釈迦さまは大勢の弟子たちに語り始められました。
 「わたしは、はるかな過去世において一国の国王であったが、それに満足せず、無上の悟りを得るために全財産を投げ出し、妻子への愛着も断ち、自分の命さえ捧げてもよいとまで思っていた。そして四方にふれを出し、『もし、世の全ての人を救う真実の教えを説いてくれる人があったら、わたしは一生涯その人に仕えよう』といって師を求めた。すると一人の仙人が現れて、妙法蓮華経という最高無上の法を説いてあげようと言った。国王は、そくざにその仙人の弟子となり、水くみから、薪(まき)拾い、食事の用意までの万端の仕事をしたばかりでなく、師を休ませるために椅子(いす)のかわりとなる奉仕までした。そのような修行を長いあいだ続け、ついにその最高無上の法を得たのであった」
 こう話されてからお釈迦さまは、驚くべきことを言いだされました。「そのときの国王とはもちろんわたしであり、仙人とは提婆達多である。私は提婆達多という善知識(善き友人)のおかげで、仏の悟りを得ることができたのである」
 一同はあまりにも意外なお言葉に、ただあっけにとられていました。するとお釈迦さまは、さらに言葉を継がれ「提婆達多は無量劫の後に天王如来という仏となるであろう」と言われたのです。一同はますます驚き、疑問の私語によるざわめきさえ起こったのでした。

なぜ提婆は善知識か

 無理もありません。提婆達多はお釈迦さまの従兄(いとこ)であり、長年の弟子でありながら、嫉妬(しっと)心と政治的野心が強く、時のマガダ国王アジャセに取り入って別派を興し、お釈迦さまにそむいた人間でした。そこまではまだいいとしても、三十一人の弓の名人たちに命じて矢を射かけさせたり、崖(がけ)の上から大岩を落としたり、象に酒を飲ませてけしかけたり、八度もお釈迦さまのお命を狙った大悪人だったのです。
 そのような提婆達多を、なぜ過去世の物語にことよせて「自分に悟りを得させてくれた善き友人」とおおせられたのでしょうか。これを現実的に解釈すれば、煩悩にまみれた提婆の弱い人間性や、その煩悩のなすがままになしたさまざまな悪行が、お釈迦さまの悟りを深める機縁となったところが多々あったからだと思われます。
 「お釈迦さまが菩提樹のもとでひらかれた仏の悟りはすでに完全円満なもので、それに付け加えるべきものは何もなかったはずだ」という説をなす向きもあります。しかし、それは、あまりにもお釈迦さまを神格化した非現実的な考えです。
 お釈迦さまは、宇宙と人生のギリギリの真理を悟られた方ではありましたが、あくまでも人間であられました。人間であられたことが尊いのであって、それがわれわれ凡夫にとってまことにありがたいことなのです。なんとかそのみ跡をたどり、それに近づこうと努めることができるからです。
 また、三十歳で菩提樹下において悟りをひらかれたお釈迦さまが八十歳でお亡くなりになるまで、最初の悟りに付け加えるものが一つもなかった、少しも進歩されなかったと考えるのは、かえってお釈迦さまに対する大いなる冒涜(ぼうとく)となるのではないでしょうか。
 進歩・向上の機縁には「順縁」と「逆縁」があります。よき師・よき友・よき書のようなプラスの力に巡り合うのが順縁です。反対に、外部から受けるマイナスの力、もしくは自身がひき起こしたマイナスの状況、たとえば迫害・嘲罵(ちょうば)・不運・失敗というようなことがらに遭遇したとき、それを自らの成長の糧としてプラスの力に変える、そのマイナスの力を逆縁といいます。この「提婆達多が善知識に因(よ)る」というお言葉を、その逆縁の尊さを喝破されたものと考えるのも、われわれの人生に大いに役立つ受け取り方でありましょう。
                                                     

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