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仏教者のことば12

色は匂へど散りぬるを わが世たれぞ常ならむ 有為(うゐ)の奥山今日越えて 浅き夢見じ 酔(ゑ)ひもせず  作者不詳・日本

1 ...仏教者のことば(12) 立正佼成会会長 庭野日敬  色は匂へど散りぬるを わが世たれぞ常ならむ 有為(うゐ)の奥山今日越えて 浅き夢見じ 酔(ゑ)ひもせず  作者不詳・日本 命と引き換えに半偈を  だれ知らぬものもない「いろは歌」です。しかし、この四十七文字の中に仏教の深遠な教義が歌いこめられていること、およびその教義の内容は案外よく知られていません。  その教義というのは、『涅槃経本有今無偈論』にある「諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅為楽」の四句の偈です。この偈については、次のような物語が伝えられています。  むかしヒマラヤの山に雪山童子という求道者が住んでいました。その青年は、世のすべての人をほんとうに幸せにする真理を求めて、あらゆる苦しい修行を重ねましたが、どうしてもそのような教えに巡り会うことができませんでした。あるとき山中で瞑想していますと、「諸行は無常なり、是れ生滅の法なり」と説く声が聞こえてきました。ああ、これこそ自分が求めていた真理である!と、声のしたほうを振り返ってみると、そこには恐ろしい羅刹(らせつ=悪鬼)が立っていました。  「今の偈をお説きになったのは、あなたですか」と、童子は尋ねました。「そうだ」と羅刹は答えます。「今の偈は半分だと思います。あとの半偈をぜひ教えてください」と童子は懇願しました。「おれはいま腹が減ってたまらない。教えてやったらおれに食われてくれるか。それなら教えてもいいが……」と羅刹は言います。童子は「その尊い教えを聞けたら、あなたに食べられても本望です。どうかお願いします」。それを聞くと羅刹は唱えました。「生滅を滅し巳(おわ)りて、寂滅を楽と為す」  童子は大いに喜んで、その偈の全部をそこいらじゅうの木の幹といわず、石の壁といわず、後の世の人のために書きつけ彫りつけました。そして、羅刹に食われるために、傍らの高い木の上から身を投じました。ところが、地上に叩きつけられる直前にフワリと受け止められたのです。受け止めたのは帝釈天でした。童子の求道心がほんものであるかどうかを試すために羅刹に身を変えていたのでした。その童子こそはお釈迦さまの前世の身だったと、ジャータカ(前世話)は伝えています。 対立の世界からの超越  さて、「いろは歌」の「色は匂へど散りぬるを わが世たれぞ常ならむ」というのは、昨日まで美しく照り映えていた花が、今日はすでに散ってしまっているように、人間を含めたこの世の物象に恒常なものは一つもないのだ(諸行無常)。これが現象世界の変化の法則なのだ(是生滅法)という意味です。  「有為の奥山今日越えて」というのは、有為とは生滅無常のものごとをいうのですから、そうした変化してやまないものを不変のものと思い込んで執着する煩悩の奥山から今日こそ抜け出して……という意味です。それが「生滅滅巳」です。生滅の世界を超越し切った境地です。  そうすることによって「寂滅為楽」の心境に達することができるわけです。生・滅という対立した二つの現象にとらわれていると、得とか損とか、利とか害とか、苦とか楽とか、生とか死とか、そういった相対的なものごとに心を引きずり回され、ほんとうの心の平安を得ることはない。もうそんな浅はかな夢は見るまい(浅き夢見じ)。一時の喜びに酔うこともしないぞ(酔ひもせず)。そんなものに煩わされない絶対的境地(寂滅)こそが、ほんとうの大安心(楽)というものだ……という悟りであります。  「いろは歌」にはこんな奥深い教えが込められているのです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば13

衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて  水をはなれて氷なく 衆生の外(ほか)に仏なし  白隠禅師・日本(坐禅和讃)

1 ...仏教者のことば(13) 立正佼成会会長 庭野日敬  衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて  水をはなれて氷なく 衆生の外(ほか)に仏なし  白隠禅師・日本(坐禅和讃) 二十六年目の法華経  白隠禅師は、徳川五大将軍綱吉の時代に世に出られた名僧中の名僧です。十五歳で自ら進んで出家し、十六歳のとき、初めて法華経を読みましたが、神秘的な不思議な光景や、おとぎ話のような譬えばかりが述べられていて、中身がないように感じ、すっかり失望して、それ以来手にしたことがありませんでした。  ところが、修行を積んで一寺の住持となった四十二歳の秋、ふと思い出して法華経を取り出し、読んでみました。そして譬諭品第三にさしかかり、「今この三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」とあるのを読んだとき、全身全霊にズシンとこたえるような衝撃を覚え、瞬間に法華経の神髄を悟ることができました。そして、感激のあまり声をあげて号泣した……と自ら語っています。  その後の禅師の思想が、法華経に根底を置くものになったことはいうまでもありません。ここに掲げた『坐禅和讃』の冒頭の句もそうであり、これに続く数句、  (一)衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ 譬えば水の中にいて 渇を叫ぶが如くなり (二)長者の家の子となりて 貧里に迷うに異(こと)ならず  も、やはりそうです。(一)は寿量品第十六の「我常に此に住すれども 諸の神通力を以て 顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ」の裏返しであり、(二)は信解品第四の「長者窮子の譬え」そのままであります。 氷は溶ければ水となる  さて「衆生本来仏なり」ということは、仏法の神髄中の神髄です。仏には三つの身があるといわれていますが、究極的にはこの宇宙のすべてのものを存在せしめている唯一の大生命をいうのです。人間もその大生命の一つの現れですから、本来は清浄無垢の、自由自在な存在なのです。それが「衆生本来仏なり」の意味です。  ところが、人間はこの真実をすっかり忘れてしまい、自分の現実の身体を自分の本体だと思い込んでいるのです。ですから、身体の欲するものをあれこれと追い求め、それが思うようにならないために、悩んだり、苦しんだり、また、他を悩ませたり、苦しめたりしているわけです。  しかし、幸いにして人間だけはほかの衆生と違って、発達した精神というものを持っており、自分の真実の本体を知る可能性を秘めているわけです。ですから、二千五百年前にそれを悟られたお釈迦さまの教えをしっかりと学び、素直にそれに従って心の持ち方を改めれば、現実の不自由な世界にいながら、自由自在な気持で生きることができるわけです。  ここには仏を水に譬えてあります。水は柔らかで、自由自在で、どんな形にもなり、流れたりよどんだりしながら魚介類を育て、土にしみ込んでは草木を茂らせます。しかし、その水が凍って氷となれば、固くて、冷たくて、他を寄せつけぬ形相を持ち、生物を傷めたり、殺したりします。これが凡夫のありようなのです。  元は同じH2Oでも、水と氷とはこれほど違います。仏と衆生との違いもこれと同様だというのです。ですから、本来の姿に返りたいと思ったら、仏法によって自分の心を温め、溶かしていけばいいのです。そうしてまずエゴに冷たく固まった心をほぐせば、それだけでも角(かど)がとれて円くなります。さらに修行を積んで水のような自由自在の心を持つようになったら、それこそが人間の理想の境地だ……というのが、この句の真意であると思います。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば14

聖者、人を駆(か)るに教網(こうもう)三種あり、いわゆる、釈・李・孔なり。浅深隔て有りと雖も竝(なら)びに皆聖説(せいぜい)なり。  弘法大師空海・日本(三教指帰巻上)

1 ...仏教者のことば(14) 立正佼成会会長 庭野日敬  聖者、人を駆(か)るに教網(こうもう)三種あり、いわゆる、釈・李・孔なり。浅深隔て有りと雖も竝(なら)びに皆聖説(せいぜい)なり。  弘法大師空海・日本(三教指帰巻上) 大学を中退して出家  『三教指帰(さんごうしいき)』は、大師がまだ空海をも名乗らない、出家以前二十四歳の時の作です。それなのに、空海の著述といえば、すぐこの書の名前が出るほど有名であり、広く読まれ、かつ後世に大きな影響を残した名作です。  空海は讃岐(さぬき・今の香川県)の生まれですが、幼時より秀才の誉れが高く、十八歳で時の都長岡京にある大学に入り、勉学に励みました。そこへ留学させた家族の望みは、立派な官僚に出世させることにあったらしいのですが、たまたま一人の仏教僧に巡り会ったのが縁となって、仏教に打ち込み、大学を中退して、阿波の山中や、土佐の室戸崎などで猛烈な修行に精進しました。  そうしているうちに、出世とか名誉とか財産とかに対する欲望がなくなり、同時に、貧しい人や、身体の不自由な人を見ると心から同情する気持が起こり、そういう人たちを救うために出家しようという決心をしたのでした。  すると、家族や親戚の人々は、「社会に対する義務を果たすことが君にも忠であり、親にも孝ではないか」と言って反対しました。「そのときわたしはこう考えた」と、『三教指帰』の序文に書いてあるのが、ここに掲げた言葉です。その前後を補わなければ真意が尽くされませんので、原文と現代語訳を付け加えましょう。 宗教の帰する所も同じ  「物の情(こころ)一ならず、飛沈(ひちん)性異(こと)なり。是の故に聖者、人を駆るに、教網三種あり、いわゆる、釈・李・孔なり。浅深隔て有りと雖も竝びに皆聖説なり。もし一つの羅(あみ)に入りなば、何ぞ忠孝にそむかん」  【現代語訳】 鳥が空を飛び、魚が水に沈むように、いろいろな存在の性情は一つではない。人間もやはり同じである。だから、人間を救う網として、釈尊の教えもあり、老子(李)の教えもあり、孔子の教えもある。浅い深いの違いはあるにしても、すべて聖なる教えである。だから、その一つの教えの中に入り込めば、忠孝に背くことはないはずである。  この「すべて聖なる教えである」という一句に注目しなければならないと思います。万教同根ということを、若年にして早くも見抜いておられたらしい大師の宗教者としての素質の素晴らしさには、驚くほかはありません。  この『三教指帰』は戯曲風に書かれており、空海の親戚の一人の遊蕩児について、甲の人は孔子の教えによって批判し、乙の人はその教えを老子の教えの立場から批判し、丙の人はそれをまた釈尊の教えによって批判し、ついに釈尊の教えが最上であるという結論に達するわけです。それは、これから仏教によって出家しようとする空海としては当然のことだったでしょうが、各宗教に対する理解はじつに深いものがあります。  この大天才が官僚となれば、間違いなく大臣にまで出世したでしょうが、あえて出家したことは後世の日本人にとってどれだけ幸いだったかわかりません。宗教の救いを、庶民の生活の上に実現された数々の事実や伝承は、永久に日本人の魂に残るでありましょう。  このことは、在家の仏教者であるわれわれにとって最大の手本です。宗教は人間の魂を救うのが究極の目的ですが、その方便としてまずその現実生活を救うことを忘れてはならないと思います。その点において、すべての宗教は同根であると同時に、帰する所も同じであると確信します。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば15

売買をせん人は、まず得利の益(ま)すべき心づかいを修行すべし。  鈴木正三・日本(万民徳用)

1 ...仏教者のことば(15) 立正佼成会会長 庭野日敬  売買をせん人は、まず得利の益(ま)すべき心づかいを修行すべし。  鈴木正三・日本(万民徳用) 道にかなった利益を  鈴木正三(しょうさん)はもと家康に仕えた武士で、関ヶ原、大坂の陣などで戦功を立てましたが、四十二歳のとき出家しました。そんな経歴の人だけに、いわゆる酸いも甘いも噛み分けたところがあり、その説法もくだけたものでしたし、著述も仮名まじりのわかりやすい文章で書かれていました。中でもその主著である『万民徳用』は、題名の通り、庶民の実生活に役に立つ法話に終始しています。  ここに掲げた言葉は、ある商人が「わたくしは売買の業をしており、利を得たいと思う心が止む間もなく、菩提に進むことができません。どうしたらいいでしょうか」と尋ねたのに対して答えた第一句です。ズバリとした、胸のすくような言葉ではありませんか。この句に続いて、大意つぎのように説いています。  「その心づかいというのは、ほかでもない。身も心も天地の道理に投げ入れて、一筋に正直の道を学ぶことである。正直の人には、諸天善神のめぐみが深く、仏のご加護もあって、災難をのがれ、自然に福を増し、世間の人々に愛され敬われて、万事が心にかなうようになってくるであろう」。とかく仏教は現世否定的な、消極的な教えのように思われがちですが、このように「商人は利益を増そうと思うのが当然である」という肯定の上に立って、その心づかいを説くところなど、いわゆる「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)=煩悩がそのまま悟りへ達する道である」という大乗の真理を踏んまえた名説法であると思います。 世をうるおす商売を  ほんとうに悟った人は、世間の思惑などを気にせずに、こんなズバリとしたものの言い方をするもので、経営の神さまと言われる松下幸之助さんも、こう言っておられます。  「利益というのはとうといものである。どっちの字を取ってみても悪い意味はすこしもふくまれていない。それは自分をうるおすだけでなく、人をうるおし世の中をうるおす。またそれには大きな可能性がふくまれている。  世の中は利益をもとめて動いていると言っていい。その中には精神的な利益というようなものも、もちろんふくまれている。  商業や事業をやって利益をあげないのは罪悪である。そういう事業なり商売はけっきょく長いあいだにはだめになる。それは自分をだめにするだけでなく、社会に迷惑をかけずにはおかない。正しい意味の利益はかならず社会に還元される性質をもっている。そこに立脚していれば、利益を主張することは、すこしもやましいことではない」(『松下幸之助一事一言』より)  鈴木正三師も、同じ章のずっとあとの方に、やはり社会のために商売をすべきだということを、大きな視野から述べておられます。  「この身を世界に投げうって、一筋に国土のため万民のためを思い、自国の物を他国へ移し、他国の物をわが国に持って来て、遠い国、遠い村里までうるおし、多くの人々のためになろうと誓願して、国々をめぐることは、業障を尽くすべき修行であると思い定め云々」(現代語に意訳)  まことに、貿易ということの意義を言い尽くしていると同時に、そのような仕事で広く世の中の人のためになること自体が、おのれの業障を解消することになるのだ……という、在家の仏教者にとってじつに有り難い、勇気を与えられる名言だと思います。  お互いさま、こうした心がけと自信を持って、それぞれの仕事に励みたいものです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば16

たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう  親鸞上人・日本(歎異抄)

1 ...仏教者のことば(16) 立正佼成会会長 庭野日敬  たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう  親鸞上人・日本(歎異抄) 漸く巡り会った真の師  親鸞上人は、九歳の時から二十年間比叡山で修行しましたが、どうしてもあきたらぬものがあって山を下り、やはり以前に比叡山から出て、どの宗派にも属さない、自由仏教人として求道していた法然上人を慕って行きました。自分は業(ごう)が深くてどうにも救われない身だと思い込んでいたところへ、「ただ念仏すれば救われる」という法然上人の教えを聞いて、何ともいえぬ開放感を覚え、「ああ、これよりほかはないんだ」という決定(けつじょう)に達しられたらしいのです。この句の前にあることばも付け加え、現代語訳してみましょう。  「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり。念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業(ごう)にてやはんべるらん。総じてもて存知せざるなり。たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」  【現代語訳】 親鸞においては、「ただ念仏して阿弥陀さまに救われなさい」という師の教えを頂いて、信ずるほかに格別なことはないのである。念仏はまことに浄土に生まれる種なのか、それとも地獄におちる行為なのか、そんなことはすべてわたしは知らない。たとい法然上人にだまされて、念仏して地獄におちるようなことがあっても、けっして後悔しないであろう。  わたしはこの「よきひとのおおせをかぶりて」ということばが好きです。「自分が尊敬する立派なお方のおっしゃることだから(だまされてもいい)」という純粋な「信」、それがなんとも言えず美しいと思います。宗教は、究極的には法に対する「信」に落ち着くのですけれども、その出発点はそれを教えてくれた人に対する「信」です。人に対する「信」……このことは、それが、急速に失われつつある今日、深く深く考え直すべき一事だと思うのです。 人と人との信の美しさ  わたしの尊敬してやまない今岡信一良先生の親友に、コンスタン・リツアニディというギリシャ人がありました。昭和三十年、ある宗教会議の席で顔を合わせて以来、百年の知己のようになり、それから毎週一回リツアニディさんは神奈川県真鶴の自宅から、そのころ今岡先生が勤めておられた正則高校の校長室を訪れ、時事・教育・宗教について時間を忘れて話し合いました。  その後、正則高校生のボランティアと一緒に精神病院を慰問したりしていよいよ固い友情に結ばれるようになりましたが、昭和四十三年、リツアニディさんが病気になって入院することになったとき、突然「自分が死んだら全財産を今岡信一良先生に贈る」という遺言状を送り、今岡先生をびっくりさせました。  今岡先生はたびたび、病院に見舞いに行かれましたが、あるとき、一時間以上も話し込んだので「もう帰る」と言われると、「ちょっと待ってくれ」と言う。しばらくして「さあ、もう帰ろう」と言えば、「ちょっと待ってくれ」を繰り返すのでした。ついに思い切って「帰る」と立ち上がられると、リツアニディさんは「ぼくも帰る」と言い出しました。「どこへ帰るんだ」と聞くと、「君の帰る所、どこへでも」と言ったそうです。  その一言に今岡先生は、なんともいえぬ感動を覚えられたそうですが、その話を聞いてわたしは、フト親鸞上人の法然上人に対する「信」を思い出したのでした。人と人との間の信、こんなに美しいものがほかにありましょうか。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば17

ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれて仏となる。  道元禅師・日本(正法眼蔵)

1 ...仏教者のことば(17) 立正佼成会会長 庭野日敬  ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれて仏となる。  道元禅師・日本(正法眼蔵) 仏さまへおまかせする  ほんとうに大安心を得たいと思うならば、小賢(こざか)しい人間の知恵であれこれと工夫したりしないで、自分の身も心も放(はな)ち忘れて、仏の家へ投げ入れてしまうことだ……というのです。仏の家へ投げ入れるというのは、身も心もそっくり仏さまへおまかせするということです。仏さまに生かされている身だから、生かされているままに生きましょう、というのです。  そういう気持でいますと、「仏のかたよりおこなわれて」すなわち、仏さまのほうからはたらきかけてくださるから、そのはたらきかけに素直に従って行けば、力を入れることもなく、心であれこれと思案することもなく、生死(すべての変化)をはなれて仏となることができる……というわけです。  仏となる……といえば、お釈迦さまのような完全な人格者になることのように誤解する人があるかもしれませんが、この場合はそういう意味ではなく、生死を超越した、自由自在な心境になることをいうのです。つまり、宇宙の大生命である仏さまと一体になった、大安心の境地をいうのです。  法華経の信解品第四にある「長者窮子の譬え」のように、窮子(衆生)は、大長者(仏)の跡取りなどとはつゆ思っていませんので、大長者のはたらきかけに驚いて逃げて行きましたが、それでも大長者はあきらめず、使いの者をやって、雇ってやろうと誘わせました。これが「仏のかたよりおこなわれて」です。  窮子は初めはなかなか心を開きませんでしたが、だんだん素直になって、長者に引き立てられるままに従順に働きました。これが「わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて」にほかなりません。そして、ついに長者の跡取り(仏の分身)だったことを知り、大歓喜するわけです。  とにかく、「宇宙の大生命に生かされているのだから、生かされているままに生きよう」という素直な気持、これが人生にとって何より大切なのです。 「呻ってもいいんですよ」  朝日新聞の論説委員をしておられた森恭三さんが、こんな話を何かに書いておられました。  森さんが一時間もかかる大手術を受けることになり、それも局部麻酔だと聞かされ、その間じゅう何を考えていようかと思い悩みました。手術台に横になっても、その思い悩みは消えず、身体も緊張で硬くなっていました。  すると、執刀の医師が、  「呻(うな)っていいんですよ。そのほうが、わたしも手術しやすいんだから」  と言ったのだそうです。この一言が、森さんには大きな救いでした。サムライは痛くても呻ってはならないという虚栄心にとらわれていたのが、スーッと楽になりました。安心とともに眠くなり、呻りながら眠ってしまった……というのです。  森さんは、その医師こそ名医であると結んでおられましたが、たしかにそのとおりです。と同時に、その名医の一言にスーッと心を開いた森さんの素直さにも感心しました。まことに「身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて」の境地だったのです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば18

鉢盂(はつう)を洗い去れ  趙州禅師・中国(従容録第三九則)

1 ...仏教者のことば(18) 立正佼成会会長 庭野日敬  鉢盂(はつう)を洗い去れ  趙州禅師・中国(従容録第三九則) 平常心これ道  あるとき一人の僧が趙州(じょうしゅう)禅師の叢林(雲水の修行する所)に入門しました。そして禅師に「わたくしは初めて叢林にまいり、万事不案内ですが、どうしたらよろしいのでしょうか」と指示をお願いしました。禅師は、  「ご飯は食べたか」  と尋ねました。僧が「頂きました」と答えると、禅師は一言、  「鉢盂を洗い去れ」  と言われました。「ご飯がすんだら、お茶碗をきれいに洗って片づけておきなさい」というのです。  ごくあたりまえのことを軽く言われたように聞こえますけれども、じつはこれがまことに意味の深い、重々しい一言なのです。つまり、  「あたりまえのことをあたりまえにするのが、ほんとうの禅であり、仏法であるぞ」というのです。別のことばでいえば「平常心これ道」というわけです。  禅というのは、何となく浮世ばなれのした高遠な世界に遊ぶもののように誤解されがちですが、ホンモノの禅というのは、たとい悟るのは高遠な世界であっても、それを日常の生活に活用するところにあるのです。禅に限らず、仏法全体がそのとおりで、仏法の道理を自由自在に活用して、人生を誤りのない、しかも充実したものにしてこそ、その価値があるのです。 人を見て法を説け  活用といえば、趙州禅師にはもう一つこういう話があります。  五台山は、中国における仏教の一大霊場ですが、そこへ行く道の傍らに一軒の茶店があり、その店の前で道が三つに分かれていました。五台山へ行くお坊さんが茶店のお婆さんに、「どの道を行ったらいいのですか」と尋ねると、お婆さんはきまって「真っすぐ行きなさい」と答えます。  お坊さんが来た道から真っすぐの道を行こうとすると、お婆さんは「あんた、お人好しだねえ。いったいどこへ行く気なの」とからかいます。「だって、真っすぐ行けと教えたじゃないですか」と言うと、お婆さんは「真っすぐというのは、正しい道を道草をせずに行きなさい、ということですよ」といってやりこめます。なかなか禅味のあるお婆さんだという評判が立ちました。  ある僧がその話を趙州禅師にしたところ、それではわしがその婆さんの力量を試してやろうといって、五台山へ出かけました。そして、茶店のお婆さんに「五台山へはどう行ったらいいのですか」と尋ねると、例のとおり、「真っすぐに行きなさい」と答えました。  趙州禅師は帰ってきて、「あの婆さんは禅機などありはしない。わしが五台山へ行く道を知っている人間だと見抜けず、千遍一律のことをいっている。ただの婆さんさ」と話したというのです。  「人を見て法を説け」ということばがあります。仏法の道理は一つですけれども、説く相手の機根によって万億の方便を用いるのが、ほんとうの仏教者というものです。  わたしたちも、いちがいにこの茶店のお婆さんを笑うことはできません。よくよく心すべきことだと思います。さればこそ、この話はやはり『従容録』の第十則に取り上げられているのです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば19

今も短気がござるか。あらばここへ出さしやれ。直して進ぜよう  盤珪禅師・日本(盤珪禅師法語・上)

1 ...仏教者のことば(19) 立正佼成会会長 庭野日敬  今も短気がござるか。あらばここへ出さしやれ。直して進ぜよう  盤珪禅師・日本(盤珪禅師法語・上) 短気など本来なきもの  盤珪(ばんけい)禅師は江戸時代初期の名僧です。若い時に絶食の座禅を繰り返し、尻の皮が破れて血が流れて止まらなくても横になることはなかったというような、猛烈な修行をしました。そのために肺結核のような重病にかかり、ほとんど死にそうになりました。  そんなある時、ふと「人間には不生不滅の仏心がある。この不生の仏心によれば一切のことはよく整う」と思いつきました。そのとたんに気が軽くなり、傍らに仕えていた人に粥を作ってくれと頼み、それを三椀も食べてからどんどん病気がよくなったのだそうです。 そういうわけで、禅師が説くのは「不生の仏心」一本槍と言ってもよく、しかも、むずかしい言葉は使わず、だれにも分かる口語で説法をしましたので、たくさんの人が帰依し、そして救われたのでありました。ここに掲げた言葉は、ある僧の問いに答えたものです。その僧は禅師にこう尋ねました。  「わたくしは生まれ付いての短気者でございます。わたくしの師匠もけんめいに意見されますし、わたくし自身も、これは悪いことだと思い、直そうと努力するのですが、直りません。これはどうしたら直るでしょうか」  そこで禅師は、「そなたは面白いものを持って生まれ付かれたのう。今も短気を持っておられるか。あったらここに出してごらん。直してあげましょう」と言ったわけです。僧は、「ただいまはございません。何かの拍子に、ひょっと短気が出るのです」と言いました。すると禅師は次のように説かれたのです。禅師の説法の調子を味わっていただくために原文のまま(新仮名に直し、漢字と仮名を使い分けた部分もある)を引用しましょう。 迷いは自ら作り出すもの  「然らば、短気は生まれ付きではござらぬわ。何とぞした時、縁によってひょっと、そなたが出かすわいの。(中略)そなたが身のひいきゆえに、むこうの物に取り合うて、わが思わくを立てたがって、(短気を)出かしておいて、それを生まれ付きというのは、親に難題を言いかくる、大不孝の人というものでござる。人々みな親の産み付けてたも(給)ったは仏心一つで、余の物は一つも産み付けはさしゃりませぬ。(中略)わが出かさぬに、短気がどこにあろうぞいの。一切の迷いは皆これと同じ事で、わが迷わぬにありはしませぬ。それをみな誤って、生まれ付きでもないものを、我欲で迷い、機癖(きぐせ=癖になった気質)でわが出かしていながら、生まれ付きと思うゆえに、一切の事について、迷わずにはえいませぬ」 つまり、禅師が説かれるのは、生まれたばかりの赤ちゃんの心は、すべて清浄な仏心そのものだというのです。それが、さまざまな因縁によって我欲(利己心)を持つようになり、その我欲が短気とか、不平不満とか、やたらと物を欲しがる心とか、その人特有の気質の癖を持つようになるが、それは自分の本性ではない。自分の本性は仏心そのもの、仏性そのものなんだということを悟りなさい。そうすれば、迷いは向こうのほうから消え去ってくれるものだ……というのです。  それにしても「短気があるならここに出して見せよ」という言葉、「自分が作り出していながら親のせいにするのは大不孝だ」という言葉には、じつに鋭い機鋒がこめられていて、ドキリとさせられるものがあります。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば20

われかならずしも聖にあらず、かれかならずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫なるのみ  聖徳太子・日本(十七条憲法第十条)

1 ...仏教者のことば(20) 立正佼成会会長 庭野日敬  われかならずしも聖にあらず、かれかならずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫なるのみ  聖徳太子・日本(十七条憲法第十条) 人々と同じ道を歩む  十七条憲法は、現代にもそのまま通用する人生訓に満ちていますが、中でもこの第十条は、人間関係の機微を衝き、その円満なあり方の基本を教えられた重要な一条だと思います。その全文をかかげて、現代語訳してみましょう。  「こころの忿(いか)りを絶ち、おもての瞋(いか)りを棄て、人の違(たが)うことを怒(いか)らざれ。人には皆心あり。心にはおのおの執(と)れるところあり。かれ是とすれば、われは非とし、われ是とすれば、彼は非とす。われかならずしも聖にあらず、かれかならずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫なるのみ。是非の理、たれかよく定むべき。あいともに賢く愚かなること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人は瞋るといえども、かえってわが失を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え」  【現代語訳】 心の怒りもそれを抑え、顔に出る怒りも収めて和やかな表情となり、人の言行が自分の考えと違うのを怒ってはならない。人にはみなそれぞれの心があり、それぞれ執着するところがある。したがって、かれが正しいと思うことを自分は正しくないと思い、自分がよいとすることをかれがよくないとすることもあるのだ。自分はかならずしも悟った人間ではない。かれはかならずしも愚かな人間ではない。どちらも同じ凡夫なのだ。是と非の理を、凡夫のだれがよく決定できるだろうか。人間は、ある時もしくはある事には賢く、ある時もしくはある事には愚かであって、ちょうど耳に付ける円い飾り環に端がないように、賢と愚がグルグル回っているのだ。だから、人が怒っているならば、自分に過失がなかったのかと反省することだ。また、自分は悟り得た人間だと思っても、多くの人たちの言い分にも耳を傾け、大衆と同じ道を歩むよう心がけるがよい。 大衆は衆愚ではない  現代語訳で大体の意味は分かっていただけると思いますが、疑問に思われる点が二個所ほどあるのではないかと察せられますので、説明しておきます。  第一は、「では、是と非の理を決定するものは何か」という疑問でしょう。太子のお考えをおしはかれば、「凡夫はどうしても自分本位にものを考えがちだから、過失の危険が伴う。みんながそのような小さな我を捨てて、仏法が教える天地の真理にのっとって考えれば、どれが是でどれが非かはおのずから分かってくるはずだ」というお考えが言外にあると思われます。そう推測して間違いはないでしょう。  第二は、最後に「大衆と同じ道を歩むように心がけよとあるが、それでは衆愚に引きずられる恐れがありはしないか」という疑問でしょう。このおことばは、指導的立場にある者の独りよがりを戒めると同時に、一般大衆の志す方向はいわゆる「中道」に合致していることが多いことを示唆されたものと思われるのです。大衆はけっして衆愚ではありません。  先進諸国の産業や経営に詳しい人の話によりますと、日本の工員等は上の人に「これはこうした方がもっとよくなると思いますが……」といった提言をよくしますが、欧米ではしてはならないことになっているそうです。また、日本の会社などのように、勤務時間が終わってから遅くまで反省会などすることは絶無だそうです。日本の技術や経済力がグングン伸びたその秘密は、こうした底辺の力の総和にもあるということでした。太子のおことばを裏書きする事実だと思います。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば21

人は阿留辺幾夜宇和という七文字を持(たも)つべきなり。  明恵上人・日本(栂尾明恵上人遺訓)

1 ...仏教者のことば(21) 立正佼成会会長 庭野日敬  人は阿留辺幾夜宇和という七文字を持(たも)つべきなり。  明恵上人・日本(栂尾明恵上人遺訓) 現代人に対し痛烈な教え  阿留辺幾夜宇和というのは、日本語の発音に漢字を当てたもので「あるべきやうは」と読めばいいのです。その意味は「(人間は)そうあらねばならないようにあれ」ということで、もっとつづめていえば「らしくあれ」ということです。  このあとにつづいて上人は「僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり、乃至帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。此のあるべきようを背く故に、一切悪きなり」と言っておられます。  これは二十世紀末の現代の人間に対する痛烈な教えであると受け取らねばなりますまい。父が父らしくなくなり、母が母らしくなくなり、教師が教師らしくなくなったために、子供たちも子供らしくなくなり、家庭内暴力や、校内暴力といった、これまでの日本では考えられもしなかったような事件を引き起こすようになりました。  われわれが住んでいるこの世界は、ありとあらゆるものが、それぞれらしくあることによって成り立っているのです。太陽が太陽らしくあり、月は月らしくあり、地球は地球らしくあってこそバランスを保っているのです。ところが、地球上に住む人間は、自分たちさえよければいいというわがままを増長させたあまり、森林を森林らしくなくし、土壌を土壌らしくなくし、空気を空気らしくなくし、だんだんとこの地球を住み難い世界へ変えてゆきつつあります。自分で自分の首を絞めつつあるのです。もうこのへんで、人間はもっと謙虚になり、らしくあることを大切にしなければなりますまい。そうしなければ、遠からず破滅におもむくことは必至だと思います。 自身がらしさに徹した  さて、明恵上人は、ご自身も「あの世で救われようとは思わない。ただこの世においてあるべきようにあろうと思うばかりである」と言い切っておられるように、仏僧らしい僧であったと同時に、じつに人間らしい人でありました。  仏教の開祖釈尊を恋い慕う情熱はひたむきなものがあり、どうしても天竺(てんじく=インド)へ旅しなければならぬと精密な行程表まで作られたのですが、それを果たすことができず、せめて一歩でもインドに近い所に行きたいと、紀州の無人島に行き、そこの海水をすくって頭の上にささげ「この水は遠く天竺に通ずる水だ。お釈迦さまの遺跡を洗った水だ」と言ってうやうやしく礼拝したということです。純粋な人だったのです。  承久三年の乱のとき、官軍の敗残兵が上人の住する京都郊外の高山寺へ逃げこんだのをかくまい、けっして幕府方に渡しませんでした。追っ手の隊長が上人を捕らえて、北条泰時の所へ連れて行きましたが、上人は平然として先に立って歩いて行きました。泰時はかねてから上人の高徳を聞き及んでいましたので、びっくりして席を立ち、上人を上座に据えて平伏しました。上人は、  「高山寺は落人をかくまっているのは事実だ。釈尊も、前世には鷹に追われた鳩の身代わりとなっておん身を鷹の餌食にされた。それほどの大慈悲には及ばずとも、戦いに敗れた軍兵を助けるのは仏教者として当然のことである。もしそのために政道が立ちゆかぬようだったら、拙僧の首をはねられよ」と言われました。泰時はこれを聞いて感動の涙を流し、部下の粗忽(そこつ)を詫び、ていねいに輿(こし)でお送りしました。その粗忽な隊長は、のちに上人の弟子となったそうです。  まことに上人こそは、あるべきような生きざまをつらぬいた人でありました。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば22

新しく興ってくる西洋の思想は総合性をめざしているから、この新しい要求を満たす材料を仏教の真理の蔵から選び出すことを、むしろ希望するであろう。  C・ハンフレーズ・英国(仏教・原島進訳)

1 ...仏教者のことば(22) 立正佼成会会長 庭野日敬  新しく興ってくる西洋の思想は総合性をめざしているから、この新しい要求を満たす材料を仏教の真理の蔵から選び出すことを、むしろ希望するであろう。  C・ハンフレーズ・英国(仏教・原島進訳) 世界を分裂から救う道  クリスマス・ハンフレーズ氏は、英国の法曹界で指導的地位にある人ですが、十七歳で仏教に関心を持ち始めて深くそれに帰依し、一九二四年にロンドン仏教協会を設立しました。この会はヨーロッパにおける最も有力な仏教団体であります。  この『仏教』という書は、日本でいえば岩波文庫に当たる『ペリカンブック』の一冊として、西洋では非常によく読まれているそうですが、日本人があまりにも仏教の中にドップリ浸(つか)っているためにとかくその根本を忘れがちなのに対し、異なった文化の中に生い育った知性の人であるハンフレーズ氏は、醒めた目でしっかりと仏教の全貌をつかみ、「世界仏教」としてそれをとらえているところに、日本人がかえって教えられるところが多いのです。  右に掲げた言葉は、その書の結びの一節にあり、いわゆる「西洋の没落」から立ち直らせるばかりでなく、それがひいては世界全体を慢性的な分裂から救う大きな手がかりとなる考えであると思うのです。 すべては一つということ  西洋的なものの考え方は、一口でいえば、ものごとの一つ一つを克明に分析してそこから真理を発見していこうとするものでありました。そういう態度が、科学の驚異的な発達を生んだのです。ところが、科学は多くの面で人類の生活に寄与するところが多いのですけれども、しかし、人類はいっこうそれによって幸せになってはいません。  安楽になり過ぎた生活は、生物としての人間の生命力を弱めつつあります。多くの疫病は消滅しましたが、新しい文明病は続々と発生しつつあります。しかも科学の最大の鬼っ子である核兵器は、われわれに最大の不安を与えているのです。  科学の発達がわるいのではありません。個にとらわれ、全体を忘れる思想がよくないのです。現実生活の快楽を追い求め、精神の寂静をないがしろにする生きざまがよくないのです。そこに仏教再登場の大いなる意義があります。  まず第一に、仏教は「すべては一つ」という世界観に根拠を置いています。この世のすべての物象は、科学的に言えば「ただひといろの空(くう)の所産である」と断じ、宗教的に言えば「法身の仏(宇宙の大生命)の分身である」とし、いずれにしても根源は一つであるという真実を説いています。  したがって、人間どうしはもとより、天地すべての物と大調和して生きるのが真理にかなった生き方であり、そこに人間のほんとうの安らぎがあり、幸せがあるとしているのです。  物質的欲望や個の権利のみを追求していけば、どこまでいってもそれが満たされることはなく、自分自身は絶えざる欲求不満に悩まされ、他との間には衝突と摩擦が生じ、永久に心の安らぐことはありません。釈尊が簡素な生活を勧められたのも、たんなる個のための戒めではなく、世の中全体の軋轢(あつれき)を少なくするという大きな配慮があったものと拝察されます。  西洋の心ある人々は、右の言葉にもあるように「総合性(大きくまとめて考える)(大きく一つにまとまる)」ということを強く志向しています。そのことを、われわれ日本人も謙虚に逆輸入すべきではないでしょうか。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば23

才市やどんどこ、はたらくばかり。いまわ(は)あなたに、く(苦)をとられ、はたらくみこそ、なむあみだぶつ。  浅原才市・日本(妙好人浅原才市集)

1 ...仏教者のことば(23) 立正佼成会会長 庭野日敬  才市やどんどこ、はたらくばかり。いまわ(は)あなたに、く(苦)をとられ、はたらくみこそ、なむあみだぶつ。  浅原才市・日本(妙好人浅原才市集) 大哲学者の生き証人  この人を広く世に紹介された鈴木大拙博士は、その編著『妙好人浅原才市集』冒頭の論文にこのように書いておられます。  「石見(いわみ)の国は温泉津(ゆのつ)の妙好人浅原才市(一八五一~一九三三)は、実に妙好人中の妙好人である。浄土真宗だけでなく、仏教は何宗でもよい。そのいずれにあっても、妙好人の資格を具えておるから不思議な人物である。(中略)彼は普通にいう妙好人だけでなくて、実に詩人でもあり、文人でもあり、実質的大哲学者でもある」  浅原才市は、無学な下駄造りの職人でした。菩提寺の和尚さんの説法もよく聞きに行ったようですが、一日の大部分はセッセと下駄造りの仕事に精出していました。そして、仕事をしながら頭に浮かんだことを、下駄の歯や、下駄の裏や、小学生用のノートに書きつけました。ほとんどひら仮名で、ところどころに使ってある漢字も、阿弥陀をあみ太と書いたり、後生をご正と書くような当て字が多いのです。  そのような無学な老人が、世界的な学者である鈴木大拙先生をして「実質的大哲学者でもある」と言わしめたのですから、学問はなくても、ほんとうに澄み切った心で信仰に徹底すれば、宇宙と人生の真理に直入し、それと一体となることができることの、生きた証人であると言わねばなりますまい。  そういう点において、われわれ在家信仰者が手本として仰ぐべき人物であると確信します。 世界虚空がみな仏  ここに掲げた一編は、ほとんど解説の要もないと思いますが、「いまはあなたに、苦をとられ」というのは、仏さまに苦を吸い取っていただいているという実感です。そして、くったくのない明るい法悦の中で、どんどこどんどこ、働いている身の有り難さを思えば、ひとりでに「なむあみだぶつ」が出てくるというのです。信仰の妙境はここに尽きるといっていいでしょう。  この句の前後にある句を補った完全な一編を読めば、その妙境がもっとはっきりとわかってくるでしょう。   よろこびを、まかせるひとわ、なむの二じ。   われが、よろこびや、なむがをる。   才市やどんどこ、はたらくばかり。   いまわ、あなたに、くをとられ、はたらくみこそ、なむあみだぶつ。   らくもこれ、よろこびもこれ、さとるもこれ。   らくらくと、らくこそらくで、   うきよをよごすよ。   才市が仏さまと一体になっている実感は、次の一編でもよくうかがうことができます。   才市がをやさま。   才市がをやさまに、   よ(う)似て居るよ。   見るほど、よ(う)似て居るよ。   親と思わず。   親さまによ(う)似て居るよ。   この親が才市の親かい。   ありがたい、なつかしや。   なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。   最後に、哲学的な境地ともいうべき一編を紹介しましょう。これは、法華経で説かれる真実とも一致しているので、とりわけ印象に残ります。   ゑゑな。(いいな)。   世界虚空が、みな仏。   わしも、そのなか。   なむあみだぶつ。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば24

この地上を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへでも跣足(はだし)で歩ける。が、それは不可能である。しかし自分の足に七寸の靴をはけば、世界中を皮で覆うたと同じことである。  河口慧海・日本(山田無文《手を合わせる》より)

1 ...仏教者のことば(24) 立正佼成会会長 庭野日敬  この地上を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへでも跣足(はだし)で歩ける。が、それは不可能である。しかし自分の足に七寸の靴をはけば、世界中を皮で覆うたと同じことである。  河口慧海・日本(山田無文『手を合わせる』より) 無文老師を育てた言葉  河口慧海(かわぐちえかい)師は、チベットが現在のように中国の領土ではなく、きびしい鎖国をしていて無断で入った者は容赦なく殺されるという世界の秘境だったころ、日本人として初めてその地に入り、チベット仏教を研究、その文献を多数持ち帰った先覚者でありました。わたしが尊敬してやまない山田無文老師が学生のころ、慧海師は東京の本郷に、雪山精舎というサンガを結んで、チベット仏教を講義しておられました。  山田少年は、法律家にさせたいという父上の意を受けて東京に遊学したのですが、精神的なものに強く引かれるたちで、中学の物理や化学の時間には、下を向いてひそかに法華経を読んでいました。当時ほとんど暗記するほどに読んだ『論語』にある「人民の訴訟を聞き、正しく裁いてやることは、自分も人と同じようにできるだろう。しかし、自分の願うところは、訴訟などの起こらない平和な社会をつくることである」という意味の一句が、山田少年の魂を大きく支配していたのでした。  学校の勉強には身を入れなかっために、中学はやっと卒業したものの、一高を受験しては不合格、一年浪人して八高を受けてもダメでした。  そういった時代に、友人の誘いで河口師の雪山精舎で仏教の講義を聞くようになりましたが、そのテキストにあったのが、右に掲げた文章です。これは、最も印象深い前半だけを抜き出したものですが、後半まで読まなければその意味は分かりませんので、全文を引用しましょう。  「この地上を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへでも跣足で歩ける。が、それは不可能である。しかし自分の足に七寸の靴をはけば、世界中を皮で覆うたと同じことである。自分の心に菩提心をおこすならば、すなわち人類のために自己のすべてを捧げることを誓うならば、世界は直ちに天国になったにひとしい」 前半の譬喩が感動を  このことばが、山田無文老師の一生を決定したのです。その時の心境を『手を合わせる』に、次のように書いておられます。  「そうだ、この道だ。直ちに浄土を成就し、直ちに自己を完成し、今日ただいま自己も世界も救われる道。この道よりほかにわたくしの行く道はない、とわたくしは確信した。一切人類のために自己のすべてを捧げる、と心に誓う、それだけでよいのだ。それなら自分にでもできる。今でもできる。わたくしは心に誓った。自分の幸福も、自分の心身も、自分の一生も、自分のすべてを、今日から人類に捧げますと、心に堅く誓った。するとどうであろう。すべてを捨てた心の明るさ、すべてを捧げた心の豊かさ、わたくしはかつてない幸福感に満たされて、歓喜躍如とした」  この文を読んでいただけば、わたしの解説など少しも必要ではないでしょう。しかし、一言だけ付け加えておきましょう。それは、もし山田青年が、河口氏のこのテキストの後半だけ読んだとしたらこれだけの感激、これだけの回心を起こしただろうか……ということです。  前半の巧みな譬喩があってこそ、グッと魂に響くものがあったはずです。その意味で、あえて前半だけを表題に掲げたのです。お釈迦さまが法を説かれるのに、盛んに譬喩を用いられたことも、さこそと思い出されます。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば25

仏法は功を用ゆる処なし。ただ是れ平常(びょうじょう)無事なり。  臨済禅師・中国(臨済録)

1 ...仏教者のことば(25) 立正佼成会会長 庭野日敬  仏法は功を用ゆる処なし。ただ是れ平常(びょうじょう)無事なり。  臨済禅師・中国(臨済録) 仏法は日常生活中に在る  このあとに「痾屎送尿(あしそうにょう)、着衣喫飯(ちゃくいきっぱん)、困じ来れば即ち臥す」と続いています。大意を申しますと、「仏法というものは、特別な修行をこれほどやればこれほどの効果があるといった風のものではない。ただ平常のことを無事にやっているところにあるのだ。大便をしたいときにはする。小便をしたいときにはする。着物を着るべきときには着る。食事をすべきときには食事する。眠くなれば寝ればいいのだ」というのです。  これを浅く読めば、心の向くままに生活行為をすればそれでいいのだ……というふうに受け取れますけれども、けっしてそうではありません。  この「無事」には深い意味があるのです。つまり、当たり前のことを当たり前にする、道理のとおりにする……ということです。こうして平常の一つ一つの行為をおろそかにせず、キチンキチンとやっておれば、それが「無事」にほかならず、無事であることがいちばん仏法にかなったことだ、というわけです。 無事なき所に異常生ず  このことは、今日の日本人にとって非常に大切なことだと思うのです。子供の教育にしても、塾にやるとかなんとか、特別なことをさせるのが「教育」だと思い込んでいる傾向があります。そして、日常生活のいろいろな行為をキチンとやる、正しくやるということには無関心なように思われます。そういうところから、異常な子、問題児、つまり「無事」でない子供が育つのです。  成人にしても、「無事」ということに対する感覚の麻痺している人が多くなっているのではないでしょうか。最近いちばん問題になっているのはサラ金苦からの蒸発や、離婚や、一家心中などですが、これは金銭に対する考え方が荒っぽくなり、楽をして金銭を手に入れて一時をしのごうとか、分際以上のものを買おうとかして、異常な借用をしてしまうからだと思われます。  福沢諭吉翁は『福翁自伝』の中にこんなことを書いています。(原文のまま)  「凡そ世の中に何が怖いと云っても、暗殺は別にして、借金ぐらい怖いものはない。……大阪の緒方先生の塾の修行中も、相変らず金の事は恐ろしくて唯の一度でも他人に借りたことはない。人に借用すれば必ず返済せねばならぬ。当然のことで分り切って居るから、其返済する金が出来る位ならば、出来る時節まで待て居て借金しないと、斯う覚悟を極めて、ソコで二朱や一分はさておき、百文の銭でも人に借りたことはない。チャンと自分の金の出来るまで待て居る」  「斯後江戸に来ても同様、仮初(かりそめ)にも人に借用したことはない。折節(おりふし)自分で想像しては唯怖くて堪らない。……一口に言えば私は借金の事に就て大の臆病者で、少しも勇気がない。人に金を借用して其催促に逢うて返すことが出来ないと言うときの心配は恰(あたか)も白刃を以て後ろから追っかけられるような心地がするだろうと思います」  今の人も、これぐらい借金ということに臆病になれば、けっしてサラ金苦などにさいなまれることはないと思います。  ここには昨今の世の異常傾向として、問題児のこととサラ金苦を例に取りましたが、つまるところは臨済禅師のいう「無事」の観念が薄れているところに素因があると思うのです。まことに仏法は遠きに在らず、われわれの日常生活の中にこそあるのです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば26

畏れとは、人間を越えたもの、絶対者--神や仏--に対する畏怖心。一方、水、空気、光に対する畏敬の感情です。近代化はこの畏れをなくする方向に進んだ。ドイツの哲学者ニーチェによって、「神は死んだ」と言われたわけです。  東昇・日本(…

1 ...仏教者のことば(26) 立正佼成会会長 庭野日敬  畏れとは、人間を越えたもの、絶対者――神や仏――に対する畏怖心。一方、水、空気、光に対する畏敬の感情です。近代化はこの畏れをなくする方向に進んだ。ドイツの哲学者ニーチェによって、「神は死んだ」と言われたわけです。  東昇・日本(人間が人間になるために) 人間の傲慢さへの反省  東昇(ひがし・のぼる)元京都大学教授(故人)は、日本ウイルス学会会長、日本電子顕微鏡学会会長として、著名な学者でした。若い時に『歎異抄』を読んだことから、深く仏教に帰依し、科学者でありながら、「真の生命は肉体が滅びたあとにある」と言明してはばからぬ人でした。  現代の危機は、人間が人間自らを絶対化し人間以上の存在との関係を見失ったところにあるとし、もっと自然を知ること、自然を大切にすること、「畏れ」の感情を取り戻すことが急務である――と常に強調し、「人間が人間を過信し、傲慢な優越感にとらわれぬこと。換言すれば、人間のもろさに対する想像力を持つこと」という名言をも残しておられます。  まことに、最近の人類は、水や空気の汚染、地球の砂漠化、異常気象等々によって、人間の傲慢さを反省し、人間のもろさを痛感するようになっているのです。 「修慧」が何より大切  古代の日本人は自然と密着して生活していましたので、自然を畏敬する感情を十分に持っていました。木にも神が宿り、水にも神があり、太陽も神であると信じていました。現代人にそんなことを言えば鼻で笑うかもしれませんが、それならば、神という言葉をいのちという言葉に置き換えれば、とたんにそのせせら笑いも消えてしまうでしょう。心ある人ならだれでも、水にもいのちがあり、空気にもいのちがあり、太陽の光もいのちの源であることを信じて疑わないでしょう。  ですから、いまの大人(おとな)たちの間には、自然を大切にしようというキャンペーンが起こりつつあります。嬉しいことです。しかし、その精神を自分自身の暮らしの上に、どれぐらい実践しているかということになると、大きな疑問が残るのです。  仏教では三慧(さんえ)ということを教えています。第一は聞慧(もんえ)。聞いて得る智慧、学んで得る智慧です。第二は思慧(しえ)。自分で考え、思索して得る智慧です。第三は修慧(しゅえ)。これは自ら実践してみて初めて身につく智慧のことです。現代人はたいてい教養が高くなっていますので、聞慧と思慧の点ではある程度信頼できます。しかし、第三の修慧となると、どうも心もとない気がしてなりません。  いちばん心配になるのは、次の世代を担う子供たちのことです。水は蛇口をひねれば出るもの、光はスイッチを回せばつくものと、万事そういう育ち方をしていて、すべてのものに存在するいのちを畏敬する心が養えるでしょうか。ましてや、いのちの根源である絶対者に対する畏敬の念を持つ、人間らしい人間に育つものでしょうか。  二十年前の旧著『無限への旅』にも書いたように、都会の子供には田舎の生活を経験させるのが最も大切な教育だというのがわたしの持論です。そういう田舎を持たない人はキャンプにでも連れていくといいでしょう。水は谷川まで汲みに行かねばならない。火は木々が落とした枯れ枝で起こさねばならないとなると、否が応でも自然の大切さが身にしみるはずです。そこから、目に見えぬ絶対なものに対する畏敬の念も生じてくるでしょう。これが修慧にほかならないのです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば27

過去に法華経の行者にてわたらせ給えるが、今、末法に船守の弥三郎と生れかわりて、日蓮をあわれみ給うか。  日蓮聖人・日本(船守御書)

1 ...仏教者のことば(27) 立正佼成会会長 庭野日敬  過去に法華経の行者にてわたらせ給えるが、今、末法に船守の弥三郎と生れかわりて、日蓮をあわれみ給うか。  日蓮聖人・日本(船守御書) 信仰は最高至上の情操  「人間は感情の動物である」という言葉があります。そういえば、われわれの人生から感情とか、情緒とか、情操というものを取り去ることは絶対にできません。信仰というものも、つまりは最高至上の情操ですが、これはいちおうさしおいても、人を愛したり、なつかしく思ったり、感謝したり、大自然の素晴らしさに感動したり、とにかく美しい感情・情緒・情操の波立ちがあってこそ、われわれの人生はいきいきとした、生きがいあるものになるのです。  聖者といわれる人々も、やはり同じだと思います。仏の悟りを開かれたお釈迦さまでも、人々の供養には感謝され、苦しみ悩んでいる人には心から哀れとおぼしめされ、舎利弗や目連の死に遭っては大勢の比丘たちの前で「寂しい」と口に出してお嘆きになりました。どんなことがあっても冷静氷のごとく、感情ひとつ動かさないような人があったらそれは人間とはいえますまい。  ところで、インドや中国や日本などの仏教者には、偉大な人物が数々ありますが、感情の波立ちが激しく、そしてそれを率直に表現された点において、日蓮聖人ほどの方はなかったのではないでしょうか。とりわけ、弟子・信者たちに対するやさしさ、思いやり、感謝、それらをなんのてらいもはばかりもなく、ご消息(しょうそく=手紙)に書き送っておられるその人間味に、われわれは無限のなつかしさを覚えずにはおられません。  ここに掲げたのは、伊豆の一漁民・弥三郎に送られた手紙の一部です。時の執権北条長時は何の理由もなく聖人を召し捕り、由井ヶ浜から船で伊豆へ流そうとしました。伊東沖にさしかかった時、波風がにわかに荒くなりましたので、役人どもは海岸から離れた平たい俎岩(まないたいわ)の上に聖人一人を置き去りにして引き返してしまいました。潮はだんだん満ちてきて、そのままでは聖人のお命はなかったでしょう。  その時、浜へ急ぎ帰る漁船が通りかかり、聖人をお助けしたばかりか、きびしい幕府の目をくぐって岩穴にかくまい、女房もろとも朝夕の食事を運び、ご供養したのでありました。 愛し合う人あってこそ  この文の前後を補えば、次のようになります。  「船より上り苦しみ候いきところに、ねんごろにあたらせ給い候し事は如何なる宿習(宿世の因縁)ならん。過去に法華経の行者にてわたらせ給えるが、今、末法に船守の弥三郎と生れかわりて、日蓮をあわれみ給うか。たとい男はさもあるべきに女房の身として食をあたえ、洗足、手水(ちょうず)、其外さも事ねんごろなる事、日蓮はしらず、不思議とも申すばかりなし。(中略)ことに五月の頃ともなれば、米も乏しかるらんに、日蓮を内内にてはぐくみ給いしことは、日蓮の父母の伊豆の伊東、川奈というところに生れかわり給うか。云々」  この「過去に法華経の行者であられたのか」、「日蓮の父母の生まれかわりか」といった言葉には、感謝の真情が惻々(そくそく)と籠っていて、われわれの胸を打ちます。  またある時、愛弟子四条金吾に「そなたが仏果を得るならわたしも共に仏果を成じよう。もしそなたが地獄へ行くならばわたしもまた地獄へ行こう」と申されておりますが、人間と人間との心のつながりの深さは、ここに尽きると言ってもいいでしょう。  このように愛し愛される人を持たずにどこに人間と生まれたかいがあるでしょうか。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば28

人のかくす事をあからさまにいう。  おしはかりの事を真実になしていう。  いきもつきあわせず物いう。  このんでから言葉をつかう。  学者くさきはなし。  良寛禅師・日本(良寛禅師戒語)

1 ...仏教者のことば(28) 立正佼成会会長 庭野日敬  人のかくす事をあからさまにいう。  おしはかりの事を真実になしていう。  いきもつきあわせず物いう。  このんでから言葉をつかう。  学者くさきはなし。  良寛禅師・日本(良寛禅師戒語) 現代人こそこの戒めを  これらの言葉は、良寛さんが折に触れて、心やすい人たちに書き与えた話し方の戒めを、晩年の弟子であった貞心尼が書いた『蓮の露』という本の中に集めたものから抜き出したものです。戒めといえば、いかにもいかめしく、良寛さんの人柄に似つかわしくない感じがしますので、むしろ「こういう話し方はわたしは好きでない」という程度に言われたものと受け取ったほうがよさそうです。  といえば、良寛さんの主観に過ぎないようですけれども、そうではありません。二十世紀末のわれわれにとって、まさにピシリと当てはまる痛切な教訓なのであります。  「人のかくす事をあからさまにいう」  たとえば週刊誌などが、どうでもいいような芸能人等のかくしごとを書き立てるのも、それでしょう。週刊誌は、かりにも「公器」と名づけられるものだから許されるのかもしれませんが、もし個人がこんなことをしたら、たちまち「下品な人間」というか「安心できない人」といわれるでしょう。  「おしはかりの事を真実になしていう」  新聞・雑誌などでも特ダネ扱いで、よくこんなことをやりますが、個人だとそれを聞く人の範囲が狭いせいか、ウヤムヤになってしまうことが多いのです。しかし、そんな無責任なことを言えば、つまりは自分自身の人格(誠実さ)を傷つけるのです。心に刻んでおきたいことです。 今流行の話し方への反省  「いきもつきあわせず物いう」  これがいま若い人たちの間で流行しています。テレビやラジオの影響でしょう。テレビやラジオは分刻み、秒刻みの仕事ですから、いわゆるタレントはつい早口で、息もつかず物を言います。一般の人がそんな話しぶりを真似ると、いかにも軽薄な、はしたない感じを人に与えます。友だちとの雑談ぐらいなら構わないでしょうが、仕事の上とか、相談ごととか、人を説得しなければならぬ大事な用件のときそれをしたら、こちらの意思がハッキリ伝わらぬばかりか、相手の軽蔑を買うという大きな損失を招きましょう。  適当な間(ま)を取り、一語一句に心をこめて話しますと、言外にこちらの誠意が相手の胸に響き、そこに説得力が生まれるのです。  「このんでから言葉をつかう」  から(唐)言葉は、今日でいえば外来語です。世界は狭くなりましたから、たとえばワンピースのように日本語になってしまったのや、デジタルのようにそのままのほうが通用する語はどしどし使っていいでしょうが、話す相手が理解できないような外国語を連発するのは、失礼であるばかりでなく、鼻持ちならぬ感じを与えます。良寛さんの時代にもそんな人がいたのでしょう。  「学者くさきはなし」  学者臭い、通人臭い、宗教家臭い、とにかく「臭い」のは必ず反感を買います。布教の時など、よほど気をつけたいものです。  教養人でありながら、そして、タレントに類する人でありながら、以上の戒めを自然に守っている好例は、日曜の朝の「世界の旅」の兼高かおるさんの話しっぷりです。昔の日本婦人の淑(しと)やかさと、現代女性の歯切れのよさとユーモアを兼ね備えた、じつに美しい日本語を話す人だと、いつも感心して聞いています。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば29

道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし。  伝教大師最澄・日本(遺誡十五個条)

1 ...仏教者のことば(29) 立正佼成会会長 庭野日敬  道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし。  伝教大師最澄・日本(遺誡十五個条) 万人に通ずる生活意識  比叡山延暦寺を建て、法華経を中心とした日本仏教の源流となられた伝教大師は、ご自分の寿命がもはやあまり長くないと悟られた時、弟子たちのために十五個条の遺誡(かい)を定められました。右は、その中で最も有名な一条です。  心の底から仏の教えを信じ、仏道を世に広めていこうという決意さえ持っておれば、日常生活の資は必ず調(ととの)ってくるものである。反対に、いい衣(ころも)を着たい、うまい物を食べたいといった物質生活に心を引かれていたのでは、仏道に帰依する心も、世の人々をその教えに導きたいという情熱も、しだいに薄れてしまうのだ。くれぐれも気をつけなさい……というのです。  これは、出家の弟子たちに与えられた戒めではありますけれども、在家の信仰者にもそっくりそのまま当てはまるものです。いや、信仰を持たぬ普通人にとっても、やはり大事な心がけだと思うのです。つまり、道理にかなった、正しい心を堅持していさえすれば、衣食の道は必ず通じてくるのです。事実そのとおりであって、わたしどもの会員の方々の生活がそれを実証しています。そのような人ほど暮らしが幸せになるのは、まったく不思議なほどです。  反対に、きれいな着物を着たい、ぜいたくな料理を食べたい、立派な家に住みたい……といったことばかりに心を奪われている人は、そのためにいつもあくせくした気持でいます。そのような望みが百パーセントかなえられるはずはありませんから、つねに欲求不満をいだいてイライラしたり、人をうらやんだり、ほんとうの心の安らぎは得られないのです。  その程度にとどまっているうちはまだいいのですが、ともすればそれが高じて無理な借金をしたり、汚職に走ったり、詐欺的な商売をしたりして、自分自身を破滅させるばかりでなく、家族をも泣かせ、多くの人々にも迷惑をかけてしまうのです。まことに、「衣食の中に道心なし」なのであります。 真の人間は霊性に生きる  中国の管子(かんし)のことばに「衣食足って礼節を知る」というのがありますが、これは常識的な観察であって、宇宙の真理とか、神仏の実在とか、それらと人間の霊性とが深くかかわり合っているという所まで、踏み込んではおりません。右の伝教大師の言葉には、そうした深い真実がこもっていることを知るべきです。  同じ中国のことばでも、「天道人を殺さず」のほうが、はるかに胸の奥に響くものがあります。自らも正しく生き、他に対しても愛情をもって尽くすような人間を、天がほうっておくようなことはないのだ……というのです。霊性に生きようと志す者の勇気を鼓舞する言葉であり「道心の中に衣食あり」と相照らす名言だと思います。  イエス・キリストの「人はパンのみに生くるものにあらず」という言葉もそれに匹敵する金言です。イエスが荒野の中で試練に合ったとき、堪えきれぬほどの空腹に苦しんでいました。  その時悪魔が現れて「なんじがもし神の子ならば、この石をパンに変えてみよ」と言い、イエスを物への誘惑で堕落させようと試みました。それに対して決然と言い放(はな)たれたのがこの言葉です。  東の人も、西の人も、みんな同じです。ほんとうの人間らしい人間は、物よりも心で生きるのです。これは聖者・高僧ばかりではありません。われわれ庶民も、ギリギリのところではそうでなくてはならないのです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば30

人のかなしみ時には擔(にな)い  よろこびを人に送りて  みづからをむなしくはする  女人(にょにん)われこそ観世音ぼさつ  岡本かの子・日本(岡本かの子全集・九巻)

1 ...仏教者のことば(30) 立正佼成会会長 庭野日敬  人のかなしみ時には擔(にな)い  よろこびを人に送りて  みづからをむなしくはする  女人(にょにん)われこそ観世音ぼさつ  岡本かの子・日本(岡本かの子全集・九巻) 観音経の好きだった人  かの子女史は、岡本太郎画伯の母堂、明治から大正にかけて傑出した歌人・随筆家・小説家として華やかな生涯を送りましたが、じつは深い内省の人で、仏教に対する理解と帰依も並々ならぬものがありました。その全集(冬樹社刊)全十五巻の中でも、九巻と十巻は仏教論で占められています。  仏教経典の中でも法華経が、法華経の中でも観音経(観世音菩薩普門品)がいちばん好きだったようで、全仏教論の中でも『観音経』が最も光っています。その中で、こういうことを言っています。  「折伏門(しゃくぶくもん)というのは徹頭徹尾不良の箇所を指摘しこれを叱り伏せて嬌め直そうとする消極的方法であります。摂受門(しょうじゅもん)というのは、褒め励ますことによって自信に導こうと企つる積極的手段であります」  (庭野注・折伏を積極的と考えている人が多いが、その反対の意見がおもしろく、しかもそれが正しいと思う)  「(法華経の)他の品では、いくら慈門が開かれてあっても、必ず多少の折伏門が含まれているのであります。含まれていないのは無いのであります。つまり信仰及び理解に就いてのお叱言(こごと)や注意や教習が必ず含まれているのです。ところが、普門品は徹頭徹尾、摂受門であります。極端に言えば、甘やかし一方です。ねだれば与え、頼めばして呉れる。叱言や教戒は絶対に言わない。  (中略)  其処を大層面白く感じまして、私自身他の経典では可なり叱られたり、考えさせたり、頭を絞ったりさせられつけていますので、まるで厳格な寄宿舎から、日曜日に母親のところへ戻るような気持でこの品に入って行きます」 婦人に観世音菩薩の心を  あらゆる仏・菩薩の中で、観世音菩薩ほど素朴な庶民に親しまれ、慕われ、信仰されているお方はないでしょう。インドを初めとする東南アジア諸国を回ってみますと、仏像といえば、ほとんどお釈迦さまと弥勒菩薩と観世音菩薩です。現世利益の霊験物語の多いのは観音さまが随一です。ですから、観世音菩薩普門品は法華経二十八品の一品なのに、『観音経』という独立した経典のようにして信仰されているのでしょう。  さて、観音さまは女性なのか男性なのか、よく問題になります。通説では、どちらでもない象徴的な存在だ、ということになっていますが、周兆昌(中国)という人の『観世音菩薩伝』には、ヒマラヤ北方の一国の王女として生まれ、深く仏法に帰依し非常な霊力の持ち主となり、多くの人々を救った実在の女性であると、その来歴が詳しく記されています。  観世音菩薩の絵像がすべて女性の顔貌や姿態に描かれていることから、女性説のほうが有力のようです。しかし、その外形はともあれ、本来の女人が持っている無私の母性本能、人を温かく抱き取る心、細かいところまで手の行き届く愛情の表現、それこそまさしく観世音菩薩であると思います。  この観世音菩薩の本性が、現代の女人から失われつつあるのではないか。とすれば、男性にとっても、子供たちにとっても、世の中全体にとっても、たいへん悲しいことだと思います。かの子女史が激越な口調で、  女人われこそ観世音ぼさつ と言い切ったこの歌を、世の多くの婦人方に深い心で読み返してもらいたいと願われてなりません。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば31

念仏の機に三品(ぼん)あり。上根は、妻子を帯し家に在りながら、著(じゃく)せずして往生す。  一遍上人・日本(一遍上人語録)

1 ...仏教者のことば(31) 立正佼成会会長 庭野日敬  念仏の機に三品(ぼん)あり。上根は、妻子を帯し家に在りながら、著(じゃく)せずして往生す。  一遍上人・日本(一遍上人語録) 仏法は心にあるのだ  時宗の開祖一遍上人は伊予(愛媛県)の豪族の出だけあって、どこか激しい気性を持っておられたようで、その言行には世間のおもわくなどはばからぬ、堂々たるところがありました。  この言葉にしても、「念仏者の素質には上中下の三種がある。最上は、妻や子があり、家で普通の生活をしていながら、それに執着せずに極楽往生する人である」という意味です。この後に「自分は下根の者であるから、一切を捨ててしまわなければ、臨終のときにいろいろな事に執着して往生しそこなうだろうと思うから、このように出家して行をするのだ」と言っておられます。  ある人が「経典には俗生活を棄てるのが上々であるとありますが、それと相違するのではありませんか」と聞いたところ、「いや、一切の仏法は心のありようについて説いてあるのだ。外に表れた姿のことを言ってあるのではない」と答えられました。よくよく味わうべき言葉だと思います。  一遍上人は十歳で母を失い、十三歳のとき九州太宰府に行き、法然上人の孫弟子に当たる聖達というお坊さんについて出家し、そこで十二年間修行しました。そして、どういうわけか郷里に帰って俗人の生活に返り、愛人と同棲しましたし、子供もできました。そして、再び出家して旅に出るときは、その愛人は小さな娘と共に尼となってその後について行きました。しかし、その母娘は紀州の熊野で捨てられてしまいました。このように、一遍上人の前半生は聖と俗が入り混じっており、その俗を一つ一つ捨てていってきびしい聖の世界へ入って行かれたように思われます。 身を捨てても風は寒い  聖の世界に入っても、一遍上人の救いの対象は一般大衆でありました。何も難しいことは説かず、「念仏を唱えなさい」と教えるだけでした。また、鐘を叩き、念仏を唱えながら輪になって踊るという念仏踊りをさせました。当時の僧侶たちは仏教の品位を落とすといって非難しましたが、庶民はそれによってひとときの法悦を味わうことができましたので、たしかに仏教の本義ではないにしても、救済の方便の一つだったといえましょう。  こうして上人の後半生は、日本国中を遍歴しながらの大衆教化に明け暮れたのでした。上人の徳を慕う人々は、そのあとについて旅して歩きました。当時は、野盗が各地に出没して、旅人もずいぶん襲われたのですが、上人の一行だけは、一度もそんなことがありませんでした。全国の盗賊仲間に「あのご上人の一行に手を出してはならない。そんなことをしたら制裁を加えるぞ」という禁戒がゆきわたっていたのだといいます。それぐらい、上人は一般庶民に、とりわけ下層階級の人々に慕われていたのでした。  一遍上人は中年のころ、心地覚心という禅僧に禅を学びましたが、なかなか印可(覚ったという証明)を与えられませんでした。ところが、師のもとを離れて一年後にふたたび訪れ、  すてはてて身はなきものとおもいしにさむさきぬれば風ぞ身にしむ  という歌を呈したところ、初めて印可を下されたといいます。身を捨て去っているつもりでも、寒くなれば風が身にしみる……つまり、それが人間のありのままであって、そのありのままに徹したところが認められたのでしょう。とにかく一遍上人は、われわれ在家の信仰者の心にしみじみと通ずるものを持った方でありました。 題字 田岡正堂...