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開祖 (19640515A) 大聖堂落成式
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... えー、二尊四士とはいかなることかと申しますと、えー、このお釈迦さまの頭(こうべ)のところに、頭の上に多宝塔というお塔がございます。その中に多宝如来があるわけでありますが、えー、しかも、周りの光背の中に、ずーっと雲の模様の中に四大菩薩の座像が四つございます。これは四士、すなわち、上行、無辺行、浄行、安立行の四大菩薩をこの光背の中に座像にして配置をしたわけであります。そして、ちょっと一見致しますると、お釈迦さまの像が大きく現われておりまして、一尊のように見えます。ところが、法華経の経文にありますように、多宝如来の証明ということによって初めて、久遠実成の本仏の教え(「おしい」と発音)、仏さまのみ心、というものが証明されますように、その順序を取りまして、釈迦、多宝の二尊、そして4人の大導師、大菩薩を配置を致しましたのがこの本尊でございます。 この本尊こそは、久遠実成のお釈迦さま、インドにお生まれになったお釈迦さまは、さらに、 (聞きとれず) この、インドのお釈迦さまが迹仏として現われるところの、その根本理であるところの本仏、この久遠の本仏を表現する、ということに非常の苦心をしたわけでございます。 かく致しまして、出来上がりました本尊、さらに、この本尊の問題が、いよいよ決まりまして、このご尊像の彫刻をどなたにお願いをするかということになりまして、たまたま錦戸新観先生と知遇を得まして、先生にわたしどもの、この問題を申し上げましたところ、快くお引き受けをいただきまして、爾来、京都、奈良の仏像をことごとく見学をさせていただき、参拝をさせていただきまして、研鑚に研鑚を重ねまして、約4年の歳月をかけまして、錦戸新観先生ほか才識の方々、みなお手伝いの方々43名のお方によって、この本尊ができたわけでございます。(咳払い) こうして、本尊を、ここに飾ります、その周りを囲むところに、え、先ほどの報告にもありましたように、えー、日本の建国の由来あるところの、天孫降臨の峰といわれる高千穂の峰から、ジャスパーという宝石のあるということを聞きまして、この宝石を、不思議のことに回り回ってわたくしどものところへ、その(咳払い)宝石の板が回ってまいりまして、これをぜひとも由緒あるところの、その高千穂の峰の石を、なんとかしてこのご本尊さまの周りだけでも、これによって飾りたいと。これは七色の色がありまして、素晴らしい光沢をもっております。ご覧のように、えー、左右の柱、え、ずーっと奥のほうの(咳払い)壁も全部、このジャスパーによって、囲んであるわけでございます。(咳払い) ところが、(間)道場の正面から、ずーっと上の宝塔のところまで、ぜひともこの石を張らしてくれというので、この日本ジャスパー社長のモリモトシンイチさんが、もうこれは、(咳払い)えー、わたしどもの工賃さえ、加工するその工費さえくだされば、もとはタダあげるからぜひ張らせてくれ、というので、ひじょーに無理のことでございました、硬いために、160余名の工員が、昼夜三交代で3年もかかったわけですから相当無理をしていただきまして、おもてへおいでいただきますと、ずーっと上のいちばん高いところまで、えー、総体は7階でありますが、前のほうの一部8階がございます、その8階の上にまでずーっとジャスパーによって張りつめられたわけでございます。...
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... こういう問題、さらに、大勢、夏冬を問わず、暑いときも寒いときもおいでをいただいて、皆さんが修行をしてくださる、立体的の道場で7階建てでございますので、その換気、または冷暖房、こういうことに配慮を致しまして、たまたまヒートポンプによるところの、冷暖房、これによりますと、普通の冷暖房の約半額(「はんかく」と発音)くらいで、これはまだかつてこういう大殿堂に使ったことのない、大きな建物に使ったことのないようなものだそうでありますが、これを、マミアゴヘイさんという「シュウワ会社」の社長さんの発明でありまして、この新しい方法を、この道場に採用したわけでありまして、この問題も、実際に大きな道場にそれが可能であるかどうかといういろいろの心配もあったわけでありますが、これをみごとに完成を致しまして、これだけ大勢の方がおいでいただいても、冷房をかけますると、非常に気分よく、本当にこの中へお入りをいただきますれば、極楽浄土へ行ったようの気分で、お互いに自分の心のあるだけのことを、お互いに語り合う道場としてふさわしい、建設ができたわけでございます。 先ほども申し上げましたように、芝電気の社長さん、または、いま、申し上げました冷暖房の関係の方々、ジャスパーの会社の総員、え、ことごとくこの建設に関係をされました方々は、すべてのことを投げ打って、わたくしどものこの建設に真剣にご奉仕をくださいましたので、ご覧のように素晴らしい道場が、えー、8年という期限は少々長いようでありましたけれども、昨年ヨーロッパを、外遊をさせていただきましたその際に、外国の宗教建設の状態を伺いますと、驚くなかれ150年、ないしは200年かかったという建造物が各所にあるわけであります。 えー、現在はスピード時代といいますから、150年も200年もなどというと、もう始めたときからおしまいのときまでに、気持ちが変わりはしないかとも、わたくしどもは考えるんでありますが、そういうお話を伺うにつけましても、西洋の、あのキリスト教に対する信仰というものが、いかに根強いものであるか、しかもその建設はことごとく、その当時の建設としては、いちばん最先端の、新しい方式、いちばん素晴らしい方式をとられて、宗教建設には金に糸目をくれずに、建設されたことが記録に残っておりました。 こういうものを見学させていただきまして、東京におきましては、わずか8,000坪の地所ではございますが、前のほうには、わたくしどもの学校は約1万坪の地所が控えております。 この、小高い丘に、丘の上であり、しかも南傾斜のこういう地所をまたと探そうといっても、おそらく東京にはこういう地上権もないのではないかと、そういうふうに考えまして、わたくしども、先ほどの建設委員長をはじめ、各委員の者が、心血をそそいで、この全力をあげて、この聖堂建立に、努力を致したわけでございます。...
開祖 (19760528A) シュバイツア賞受賞式
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...そうしますると、これは日本の宗教界の皆さま方が、えー、わたくしのような者を推して、あのWCRPの大会を成功裏に導いていただきました、日本中の宗教家の皆さま方のご後援のたまものでもあるわけであります。 (一同 拍手)で、そういう意味で、本日はわたくし自身の受賞ではなく、日本の宗教界の受賞であり、また新宗連の受賞であり、佼成会の受賞でもあると、わたくしはそのように考えておるものでございます。(一同 拍手) で、そういう意味で、この今日(こんにち)のこの、お、光栄をここにもたらしました皆さま方に対し、え、衷心より厚くおん礼を申し上げる次第でございます。ありがとうございます。(一同 拍手) (咳払い)なお、本日はこの、お、受賞に当たりまして、わざわざ、この、おー、スペンサー、ラバン博士、または婦人代表のホーワ女史、え、それに、えー、カルジュン先生、このお三方(さんかた)が、わざわざこの、おー、受賞、わたくしにこれをお授けくださるために、え、おでましをいただきましたのでございます。このお三方(さんかた)に衷心より感謝を申し上げたいと思います。(一同 拍手) (咳払い)えー、(咳払い)わたくしどもの会員の綱領でありまするが、これもやはり、えー、自己のこの完成ということを目指して、えー、仏教による働きをする、というのであります。そして、え、自分の人格の完成を目指して、自己の練成をとおして、家庭、そして社会、そして国家、世界の平和境を建設することを期す、このように佼成会の綱領は結んであるのでありまして、えー、この綱領を実現をできるということは、(咳払い)いちばんのその中の、え、しん、このバックボーンになるものはといいますると、これは三宝帰依ということになります。えー、仏さまに帰依する。そしてお説きになられた法門に帰依する。そして最後に、僧に帰依す、であります。この三宝に帰依するというこのことは、言葉にわたくしは昨年、えー、カナダにおきまして会合のありましたときに、IRFの会合で、「万教同根」ということを申し上げたんであります。これは、法華経の中には一仏乗といわれております。えー、いろいろの宗教がたくさんある。それはインドのガンジス河の砂の数ほどある。そういうたくさんの教えがあるけれども、決して二つないのである。真の宗教というものは一つである。教えの根本は一つであると。こういうことをお釈迦さまが教えておられるのでありまして、わたくしどもはよりどころとする経典が法華経であります。その法華経の精神、さらにまた、シュバイツァ博士の、この、おー、論文の中に、えー、この生命の畏敬という問題がございました。...
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...これはまさに如来寿量品にありますところの、人間の生命の尊厳ということであります。神さま、仏さまに、われわれはいのちをいただいて、生かされているということであります。ま、これは永遠にわれわれの生命はあるので、今世だけのものでないのであって、そこで今世の結果だけを追求しないで、永遠の大生命に向かってわたくしどもが正しい信仰をずーっと続ける、こういうことの重大さをいっておるのであります。 で、そしてもう一つ、「不言実行」という言葉が書いてございました。えー、不言実行、これは普賢菩薩という菩薩さまが法華経の中にはございますが、普賢菩薩さまのところは、本当に法華経行者の実行すべき項目をきちっと並べてあるわけであります。で、そういう意味で、法華経のこうした、思わぬ功徳、本日のこのシュバイツァ賞の受賞などは、本当に望みもしない大功徳が、こうしていただけるわけであります。えー、法華経の中には、わたくしは功徳がいっぱいある、功徳じゅうであるっということをいうのであります。まさに本日もその功徳でございます。 えー、シュバイツァ博士のことに対しましては、本日おいでいただきました3人の、おー、お先生方から、特別、これはもう、おー、言葉たくさん、素晴らしい言葉でシュバイツァ博士を表現されておりますので、わたくしの申し上げる、うー、ことも、お、無駄だと思います。えー、そういう意味で、わたくしどもの菩薩道というものが、このように世界的に認められたということは、これは三世諸仏の説法の儀式といわれて、お釈迦さまがお説きになっておられますが、その法華経の功徳、帰依三宝の功徳、その何ものでもないと、わたくしは思っております。 えー、どうぞ、そういう意味で、わたくしどもにこのような栄誉を本日ここまで、えー、わざわざお持ちをいただきまして、えー、わたくしにお授けくださいました、この、お、ご三方(さんかた)に衷心より感謝を申し上げまして、わたくしの、おー、ごあいさつにしたいと思います。 ありがとうございます。(一同 拍手)どうも失礼致しました。 ○司会 どうもありがとうございました。...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
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...さらにわたくしどもは、国連が核軍縮の問題を最優先されんことを強く主張する。また、わたくしどもは、核拡散防止条約第6項の履行が、倫理的、道徳的、宗教的にも一致しているという理由から、これを優先されんことを提案する。 すでにご承知のごとく、目下、日本代表団によって広島、長崎の被爆写真がこの国連内に展示されておりますが、その悲惨(「ひざん」と発音)さは目を覆うものがございます。日本から持参されたそれらの写真の何枚かは、あまりにも、ひ、悲惨(「ひざん」と発音)さのゆえに、展示を遠慮してほしいという要求があったと聞いております。しかし、その地獄の苦しみの様相から、どうか目を背けないでいただきたい。 この特別総会の宣言草案にもあるごとく、わたくしどもは武装を解除しなければならない、さもなくば滅亡あるのみである、という言葉をいま一度、思い起こしていただきたい。 わたくしどもは国連がさらに強化され、この混乱した世界に法の秩序(「つつじょ」と発音)をもった、もたらす能力をもっていることを確信しておる。そしてわたくしどもは、それぞれの宗教と教団の信者をあげて、この歴史的な国連特別総会が、有意義に成果を収められるように祈って(「いぬって」と発音)おります。そして、国連加盟諸国が現状の流れを変え(「かい」と発音)、平和と真(しん)の進歩のために立ち上がることをもあわせて、祈願致す次第であります。 最後にわたくしは、核の廃絶は夢物語であるという人々に対し、故人の深い洞察の言葉を贈りたい。すなわち、「あらゆる、ひ、人が心の底から願う(「ねごう」と発音)ことは、決して実現不可能なことではない」という言葉と、日蓮聖人の「法華経行者の祈りのかなわぬことあるべからず」という言葉、さらに仏陀の、いま、この、さんが、(咳払い)此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は悉く吾が子なり 而も此の処は諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為すと、「一天四海 皆帰妙法」、万法はみな一つから出ておるのである、「天壌無窮 異体同心」、天地とともに窮(きわ)まりなく、すべての人の心は同じくしなければならない。全人類が心を一つになって世界平和を祈れば、天の救いの主(ぬし)である、主(ぬし)は必ずわれわれを守護したもうことを教えているのであります。全人類が一つの心になるためには、世界政府の樹立が必要であり、世界政府が樹立すれば核兵器など無用の長物となる。そこでわたくしは、全世界の為政者に対し心の改心を願い、人類の未来を信じつつ、神仏のご加護を祈り、わたくしの提言を終わります。ご清聴、ありがとうございました。...
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
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...わたくしたちはこの縁起の世界、目に見えない世界というものに目を向けなければなりません。いまや他(た)の天体のことまでわかっている人間ではありますが、自分自身の存在が、なんによって支えられているかということを知らぬのはまさに悲劇(「へいぎ」と発音)であります。え、世界に例をとって見ましても、日本(にほん)はもとより、ソ連でさえも、アメリカから大量の食糧を輸入しなければならないという時代に、絶対のもの、究極のものに近づくための手段にしかすぎない、イデオロギーのために対立するということはじつに愚かなことであります。長い歴史の流れからすれば、イデオロギーは、その時代時代の衣装にすぎない、といっている人がおります。しかし、人間は衣装だけでは幸せにはなれませんし、生きていくことさえできません。特に近代におけるイデオロギーの、ほとんどが、対立闘争の中で自分の存在を確立していくという考え方で、考え方がつおいように思われます。自己の利益のみを中心にして主張し、その拡張をはかる、そうした考え方にとどまるかぎり、憎しみと争いから脱却することはできません。 事実、人類の歴史は争いのくり返しでありました。個人と個人とのエゴの相克、偏狭なナショナリズムの衝突、帝国主義、労使のあいだの争い、すべてが自分がなんによって生かされて、存在しているかを忘れた、近視眼的独善的な発想に由来するものであります。 いまわたくしは、諸行無常について、しょ、諸法無我について、そして縁起について簡単にふれてまいりましたが、人口の増加、資源の問題などを考えますと、人類生存のためには、まだいくつかの紛争があるにせよ、ナショナリズムから地域主義に、そして地球主義から世界共同体の、建設に向かわざるをえないと思うのであります。 そして地球という一つの船に乗った人類家族という考え方が、芽生えつる、芽生えつつある今日(こんにち)、人間の心の平安と幸福、世界の平和の、を至上目的とする宗教が、宗教用語や儀式形態の差こそあれ、互いに反目し合ってよいはずはありません。 第二バチカン公会議において、わたくしは、いまは亡きパウロ六世猊下にお会いを致しましたとき、猊下は、仏教徒のわたくしに向かって、キリスト教徒、キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がまたキリスト教徒のために祈る、そのような状態にならなければ、宗教が人類に貢献する道はない、いまや人類という言葉は、隣人という言葉と同じ意味になりつつある、と申されました。そのときわたくしは、宗教者は、宗派の壁を、(咳払い)、しゅう、宗派を隔てる壁を打ち壊し、その壊れた小石をもって断絶の溝をうめなければならんと決心を致したのであります。...
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... すなわち、世界平和の達成には、政治の、イギの、エゴのみならず、人間精神の改革が必要であり、そのためにはまず宗教そのものが、ルネッサンスが必要ではないでしょうか。 爾来(じらい)、わたくしは、世界の宗教、まずキリスト教をはじめ、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、シーク教、神道(「しんどう」と発音)、仏教などあらゆる宗教者の心ある人びととともに、争いではなく協力を、奪うことではなく惜しみなく与え合うことを、そして学び合い、互いに力を合わせて平和を阻害する要因を除去するために、世界宗教者平和会議を組織し、努力してまいったのであります。 すでに述べたごとく、わたくしたちは、いま一度、すべてのものは変化してとどまることがないという諸行無常の真理を忘れて、相対的な物質のみに執着し、あるいはまたわたくしたちが、諸法無我という真理を見失って、天地のすべてのものに支えられているという事実、目に見えぬものを、ものに生かされているという事実に気がつかぬために、感謝を忘れ、愚痴と怒りと貪(むさぼ)りの心のままに生きていないかを互いに反省したいものであります。 さて、第3番目の涅槃寂静でありますが、いま述べた、愚痴と怒りと貪りという、この誤った心を、仏陀(ぶつだ)は煩悩の炎に譬えておりますが、その煩悩の炎を吹き消した状態を梵語で、(咳払い)ニルバーナ、つまり涅槃寂静と呼ばれるのであります。この煩悩の炎を吹き消した、安穏の境地に達することが、仏教徒に与えられた一つの命題ということができましょう。つまり、いまを去る二千五百余年前(ぜん)、仏陀(ぶつだ)は、人びとが煩悩の炎によって自らを焼き尽くそうとしておる危険性に警鐘を鳴らされたわけであります。ただし、ここで注意しなければならないことは、とかく自分の涅槃寂静だけに安住し、現実の改革に取り組むことを忘れがちであることを、わる、(咳払い)忘れがちであることに対して、わたくしたち仏教徒は、十分に留意する必要がありましょう。 最後に、わたくしは、昨年6月、国連軍縮特別総会において提言の機会を与えられ、カーター大統領閣下、ならびにブレジネフ書記長閣下に対し、軍備のために危険を冒すよりも、平和のために危険を冒すべきである、と申し上げました。もとより宗教者としてのわたくしの声は小さく、弱いことをわたくし自身がよく存じております。 しかし、核の脅威、そして人類の3分の1(いつ)が餓死線上にあって、年に約600万人の人たちが餓死しているということをいわれております。さらに、残る3分の1(いつ)が、腹ふくるる思いをしている不均衡を見るにつけ、わたくしたちは、これで果たして、よいなだろ、よいのだろうか、という問題意識をもつべきでありましょう。...
開祖 (19911115A) 法燈継承式
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...そこでも、ネパールで、もうどこからどういうふうに聞いているのか知りませんが、佼成会の人は、わたくしがいまお話をしたような、非常によく施す人たちで、菩薩のような人であるという意味のことを、あらゆるところで耳にすることができました。 ま、やっぱりこれは、大勢の方が、精進をいただかなければ、一人や二人では目につかないことなんですが、もう世界中にそういうふうに、ご覧になっていただけるほど、皆さんが一生懸命にこの菩薩道に精進してくだすってる。その菩薩道に精進できてるっていうことは、本化の菩薩さまと、やっぱり行をしているんですから、えー、日蓮聖人のお言葉のように、それこさもう、百千万劫にもあい難いこの法を、地涌(じゆ)の菩薩にあらずんば唱え難き題目。ですから何でもなさそうで、題目を唱えるぐらいは何でもなさそうに思いますが、地涌の菩薩でなければ唱え難いんだと、いわれるその、お題目を皆さんは、自分で唱えると同時に、えー、人さまにも唱えてもらうべく、唱える心を起こさせるような、いまだ発心せざる者に菩提心をおこさしめ、と、無量義経にありますように、菩提心を起こして、本当に菩薩行を精進しようという、そういう方をどんどんつくってくだすって、そして今日(こんにち)になってきたと。 まあ、こういう順序次第で、きょうはまた、理事長さんが、たいへん素晴らしい、えー、詩をつくられたなんということで、ま、そのように、皆さんが、いつのあいだにそういう心境になられたかと思うような素晴らしいことが発表できる。これはやっぱり、四法成就せば、という、に、このー、二十八番目のお経文のなかにありますように、「諸仏に護念せらるることを為(「う」と発音)」、一には諸仏に守られることが得られる、ということをいわれる。二には諸の徳本を植える、と。「三には正定聚に入り」と。そういうところまで行くと、4番目には「一切衆生を救うの心を発せるなり」。これ極めて簡単なようでありまするが、この、四法成就しておれば、諸仏、し、諸仏諸天善神にご加護をいただけると。 ご加護をいただけるといま申し上げましたように、功徳を積むことが喜ばしくなってくる。喜んで施しができる。ですから「諸の徳本を植える、と。そうすると今度は、一人で徳本を植えても、一人のもう限界がある。えー、一人より二人、二人より3人、皆さんがお導きを一人をしなさいというと、えー、一人できればその人にまた導きのお子さんができて、二人にもなると。 その、体験をすると、お経の有り難みがはっきりとわかってじっとしていられない。不幸の人を見ると声をかけて、何とか幸せになっていただきたいという気持ちがのり出してくる。...
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...ですから、仏さまはそのことの順序を四法成就という形で、あの勧発品の中でおっしゃっているんだと思いますが、えー、「一には諸仏に護念せらるることを為(「う」と発音)、二には諸の徳本を植え、三には正定聚に入り」、そこまで行きますると、今度は自分で幸せだけでは満足できなくて、「一切衆生を救うの心を発せるなり」と、最後の4番目になっております。生きとし生けるすべてのものをみな生かしたいというような気持ちまで出てくると、いうように、仏さまは勧発品の中ではお示しになっております。 ま、そのように、やってみないとわかりませんが、やってみて、ご法門の功徳は、歴然としてることを体験しますと、これはどうしても自分でやらざるを得ない。 まあ、きょう、うー、佼成会の2代目の会長という、これがまた、えー、不思議のことに、ことしという年は、えー、九紫火星の年でありまするから、えー、わたしがホテルへ行きましても、えー、不思議に、うー、二百何十何号というようなことで、えー、その番号を見まするというと、2と7(なな)という数字がある番号のところの部屋にことしはどこに行っても泊めてもらう。えー、これがちょうど2代目というのが、その九紫の年の数(すう)なんでありますが、九紫の数(すう)というのは、2とか、幼数では2であって、老数では7(ひち)になるわけです。それから5たすと7(ひち)になります。5ひけば2になりますが、そのように、2代目がこう決まるという、ようのこと、そういう、年の回り合わせがそういうふうな年の回り合わせ。そんなことがあるのかなと思っていると、うー、まだわからないか、まだわからないかというので、行くとこ行くとこにそういう、えー、同じ部屋の番号でも、えー、217号とか、というようの部屋に泊めてもらう。ですから、うっかり歩いているようですけれども、歩まされている。ここまでわかってきますと、四法成就の諸仏に守られてるんだということがわかってくると、じっとしていられなくて、諸(もろもろ)の徳本を植えなくちゃならないと思い、そうなると、お導きをさしていただいて、サンガの数(かず)を増やさなければならない、幸せの人を増やさなくちゃならないというのが、この菩薩の役であります。 で、そういうことになりますると、自然とそういう動きが出てくる。ま、そういうことを、これは、修行してみますると、不思議にちゃんと当てはまっておる。次から次へと出てくる。数字にまで出てくる。そういうことでお互いさまに、導きのお子さんが、どういう方法、方法で、どういうことをしてなさるか、ということを見ておりますると、いま申し上げましたような、やっぱり諸(もろもろ)の徳本を植えるという、施しを喜んでするというような人には、どんどん幸せが寄ってくる。...
交成1950年第5号お会式
『交成』1950年第5号お会式行事
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
開祖(19731012A) お会式
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...わたくしどもの安心ができる、信じられる、う、そういう問題がたくさんあるわけであります。仏さまを、親と、自分の真の親であるという、この主・師・親の三徳を具えたお釈迦さま以外に、自分の本当のこの、お、師とも、主とも、親とも、頼むものはない、そういうことを日蓮聖人は非常に強く仰せになりまして、いろいろの、仏さまはお釈迦さまの説法の中に生きているのであって、で、この娑婆に生まれて出たお釈迦さまのお説法に間違いがないんだと、こういうことを身をもって、一つ一つ、現証を挙げて、ご説法をなすっていただいているわけであります。 そして60年の生涯を、本当に自分のやってることに一分(いちぶん)の誤りもないという自信たっぷりのお気持ちでやっておるのでありまするが、当時は本当に、たいへんの時であったわけでありまして。日蓮聖人のようの正直の表現をするというと、仏法の敵だというので、島流しにされたり、首切りの座へ乗ったりしるような、大難四箇度、小難は数知れず、というので、いつやられるかわからないようにねらわれたことがもう数知れずあったわけでありまするが。そういういろいろのことがあっても、いっこうにそういうことにはもう頓着なしに、堂々と自分の主張を声高らかに掲げて、60年の生涯を、池上本門寺におきまして大往生をされたわけであります。ですから、法華経を本当に行じている者は、確かに長生の術を得(え)るという、大往生を約束されているというところの、あの大信念、そういう信念があればこそあれだけの大業ができたわけだと思うのであります。そういうことをきょうはしっかりとお互いさまにかみしめまして、ご法門というものは口先では駄目だ、体でやらなければ駄目だ、身をもってやらなければ駄目だと、法華経というのは、あ、行じなければ駄目だと、自分の行為にあらわさなけりゃだめだ。仏法というものは自分で体験したことを自分でちゃんと言葉に表して表現をしなければ救われないんだと、こういうことを教えているわけであります。 どうかひとつ、う、皆さんこの万灯(まんど)行列、万灯(まんど)行列というのはご承知のように、あの、お釈迦さまの説法の場所に、この、立派の、お金持ちの人の、お、たいへんの、万灯につけたところの明かりと、貧者(「ひんじゅ」と発音)の一灯というので、貧乏ではあるけれども自分の頭の毛を売ってまで、ともしびとしてお釈迦さまの説法に歩きなさる足元を照らそうという、その真心のあらわれ方をおほめになられたり、お釈迦さまがお喜びになったと。そして、立派な万灯は風が吹いたら消えてしまったけれども、その貧者の一灯は、真心であげたところのともしびというものはお釈迦さまの足元を本当に照らして、どんな風にも消されなかったと。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...人がなんといおうと、ひとたびこの法華経の菩薩修行に入られましてからというものは、22年間のあいだ、病の床の中にあっても、ひたすらに人さまのお幸せになること、いかにしたら皆さんが幸福になるか、どうしたら世の中が救えるかということより、何もほかのことは考えておらなかったのでございます。こういう先生が、何回か皆さんにもこういうことを、そばにおる方々には申し上げたのでありますが、わたくしは非常に体も恵まれておりますし、割合と生まれた環境が両親も19歳までおりまして恵まれておりました。そして、いろいろの角度から自分は非常に人さまに奉仕的の気持ちをおじいさんに教えられて、自分で考えておった関係か、奉公にいっても、兵隊にいっても、小言をいわれたことがない、こういうようなうぬぼれた自分は考えをもっていた。 陰ひなたなく稼いで、他人さまに、良心に恥じないような行ないさえしてれば、主人といえども、又、軍隊のあの、軍規の中においても、人さまに決していろいろなことをいわれる必要はないんだ。わたしの通ってきた人生というものは、真心で、自分がまじめにやっていれば、何も小言をいわれる必要はない、こういうようにうぬぼれた、わたしは考えをもっている人間でございます。いろいろのご法に、信仰上あっちこっちと行きましたが、どこの先生に行きましても、ほめてはいただきますが、叱られたことはなかったのであります。 ところが、交成会になりまして、一生懸命に火花を散らしてふたりで、いろいろ皆さんをお導きをする、そのなかに、いろいろな角度からわたしの欠点をいって下さる方は、妙佼先生以外にないのであります。箸の上げ下ろしにいろいろの小言をいわれ、いわれることに一理あるなというふうに有り難く感じて、受けているときもありますが、時によるというと、わたしは親にも小言を言われたことがない人間だ、あんたばかりはよくそう小言をいいますねときには、いろいろの信仰者として恨んではいけない、憎んではいけない、憤って(いきどおって)はいけないとか、いろいろのことをいいますので先生は、悔しくなければ、小言はいえないのだよ、悔しくしていただいて、小言いわしてもらうのだというようなことまでいって、いろいろ鞭撻してくだったのでございます。 そうして一代あれほど小言を、箸の上げ下ろしまいっていただいた方が、なんと最後に何をおっしゃるかと、思いますと、かつて交成会の顧問でいらっしゃいますところの、波木井さんが、波木井さんのお母さんが、非常に波木井さんに小言をいったそうでございます。36歳になっても、何かちょっと返答致しますというと、たたみこまれて、お座りなさいといって小言をいわれたということを聞かされております。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...で、考えた結果が副団長が3人いるから、まず年の上の人から順々にしようっていうことで、橋本凝胤(「はしもとりゅういん」と発音)先生からまず、ヨーロッパの最後、デンマーク、スウェーデンというとこだけは、橋本さんが団長して、アメリカは非常に会うところがたくさん、いろいろあるから、アメリカへ行ったら、どちらかその年の、上のほうが先に団長すると、こういうことで、ところが、まあだんだんそれで戸籍調べしましたところが、わたしがいちばん若輩でありまして、で、いちばん最後わたしと、こういうことなったんでありまして、別に内田さんの話のようのいいわけあったわけじゃないわけだ。それでまあ順々にそういう形になって、わたしがいちばん最後、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ハワイ、でまあ本部へ。この、日本(にほん)に帰るまで、団長っていう役でまあ帰ると。まあ、そういうようのことで、ま、回って来たんでありますが。順序としてはいま、申し上げたようのわけでありますが、まあ、だいたいもう、内田さんが非常に細かに皆さんに、手紙で報告したり、いろいろのことで皆さんもうご存知だと思いますが、報告は回った順序、いま、申し上げたようの順序で回ってまいりました。 宗教家は皆その人その人の、持ち味を生かして、非常にわたくしどもの提唱に対しては、非常の賛意を示していただきました。ぜひとも世界平和をもたらすためには、まず精神界のほうが先に、いー、まとまらなくちゃいけない、ということを、世界中の宗教の指導者はみんな考えているようでありまして、いまさら、わたしどもが新しくいい出したことというようのことでなく、むしろ、ソ連のギリシャ正教の大、いー、主教さまなどは、広島の第3回目の、あの、(咳払い)会合に、参加をされて、ソ連からはるばる日本(にほん)に来て、そしてその、この核兵器禁止の問題に対しては、もうわれわれよりも、先輩であったことがわかったわけであります。 そういうわけで、まあ、あー、世界中、人類の中で、おそらくこの核兵器禁止ということを嫌だっという人はいないんじゃないかと。ところがゆきがかり上ですね、やっぱり、このー、米英ソの3国は持っておるから、気の毒に保有国のほうは、これがいけないと、こうはっきりいってしまうと、いけないものは早く捨てなさいといわれると困りますから、なんとかその理屈をいいたい。これはまあ、あの、いま、あ、米英ソ3国だけをわれわれは非難、しるわけにはいかないと思うんであります。立場が変わると、わたしどもでも、やっぱり大東亜戦争の時分には、え、なんとかして聖戦ということにもって行こうというので、外国の人にいわれても、なんとか日本(にほん)の、戦争することが正当の戦いなんだと、ま、こういうふうにいいたいっていうの、これは日本(にほん)人の人情でありまして、そういう時に戦争が悪いっていうことは全然知らなかったかっていうと、戦争をすることはいけない、ということを知っておったと思うんです。...
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