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法華三部経の要点 ◇◇94
立正佼成会会長 庭野日敬

「徳の行い」は心を浄化する

法惜しみをしない

 嘱累品のもう一つの要点は、菩薩たちに仏法の広宣流布を委託されたときに付け加えられた、左のお言葉です。
 「所以(ゆえ)は何ん。如来は大慈悲あつて諸の慳恡(けんりん)なく、亦畏るる所なくして、能く衆生に仏の智慧・如来の智慧・自然(じねん)の智慧を与う」
 現代文に訳しますと、
 「なぜそうするかといえば、如来は大いなる慈悲の心を持っており、何事にしても惜しむ心がなく、また何ものをもはばかることもなく、よく衆生に真実の智慧と慈悲の智慧と信仰の智慧とを与えたいからである」
 これらの智慧(次回に詳しく説明します)は、仏さまがわれわれ衆生に与えられるものではありますが、後世の仏弟子であり菩薩であるわれわれとしては、それを仏さまに代わって人びとへ与えなければならないのですから、その場合の心得をしっかり学んでおく必要があるわけです。
 まず第一に学ぶべきことは「法惜しみをしない」ということです。仏法を人に説くとき出し惜しみをするようなことは、よもやありますまいが、現実的な技術・技能などを人に教える場合、肝心なところを隠しておきたがる人がなきにしもあらずです。そんな態度は世の進歩・向上を妨げるものですから、何事にしても広い心をもって惜しみなく教え、秘けつを伝えたいものであります。

情けは人のためならず

 次に、「畏るる所なくして」ということですが、これは仏法を人に説く場合の大切な心得です。畏れるというのは、普通にいう恐れるということとはちょっと違って、「はばかる」とか「心がひっかかる」という意味です。「はばかる」というのは、この法を人に説けば、嫌われるのではないか、悪く思われるのではないか、バカにされるのではないかなどと考えて、しりごみする気持ちです。
 「心がひっかかる」というのは、「こんなことをしていったい何になるんだ」と考えてみたり、「億劫(おっくう)だなあ」という気持ちになって、やはりしりごみすることです。
 しかし、人に仏道を説くことは人を幸せにする「徳の行い」なのです。そして、仏さまが喜んでくださる「慈悲の行い」です。そういう行いをすれば、あなた自身の心が知らず知らずのうちに美しくなり、温かになり、なんともいえない、いい気持ちになることは必至です。
 とにかく実践することなのです。やってみることなのです。朝日新聞の『天声人語』(二・九・十二)に、ボランティア活動をした山形県小国町の保科智春さんという高校生の報告が紹介されていました。要約するとこういうことです。
 「早朝に橋を掃除していると、初めのころ『いやだな』という気持ちだったのがいつしか消えているのに気づいた。そして掃き跡を振り返ると、心が入っていないのが見えた。そこで元に戻って掃き終わったとき、うれしい気持ちがいっぱい詰まったため息が出た。これは人のためにするんじゃないと悟った」
 これです。徳の行いをすれば必ずこういう心境になるのです。昔から言うように「情けは人のためならず」なのです。


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