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開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会

17 ... で、戦争の時に、日本(にほん)の2世がとにかく非常にこの、自分の本当の国だから、母国であるから、その国に対して何かその寝返りでも打ちやしないかっていうようの向こうで心配したん。ところがもういちばん信用の始まりがそこからだそうですが、日本(にほん)の2世はやっぱり自分の住んでるその国土というものを愛してですね、アメリカに協力したんですね、2世が。非常に勇敢であった、忠実であった。これで日本(にほん)人はやっぱり自分の住んでおるところのその郷土、国土と自分の、す、住んでるところっていうものを守るというその、非常に素晴らしい国民だということで、え、日本(にほん)人を信頼し始めて、それからずーっと調べてみると犯罪は一つも犯していない。公共の事業に非常に力を尽くすと。ま、いろいろの点ですね、正直で絶対にその金を貸しても返すという。ま、そういういろいろの条件を取り上げて日本(にほん)人をアメリカでは信頼してんだと。  ところが、黒人はなかなかそうはいかないんで、あっちでもこっちでも悪いことしたってばもう黒人だろうといってですね。ま、その悪いことをするからまあ、多少また白人のやったのまで片づけられるかも知れませんな。うん、そういうことで損してるかも知れませんが、学校などでは、ですから黒人の子どもが来て、道徳の、その守れない、無作法な、そういう人が学校へ入ってくるというと、白人系の人はもう、おういうのがたくさん来たんじゃ子どもをあの学校置けないっていうので、どっか移転をしてしまわなくちゃならない。そういうような苦労が非常に、あちらにもこちらにもあるので、黒人の中でも心あるものは、これは黒人自体がですね、嫌われないようの国民にならなくちゃいけない。こういうことを中でですね、指導にある人は非常に反省をしつつあるということを聞いてきたんです。  まあ、ですから、ま、終極へまいりますと、わたしどもお互いさま、自分ということになるわけです、自分というものが清くなり、自分というものが正しくなる、自分というものが明るくなると、自分ってものの考え方っていうもの変えるということがですね、自分を守る自分を安泰ならしめるという、そのいちばんの条件だということはもう、これもう、仏法の因縁、善因善果、悪因悪果の法則からいっても当たり前のことでありますが、え、まざまざと、そういう問題を見せつけられて、ま、きたわけであります。  でありまするから、わたしどもは本当に、ただ、わたくしどもの会、という、まあ、やっぱりこの日本(にほん)の国っというものにわたしはさっき力を入れて申し上げたように、宗教団体を本当にそういう方向に、皆さんがともに手を携えていけるような、ことになるのにはやっぱり、相当、佼成会というものがやっぱり、本当に中でですね、われわれの一つの同志が、本当の異体同心となって、仏さまのみ心を体したところの立派の人格者がここへ団結してですね、そして、わたしどもが大いにその、頑張らなければやっぱり日本(にほん)の宗教界を動かすっていうことは、一応、旅行ではうまくいってまいりました。...
18 ...これはいま、申し上げましたように、外へ出るというと、頼るものは自分たちのグループだけだ、ね。言葉の通じるのはグループだね、そういうことんなるからもう、仲よくならざるを得ないという条件に置かれたから仲よかったかも知れない。まあ、そんなことをいうと、人さまにお恥ずかしいんですけども、われわれはそれほど人間皆一人ひとり横着のものなんです。なんとか、のさばられるところはのさばるんだけれど、のさばりようがなくて仲よくしよう、言葉の通じるですね、まあ、目的を同じゅうしてるっていう者は、これこれだってことんなると、仲よくなるのに決まってるん。  ま、そういう意味で、今度、国帰って来てもですね、その時の気持ちのようでお互いが、各教団が行ければこれは大したもん、ね。そうなれば、いま、申し上げたことはわたし取り消します。条件によってわれわれは仲よくしたんじゃなくて、本質的に、やっぱり自分は理の上に立ってですね、人間本質の上に立って仲がいいんだと、いうことんなります。そういう状態を、日本(にほん)宗教界が、全部がそういう気持ちになって、もう一歩脱皮してですね、宗教界のやっぱり独善的な考え方や排他的の考え方をやめて、もっと大乗仏教の仏さまのこのみ教えの、要するに妙法華経(みょうほけきょう)の精神っというものによって、教えによって一貫したところの国民の宗教心を盛り立てると、そういうその大きな力を、わだ、わたしどもが、課せられてるんだと。ま、こういうところで、わたしどもの布教がですね、本当のこの、法華経の精神にのっとった、仏さまのみ心にかなった活動を展開して、そして、慈悲、に、日本(にほん)の宗教界が、本当にその、こぞって皆さんが手を携えていけるようの条件をわたしどもは真剣になってつくると。そういうことが今後の平和の問題のわたしはいちばんの要諦じゃないかと。  大いに、幹部、諸公にも話し合ったり、いろいろして、他教団との関係もわたしは、本当に仲よく、力を、お互いに、いー、手を携えていきたいと思っておりますけれども。しかし、本当に他教団をそうして動かすっていうことになると、われわれの教団の中がやっぱりそういう人柄がですね、みんな、一人ひとりがみんなそういう円満の人で、そして堂々と皆さんが説いてごらんなさい。日本(にほん)でまだその、よその宗教界をけなしたりなんしなくてもですね、宗教がなくて、宗教を持たないで、まだ縁がなくて、知らないで、そして本当に迷ってる人がたくさんいるんです。だからどっかの宗教についてる人は、どうかするとですね、この宗教に好きな人は、あっちの宗教へこっちの宗教へ宗教遍歴をして満足してる人がたくさんいる。...
19 ...たまたまどうかするとお導きは、喜んでいると宗教遍歴の人がたまたまですね、観光客みたいなのが来ることがある。で、皆さん導いたと思って喜んでると、またいい加減しばらくたつとまたどっかへですね、40日(よんじゅうにち)たつとまた移転するかもしれない (一同 笑い)。 そういう意味で、まあ、あ、その、そういうことを排斥する必要ありませんよ、おいでになったの観光客は大事にして、そのうちに、あ、その、その居つくかもわかりませんから。まあ、そういうこともありますけれども、宗教を持たない人にですね、広くわたくしどもが、大きな、宗教の本義というものをかかげてですね、堂々と布教すると、そういう態勢をわたしどもがとって、そして教団というものが、本当に教団の中にいる人がその立派であり、外との関係も立派のお付き合いができるような内容であって、え、そして教義がちゃんと、これだけの仏さまの教えを立派にわたしどもが行じたならば、これはもう期せずしてですね、教団も大きくなるし多くの人に喜んでもいただけるようになるし、え、多くの方をそうしてわたくしどもが、お導きをさしていただくというその使命感に立って努力をすると、おのずからですね、人さまをどうしても正しくなってもらいたいというそういう願いを込めて一生懸命で努力をしているというと自分が、知らないうちに、だんだんと自分が円満になっておるはずでございます。自分だけなんとかなろうとか、自分だけの顔を売ろうとかですね、どっちか、あっちにもこっちにも顔を売ろうとかなんとかいっても、これはもうたかが知れてる、そのー、姑息(こそく)のことを考えても。それよりも一生懸命で人さまのよくなること人さまの完成することを願って一生懸命に朝っから晩まで一生懸命やってるとね、知らないうちに自分が円くなってるんです。知らないうちに、わたしはそうなると思う。  皆さんが、お導きをした時は、なかなかさまざまのことをいっておる方がですね、このあいだも、こういう人がニューヨークでですね、杉並支部の青年部であったそうですが、コジマカズロウという人が、いま、英語を勉強に行っております。きょうご親戚の人いらっしゃるかも知れませんが、その方がですね、電話をかけてきまして、え、自分はこうして来てるんだから、不都合であったら案内さしてもらおうかっていうんで、うんで、あの電話きた。ああなんにも不都合ないけれども、ちょうどいまお夕飯食べようと思ってるんだから、話をそれじゃするのに、いー、お夕飯ごっそうするから来なさいっていうんで電話かけまして、来てもらった。そしていろいろ話をしてみるとですね、この人の体験などを聞いてみるというと、まったくそれは因果の道理を実によくその現してですね、ま、こんなにやっぱりなるほど、純粋な気持ちになれたかなと思うほど、その青年はですね、奥さんをとにかく北海道へ、お子さんと、お子さんが一人しかいないんですね。...
20 ...え、そして奥さんを北海道へ帰して、自分がその佼成会に入って一生懸命でその青年部活動をしてみたら、英語の先生として現在のようの形ではまだ物足りないと。もっとその自分の責任上、本当の英語をですね、使える英語を教えてみたいと、そういう考えで、いま、ニューヨークの学校へ入って、え、一生懸命で先生を自分が、あー、本当の英語の先生になるために、先生なった人が、行って勉強してるわけです。 それ奥さんを北海道へ帰してやってるんですなあ。あー、もう素晴らしい考えでわたしは本当に、その方に合掌しました。  そして、そういう気持ちになった人を聞いてみるとですね、全然信仰気(ぎ)のない人が、東京へぽつんと来て、そして下宿のおばさんから導かれて、そしてまあ、入ってきて、で、だんだんだんだんといろいろの体験をしてるうちに、体中にノミが食ったとかですね、据え風呂が漏った(「むった」と発音)とか、まあいろいろの現象が不思議にあってですね、そのたびごとにですね、支部長さんに結んでもらうというと、ノミがとにかくどうしようもないほどわいたってんですからちょっと東京でノミのわくなんてのはあんまりないんですけれども、この方が、そのー、たいへんに自分で勝手の欲をもってるんですね。兄さんに、相当のその親の財産わけてもらって、そしていても、まだその足りないで、お、兄さんとけんかをして東京へ出て来て、そしてまだその兄さんの分け前(「わけめい」と発音)が少ないっというようの気持ちで欲張った気持ちでやってるというと、ノミが食ってもうどうしようもない、体中がみんなもうおできになるほどノミが食ったっていう、ね。そして、もうその、ノミの食うのがその欲だなんてばかな話はないと思って自分じゃね、ばかにしてたっていうん。ところがだんだんいわれていろいろの体験からですね、奥さんのいろいろの態度やいろいろのことを結んでもらううちに、確かにわたしは欲だなあ、この汚い根性がいけないんだと思ってですね、ザンゲをしたらピタッとノミがいなくなっちゃったっていう(一同 笑)。いやその青年がね、そういうその体験してるんですね。そういう、今度はお風呂がですね、買ったばかりのお風呂が、その漏って(「むって」と発音)ですね、どうにもならない。そして、まあそのいろいろのことでもう、青年のこれ、夜間法座へ出ていろいろこう結んだり、いろいろしてんの聞いてるもんだから、これは、そのー、こういうところがその、お前は全然その信仰気(ぎ)がないと。そういうところを見せてこういう順序なんだから、これを本当に目覚めればね。この、そのお風呂は漏ら(「むら」と発音)なくなるんだということをそのだんなが奥さんにその自信もってゆったというんですからまあ、ちょっと怪しい材質もあったそうです。...