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法華三部経の要点65

こだわりのない心で人に対せよ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇65 立正佼成会会長 庭野日敬 こだわりのない心で人に対せよ 衣・座・室の三軌  法師品の要点中の要点は「わたしの滅後にこの法華経を説く時は、如来の室に入り、如来の衣(ころも)を着、如来の座に座して説きなさい」と教えられた、いわゆる衣(え)・座・室の三軌でありましょう。その三軌を「如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり」と解説なさっています。  ただ概念的に「大慈悲心を持て。忍耐せよ。空の悟りを基本にせよ」とおっしゃるのでなく、部屋・衣服・座席という具体的な物に即して説かれたところに、人々の心を把握しておられるお釈迦さまの説法名手ぶりがよく現れています。前回に「象徴」の大切さを強調しましたが、ここにもまたそれが巧みに用いられているのです。  如来の室というのは大広間です。そこには大勢の人が入れます。大慈悲心の象徴です。衣服は寒さを防ぎ、外傷から身を護ります。妨害・中傷・悪口など、説法者に加えられるマイナス行為に動揺しない忍耐心の象徴です。座というのは座席です。座席はどっかと腰を落ち着けている所ですから、つまり「空」がすべての説法の不動の座標となるべきだということの象徴です。説法者はこの三つの心構えの上に立って法を説けと教えられているわけです。 空の原理からが入りやすい  さて、その三軌の中の慈悲は感性に関するものです。柔和忍辱の心もおおむね感情の問題ですから、それを持とうと思っただけではなかなかその通りにできるものではありません。そこで、理性的な現代人にとっていちばん入りやすいのは最後の「空」という仏法の基本原理でありましょう。  空といっても、それを完璧に解説するには一冊の本が必要なほど難しい問題ですが、現実のわれわれの心がけとして煮つめてみますと、結局「現実の姿にこだわらない」ということに帰すると思います。すべての人は仏性をもち、久遠の仏さまに生かされている存在ですから、現象に現れている姿にこだわることなく、どの人にも同じ気持ちで対する、そういった態度こそが「如来の座」であり、それはひとりでに慈悲の心にも、柔和忍辱の心にもつながるものだと思います。  福沢諭吉が少年のころ、知能の遅れたチエという若い女性がよく彼の家へやって来ました。諭吉の母親は快くそれを迎えて庭に座らせ、髪のシラミを取ってやってから、何か恵みものをして帰らせるのを常としていました。  諭吉は母親が取ってやったシラミを庭石の上に乗せて小石でつぶす役目をさせられるのが毎度のことでした。汚いし、臭いし、いやでたまりません。ある日、「母上、胸が悪くなりました。やめさせてください」と言いました。すると母親は、「情けない人ですね。チエはね、シラミを取ってもらうと気持ちがよくなることを知っているんですよ。しかし、自分ではシラミが取れないから、こうしてやって来るんです。チエができなければ、できる人がしてあげるのが当然ではないですか。同じ人間ですもの」と、こんこんと言い聞かせました。  後日、「天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず」という不滅の名言を残した福沢諭吉をつくったのは、母親のこうした「諸法空」の心であり、それに基づいた家庭教育だったのです。  衣・座・室の三軌は決して別々の徳目ではなく、密接につながっているのです。ですから、いちばん入りやすい「現象の姿にこだわらず、人と人とを差別しない」という「空の座」から出発すれば、ひとりでに「慈悲心の室」にも入り、「柔和忍辱の衣」を着ることもできるものと思います。 ...

法華三部経の要点66

【機関紙誌】

多宝如来は真理そのものだが

多宝如来は真理そのものだが

1 ...法華三部経の要点 ◇◇66 立正佼成会会長 庭野日敬 多宝如来は真理そのものだが 宝塔には如来の全身います  見宝塔品に入ります。この品には初めから終わりまで不可思議な神秘的なシーンが展開されますがその一つ一つが重大な意味を持っていますので、どうしても解説の必要がありましょう。  前の法師品の説法が終わるやいなや、目の前の地上に、さまざまな美しい宝に飾られた光り輝く大塔がこつぜんと浮かび上がりました。そして、その宝塔の中から大音声(だいおんじょう)が響きわたり、「善哉、善哉。釈迦牟尼世尊は、すべての人間が平等に仏性を持つことを見通す智慧(平等大慧)に基づき、すべての人に菩薩の道を示す教え(教菩薩法)という、もろもろの仏が秘要として護ってこられた(仏所護念)妙法蓮華経をお説きになりました。まことに説かれる通りです。すべてが真実です。実に素晴らしい」と賞賛し、証明されるのです。  一同はその荘厳な情景に言い知れぬ感動を覚えるのですが、大楽説菩薩という人がお釈迦さまに「どういうわけでこのような美しい塔が地中から湧き出し、このような大音声が響きわたったのでしょうか」とお尋ねします。するとお釈迦さまは「この宝塔の中には如来の全身がおられるのである」とお答えになります。  如来とは「真如(しんにょ=根本の真理)から来た人」のことですから、つまり、この塔の中には宇宙の真理の完全なすがたがあるというわけです。 真理の現れは自由自在  宇宙の真理(真如)の完全なすがたと言っても、われわれ凡夫にはどうもピンときません。そこでお釈迦さまは、それを多宝如来という人格を持った仏さまとして説かれたのです。はるかなむかしに多宝如来という仏さまがおられ、その仏さまがまだ菩薩の時代に「自分が仏となったのち、いずれの世界ででも法華経が説かれるならば、その説法会の前に大塔を出現させ、その教えの真実を証明し、賞賛しよう」という誓願を立てられた……とお説きになりました。  このように、根本の真理という目に見えないものに人格を与えますと、凡夫にもなんとなく信仰の焦点が定まってくるからです。  キリスト教では、創造主である無形の絶対神に対しても「天にましますわれらが父よ」と言って祈ります。これも、「天にまします神」つまり、目に見ることのできない神を「父」という言葉で象徴して、人間にとってよりわかりやすく表現したものです。いずれにしても宗教信仰においては、信仰の対象を心にしっかりとつかみとるということが、なによりも大切なことだからです。  ここで、一つ心得ておきたいことがあります。仏教では「三身一体(さんじんいったい)」といって、法身仏(ほっしんぶつ=根本の真理である真如そのものである本仏)と、報身仏(ほうしんぶつ=法身がわれわれに理解できるような人格をそなえられた仏)と、応身仏(おうしんぶつ=真如に基づいて衆生教化のためにこの世に出現された仏、つまり釈迦牟尼仏のこと)とはもともと一体であるとしています。すなわち、『妙法蓮華経』を説かれたお釈迦さまこそ、この三身をそなえられた仏であり、その現れは自由自在であるということです。  このことを心の底にしっかりとつかまえることができてこそ、この品に充ち満ちている神秘的な出来事も腑(ふ)に落ちることと思います。                                                       ...

法華三部経の要点67

【機関紙誌】

法華経は全真理を統合した経典

法華経は全真理を統合した経典

1 ...法華三部経の要点 ◇◇67 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経は全真理を統合した経典 部分的な真理は散在するが  宝塔の中に真理の全身である多宝如来がおられると聞いた大楽説菩薩が「ぜひ多宝如来の仏身を拝みとう存じます。世尊の神力をもってどうぞ拝ませてください」とお釈迦さまにお願いします。するとお釈迦さまは「多宝如来は、十方世界に散らばっておられる諸仏の分身をことごとく呼び集めたうえでないと身をお現しにならないのである」とおおせられます。  このことにも重大な意味があるのです。世の中には真理の教えはたくさんあります。哲学もそうですし、科学もそうです。道徳も人間の道を教え、文学も人生の真実を伝えています。しかし、それらは真理の部分部分を明らかにしたものです。それに対して法華経はあらゆる真理を統合した経典です。  ですから、法華経が真実であることを証明しようとするならば、どうしても全宇宙に散らばっている真理の部分部分の教えを一ヵ所に集めたうえでなければ証明できないわけです。  そこでお釈迦さまは、まず十方世界の真理の教えをことごとく呼び集め、またご自分の分身をも呼び集められました。それを見とどけられたお釈迦さまはスーッと空中におのぼりになり、宝塔の頂上の前におとどまりになりました。  そして右手(智慧の象徴)でギーッと宝塔の扉をおひらきになりますと、その中に、多宝如来があたかも禅定に入ったかのように身動きもせず座しておられるのです。梵語の経文からの訳には「あたかも瞑想を完成したかのように、四肢が痩せ身体は衰えて玉座に座り」とあります。  ということはつまり、真理は尊いものではあるけれども、ジッとしているだけでは意味がないということにほかなりません。真理はそれが動き出し、多くの人びとのために説かれ、理解され、そして活用されてこそ意義が生じてくるということが、多宝仏の右のようなお姿に象徴されているのです。 行動こそが決め手である  玉座の中央に座っておられた多宝如来はおん身を半ばおずらしになり、「釈迦牟尼仏よ。どうぞこの座におつきください」とおおせられました。釈迦牟尼仏はすぐ宝塔の中にはいられ、多宝仏と並んでお座りになりました。このことを「二仏同座」といい、見宝塔品の要点中の要点といっていいでしょう。  二仏同座は何を意味するかといいますと、真理そのものと、真理を説く人とは同格であり、同じように尊い存在であるということです。前にも申しましたように、真理はだれかによって説かれ、理解され、活用されてこそ意義が生じてくるものだからであります。  法華経は、多宝如来が大音声を発して言われたように、すべての人間が平等に仏性を持っていることを説き、その仏性を顕現するための菩薩行を教える経典です。  そのことは、方便品の「万善成仏」の法門から説き始められています。子供が遊び半分に砂の上に仏さまの絵を描くという素朴な行為ですら、成仏の因となるとあります。その行為によって仏性が育てられていくわけですから。  譬諭品の『三車火宅の譬え』では、羊の引く車や鹿の引く車や牛の引く車を求めて門の外へ走り出るという行動こそが救われにほかならない、と説かれています。信解品の『長者窮子の譬え』でも、窮子が二十年間もコツコツと汚い所を掃除する働きをつづけたからこそ長者(仏)の後継ぎになれたのだ、とあります。  われわれ今日の信仰者にとっても、その道理はまったく不変です。行動こそが大事なのです。だからこそ、法華経信仰者を特に法華経行者というのであります。                                                       ...

法華三部経の要点68

【機関紙誌】

法華経行者は多宝塔である

法華経行者は多宝塔である

1 ...法華三部経の要点 ◇◇68 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経行者は多宝塔である 日蓮聖人の阿仏房への手紙  前々回と前回には、多宝如来は真理(真如)そのものであることを書きました。ところが、それと同時に、経文にもありますように、どこででも法華経が説かれるならばその場に出現し、それが真理であることを証明する役割を持っておられるのです。ですから、古来「証明法華(しょうみょうほっけ)の多宝如来」とお呼びしているわけです。  と申しますと、われわれ在家の法華経行者とはまったくかけ離れた天上の存在のように思われるかもしれませんが、そうではありません。われわれが法華経に帰依し、身に行じ、そして人のために説くならば、われわれがそのまま多宝如来となるのです。これはわたしの独断ではなく、日蓮聖人がハッキリとそうおっしゃっておられるのです。  日蓮聖人が佐渡に配流されたとき、その地に阿仏房という熱心な念仏の信者がいました。元は武士で、順徳上皇が佐渡に流されたもうたときお供をしてここに来て、上皇没後は妻の千日尼と共にそのお墓を守ってここに住みついていたのでした。  日蓮聖人がこの島へ配流されたと知ると、念仏の大敵が来たとして殺そうと企み、庵室を襲ったのですが、かえって聖人に教化されて弟子となったのでした。そして、妻と共々怨敵の多い聖人をお守りし、夜中ひそかに食糧を届け続けたのでありました。そればかりか、身延へ退隠されてからも三度もはるばる佐渡からお見舞いに行ったほど尊信の誠を尽くしました。  その阿仏房が、手紙で、「多宝如来の宝塔はどのようなことを表しているのでしょうか」と質問したのに対して、聖人はこうお答えになっておられるのです。  「……末法に入って法華経を持(たも)つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若し然らば貴賤上下を択(えら)ばず、南無妙法蓮華経と唱うる者は、我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり。(中略)。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益(さいかくむやく)なり。(中略)。多宝如来の宝塔を供養し給うかと思えば、さにては候わず、我が身を供養し給う。我が身又三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給うて南無妙法蓮華経と唱え給う、ここさながら宝塔の住処なり。経に曰く、『法華を説く処あらば、我が此の宝塔其の前に涌現せん』とは是れなり……」と。 説かねば宝塔も意味がない  この中でも「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり」の一節をよくよく味読して頂きたい。「阿仏房がそのまま宝塔であり、宝塔がそのまま阿仏房である。学問的解釈や理屈づけは何の役にも立ちはしない」という意味です。つまり、「法華経の説かれる所には必ず宝塔を涌現させよう」という経文の言葉を素直に受け取ればいいのだ……ということです。  佼成会員の皆さんは、法華経にご縁を頂いた人であり、朝夕「南無妙法蓮華経」を唱えている人ですから、みんな多宝如来の分身です。お釈迦さまと半座を分けて並んで座れる資格を持つ人です。どうか、そのような自覚と誇りを持って頂きたい。  ただし、それには条件があります。宝塔は、ただそれが地上に顕現しただけでは意味がありません。中におられる多宝如来が大音声を発して、最高無上の教えである法華経の真実を証明されてこそ宝塔は生きて働くのです。皆さんも、人のために法華経を説き、わが身にそれを実践してその真実を実証してこそ、その尊い事実も生きてくるものだと承知して頂きたいものです。 ...

法華三部経の要点69

【機関紙誌】

現実から理想へ理想から現実へ

現実から理想へ理想から現実へ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇69 立正佼成会会長 庭野日敬 現実から理想へ理想から現実へ まず現実の大安心を  法華経は、すべての人間が仏となるという究極の理想を説きながらも、決して現実をおろそかにしていません。例えば信解品の『長者窮子の譬え』においても、父の長者(仏)が窮子(衆生)に「ずっとここで働きなさい。そうすれば賃金も上げてやろうし、米とか麺(めん)とか塩や酢など、日々の必需品は必ず供給するから、安心して働くがいい」と生活の保証をしています。つまり、信仰による安心(あんじん)の境地を説き、考えようによっては現世利益を約束しているとも受け取れるのです。  そうした理想と現実の絡み合いは法華経全巻に見られるのですが、この見宝塔品では、次に挙げる一節に見られるように、ひとまず理想への希求が説かれています。「爾の時に大衆、二如来の七宝塔中の師子座上に在して結跏趺坐(けっかふざ)したもうを見たてまつり、各是の念をなさく、仏高遠に坐したまえり。唯願わくは如来、神通力を以て我が等輩(ともがら)をして倶に虚空に処せしめたまえ」。  仏さまはわれわれよりはるかに遠い所にいらっしゃる、われわれもあの境地にまで達したいものだ……と大衆は願ったのです。するとお釈迦さまは、ただちに大衆を宝塔のある虚空へ引き上げてくださいました。つまり、理想への希求を承認してくださったわけです。  これから先、『嘱累品第二十二』までは虚空で説かれたということになっています。『序品』からこの『見宝塔品』までは霊鷲山で説かれたのですが、『薬王品第二十三』以降は虚空から再び地上である霊鷲山に戻って説かれたとされており、これを「二処三会」と言い、法華経の重要な教相となっています。つまり、信仰もまず現実の問題から入り、次第に理想の境地へと向かうけれども、理想の境地を体得したら再び現実に立ち返り、一段と高い次元で現実の諸問題を解決しなければならない。それが信仰というものの大筋なのだ……というのです。まことに完ぺきな構造の教えであると言わざるをえません。 教化・養成には二方針あり  この品にはもう一つの要点があります。それは最後のところにある「六難九易」の法門です。「須弥山を手にとって他の世界へ投げ移したり、足の指で大千世界を動かしたりすることは難しそうだがまだまだ易しい。わたしの滅後の悪世で法華経を説くことのほうがずっと難しいのだ」といったような、ふつうの見方からすれば正反対のことがいろいろ説かれています。  教義的に見ればさまざまな解釈ができます。例えば「あなたが確かな存在であると思っている心身は、空なのですよ」と説いてもなかなかわかってもらえない。それほど難解な真理なのだ。……といったような意味だという考え方もありましょう。しかし、それよりも、六難九易の法門は教化や養成の方法の一つだと考えたほうがより適切なようです。  おおまかに見て、教化や養成の行き方には二通りあります。例えば三味線を習いに来た人に、初めはやさしい曲から入らせて、「上手、上手」とほめながらだんだん難しい曲へと進ませていく行き方が一つ。もう一つは、専門家を志す人には「一人前の三味線弾きになるには二十年かかると思いなさい」と最初にドカンとおどかす行き方です。そう言われて逃げ腰になる人はしょせん専門家にはなれない人で、「よし、やってみせるぞ」と発奮し、覚悟を固める人こそがモノになるのです。難しいことは承知の上でけいこしているうちに次第にそれに引き込まれ、夢中になってしまうのです。  「六難九易」の法門も、この後者のように受け取るべきだと思います。法華経の信仰には専門家・素人の相違はないのですけれども、とにかく難信難解を承知の上で必死に取り組む人こそがその神髓を体得できるのだ……というわけでありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点70

【機関紙誌】

マイナスの力をプラスに変える

マイナスの力をプラスに変える

1 ...法華三部経の要点 ◇◇70 立正佼成会会長 庭野日敬 マイナスの力をプラスに変える すべてを投げ出して法華経を  提婆達多品に入ります。お釈迦さまは大勢の弟子たちに語り始められました。  「わたしは、はるかな過去世において一国の国王であったが、それに満足せず、無上の悟りを得るために全財産を投げ出し、妻子への愛着も断ち、自分の命さえ捧げてもよいとまで思っていた。そして四方にふれを出し、『もし、世の全ての人を救う真実の教えを説いてくれる人があったら、わたしは一生涯その人に仕えよう』といって師を求めた。すると一人の仙人が現れて、妙法蓮華経という最高無上の法を説いてあげようと言った。国王は、そくざにその仙人の弟子となり、水くみから、薪(まき)拾い、食事の用意までの万端の仕事をしたばかりでなく、師を休ませるために椅子(いす)のかわりとなる奉仕までした。そのような修行を長いあいだ続け、ついにその最高無上の法を得たのであった」  こう話されてからお釈迦さまは、驚くべきことを言いだされました。「そのときの国王とはもちろんわたしであり、仙人とは提婆達多である。私は提婆達多という善知識(善き友人)のおかげで、仏の悟りを得ることができたのである」  一同はあまりにも意外なお言葉に、ただあっけにとられていました。するとお釈迦さまは、さらに言葉を継がれ「提婆達多は無量劫の後に天王如来という仏となるであろう」と言われたのです。一同はますます驚き、疑問の私語によるざわめきさえ起こったのでした。 なぜ提婆は善知識か  無理もありません。提婆達多はお釈迦さまの従兄(いとこ)であり、長年の弟子でありながら、嫉妬(しっと)心と政治的野心が強く、時のマガダ国王アジャセに取り入って別派を興し、お釈迦さまにそむいた人間でした。そこまではまだいいとしても、三十一人の弓の名人たちに命じて矢を射かけさせたり、崖(がけ)の上から大岩を落としたり、象に酒を飲ませてけしかけたり、八度もお釈迦さまのお命を狙った大悪人だったのです。  そのような提婆達多を、なぜ過去世の物語にことよせて「自分に悟りを得させてくれた善き友人」とおおせられたのでしょうか。これを現実的に解釈すれば、煩悩にまみれた提婆の弱い人間性や、その煩悩のなすがままになしたさまざまな悪行が、お釈迦さまの悟りを深める機縁となったところが多々あったからだと思われます。  「お釈迦さまが菩提樹のもとでひらかれた仏の悟りはすでに完全円満なもので、それに付け加えるべきものは何もなかったはずだ」という説をなす向きもあります。しかし、それは、あまりにもお釈迦さまを神格化した非現実的な考えです。  お釈迦さまは、宇宙と人生のギリギリの真理を悟られた方ではありましたが、あくまでも人間であられました。人間であられたことが尊いのであって、それがわれわれ凡夫にとってまことにありがたいことなのです。なんとかそのみ跡をたどり、それに近づこうと努めることができるからです。  また、三十歳で菩提樹下において悟りをひらかれたお釈迦さまが八十歳でお亡くなりになるまで、最初の悟りに付け加えるものが一つもなかった、少しも進歩されなかったと考えるのは、かえってお釈迦さまに対する大いなる冒涜(ぼうとく)となるのではないでしょうか。  進歩・向上の機縁には「順縁」と「逆縁」があります。よき師・よき友・よき書のようなプラスの力に巡り合うのが順縁です。反対に、外部から受けるマイナスの力、もしくは自身がひき起こしたマイナスの状況、たとえば迫害・嘲罵(ちょうば)・不運・失敗というようなことがらに遭遇したとき、それを自らの成長の糧としてプラスの力に変える、そのマイナスの力を逆縁といいます。この「提婆達多が善知識に因(よ)る」というお言葉を、その逆縁の尊さを喝破されたものと考えるのも、われわれの人生に大いに役立つ受け取り方でありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点71

【機関紙誌】

真の許しは仏性を認めること

真の許しは仏性を認めること

1 ...法華三部経の要点 ◇◇71 立正佼成会会長 庭野日敬 真の許しは仏性を認めること 悟りの究極は仏性の認識  お釈迦さまは大悪人の提婆達多へも授記されました。天王如来という仏になるであろうと保証されたのです。これはいったいどういうわけでしょうか。  その理由には智慧と慈悲の二面が考えられます。ではその智慧とは何か。すべての人間には平等に仏性が具わっていることを認める透徹した理知です。  菩提樹の下でいわゆる仏の悟りをひらかれたとき、思わずこうつぶやかれたと伝えられています。「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな如来の徳相を具有す。ただ、妄想・執着あるを以ての故に証得せず」。  不思議だ。不思議だ。一切衆生はみんな仏と同じ徳を具えているではないか……という驚くべき発見、言い換えれば、すべての人間には仏となりうる本質(仏性)が具わっているのだ……という、これまでの人類だれひとり経験したことのない一大発見だったのです。  「それでは、なぜ多くの人間は仏の悟りを得られないのか。なぜお互いに争い合い、奪い合いして苦しみ悩んでいるのか。それは仮の現れである自分の心身を確かな実体であるかのように妄想し、その心身の楽しみに執着しているからにほかならない」。これがお釈迦さまの人間観の基底となるものであります。  提婆達多がそうでした。青年時代から、シッダールタ太子(後の釈尊)と張り合うほどの秀才で、武術の達人でもあったのですが、残念ながらあまりにも自己顕示欲が強く、したがって嫉妬深く、闘争・対立を好む人間でした。それで、つい身を誤ってしまったのです。しかし、お釈迦さまは透徹した理知をもって、そのような提婆にもちゃんと仏性が具わっていることを見通されたのです。 仏性を見れば自然と許せる  では、慈悲の面とはどんなことでしょうか。  お釈迦さまは無限の慈悲の持ち主でした。それは法華経譬諭品の「今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり」という一語の中に尽くされています。すべての人間をわが子として大きく包みこみ、一人として冷淡に突っ放すことをされませんでした。自分の名前さえ覚えられない知恵遅れのシュリハンドクをも教団の一員として粘り強く教化されました。どうしようもないほどの暴れん坊でプレーボーイのカルダイをも追放されることなく、ついに家庭教化の名人にまで育て上げられました。  「愛とは許すことである」と言った人がありますが、お釈迦さまはすべての人を許す人だったのです。ご自分の命を何度も狙った提婆をも大きく許されたのです。それもただの許し方ではありません。普通の人間の許し方は、相手の悪に憤りや不満を覚えつつもそれを理性で抑えて許すのですが、お釈迦さまの許し方は、相手の本質である仏性を認めることによって、完全に、余すところなく許されるのです。だからこそ、成仏の保証まで与えられたのです。  それにしても、なぜいま突然そのような発表をなさったのでしょうか。これまで法華経の説法の中で授記されたのは、おおむね誠実な弟子たちでした。順当な授記だったと言っていいでしょう。ところが、そうした順当さは、ともすれば聴法の人たちの心に一種のマンネリズムを生ぜしめがちです。右の耳から左の耳へ聞き流し、自分自身のこととしてかみしめることをしなくなりがちです。  そこで、ここで突然「悪人成仏」という異常とも見えることを言い出され、強いショックを与えられたのではないでしょうか。後世のわれわれも、この提婆品に強いショックを覚え、「悉有仏性」ということを深く深く心にしみこませざるのをえないのであります。    ...

法華三部経の要点72

【機関紙誌】

「信」の力の偉大さ

「信」の力の偉大さ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇72 立正佼成会会長 庭野日敬 「信」の力の偉大さ 八歳の竜女がたちまち成仏  提婆達多品の後半は、海底の竜宮の娘でわずか八歳の竜女(りゅうにょ)が成仏するくだりです。海底の竜宮というのは、文明の中心地から遠く離れた島国と解すべきでしょう。したがって、竜女とは、そうした国や民族の幼女のことだと考えれば、つじつまが合います。  そういう場所に布教に行っていた文殊菩薩が、そこでは妙法蓮華経だけを説いたという話をしますと、多宝如来の侍者の智積菩薩が「その国にすぐに仏の悟りを得そうな人がいましたか」と尋ねます。「いました。八歳になる竜王の娘がそれです」と文殊は答えます。すると、たちまちその幼女が現れて、お釈迦さまをうやうやしく礼拝するのです。  それを見ていた舎利弗は、その娘に「仏の悟りというものは、計り知れないほどの年月、血の出るような修行をしてこそ到達できるものであって、もろもろの障りの多い女人のそなたがとうてい達しうるものではない」と言いました。  竜女はそれには答えず、手に持っていた三千大千世界にも値するほどの宝珠をお釈迦さまに捧げました。お釈迦さまはただちにそれをお受け取りになりました。すると竜女は智積菩薩と舎利弗尊者の方に向き直り、「お釈迦さまは、わたくしの捧げた宝珠をすぐお受け取りくださいましたが、わたくしの成仏はそれよりも早いのです」と言ったかと思うと、たちまち男子の姿に変わり、はるか南方の無垢(むく)世界という所で仏となって法華経を説いているありさまを見せました。  それを見た智積菩薩も、舎利弗も、その他の大勢の人々も、じっと黙りこんだまま深い感動をかみしめるのでありました。 素直な「信」が何より大切  八歳の幼女というのは、「幼子のような素直な心」を象徴したものであり、竜宮界というのは先にも述べたように文明の中心地から遠く離れた国を象徴しているのです。そして、三千大千世界にも値する宝珠というのは、「信」ということにほかなりません。  いつも言いますように、信仰というのは理屈ではありません。心と実践の問題です。純粋な心で仏さまの大慈悲心へ直入してしまうことです。そうしますと、その瞬間に宇宙の大生命ともいうべき本仏さまと溶け合い一体となる心境になれます。まことに「信」は三千大千世界に匹敵するほどの値打ちがあるのです。  科学時代に育ったわれわれは、仏教を学ぶに当たっても、どうしても頭での「理解」ということを先に立てがちです。仏教の教義はたいへん理性的なものですから、たしかに理解できるものですし、それも大切なことです。しかし、宗教であり、信仰であるかぎりは、理解ということだけで「信」の働きがなければ、その究極の境地、すなわち涅槃(ねはん)という大安心の境地に達することはできません。このことを、よくよく心得ておくべきでしょう。提婆品の後半の竜女成仏のくだりには、このことが教えられているのです。  ここで一言付け加えておきたいのは、真の男女平等を説いたのは世界中でこの法華経が最初であるということです。自由平等の本家とされているフランスでさえ、完全に婦人の参政権を認めたのが一九四六年(昭和二十一年)なのですから、ほんの最近のことです。そして、それは「権利」という人間に与えられた「権(か)り=仮」のものに過ぎません。それに対して法華経が認めた男女平等は、「仏になりうる」という人間のギリギリの本質における平等です。実に素晴らしいことではありませんか。  一つ気になるのは、男の姿に変わって成仏したということですが、それはおそらく当時のインドの大衆を納得させるために、そういった表現をしたのでありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点73

【機関紙誌】

世にもすぐれた二人の比丘尼

世にもすぐれた二人の比丘尼

1 ...法華三部経の要点 ◇◇73 立正佼成会会長 庭野日敬 世にもすぐれた二人の比丘尼 母性愛が尊崇に変わって  勧持品に入ります。この品は二つの部分に分かれており、前半はお釈迦さまの養母であった摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)比丘尼と、かつて妻であった耶輸陀羅(やしゅたら)比丘尼が授記されるくだりです。  摩訶波闍波提は、お釈迦さまの生母摩耶夫人の妹で、お釈迦さまの誕生七日目に摩耶夫人が亡くなられたのち、浄飯王の二番目の夫人となり、生みの親にもまさるとも劣らぬ愛情をそそいで太子を育て上げた人です。その太子が出家されたときの悲歎は察するに余りがあります。  その後、実子の難陀(つまりお釈迦さまの異母弟)も、愛孫の羅睺羅もつぎつぎに出家し、夫の浄飯王にも先立たれたのですから、一国の王妃でありながら別離の悲しみを味わい尽くした人であるといえましょう。その出家のいきさつは本稿六十回に書きましたのでここには略しますが、とにかくお釈迦さまの女性のお弟子としては最初の人でした。  教養の高い、しっかりした人でしたから、在家のときは在家婦人としての務めを尽くし、出家しても比丘尼たちの統率者として信望を集めました。お釈迦さまも、比丘尼集団のことは一切この人に任せられたのでした。  摩訶波闍波提比丘尼は、お釈迦さまが年を取られてお体がずいぶん弱られたのを見ると、そのご入滅に会うことはとうてい忍び得ないという思いから、おいとまごいをしてビシャリ国に行き、そこで禅定に入ったまま入滅しました。その野辺の送りは、お釈迦さまご自身によって執り行われました。遺体をお釈迦さまと難陀・羅睺羅・阿難の四人がかついで寒林(かんりん=墓場)まで運ばれたといいます。立派に生き、立派に死んだ、婦人の鑑(かがみ)ともいうべき人でありました。 「道心の中に衣食あり」  耶輸陀羅尼は、夫の太子がとつぜん出家されたときは、身も世もあらぬほど歎き悲しまれましたが、すぐに気を取り直し、一子羅睺羅の愛育にすべてをささげました。  そして、一切の化粧を断ち、太子が褐色の衣を召しておられると伝え聞いては自分も褐色の衣を着、太子が一日に一度しか食事されないと聞けば、自分も一度に減らし、つねに夫と共にある心を忘れませんでした。  やがて、羅睺羅も出家し、舅の浄飯王も亡くなり、姑の摩訶波闍波提も出家してしまいましたので、自分もその後を追おうと決意し、ビシャリ国にいる姑の所へ行って比丘尼の仲間に入りました。  それから祇園精舎におとどまりのお釈迦さまの下へ行き、教えを受け、修行に励みました。祇園精舎には羅睺羅も住んでいましたので、その近くに住居を定め、お釈迦さまのお許しを得ては羅睺羅を見舞ったりしておりました。  生来おとなしい性格の人でしたので、比丘尼としての事跡にはあまり目立ったものは伝えられていませんが、しかしそのおっとりした人柄のせいか、在家・出家の多くの人たちに慕われていたようです。そして舎衛城の信者たちがわれもわれもと供養物をささげますので、王宮にいたときよりもかえって生活が豊かだったといいます。  しかし、耶輸陀羅比丘尼はあまりそれを喜ばず、かえって煩わしく思い、ビシャリ国に移ってしまいました。ところが、そこでもいつしか同じような状態になり、またまた居を移して王舎城のほとりに住むようになったと伝えられています。  清貧を好む人だったのでしょうが、それにしても伝教大師の名言「道心の中に衣食(えじき)あり」を絵に描いたようなことで、たいへんほほ笑ましく思われます。                                                       ...

法華三部経の要点74

【機関紙誌】

我身命を愛せず但無上道を惜む

我身命を愛せず但無上道を惜む

1 ...法華三部経の要点 ◇◇74 立正佼成会会長 庭野日敬 我身命を愛せず但無上道を惜む 仏に生かされていればこそ  勧持品の後半は、多くの菩薩たちが「世尊の滅後に法華経の教えを説きひろめます」とお誓いする力強い言葉に終始しています。まず、こう申し上げます。  「世尊、我等如来の滅後に於て、十方世界に周旋往返(しゅせんおうへん)して、能く衆生をして此の経を書写し、受持し、読誦し、其の義を解説し、法の如く修行し、正憶念せしめん、皆是れ仏の威力ならん。唯願わくは世尊、他方に在(ましま)すとも遙かに守護せられよ」  この一節に、後世の法華経行者のなすべきことが尽くされています。そして、われわれ立正佼成会会員はそのとおりのことを実践しているという自負と自信を持っていいと思います。とくに「十方世界に周旋往返し(この世のあらゆる場所に何べんも行き来して)」というくだりは、立正佼成会が国中のあらゆる所ばかりでなく諸外国へも実質的な広宣流布を行っていることを宣(の)べているものと言ってもいいでしょう。  もう一つここのくだりで注目すべきは「皆是れ仏の威力ならん」という一句です。法華経は「自力」を重んずる努力主義の教えだといわれています。たしかにそれに違いありませんが、しかし、一面では、すべての衆生が仏さまに生かされていることを強調し、仏さまに帰依し恋慕渇仰(れんぼかつごう)することによってそのご加護を受けることをも力説しているのです。いや、宗教の信仰であるかぎり、神仏の存在を無視した「自力」のみの教えがあるはずはなく、「自力」の最右翼である禅宗でも、道元禅師などは「わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえ(家)になげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき云々」と言っておられます。  法華経でも、ここにあるとおり、われわれがなすあらゆる菩薩行は自分でやっているようでも、すべて仏さまのお力によるものだと説いているのです。 これぞ法華経行者の合言葉  この品の後半にある偈は、「勧持品二十行の偈」といわれ、日蓮聖人がここに述べられていることがひとつ残らず自分の身の上に現れてきたことによって「自分こそ末法の世に法華経を説きひろめる使命を持って生まれてきた者だ」という自覚を得られたということでも有名です。その中に次の一句があります。法華経にある数々の名句中の名句といってもいいでしょう。  我身命(しんみょう)を愛せず 但(ただ)無上道を惜む  「わたくしどもは命さえ惜しいとは思いません。ただ仏さまのお説きになったこの無上の教えに触れることのできない人がひとりでもいることが何より惜しいのでございます」  法華経に生き、法華経に死ぬ者の烈々たる心情です。人間よほど長生きしてみたところで百歳そこそこです。その一生を、ただ利己の欲のため、名誉のため、快楽のため、権勢のためにあくせくして過ごしてしまうのは、なんというもったいないことでしょう。  たとえただ一人でもいい、仏道に導いて幸せにしてあげる。ただ身のまわりの一隅でもいい、世の中を明るくし平和にする。それこそが、この世に生まれてきたことの真の意義です。ましてや、仏さまのお使いであるという意識をハッキリ持てば、一人でもこの教えに触れぬ人がいるかぎりジッとしてはおれぬという烈々たる意欲がわいてくるはずです。その意欲をそのまま実行に移して完全燃焼させることこそ、人間として最高の生き方と言っていいでしょう。  「我身命を愛せず 但無上道を惜む」。一日に何度でも、思い出すごとに口ずさむべき、法華経行者の合言葉であります。 ...

法華三部経の要点75

【機関紙誌】

法華経伝道者の身の振る舞い