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法華三部経の要点 ◇◇98
立正佼成会会長 庭野日敬

理想を現実化する努力が尊い

現実の世界を軽視するな

 妙音菩薩品は、理想の世界から現実の世界へ訪れて来た大菩薩についての説話です。
 薬王菩薩本事品の説法を終えられたお釈迦さまが、頭の頂上と眉間(みけん)から大光明を放たれますと、はるか彼方(かなた)にある浄光荘厳という世界に妙音という大菩薩がおり、その菩薩がその国の仏さまの浄華宿王智如来に「わたくしはこれから娑婆世界を訪れて釈迦牟尼如来を礼拝し、そこの大菩薩たちとも語り合ってみたいと存じます」と申し上げている光景が見えてきました。
 その申し出に対して浄華宿王智如来は「行って来なさい。しかし、娑婆世界はこの国に比べてたいへん汚く、仏さまのお体も小さいために、そこの仏・菩薩や国土を軽んずる気持ちが起こりやすいが、それは大きな間違いだから気をつけなさい」とおさとしになります。なにしろ浄華宿王智如来の身長は六百八十万キロメートルもあり、妙音菩薩でさえ四万二千キロメートルもあり、身は金色に輝いているのですから、この娑婆世界の仏・菩薩とは比較にならないのです。
 ところが、その妙音菩薩が霊鷲山に到着すると、お釈迦さまのおん前にひれ伏して礼拝し、ていねいにごあいさつするのです。そして、「多宝如来をも拝したいのですが、世尊のお力でお目にかからせて頂けませんでしょうか」とお願いいたします。お釈迦さまがそのことを多宝如来に伝えますと、たちまち「善哉、善哉。よくぞ釈迦牟尼如来を供養にやってきました」というお言葉がひびいてきました。
 まことに神秘的な、不可思議な出来事ですが、じつは、これは「理想」と「現実」との関係を見事に表しているのです。

理想へ向かっての実践こそ

 人間だれしも理想というものを持っています。夢といってもいいかもしれません。それがあってこそ、人間はいろいろな面で向上していくのです。ところが、理想とか夢とかはじつに大きく、美しく、はるか彼方にあって、光り輝くような世界です。
 それに比べて現実の世界は、汚濁と苦悩に充ち満ちています。そこに住む人間も、理想の世界に比べるとはるかに小さく、コセコセしています。ですから、もしある人が理想の世界にばかりのめり込んでしまえば、ひどい厭世観(えんせいかん)にとらわれて自殺にまで追い込まれかねません。
 ですから、この世に生きているかぎり、理想はどんなに大きく持っても、現実をないがしろにしてはならないのです。そして、現実を理想に向かって一歩ずつでも近づかせる努力を怠ってはならないのです。
 お釈迦さまは、もともと真理そのものである真如、つまり理想の世界からこの世に来られたお方です。ですから如来(真如から来た人)と申し上げるのです。お釈迦さまも理想世界からこの現実世界に来られたお方ですが、妙音菩薩と違うところは、苦しみ悩むこの世の人間たちを救うために一生をかけて努力なさったことです。その実践こそが尊いのであって、妙音菩薩がその前にひれ伏して礼拝したのはそのゆえである、と解さねばなりますまい。
 つまり、「現実から目を背けるな」ということと、「実践を第一とせよ」ということが、この品の要点であるといっていいでしょう。


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