法華三部経の要点 ◇◇91
立正佼成会会長 庭野日敬
すべては一に発し一に帰す(3)
妙法蓮華経という題名
その時、諸天善神が、「一切の衆生よ。釈迦牟尼仏がこの妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念という至高の教えをお説きになったことを心の底から喜び、その教えに帰依しなければならない。そして釈迦牟尼仏を礼拝し、供養申し上げねばならない」と呼びかける声が虚空から聞こえてきました。これを「空中唱声(くうちゅうしょうしょう)」と言います。
その中の「妙法蓮華」というのは、蓮の花が泥水の中から生じてあの清らかで美しい花を咲かせるように、一般大衆の苦に満ちた生活の中から生まれ出た至高の尊い教え、ということです。梵語からの直訳によりますと、法華経の題名は、『正しい教えの白蓮』となっていますが、単に正しいだけではなく、言うに言われぬ美しさ、尊さを持った経典ですので、中国語に訳した鳩摩羅什は「妙法」と冠したのです。実に名訳と言うべきでしょう。
「教菩薩法」というのは、菩薩を育て上げる教えということです。菩薩とは、これまで何度も説明しましたように、自らも悟りを求めると同時に、他の人々の幸せのために奉仕し、教えを説き広める在家信仰者のことです。法華経はそうした実践を本位とする経典であって、お釈迦さまが方便品で「私は菩薩を教化するためにこそ法を説くのである」とおっしゃったのは、実に決定的な宣言なのであります。
未来、教えは一つに帰する
「仏所護念」というのは、もろもろの仏が最高の教えとして念じ護っておられる教えということです。このことを忘れてはならないのです。これを忘れてしまえば、法華経は単なる哲学的な、道徳的な人生訓に終わり、心の底の底から救われて大安心に達する宗教的エネルギーに欠けたものになってしまいます。
法華経の締めくくりである勧発品で、法華経を本当に身につける条件を示された「四法成就」の法門の第一に、「一には諸仏に護念せらるることを為(え)」とお説きなったのも、そのことについて念を押されたものと思われます。
さて、この「空中唱声」は何を意味するかと言いますと、「未来教一」といって、「人類がそれぞれの宗教によって正しい信仰実践の道を歩んでいけば、必ず一つの真理、すなわち法華経に説かれる真理に帰着するであろう」と言っているのにほかなりません。
世界的な大宗教と言われるものは、その発生や、教義や、信仰の所作にはいろいろと違いがありますけれども、根本の真理は一つであるということを、すべての宗教の信仰者が悟るようになる、ということなのです。
WCRP(世界宗教者平和会議)の根本理念もそこにあるのです。どの宗教も、つまるところはすべての人間が幸せになり、平和な暮らしをすることを理想としているわけですから。従って、われわれが海外に布教する時も、法華経そのものを押しつけるのでなく、法華経精神を体得してもらうことを本義とすべきでありましょう。