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法華三部経の要点 ◇◇41
立正佼成会会長 庭野日敬

「道を以て楽を受け」とは

信仰による「現世安穏」

 薬草諭品には、短い言葉の中に非常に重大な意味と世界を含んだ名句がたくさんあります。たとえば――「今世・後世、実の如く之を知る」「道を以て楽を受け」がそうです。 
この二句の中に、法華経全体をつらぬく歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう=人間は何度も生まれ変わりながら成仏への修行を続けるものである)という大思想がこめられているのです。まず後者から考えていってみましょう。その句の前後を補えば、こう説かれています。
 「是の諸の衆生、是の法を聞き已(おわ)つて、現世安穏にして後に善処に生じ、道を以て楽を受け、亦(また)法を聞くことを得」
 現代語に訳しますと、――これらの衆生は、仏の教えを聞いた結果、現世においては心の安らぎを得て幸福な身となり、来世には善い境界に生まれる。すなわち、仏道に随順するおかげで楽しい生活を送ることができ、その世でもふたたび仏の教えを聞くことができる――となります。
 この「現世安穏にして」ということをしっかりと吟味しなければなりません。いわゆる神だのみだけの信仰においては、「病気も治れば、心配ごとも解決し、経済的にも恵まれる」と、信仰と実生活を単純に短絡します。逆に、一部の宗教者や学者は「信仰は心だけの問題だ」として、信仰と実生活との関連を無視したがります。
 この後者の考えも片寄った狭いものであって、心が解き放たれれば病気も快方に向かうことは現代の「心身医学」が実証していますし、仏道に入って日々の生き方が仏さまの教えに合致すれば、生活のよろずのことが好転してくるのもけっして不思議ではありません。また、信仰によって人間が変われば、まわりの人びとの見る眼も変わり、対応の態度も変わり、それが幸せを呼ぶのも当然の成り行きです。人間のありようのすべてを洞察している法華経は、そういった意味で「現世安穏にして」と断じているのです。

後に善処に生ずるのも真実

 次に「後に善処に生じ云々」ですが、科学では「物質不滅の法則」というものがありますが、人間においても、死によってすべてが無に帰するのではありません。今世だけではなく来世というものが、ちゃんとあるのです。
 ですから、現世において「道を以て」すなわち仏さまの説かれる教えに従って生活しておれば、次の世においても「楽を受け」すなわち天上界のような所に生まれて安らかに生きることができる……というのです。
 われわれ凡夫には死後のことはまったくわかりません。しかし、お釈迦さまのような大聖者はそれをハッキリ知っておられるのです。さきにかかげた第一の句「今世・後世、実の如く之を知る」というお言葉のとおりです。
 その末世において「亦法を聞くことを得」とあるのが、これまた尊いことです。天上界といっても、まだ仏界ではありません。そこに生まれ変わった人もまだ仏ではありません。ですから、そこでも仏法によって修行をつづけなければ、心身共に衰退していくのです。すなわち、「天人の五衰」といって、①頭上の花がしぼむ ②腋(わき)に汗が流れる ③衣が汚れてくる ④身の光が失われる ⑤本座(天上人の座)にいることを楽しまぬようになる、と説かれています。
 しかし、この世で法華経の教えをしっかりと聞いて身につけた人は、天上界に生まれてもそこでまた法を聞くことができると保証されているわけです。ありがたいことです。そして、再び人間として生まれ、修行を続け心を清めていくことによって次第に仏の境界に近づいて行く、これが人間に課せられたさだめである、と心得るべきでしょう。
                                                     

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