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法華三部経の要点 ◇◇86
立正佼成会会長 庭野日敬

法華経は世間万事の指針

菩薩の四無畏について

 法師功徳品には、前の隨喜功徳品に登場する人よりさらに信仰が進んだ五種法師(受持・読・誦・解説・書写の五つの行を積極的にそして持続的に行う人)が目や耳や鼻や舌や意(こころ)に受ける功徳の極致を説いてあります。超人的な能力とも思われる機能を持つようになることが述べられていますので、われわれとは直接関係のないことのように思う人もおりましょう。しかし、われわれは、こうした記述の奥にある「心が変われば環境も変わる」という真実をくみ取らなければなりません。それが、こうしたお経文の受け取り方の第一義なのです。そういうことから、この品では、その中にある重要な語句の解説にとどめることにしましょう。
 まず、眼の功徳の項の偈にある「無所畏の心」という語です。「おそれはばかることがない」という意味で、古来「菩薩の四無畏」として次の四ヵ条があげられています。
 一、学んだ教えをすべて記憶しておれば、どんな人に法を説くにもおそれはばかることがない。
 二、医師が患者の症状に応じて薬を処方するように、相手の性質や、教えを受け取る能力や、何を求めているか等々をよく見極めれば、心配なく法を説くことができる。
 三、法の根本をよく心得ておれば、相手からどんな質問を出されても正しく答えることができる。だから、堂々とした気持ちで法を説くことができる。
 四、法華経は広大無辺の教えだから、解釈の仕方でさまざまな疑問が出てくる。それらの疑問にはっきりした断定をくだすことができれば、おそれはばかるところなく法を説くことができる。
 ただし、この四ヵ条は菩薩としての理想の境地ですから、初心の人は前の「五十展転」の法門にあったように「力に隨って」法を伝えていけばよいのです。そうした実践を重ねているうちに自然と法が身につき、こうした自由自在な布教者になることができるわけです。

説くことすべて正法に合致

 もう一つの重要な語句は、意の功徳の項にある「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」です。現代語に訳せば、「もしその人が、日常生活についての教えや世を治めるための言論や、産業についての指導などを行っても、それらはおのずから正法に合致するであろう」というのです。
 まさにこれは法華経の要点中の要点であり、名句中の名句であると言っていいでしょう。
 法華経精神をしっかりと身につけておれば、例えば子供の教育について質問を受けても、「子供は仏さまからの預かりものだ」という真実にのっとってその指針を示しますから、大筋において誤ることなく答えられましょう。
 また、例えば湾岸戦争後の外交や経済政策を論ずる場合も、譬諭品にある「諸苦の所因は 貪欲これ本なり」という教えにのっとれば、決して道を踏み違えることはありますまい。
 このように、現実の世法に生かされるところが法華経のありがたさなのです。また、こうして世法の上に生かさなければ、法華経の真価は発揮されないものと知らなければなりません。


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