法華三部経の要点 ◇◇36
立正佼成会会長 庭野日敬
自分は宇宙の歯車の一つである
地味でたゆみない修行が
ここでちょっとお断りしておきたいことがあります。法華経は、つまるところは大衆の救いのためのものでありますが、なにしろ二千年も前のインドで、大乗の菩薩としての自覚にたった出家修行者が中心となって編集された「信仰の書」ですので、その大衆には、優婆塞、優婆夷という在家も含まれてはいますが、当面の救いの対象は、声聞とか縁覚とかいう出家修行者だったのです。そして、その大衆も仏と成る大道の上にあるのだというのが法華経迹門(しゃくもん)の根本思想だったのです。
ですから、この信解品においても、例えば声聞である須菩提や迦旃延らが「わたくしどもは自分が解脱したことで満足し、それ以上のことを求めませんでした」とサンゲしたことも要点には違いないのですけれども、それは出家修行者としての反省であって、われわれ在家の信仰者とはちょっと次元が違います。
この要点シリーズは、あくまでも現代に生きる在家のためのものですから、右のような出家修行者のための要点はなるべく取り上げないことにしています。その点をご承知おきください。
さて、信解品の『長者窮子の譬え』の窮子は、長者(仏)から命ぜられるままにどんな仕事もいやがらず、根気よく、コツコツと遂行していました。人のいやがるようなところの掃除だけでも二十年もやっていたのです。そこを見込まれてだんだん重要な仕事を任せられ、ついには総支配人といった立場に昇格したのでした。
それでも私欲などを起こさず、地味に、忠実に働いていました。ところが、長者が死を迎えようとするとき、内外の人々を呼び集めて――じつは、これはわたしの実子だったのだ――と打ち明け、その全財産を窮子に相続させたのでした。
そのとき窮子は心の中で「今此の宝蔵、自然(じねん)にして至りぬ」とつぶやきました。つまり「長者さまの言いつけどおりに働いているうちに、この大きな財産がひとりでに自分のものになった」という喜びの歎息なのです。この「自然にして」というのがこの品の要点の一つです。
仏の眼から見れば一切平等
どんな仕事でも、社会がそれを必要としているという点においては平等なのです。もっと大きな眼――仏さまの眼と言ってもいいし、宇宙の眼と言ってもいい――から見れば、仕事の相違とか地位の上下などは無いに等しいのであって、一切は平等なのです。
ですから、自分の地位に劣等感を覚えている人は、眼を大きく放って宇宙全体を見渡し、その中の自分をみつめてみるといいのです。
よく「自分は単なる歯車の歯の一つに過ぎない」と卑下する人がありますが、歯の一つでも尊いものではありませんか。あなたという歯があればこそ歯車全体が成り立っているのですよ。そういったより積極的な意味で「自分は宇宙の歯車の歯の一つなのだ」という自覚を持ってください。そうすれば、劣等感などはたちまち吹っ飛んでしまうでしょう。
森林太郎は三十六歳の若さで陸軍軍医学校長に任ぜられるほどの逸材でしたが、とつぜん九州・小倉の第十二師団軍医部長に左遷されました。失意のあまり辞職さえ考えたのですが、気を取り直し、閑職で余暇の多いのを利用してドイツ語の勉強に励みました。その結果生まれたのが不朽の名訳『即興詩人』だったのです。それがキッカケで、文豪森鴎外が生まれたわけです。むろん軍医としての職務にも忠実に励みましたので、のちに軍医総監という最高の地位に上りました。
何事にしても、逆境や不遇にめげず、地味にコツコツと修行することが最後にはものをいうのです。
立正佼成会会長 庭野日敬
自分は宇宙の歯車の一つである
地味でたゆみない修行が
ここでちょっとお断りしておきたいことがあります。法華経は、つまるところは大衆の救いのためのものでありますが、なにしろ二千年も前のインドで、大乗の菩薩としての自覚にたった出家修行者が中心となって編集された「信仰の書」ですので、その大衆には、優婆塞、優婆夷という在家も含まれてはいますが、当面の救いの対象は、声聞とか縁覚とかいう出家修行者だったのです。そして、その大衆も仏と成る大道の上にあるのだというのが法華経迹門(しゃくもん)の根本思想だったのです。
ですから、この信解品においても、例えば声聞である須菩提や迦旃延らが「わたくしどもは自分が解脱したことで満足し、それ以上のことを求めませんでした」とサンゲしたことも要点には違いないのですけれども、それは出家修行者としての反省であって、われわれ在家の信仰者とはちょっと次元が違います。
この要点シリーズは、あくまでも現代に生きる在家のためのものですから、右のような出家修行者のための要点はなるべく取り上げないことにしています。その点をご承知おきください。
さて、信解品の『長者窮子の譬え』の窮子は、長者(仏)から命ぜられるままにどんな仕事もいやがらず、根気よく、コツコツと遂行していました。人のいやがるようなところの掃除だけでも二十年もやっていたのです。そこを見込まれてだんだん重要な仕事を任せられ、ついには総支配人といった立場に昇格したのでした。
それでも私欲などを起こさず、地味に、忠実に働いていました。ところが、長者が死を迎えようとするとき、内外の人々を呼び集めて――じつは、これはわたしの実子だったのだ――と打ち明け、その全財産を窮子に相続させたのでした。
そのとき窮子は心の中で「今此の宝蔵、自然(じねん)にして至りぬ」とつぶやきました。つまり「長者さまの言いつけどおりに働いているうちに、この大きな財産がひとりでに自分のものになった」という喜びの歎息なのです。この「自然にして」というのがこの品の要点の一つです。
仏の眼から見れば一切平等
どんな仕事でも、社会がそれを必要としているという点においては平等なのです。もっと大きな眼――仏さまの眼と言ってもいいし、宇宙の眼と言ってもいい――から見れば、仕事の相違とか地位の上下などは無いに等しいのであって、一切は平等なのです。
ですから、自分の地位に劣等感を覚えている人は、眼を大きく放って宇宙全体を見渡し、その中の自分をみつめてみるといいのです。
よく「自分は単なる歯車の歯の一つに過ぎない」と卑下する人がありますが、歯の一つでも尊いものではありませんか。あなたという歯があればこそ歯車全体が成り立っているのですよ。そういったより積極的な意味で「自分は宇宙の歯車の歯の一つなのだ」という自覚を持ってください。そうすれば、劣等感などはたちまち吹っ飛んでしまうでしょう。
森林太郎は三十六歳の若さで陸軍軍医学校長に任ぜられるほどの逸材でしたが、とつぜん九州・小倉の第十二師団軍医部長に左遷されました。失意のあまり辞職さえ考えたのですが、気を取り直し、閑職で余暇の多いのを利用してドイツ語の勉強に励みました。その結果生まれたのが不朽の名訳『即興詩人』だったのです。それがキッカケで、文豪森鴎外が生まれたわけです。むろん軍医としての職務にも忠実に励みましたので、のちに軍医総監という最高の地位に上りました。
何事にしても、逆境や不遇にめげず、地味にコツコツと修行することが最後にはものをいうのです。