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開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会

14 ...え、そしてまたその、先ほどの社会保障の問題というようの問題でありますが、お年寄りになってやっぱりわれわれは希望を持ってですね、孫の成長や、その自分の子どもさんの、孫さんをその成長させるその努力に、まあ、おじいちゃんおばあちゃんになっても協力してですね、自分の生きてるうちはやっぱりできるだけの協力を惜しまないと。で、しかもそういう暇があったらですね、ま、年寄りだけの場所じゃなくて現在若い人が最も必要なんでありますけれども、若くても年寄りも同じでありますけれども、そういう状態になってきてるんだから、いよいよわたしどもは、本当にこの宗教心を起こしてですね、かつては戦争前、戦争中などは、わたしどもが、この法座を開いているというと、当時のジャーナリストが来てですね、わたしにこういうことをいう記者があった。この忙しい戦争下にですね、なんでももう品物を作らなくちゃならん時に、顔を見るというとみんなお宅へ来てるの一家の主婦だと。年ごろもですね、確かにそうなんです。こういう人を集めているなんて国賊だということいわれた。ま、なるほど、一人でも多く軍事工場で働かなくちゃならないって時には、そういうことも、いう筋もあるかも知れません。ま、しかしそういうことをいわれながらも、わたしどもは真剣に、修行を積んできたわけであります。ま、そういう時にそういう修行した方々が、いま、皆支部長になっているわけですけれども。  ま、そういう、わたしどもは過去からしてのいろいろのことをこう考えた時に、もう少しですね、日本(にほん)国民はやっぱり、わたしどもこれから大いに声を大にして、国際的っていうことになると、決してその頑固だとか、排他的だとかですね、独善的だとかってんでなしに、日本(にほん)国民はもう少し日本(にほん)の国というものをどうするかという国の、国という単位がですね、国際的の場合には国っていう単位が非常に貴重なんだと。 こういうことを考えた時に、われわれがやっぱり安泰であり、日本(にほん)という国が本当に安泰で団結して、そして国が繁栄してるっていうことが、世界のいろいろの間違った国にそういうその、お、示唆を与え、そしてそういう方々を導いて、これから東南アジアあたりのこの、後進国をやっぱりこれから導くという場合にですね、どうしてもこの国の中でもってわれわれがその勝手のことをいって、まちまちのことをその、醸し出そうというようの考え方の人間がどうも、多すぎるようの気がするんですね。やっぱり日本(にほん)の国というやっぱり、国家なんていうことをいうとこれは、庭野会長まだ明治時代の人間だから、頭古いというか知らないけれど、やっぱり、わたしは愛国心、この国家を守るという国家をもっと繁栄させるという、この愛国心ですね。...
15 ...本当に人類、愛すという意味からいったならば、やはり国を愛すということで、日本(にほん)の国民そのものがもっとはっきりとしたところの、指導の立場に立つというこの、大きな使命が日本(にほん)国民にあるんじゃないかと。ま、そういうことをわたしは痛切に、い、今度、お、感じてきたわけであります。  イギリスへまいりますというと、空港で、非常に物騒のほどですね、やかましいような態度を取られたんでありますが、非常にやかましいようの態度を取ったかと思うといっぺんに、この使節団は簡単に、え、税関も通していただいて中へ入れていただいた。で、中に入っていろいろ聞いてみるというと、この前の、いー、岸総理大臣の当時に、岸さんがちょうどお回りになった時分には、岸さんが向こう回るという話を聞くというとたちまちに、フィリピンのあたりでもって、その残虐行為をした日本(にほん)人のその、戦争をした日本(にほん)人、そういう国の首相(「しゅそう」と発音)が来るんだというようのことで、たいへんに新聞でもうたたかれたそうであります。そういう状態の中を、岸首相(「しゅそう」と発音)は忍耐してですね、ずーっと回って来られて、しかもそういう国から、いま現在の東海村の原子力の、おういう原子炉などをですね、買い入れたりして、ま、こういうことをこう考えても、政治家というものはやっぱり大きな考えを持って、いろいろの国策というものによって、世界を導いていくという意味においては、われわれよりやっぱり視野が広くて、その専門家だけに素晴らしいことをしてなさるなっというふうにわたしは感じたわけであり。そのおかげでですね、そういういろいろの日本(にほん)の政治家がみなそういう考えで、やってきていただいたおかげに、6年前のその、岸さんのいらした時分の状態と、ここんとこ3年間というものはもう、イギリスの方がガラリって変わってですね、もういろいろの面で、もうすべてのことを、日本(にほん)人というものの見方が違って非常の信頼感をもって、付き合っていただけるようになったと。 ま、こういうことを、も、聞いてきたわけであります。  どこ、行っても、非常に日本(にほん)人は、ソ連に行っても人気がございます。非常に大切に日本(にほん)人だというと大切にしてくださる。ま、こういうことを考えても、先にわたし(「わし」と発音)申し上げましたように、日本(にほん)国民というものの優秀性っていうものを世界中の人類ことごとく認めてると、ことがいえると思うんであります。  それから最後のアメリカへまいりますというと、あのアメリカで、黒人問題っていうようの問題で、わたしどもは遠くで見ているというと、黒人問題、アメリカはけしからんと。...
16 ...この、自由国家であっていながら、そのおういうその、こと、しちゃいかんというようのことを、わたしどもは頭んなかへひらめくんであります。ところがこれをですね、実際にその、そばにいる方々の話を聞いてみますというと、これもなるほど、そうせざるを得ないっていうところに黒人のほうもザンゲがあるなということを、まざまざと聞かせられた。こういうこともまたわれわれの、こん、今後の、考え方っていうものに、大きなこれ一つの役割があるんじゃないかとこう思うわけでありますが。なぜ黒人を嫌うかというと、ホテルで泥棒があったといっても、お店で、かっぱらいがあったといってもですね、ほとんどがその犯罪というようのものを、不良の少年というようのもののですね、悪(あく)行為が非常に黒人に、ぶ、この数(かず)が多いという。そこで日本(にほん)人、非常にアメリカの人は信頼してるっていうことはですね、日本(にほん)人は絶対に犯罪を犯さないっていうんです。これはですね、日本(にほん)の中に、え、ひどいのがたくさんいるのに、アメリカへ行った人だけはですねえ、ちっとも犯罪犯さんというんですが、これは誠にお恥ずかしい話でわれわれもう、国にいるものはお恥ずかしい話だけど。それが特にですね、このう言葉がですね、2世ぐらい、まず1世は絶対犯さんそうです、言葉のできないようの、日本(にほん)語でなきゃ話せないようの人はもう全然悪いことをしないそうです。3世になると多少あるそうです。もうこれは全然、言葉、こっちの言葉はわからないで、向こうの言葉だけの人。ま、これがなるほど、まあ、その絶対に悪いことしないというようの、それだけを手放しでほめるわけにもいかないっていうその、一つの理屈もまたあるわけですね。それはどういうことかというと、言葉が通じないからすぐあれ日本(にほん)人だとはっきりわかる、ね。自分が正しくならなければ人さまが正しく用いてくださらないから、自分というものを、護身用のためには、自分が正しくならざるを得ないという条件に置かれるわけなんですよ。ですから、これはやっぱりわたしどもはよほど考えてみなくちゃならんとこだと思うんです。自由が利くからという、自由、自由といって、自由でさえあればいいという主張がだいぶ多いんですが、人間に自由っていうものをあんまり自由放題に与えると何をしだすかわからない現在の日本(にほん)の、犯罪の多いことがそこにあると思うんです。 そういうことで、全然もう日本(にほん)人はひとっつも悪いことしない。その、そういうことがはっきりもう、こんどは統計上出してそのアメリカで信頼してる。お金を貸せば必ず返すっていうんですね、ま、そういう信頼感。...
17 ... で、戦争の時に、日本(にほん)の2世がとにかく非常にこの、自分の本当の国だから、母国であるから、その国に対して何かその寝返りでも打ちやしないかっていうようの向こうで心配したん。ところがもういちばん信用の始まりがそこからだそうですが、日本(にほん)の2世はやっぱり自分の住んでるその国土というものを愛してですね、アメリカに協力したんですね、2世が。非常に勇敢であった、忠実であった。これで日本(にほん)人はやっぱり自分の住んでおるところのその郷土、国土と自分の、す、住んでるところっていうものを守るというその、非常に素晴らしい国民だということで、え、日本(にほん)人を信頼し始めて、それからずーっと調べてみると犯罪は一つも犯していない。公共の事業に非常に力を尽くすと。ま、いろいろの点ですね、正直で絶対にその金を貸しても返すという。ま、そういういろいろの条件を取り上げて日本(にほん)人をアメリカでは信頼してんだと。  ところが、黒人はなかなかそうはいかないんで、あっちでもこっちでも悪いことしたってばもう黒人だろうといってですね。ま、その悪いことをするからまあ、多少また白人のやったのまで片づけられるかも知れませんな。うん、そういうことで損してるかも知れませんが、学校などでは、ですから黒人の子どもが来て、道徳の、その守れない、無作法な、そういう人が学校へ入ってくるというと、白人系の人はもう、おういうのがたくさん来たんじゃ子どもをあの学校置けないっていうので、どっか移転をしてしまわなくちゃならない。そういうような苦労が非常に、あちらにもこちらにもあるので、黒人の中でも心あるものは、これは黒人自体がですね、嫌われないようの国民にならなくちゃいけない。こういうことを中でですね、指導にある人は非常に反省をしつつあるということを聞いてきたんです。  まあ、ですから、ま、終極へまいりますと、わたしどもお互いさま、自分ということになるわけです、自分というものが清くなり、自分というものが正しくなる、自分というものが明るくなると、自分ってものの考え方っていうもの変えるということがですね、自分を守る自分を安泰ならしめるという、そのいちばんの条件だということはもう、これもう、仏法の因縁、善因善果、悪因悪果の法則からいっても当たり前のことでありますが、え、まざまざと、そういう問題を見せつけられて、ま、きたわけであります。  でありまするから、わたしどもは本当に、ただ、わたくしどもの会、という、まあ、やっぱりこの日本(にほん)の国っというものにわたしはさっき力を入れて申し上げたように、宗教団体を本当にそういう方向に、皆さんがともに手を携えていけるような、ことになるのにはやっぱり、相当、佼成会というものがやっぱり、本当に中でですね、われわれの一つの同志が、本当の異体同心となって、仏さまのみ心を体したところの立派の人格者がここへ団結してですね、そして、わたしどもが大いにその、頑張らなければやっぱり日本(にほん)の宗教界を動かすっていうことは、一応、旅行ではうまくいってまいりました。...