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経典のことば(53)
立正佼成会会長 庭野日敬

汝らもし勤め励むならば、事として難きものなし。小(わず)かな水も常に流るればよく石を穿(うが)つがごとし。
(仏垂般涅槃略説教誡経)

普通人への救いの教え

 むかしの家には雨樋(あまどい)のないものが多く、屋根から雨水が落ちる真下には、平たい切り石が並べて敷いてありました。
 その敷き石を見ると、必ず大小の穴が点々として穿たれていました。それは雨のしずくが何十年という間につくったものなのです。
 あの柔らかい、しかもごく小さい水のしずくが、硬い石の上に穴をあけるとは、ちょっと考えられないようなことでしょうが、それはまぎれもない事実です。今の若い人も、田舎の旧家などを訪ねれば、まさしく見ることができましょう。
 その理由は、考えてみるとじつに簡単なことです。同じ個所に集中して、繰り返し繰り返し、雨垂れが落ちるからです。
 仏道の修行にしても、実生活のあらゆる修業にしても、勉学や研究にしても、そのとおりなのです。たとえ人並みすぐれた才能がなくてもかまわない、心をそれに集中して、ほんの少しずつでも繰り返し繰り返し根気よく続けていけば、必ず志を達成することができる……そのことを教えられたのが標記のことばです。

自力・集中・反覆

 こういう話を聞きました。
 若いころから頭角をあらわした将棋九段の芹沢博文さんは、お手伝いさんが何人もいる裕福な家に生まれ、何不自由のない幼少年時代を過ごしました。
 小さいとき将棋を習い、大人を負かすほどになったので、棋士となることを目指して中学一年のとき沼津から上京し、高柳八段の内弟子になりました。が、朝は五時半に起きて部屋や庭の掃除をしたり、将棋盤や駒を磨いたりの仕事、学校から帰ると使い走りやら何やらの雑用ばかりで、将棋はいっこうに教えてもらえません。
 毎日の仕事の中でいちばん肝要なのは、いくつかの新聞に載っている将棋欄の記事を切り抜いて、スクラップ・ブックをつくることでした。一冊が出来上がると師匠のところへ持っていくのですが、一日分が抜けていたり、順序が逆になっていたりすると、目の玉が飛び出るほど叱られるのでした。
 ところがある日、師匠が庭でたき火をしているのを見ると、毎日コツコツとつくったスクラップ・ブックをつぎつぎに燃やしているではありませんか。少年は、腹が立つやら悲しいやらで、その場から沼津へ帰ろうか……と思いました。しかし、なんとか考え直して、師匠のもとに留まったのです。
 その辛抱が幸いして、ついに今日の大成を見たわけですが、あとでよくよく思い出してみると、スクラップ・ブックは師匠には用のないもので、内弟子の少年が切り抜きをしながら将棋欄を読んで、一心に将棋のことを考え、自力でその秘奥をつかみとるように……という師匠の心遣いだったのです。
 わたしはこの話を聞いて、これこそ「小水よく石を穿つ」の神髄だなぁと感じ入りました。毎日の将棋欄の棋譜を全部記憶していたわけではありますまい。しかし、表面の意識では忘れても、潜在意識にはちゃんと刻みつけられているのです。それがしだいに積み重なってこそ、名人上手といわれるようになるのです。
 楽をして、インスタントに、人から教えられて覚えたことには、そうした積み重ねがありません。「自力で」「集中して」「繰り返す」……この三つが揃ってこそ何事も大成するのです。よろずのことが手軽になってしまった今日、大いに考え直すべきことだと思います。
題字と絵 難波淳郎

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