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開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会

21 ...気分的には少々まあ、その、心配であったけれども、まあこの時も「信ずる者は幸いなり」になったわけですが(一同 笑)、まあ、その先輩のいうこと信じて、その前のノミのことがあったもんだから、自信もってゆったってんですねえ。そうしたら奥さんがやっぱりそのいろいろのことを順々こう見せられるもんだから、本当に自分がいけないんだという気持ちになって、奥さんも合掌する気になって、そのー、きたっていうんですね。そうしたところがピタッと、そのー、据え風呂が、漏れ(「むれ」と発音)が止まったっていうんです、ね。 これはまあ、ノミとかね、据え風呂っていうのはこれは、まあ、あのー、外から来るもんだから、これまあ外因縁(がいいんねん)のほうですから、このほうはまだ問題が少ないんですが、もう一つあるんですね。  もう一つはどういうことかっていうと、法座へ来てすぐその、いろいろの話をして、結婚して何年何年たってる、というと、お子さんがいないわけです。お子さんがいなくて寂しいでしょうっていったところが、まあ勉強するっというようのこともあったり、結婚してすぐその肺病になって、1年ほど別れていたと。その次に今度は財産の問題で腹立って東京へ飛び出して来たんで、この時また奥さん1年ぐらい別々になって、いたと。ま、そういうような、非常な不遇の生活、夫婦だけれどもその、結婚してっからその、もう2度もそういうまあ破滅になった。そういう状態してる人だもんだから、わたしどものようの状態ではね、子どもを生んでも育てられないんだと、欲しいと思いませんよ。なんてや、その負け惜しみをいってですね、若夫婦だから子ども欲しくないことはないんですけども、やせ我慢で、結婚して5、6年にもなってるんで欲しいんですけれども、ゆったというんですね。そしてまあ、いろいろのことだんだん聞かされるうちに、そういう考えはこれは罰のあたった言葉を先輩に吐いたとこう思ってですね、そして、ま、その、親不孝の人は七面山に行くというと、そのたいへんにいろいろの因縁が出るからということ聞かされて、七面山をお参りに行って来たと。ところが七面山に行くという問題に対してもその時は、ま、少々、半ば不平があった。不平があって、そのー、わたしに行けって、ほかの人が行く人がたくさんあるのにね、わざわざおれに命令するとは何事だっていうようなまあ考えをまたしたり。ところがそれを素直(「すなわ」と発音)になって行かなくちゃだめだっていうことで、素直(「すなわ」と発音)になって行ってきて、そいで行って帰ってきたところが、知らんうちにですね、赤ちゃんがちゃんと始まっちゃったいう、ね、ね。...
22 ...これ、まあその、今度自分の肉体が治っちゃったんですね。そして夫婦がですね、もう思わず知らずのうちに、この、ちゃんと法の、はま、中へはまっちゃった。で、そうして今度の夫婦で別れているのに対してはですね、奥さんも、本当の先生をするっていうのには当然それだけの修行が必要だというので、賛成をしてだんなさまをニューヨークのその学校へやってですね、そういう気持ちだったら、兄さん金を出してくれて、ニューヨークへいま、学校留学してるわけです。ま、そういう話をですね、わたしはニューヨークへ行って佼成会の功徳話聞こうと思っていなかったけれども(一同 笑)、ね。まあ、そのー、そういう人会いたいというからお会いして一ついさめてやろうと思ってまあ、君なんでも、その留学してるというから学生だっていうんだから、いちばんおいしいごっそう、ごっそうしようっていうわけでですね、その、うんと厚いテキを食べさしてですね、一杯飲ましてそしてお夕飯食べて、まあ部屋でもってそういう話を、ホテルの部屋でいろいろ聞いたんでありますが。  まあそういう話を聞いているうちにですね、本当にこの仏法の因果の法則というものは、本当に素直(「すなわ」と発音)になって聞かなけりゃならないんだなっていうことをですね、コジマさんに聞かされてですね、人にしゃべっているんですよ、わたしはもう40年もしゃべってるんだこういうことをね(一同 笑)。ま、しゃべってるんですけど、あまりにもその人がこうてきぱきとこの、いま、現在にその、生々しいそのザンゲによってすべてのことの変わって行く状態を聞かされるとですね。ああー、もっとこれは精進しなくちゃいけないと、もっとこういう苦しみをしてですね、ですからまあ、おそらくあの誘拐を企てる人とか、意志の弱い人で、何かを見て欲しくなってむらむらと泥棒しる人とか、ま、いろいろの人が皆このですね、因果の法則がわからないでですね、そういう間違ったことを犯してると思うんです。これはやっぱりですね、一人もそういう者がいなくなるという状態をお釈迦さまは願ってですね、われわれ人類全体をとにかく、人類救済のために説いた法門なん。で、その法門がいま、こう、使ってみてですね、こんなにはっきりとこうわかるということが自分たちはわかって認識をしていながら、われわれの努力が足りないために、まだ罪人(ざいにん)を次から次へとかもしだしているっていうことは、これ誠に申し訳ない、と考えなくちゃならないと思うんであり。  そういう意味で、旅行中にですね、いろいろの宗教団体の状態を聞いて、きのうもちょっと申し上げましたが、ジュネーブにおきまして、WCCの、委員長さんがとうとうとこれはですね、キリスト教が、あー、この、プロテスタントだとか、聖公会だとか、ギリシャ教だとか、えー(咳払い)、この、ローマのようのカソリックだとか、そういうようにこのキリスト教の中でもいく色分かれておりますが、そういう考え方をやめて、まず、キリスト教は1本になってですね、正しくその神の声を聞き、この、本然(ほんぜん)のキリスト教にならなくちゃいけないということを提唱しているのが、ば、WCCであります。...
23 ...その方々がですね、そういうことは提唱してるんですが、これはまあちょっとね、自慢のようのことになりますので、キリスト教の、もし方がいらして、お気に障ったら、ま、あ、ご勘弁を願いたいと思うんでありますが。でまあ、いろいろこの世界の平和っていうことをもたらすために、根本的の理論はないかというので一生懸命で研究してるけれどその根本理がわからないというようの状態の話になっちゃったん。話をしてるうちに。その時にたまたま仏教界のほうへ行っていましたところの、法相宗の橋本凝胤(「はしもとりゅういん」と発音)先生のお弟子さんで、安田っていう方が随行で行っておりました。で、その方が、あのう、その、非常にこの具体的な、どうしたらなるだろう、こうしたらなるだろうっていうことを研究してるっていうんで、いろいろのこう例をあげて向こうでいってるけれども、その根本理は何かっていうことを聞いたら、向こうで、じゃあパーンとこないんですね。 なかなかそのはっきりしたこの根本理がどうして、す、世の中はこう、この、平和にならないかと。人間はどうしてこういうふうになるかっていうことで、まあ、ああいうふうにして、どういうふうにしてって、まあいろいろの具体的の、その方法論ではたくさん出ているけど、根本理がどうもはっきりまだしてない。というと、その法相宗の坊さんが質問をしたわけです。これどうもちょっと向こうで、困ってですね、仏教のほうじゃありますかと今度は聞いてきたわけですよ。そこのところは、ま、これはまあ、さっそくですね仏教側では待ってましたとばかしに、もう、この禅宗の佐瀬さんと、わたしとまあ二人でもうこれをやろうじゃないかっていうわけだ。あの佐瀬さんは、とにかく最後はもう庭野さんあんたやるのに、おれに先やらせろよっていうわけだ(一同 笑)。それでまあ、花を持って、それじゃあまああんたやってくださいってことで、佐瀬さんに花を持たしたわけであります。あとのくくりは、ま、庭野さんやってくださいよっていうようの話だったん。ところが佐瀬さんがはっきりいっちまったから、わたしはいう必要もないからいいませんでしたけれども、それで佐瀬さんいうわけですよ。  仏教のほうでは、人間は貪・瞋・痴というですね、この三毒があるために争いが起こるんだ。三毒を滅しなきゃならないという根本理をはっきりお釈迦さまは教えてるんだという、ま、話になったわけであります。それからあとは、いろいろの雑談でああそうかっていうようのことでありましたが向こうの方はよくわかったかわからないか知りませんが、ま、そういう場面にちょうど出くわしてですね、いろいろこう話をしてみるというと、キリスト教のほうに、根本理がないってことはない、あるかも知れません。...