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仏教者のことば(58)
立正佼成会会長 庭野日敬

 親によき物を与えんと思いて、せめてやるものなくば、一日に二三度笑みて向え。
 日蓮聖人・日本(上野殿御消息)

老人問題への示唆と

 これはもちろん親孝行の教えです。苦しい境遇にあって、親に何かおいしい食べ物とか、暖かい着物とか、見て楽しめる盆栽とか、そういった物を親にあげて喜んでもらおうと思ってもそれのできない人は、せめて一日に二度でも三度でも笑顔を見せてあげなさい、それが大きな孝行なのですよ……というのです。いかにも日蓮聖人らしい、深い人間愛に満ちた言葉です。
 ところで、わたしは、これを単に親に対する子のあり方のみでなく、老人問題に関する現代人へのアドバイスとしても受け取りたいと思うのです。
 病気で寝たきりの老人、世話する人もない独り暮らしの老人など、これらは老齢化社会がいよいよ進行しつつある現在および近い将来においては、国家や地方自治体が真剣に考え、善処しなければならない問題ではありますけれども、しかし、家族や、隣人や、一般の個々人も、これをないがしろにしては人道にも天道にも反することになると思うのです。
 人間、年を取って老いるのは、きわめて自然の成り行きです。老いて来れば、特別の人は別として、体力も気力も薄れ、日常生活の楽しみも次第に失われてきます。しょっちゅう孤独感に襲われます。
 そうなってからいちばんうれしいのは、人の情けです。家族や隣人の優しい思いやり、特にここに掲げた日蓮聖人の言葉にもある親しみをこめた笑顔、これらがどれぐらい慰めになるかは、若い世代が想像する以上のものがあるのです。

いま光る無財の七施

 雑宝蔵経というお経の中で、「無財の七施」ということが教えられています。金もなく、暇もなく、地位もない人でもできる、つまりどんな境遇にある人でもできる布施ということです。それは眼施(げんせ)・和顔悦色施(わげんえつしきせ)・言辞施(げんじせ)・身施(しんせ)・心施(しんせ)・牀座施(しょうざせ)・房舎施(ぼうじゃせ)の七つです。
 眼施というのは、優しいまなざしで人を見ることです。
 和顔悦色施というのは、和やかな笑顔で人に明るい感じを与えることです。
 言辞施というのは、理解のある、優しい言葉をかけてあげることです。
 身施というのは、身体を使っての親切行です。
 心施というのは、心から相手の幸せを祈ってさしあげることです。つまり、善念の布施です。
 牀座施とは、座席を譲ってあげることです。
 房舎施とは、一時的にもせよ、雨露しのぐ場所を提供してあげることです。
 この七つは、一般のどんな人に対しても大切なことですが、とりわけ老人に対してピッタリの布施だと思うのです。日蓮聖人の前掲の言葉が「和顔悦色施」に当たることはいうまでもありません。
 諸橋・大漢和辞典によりますと「孝」という字の「耂」は「老」の省略だそうです。ですから、子が親に仕えるとか養うとかという意味はもちろんですが、もっと敷衍(ふえん)して、一般の人が老人を大切にするという意味に考えてもいいのではないでしょうか。
 いずれにしても、現代はあまりにも金、金、金の時代です。物、物、物の時代です。このような世相の中にあって、右の日蓮聖人の言葉は、温かくも香(かぐわ)しい一陣の風を吹き送るものではないでしょうか。
題字 田岡正堂

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