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仏教者のことば(49)
立正佼成会会長 庭野日敬

 夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具す。
 天台大師・中国(摩訶止観巻五上)

人間の心の複雑さ

 十法界とは、人間の魂が住む十種類の世界です。最低の世界から見ていけば、地獄(自らの怒りのために狂い苦しむ世界)・餓鬼(飽くことなき欲望が満たされぬために苦悩する世界)・畜生(本能の衝動のままに理性なき行動をする世界)・修羅(利己的な闘争に終始する世界)、この四つが人間の暗黒面です。
 次に人間と名付けられる世界があります。右の四つの悪心をほどほどに抑制し、文字どおり人間らしく生きている状態です。その上に、天上と呼ばれる一時的な安楽と喜びの世界があります。以上を凡夫の六道といい、魂の進化していない人はこの六つの世界をグルグル回っている(輪廻・りんね)というのです。
 そこを抜け出した四つの境地を四聖といいます。すなわち、声聞(しょうもん=仏の教えを聞くことによって煩悩から解脱した境地)・縁覚(えんがく=自らの修行によって悟りを開いた境地)・菩薩(自分が悟りを開いただけでなく、多くの人々を救済しようとする行動的境地)・仏陀(宇宙の実相を悟り、万物・万人を慈悲する最高の境地)です。
 さて天台大師は、右の十界に住む人の心に、他の九界を含めた十の世界が、ことごとく具(そな)わっていると説いているわけです。そういえばたしかにそうで、たとえば人を脅迫して金を巻き上げるような悪党でも、今朝から何も食っていないという友だちには、夕飯をおごってやるでしょう。また、世間的には人格者として通っている人が、ちょっとした欲から賄賂(わいろ)を取ったりすることもありましょう。
 こうした人間観をもっと複雑に展開させたのが有名な「一念三千」の法門ですが、その法門の中心をなすのが前掲の言葉で、これを「十界互具」の法門といいます。

現在の日本人への教え

 これを単なる哲学的な心の分析のように受け取ったのでは、何の役にも立ちません。この法門は、人間には無限の可能性があることを教えているのです。自分をダメな人間だと思い込んでいる人には「そうではないんだよ。いくらでも上の世界へ上がれる素質をちゃんと具えているのだから、頑張ってみなさい」と励まし、地位・財産・名声をほしいままにしている人には「有頂天になっていると、つい地獄に落ちるような所行をもしかねないから、心を引き締めていなさいよ」と戒めているのです。
 わたしはこの法門は、現代の日本においてこそ再確認され、じっくりかみしめられなければならない教えだと思うのです。今の日本では、魂の尊さというものがあまりにも見失われています。むかしは、商人には商人の魂があり、職人には職人の魂があり、農民には農民の魂があり、それを貫き、磨くことを誇りとしていました。そうした誇りと誇りが相寄って、貧しいながらも美しい人情の世の中をつくっていました。
 ところが、今は物質万能の世となり、金のためには人の足を引っ張ってもはばからぬといった風潮がみなぎり、魂を磨くとか、魂を向上させるという気風が、ほとんどなくなりました。家庭教育でも、学校教育でもやはりそうですから、それが原因で、どうにも手のつけられぬ子供がたくさん出来てくるのです。このまま推移すれば、日本の社会はガタガタに崩れ去るのではないかと心配されます。
 今ここで、人間の進化は魂の進化であり、ほんとうの幸せは魂の喜びであることを思い出し、あらゆる人がその可能性を具えているのだ、というこの「十界互具」の法門をしっかりと学ぶべきだと、わたしは信ずるものであります。
題字 田岡正堂

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