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仏教者のことば6

二つの芦束は相依ることによって立つ  サーリプッタ・インド(相応部経典一二・六七)

1 ...仏教者のことば(6) 立正佼成会会長 庭野日敬  二つの芦束は相依ることによって立つ  サーリプッタ・インド(相応部経典一二・六七) 世に独立の存在はない  釈尊教団で智慧第一といわれたサーリプッタ(舎利弗)が鹿野苑に住んでいたときのことです。同信の友であるマハー・コッティカ(摩訶拘絺羅)が、ある朝訪ねてきて、むずかしい質問をするのでした。  「友よ。わたしはかねがね思いあぐねていたのだが、いったい老死というものは自己がつくるのであろうか。他のなにものかがつくるのであろうか。それとも、原因がなくて生じたのであろうか」  サーリプッタは答えました。 「友よ。老死は自己がつくるものではない。他のなにものかがつくるのでもない。原因がなくて生じたものでもない」  さあ、いよいよ分からなくなりました。分からぬままにマハー・コッティカは「生」についても、「執着」についても、「愛」についても同じ質問を繰り返しましたが、サーリプッタの答えは同じでした。そこでマハー・コッティカは、  「どうもあなたの言うことはのみ込めない。どう考えたら理解できるのかね」  と聞きました。するとサーリプッタは答えました。  「それならば、譬えによって説こう。ここに芦の束があるとしよう。芦の束は一つでは立つことができない。二つが相依ることによって立つことができる。そして、一つを取り除くと、他の一つは倒れてしまうだろう。この世のすべての現象も、心の中の思いもすべてそのとおりなのだ。独立して存在しているものは一つもない。他のものとの関係によってこそ成立しているのだ。だから、一つ一つのことをいくら考えても解決はできない。すべて他との関係性にもとづいて考えなければならないのだ」  そこで、マハー・コッティカは自分の視野の狭かったことを悟り、ものの見方の根本が分かって、大いに喜んで帰りました。 助け合い補い合って……  これは、もちろん釈尊が唱導し始められた「縁起の法」であり、「諸法無我」の原理でありますが、舎利弗の巧みな譬喩によって、なるほどと納得することができたのです。わたしがこの話を取り上げたのも、宗教上の話をするときに譬喩と実例が、どんなに大事であるかを知って頂きたかったからです。  理論的に、哲学的に、いくら精緻な説明を述べ立てても、相当な教養ある人でさえなかなか納得できないことを、一つの譬喩を説き、一つの実例を挙げることによってスーッと分かってもらえることが多いのです。  例えば、関係性ということについての一つの実験を示しましょう。三本のビール瓶もしくはジュース瓶と、三本のフォークを用意してください。そして、瓶をフォークの長さより少し遠く離して三角形をつくるように立ててください。そこで、その三本のフォークを瓶の上に乗せる工夫をするのです。 瓶と瓶との距離がフォークより長いのですから、一本ずつ乗せようとすれば絶対に乗るはずはありません。ところが、三本のフォークの先を矢車のように組み合わせて乗せると、見事に乗ります。「結び合う」ことの大切さが、この実験でもよく分かりましょう。人間それぞれ短所を持っています。完全な人はまずありません。しかし、足りない同士がたくみに結び合えば、不可能なようなことでもできるのです。世の中を順調に動かしていくこともできるのです。舎利弗の説いた「二つの芦束」も、こう受け取りたいものです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば7

和を以て貴しと為す。忤(さから)うこと無きを宗と為せ。  聖徳太子・日本(十七条憲法 第一条)

1 ...仏教者のことば(7) 立正佼成会会長 庭野日敬  和を以て貴しと為す。忤(さから)うこと無きを宗と為せ。  聖徳太子・日本(十七条憲法 第一条) 単なる反対は世を乱す  「和を以て貴しと為す」というのは、だれ知らぬ人もいない名言です。日本という国のゆくてを照らす不滅の指針であるばかりでなく、全人類のめざすべき究極の理想を一言に尽くした、永遠の命をもつ言葉です。  ところが、この第一句のあまりの大きさと重みに圧(お)されて、その布演および解説ともいうべき、第二句以下の文章が忘れられているように思われますので、ここでそれを、学んでゆきたいと思います。  第二句の「忤うこと無きを宗と為せ」というのは、聖徳太子から千四百年たった現在にこそピッタリの箴言(しんげん)ではないでしょうか。小は家庭や学校から、大は政界や国際関係に至るまで、「反対することはいいことだ」「逆らうことが権利の主張だ」といった風潮がはびこっています。逆らえば、相手もそれに対抗します。そこに必ず闘争が生じ、火花が散ります。これでは人間は未来永劫、ついに幸せにはなり得ません。  もちろん、反対すべきこと、逆らうべきことにまで泣き寝入りする必要はありませんが、「何でも反対」のムードがよくないのです。そうではなく、「仲よくしよう」という意識を先に立て、それを前提として事に当たりなさい、というのが「忤うこと無きを宗と為せ」の真意だと思います。  次に「人にはみな党(ともがら)有り、亦達(さと)れる者少し」とあります。人間には大小にかかわらず党(仲間)というものがありますが、正直なところ、天地の道理を悟った人が少ないために、それらの党もたいていは道理に合致した結びつきではなく、自己中心の結びつきです。それゆえ、反対のための反対、自分たちの利益のための抗争に終始し、それが世の乱れを誘うのだ……というのです。  これもまた、今の世にそのまま通用する明察というべきでしょう。 和にも深浅の段階あり  そこで、この第一条の結論として、「上和(やわら)ぎ、下睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(ととの)いぬるときは、すなわち事の理(ことわり)自(おの)ずからに通(かよ)う。いかなる事が成らざらん」とあります。  上というのは、家庭でいえば、父母、学校でいえば教師、国家でいえば為政者に当たりましょう。いろいろな立場の人が「和」の気持をもち、一方、子供・生徒・国民大衆のほうでも前記の人々に対する「睦び」の気持をもち、お互いに物事を相談し合うことである。そうしてその相談が煮詰まって諧和の状態に達すれば、そこに自然と天地の道に通うものが生じてくる、そうなれば何事でも成就しないものがあろうか……というわけです。  わたしは、十七条憲法第一条の真価はこの結論の段にこそあると信じます。ただ何でもいいから和せよ和せよとおっしゃっているのではありません。「和ということを前提として、ジックリ話し合いなさい」と教えられているのです。「民主主義には時間がかかる」という言葉がありますが、まさしくその通りです。太子は民主主義の真髄をも洞察しておられたのでしょう。誠に頭が下がります。  とにかく、ほんとうの「和」を軽々しく考えてはなりません。孔子も「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と言っておられます。君子は私利私欲がないから道理に従って和するのであって、利己的な党(ともがら)に付和雷同することはない。小人は私心をもって同じような仲間に入るのだから、それはほんとうに和しているのではないのだ……というのです。和にも深浅さまざまの段階があると知るべきでしょう。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば8

人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。  兼好法師・日本(徒然草・九三段)

1 ...仏教者のことば(8) 立正佼成会会長 庭野日敬  人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。  兼好法師・日本(徒然草・九三段) 死が来るのを忘れて  兼好法師は、鎌倉末期の歌人であり、随筆家でもありました。僧侶といっても、何寺にも何派にも属せぬまったくの自由人でしたから、その随筆集『徒然草・つれづれぐさ』でも、思ったままをざっくばらんに言い、ユーモアもあれば、皮肉もあり、読んでこれくらい面白い中世文学はないといっても過言ではありますまい。  ここに掲げた一句は、もとより仏教思想に根ざしたものですが、自分自身の解釈によって鋭く人生の機微と仏教の神髄の接点を衝いているところに、深い味わいがあります。しかし、その思想はこの一句だけには尽くされていませんので、この後に続く文章をも紹介しておきたいと思います。  「人、死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがわしく外の楽しびを求め、この財(たから)を忘れて、危うく他の財を貪るには、志、満つ事なし。生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり。もしまた、生死(しょうじ)の相にあずからずといわば、実(まこと)の理を得たりというべし」(新仮名と新送り仮名採用)  「現代語訳」 人間死が恐ろしいならば、生を楽しまなければならない。命のある喜びを日々楽しまなくてどうするのだ。愚かな人は、この楽しみを忘れて、ご苦労千万にも(いたづがわしく)外側に楽しみを求め、生というこの宝を忘れて、危なっかしくも他の宝を貪ろうとばかりしているが、その欲求が満たされることなどありはしない。生きている間に(真の意味で)生を楽しまず。死に臨んで死を恐れるなんて、そんな理屈に合わぬことはないではないか。人がほんとうに生を楽しまないのは、死を恐れないからである。いや、死を恐れないのではない。死が近くにあるのを忘れているのだ。ところで、もし生死という相対的世界を超越している人があれば、その人こそほんとうに天地の道理を心得ていると言っていいだろう。 生死を超越した生き方  この現代語訳を読んで頂けば、大意は分かって頂けると思いますが、念のためにすこし解説を加えましょう。  ここにある「生を楽しむ」というのは、精神的な楽しみを指すのです。本業に精を出すにも「これが社会の進展に役立つのだ」という信念と喜びをもってし、そのほか、学問でもよい、芸術でもよい、信仰でもよい、社会奉仕でもよい、平和活動でもよい、とにかく魂の喜びを覚えるような仕事をして生きがいを感ずることをいうのです。これは、やろうと思えばだれにでもできるのです。  それなのに、愚かな人はそのような精神的な楽しみを忘れて、外側の物質的な財や楽ばかりを求めて、あくせく一生を過ごし、死の間際になって金も物もあの世に持って行けないことがわかり、「死にたくない。もっと生きていたい」と苦悩するのです。さて、最後の一節「生死の相にあずからず云々」ですが、これは、生死を超越し、生に執着せず、死をも恐れず、自由自在に生きる最高の人生を言っているのです。われわれ凡人はそこまでは行きつけそうにはありませんが、しかし、ほんとうの意味で「生を愛して」生きていけば、いつかは自然と到達できる境地だと、私は信じています。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば9

愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり。  道元禅師・日本(正法眼蔵・菩提薩埵四摂法巻)

1 ...仏教者のことば(9) 立正佼成会会長 庭野日敬  愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり。  道元禅師・日本(正法眼蔵・菩提薩埵四摂法巻) 慈心から出た言葉こそ  愛語というのは慈愛のこもった言葉ということです。廻天のちからというのは、時勢を一変する働きということです。言葉というものは偉大な力を持つもので、聖書にも「初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」(ヨハネ伝一・一)とあるくらいです。  われわれの人生においても、ある一言がその人の一生の転機となることが多々あります。ですから、仏教においても、この愛語ということを非常に強く教えているのです。  愛語といっても、ただベタベタした口先の愛の言葉ではありません。その人を幸せにしたいという慈悲心からほとばしり出た、真実の語でなくてはならないのです。そうでなくては、相手の心の琴線に触れ、それを共鳴させる力はないのです。道元禅師のこの語の前にも、こう述べられています。  「むかいて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかわずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり」 母の愛語に廻天の力  ここに、面と向かって聞く愛語も嬉しいものだが、面と向かわずに洩れ聞いた愛語も、深く心に刻みつけられるものだ、とあることに注目しなければなりますまい。  スウェーデンのハンス少年は文章を書くのが好きでした。十一歳のとき戯曲らしいものを書いて、だれかれとなく読んで聞かせましたが、だれも褒めません。隣の小母さんに至っては、「そんなへたなもの、聞いている暇なんかないよ」と、途中で台所へ行ってしまいました。  ガッカリしたハンスが泣いていると、お母さんが花壇の所へ連れて行き、「咲いている花もきれいだけど、土から出たばかりのこの芽を見てごらん。みずみずしくて元気そうじゃないの。おまえはこの芽みたいなものなんだよ。やがてズンズン大きくなってきれいな花を咲かせるのは間違いないのだから、さあ、元気を出して好きなものをどんどん書きなさい」と励ましてくれました。  このハンス少年こそが、後日『マッチ売りの少女』その他の名作で世界中の何千万という子供達の魂を育てた童話作家ハンス・アンデルセンにほかならないのです。アンデルセンは、何かといえば、「あの花壇での母の言葉は有り難かった」と話していたそうです。  それでは「むかわずして愛語をきく」ことによる感銘の例を挙げましょう。イタリアのオーガスチンは、青年時代不良の仲間に入り、毎晩大酒を飲んでいました。ある晩ひどく酔っ払って帰り、いさめようとする母親を足蹴にして自室に入り、寝込んでしまいました。  暁近くフト目を覚ました彼は、母親の部屋から灯が洩れているのに気づき、ドアの隙からのぞいてみますと、母親はこう言って神に祈っていたのでした。「神さま。あの子はほんとうはいい子でございます。十九歳になるまでは心やさしい子でございました。わたくしの余生はどうなってもよろしいですから、どうぞあの子を元のような立派な子にもどしてくださいませ」。  それを洩れ聞いたオーガスチンは、たちどころに本心を取り戻しました。それからの精進はめざましく、後年ついにローマ法王に選ばれたばかりか、キリスト教神学史上最大の思想家といわれるまでになったのでした。洩れ聞いた母の愛語が、まさしく廻天のちからを持っていたのでした。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば10

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。  良寛和尚・日本(山田杜皐への手紙)

1 ...仏教者のことば(10) 立正佼成会会長 庭野日敬  災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。  良寛和尚・日本(山田杜皐への手紙) 徹底的に純粋な人  日本人はみんな良寛さんが好きです。それは、かくれんぼをしているうちに、日が暮れて子供たちがみんな帰ってしまったのに、まだ物かげにかくれていたというような、浮世離れした純粋さに引かれるのでしょう。  子供の時からそんな人だったらしいのです。ある時、父親に叱られて、上目使いに父親の顔を見上げたのに対して、父親は冗談に、「親をにらむようなやつは、カレイになるぞ」とおどかしたところ、カレイになったらひとりで冷たい海に住まなければならないと大変心配し、裏手の海岸の岩の上に立って、泣きながら海を見つめていたといいます。日が暮れても帰って来ないので、探しに出た母親が栄蔵(幼名)をみつけて抱きかかえると、栄蔵は「お母さん、おれはまだカレイになっとらんかえ」と聞いたそうです。  私塾に通って漢字を勉強し、十八歳のとき名主だった父親の跡を継ぐために名主見習役になりました。たまたま代官と漁民たちの間に争いが起こり、その仲裁をしなければならなくなったとき、代官に対しては漁民の悪口・雑言をそのまま上申し、漁民たちには代官の罵りや嘲りをそのまま伝えたので、調停はますます困難になりました。そこで、自分はこのような役目には向かない人間だと悟り、すぐさま出家したのだと伝えられています。この話にも、嘘のつけない純粋な人柄がしのばれます。  その後、備中の円通寺の国仙和尚を慕って行き、弟子となりましたが、そこでの修行ぶりは努力また努力の素晴らしいものだったそうです。 苦もおおらかに受け取る  また、諸国行脚ののち、越後に帰って山中の五合庵で暮らしていた時も、仏典を読み、漢詩を作り、和歌を詠み、一面ではたいへんな勉強家だったわけです。  良寛さんの愉快な逸話だけを聞くと、いかにもノンビリした生活をしておられたようですが、必ずしもそうではなく、吹雪が数日も続く冬のさ中など、草葦きの小さな草庵に閉じこめられた暮らしは、寒さと飢えがこもごも迫り、文字通り死と隣り合わせの生活だったのです。このことを見忘れてはなりません。  ここに掲げた文章は、三条に地震があったとき、親しく交わっていた山田杜皐(とこう)という人へ出した手紙の一節ですが、ほかの人が言ったのでは「非情な言い分だ」という批判も成り立つでしょうけれども、良寛さんの心情の吐露だということになると、なるほどと納得できるから不思議です。  つまり、「人間いい時ばかりはありはしない。災難に遭うこともあろうし、病気にかかることもある。そして、いつかは必ず死ぬのである。そんな時に、驚き騒いだり、悶々と悩んだり、嘆き悲しんだりすれば、かえってその災難の傷を深くし、病を重くし、死んでも死に切れぬ思いをするばかりだ。  だから、『世の中というものはこんなものなんだ』と、おおらかに、素直に受け取ればいいのだ。そうすれば、大難も気持の上では小難ですみ、病気とも仲良しになって楽な養生ができ、死ぬのも恐ろしくなくなるのだ」という意味でありましょう。  とにかく、大難・小難の渦巻く今の世の中にあっても、良寛さんのこの言葉を読むと、とたんにホッとする思いがするから、じつに有り難いことです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば11

 一日作(な)さざれば一日食(くら)わず。  百丈懐海禅師・中国(百丈清規)

1 ...仏教者のことば(11) 立正佼成会会長 庭野日敬  一日作(な)さざれば一日食(くら)わず。  百丈懐海禅師・中国(百丈清規) 己に対して妥協せず  禅宗のお寺では、ただ座禅をしたり、お勤めをしたりするばかりでなく、「作務(さむ)」といって、堂塔・庫裡(くり)の掃除から、庭の清掃、草むしり、食事の準備・世話、野菜作りの労働までを、一山の僧がしなければならないことになっています。  唐代の名僧百丈懐海(えかい)禅師は、九十五歳の長寿を保った人でしたが、どんなに年を取っても、衆僧に交じってこの作務を続け、一日として欠かしたことはありませんでした。  ある日、あまりにも老いを深められた師の姿を見かねた弟子たちが、「もう作務をなさる必要はないのではございませんか。わたくしどもがいたしますから、どうかゆっくりな さっていてください」と申し上げました。  禅師は黙って立ち去って行かれました。ところが、食事どきになって一同が食堂に居並んだのに、禅師の姿が見えません。あちこち捜してみたところ、座禅堂で端然と座っておられました。  驚いた弟子たちが、「食事の時間でございますが……」と申しますと、禅師は決然として言い放たれました。  「一日作さざれば一日食わず」  弟子たちは、自分に対していささかも甘えた妥協をしない禅師の態度に、深く恐れ入ったのでありました。 「するな」と「しない」  「働かざる者は食うべからず」というのはレーニンの言葉だと伝えられていますが、この「食うべからず」という思想と、「食わず」という思想の大きな違いを、しっかり吟味してみることが大事だと思います。前者は革命家もしくは為政者の思想であり、後者は宗教者の思想です。  仏の最も基本的な教えとされる七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)の「諸悪莫作(しょあくまくさ)・衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)・自浄其意(じじょうごい)・是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」にしても、「もろもろの悪をなすなかれ」といった命令的なものでなく、「もろもろの悪をなさず、もろもろの善を努め行い、自らその心を浄くする。これが諸仏の教えである」と、すべて自発的になすことを本位としています。  すなわち、仏教というものは「こうしなさい」と命令するものでもなく、心の持ち方や行動を縛るものでもなく、「こうすれば幸せになるのですよ」と、道を指し示すものなのです。こう考えてきますと、百丈禅師の「一日作さざれば一日食わず」の言葉も、いよいよ光ってきます。  さて、この言葉は「作務も修行の一部」といった義務的な考えをはるかに超えた、「働くことこそ人間の道であり、働いてこそ人間としての価値があるのだ」という、人間存在の最も基本的な真実をえぐった名言として、千二百年以上たった今日まで、禅家のみならず、一般の人々の胸にもつよく銘刻されているものであります。  パスカル(フランスの哲学者)は、あたかも百丈禅師の言葉を布演するかのように、次のように述べています。  「労働を、単に物質の収穫の野を耕す鋤(すき)と思ってはならぬ。それは同時に、われわれの心情の原野を開拓する尊い鍬(くわ)なのである。何よりもまず労働によってわれわれの心身は強められ、心にはびこった種々の邪悪な雑草の根が断ち切られ、そして、そこに幸福と喜悦の種子が蒔(ま)かれて、四時に繁殖し、花を咲かすに到るのである」  よろず機械・器具に頼って身体を動かすことをしなくなった今日、禅師の言葉と共に、深く味わうべき文章だと思います。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば12

色は匂へど散りぬるを わが世たれぞ常ならむ 有為(うゐ)の奥山今日越えて 浅き夢見じ 酔(ゑ)ひもせず  作者不詳・日本

1 ...仏教者のことば(12) 立正佼成会会長 庭野日敬  色は匂へど散りぬるを わが世たれぞ常ならむ 有為(うゐ)の奥山今日越えて 浅き夢見じ 酔(ゑ)ひもせず  作者不詳・日本 命と引き換えに半偈を  だれ知らぬものもない「いろは歌」です。しかし、この四十七文字の中に仏教の深遠な教義が歌いこめられていること、およびその教義の内容は案外よく知られていません。  その教義というのは、『涅槃経本有今無偈論』にある「諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅為楽」の四句の偈です。この偈については、次のような物語が伝えられています。  むかしヒマラヤの山に雪山童子という求道者が住んでいました。その青年は、世のすべての人をほんとうに幸せにする真理を求めて、あらゆる苦しい修行を重ねましたが、どうしてもそのような教えに巡り会うことができませんでした。あるとき山中で瞑想していますと、「諸行は無常なり、是れ生滅の法なり」と説く声が聞こえてきました。ああ、これこそ自分が求めていた真理である!と、声のしたほうを振り返ってみると、そこには恐ろしい羅刹(らせつ=悪鬼)が立っていました。  「今の偈をお説きになったのは、あなたですか」と、童子は尋ねました。「そうだ」と羅刹は答えます。「今の偈は半分だと思います。あとの半偈をぜひ教えてください」と童子は懇願しました。「おれはいま腹が減ってたまらない。教えてやったらおれに食われてくれるか。それなら教えてもいいが……」と羅刹は言います。童子は「その尊い教えを聞けたら、あなたに食べられても本望です。どうかお願いします」。それを聞くと羅刹は唱えました。「生滅を滅し巳(おわ)りて、寂滅を楽と為す」  童子は大いに喜んで、その偈の全部をそこいらじゅうの木の幹といわず、石の壁といわず、後の世の人のために書きつけ彫りつけました。そして、羅刹に食われるために、傍らの高い木の上から身を投じました。ところが、地上に叩きつけられる直前にフワリと受け止められたのです。受け止めたのは帝釈天でした。童子の求道心がほんものであるかどうかを試すために羅刹に身を変えていたのでした。その童子こそはお釈迦さまの前世の身だったと、ジャータカ(前世話)は伝えています。 対立の世界からの超越  さて、「いろは歌」の「色は匂へど散りぬるを わが世たれぞ常ならむ」というのは、昨日まで美しく照り映えていた花が、今日はすでに散ってしまっているように、人間を含めたこの世の物象に恒常なものは一つもないのだ(諸行無常)。これが現象世界の変化の法則なのだ(是生滅法)という意味です。  「有為の奥山今日越えて」というのは、有為とは生滅無常のものごとをいうのですから、そうした変化してやまないものを不変のものと思い込んで執着する煩悩の奥山から今日こそ抜け出して……という意味です。それが「生滅滅巳」です。生滅の世界を超越し切った境地です。  そうすることによって「寂滅為楽」の心境に達することができるわけです。生・滅という対立した二つの現象にとらわれていると、得とか損とか、利とか害とか、苦とか楽とか、生とか死とか、そういった相対的なものごとに心を引きずり回され、ほんとうの心の平安を得ることはない。もうそんな浅はかな夢は見るまい(浅き夢見じ)。一時の喜びに酔うこともしないぞ(酔ひもせず)。そんなものに煩わされない絶対的境地(寂滅)こそが、ほんとうの大安心(楽)というものだ……という悟りであります。  「いろは歌」にはこんな奥深い教えが込められているのです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば13

衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて  水をはなれて氷なく 衆生の外(ほか)に仏なし  白隠禅師・日本(坐禅和讃)

1 ...仏教者のことば(13) 立正佼成会会長 庭野日敬  衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて  水をはなれて氷なく 衆生の外(ほか)に仏なし  白隠禅師・日本(坐禅和讃) 二十六年目の法華経  白隠禅師は、徳川五大将軍綱吉の時代に世に出られた名僧中の名僧です。十五歳で自ら進んで出家し、十六歳のとき、初めて法華経を読みましたが、神秘的な不思議な光景や、おとぎ話のような譬えばかりが述べられていて、中身がないように感じ、すっかり失望して、それ以来手にしたことがありませんでした。  ところが、修行を積んで一寺の住持となった四十二歳の秋、ふと思い出して法華経を取り出し、読んでみました。そして譬諭品第三にさしかかり、「今この三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」とあるのを読んだとき、全身全霊にズシンとこたえるような衝撃を覚え、瞬間に法華経の神髄を悟ることができました。そして、感激のあまり声をあげて号泣した……と自ら語っています。  その後の禅師の思想が、法華経に根底を置くものになったことはいうまでもありません。ここに掲げた『坐禅和讃』の冒頭の句もそうであり、これに続く数句、  (一)衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ 譬えば水の中にいて 渇を叫ぶが如くなり (二)長者の家の子となりて 貧里に迷うに異(こと)ならず  も、やはりそうです。(一)は寿量品第十六の「我常に此に住すれども 諸の神通力を以て 顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ」の裏返しであり、(二)は信解品第四の「長者窮子の譬え」そのままであります。 氷は溶ければ水となる  さて「衆生本来仏なり」ということは、仏法の神髄中の神髄です。仏には三つの身があるといわれていますが、究極的にはこの宇宙のすべてのものを存在せしめている唯一の大生命をいうのです。人間もその大生命の一つの現れですから、本来は清浄無垢の、自由自在な存在なのです。それが「衆生本来仏なり」の意味です。  ところが、人間はこの真実をすっかり忘れてしまい、自分の現実の身体を自分の本体だと思い込んでいるのです。ですから、身体の欲するものをあれこれと追い求め、それが思うようにならないために、悩んだり、苦しんだり、また、他を悩ませたり、苦しめたりしているわけです。  しかし、幸いにして人間だけはほかの衆生と違って、発達した精神というものを持っており、自分の真実の本体を知る可能性を秘めているわけです。ですから、二千五百年前にそれを悟られたお釈迦さまの教えをしっかりと学び、素直にそれに従って心の持ち方を改めれば、現実の不自由な世界にいながら、自由自在な気持で生きることができるわけです。  ここには仏を水に譬えてあります。水は柔らかで、自由自在で、どんな形にもなり、流れたりよどんだりしながら魚介類を育て、土にしみ込んでは草木を茂らせます。しかし、その水が凍って氷となれば、固くて、冷たくて、他を寄せつけぬ形相を持ち、生物を傷めたり、殺したりします。これが凡夫のありようなのです。  元は同じH2Oでも、水と氷とはこれほど違います。仏と衆生との違いもこれと同様だというのです。ですから、本来の姿に返りたいと思ったら、仏法によって自分の心を温め、溶かしていけばいいのです。そうしてまずエゴに冷たく固まった心をほぐせば、それだけでも角(かど)がとれて円くなります。さらに修行を積んで水のような自由自在の心を持つようになったら、それこそが人間の理想の境地だ……というのが、この句の真意であると思います。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば14

聖者、人を駆(か)るに教網(こうもう)三種あり、いわゆる、釈・李・孔なり。浅深隔て有りと雖も竝(なら)びに皆聖説(せいぜい)なり。  弘法大師空海・日本(三教指帰巻上)

1 ...仏教者のことば(14) 立正佼成会会長 庭野日敬  聖者、人を駆(か)るに教網(こうもう)三種あり、いわゆる、釈・李・孔なり。浅深隔て有りと雖も竝(なら)びに皆聖説(せいぜい)なり。  弘法大師空海・日本(三教指帰巻上) 大学を中退して出家  『三教指帰(さんごうしいき)』は、大師がまだ空海をも名乗らない、出家以前二十四歳の時の作です。それなのに、空海の著述といえば、すぐこの書の名前が出るほど有名であり、広く読まれ、かつ後世に大きな影響を残した名作です。  空海は讃岐(さぬき・今の香川県)の生まれですが、幼時より秀才の誉れが高く、十八歳で時の都長岡京にある大学に入り、勉学に励みました。そこへ留学させた家族の望みは、立派な官僚に出世させることにあったらしいのですが、たまたま一人の仏教僧に巡り会ったのが縁となって、仏教に打ち込み、大学を中退して、阿波の山中や、土佐の室戸崎などで猛烈な修行に精進しました。  そうしているうちに、出世とか名誉とか財産とかに対する欲望がなくなり、同時に、貧しい人や、身体の不自由な人を見ると心から同情する気持が起こり、そういう人たちを救うために出家しようという決心をしたのでした。  すると、家族や親戚の人々は、「社会に対する義務を果たすことが君にも忠であり、親にも孝ではないか」と言って反対しました。「そのときわたしはこう考えた」と、『三教指帰』の序文に書いてあるのが、ここに掲げた言葉です。その前後を補わなければ真意が尽くされませんので、原文と現代語訳を付け加えましょう。 宗教の帰する所も同じ  「物の情(こころ)一ならず、飛沈(ひちん)性異(こと)なり。是の故に聖者、人を駆るに、教網三種あり、いわゆる、釈・李・孔なり。浅深隔て有りと雖も竝びに皆聖説なり。もし一つの羅(あみ)に入りなば、何ぞ忠孝にそむかん」  【現代語訳】 鳥が空を飛び、魚が水に沈むように、いろいろな存在の性情は一つではない。人間もやはり同じである。だから、人間を救う網として、釈尊の教えもあり、老子(李)の教えもあり、孔子の教えもある。浅い深いの違いはあるにしても、すべて聖なる教えである。だから、その一つの教えの中に入り込めば、忠孝に背くことはないはずである。  この「すべて聖なる教えである」という一句に注目しなければならないと思います。万教同根ということを、若年にして早くも見抜いておられたらしい大師の宗教者としての素質の素晴らしさには、驚くほかはありません。  この『三教指帰』は戯曲風に書かれており、空海の親戚の一人の遊蕩児について、甲の人は孔子の教えによって批判し、乙の人はその教えを老子の教えの立場から批判し、丙の人はそれをまた釈尊の教えによって批判し、ついに釈尊の教えが最上であるという結論に達するわけです。それは、これから仏教によって出家しようとする空海としては当然のことだったでしょうが、各宗教に対する理解はじつに深いものがあります。  この大天才が官僚となれば、間違いなく大臣にまで出世したでしょうが、あえて出家したことは後世の日本人にとってどれだけ幸いだったかわかりません。宗教の救いを、庶民の生活の上に実現された数々の事実や伝承は、永久に日本人の魂に残るでありましょう。  このことは、在家の仏教者であるわれわれにとって最大の手本です。宗教は人間の魂を救うのが究極の目的ですが、その方便としてまずその現実生活を救うことを忘れてはならないと思います。その点において、すべての宗教は同根であると同時に、帰する所も同じであると確信します。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば15

売買をせん人は、まず得利の益(ま)すべき心づかいを修行すべし。  鈴木正三・日本(万民徳用)

1 ...仏教者のことば(15) 立正佼成会会長 庭野日敬  売買をせん人は、まず得利の益(ま)すべき心づかいを修行すべし。  鈴木正三・日本(万民徳用) 道にかなった利益を  鈴木正三(しょうさん)はもと家康に仕えた武士で、関ヶ原、大坂の陣などで戦功を立てましたが、四十二歳のとき出家しました。そんな経歴の人だけに、いわゆる酸いも甘いも噛み分けたところがあり、その説法もくだけたものでしたし、著述も仮名まじりのわかりやすい文章で書かれていました。中でもその主著である『万民徳用』は、題名の通り、庶民の実生活に役に立つ法話に終始しています。  ここに掲げた言葉は、ある商人が「わたくしは売買の業をしており、利を得たいと思う心が止む間もなく、菩提に進むことができません。どうしたらいいでしょうか」と尋ねたのに対して答えた第一句です。ズバリとした、胸のすくような言葉ではありませんか。この句に続いて、大意つぎのように説いています。  「その心づかいというのは、ほかでもない。身も心も天地の道理に投げ入れて、一筋に正直の道を学ぶことである。正直の人には、諸天善神のめぐみが深く、仏のご加護もあって、災難をのがれ、自然に福を増し、世間の人々に愛され敬われて、万事が心にかなうようになってくるであろう」。とかく仏教は現世否定的な、消極的な教えのように思われがちですが、このように「商人は利益を増そうと思うのが当然である」という肯定の上に立って、その心づかいを説くところなど、いわゆる「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)=煩悩がそのまま悟りへ達する道である」という大乗の真理を踏んまえた名説法であると思います。 世をうるおす商売を  ほんとうに悟った人は、世間の思惑などを気にせずに、こんなズバリとしたものの言い方をするもので、経営の神さまと言われる松下幸之助さんも、こう言っておられます。  「利益というのはとうといものである。どっちの字を取ってみても悪い意味はすこしもふくまれていない。それは自分をうるおすだけでなく、人をうるおし世の中をうるおす。またそれには大きな可能性がふくまれている。  世の中は利益をもとめて動いていると言っていい。その中には精神的な利益というようなものも、もちろんふくまれている。  商業や事業をやって利益をあげないのは罪悪である。そういう事業なり商売はけっきょく長いあいだにはだめになる。それは自分をだめにするだけでなく、社会に迷惑をかけずにはおかない。正しい意味の利益はかならず社会に還元される性質をもっている。そこに立脚していれば、利益を主張することは、すこしもやましいことではない」(『松下幸之助一事一言』より)  鈴木正三師も、同じ章のずっとあとの方に、やはり社会のために商売をすべきだということを、大きな視野から述べておられます。  「この身を世界に投げうって、一筋に国土のため万民のためを思い、自国の物を他国へ移し、他国の物をわが国に持って来て、遠い国、遠い村里までうるおし、多くの人々のためになろうと誓願して、国々をめぐることは、業障を尽くすべき修行であると思い定め云々」(現代語に意訳)  まことに、貿易ということの意義を言い尽くしていると同時に、そのような仕事で広く世の中の人のためになること自体が、おのれの業障を解消することになるのだ……という、在家の仏教者にとってじつに有り難い、勇気を与えられる名言だと思います。  お互いさま、こうした心がけと自信を持って、それぞれの仕事に励みたいものです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば16

たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう  親鸞上人・日本(歎異抄)

1 ...仏教者のことば(16) 立正佼成会会長 庭野日敬  たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう  親鸞上人・日本(歎異抄) 漸く巡り会った真の師  親鸞上人は、九歳の時から二十年間比叡山で修行しましたが、どうしてもあきたらぬものがあって山を下り、やはり以前に比叡山から出て、どの宗派にも属さない、自由仏教人として求道していた法然上人を慕って行きました。自分は業(ごう)が深くてどうにも救われない身だと思い込んでいたところへ、「ただ念仏すれば救われる」という法然上人の教えを聞いて、何ともいえぬ開放感を覚え、「ああ、これよりほかはないんだ」という決定(けつじょう)に達しられたらしいのです。この句の前にあることばも付け加え、現代語訳してみましょう。  「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり。念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業(ごう)にてやはんべるらん。総じてもて存知せざるなり。たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」  【現代語訳】 親鸞においては、「ただ念仏して阿弥陀さまに救われなさい」という師の教えを頂いて、信ずるほかに格別なことはないのである。念仏はまことに浄土に生まれる種なのか、それとも地獄におちる行為なのか、そんなことはすべてわたしは知らない。たとい法然上人にだまされて、念仏して地獄におちるようなことがあっても、けっして後悔しないであろう。  わたしはこの「よきひとのおおせをかぶりて」ということばが好きです。「自分が尊敬する立派なお方のおっしゃることだから(だまされてもいい)」という純粋な「信」、それがなんとも言えず美しいと思います。宗教は、究極的には法に対する「信」に落ち着くのですけれども、その出発点はそれを教えてくれた人に対する「信」です。人に対する「信」……このことは、それが、急速に失われつつある今日、深く深く考え直すべき一事だと思うのです。 人と人との信の美しさ  わたしの尊敬してやまない今岡信一良先生の親友に、コンスタン・リツアニディというギリシャ人がありました。昭和三十年、ある宗教会議の席で顔を合わせて以来、百年の知己のようになり、それから毎週一回リツアニディさんは神奈川県真鶴の自宅から、そのころ今岡先生が勤めておられた正則高校の校長室を訪れ、時事・教育・宗教について時間を忘れて話し合いました。  その後、正則高校生のボランティアと一緒に精神病院を慰問したりしていよいよ固い友情に結ばれるようになりましたが、昭和四十三年、リツアニディさんが病気になって入院することになったとき、突然「自分が死んだら全財産を今岡信一良先生に贈る」という遺言状を送り、今岡先生をびっくりさせました。  今岡先生はたびたび、病院に見舞いに行かれましたが、あるとき、一時間以上も話し込んだので「もう帰る」と言われると、「ちょっと待ってくれ」と言う。しばらくして「さあ、もう帰ろう」と言えば、「ちょっと待ってくれ」を繰り返すのでした。ついに思い切って「帰る」と立ち上がられると、リツアニディさんは「ぼくも帰る」と言い出しました。「どこへ帰るんだ」と聞くと、「君の帰る所、どこへでも」と言ったそうです。  その一言に今岡先生は、なんともいえぬ感動を覚えられたそうですが、その話を聞いてわたしは、フト親鸞上人の法然上人に対する「信」を思い出したのでした。人と人との間の信、こんなに美しいものがほかにありましょうか。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば17

ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれて仏となる。  道元禅師・日本(正法眼蔵)

1 ...仏教者のことば(17) 立正佼成会会長 庭野日敬  ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれて仏となる。  道元禅師・日本(正法眼蔵) 仏さまへおまかせする  ほんとうに大安心を得たいと思うならば、小賢(こざか)しい人間の知恵であれこれと工夫したりしないで、自分の身も心も放(はな)ち忘れて、仏の家へ投げ入れてしまうことだ……というのです。仏の家へ投げ入れるというのは、身も心もそっくり仏さまへおまかせするということです。仏さまに生かされている身だから、生かされているままに生きましょう、というのです。  そういう気持でいますと、「仏のかたよりおこなわれて」すなわち、仏さまのほうからはたらきかけてくださるから、そのはたらきかけに素直に従って行けば、力を入れることもなく、心であれこれと思案することもなく、生死(すべての変化)をはなれて仏となることができる……というわけです。  仏となる……といえば、お釈迦さまのような完全な人格者になることのように誤解する人があるかもしれませんが、この場合はそういう意味ではなく、生死を超越した、自由自在な心境になることをいうのです。つまり、宇宙の大生命である仏さまと一体になった、大安心の境地をいうのです。  法華経の信解品第四にある「長者窮子の譬え」のように、窮子(衆生)は、大長者(仏)の跡取りなどとはつゆ思っていませんので、大長者のはたらきかけに驚いて逃げて行きましたが、それでも大長者はあきらめず、使いの者をやって、雇ってやろうと誘わせました。これが「仏のかたよりおこなわれて」です。  窮子は初めはなかなか心を開きませんでしたが、だんだん素直になって、長者に引き立てられるままに従順に働きました。これが「わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて」にほかなりません。そして、ついに長者の跡取り(仏の分身)だったことを知り、大歓喜するわけです。  とにかく、「宇宙の大生命に生かされているのだから、生かされているままに生きよう」という素直な気持、これが人生にとって何より大切なのです。 「呻ってもいいんですよ」  朝日新聞の論説委員をしておられた森恭三さんが、こんな話を何かに書いておられました。  森さんが一時間もかかる大手術を受けることになり、それも局部麻酔だと聞かされ、その間じゅう何を考えていようかと思い悩みました。手術台に横になっても、その思い悩みは消えず、身体も緊張で硬くなっていました。  すると、執刀の医師が、  「呻(うな)っていいんですよ。そのほうが、わたしも手術しやすいんだから」  と言ったのだそうです。この一言が、森さんには大きな救いでした。サムライは痛くても呻ってはならないという虚栄心にとらわれていたのが、スーッと楽になりました。安心とともに眠くなり、呻りながら眠ってしまった……というのです。  森さんは、その医師こそ名医であると結んでおられましたが、たしかにそのとおりです。と同時に、その名医の一言にスーッと心を開いた森さんの素直さにも感心しました。まことに「身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて」の境地だったのです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば18

鉢盂(はつう)を洗い去れ  趙州禅師・中国(従容録第三九則)

1 ...仏教者のことば(18) 立正佼成会会長 庭野日敬  鉢盂(はつう)を洗い去れ  趙州禅師・中国(従容録第三九則) 平常心これ道  あるとき一人の僧が趙州(じょうしゅう)禅師の叢林(雲水の修行する所)に入門しました。そして禅師に「わたくしは初めて叢林にまいり、万事不案内ですが、どうしたらよろしいのでしょうか」と指示をお願いしました。禅師は、  「ご飯は食べたか」  と尋ねました。僧が「頂きました」と答えると、禅師は一言、  「鉢盂を洗い去れ」  と言われました。「ご飯がすんだら、お茶碗をきれいに洗って片づけておきなさい」というのです。  ごくあたりまえのことを軽く言われたように聞こえますけれども、じつはこれがまことに意味の深い、重々しい一言なのです。つまり、  「あたりまえのことをあたりまえにするのが、ほんとうの禅であり、仏法であるぞ」というのです。別のことばでいえば「平常心これ道」というわけです。  禅というのは、何となく浮世ばなれのした高遠な世界に遊ぶもののように誤解されがちですが、ホンモノの禅というのは、たとい悟るのは高遠な世界であっても、それを日常の生活に活用するところにあるのです。禅に限らず、仏法全体がそのとおりで、仏法の道理を自由自在に活用して、人生を誤りのない、しかも充実したものにしてこそ、その価値があるのです。 人を見て法を説け  活用といえば、趙州禅師にはもう一つこういう話があります。  五台山は、中国における仏教の一大霊場ですが、そこへ行く道の傍らに一軒の茶店があり、その店の前で道が三つに分かれていました。五台山へ行くお坊さんが茶店のお婆さんに、「どの道を行ったらいいのですか」と尋ねると、お婆さんはきまって「真っすぐ行きなさい」と答えます。  お坊さんが来た道から真っすぐの道を行こうとすると、お婆さんは「あんた、お人好しだねえ。いったいどこへ行く気なの」とからかいます。「だって、真っすぐ行けと教えたじゃないですか」と言うと、お婆さんは「真っすぐというのは、正しい道を道草をせずに行きなさい、ということですよ」といってやりこめます。なかなか禅味のあるお婆さんだという評判が立ちました。  ある僧がその話を趙州禅師にしたところ、それではわしがその婆さんの力量を試してやろうといって、五台山へ出かけました。そして、茶店のお婆さんに「五台山へはどう行ったらいいのですか」と尋ねると、例のとおり、「真っすぐに行きなさい」と答えました。  趙州禅師は帰ってきて、「あの婆さんは禅機などありはしない。わしが五台山へ行く道を知っている人間だと見抜けず、千遍一律のことをいっている。ただの婆さんさ」と話したというのです。  「人を見て法を説け」ということばがあります。仏法の道理は一つですけれども、説く相手の機根によって万億の方便を用いるのが、ほんとうの仏教者というものです。  わたしたちも、いちがいにこの茶店のお婆さんを笑うことはできません。よくよく心すべきことだと思います。さればこそ、この話はやはり『従容録』の第十則に取り上げられているのです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば19

今も短気がござるか。あらばここへ出さしやれ。直して進ぜよう  盤珪禅師・日本(盤珪禅師法語・上)

1 ...仏教者のことば(19) 立正佼成会会長 庭野日敬  今も短気がござるか。あらばここへ出さしやれ。直して進ぜよう  盤珪禅師・日本(盤珪禅師法語・上) 短気など本来なきもの  盤珪(ばんけい)禅師は江戸時代初期の名僧です。若い時に絶食の座禅を繰り返し、尻の皮が破れて血が流れて止まらなくても横になることはなかったというような、猛烈な修行をしました。そのために肺結核のような重病にかかり、ほとんど死にそうになりました。  そんなある時、ふと「人間には不生不滅の仏心がある。この不生の仏心によれば一切のことはよく整う」と思いつきました。そのとたんに気が軽くなり、傍らに仕えていた人に粥を作ってくれと頼み、それを三椀も食べてからどんどん病気がよくなったのだそうです。 そういうわけで、禅師が説くのは「不生の仏心」一本槍と言ってもよく、しかも、むずかしい言葉は使わず、だれにも分かる口語で説法をしましたので、たくさんの人が帰依し、そして救われたのでありました。ここに掲げた言葉は、ある僧の問いに答えたものです。その僧は禅師にこう尋ねました。  「わたくしは生まれ付いての短気者でございます。わたくしの師匠もけんめいに意見されますし、わたくし自身も、これは悪いことだと思い、直そうと努力するのですが、直りません。これはどうしたら直るでしょうか」  そこで禅師は、「そなたは面白いものを持って生まれ付かれたのう。今も短気を持っておられるか。あったらここに出してごらん。直してあげましょう」と言ったわけです。僧は、「ただいまはございません。何かの拍子に、ひょっと短気が出るのです」と言いました。すると禅師は次のように説かれたのです。禅師の説法の調子を味わっていただくために原文のまま(新仮名に直し、漢字と仮名を使い分けた部分もある)を引用しましょう。 迷いは自ら作り出すもの  「然らば、短気は生まれ付きではござらぬわ。何とぞした時、縁によってひょっと、そなたが出かすわいの。(中略)そなたが身のひいきゆえに、むこうの物に取り合うて、わが思わくを立てたがって、(短気を)出かしておいて、それを生まれ付きというのは、親に難題を言いかくる、大不孝の人というものでござる。人々みな親の産み付けてたも(給)ったは仏心一つで、余の物は一つも産み付けはさしゃりませぬ。(中略)わが出かさぬに、短気がどこにあろうぞいの。一切の迷いは皆これと同じ事で、わが迷わぬにありはしませぬ。それをみな誤って、生まれ付きでもないものを、我欲で迷い、機癖(きぐせ=癖になった気質)でわが出かしていながら、生まれ付きと思うゆえに、一切の事について、迷わずにはえいませぬ」 つまり、禅師が説かれるのは、生まれたばかりの赤ちゃんの心は、すべて清浄な仏心そのものだというのです。それが、さまざまな因縁によって我欲(利己心)を持つようになり、その我欲が短気とか、不平不満とか、やたらと物を欲しがる心とか、その人特有の気質の癖を持つようになるが、それは自分の本性ではない。自分の本性は仏心そのもの、仏性そのものなんだということを悟りなさい。そうすれば、迷いは向こうのほうから消え去ってくれるものだ……というのです。  それにしても「短気があるならここに出して見せよ」という言葉、「自分が作り出していながら親のせいにするのは大不孝だ」という言葉には、じつに鋭い機鋒がこめられていて、ドキリとさせられるものがあります。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば20

われかならずしも聖にあらず、かれかならずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫なるのみ  聖徳太子・日本(十七条憲法第十条)

1 ...仏教者のことば(20) 立正佼成会会長 庭野日敬  われかならずしも聖にあらず、かれかならずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫なるのみ  聖徳太子・日本(十七条憲法第十条) 人々と同じ道を歩む  十七条憲法は、現代にもそのまま通用する人生訓に満ちていますが、中でもこの第十条は、人間関係の機微を衝き、その円満なあり方の基本を教えられた重要な一条だと思います。その全文をかかげて、現代語訳してみましょう。  「こころの忿(いか)りを絶ち、おもての瞋(いか)りを棄て、人の違(たが)うことを怒(いか)らざれ。人には皆心あり。心にはおのおの執(と)れるところあり。かれ是とすれば、われは非とし、われ是とすれば、彼は非とす。われかならずしも聖にあらず、かれかならずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫なるのみ。是非の理、たれかよく定むべき。あいともに賢く愚かなること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人は瞋るといえども、かえってわが失を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え」  【現代語訳】 心の怒りもそれを抑え、顔に出る怒りも収めて和やかな表情となり、人の言行が自分の考えと違うのを怒ってはならない。人にはみなそれぞれの心があり、それぞれ執着するところがある。したがって、かれが正しいと思うことを自分は正しくないと思い、自分がよいとすることをかれがよくないとすることもあるのだ。自分はかならずしも悟った人間ではない。かれはかならずしも愚かな人間ではない。どちらも同じ凡夫なのだ。是と非の理を、凡夫のだれがよく決定できるだろうか。人間は、ある時もしくはある事には賢く、ある時もしくはある事には愚かであって、ちょうど耳に付ける円い飾り環に端がないように、賢と愚がグルグル回っているのだ。だから、人が怒っているならば、自分に過失がなかったのかと反省することだ。また、自分は悟り得た人間だと思っても、多くの人たちの言い分にも耳を傾け、大衆と同じ道を歩むよう心がけるがよい。 大衆は衆愚ではない  現代語訳で大体の意味は分かっていただけると思いますが、疑問に思われる点が二個所ほどあるのではないかと察せられますので、説明しておきます。  第一は、「では、是と非の理を決定するものは何か」という疑問でしょう。太子のお考えをおしはかれば、「凡夫はどうしても自分本位にものを考えがちだから、過失の危険が伴う。みんながそのような小さな我を捨てて、仏法が教える天地の真理にのっとって考えれば、どれが是でどれが非かはおのずから分かってくるはずだ」というお考えが言外にあると思われます。そう推測して間違いはないでしょう。  第二は、最後に「大衆と同じ道を歩むように心がけよとあるが、それでは衆愚に引きずられる恐れがありはしないか」という疑問でしょう。このおことばは、指導的立場にある者の独りよがりを戒めると同時に、一般大衆の志す方向はいわゆる「中道」に合致していることが多いことを示唆されたものと思われるのです。大衆はけっして衆愚ではありません。  先進諸国の産業や経営に詳しい人の話によりますと、日本の工員等は上の人に「これはこうした方がもっとよくなると思いますが……」といった提言をよくしますが、欧米ではしてはならないことになっているそうです。また、日本の会社などのように、勤務時間が終わってから遅くまで反省会などすることは絶無だそうです。日本の技術や経済力がグングン伸びたその秘密は、こうした底辺の力の総和にもあるということでした。太子のおことばを裏書きする事実だと思います。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば21

人は阿留辺幾夜宇和という七文字を持(たも)つべきなり。  明恵上人・日本(栂尾明恵上人遺訓)

1 ...仏教者のことば(21) 立正佼成会会長 庭野日敬  人は阿留辺幾夜宇和という七文字を持(たも)つべきなり。  明恵上人・日本(栂尾明恵上人遺訓) 現代人に対し痛烈な教え  阿留辺幾夜宇和というのは、日本語の発音に漢字を当てたもので「あるべきやうは」と読めばいいのです。その意味は「(人間は)そうあらねばならないようにあれ」ということで、もっとつづめていえば「らしくあれ」ということです。  このあとにつづいて上人は「僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり、乃至帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。此のあるべきようを背く故に、一切悪きなり」と言っておられます。  これは二十世紀末の現代の人間に対する痛烈な教えであると受け取らねばなりますまい。父が父らしくなくなり、母が母らしくなくなり、教師が教師らしくなくなったために、子供たちも子供らしくなくなり、家庭内暴力や、校内暴力といった、これまでの日本では考えられもしなかったような事件を引き起こすようになりました。  われわれが住んでいるこの世界は、ありとあらゆるものが、それぞれらしくあることによって成り立っているのです。太陽が太陽らしくあり、月は月らしくあり、地球は地球らしくあってこそバランスを保っているのです。ところが、地球上に住む人間は、自分たちさえよければいいというわがままを増長させたあまり、森林を森林らしくなくし、土壌を土壌らしくなくし、空気を空気らしくなくし、だんだんとこの地球を住み難い世界へ変えてゆきつつあります。自分で自分の首を絞めつつあるのです。もうこのへんで、人間はもっと謙虚になり、らしくあることを大切にしなければなりますまい。そうしなければ、遠からず破滅におもむくことは必至だと思います。 自身がらしさに徹した  さて、明恵上人は、ご自身も「あの世で救われようとは思わない。ただこの世においてあるべきようにあろうと思うばかりである」と言い切っておられるように、仏僧らしい僧であったと同時に、じつに人間らしい人でありました。  仏教の開祖釈尊を恋い慕う情熱はひたむきなものがあり、どうしても天竺(てんじく=インド)へ旅しなければならぬと精密な行程表まで作られたのですが、それを果たすことができず、せめて一歩でもインドに近い所に行きたいと、紀州の無人島に行き、そこの海水をすくって頭の上にささげ「この水は遠く天竺に通ずる水だ。お釈迦さまの遺跡を洗った水だ」と言ってうやうやしく礼拝したということです。純粋な人だったのです。  承久三年の乱のとき、官軍の敗残兵が上人の住する京都郊外の高山寺へ逃げこんだのをかくまい、けっして幕府方に渡しませんでした。追っ手の隊長が上人を捕らえて、北条泰時の所へ連れて行きましたが、上人は平然として先に立って歩いて行きました。泰時はかねてから上人の高徳を聞き及んでいましたので、びっくりして席を立ち、上人を上座に据えて平伏しました。上人は、  「高山寺は落人をかくまっているのは事実だ。釈尊も、前世には鷹に追われた鳩の身代わりとなっておん身を鷹の餌食にされた。それほどの大慈悲には及ばずとも、戦いに敗れた軍兵を助けるのは仏教者として当然のことである。もしそのために政道が立ちゆかぬようだったら、拙僧の首をはねられよ」と言われました。泰時はこれを聞いて感動の涙を流し、部下の粗忽(そこつ)を詫び、ていねいに輿(こし)でお送りしました。その粗忽な隊長は、のちに上人の弟子となったそうです。  まことに上人こそは、あるべきような生きざまをつらぬいた人でありました。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば22

新しく興ってくる西洋の思想は総合性をめざしているから、この新しい要求を満たす材料を仏教の真理の蔵から選び出すことを、むしろ希望するであろう。  C・ハンフレーズ・英国(仏教・原島進訳)

1 ...仏教者のことば(22) 立正佼成会会長 庭野日敬  新しく興ってくる西洋の思想は総合性をめざしているから、この新しい要求を満たす材料を仏教の真理の蔵から選び出すことを、むしろ希望するであろう。  C・ハンフレーズ・英国(仏教・原島進訳) 世界を分裂から救う道  クリスマス・ハンフレーズ氏は、英国の法曹界で指導的地位にある人ですが、十七歳で仏教に関心を持ち始めて深くそれに帰依し、一九二四年にロンドン仏教協会を設立しました。この会はヨーロッパにおける最も有力な仏教団体であります。  この『仏教』という書は、日本でいえば岩波文庫に当たる『ペリカンブック』の一冊として、西洋では非常によく読まれているそうですが、日本人があまりにも仏教の中にドップリ浸(つか)っているためにとかくその根本を忘れがちなのに対し、異なった文化の中に生い育った知性の人であるハンフレーズ氏は、醒めた目でしっかりと仏教の全貌をつかみ、「世界仏教」としてそれをとらえているところに、日本人がかえって教えられるところが多いのです。  右に掲げた言葉は、その書の結びの一節にあり、いわゆる「西洋の没落」から立ち直らせるばかりでなく、それがひいては世界全体を慢性的な分裂から救う大きな手がかりとなる考えであると思うのです。 すべては一つということ  西洋的なものの考え方は、一口でいえば、ものごとの一つ一つを克明に分析してそこから真理を発見していこうとするものでありました。そういう態度が、科学の驚異的な発達を生んだのです。ところが、科学は多くの面で人類の生活に寄与するところが多いのですけれども、しかし、人類はいっこうそれによって幸せになってはいません。  安楽になり過ぎた生活は、生物としての人間の生命力を弱めつつあります。多くの疫病は消滅しましたが、新しい文明病は続々と発生しつつあります。しかも科学の最大の鬼っ子である核兵器は、われわれに最大の不安を与えているのです。  科学の発達がわるいのではありません。個にとらわれ、全体を忘れる思想がよくないのです。現実生活の快楽を追い求め、精神の寂静をないがしろにする生きざまがよくないのです。そこに仏教再登場の大いなる意義があります。  まず第一に、仏教は「すべては一つ」という世界観に根拠を置いています。この世のすべての物象は、科学的に言えば「ただひといろの空(くう)の所産である」と断じ、宗教的に言えば「法身の仏(宇宙の大生命)の分身である」とし、いずれにしても根源は一つであるという真実を説いています。  したがって、人間どうしはもとより、天地すべての物と大調和して生きるのが真理にかなった生き方であり、そこに人間のほんとうの安らぎがあり、幸せがあるとしているのです。  物質的欲望や個の権利のみを追求していけば、どこまでいってもそれが満たされることはなく、自分自身は絶えざる欲求不満に悩まされ、他との間には衝突と摩擦が生じ、永久に心の安らぐことはありません。釈尊が簡素な生活を勧められたのも、たんなる個のための戒めではなく、世の中全体の軋轢(あつれき)を少なくするという大きな配慮があったものと拝察されます。  西洋の心ある人々は、右の言葉にもあるように「総合性(大きくまとめて考える)(大きく一つにまとまる)」ということを強く志向しています。そのことを、われわれ日本人も謙虚に逆輸入すべきではないでしょうか。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば23

才市やどんどこ、はたらくばかり。いまわ(は)あなたに、く(苦)をとられ、はたらくみこそ、なむあみだぶつ。  浅原才市・日本(妙好人浅原才市集)

1 ...仏教者のことば(23) 立正佼成会会長 庭野日敬  才市やどんどこ、はたらくばかり。いまわ(は)あなたに、く(苦)をとられ、はたらくみこそ、なむあみだぶつ。  浅原才市・日本(妙好人浅原才市集) 大哲学者の生き証人  この人を広く世に紹介された鈴木大拙博士は、その編著『妙好人浅原才市集』冒頭の論文にこのように書いておられます。  「石見(いわみ)の国は温泉津(ゆのつ)の妙好人浅原才市(一八五一~一九三三)は、実に妙好人中の妙好人である。浄土真宗だけでなく、仏教は何宗でもよい。そのいずれにあっても、妙好人の資格を具えておるから不思議な人物である。(中略)彼は普通にいう妙好人だけでなくて、実に詩人でもあり、文人でもあり、実質的大哲学者でもある」  浅原才市は、無学な下駄造りの職人でした。菩提寺の和尚さんの説法もよく聞きに行ったようですが、一日の大部分はセッセと下駄造りの仕事に精出していました。そして、仕事をしながら頭に浮かんだことを、下駄の歯や、下駄の裏や、小学生用のノートに書きつけました。ほとんどひら仮名で、ところどころに使ってある漢字も、阿弥陀をあみ太と書いたり、後生をご正と書くような当て字が多いのです。  そのような無学な老人が、世界的な学者である鈴木大拙先生をして「実質的大哲学者でもある」と言わしめたのですから、学問はなくても、ほんとうに澄み切った心で信仰に徹底すれば、宇宙と人生の真理に直入し、それと一体となることができることの、生きた証人であると言わねばなりますまい。  そういう点において、われわれ在家信仰者が手本として仰ぐべき人物であると確信します。 世界虚空がみな仏  ここに掲げた一編は、ほとんど解説の要もないと思いますが、「いまはあなたに、苦をとられ」というのは、仏さまに苦を吸い取っていただいているという実感です。そして、くったくのない明るい法悦の中で、どんどこどんどこ、働いている身の有り難さを思えば、ひとりでに「なむあみだぶつ」が出てくるというのです。信仰の妙境はここに尽きるといっていいでしょう。  この句の前後にある句を補った完全な一編を読めば、その妙境がもっとはっきりとわかってくるでしょう。   よろこびを、まかせるひとわ、なむの二じ。   われが、よろこびや、なむがをる。   才市やどんどこ、はたらくばかり。   いまわ、あなたに、くをとられ、はたらくみこそ、なむあみだぶつ。   らくもこれ、よろこびもこれ、さとるもこれ。   らくらくと、らくこそらくで、   うきよをよごすよ。   才市が仏さまと一体になっている実感は、次の一編でもよくうかがうことができます。   才市がをやさま。   才市がをやさまに、   よ(う)似て居るよ。   見るほど、よ(う)似て居るよ。   親と思わず。   親さまによ(う)似て居るよ。   この親が才市の親かい。   ありがたい、なつかしや。   なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。   最後に、哲学的な境地ともいうべき一編を紹介しましょう。これは、法華経で説かれる真実とも一致しているので、とりわけ印象に残ります。   ゑゑな。(いいな)。   世界虚空が、みな仏。   わしも、そのなか。   なむあみだぶつ。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば24

この地上を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへでも跣足(はだし)で歩ける。が、それは不可能である。しかし自分の足に七寸の靴をはけば、世界中を皮で覆うたと同じことである。  河口慧海・日本(山田無文《手を合わせる》より)

1 ...仏教者のことば(24) 立正佼成会会長 庭野日敬  この地上を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへでも跣足(はだし)で歩ける。が、それは不可能である。しかし自分の足に七寸の靴をはけば、世界中を皮で覆うたと同じことである。  河口慧海・日本(山田無文『手を合わせる』より) 無文老師を育てた言葉  河口慧海(かわぐちえかい)師は、チベットが現在のように中国の領土ではなく、きびしい鎖国をしていて無断で入った者は容赦なく殺されるという世界の秘境だったころ、日本人として初めてその地に入り、チベット仏教を研究、その文献を多数持ち帰った先覚者でありました。わたしが尊敬してやまない山田無文老師が学生のころ、慧海師は東京の本郷に、雪山精舎というサンガを結んで、チベット仏教を講義しておられました。  山田少年は、法律家にさせたいという父上の意を受けて東京に遊学したのですが、精神的なものに強く引かれるたちで、中学の物理や化学の時間には、下を向いてひそかに法華経を読んでいました。当時ほとんど暗記するほどに読んだ『論語』にある「人民の訴訟を聞き、正しく裁いてやることは、自分も人と同じようにできるだろう。しかし、自分の願うところは、訴訟などの起こらない平和な社会をつくることである」という意味の一句が、山田少年の魂を大きく支配していたのでした。  学校の勉強には身を入れなかっために、中学はやっと卒業したものの、一高を受験しては不合格、一年浪人して八高を受けてもダメでした。  そういった時代に、友人の誘いで河口師の雪山精舎で仏教の講義を聞くようになりましたが、そのテキストにあったのが、右に掲げた文章です。これは、最も印象深い前半だけを抜き出したものですが、後半まで読まなければその意味は分かりませんので、全文を引用しましょう。  「この地上を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへでも跣足で歩ける。が、それは不可能である。しかし自分の足に七寸の靴をはけば、世界中を皮で覆うたと同じことである。自分の心に菩提心をおこすならば、すなわち人類のために自己のすべてを捧げることを誓うならば、世界は直ちに天国になったにひとしい」 前半の譬喩が感動を  このことばが、山田無文老師の一生を決定したのです。その時の心境を『手を合わせる』に、次のように書いておられます。  「そうだ、この道だ。直ちに浄土を成就し、直ちに自己を完成し、今日ただいま自己も世界も救われる道。この道よりほかにわたくしの行く道はない、とわたくしは確信した。一切人類のために自己のすべてを捧げる、と心に誓う、それだけでよいのだ。それなら自分にでもできる。今でもできる。わたくしは心に誓った。自分の幸福も、自分の心身も、自分の一生も、自分のすべてを、今日から人類に捧げますと、心に堅く誓った。するとどうであろう。すべてを捨てた心の明るさ、すべてを捧げた心の豊かさ、わたくしはかつてない幸福感に満たされて、歓喜躍如とした」  この文を読んでいただけば、わたしの解説など少しも必要ではないでしょう。しかし、一言だけ付け加えておきましょう。それは、もし山田青年が、河口氏のこのテキストの後半だけ読んだとしたらこれだけの感激、これだけの回心を起こしただろうか……ということです。  前半の巧みな譬喩があってこそ、グッと魂に響くものがあったはずです。その意味で、あえて前半だけを表題に掲げたのです。お釈迦さまが法を説かれるのに、盛んに譬喩を用いられたことも、さこそと思い出されます。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば25

仏法は功を用ゆる処なし。ただ是れ平常(びょうじょう)無事なり。  臨済禅師・中国(臨済録)

1 ...仏教者のことば(25) 立正佼成会会長 庭野日敬  仏法は功を用ゆる処なし。ただ是れ平常(びょうじょう)無事なり。  臨済禅師・中国(臨済録) 仏法は日常生活中に在る  このあとに「痾屎送尿(あしそうにょう)、着衣喫飯(ちゃくいきっぱん)、困じ来れば即ち臥す」と続いています。大意を申しますと、「仏法というものは、特別な修行をこれほどやればこれほどの効果があるといった風のものではない。ただ平常のことを無事にやっているところにあるのだ。大便をしたいときにはする。小便をしたいときにはする。着物を着るべきときには着る。食事をすべきときには食事する。眠くなれば寝ればいいのだ」というのです。  これを浅く読めば、心の向くままに生活行為をすればそれでいいのだ……というふうに受け取れますけれども、けっしてそうではありません。  この「無事」には深い意味があるのです。つまり、当たり前のことを当たり前にする、道理のとおりにする……ということです。こうして平常の一つ一つの行為をおろそかにせず、キチンキチンとやっておれば、それが「無事」にほかならず、無事であることがいちばん仏法にかなったことだ、というわけです。 無事なき所に異常生ず  このことは、今日の日本人にとって非常に大切なことだと思うのです。子供の教育にしても、塾にやるとかなんとか、特別なことをさせるのが「教育」だと思い込んでいる傾向があります。そして、日常生活のいろいろな行為をキチンとやる、正しくやるということには無関心なように思われます。そういうところから、異常な子、問題児、つまり「無事」でない子供が育つのです。  成人にしても、「無事」ということに対する感覚の麻痺している人が多くなっているのではないでしょうか。最近いちばん問題になっているのはサラ金苦からの蒸発や、離婚や、一家心中などですが、これは金銭に対する考え方が荒っぽくなり、楽をして金銭を手に入れて一時をしのごうとか、分際以上のものを買おうとかして、異常な借用をしてしまうからだと思われます。  福沢諭吉翁は『福翁自伝』の中にこんなことを書いています。(原文のまま)  「凡そ世の中に何が怖いと云っても、暗殺は別にして、借金ぐらい怖いものはない。……大阪の緒方先生の塾の修行中も、相変らず金の事は恐ろしくて唯の一度でも他人に借りたことはない。人に借用すれば必ず返済せねばならぬ。当然のことで分り切って居るから、其返済する金が出来る位ならば、出来る時節まで待て居て借金しないと、斯う覚悟を極めて、ソコで二朱や一分はさておき、百文の銭でも人に借りたことはない。チャンと自分の金の出来るまで待て居る」  「斯後江戸に来ても同様、仮初(かりそめ)にも人に借用したことはない。折節(おりふし)自分で想像しては唯怖くて堪らない。……一口に言えば私は借金の事に就て大の臆病者で、少しも勇気がない。人に金を借用して其催促に逢うて返すことが出来ないと言うときの心配は恰(あたか)も白刃を以て後ろから追っかけられるような心地がするだろうと思います」  今の人も、これぐらい借金ということに臆病になれば、けっしてサラ金苦などにさいなまれることはないと思います。  ここには昨今の世の異常傾向として、問題児のこととサラ金苦を例に取りましたが、つまるところは臨済禅師のいう「無事」の観念が薄れているところに素因があると思うのです。まことに仏法は遠きに在らず、われわれの日常生活の中にこそあるのです。 題字 田岡正堂...