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法華三部経の要点 ◇◇90
立正佼成会会長 庭野日敬

すべては一に発し一に帰す(2)

教えの目的はただ一つ

 つぎに、釈迦牟尼仏をはじめとする諸仏がいっせいに指をパチンとはじかれた、とあります。これを「倶供弾指(くぐだんじ)」といいますが、インドでは「承知しました」と承諾し、約束するしるしにパチンと指を鳴らす習慣があるのです。ですから、一切の諸仏が「みんなと一緒にこの教えを説きひろめよう」と約束されたわけです。
 一切衆生の幸せを思う慈悲心からこの約束をなさったわけですが、そのような慈悲心は「自他一体感」の極致にほかなりません。自他一体感があってこそ、心の底から他を愛(いとお)しむことができるのです。ですから、この「倶供弾指」は「二門人一(人はすべて一体)」の精神をこの世に説きひろめようと約束なさったわけです。

教えを顕現するものは一つ

 諸仏がいっせいに指を鳴らしてこの約束をなさると、天地は感動して六種に震動した、とあります。というのは、ほんとうに感動すれば、それを実際の行動に現さずにはいられなくなる、ということの象徴です。
 では、その実際の行動とは何かといえば、それは菩薩行にほかなりません。法華経前半の迹門(しゃくもん)では、どちらかといえば理論的に菩薩行をおすすめになり、後半の本門においては、自他一体感を深めることによってひとりでに菩薩行におもむかざるをえないように導かれています。帰着するところは同じです。
 ですから、「六種地動」というのは、「二門行一」すなわち法華経の教えをこの世に顕現するには、ただ一つ、菩薩行よりほかにはないのだというわけで、これを「二門行一」というのです。

人間の機根は一つになる

 さて、これからがいちだんと大事なところに入ります。というのは、これから現される神秘的な現象は、未来の人間と人間世界のあるべき真実のすがたについて述べられたものだからです。しかも、仏さまは実現不可能なことをおっしゃったり、示したりされることはないのですから、これらはじつに重大なことであり、ありがたいことなのであります。 
まず、人間界・天上界等のあらゆる生あるものが、釈迦牟尼仏や多宝如来をはじめとする一切の諸仏がいっしょに集まっておられる光景をまざまざと見ることができた、とあります。これを「普見大会(ふげんだいえ)」といいます。曼陀羅(まんだら)という仏画があるのをご存じと思いますが、あの曼陀羅が普見大会の象徴だといっていいでしょう。
 さて、これは、現在は教えを受け取る能力(機根)が人によって相違があるけれども、未来においては精神の進化が進み、すべての人が等しく真理を悟ることができるようになる、というのです。そのことを「未来機一」といいます。


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