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法華三部経の要点 ◇◇95
立正佼成会会長 庭野日敬

法華経は三つの智慧に満ちている

仏の智慧・如来の智慧とは

 前回に「仏の智慧・如来の智慧・自然の智慧」というのを「真実の智慧・慈悲の智慧・信仰の智慧」と訳しました。これは単に言葉の問題だけでなく、われわれが法華経を学び、そして実践するうえの大切な心得でもあると思われますので、ここに解説しておきましょう。
 まず仏の智慧ですが、仏というのは仏陀(ブッダ)の略で、「覚った人」という意味です。何を覚った人かと言えば、宇宙の真理と人生の真実を覚った人です。諸法の実相を見通した人です。仏さまはそのような尊い智慧を惜しみなくわれわれに与えようとなさったわけです。
 次の「如来の智慧」ですが、如来というのは「真如から来た人」という意味です。真理そのものである真如の世界から、なぜ汚濁に満ちた人間界に来られたのか。言うまでもなく、さまざまな苦にあえいでいる人間を救いたいという慈悲心からにほかなりません。ですから、如来の智慧というのは慈悲の智慧なのです。

仏性から湧く自然の智慧

 次の「自然の智慧」ですが、この自然(じねん)は、大自然とか自然界などという自然(しぜん)とは違って、「自(おの)ずからそのようにある」という意味です。では、自ずからそのようにある智慧とはどんなものかと言いますと、人間の本質である仏性からひとりでに湧き出した智慧のことを言うのです。われわれの利己心から生まれたちっぽけな知恵・才覚でなく、仏性から生じた自然の智慧によって行動すれば、それはひとりでに天地の真理に合致した正しいものになってくるのです。
 だれにもそういう智慧は具(そな)わっているのですけれども、いつもはさまざまな心の迷いや汚れ(いわゆる煩悩)によって覆いかくされているのです。が、時たまスーッとひとりでに心の表面に出てくることがあります。どんな時かと言いますと、他の人の美しい行為に感動した時とか、胸を打つような物語を読んだ時とか、自らそのような「徳の行い」を実践した時などです。
 信仰および信仰活動には、いま述べたような要素がすべて具わっているのです。経典を読んで心が洗われるような思いをしたり、法座や説法会で他の人の体験談を聞いて感動したり、自ら菩薩行を実践して何とも言えない心の喜びを覚えたりするなどがそれです。ですから、仏性からひとりでに湧き出してくるそのような至妙の心理を、信仰の智慧と言ったわけです。
 人間がギリギリのところまで人格を完成し、「諸法実相を知る真実の智慧」と、すべての人を救いへ導く「慈悲の智慧」とを兼ね具えたら、その人を仏と言うのですが、われわれ凡夫がその境地に近づくためには、どうしてもその二つの智慧に感応して自分の身につける「信仰の智慧」を持たなければならないのです。
 法華経は、この三つの智慧の教えに充ち満ちたお経ですから、その一応の締めくくりであるこの章で、改めてこの三つの智慧に言及されたのでありましょう。これもこの品の大事な要点です。


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