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経典のことば39

転輪聖王の判断とは、無益の事を除き、有益の事に向かわせることである。 (根本説一切有部毘奈耶薬事第十五)

1 ...経典のことば(39) 立正佼成会会長 庭野日敬 転輪聖王の判断とは、無益の事を除き、有益の事に向かわせることである。 (根本説一切有部毘奈耶薬事第十五) 二人の農夫のけんか  お釈迦さまが、前世の物語を縁として説かれた教えです。  「むかしハラニシ城の郊外に一人の仙人が住んでいた。たいへん慈悲深く、一切の生きものに対して平等な愛情を持っていた。  仙人のすぐ近くに二人の農夫が住んでいた。耕地のことから争いを始め、殴り合いのけんかになり、王に訴訟を起こして黒白をつけてもらうことにした。そして、はからずも二人の争いを見ていた仙人に、証人になってくれるよう頼んだ。仙人は快く承知して出廷した。  王は仙人に向かって、  『この争いはどちらが先に始めたのか』  と聞いた。すると仙人は、  『王よ、転輪聖王(てんりんじょうおう)の法によってお裁きになるならば、わたしは証人になりましょう。そうでないならば、証人はお断りします』  と答えた。王は、  『よろしい。そのとおりにしよう。さて証人よ、どちらが先に始めたのか』  『この男があの男に怒りを抱き、あの男がこの男に怒りを抱き、お互いに殴り合ったのです』  『それならば、二人とも罰せねばならぬのう』  『王よ。だからわたしは先に申し上げたではありませんか。転輪聖王の法によって裁かれるなら証人になりますが、そうでないならご免こうむります……と』  『どうもよくわからぬ。その転輪聖王の法とはいったいどういうことか』  『無益なことはやめさせて、有益なことへ向かわせることです』  その一言で、賢明な王はハタと悟った。そして二人の農夫に向かって、  『おまえたちはすぐ帰って、農業に励め。二度とつまらぬ争いを起こしてここへ来るのではないぞ』  と言い渡した。それ以来、二人は自分の田畑を耕作することに専念し、平和に暮らしたのであった」 二十一世紀人類への示唆  転輪聖王というのは、古来インドにあった思想で、世界を統治する帝王の理想像です。武力を用いず、正義と正法のみで政治し、天下を穏やかにまとめるというので、聖王と名づけられるわけです。  したがって、この仙人が言った「転輪聖王の法」というのは、争いそのものを究明したり、当事者を処罰して一件落着とするといった、現象に執らわれた目先だけの処断ではなく、それをもう一つ飛び越え、もう一歩先と進んで、正しい生き方をガイドするという、積極的・創造的な法を意味するものです。  この説法は、たんに個人と個人間の問題だけでなく、二十世紀から二十一世紀にかけての人類の、国家と国家、民族と民族との紛争を収める方途を教えてくださっているように思われてなりません。  すなわち、国家・民族の別などを超越した機関ができて、世界中のだれもが納得できるような正法と道理によって事を裁き、無益な紛争や戦争をやめさせ、人類全体が幸せに生きるという有益な方向へ向かわせる。それが人間が救われる最後の道だぞ……と、この説話で示唆されているように思われてならないのです。  そういう意味で、この言葉には無限の尊い響きがこめられていると感ずるのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば40

仏陀は「もろもろの草木も生きものであり、魂を持っている」と説きたもうた。ゆえにわれらはそれを切ることはできない。 (大荘厳経論巻三)

1 ...経典のことば(40) 立正佼成会会長 庭野日敬 仏陀は「もろもろの草木も生きものであり、魂を持っている」と説きたもうた。ゆえにわれらはそれを切ることはできない。 (大荘厳経論巻三) 草で縛られた比丘たち  数人の仏道修行者たちが荒野の中を旅していたところ、盗賊の一団が襲いかかり、衣服を全部剥ぎ取ってしまいました。その上、――この修行者たちが村に行ってしゃべってはこちらの身が危ない。みんな殺してしまおう――ということになりました。  ところが、賊の中にかつて出家した経験のある男がいて、言いました。  「なにも骨を折って殺すことはないよ。仏教の比丘たちは、戒律によって生きた草木を傷つけることをしないから、ほら、そこいらにいっぱい生えている長い草で縛っておけば、いつまでもジッとしていて、そのうち死んでしまうさ」  なるほど……というので、盗賊たちは身の丈以上に伸びている生えたままの草でガンジガラメに縛り、立ち去って行きました。  修行者たちは、裸のまま一日じゅう強烈な太陽に照らされ、蚊・アブなどに全身を刺され、その苦しさといったらありません。日が暮れると、夜行性の獣たちがうろつき、野狐やフクロウが鳴き、気味わるい限りです。  しかし、リーダーである老比丘の激励によって、比丘たちは耐えに耐えて一夜を明かしました。  翌朝たまたま狩りに出かけた国王が、はるかにこの人たちを見つけ、家来を見に走らせました。家来がありのままを報告しますと、  「それは裸形外道(らぎょうげどう)ではないか」と王は聞きます。  「いいえ、真っ裸で恥ずかしそうにしていましたし、第一右の肩だけが真っ黒に陽焼けしていますから、仏教の僧たちに違いありません」  と家来は言いました。興味をそそられた王は、さっそく修行者たちの所に行き、  「どうしてこんな草などに縛られておられるのですか。これぐらいすぐ引き抜けるのに……」  と尋ねますと、比丘は答えました。  「わたくしたちの師仏陀は『もろもろの草木も生きものであり、魂を持っている』と仰せられ、そのいのちを断つことを禁ぜられました。もちろんこの草を引き抜くこともできれば、断ち切ることも容易にできますが、仏陀のおん戒めは金剛(こんごう)のように固いのです。それを破ることはできません」 地球砂漠化の戒めと  王はそれを聞いて非常に感激し、さっそく手ずから比丘たちを縛っていた草をほどいてあげました。  そして、そのような教えを説き、弟子たちが命を捨ててもその戒めを守ろうとする釈迦牟尼世尊とはなんという偉いお方であろうかと、深い帰依の心を起こしたのでありました。  この話は、もちろん持戒の心の堅固さをたたえたものでありますが、わたしは現在の地球が直面している危機にかんがみて、お釈迦さまの「草木の生命を断つなかれ」という戒めを、そういった意味で重大に考えざるをえません。  周知のとおり地球上からは日一日と緑が失われ、砂漠化が急速に進行しつつあります。それなのに、緑に養われている人間たちは、目前の利益と安楽を貪るためにその大切な恩人たちを殺生しつつあるのです。  こうした末世の人間たちに、お釈迦さまのこの戒めと、それを懸命に守った比丘たちの所行は、絶大な教訓を与えているものと考えざるをえないのです。たんなる昔の信仰美談として読み過ごすことはできないものと思います。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば41

そなたがまさしく見たように 小さな種子から大樹が生ずる わたしもまさしく見ているのだ 小さな行為から大きな報いが生ずることを (根本説一切有部毘奈耶薬事第八)

1 ...経典のことば(41) 立正佼成会会長 庭野日敬 そなたがまさしく見たように 小さな種子から大樹が生ずる わたしもまさしく見ているのだ 小さな行為から大きな報いが生ずることを (根本説一切有部毘奈耶薬事第八) 業報は無限に展開する  お釈迦さまが王舎城を出て多根樹という村で托鉢されたときのことです。  カピラバストからこの村に嫁に来た一人の女がいて、光り輝く仏陀のお姿を見て心の中に思いました。――仏さまは釈迦族の中でいちばん尊いお方。そんなお方がわたしのような者にまで食を乞われる。有り難いことだ。わたしはこの麦こがしを差し上げよう――。  仏陀はすぐその心を見通され、鉢を持って近づき、「姉妹よ、そなたの麦こがしをこの鉢に施してください」とおっしゃいました。女は自分の心を見抜いていてくださったことを知り、ますます尊敬の念を深め、うやうやしく麦こがしを供養しました。  仏陀はニッコリと微笑されました。おそばにいた阿難がそのわけを聞きますと、「この女は十三劫という長いあいだ天上界に生まれ、最後には独覚の悟りを得ることを予知したから、微笑したのである」とお答えになりました。  仏陀のそのお声は村中に響きわたりました。林の中にいた女の夫がそれを聞いて大いに怒り、駆けつけてきて、  「お前はおれの妻から麦こがしをもらうために、独覚の悟りを得るなどと大嘘をついたな。少しばかりの麦こがしでそんな果報が得られるはずがない。この嘘つき奴!」  と怒鳴りつけるのでした。仏陀は静かに、  「そなたは珍しいと思うことを見たことはないかね」  とお尋ねになりました。すると男は、  「珍しいものはいろいろ見たが、この村の多根樹ほど珍しいものはないだろう。なにしろ一本の木の陰に五百台の馬車をゆっくり入れることができるのだから……」  と言います。  「ほほう。だとしたら、その木の種子はよほど大きいのだろう。ひき臼(うす)ぐらいか、牛のかいば桶ぐらいか」  「いや、そんなに大きくはない。ごく小さいものだ」  「そんな小さい種子から、木陰に五百台もの馬車を入れるほどの大樹がほんとうに育つだろうか」  「ほんとうだ。ちゃんとおれが見て知っているのだ」  男がそう断言すると、釈尊は即座に一つの偈を作って示されました。 そなたがまさしく見たように 小さな種子から大樹が生ずる わたしもまさしく見ているのだ 小さな行為から大きな報いが生ずることを  男はなるほどと感じ入ったのでありました。 仏典の小話の読み方  この小話に含まれる教訓は、もはや説明の要もありますまい。しかし、仏典に出てくるエピソードは、意味が明白だからといって軽く読み過ごしてはならないのです。そこに登場する人間像やその心理を、自分と引き比べながら思いめぐらしてみることが大切なのです。  例えば、この女が麦こがしを供養しようとした瞬間の気持ちを推し測ってみましょう。すると、どう考えてもそこになんらの交換条件のような心もなければ作為もなく、おのずから催してくる純粋な気持ちからだったとしか思われません。お釈迦さまもその魂の純粋さを高く評価なさったのだろうと拝察されます。そしてそこから、われわれが布施や善行をなす場合の大切な心得を教えられるのです。  このように、仏典に出てくるどんな小さなエピソードでも、それを出発点として思索を深めてみることが大切だと思います。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば42

この国の人びとは、みなすぐれた人ばかりである。 (旧雑譬喩経下)

1 ...経典のことば(42) 立正佼成会会長 庭野日敬 この国の人びとは、みなすぐれた人ばかりである。 (旧雑譬喩経下) 凶暴な人びとの教化  お釈迦さまが王舎城の霊鷲山で法をお説きになっておられた時のことです。隣国に、人民が凶暴で、さまざまな悪事をしてはばからない一国がありました。お弟子の中で神通第一といわれた目連が、あの国へ行って人びとを教化したいと決意し、世尊にお許しを願いました。  世尊がお許しになったので、目連は勇んでその国に行き、熱弁をふるって悪行の罪の計り知れないことを説き、善をなすことをすすめました。ところが、人びとは怒って目連をののしり、教えに耳を傾けるどころではありませんでした。目連はスゴスゴと帰ってきました。  それを見た智慧第一の舎利弗は、「人を教化するには智慧を授けるに限る」と言い、世尊の許しを得て出かけて行きました。しかし、その国の人びとは唾をひっかけて侮辱し、相手にしませんでした。  次には摩訶迦葉が行きましたが、これもむなしく帰ってきました。こうしてたくさんのお弟子たちが代わるがわる行きましたが、みんな追い返されてしまいました。  それまでの様子を黙然と見守っておられたお釈迦さまは、やはり菩薩でなければ、かの国の人びとは教化できないとして、文殊菩薩にそれを命ぜられました。  文殊菩薩はその国に行きますと、第一声に「この国の人びとは、みんなすぐれた人ばかりである」と言い、個々の人に会うごとに、「そなたは勇気がある」「そなたは孝心がある」「そなたは胆力がある」などと、おのおのの長所ばかりを認めて称賛しました。  みんなはいい気持ちになり、文殊菩薩を手厚く供養するのでした。文殊は頃合いを見はからって、こう言いました。  「そなたたちはわたしを尊敬し、供養してくれるが、わたしの師である釈迦牟尼世尊はわたしなんぞ足元にも及ばない尊いお方である。世尊を供養するならば、わたしを供養するよりも幾十倍もの福が得られるだろう」  人びとは大いに喜び、文殊に連れられて霊鷲山にお詣りし、世尊のお説法を聞くようになったのでありました。 愛語には廻天の力あり  「叱る教育」と「褒める教育」とどちらがいいか、いろいろ議論が分かれているようです。わたしはこう思います。知性の発達した相手には「叱る教育」も効果があるが、未熟な者には「褒める教育」に限ると。  とりわけ、凶暴で非行に走る傾向のある相手に対しては、文殊菩薩がしたように、その人の持つ良い個性を認め、理解してあげることが第一の要件だと思います。どんなワルでも、心の隅には自分の悪行を「よくないなあ」と考える気持ちが潜在しているのですが、世間が「悪い奴」と決めつけ、冷たくするために意地になって悪行を重ねるわけです。  だから、自分のある一点でも褒めてくれる人があれば、無性に喜び、人間がガラリと変わることが多いのです。凶暴な人間は、わるく言えば単純で幼稚だし、よく言えば純粋なところがあるからです。  一般の人びとにしても、褒められて悪い気持ちのする人はありません。ただし、おべっかやへつらいは別です。ほんとうにその人を理解して褒めれば、理解されることは人間にとって無条件の喜びですから、心がホドけてくること必定です。  道元禅師が「愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」と喝破されたとおりなのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば43

汝もし念ずることあたわずば、まさに無量寿仏と称すべし (仏説観無量寿経)

1 ...経典のことば(43) 立正佼成会会長 庭野日敬 汝もし念ずることあたわずば、まさに無量寿仏と称すべし (仏説観無量寿経) どんな人でも救われる  観無量寿経には、仏・菩薩や浄土を観想し憶念する功徳と、経題や仏・菩薩の名を聞く功徳と、仏号を称(とな)える功徳とが述べられています。  観想というのは、仏・菩薩や浄土があたかも眼前にあるかのように思い浮かべることです。憶念というのは、深く思いこみ、いつでも、そしていつまでも忘れないことを言います。聞く功徳というのは、仏・菩薩の説法の声をまざまざと聞くことで、一種の天啓をいうのです。  こういうことは、よほど前世によい業を積んだ人か、現世においても修行に修行を重ねた、いわゆる上根上機の人でないと可能なことではありません。ましてや、生計のための仕事に追われ、また合理思想のみに執らわれている現代人にとっては、まことに至難のわざと言うべきでしょう。  しかし、どんな人でも、ただ無量寿仏の名を称えさえすれば極楽往生ができる……というのが、このことばの意味です。  無量寿仏とは、このお経の中では阿弥陀如来を指しておられますが、その名からもハッキリ読み取れるように、もともとは法華経の寿量品に説かれる久遠実成の本仏と同一体なのです。ですから、われわれ法華経の信奉者にとっては、「汝もし念ずることあたわずば、まさに南無久遠実成の本仏と称すべし」と受け取っても、少しも差しつかえありません。 ことばには霊力がある  さて、名を称えさえすればいいのだ……というのは、たいへん安易な教えのようですけれども、決してそうではありません。称えること、呼びかけることは、実に重大なことなのです。というのは、ことばには霊力があるからです。  日本の神道でも言霊(ことだま)ということを重んじます。キリスト教でも、「はじめにことばあり、ことばは神と共にあり、ことばは神なりき」(ヨハネ伝一・一)と言っています。  法華経の中にも、普門品には「声を発して南無観世音菩薩と言わん。其の名を称するが故に即ち解脱することを得ん」をはじめ、その名を称えれば救われるということが繰り返し繰り返し説かれています。  標記のことばにいちばん近いのは、方便品の「若し人散乱の心に 塔廟の中に入って 一たび南無仏と称せし 皆巳に仏道を成じき」という一句です。散乱の心でもいいというのです。カラ念仏でもいいというのです。とにかく称えることだというのです。というのは、たとえ散乱の心で称えたのでも、カラ念仏でも、称えたこと自体が発心の種子になるからです。あるいは発芽になるからです。これがことばの持つ霊力です。「はじめにことばあり、ことばは神なりき」なのです。  もちろん、われわれ信仰者は、教義を学び、仏を信じ、法に帰依し、僧伽を重んじ、教えの通り行じていかねばなりません。そうすることによって、われわれが称える「南無妙法蓮華経」の霊力はますます増大し、諸仏・諸菩薩・諸天善神と感応道交(かんのうどうきょう)するようになるのです。  しかし、それにしても、日常の仕事に追われて心が散乱し、仏さまを念ずることを忘れているとき、フト思い出しては無心に「南無妙法蓮華経」と称えること、それがどんなに大事であるか……標記のことばは、そういった意味でまことに有り難い教えだと思います。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば44

我身命(しんみょう)を愛せず 但(ただ)無上道を惜しむ (法華経・勧持品

1 ...経典のことば(44) 立正佼成会会長 庭野日敬 我身命(しんみょう)を愛せず 但(ただ)無上道を惜しむ (法華経・勧持品) 現代にもこんな人が  法華経を行ずる者の気魄を一気に吐露した、すさまじいばかりの名句です。日蓮聖人がこれを一生の箴言(しんげん)とされたことは有名です。  意味はいまさら説明するまでもありませんが、現代語に訳しますと「わたくしどもは、命など惜しいとは思いません。ただ仏さまのお説きになったこの無上の教えに触れない人が一人でもいることが何より惜しいのでございます」ということです。  利己と自愛ばかりがまかり通っている今の世の中にはなかなかお目にかかれない精神のようですが、そうではありません。本会の会員にはこのような人がたくさんおられるのです。その一例を紹介しましょう。  アフリカのスーダン東部の国境地帯に、飢えと戦火から逃れてきたエチオピア難民のキャンプがあり、そこに医療援助として本会から佼成病院の岩田好文医師と山下方子・池田友子・小柳昌代の三人の看護婦が派遣されました。熱帯の奥地という最悪条件下に活動しておられるその方々の様子を聞きますと、まさしく「不惜身命」の典型なのです。  岩田医師は、日本では見られない病気が次々と発生するので、昼間の診療に疲れた身にムチ打って、夜の十時ごろまで研究に打ち込んでおられるそうです。看護婦さんの苦労もそれに劣るものではありません。  ある日「赤ん坊を助けて」という連絡が入り、駆けつけてみると、明らかにコレラの症状。小柳看護婦がすぐその子を抱き取り、岩田医師が診察しました。その最中、子供が下痢し、看護婦の着衣にベットリかかった。その汚れを気にもせず、便の色を見た看護婦は「この色なら大丈夫よ」と叫んだ。その瞬間の小柳さんは、まさに天使そのものだったでしょう。 人のために捧げる命なら  また、ある日、病魔に侵された十二、三歳の男の子が、突如、山下看護婦にむしゃぶりついてきた。まわりの人たちが、危険だからとその子を引き離そうとした。だが、山下看護婦は、肩や腕をひっかかれながらも、「いいのよ、この子は寂しいのよ」と言って、じっと抱きかかえていた。すると男の子は、安心したように彼女の腕の中で静かになった。これまた天使の姿ではないでしょうか。  雨期になってものすごい雨が降り、地面に柱を立て、ワラで屋根を葺いたばかりの病棟のベッドの下は泥水だらけになる。さらに、流れ込む泥水には大小便も混じり、その中にはたくさんの病菌が入り込み、衛生状態を極度に低下させる。そこで、雨がやむと、看護婦とスタッフたちは泥をかき出す作業をするのだが、靴をはいていると泥の中にめり込んで靴が脱げてしまうので、みんな素足になってやった。もし足に小さな傷でもあれば、そこから病菌が侵入してくることは必至だ。それでも、病棟を少しでも清潔にするために、彼女らはそんなことなど構っていなかった。  あとで、そのことが批判されたとき、彼女らはこう言ったそうです。  「わたしたちがここへ来たのは、一人でも多くの人の命をお救いするためです。そのためにわたしたちの命が使われるのなら、これ以上の喜びはありません」と。  この報告を聞いて、わたしたちはただただ頭が下がりました。今の世にも「我身命を愛せず」の気魄に満ちた人はいるのです。それを思えば、法華経の行者であるかぎり、のうのうと暮らしてばかりいられないのではないでしょうか。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば45

一にはその意を制す。二にはもろもろの悪事の心中に入るを許さず。三には心中に悪事あらば即ち之を出して諸善を求む。四には心中に善あらば制持して放たざるなり。 (那先比丘経 巻上)

1 ...経典のことば(45) 立正佼成会会長 庭野日敬 一にはその意を制す。二にはもろもろの悪事の心中に入るを許さず。三には心中に悪事あらば即ち之を出して諸善を求む。四には心中に善あらば制持して放たざるなり。 (那先比丘経 巻上) 自己制御の忘失で破滅へ  お釈迦さまは自己制御ということを繰り返し繰り返し説かれました。法句経一〇三にも「千度戦場に出て千度敵に勝つよりも、ひとり己れに勝つものが最上の勇者である」と説かれ、スッタニパータ二一六にも「自己を制して悪をなさず、若きにおいても中年においても、聖者は自己を制す」とおっしゃっておられます。  最近の世相をつくづく眺めてみますと、この自己制御ということがまったく忘れられ、その害が地球上の至るところに噴き出していることに大きな危惧と恐怖を覚えざるをえません。いちばん恐ろしいのは「人を傷つけ殺すこと」に対する抑制が急速に失われつつあることです。  世界各地に頻発する爆弾テロ、それも不特定多数の市民を殺傷してはばからないのですから、背筋が寒くなります。  大人の世界がそうなら、子供たちも自己制御の教えやしつけを家庭や学校が怠っているせいでしょうか、最近いじめ行為が非常に悪質化し、また、公園に寝ていた気の毒な老人を殴り殺すという前代未聞の不祥事まで起こしています。  こういった傾向がしだいに一般化し、エスカレートしていくとすれば、人類は今後どんな道をたどるのであろうかと、胸が痛くなる思いがします。 心を操作する四つの道  こうした不幸な結果を防ぎ止める道は、やはりわれわれ個人個人が日常の生き方において、欲望をほどほどに制御することから始めるほかはないと思われます。ひとりひとりのそうした心がけが、積もり積もって社会的なひろがりを持つようになるからです。  那先比丘(第13回参照)がミリンダ王の問いに答えたこの四個条はお釈迦さまの自己制御の教えを敷衍(ふえん)したものでしょうが、まことに要を尽くしていると思われます。  「一にはその意を制す」。どこまでも突っ走ろうとするわがまま心を、自らほどほどに抑制しなさい――ということです。  「二にはもろもろの悪事の心中に入るを許さず」。とりわけ情報過多時代の今日、よくよく心しなければならない大事です。  新聞・週刊誌・テレビなどを通じて、さまざまな悪が毎日いやおうなしに耳目に入ってきます。人間の心はとかく外部の動きに引きずられやすいもので、いわゆる「流行」がそうした心理によって生まれることはご承知のとおりです。  とくに自己を確立していない人ほど外部の情報や流行に無抵抗で、近頃のいじめ行為の続発も、一つには情報が作った一種の流行心理によるものとも見られているのです。  仏教にはさまざまな意義と目的がありますけれども、その最も基本的な眼目は、「真理にもとづいてしっかりした自己を確立する」というところにあることを、このへんでもう一度見直してみたいものです。  「三には心中に悪事あらば即ち之を出して……」。これはとりもなおさず「懺悔」ということです。懺悔よりほかに心中の悪を追い出す方法はありません。  「四には心中に善あらば制持して放たざるなり」。梵語ではこれをダーラニー(陀羅尼)といい、漢訳して「能持」といいます。積極的に人間性を向上させる大道です。  自己制御をこのように分析・解明したのは那先比丘の大きな功績です。とくに二十世紀末のわれわれは、今日的な喫緊(きっきん)事としてこの四個条をよくよく噛みしめてみるべきでありましょう。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば46

善い努力は事の起こる前になすことである。後からなしてもその人を益することがない。 (那先比丘経 巻中)

1 ...経典のことば(46) 立正佼成会会長 庭野日敬 善い努力は事の起こる前になすことである。後からなしてもその人を益することがない。 (那先比丘経 巻中) 渇いてから井戸を掘っても  ミリンダ王が那先比丘に尋ねました。  「善い行いは、それを必要とする事が起こる前になすべきであろうか。事が起こってからなすべきであろうか」  それに対して那先比丘は問い返しました。  「王よ。ノドが渇いたからといって、それから井戸を掘り始めても、渇きを癒すことができますか」  「それでは間に合わぬ。前もって井戸を掘っておかねばならない」  「そうでしょう。もう一つ聞きますが、王はお腹がすいたとき、それから人民たちに土地を耕させ、穀物の種を播かせ、それが実ってから食べますか」  「もちろん、つねに時期々々に種を播き、収穫しておかねばならない」  「そうでしょう。ですから、善い行いは事の起こる前にしなければなりません。事が起こった後からしたのでは、その人を益することはないのです」  このやりとりから判断しますと、この善い行いというのは、善い努力、正しい努力という意味でしょう。困っている人を助けるというような善行なら、事が起こってからなすのが普通ですから。 事前の努力は地味だが  野球の名野手は、味方のピッチャーの投げる球と、相手のバッターの打球のクセをあらかじめ察知して守備位置を変えます。ですから、平凡なプレーヤーならヒットにしてしまう打球をも難なく処理します。  ラグビーのフォワードの名選手は、どんな混戦の中でも必ずボールの近くにいるそうです。つねに忠実にボールを追っているからです。ですから、チャンスがあれば鮮やかなトライに結びつけますし、また攻められてもボールを持った相手を確実にタックルします。  これらは一見地味なようですけれども、こうしたプレーこそが味方を勝利に導くのです。  人生行路もやはり同じだと思います。異変が起こってからあわてふためいたのでは、収拾は困難です。いつもから忠実にコツコツと努力を積み重ねておれば、自然にゆくての動向が見えてきますから、異変に対してもあらかじめそれを察知して身を処することができます。  また、すばらしいチャンスが訪れた場合にも、それをガッチリつかんでものにすることができます。平常の絶えざる努力が、目に見えぬ準備態勢をととのえているからです。  反対に、絶好のチャンスがやってきても、それをつかみ、その流れに乗るほどの力が蓄積されていなければ、せっかくの好機をみすみす逃がしてしまわなければなりません。  国家の運命についても、同じことが言えましょう。何よりも基礎固めが必要なのです。しっかりした基礎固めのできていない国家は、一時は好運に恵まれて繁栄しても、いつしか砂の城のように崩れ去ってしまうことは、歴史が証明しています。  では、国家の基礎固めは何かといえば、教育を第一に挙げるべきでしょう。次代を担う青少年を、正しい、心の豊かな、創造力に富んだ、そして真理に忠実な人間に育てていくことです。  これをおろそかにしたら、経済大国日本のゆくても安心してはおられません。異変はいつ起こるかわからないのです。  まことに那先比丘が言ったように「善い努力は事が起こる前になすことである」のです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば47

行道者は食を貪らず (修行道地経 巻三)

1 ...経典のことば(47) 立正佼成会会長 庭野日敬 行道者は食を貪らず (修行道地経 巻三) 賢い鳥の話  お釈迦さまが舎衛国の祇園精舎で多くの人びとを集めて説法されていた時のことです。  ある国の王は鳥の肉が好きでした。それで家来たちに狩猟をさせて、いろいろな鳥を捕らえさせました。  捕らえた鳥はまず羽を切り、カゴの中に入れ、おいしいエサをたくさん与えて肥らせました。そして、いちばんよく肥った鳥から順々に調理の係へ回し、王の食膳に供していました。  鳥たちの中に頭のすぐれたものがいて、こう考えたのです。  ――肥った鳥は先に殺される。自分も、エサがおいしいからといってむやみに食べておれば肥ってしまい、そして殺されてしまう。かといって、食べずにおれば餓死してしまう。では、どうすればいいのか。食を節して、肥り過ぎもせず、痩せもせず、中道を守っていくならば、身体の元気さは変わりはないし、身が引き締まってきて立居振舞(たちいふるまい)が軽快になってくるはずだ。そのうちに切られてしまった羽もだんだん伸びて、飛べるようになるだろう――  こう考え、そのとおりを実行し、何カ月の後に係の者の隙を見て空中へ飛び出し、自由自在の身になりました。 軍事的に肥ってはならぬ  これはもちろん譬え話です。修行者の「食」の心得を説かれた教えです。このあとの本文に「適度に食事を取れば淫(いん)・怒(ぬ)・痴(ち)が薄くなる」と説かれています。  現代のわれわれにとっては、このような譬え話を個人の問題としてばかりでなく、社会的に、国家的に、さらに全人類的におし広げて考えるべきだと思うのです。  すぐに連想されるのは軍備の問題です。大正から昭和にかけて、日本は軍事大国への道を歩みつづけました。そして肥った鳥になりました。そうすると必然的に淫・怒・痴が盛んに生じ、中国を侵略し、満州国を起こし、ますます肥ろうとしました。  そうなると、世界は黙視しません。ABCD(Aはアメリカ、Bは英連邦、Cは中国、Dは蘭領印度=いまのインドネシア等)包囲陣という経済的制裁の鳥カゴが周りにつくられ、日本は主として石油について身動きならなくなりました。そこで苦しまぎれに起こしたのが太平洋戦争です。  その結果はどうなったか。日本は餓死寸前の状態になりました。しかし、弱りきったために鳥カゴの戸口が開かれ、どうやら自由が得られましたので日本は懸命になって身体の回復に努力しました。もともとは賢い鳥だったので、みるみる健康体となり、世界が驚くほどの経済大国になったのはご存じのとおりです。  ところが、最近になって、またまた空気が怪しくなってきました。軍備の食事を増やそうとしています。それがいかに愚かな所業であるかは、過去の経験によって明らかなはずです。しかも、今は核という絶対的な鳥カゴが取り囲んでいるのです。肥れば肥るほど危うくなります。  日本人は、この譬えにあるように真の意味で頭のいい鳥にならなくてはなりません。肥り過ぎもせず、痩せもせず、すべてに中道を守っていくべきでしょう。そうすれば、近隣の国から憎まれることもなく、進退が身軽になり、どんな変化にも適応していけるようになりましょう。それが国家としてのほんとうの自由自在だと思うのです。  国民の一人一人がこのような考えを持ち、それを強調していけば、国もそれに従わざるをえないでしょう。くれぐれも、再び肥った鳥にはならないことです。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば48

世はみな無常にして会わば必ず離るることあり。憂を懐(いだ)くことなかれ。世相是の如し。当に勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明を以て諸の痴闇を滅すべし。 (仏垂般涅槃略説教誡経)

1 ...経典のことば(48) 立正佼成会会長 庭野日敬 世はみな無常にして会わば必ず離るることあり。憂を懐(いだ)くことなかれ。世相是の如し。当に勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明を以て諸の痴闇を滅すべし。 (仏垂般涅槃略説教誡経) 砂の城で遊ぶ人間  この経はお釈迦さまがご入滅を前にしてお弟子たちに最後の戒めを垂れ給うた、いわば遺言のような経だといわれています。  このお言葉の前半には、「わたしの入滅を歎くことはない」という弟子たちへの思いやりがこめられていますが、それよりも、「諸行無常という真理をこの際しっかり考え直せ」と、あらためて強く諭されていることのほうを重視すべきだと思います。  その証拠には、このあとにも「世は実に危脆(きぜい=危なくてもろい)にして牢強なるものなし」とも、「この三界は敗壊(はいえ=やぶれくずれる)不安の相なり」ともおっしゃっておられます。  われわれは、こうした危なくて、もろくて、くずれやすい世に住んでいながら、それを忘れて、ただ目前の損得ばかりに心を奪われて暮らしているのではないでしょうか。  ≪修行道地経≫というお経にこんなことが説かれています。  川原で子供たちが砂で家や城をつくって遊んでいた。「これはおれの家だ」「これはおれの城だ」と喜んでいるうちはよかったが、その中の一人が、過って他の子のつくった城をこわしてしまった。  こわされた子供は怒って、その子の髪の毛をひっつかんでなぐりつけた。そして、「みんな来い。こいつがおれの城をこわしたんだ。みんなでひどい目に遭わせてやろう」と言うと、ほかの子供たちも集まってきて、打ったり蹴ったりした。その上、「さあ、この城を元どおりにして返せ」と責めたてた。  そのうち日が暮れかかった。あたりが薄暗くなってきた。子供たちは、ふとわが家を思い出した。父母のいるわが家が恋しくなって、つくった砂の家も、こわされた砂の城もそのままにして、振り返りもせず、ちりぢりに帰って行った。 真のわが家へ帰る  この話を読むと、もろくて頼りのないもののためにあくせくしている人間の生きざまが、つくづくと空しくなります。とくに、大宇宙から眺めれば砂の一粒にも足りない小さな地球の上で、国と国とがいろいろと文句をつけて争い合っているのがどんなにバカバカしいことかと、思わず歎声を発せざるをえません。  ですから、日暮れどきに子供たちが砂の家や城をそのままにして家路を急いだように、われわれもほんとうのわが家に帰らなければなりますまい。それは、言うまでもなく、「心の家」です。「真理の世界」です。  標記のことばの後半は、このことを教えられているのだと思います。「当に勤めて精進して早く解脱を求め」とは、そのことなのです。  日本人の半分以上が、現在の生活に満足しているといいます。それは、じつは砂の家の暮らしに満足しているのです。砂の家はいつ崩れるかわかりません。それに対して、もし仏の家に入って真理の世界に住するならば、そこは決して崩れることはありませんから、いつも大安心の境地にいることができるわけです。  しかし、それで満足してはならないのであって、「智慧の明を以て諸(もろもろ)の痴闇(おろかな暗の世界)を滅し」なければ、ほんとうの信仰者とはいえません。多くの国々が砂の城をつくり、その城を壊したのなんのと愚かな争いをくりかえしているのが現状です。その痴闇を滅するのがわれわれ仏教徒の大使命であり、お釈迦さまの遺言の究極はそこにあるのではないでしょうか。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば49

仏世尊は種種の因縁もて殺生を呵責(かしゃく)したまい、離殺を賛歎したもう。乃至蛾子(ぎし)をも尚ことさらに奪命すべからず。いかに況んや人をや。 (十誦律巻四十五)

1 ...経典のことば(49) 立正佼成会会長 庭野日敬 仏世尊は種種の因縁もて殺生を呵責(かしゃく)したまい、離殺を賛歎したもう。乃至蛾子(ぎし)をも尚ことさらに奪命すべからず。いかに況んや人をや。 (十誦律巻四十五) ことさらに殺生するな  お釈迦さまが何よりも殺生を戒められたことは今さらいうまでもありません。在家の信仰者に与えられた五戒も、まず不殺生戒から始まっています。  ですから、標記のことばであらためて注目すべきは、「蟻ですらことさらに殺してはならない」ということでしょう。  この世のあらゆる生物は、存在する必要があればこそ存在しているのだというのが根本条理です。個々の生物と周囲の生物との関係を狭い眼で見れば、たとえば小鳥が昆虫を捕らえて食うのは残酷なようですけれども、もし小鳥という天敵がいなければ昆虫の数は爆発的に増え、地球上の植物という植物を食い尽くして自らも全滅しなければならないという具合に、大きな眼で見れば、生物全体が食いつ食われつしておのずからなる調和を保っているのです。  ですから、仏眼(ぶつげん)という広大な眼で一切衆生を眺めておられたお釈迦さまは、殺生についても極端なことはおっしゃらなかったのです。魚や肉類を食べることも禁じてはおられませんでした。ただここにあるようにことさらに必要もないのに殺生するのは、相手が蟻のような微小な生きものであろうともよくないのだ……と戒められたのです。 微生物の不殺生をも  ところが現代の人間は、ことさらにさまざまな生物を殺しています。狩猟シーズンともなれば、野山の鳥や獣をたんなる楽しみのために殺しています。また、らくらくと登山をして観光を楽しむために、山を崩し、木を切り倒して自動車道路を造っています。  それがどれぐらい多くの生きものを殺生し、生態系のバランスを崩す行為であるか……それを承知しながらも、人間のわがままと貪欲から、あえてそうした殺生をやめないのです。  いちばん恐ろしいのは、この世でいちばん微小な生きものであるバクテリアの殺生ではないでしょうか。バクテリアはとくに土壌の中にたくさん棲息し、ふつうの畑の中には一立方メートル当たり、じつに百五十グラムいるのだそうです。百五十グラムといえば、封筒いっぱいの量でしょう。  そうしたバクテリアは、枯れた植物や動物の死骸を分解して栄養分の多い土に還元してくれているのであって、もしそのはたらきがなければ、地球上は動植物の死骸に覆われ、とても人間が住める世界ではなくなるでしょう。  ところが現代の人間は、農薬をはじめとする化学製品によって、こうしたバクテリアを大いに殺生しつつあるのです。家庭から出る生ゴミもすべて焼却します。土に戻してバクテリアを育てることをしません。だから、世界中の農地が痩せていく一方なのです。  これらはすべて、物を大量に生産し、大量に消費し、飽満的に、そしてらくらくと暮らそうとする人間の貪欲とわがままから起こったことで、このままでは、たとえ核戦争がなくても、案外早く人類は滅びに至るだろうと説く学者たちさえいるぐらいです。  このへんで人間は、もう一度お釈迦さまがお説きになった「大調和」の世界観に立ちもどり、不殺生戒のほんとうの意味を再吟味し、それをなるべく早く実行に移さなければなりますまい。そうでないと、自分で自分の首を絞めることになりかねないのです。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば50

我未だ道を得ざる時、功徳なき時には、諸の衆生等我と共に語らず、況や復た供養せんや。是の故に当に知るべし、功徳を供養して我を供養せざるを。 (大荘厳経論 巻十五)

1 ...経典のことば(50) 立正佼成会会長 庭野日敬 我未だ道を得ざる時、功徳なき時には、諸の衆生等我と共に語らず、況や復た供養せんや。是の故に当に知るべし、功徳を供養して我を供養せざるを。 (大荘厳経論 巻十五) らくだに積まれた財宝を  このお言葉の前に、次のような話が説かれています。  タクシャシーラ国のハクロウラという村にショウカバッダという人が住んでいた。先代までは大長者であったが、今はおちぶれて貧窮のどん底にあった。親族も、友人たちも、一人としてつきあってくれる者はなく、みんな軽蔑の目で見るばかりであった。  彼は村にいたたまれなくなり、よりよい人生を求めて旅に出た。そして大秦国(中国)に行き、そこで大成功を収め、巨万の富を得た。そして年老いてから故郷に帰ってきた。  これを聞いた親族や友人たちは、手のひらを返すような態度で、山海の珍味を用意し、香をたき、音楽を奏して、途中まで出迎えた。  ショウカバッダはわざと粗末な服を着、大勢のお供に混じって行列のいちばん前を歩いていた。故郷を後にしてから数十年たっていたので、その顔を見覚えている者はない。それで、本人とはつゆ知らず、  「あの……ショウカバッダさんはどこにおられますか」  と尋ねた。彼は、  「後ろのほうから来られます」  と答えて行き過ぎてしまった。  いくら待ってもそれらしい人がいないので、行列の後ろの人に聞いた。  「ショウカバッダさんは、どのお方ですか」  「いちばん前に歩いておられましたよ」  それを聞いてみんなが前へ駆けて行き、ようやく本人をみつけて、  「わたくしどもがわざわざ出迎えたのに隠れておられるとは、どういうわけですか」  と聞くと、こう答えるのだった。  「あなた方が会いたいと思われるショウカバッダは、あのらくだの背に積んである財宝でしょう。わたし自身ではないでしょう」 仏教の信仰は「法」の信仰  そこで標記のことばが生きてくるのです。  仏さまを賛え、仏さまを供養申し上げるのは、その悟られた真理を賛え、その真理をわれわれに説いてくださったことに感謝して供養申し上げるのです。それに加えて、悟りを開かれるまでの骨身を削るようなご努力を礼拝し、絶大な感謝をささげるべきでありましょう。  そのことは無量義経の徳行品の最後の偈にはっきりと述べられています。  「あまねく一切のもろもろの道法を学して、智慧深く衆生の根に入りたまえり、このゆえにいま自在の力を得て、法に於て自在にして法王となりたまえり。われまたことごとく共に稽首(けいしゅ)して、よくもろもろの勤め難きを勤めたまえるに帰依したてまつる」  われわれは、ともすれば、与えられる功徳のみを有り難く思い、その功徳のみに感謝しがちです。功徳を有り難く思うのも人情の常であって、あながち否定し去ることはありますまい。しかし、それのみに片寄り、そのためにのみ信仰するようになれば、信仰の本筋から外れてしまいます。なぜならば、そんな人は、功徳が現れないとさっさと信仰を捨ててしまうからです。  仏法の信仰は、あくまでも説かれた法に対する信仰でなくてはなりません。らくだの背に積まれた財宝を拝むようなのは邪道であると知るべきでしょう。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば51

倶会一処(くえいっしょ) (仏説阿弥陀経)

1 ...経典のことば(51) 立正佼成会会長 庭野日敬 倶会一処(くえいっしょ) (仏説阿弥陀経) 共に極楽に生まれたい  阿弥陀経は、お釈迦さまが舎利弗に語りかける形で極楽浄土のありさまをお説きになった短いお経ですが、その中で現実世界に生きているわれわれに、しみじみした深い情感を覚えしめずにはおかないのが標記のことばです。  前後の経文を読みくだしにするとこうなります。  「まさに発願して彼の国に生ぜんと願ずべし。ゆえはいかに、かくのごとき上善人と倶(とも)に一処に会(え)することを得ればなり。舎利弗、少善根福徳の因縁を以ては彼の国に生ずることを得べからず」  純粋な心で、悟りの世界である極楽浄土に生まれたいと願う者は、必ずその世界に住む「悟りを得た人たち」と一つの場所に住むことができるであろう……というのです。  わたしは、この「倶会一処」の場は、いわゆる極楽浄土のみでなく、人間対人間のほんとうの魂の結びつきのある所がすべてそれであると思われてならないのです。それも、一人対一人の結びつきから展開されていくものと思うのです。 一対一の人間関係から  慶應義塾大学の名塾長であった小泉信三博士は、「今度また人間に生まれ変わることがあったら、やはり現在世の妻と夫婦になりたい」と書いておられます。まことに「倶会一処」の典型と言えましょう。  親鸞上人は「たとい法然上人にだまされて、念仏して地獄におちるようなことがあっても、けっして後悔しない」と言っておられます。  日蓮聖人も、竜の口の法難に際して殉死しようとしたまな弟子の四条金吾に対する手紙に「もしそなたの罪が深くて地獄に行くようなことがあったら、たといこの日蓮を仏になるよう釈迦牟尼仏がどんなにお誘いになっても、それには随いますまい。そなたと同じく地獄に行きましょう」と言っておられます。  まことに人間対人間の、これ以上はないともいうべき深い信頼関係であり、「倶会一処」の極致であると言えましょう。こうなると、もはや地獄も極楽もありません。いや、そうした魂の美しい結びつきの世界こそが極楽だと言ってもいいでしょう。 人類全体が倶会一処に  われわれ立正佼成会の会員は、こうした美しい人間関係が、できうる限り多くの人と人との間に結ばれることを願うものです。  その原点ともいうべきものがわれわれの法座です。まず、そこに「倶会一処」の精神が生かされているのです。  「わたしも救われたい。あなたも救われてほしい。みんな一緒に救われましょう」……そうした純粋な思いが溶け合って、暖かい気流がそこにいきいきと流れ満ちるとき、必ずその願いは成就するのです。  なぜならば、そういった心境にある人間はすべて、標記のことばにある「上善人」にほかならないからです。  そうした「倶会一処」の輪をしだいに広げて日本国全体に及ぼし、さらに地球上全体をそうした浄土にしようというのが、法華経に説かれる「通一国土」の理想であって、われわれ法華経行者はそのために身命(しんみょう)を惜しまぬ努力を続けているわけであります。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば52

他に隷属(れいぞく)するはすべて苦なり。自在の主権は楽し。 (小部経典・譬喩経)

1 ...経典のことば(52) 立正佼成会会長 庭野日敬 他に隷属(れいぞく)するはすべて苦なり。自在の主権は楽し。 (小部経典・譬喩経) 真の自分の確認  近ごろ、新聞雑誌などでアイデンティティーという言葉がやたらと目につきますので、調べてみましたところ、「自分が自分であることの確信」ということで、つまるところは「真の自己」の発見とか「主体性」の確立とかいうことだそうです。  「なあんだ……」と思いました。アメリカの心理学者が十五年ぐらい前から言い始めたとかいうことを、何か新しい思想のように英語そのままで表現しなくても、お釈迦さまが二千五百年前にちゃんとおっしゃっているではないか……と思いました。  こういうところが、現代の日本人に「自分が自分であることの確信」がないことの表明ではないでしょうか。  日本には世界に誇るべき文化があります。太古からの神ながらの道に儒教と仏教の思想を溶け合わせ、千数百年の間、じっくりと醸(かも)し続けてきた、独特の精神があります。  川端康成さんがノーベル賞受賞の記念講演で『美しい日本の私』という題で話されたように、四季に移り変わる美しい自然といま言ったような精神が融合した「日本のこころ」というものがあります。あの講演で川端さんは、  春は花夏ほととぎす秋は月  冬雪さえて冷(すず)しかりけり という道元禅師の歌と、  雲を出でて我にともなふ冬の月  風や身にしむ雪や冷めたき という明恵上人の歌を引用して、「日本だけにあるもの」を世界の人びとに示しました。そして、「これらはつよく禅につながるものであります」という言葉で講演を結びました。 世界の日本人となるために  さて、標記のお釈迦さまのことばの意味は、「一方的に他に従うのは苦である。自分自身に主体性を持てば心は自由自在で楽しい」ということになりましょう。この前半の「他に隷属するはすべて苦なり」というのはたいへん深いところをえぐったことばだと思います。表面的には、易々として他に従っていたほうが気が楽なように考えられますが、じつはそうではないのであって、心の深層には、真の自己が確立していないことの苦がわだかまるのだ……という意味でありましょう。  この「真の自己」というのは、けっして「我(が)」ではありません。主体性を持てというのも、「我」を張り通せということではありません。そこのところを誤解しないようにして頂きたいものです。  法華経の薬草諭品にありますように、すべての草木は仏(宇宙の大生命)の恵みを受けて育つもので本質的には等しい存在ですが、その現れにおいては、あるいは亭々たる大木であり、あるいは楚々(そそ)たる草花であります。人間もそれと同様なのです。ですから、仏教で「真の自己を悟れ」と説くのは、その平等相の尊さと差別相の尊さの両方をしっかり自覚せよ、ということでありましょう。  このことは、個人の生きざまにおいても大切ですが、世界の中の日本人という視座から見ても非常に大事なことだと思うのです。日本人は「どの国の人も平等な人間仲間だ」という精神を持つと同時に、日本独特の文化を確保しそれに誇りを持たなければなりますまい。そうでなければ、世界の人びとに親しまれもせず、敬意も表されないでしょう。  標記のことばを、わたしはこのように拡大解釈したいのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば53

汝らもし勤め励むならば、事として難きものなし。小(わず)かな水も常に流るればよく石を穿(うが)つがごとし。 (仏垂般涅槃略説教誡経)

1 ...経典のことば(53) 立正佼成会会長 庭野日敬 汝らもし勤め励むならば、事として難きものなし。小(わず)かな水も常に流るればよく石を穿(うが)つがごとし。 (仏垂般涅槃略説教誡経) 普通人への救いの教え  むかしの家には雨樋(あまどい)のないものが多く、屋根から雨水が落ちる真下には、平たい切り石が並べて敷いてありました。  その敷き石を見ると、必ず大小の穴が点々として穿たれていました。それは雨のしずくが何十年という間につくったものなのです。  あの柔らかい、しかもごく小さい水のしずくが、硬い石の上に穴をあけるとは、ちょっと考えられないようなことでしょうが、それはまぎれもない事実です。今の若い人も、田舎の旧家などを訪ねれば、まさしく見ることができましょう。  その理由は、考えてみるとじつに簡単なことです。同じ個所に集中して、繰り返し繰り返し、雨垂れが落ちるからです。  仏道の修行にしても、実生活のあらゆる修業にしても、勉学や研究にしても、そのとおりなのです。たとえ人並みすぐれた才能がなくてもかまわない、心をそれに集中して、ほんの少しずつでも繰り返し繰り返し根気よく続けていけば、必ず志を達成することができる……そのことを教えられたのが標記のことばです。 自力・集中・反覆  こういう話を聞きました。  若いころから頭角をあらわした将棋九段の芹沢博文さんは、お手伝いさんが何人もいる裕福な家に生まれ、何不自由のない幼少年時代を過ごしました。  小さいとき将棋を習い、大人を負かすほどになったので、棋士となることを目指して中学一年のとき沼津から上京し、高柳八段の内弟子になりました。が、朝は五時半に起きて部屋や庭の掃除をしたり、将棋盤や駒を磨いたりの仕事、学校から帰ると使い走りやら何やらの雑用ばかりで、将棋はいっこうに教えてもらえません。  毎日の仕事の中でいちばん肝要なのは、いくつかの新聞に載っている将棋欄の記事を切り抜いて、スクラップ・ブックをつくることでした。一冊が出来上がると師匠のところへ持っていくのですが、一日分が抜けていたり、順序が逆になっていたりすると、目の玉が飛び出るほど叱られるのでした。  ところがある日、師匠が庭でたき火をしているのを見ると、毎日コツコツとつくったスクラップ・ブックをつぎつぎに燃やしているではありませんか。少年は、腹が立つやら悲しいやらで、その場から沼津へ帰ろうか……と思いました。しかし、なんとか考え直して、師匠のもとに留まったのです。  その辛抱が幸いして、ついに今日の大成を見たわけですが、あとでよくよく思い出してみると、スクラップ・ブックは師匠には用のないもので、内弟子の少年が切り抜きをしながら将棋欄を読んで、一心に将棋のことを考え、自力でその秘奥をつかみとるように……という師匠の心遣いだったのです。  わたしはこの話を聞いて、これこそ「小水よく石を穿つ」の神髄だなぁと感じ入りました。毎日の将棋欄の棋譜を全部記憶していたわけではありますまい。しかし、表面の意識では忘れても、潜在意識にはちゃんと刻みつけられているのです。それがしだいに積み重なってこそ、名人上手といわれるようになるのです。  楽をして、インスタントに、人から教えられて覚えたことには、そうした積み重ねがありません。「自力で」「集中して」「繰り返す」……この三つが揃ってこそ何事も大成するのです。よろずのことが手軽になってしまった今日、大いに考え直すべきことだと思います。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば54

己れに勝る有るを見るも嫉妬を生ぜず。己れ他に勝るを見るも驕慢を生ぜず。 (優婆塞戒経巻三)

1 ...経典のことば(54) 立正佼成会会長 庭野日敬 己れに勝る有るを見るも嫉妬を生ぜず。己れ他に勝るを見るも憍慢を生ぜず。 (優婆塞戒経巻三) 嫉妬にはプラスがない  優婆塞(うばそく=在家の男子修行者)に対する戒めは、「殺生をするな」「盗みをするな」「嘘をつくな」「よこしまな性行為をするな」「酒を飲むな」の五戒が基本となっています。しかし、もしお釈迦さまが二十世紀の現在に生きていらっしゃったら、「酒を飲むな」の代わりに「嫉妬をするな」をお入れになったのではなかろうか……と推察されます。  それほど嫉妬を強くお戒めになっておられ、出曜経の中でも「嫉(ねた)みはまず己れを傷つけ、後に人を傷つける」と説かれ、また「その報いは天に向かって唾を吐くようなもので、それは自分の顔に降りかかってくるのである」ともお説きになっておられます。  才能とか、技術とか、地位とかが自分より優れた人を見て、「よし、あの人のようになろう」と発奮・努力するのは、もちろんいいことです。そうした前向きの姿勢に反して、羨(うらや)むとか嫉(ねた)むとかいう心作用にはただマイナスしかありません。  羨むというのはうらがやむことです。うらは「うら寂しい」などというように「心」のことで、やむは「病む」です。つまり、羨望することは自分の心が病むばかりで、いささかのプラスもないのです。  ねたむの語源は、むねいたむ(胸痛む)とも、ねいたむ(根痛む)ともいわれ、これまた、そのまま、自分の心を傷つけるものなのです。  ですから、自分の力ではどうにもならぬ他人の属性や境遇、例えば生まれつきの美貌とか、富豪の家に育ったとか、自然に持っているスター性等々に対しては、「あの人にはあの人の世界があり、自分には自分の世界がある」とあっさり割り切ることが大事だと思うのです。人間としての本質は自他すこしも変わりはなく、違っているのは現象の上ばかりに過ぎないのですから。 不嫉妬と不憍慢は相通ず  松下幸之助さんの言葉に「他人は自分より偉いのだと考えるほうが得(とく)だ」というのがあります。松下さんは、生家の事情で小学校を中途退学したので、成人してからも他人がみんな自分より偉く見え、どんな人の話にも素直に耳を傾ける習慣が身についたのだそうです。  そうした習性によって他人から吸収できたものは測りしれぬほど大きく、そのおかげで今日の大を成されたのだそうです。経営の神さまとまでいわれる今でも、人の意見を聞いて学ぶ姿勢は変わらず、すなわち憍慢なところが少しもないと聞いています。  つまり、少年時代から自分に勝る人を嫉む心がなく、素直な、へり下った心を持っておられたからこそ、今日のような大御所的存在になっても憍慢の気持ちが起こらないのでありましょう。  結局、不嫉妬と不憍慢は表裏一体をなす心の姿勢であり、どちらが卵でどちらが鶏ともいえない関係にあると思います。  最近の世相を眺めてみますと、どの階層にも嫉妬のドス黒い影が渦巻いています。子供の世界にもそれがあって、最近、中学二年生の十一人の女生徒が、転校してきた子が男子生徒に人気があるというので殴る蹴るの暴行を加えたことが報道されました。恐ろしいことです。  嫉みは己れと人とを傷つける不毛の心作用です。憍慢はその裏返しで、これまた己れの人格を低下させ、人の心をかき乱すものです。たいていのことにはプラス面とマイナス面があるものですが、嫉妬と憍慢にはただマイナスしかない!……このことをよくよく胸に刻んでおきたいものです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば55

まさに水上の泡を観ずべし。 (出曜経第二十四)

1 ...経典のことば(55) 立正佼成会会長 庭野日敬 まさに水上の泡を観ずべし。 (出曜経第二十四) 水の泡で冠を作る  このことばを冒頭に掲げられたお釈迦さまは、次のような物語をなさいました。  ある国王に幼い娘があった。あるとき大雨が降って王宮の庭の池に無数の泡ができた。雨上がりの太陽がその泡をさまざまな色にきらめかせ、たいへん美しかった。幼い娘はそれを見て、父の王に、  「あの泡でわたしの冠(かんむり)を作って……」  と言い出した。王は-水の泡で冠など作れはしないよ-と言い聞かせるのだが、子供はダダをこねて承知しない。  もしかすると……と思った王は、町の金銀細工師たちを呼び集めて、あの泡で冠を作れと命令したが、みんな頭をかかえたり、うすら笑いを浮かべるばかりである。そのとき一人の老細工師が進み出て申し上げた。  「もし王女さまが、気に入った泡を取り上げてわたくしに渡してくださいますなら、冠を作って差し上げましょう」  そこで王女は池のみぎわにしゃがんで泡を取ろうとしたが、もちろん手を触れるとたんに消えていくばかりだ。王女はやっと自分の望みがむなしいものであることを知り、「お父さま。やはりわたくしには黄金の冠を作ってください」とお願いしたのであった。  この話をなさったお釈迦さまは、-水の泡が人目には美しく見えるように、この世の物質的な栄えもそのとおりである。人びとはその外見に目をくらまされて、むやみやたらとそれを追い求め、ついには疲れ果てて死を迎えるのである-とお説きになりました。 「徳」こそ永遠のもの  このお経を読んでわたしは、その黄金の冠とは何だろうと考えてみました。空(くう)でないもの、実質のあるもの、いつまでも残るもの、となると、それは「徳」にほかならない……と思い当たったのです。  人間の歴史を振り返ってみますと「力」によってはなばなしい活躍をした人物は数々おります。アジア全土からヨーロッパまで席捲(せっけん)したジンギスカン、逆に西から東へと征服の旅を続けついにインドまで攻め入ったアレクサンドリア大王、そうした「力」で成し遂げた偉業の跡はいったい今どうなっているでしょう。まったく泡のように消え去っているではありませんか。  日本でいえば、戦国時代に全国統一を実現した奇略縦横の偉人秀吉も、死に際しては次のような歌を残しています。  「つゆとを(置)き つゆとき(消)へにし わがみかな なには(難波)のことはゆめのまたゆめ」  それらとまったく対照的なのはお釈迦さまです。身にまとわれたのは褐色の衣一枚、財産といえば托鉢用の鉄鉢一つ、八十歳の老齢に及んでも、あの酷熱のインドの地を、背痛をこらえながらハダシで歩いて布教を続けられた。生まれ育たれたカピラバスト国はとうに滅びてしまった。  しかし、その残された「徳」は永遠不滅です。二千五百年後の今日まで絶えることなくアジア諸民族の心の中に生き続け、その魂を浄化しつづけてきました。しかも人類の危機が切迫している現在、ヨーロッパやアメリカの人たちまでが、仏教によって人間的によみがえろうと指向しているのです。  「力」は水の泡です。過ぎ去っていく時間の上にむなしく浮かび、かつ消えるうたかたです。それに対して「徳」は無限のいのちを持つ黄金の冠です。このことを、個人の生きざまの上にも、民族や国家のあり方の上にも、再思三省すべきでありましょう。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば56

悪(あ)しき業(わざ)を楽しみとしてはならぬ 酒を飲まば程を過ごしてはならぬ (小部経典・大吉祥経)

1 ...経典のことば(56) 立正佼成会会長 庭野日敬 悪(あ)しき業(わざ)を楽しみとしてはならぬ 酒を飲まば程を過ごしてはならぬ (小部経典・大吉祥経) いじめはどうして起こる  このおことばをつくづくと味わってみますと、お釈迦さまはなんという人心の機微を鋭くとらえておられた方だろう、そして何というものわかりのいい方だろう……と感歎せざるをえません。というのも、悟りを開かれる前に二十九年ものあいだ俗人としての生活をなさったせいではないだろうか……と思われるのです。  悪いことを楽しみにしてはならない、とはどんなことでしょうか。  人間は動物の一種であるからには、闘争心というものを根底に持っています。残虐性すら潜在意識の中に潜ませているのです。  子供たちは、トンボのしっぽをむしり取り、草の茎などを差しこんで飛ばすような残虐なことをします。お釈迦さまが、小川で捕らえた魚を踏んづけて遊んでいる子供たちに、「お前たちがこのようにいじめられたら苦しいだろうとは思わないか」と質問され、子供たちが「苦しいと思います」と答えたところで、「そうだろう。そのことを考えればいじめるのはよくないことだとわかるだろう」と諭された話は有名です。  子供はよくケンカします。たいていのケンカは一過性のもので、「腹が立ったからなぐった」「なぐったからなぐりかえした」で、たいてい終わりになるものです。  ところが、そうした「悪しき業」を楽しみにするようになったら、恐ろしいことになります。いま教育の問題を超えて社会問題にまでなりつつあるいじめは、じつにこうした心理から起こっているのです。弱い子をからかい、いじめることに楽しみを感じ、快楽を覚えるからこそ、しつこく、そして、次第に悪質なやり方でいじめるようになるわけです。  このことに深く思いをいたし、お釈迦さまがなさったように自省心を起こさせるか、あるいは楽しみをほかのことに振り向けさせるような指導がぜひ必要ではないか、とわたしは思います。 酒はほどほどに  次にお酒のことですが、お釈迦さまが不飲酒戒を定められたからといって、心のどこかで罪悪感を覚えながら飲んでいるような人がいるかもしれませんが、お釈迦さまのご本意は「自制せよ」というところにあったようです。  ということは、比丘に対する不飲酒戒が定められたいきさつからも推察することができます。(魔訶僧祗律巻二十)にこうあります。  お釈迦さまがクセンミ国にとどまっておられたとき、クセンミ国にかんばつが続いているのは悪竜のせいだとして、人々がサーガタという比丘に調伏(じょうぶく)を頼みました。サーガタは神通力をもって見事に悪竜を調伏したので、雨が降り、五穀が豊かに実るようになりました。  人々はサーガタを招待して、たいへんなごちそうをしました。そのとき出された酒を飲み過ごしたサーガタが精舎に帰りますと、ちょうど世尊は大衆を集めて法を説いておられました。  それほど酔ったとは思っていなかったサーガタが、その席につらなって説法を聞いているうちに、酔いが発してきて、いつしか世尊の前で横になり足を伸ばして寝込んでしまったのです。  世尊がどうしたわけでこんな不作法をするのかと他の比丘にお尋ねになりますと、その比丘は「飲酒すること多きに過ぎて酔臥するなり」と答えました。そこで、世尊は「今日より後、飲酒することを許さず」と仰せになりました。この問答からしても、それ以前は飲み過ぎない程度なら許されていたようなのです。  いずれにしても、少量の酒は百薬の長ともいわれていますし、不飲酒戒を「絶対」と考えなくてもいいように思われます。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば57

あまねく衆生のために不請(ふしょう)の友となり、大悲もて衆生を安慰(あんに)し、哀愍(あいみん)し、世の法母とならん (勝鬘経)

1 ...経典のことば(57) 立正佼成会会長 庭野日敬 あまねく衆生のために不請(ふしょう)の友となり、大悲もて衆生を安慰(あんに)し、哀愍(あいみん)し、世の法母とならん (勝鬘経) 不請の友とは  このことばは、勝鬘夫人(しょうまんぶにん)がお釈迦さまに「これから一生のあいだみ教えのとおりに精進いたします」と、固くお誓いした(第十四回参照)その誓言(せいごん)の一節です。  この「不請の友」という語がなんともいえぬ尊い、深い、そして広大な意味をもっていることに、わたしは強烈な印象を受け、いつもこの語が脳裏から離れません。  不請の友というのは、「来てください」と頼まれもしないのにその人のところに行ってあげる友だち……という意味です。  何か困った事態が起きて「ひとつ助けてくれ」と頼まれたり、悩んでいることがあって「君の意見を聞かせてくれないか」と相談をもちかけられたりすれば、ほんとうの友だちならさっそく行ってあげるでしょう。  ところが、勝鬘夫人は、衆生のすべてを友と見、大きな慈悲心をもって、苦しみ悩んでいるその友のところへ、頼まれもしないのに行ってあげて、真理の教えによって安らかな境地へ導きたい、いや必ずそういたします……とお誓いしているわけです。 世の法母となろう  いまのせちがらい世の中にも、このような人があります。ネパールに多い結核患者を救うために一家をあげて移住し、山の中の不自由な生活の中で医療活動に専念された岩村昇先生もその一人でしょう。  祖国におれば、学者としても、オルガン奏者としても、一流の地位におられたのに、わざわざアフリカの熱帯の森の奥に病院を建て、気の毒な黒人たちの救済に一生を送られたシュバイツァー博士もその典型です。  そんな傑出した人ばかりでなく、いまの日本の庶民にも、海外協力隊員として発展途上国へ出かけ、困難を克服しながら、現地の人々の技術指導に取り組む青年たちがたくさんいます。これまたりっぱな「不請の友」といえましょう。  では、内地にいて普通の生活をしているわれわれは、そうした尊い「不請の友」になれないのかといえば、けっしてそうではありません。心さえあれば、だれでも、どこででも、できるのです。宮沢賢治の有名な詩に  東ニ病気ノコドモアレバ  行ッテ看病シテヤリ  西ニツカレタ母アレバ  行ッテソノ稲の束ヲ負ヒ  南ニ死ニサウナ人アレバ  行ッテコハガラナクテモイイトイヒ  北ニケンクヮヤソショウガアレバ  ツマラナイカラヤメロトイヒ  ヒデリノトキハナミダヲナガシ  サムサノナツハオロオロアルキ  ミンナニデクノボートヨバレ  ホメラレモセズ  クニモサレズ  サウイフモノニ  ワタシハナリタイ  とあります。干ばつがあれば涙を流し、冷夏にはオロオロするような普通の人間でも、東西南北の衆生の「不請の友」となりうるのです。  わたしたちの教団でつねにすすめている「お導き」も、つまりは「不請の友」になりなさいということです。そして「世の法母」となりなさいということです。  「法の母」これまたいいことばですね。味わい深いことばですね。世の中の人々の法の母となる……これほど尊い所行がほかにありましょうか。どうかそういった意味で、標記のことばをよくよく噛みしめていただきたいものです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば58

聞(ぶん)をもってのゆえに大涅槃を得るにあらず、修習をもってのゆえに大涅槃を得。(大般涅槃経巻二五)

1 ...経典のことば(58) 立正佼成会会長 庭野日敬 聞(ぶん)をもってのゆえに大涅槃を得るにあらず、修習をもってのゆえに大涅槃を得。 (大般涅槃経巻二五) 実践なければ功徳なし  これは、仏法の教えを聞いただけでは本当の心の安らぎを得られるものではない、その教えを繰り返し繰り返し身に修め習ってこそ最高の安らぎに達することができるのである……というお諭しです。このすぐあとに、  「たとえば、病人の醫教および薬の名を聞くといえども病いを治することあたわず。薬を服用するをもってのゆえに、よく病いを治するがごとし」  と、説かれています。お釈迦さま得意の巧みな譬喩です。同じような譬喩を、別なところで説いておられます。  「多聞(たもん)ありといえども、もし修行せざれば、聞かざるに等し。人の食(じき)を説くも、ついに飽くあたわざるがごとし」  いくらたくさん法の話を聞いても実行しなければ聞かないのと同じである。ちょうど、人が食べものの話をするのをいくら聞いても、自分が食べなければ腹がふくれないのと同じなのだ……というわけです。 無意識に積み重なるもの  これは、なにも信仰の修行に限ることではありません。人生のすべてに通ずる真理なのです。  大学で、経済原論とか、経営学とか、商品学とかいったものをいくら学んでも、社会に出てすぐそれが役に立つと思ったら大間違いです。卒業して会社に入り、あるいは商売を始め、実地にさんざん揉まれ、試行錯誤を繰り返すうちに、自然と経営や商売のコツが身についてくる……それはだれしもご承知のはずです。  スポーツでもそうでしょう。近ごろ、ラグビー熱が盛んなようですが、ラグビー選手だった人に聞きますと、ボールを持った相手がこう走ってきたらこう向かって行ってタックルしろ、と監督やコーチに教わっても、初めのうちはスルスルと抜かれてどうしようもなかった。それが練習や試合を何十遍とやっているうちに、相手の方向およびスピードと自分の方向およびスピードを無意識のうちに計算してピタリと捕らえることができるようになる……という話でした。じつに微妙な境地で、潜在意識の中にあるコンピューターが一瞬のうちに計算をしてしまうのでしょう。ここが修練の功徳の神髄なのです。  信仰の修行も同じです。ご宝前で読経をするにしても、毎朝毎夕それを一心に続けていってこそ、いつしか仏さまや諸菩薩・諸天善神と心の波長が合致するようになり、何ともいえない法悦を覚えるようになるのです。それも一種の涅槃といっていいでしょう。  もっと進んだ修行は、人のために説くことです。人を仏道に導く実践活動です。これは、見知らぬ他人を相手にする場合が多く、それだけにさまざまな困難に遭遇します。理解力の弱い人があったり、科学万能の人があったり、宗教と迷信を混同している人があったりします。しかし、そうした千差万別の人にぶつかっていくうちに、無意識のうちに自分自身も磨かれていくのです。まことに「教えるは教えらるるなり」です。  さらに、そうした努力を繰り返すうちに、努力すること自体が言うに言われぬ喜びとなって心中に躍動するようになります。このような歓喜は、菩薩行だけがもたらす常楽我浄の境地であって、これこそが「修習をもってのゆえに得る大涅槃」だといってもいいでしょう。 題字と絵 難波淳郎 ...