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仏教者のことば(50)
立正佼成会会長 庭野日敬

 その道その道の専門によって真実な心を発し、職に殉ずる態度と、重ね重ね経験を深めて行くならば、「諸法実相」の円理に契(かな)う人は、相当にあると思います。
 岡本かの子・日本(岡本かの子全集九巻)

生活と宗教は合致する

 この一節のあとに、次の文章が続いています。
 「現代でも、日本のみならず外国をも入れて、それかと思い尊敬の念が払える人がかなりたくさん数えられるのであります。(中略)そういう人も仏家の教理に照らし合わせて自分の体験と校合(きょうごう)し合わされるなら、意外に符節の合致する点多く、いよいよ啓発するところがあるだろうと思います。たぶん「なぜ、もっと早く見なかったのだ。仏教とはこういうものか、今まで相当、思い違いをしていた」と言われるに違いないと思います。そして、過去の経歴を顧みて、無駄な考え方や、動き方をしたところもあるのを発見し、苦笑されるだろうと思います」

仏教を知ればなおよい

 つまり、悟りの境地に入る門はけっして狭くはない。かならずしも仏教者の指導によらねば得られぬものではない。自分の職業や専門の道に忠実に打ち込み、精励していくうちに、ひとりでに「諸法実相・宇宙の万物・万象に通ずるギリギリの真理」にかなってくる人が相当あるものだ……ということなのです。
 たしかにその通りだと思います。
 たとえば、アインシュタイン博士や湯川秀樹博士が自己の持ち分である理論物理学に深く没入して貴重な大発見をしたばかりでなく、自然に宗教の尊さを知り、世界平和運動の提唱者となったように……いや、そうした名のある人ばかりではなく、一鍬一鍬に真実をこめた農民が聖者のような境地に達した例もたくさんあります。
 ところが、著者は、さきに掲げたように、重要な但し書きを付けています。すなわち、「そういう人も自分の体験を仏教の教理に照らし合わせてみると、大事なポイントが合致する点を多く発見し、いよいよ啓発されるところがあるだろう云々」ということです。
 仏教とくに法華経の教義はたいへん奥深いもので、宇宙と人生の究極の真理をつきとめ、開き表したものですから、これまでそれに触れることなくただ自分の誠実な生き方から一種の悟りに達した人でも、機会を得て仏教に触れることができたら、さらに深く、さらに広い境地を切り開くことができるだろう……というのです。
 まことにその通りだと思います。いわゆる実業家として成功をおさめた人も、仏教に帰依している方々は、その事業にも、言行にも、一味違ったものがあります。たとえば、協和醗酵社長であった加藤辨三郎氏、三豊製作所社長の沼田恵範氏、行革に身命を賭しておられる土光敏夫氏等々、その実例はたくさんあります。
 結論として、ここに言われていることは次の二項目に要約されます。
(一)人間はまず自分の仕事に真実をこめて打ち込め。そうすれば自然と天地の道理に合致することができる。
(二)と同時に、天地の道理を説いた仏教に入れば、なお一層その境地は深くなる。
 わたしは、(一)から入ってもよし、(二)から入ってもよし、結局は一つの道に落ち着くものと思っています。
題字 田岡正堂

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