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法華三部経の要点 ◇◇109
立正佼成会会長 庭野日敬

法華経のしめくくりは四法成就(二)

正しい信仰者の集団に入る

 「四法成就」の法門をつづけます。
 三、正しいことに決定(けつじょう)した者の集団に入ること。
 仏法では、人間の集団を三つに分けて、正定聚(しょうじょうじゅ)・邪定聚(じゃじょうじゅ)・不定聚(ふじょうじゅ)としています。
 正定聚というのは、正しい教えを信ずる人びとの団体をはじめ、いろいろな社会奉仕のボランティア団体などがそれです。邪定聚というのは、暴力団とか、犯罪者の仲間といった、悪いことを目的とした者の集まりです。極端な破壊思想を持つ者の集団もこれに当たります。不定聚というのは、以上の二つの集まりに入っていない普通の人びとをいいます。その人たちは、正定聚・邪定聚のどちらへもおもむく可能性を持っているわけです。
 われわれ信仰者も正しい信仰者の団体に入らなければならないことを、この「正定聚に入り」という一条に明らかに示されています。なぜでしょうか。信仰というものは個人個人の心の中の問題であることは確かですが、しかし、ひとり孤立して信仰し、法を求めていますと、往々にして独善に陥ったり、疑惑を生じたり、懈怠の心が起こったりしがちです。
 そんなとき、同じ信仰に決定している仲間がいますと、お互いに相談し合ったり、教え合ったり、励まし合ったりして、逸脱や退転の危機を逃れることができるからです。
 また、そうした危機が生じなくても、いつも仲間が集まって一緒に法の話を聞いたり、それぞれの信仰体験を話し合っていると、お互いの心がしっかりと結び合って、信仰の力が二倍にも三倍にもなるからです。
 ましてや、不定聚の人びとを正しい信仰に導くことによって、あまねくこの世を寂光土化していこうという活動、いわば「信仰の社会化」という展開になりますと、どうしても集団の力というものが不可欠になります。お釈迦さまが、阿難が「よい仲間を持つことは仏道の半ばぐらいの価値があると思いますが」と申し上げたのに対して「半ばではない。仏道の全部だ」と答えられたのは、おそらくそういった意味であったろうと思われます。

全人類と共に救われよう

 さて、最後に次の一条があります。
 四、すべての人間を救おうという大きな志を持つこと。
 自分ひとりが信仰によって救われても、社会全体がよくなり、人類全体がよい心を持つようにならなければ、結局は自分も幸せにはなれないのです。いつ強盗が押し入ってくるかわからない。いつ路上で暴漢に襲われるかわからない。
 ですから、自分だけが悟り、自分だけが救われるというのでは、ほんとうの成道ではないのであって、自他共に救われることによってこの世に理想的な平和国土を建設するというのが、大乗仏教思想の根本なのです。
 この「四法成就」の法門は、お釈迦さまのみ心を拝察するならば、「いままでいろいろ難しいことを説いたけれども、それを実践するにはつまりこれだけを心がけておればいいのだよ」と平易にまとめてくださったのであろうと思われます。法華経の教えの深遠さに少々たじろぎ気味だった人たちも、これをうかがって、なにか新しい勇気のわき起こる思いをすることでしょう。


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