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法華三部経の要点 ◇◇93
立正佼成会会長 庭野日敬

菩薩行には言い知れぬ喜びがある

お釈迦さまの大事な委託

 嘱累品に入ります。嘱というのは委嘱という熟語もありますように、ある仕事を任せる、頼むという意味ですし、累というのはわずらいとか面倒事という意味ですから、この品は、お釈迦さまがたくさんの菩薩たちに、「仏の悟りを後世に伝えるという一大事を頼みたい。面倒だろうが、どうかこの法を一心に説き広めて、広くあらゆる衆生を幸せにしてもらいたい」と、お頼みになる章です。
 それも、ただ言葉でお頼みになっただけでなく、右のみ手をもって多くの菩薩たちの頭をなでながら、そう仰せられたのです。頭をなでることは、インドでは「あなたに任せます。しっかり頼みますよ」という信任と激励の意味を込めた動作なのです。
 こうしてお釈迦さまの絶大な信頼による委託を受けたのですから、菩薩たちは大いに感激して「世尊のお言葉通り、間違いなくいたします。どうぞご心配くださいますな」とお答えするのです。それも三度も繰り返して申し上げます。三度も繰り返すのは、固く固くお誓いする真心の現れです。
 そこでお釈迦さまは、安心なさったのでしょう、十方から来集しておられた分身の諸仏に「どうぞご自分のお国にお落ち着きください。多宝仏の塔も元通りになられますように」と仰せられるのでした。聴聞の大衆は、言い知れぬ感動を覚えながら去って行きました。
 ここで法華経の説法に一段落がついたわけです。すなわち、仏さまの本体である久遠実成の本仏を説く「本門」が完結したのです。そして、法華経のドラマの「理想(虚空)の場」がここで幕を閉じ、再び霊鷲山に降りて、「現実(地上)の場」が改めて展開されるわけです。

困難を克服する喜び

 この品の第一の要点は、お釈迦さまの委託を受けたのは当時の菩薩たちばかりでなく、後世のわれわれも同じ委託を受けているのだということです。
 法華経を説いて人を仏道に導くのは、実際問題としてそうたやすいことではありません。しかも、普通の生活をしながらその聖業にたずさわるには、いろいろな困難を伴います。だからこそお釈迦さまは「面倒だろうが、よろしく頼む」と仰せられているのです。
 われわれ法華経を信奉する者は、片時もこのありがたい委託を忘れてはならないのです。あるいはその委託の実践にいささかの苦を覚える人もありましょうが、その時、お釈迦さまが当時の菩薩たちに与えられたこのお言葉を思い出せば、また新しい勇気がわいてくるはずです。
 そうして、苦としてしまう心や懈怠の心を押し切って菩薩行に励めば、いつしかそのマイナスの思いを克服し、そこに何ともいえぬ喜びが生じてくるのです。人間というものは、もともとそういうふうにできているのです。
 ノーベル文学賞受賞のインドの大詩人・タゴールもこう言っています。「人間の自由は、苦痛から救われるところにあるのではなく、その苦痛を愉悦の一要素に変えるところにある」と。


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