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経典のことば25

もろもろの飲食(おんじき)を受くることはまさに薬を服(の)むが如くすべし。好きに於ても悪しきに於ても増減を生ずることなかれ。わずかに身を支うるを得て以て飢渇を除け。蜂の花を取るにただその味のみを取って色香を損ぜざるが如し。 (遺教経)

1 ...経典のことば(25) 立正佼成会会長 庭野日敬 もろもろの飲食(おんじき)を受くることはまさに薬を服(の)むが如くすべし。好きに於ても悪しきに於ても増減を生ずることなかれ。わずかに身を支うるを得て以て飢渇を除け。蜂の花を取るにただその味のみを取って色香を損ぜざるが如し。 (遺教経) 食物の本来の役目を  これはサンガの修行者たちに対してお釈迦さまが遺言的に説かれた教えの一節です。  ――好きな食物は多く嫌いなものは少なく食べるようなことをしてはならない。ちょうど薬を服むような心がけで食事すべきである。薬の目的は病気を治すのが目的なのだから、甘いから苦いからといって増減してはならないのと同様である。飲食物は身を支え、飢渇を除くのが本来の役目である。蜂が花の蜜を取るのに蜜だけを吸って花の色香を損じることがないのを見習わなければならない――という戒めです。  これはもちろん托鉢によって食物を受ける修行者たちに対する戒めではありますけれども、しかしよくよく考えてみますと、食物というものの根源的な役目をもう一度われわれに考え直させる貴重なお言葉ではないかと思われるのです。  現在の先進諸国の人々は、ほしいままな飽食にふけっています。とりわけ日本ではその傾向が甚だしいようです。  しかし、近い将来に人類総飢餓の時代が来るのではないかと心配されていることを忘れてはなりますまい。現にそのきざしはアフリカ諸国に顕著に表れているのです。  お釈迦さまのお言葉を、われわれは今日の人類への遺戒として受け取るべきではないでしょうか。 どこへ消えた知恵と慈悲  釈尊教団では、托鉢によって受けた食物は平等に分配され、もし余分があったら町の飢えた人々へ配られたと聞いています。人間として当然の知恵であり、慈悲でありましょう。  戦前の中国広東に旅行した人の話を聞きますと、一流料理店での宴会ではフカのヒレのスープだけは全部食べ――料理人の腕の最高の見せどころなので、それに敬意を表するため――その他の料理は多少なりと残しておくのが礼儀だったそうです。  その残りをどうするかといえば、調理のための材料が足りない料理店や、その日の食にありつけない人々に無料で還元される、という仕組みになっていたそうです。まことに数千年の歴史の中で戦乱や凶作のために飢えた経験を数知れず持つ民族の知恵であると感心しました。  ところが、四月二十六日の朝日新聞には次のような記事が載っていました。  「年間の売り上げで、外食産業界初の一千億円突破を昨年末果たした日本マクドナルドの銀座八丁目店。ハンバーガーは焼いて十分以内に客のオーダーがないと、ゴミ箱に投げ込まれる。フライドポテトは七分以内。同店では月に平均して、こうした手つかずのハンバーガー四千五百箱、ポテト二百四十キログラムを、月額二十万円を払ってゴミ処理業者に回収してもらう」  また、ある学校給食調理場の給食日誌の一部も記載されていました。  「残飯のコンテナ終了。二百リットルのドラム缶三本、イワシ各クラスで十枚前後の残あり、新学期を祝った赤飯、多いクラスで三分の一残る」  これらを読むとき、標記のお釈迦さまのご遺戒が痛いほど胸に突き刺さるのを覚えざるをえないではありませんか。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば26

美しく飾り立てた王の馬車も朽ちてしまう。 人のからだも同じように老いてしまう。 しかし聖者の説いた法のみは朽ちない。 心ある人が互いに心ある人に伝えるからである。 (法句経151)

1 ...経典のことば(26) 立正佼成会会長 庭野日敬 美しく飾り立てた王の馬車も朽ちてしまう。 人のからだも同じように老いてしまう。 しかし聖者の説いた法のみは朽ちない。 心ある人が互いに心ある人に伝えるからである。 (法句経151) 形あるものの定め  コーサラ国の波斯匿王(はしのくおう)と末利夫人(まりぶにん)は、たいそう仲のよい夫婦で、そろってお釈迦さまに帰依した篤信の人でした。  ところが末利夫人が重い病気にかかり、手を尽くしたかいもなくあの世へ行ってしまいました。  王はたいへんに嘆き悲しみ、葬儀がすむと毎日祇園精舎におもむき、夫人がどこへ生まれ変わったかをお釈迦さまにうかがおうとしました。しかし、お釈迦さまが大衆に向かってお説きになる説法の妙理に聞き惚れているうちに、ついそういうお尋ねをすることを忘れていました。  八日目のことです。お釈迦さまが托鉢に出られ、王の宮殿の前に立たれました。それを聞いた王は自分から出てきてお鉢を受け取り、宮殿の中へ案内しようとしましたところ、お釈迦さまはそれを押しとどめ、庭の隅にある馬車小屋にはいって行かれました。  仕方なくそこで朝の食事をさしあげた王は、かねてから心にかけていたことをお尋ねしました。  「世尊、末利はどこへ生まれているでしょうか」  「王よ、夫人は兜率天(とそつてん)にいます」  「それは有り難いことです。しかしわたくしは、末利がいなくなってからこの世に生きているのが空しくなりました……」  世尊はしばらく沈黙しておられましたが、やがてこうお尋ねになりました。  「王よ、あちらにあるのはだれの馬車ですか」  「わたくしの祖父のでございます」  「こちらにあるのは……」  「わたくしの父のでございます」  「ここにあるのは……」  「わたくしのでございます」  世尊は深くおうなずきになって、こうおっしゃるのでした。  「王よ、あなたの祖父の馬車はあなたの父の馬車よりも前に古びて使えなくなりました。あなたの父の馬車はあなたの馬車よりも前に使いものにならなくなりました。このように硬い木で造ったものでさえ朽ちてしまうのです。ましてやなまみの人間のからだがいつまでもそのままある道理がありません。それがこの世の定めです。ですから王よ、悲しんではなりません」 「心ある人」の誇りを  こうお慰めになってから、最後におおせられた一言が千鈞(せんきん)の重みを持つことばです。  しかし聖者の説いた法のみは朽ちない。  心ある人が互いに心ある人に伝えるからである。  形あるものは必ず滅します。生あるものは必ず死にます。しかし、真理のみは不滅です。真理を説いた教えのみは朽ちはてることはありません。なぜならば、その真理を知った「心ある人」から、真理を知りたいという「心ある人」へと、つぎつぎに伝えられるからです。永遠に人から人へ伝えられないような教えはニセモノです。真理ではありません。ニセモノはいつか消えていきます。  仏法は二千五百年のあいだ人から人へ伝えられ、いまも脈々と生きています。日に日に生命を新しくしています。それを思えば、われわれの信はますます深くなり、同時に、自分もそれを人に伝える「心ある人」の一人だという誇りを覚えざるをえません。あなたはいかがですか。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば27

衆生の類(たぐい)是れ菩薩の仏土なり。 (維摩経・仏国品)

1 ...経典のことば(27) 立正佼成会会長 庭野日敬 衆生の類(たぐい)是れ菩薩の仏土なり。 (維摩経・仏国品) 浄土は現実社会にある  お釈迦さまが、ビシャリ国においでになったときのことです。国をあげて大勢の人が仏陀のご説法をうかがおうと集まった中で、長者の子の宝積(ほうしゃく)という青年が、「わたくしども在家の人間で、仏さまの世界を浄めようという志を持っている者は、どんな行いをしたらよろしゅうございましょうか」とお尋ねしました。  その菩薩心をたいへんおほめになったお釈迦さまが、宝積の質問に対してお答えになった第一声が標記のおことばです。  「すべての人間の住む所が菩薩のための仏国土である」ということですが、じつに明快な、しかもじつに重大な定義をおくだしになったものと、後世の仏教徒の一人としてズシリと胸にこたえるものを覚えます。(衆生とはあらゆる生きものということですが、後に続く説法の内容からすれば、この場合、人間に限定していいと思われます)  さて、続いての説法は大略つぎのようなものでありました。  「(仏の浄土は限りもない、上下もない、広狭もない光明世界であるのに対して)菩薩の造り現す仏国土とは現実社会にほかならないのだから、教えを受けて真実を求めようとする人が多くなればなるほど、その仏国土は広くなるのである。  また、菩薩というものは、どのように環境を整えれば仏の智慧を求める人が多くなるかを工夫するものだから、その環境のよしあしでその仏国土の優秀さも決まるのである。  さらに、人々が菩薩の導きによって善い行いを積極的に実践するかどうかによって、その仏国土の浄まりの程度にも上下があるわけである。  いずれにしても、菩薩とはひたすら世の人の幸せを願う存在なのだから、現実を離れた思想や教説でなく、あくまでも人々を幸福へ導くことを本位として教えを説かなければならない。そうして成就されるのがすなわち菩薩の浄土なのである」 空中に家は建てられない  そして、最後にこう締めくくっていらっしゃいます。  「例えば、家を建てるのに、適当な空き地があればそこに建てることができる。しかし、空中に建てようとしたら、だれも文句を言う人はないけれども、家を建てることは不可能ではないか」  まことに胸のすくような譬えです。維摩経は「空」の実践について説かれたお経と言われていますが、そのエッセンスがここに集約されているといっていいでしょう。「空」は仏法の根本思想ではあるけれども、それを哲学的にいじくり、それに執らわれていたのでは、世の中は少しもよくならない……ということでしょう。  では「空」をどう考えたらいいのか。きわめて素直に「宇宙の根源のいのち」と受け取ればいいのです。  「ここに自分がいる。ここに宇宙のいのちがある」「あそこに人がいる。あそこに宇宙のいのちがある」  このように考えていくならば、自分もかけがえのない存在、あの人もかけがえのない存在という実感が、しみじみとわいてくるはずです。  こういう考えかたの徹底こそが、この現実社会に浄土をうち立てる基盤だと思うのです。標記のことばを煮詰めていけば、こういうところに到達するものと思うのです。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば28

直心(じきしん)はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品)

1 ...経典のことば(28) 立正佼成会会長 庭野日敬 直心(じきしん)はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品) 素直なものに苦悩はない  前回には、「浄土は現実社会にこそ建設されなければならない」という維摩経の根本思想について述べましたが、お釈迦さまはそれに続いて、人間がどんな心を持てば幸福になれるか、この世を浄土化することができるかについて、箇条的にお説きになりました。その第一条が標記のことばです。  直心というのは、一口に言って、素直な心です。何に対して素直であるかといえば、自分を生かしている大いなるいのちに対して素直なのです。大自然の摂理に対して素直なのです。  インドの古典であるウパニシャッドの中に「神は鉱物の中に眠り、植物の中で目ざめ、動物の中で歩き、人間の中で思惟する」ということばがあるそうです。  神(宇宙の大いなるいのち)はこの世のありとあらゆる存在の中に宿っているのです。しかし、無生物はもちろんその真実を知りません。知らないから、ただ大自然の摂理のままに流転していきます。たとえば、水は温められれば水蒸気となって大気の中に溶けこみ、その中で冷やされれば雨となって降ってきます。もっと冷やされれば氷となります。完全に素直です。  植物となれば、ほんの少しばかり「生きる意志」というものが目ざめてきます。そして自ら生きるいとなみをします。しかし、一定の場所から移動することはできません。ですから、これも大自然のなすがままに素直に生死を繰り返します。  動物ともなれば、「生きる意志」がはっきりしてきます。自らの意志でさまざまな行動をするようになります。  しかし、(人間以外の)動物には本能以上の欲望はなく、これまた大自然の摂理に逆らうことなく生き、そして死んでいきます。  したがって、植物はもちろん、人間以外の動物には悩みというものがありません。苦痛はあっても、それを思い悩むことがないのです。 知恵を絶対者の方向へ  それに対して人間はどうでしょうか。素晴らしく発達した創造力と、他の動物とは比較にならない自由自在な行動力を持っているのに、いっこう幸福にはなれません。文明が進めば進むほど、人々の不安・焦燥・嫉妬・猜疑・抑圧・欲求不満その他さまざまな苦悩が増大しています。  あまりにも暮らしを楽にしようというわがままから、限りある地球の資源を枯渇させ、自然をいじくり、大気を汚染したために、恐ろしい気象異変が起こり、酸性の雨が降り、この面からも生命の危険におびやかされつつあります。  つまりは、大自然の摂理というか、神仏のみ心というか、そういう絶対の存在に対する素直さがなくなったために、自分で自分の首を絞めつつあるのが、現在の文明社会の人間の生きざまなのです。  かといって文明の逆もどりは不可能でしょう。しかし、自制ということは可能です。もうここいらへんで大自然への反逆はおしまいにしたいものです。人間の中にある「神の思惟」に目ざめたいものです。  大自然に生かされているからには、「生かされているように生きよう」という素直な心に返りたいものです。人間の素晴らしい創造力もそういった方向へ百八十度の転回をさせたいものです。そのことを教えられたのが標記のことばだと思うのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば29

布施はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品)

1 ...経典のことば(29) 立正佼成会会長 庭野日敬 布施はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品) 布施は恩恵の循環である  前回にひきつづき、維摩経の中で、人間はどんな心を持ちどんな行為をすれば幸福になれるか、そしてこの世を浄土化できるかを個条的に説かれた中の重要な徳目について、これから数回にわたって考えてみることにします。  まず「布施」ということですが、一般にこれは何か特別の意思による特別の行為のように考えられています。しかし、そうではなく、もともとはごく自然な「恩恵の循環」なのだと思います。  例えば、緑色の植物は葉から空気中の炭酸ガスを吸い取り、太陽光線のエネルギーと地中から吸い上げた水を利用して糖類などの有機物をつくって身の養いとし、そのとき水を分解して酸素を放出します。人間を含む動物たちはその酸素を吸って生命を維持しますが、そのかわり炭酸ガスを吐き出して植物たちに供給します。全く自然な「恩恵の循環」です。  人間同士のあいだでも、このような循環が行われるのが自然の姿だと思うのです。人間は、科学的にいえば大自然の無限のエネルギーを、宗教的にいえば神仏の無限の慈悲を受けて生きています。また、不特定多数の人間仲間から有形無形の恩恵を受けて暮らしています。そうした慈悲や恩恵によって自分の心身を養ったら、その供給の流れを断ち切ることなく、他へも流し、広く社会へ還元するのがほんらいの姿なのです。  ところが、残念なことには、人間には「我」というものがあります。その「我」がはたらいて、自分が得たものは自分の思いのままに処置していいという観念が生じ、他へ流すパイプの栓を閉じて自分のふところに蓄めこんでしまおうとするのです。  そうして不自然に蓄めこまれたものは、あたかも狭い所に長いあいだ閉じこめられた水が腐敗するように、そして、そこにボウフラがわくように、必ずさまざまな悪作用を起こすもので、人間世界の不幸というものはおおむねこうした「我」による自然の流れの断絶から起こります。広い世界からの供給を私物化することから起こるのです。 理想社会建設のすすめ  布施というのは、財物をしかるべき人にさしあげる「財施」ばかりでなく、自分が獲得した真理や知識を人に提供する「法施」もあり、体を使って他のために尽くす「身施」もあり、愛情のこもったことばを投げかける「言辞施=ごんじせ」もあります。  いずれにしても、こうした布施をした場合、われわれは何ともいえないスガスガしい気持ちになります。心が洗われたような気持ちになります。それはなぜか。ひととき「我」がなくなるからです。「恩恵の循環」という大自然の理にかなった行為をしたことによって魂の浄化作用が起こるからです。  また、心からの布施を人から受けた場合、たとえそれが乗り物の中で席を譲ってもらったとか、俄(にわか)雨で困っているとき傘をさしかけてくれたとかいう小さな親切行であろうと、受けた身としてはほのぼのとした感謝の気持ちで胸が温まります。  もし人間みんなが、他のすべての存在から受ける物的供給を独り占めすることなく、余った物は他へ流す「循環」の行為に徹すれば、社会の不幸の半分ぐらいはなくなってしまうでしょう。また、お互いが親切を尽くし合うことによってそこに感謝と感謝の交流が無限に展開されれば、この世はじつに美しい世界へと一変するでしょう。  「布施はこれ菩薩の浄土なり」というのは、こうした理想社会建設のすすめであろうと思うのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば30

忍辱はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品)

1 ...経典のことば(30) 立正佼成会会長 庭野日敬 忍辱はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品) たんなる忍耐ではない  忍辱というのは、現代語に訳せば「忍耐」となりましょうが、それでは、不幸な境遇や生活の苦難などをジッと辛抱することのように単純に解釈されがちです。もちろんそれも忍辱の一部ではありますが、しかしこの徳目の中心となるのは、じつは人間関係のうえの苦痛を耐え忍ぶことなのです。  それも、たんにこらえるということではありません。歯をくいしばって己を抑えることではありません。他から与えられる苦悩や侮辱などに心をかき立てられることなく、よく平静を保つことをいうのです。  中村元先生監修の『新・佛教辞典』には、「瑜伽師地論(ゆがしじろん)によると、忍辱には三つの特相があって、①忿怒(ふんぬ)しないこと。②怨みを結ばないこと。③心に悪意を懐(いだ)かないことと説く」とあります。  忿怒しないというのは、カッとならないことです。怨みを結ばないというのは「いつかは仕返ししてやる」などという思いを胸中に残さないことです。悪意を懐かないというのは「お前だって欠点だらけじゃないか。そのうち思い知るぞ」といったような考えを起こさないことです。つまりは寛容ということです。許すということです。 自己を反省、相手を理解  豊臣秀吉が小田原城を攻めた時のことです。城の守りが固く、なかなか落ちません。秀吉は少しも焦らず、京都から芸人を呼んで能狂言などを催していました。  ある日のこと、本陣近くで将兵たちが能狂言を見物していますと、宇喜多秀家の部下の花房職之(もとゆき)という武士が馬に乗って通りかかり、「大事な戦いの最中に何たることだ」と大声に言い放って行きました。それを伝え聞いた秀吉は激怒して秀家を呼び、「花房をすぐ縛り首にせよ」と命じました。  秀家は「家来の中でもすぐれた豪の者である花房を……」と、足取りも重く自分の陣屋の方へ歩いていますと、秀吉の使いが馬で追いかけてきて「殿のお召しでござる」とのこと。御前に出ると秀吉は「いま怒りに任せて縛り首を命じたが、名誉を重んずる武士である。切腹にしてつかわす」と命じます。秀家は心ならずもお礼を言上して引き返しますと、途中でまた使いの者が追ってきて「殿のお召しでござる」と言います。  不思議に思って再び伺候すると、秀吉はニコニコしながら「先刻の切腹は取り消しにする。花房とやらは余の威光を恐れもせず堂々と苦言を呈するとは見上げた者だ。加俸してつかわせ」と、打って変わった命令です。秀家は感涙にむせんで引き下がったのでした。  秀吉ほどの地位にあれば、いったん命じたことは簡単に取り消せないものです。それを自らの反省によって早々に取り消したばかりか、かえって増俸を命ずるとは、やはり天下を統一したほどの人物であると思います。しかも、反省したら、もったいぶったりせずにすぐ使いを出したところなど、いかにも淡泊で、じつに好感が持てます。われわれ庶民にも真似のできるような、ちょっといい話ではありませんか。  つまるところ、忍辱とは、自らを反省し、相手を理解することによって心を平静に保つことです。こうした反省と理解が自他の間に交わされるようになったら、この世はずいぶんと平和な、明るいものに変わることでしょう。まことに「忍辱はこれ菩薩の浄土なり」なのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば31

持戒はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品)

1 ...経典のことば(31) 立正佼成会会長 庭野日敬 持戒はこれ菩薩の浄土なり。 (維摩経・仏国品) 戒とは良い生活習慣  人間の究極の望みは何であるかといえば、完全な自由ということでしょう。現在の人間は、飛行機によって空を飛び回れるようにもなり、電波によって何万キロ離れた所のありさまを瞬時に知ることもできるようになりました。しかし、果たして人間は完全な自由を得ることができたでしょうか。あらゆる不幸から解放されることができたでしょうか。答えは、もちろんノーでしょう。  なぜノーであるかといえば、文明が進めば進むほど、人間は物に執らわれ、物に束縛されるようになったからです。こうした状態が続く限り、未来永劫いつまでも真の自由を得ることなく、ますます不幸な境界に陥っていくことでしょう。  では、真の自由とはどこにあるのでしょうか。真の幸福とはどこにあるのでしょうか。その疑問への回答が標記のことばなのです。戒律を守るところこそ、その成就があるというのです。これは逆説でも何でもありません。真の自由とは「心の自由」にほかならず、心の自由は真理に即した戒律を守るところにこそあるからです。  「戒」の原語である梵語のシーラは「良い生活習慣」という意味だそうです。例えば、朝起きたら歯を磨き、顔を洗う。これは良い生活習慣です。それをやらないと一日中気分が悪い。それをやると気持ちがサッパリします。  また、たとえ家族同士でも、朝、初めて顔を合わせたら「おはようございます」「おはよう」とあいさつを交わします。良い生活習慣です。それをやらない者がいると、何か怒っているのではないかなどと気懸かりになります。気懸かりということは、心が自由自在でないということです。お互いが機嫌よく「おはよう」を言い合えば、心がスガスガしくなります。  「戒」というものの本来は、こういうことなのです。 「律」は社会秩序の道  おもしろいことに、人間は表面の心では自由自在を欲しているようですが、一方では自ら制約を作り、その中で生きようという性向をも持っているのです。例えば、お茶などは勝手放題に飲んだらよさそうなものですけれども、いつの間にか茶道という難しい制約を作り出し、その中でお茶を喫することに楽しみを覚えるようになりました。  また、ボールを投げたり、打ったり、蹴ったりも、自由自在にやって遊べばよさそうなものですが、それでは本当の楽しさがないので、いろいろと様式を作り、ルールを決め、その厳しいルールに制約されながら精いっぱいに技を競うところに遊びの醍醐味があることを発見しました。  社会全体においても、やはり一定のルールというものがなければ、安らかに楽しく暮らしてはいけません。それも、もともとは特定のだれかが作って一般人に押しつけたものではなく、いつしか自然に出来上がった普遍的な筋道なのです。魯迅(中国の有名な文学者)は、その作品『故郷』の中で、「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる」と言っています。じつに至言だと思います。戒律の「律」というものの本来はそうした道をいったのです。  そのような道を歩いておれば、心にひっかかりがなく、自由自在な気持ちでおられます。そして世の多くの人がそうした人倫の道を歩くようになったとき、この世がそのまま楽しい浄土になることは必至です。まことに「持戒はこれ菩薩の浄土なり」なのであります。 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば32

右足を放せ。左足を放せ。右手を放せ。左手を放せ。 (阿育王経)

1 ...経典のことば(32) 立正佼成会会長 庭野日敬 右足を放せ。左足を放せ。右手を放せ。左手を放せ。 (阿育王経) 絶体絶命にどう処する  南インドに一人の出家修行者が住んでいました。修行者とはいえ、自分の身を愛することにすこぶる熱心でした。温かい湯に入り、油を全身に塗り、いろいろと美食をあさっていましたので、身体はブクブク太っていました。仏さまの教えに思いをめぐらしたり、瞑想をしたりはするのですが、身を愛する心がつきまとって離れませんので、いっこう悟りの境地に入ることができません。  だれか悟りを得られるような説法をしてくださる人はないものかと思いわずらっていたところ、中インドのマトゥラー国にウバキクタという世にも希な聖者がおられると聞き、はるばる訪ねて行きました。  聖者は一目見て、この修行者の自身への執らわれの深さを見抜きました。そして言いました。  「そなたがわたしの命令を絶対に守るなら、説法してあげよう」  修行者は即座に答えました。  「どんなことでも必ずお言いつけを守ります」  そこで聖者は修行者を連れて山に入り、大きな木の下に行くと、この木のてっぺんまで登れと命じました。修行者がそのとおりにすると、聖者は、  「右足を放せ」  と叫びます。修行者が右足を空に浮かせますと、今度は、  「左足を放せ」と命じます。修行者は左足も放しました。ところが今度は、  「右手を放せ」  と叫ぶのです。修行者は右手を放し、左手だけで必死にブラ下がりました。思わず下を見ると、いつの間にか真下に底知れぬ深い穴ができているのです。しかも、聖者は、  「左手を放せ」と叫ぶのです。修行者は声をふり絞って言いました。  「放せば穴に落ちて死んでしまいます」  ところが聖者は、情け容赦もなく言いました。「さっき、どんなことでも命令を守ると約束したではないか。なぜ約束を守らぬ」。  もはや絶体絶命です。そのとき修行者は自分の身を愛する気持ちがフッと消えて、思わず左手を放しました。気がつくと、彼は聖者の両腕にフワリと抱えられているのでした。大樹も、大穴も、聖者が神通力をもって造り現したものだったのです。そして聖者の説法を聞いた彼は、即座に悟りを開いたといいます。 あとは仏さまにお任せ  なかなか禅味のある説法だと思います。求道という宗教上の修行ばかりでなく、人生の旅におけるさまざまな行き詰まりの打開についても、じつに貴重な真理を教えています。  たいていの人が一生に一度か二度は、絶体絶命のピンチに立たされることがあります。その危機にどう対処するか、右か左かという決断がその後の運命を大きく変えるものです。「よし。裸一貫になって一からやり直そう」といったいさぎよい対処の仕方をした人は、たいていそこから新しい道を切り開き、かえって大きな成功をおさめるものです。いわゆる「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」です。  そうした大危機はともかくとして、小さな困難や行き詰まりは人生途上に絶えず起こってきます。そうしたとき、小さな利害や見栄(みえ)にしがみつくことなく、右足も、左足も、右手も、左手も放して「あとは仏さまにお任せします」という気持ちになれば、不思議にもフワリと軟着陸できるものです。これはわたしの八十年の経験から確信をもって言えることです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば33

四大の寒熱まさに医薬を須(もち)うべし。衆邪の悪鬼まさに経戒を須うべし。 (法句譬喩経第一)

1 ...経典のことば(33) 立正佼成会会長 庭野日敬 四大の寒熱まさに医薬を須(もち)うべし。衆邪の悪鬼まさに経戒を須うべし。 (法句譬喩経第一) 唯心に偏した思想の弊  舎衛国にコウセという長者がありました。まだ仏道に触れたことがなく、独特の頑固な人生観を持つ人でした。たまたま重い病気にかかり、生命も危うくなったのに、何の手当もしません。親戚や知人たちが心配して見舞いに来ては、なんらかの治療を受けるよう忠告するのですが、「わたしはこれまで太陽や月を拝み、王さまには忠義をつくし、親には孝行してきた。それさえやれば、たとえ命を落とそうともかまわないというのが、わたしの主義だ」と言い、頑として聞きません。  ところが、親友のスダッタという長者が、「君の言うことにも一理はあるが、わたしが師事している釈尊というお方は、たいへんな神通力の持ち主で、そのお方にお目にかかった者はみんな福を得ている。一度こころみにお招きしてご説法を聞き、呪願をしていただいてはどうかね」と勧めましたので、さすがのコウセの心も折れて、それならばよろしく頼むということになりました。  スダッタのお願いに応じてお釈迦さまがコウセの邸の門をくぐられると、美しい光明が病室まで差し込んできて、コウセはにわかに気分がよくなり、起き出してきておん前にぬかずきました。お釈迦さまは次のようにお説きになりました。  「人間が天寿をまっとうしないで死ぬのには三つの場合がある。第一は病気にかかって治らないこと。第二は治っても身を慎まないために死を招くこと。第三は、わがままをとおし、事の正邪をわきまえずに振る舞うことである。このような病者は、たとえ日月を拝んでも、天地を拝しても、先祖を敬っても、忠孝をつくしても、病を除くことはできない。  ではどうすればよいのか、第一に四大(身体の意)の悪寒や発熱は医薬を用いて治すことである。第二にもろもろの悪鬼の憑依(ひょうい)は経典読誦の力により、また戒を固く守ることによって除くのである。第三に(標記には省略しましたが)、聖者に仕え、貧国の者に施しをし、徳を積むことによって神々の感応を頂くことである」  コウセは仰せに従って良医を招いて病気を治し、さらに布施の徳を積み、心身共に安らかな身となったのでした。 素直に信じ行ずる  ある特殊な宗教・宗派に属する人の中には、その教義の規定にだけ従って服薬やある種の医療行為を拒みあたら命を落とす人があります。その点仏教は「物心一如」の真理にもとづき、「医薬も手術も本仏の広大な慈悲の具体的な現れである」としているのです。本会が現代医学の粋を集めた綜合病院を設立したのも、そうした本義にもとづいているわけです。  さて、右に述べられた治病の方法の第二ヵ条ですが、これは仏教をあまりに純粋化して神通力とか功徳とかを無視したがる人々にとっては、考え直さざるをえないお言葉ではないかと思われます。われわれ法華経を信奉する者としては、このまま素直に受け取らせていただけることです。法華経は初めから終わりまで神力と功徳につらぬかれたお経ですから。  また第三ヵ条にも、神秘の力が説かれています。困窮の人々に布施するのは人間として最大の徳であることは言うまでもありませんが、その徳が神々に通ずるというお言葉は見過ごしてはならぬものと思います。そこに宗教の宗教たるゆえんがあるのではないでしょうか。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば34

穀食を得んと欲せばまさに耕種を行うべし。  大富を得んと欲せばまさに布施を行うべし。  長命を得んと欲せばまさに大慈を行うべし。  智慧を得んと欲せばまさに学問を行うべし。 (法句譬喩経第一)

1 ...経典のことば(34) 立正佼成会会長 庭野日敬 穀食を得んと欲せばまさに耕種を行うべし。  大富を得んと欲せばまさに布施を行うべし。  長命を得んと欲せばまさに大慈を行うべし。  智慧を得んと欲せばまさに学問を行うべし。 (法句譬喩経第一) 多数の犠牲で一人の命を  和黙王(わもくおう)の国は辺境にあって、まだお釈迦さまの教化に浴していませんでした。邪法が幅をきかせ、祭祀といえば動物をいけにえとして神にささげるのが一般の風習でした。  たまたま王の母君が大病にかかり、あらゆる手を尽くしましたがどうしても治りません。そこで国中のバラモン二百人を呼び集め、最後的な治癒の方法を考究させました。ところがその結論としてこう答申したのです。  「城外の清らかな場所を選んで、日・月・星をまつり、百頭の家畜と一人の小児を殺して天にささげ、王おんみずから祈祷されることです」  王はさっそく象・馬・牛・羊百頭を集め、一人の子供と共に城外にしつらえた祈祷場へと追い立てました。動物たちは悲鳴をあげて後ずさりし、子供を見送る両親はもとより、他の人びとも声をあげて泣き叫び、生き地獄さながらの光景を現出したのでした。  神通力によってこのありさまを知られたお釈迦さまは、哀れな多くの生命を救い、王の頑迷を改めさせようと、弟子たちを引き連れてその場におもむかれました。  王はお釈迦さまの光り輝くようなお姿に打たれ、思わず車から降り、ひざまずいて手を合わせて礼拝しました。あらためて王から一部始終をお聞きになったお釈迦さまは、  「王よ、まあお聞きなさい。穀物を得ようとすれば田畑を耕して種子を播かなければなりませんね。それと同様に、大きな富を得ようと欲するならばまず布施をすることです。長寿を得ようと願うならば慈悲の行いをすることです。智慧を得ようとするならば学問をすることです。このように、よい種子を下ろせば必ずよい結果が生ずるのが真理の法則なのです。多くの生きものを殺して一人の命を救おうとしたところで、よい報いを得られるはずがありません」  と、じゅんじゅんとお説き聞かせになりました。王はたちまち自分の過ちを悟り、お弟子に加えていただきたいとお願いして許されました。病気の太后もその教えを聞いて感銘し、ほどなく快癒することができました。 来世まで続く因果の法則  この経文を読んですぐ浮かんでくる連想は、近ごろまたひん発するようになった爆弾テロや航空機乗っ取りの非道さです。わずかばかりの仲間を助けるために、不特定多数の人びとの生命を犠牲にするなど、これほど大きな罪悪は他にありますまい。まったく無関係の人をムシケラのように殺してはばからぬその非人間性は、人類の将来に絶望感さえ覚えさせるものがあります。  いいえ、やはり絶望してはなりますまい。唯一の救いとして仏教があります。人間の最高の属性として慈悲を説き、最高の行為として布施を説く仏教。そして善因善果・悪因悪果の法則がこの世限りのものでなく、輪廻転生のあの世まで厳として存続することを説く仏教。これを根気よく世界の人びとの脳裏に植えつけてこそ、人類は生き長らえることができるものと信じます。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば35

阿難よ、あの羊飼いは、草の傘をもって仏を暑さから覆うた。その功徳によって十三劫(こう)のあいだ天のよき所に生まれ、自然に七宝の傘をもって覆われるであろう。 (菩薩本行経・上)

1 ...経典のことば(35) 立正佼成会会長 庭野日敬 阿難よ、あの羊飼いは、草の傘をもって仏を暑さから覆うた。その功徳によって十三劫(こう)のあいだ天のよき所に生まれ、自然に七宝の傘をもって覆われるであろう。 (菩薩本行経・上) 微笑された世尊  お釈迦さまが、大勢の弟子たちと共に、ウツタンラエン国のある村に行かれたときのことです。  ちょうど真夏のことで、太陽は頭上から照りつけ、あまつさえその村には林も木立もなく、涼しい陰がひとつもありませんでした。  一人の羊飼いが道端の野原で羊の番をしていましたが、お釈迦さまの一行がカンカン照りの中を歩いて行かれるのを見て、気の毒に思いました。なかでも、いちばんお年を召したお釈迦さまがおいたわしくてなりません。  そこで、大急ぎで道ばたの草を集めて傘を作り、一行のあとを追って走りました。ようやく追いつくと、お釈迦さまの後ろからその粗末な傘をさしかけて歩きました。  ずいぶん行ってから、少年は、羊の群れから遠く離れてしまったことに気づき、傘を地上に投げ出して駆けもどって行きました。  それをごらんになったお釈迦さまは、ニッコリとほほ笑まれました。お供をしていた阿難は、お釈迦さまに申し上げました。  「世尊はめったにお笑いになったことはございませんのに、いまニッコリなさいました。どうしたわけでございますか」  お釈迦さまはおっしゃいました。  「そなたはあの羊飼いを見ていたか」  「はい、見ていました」  「阿難よ、あの羊飼いは、草の傘をさしかけて、わたしを暑さから守ってくれた。その功徳によって十三劫(劫=数字では表しきれないほど極めて長い年月)のあいだ天界のよい所に生まれ、自然に七宝で飾られた傘で覆われるであろう」 純粋な思いやりこそ  この話を読むと、二千五百年前のこととは思えず、つい昨日あたり、そこいらの村での出来事のように感じられるのです。そして、ほのぼのと胸が温まるような美しい情感に、しばらくうっとりとさせられます。  少年のしたことには、理屈も何もありません。ただ自然に起こった「おいたわしい」という心情です。純粋な思いやりです。  そして、その辺の草を集めて傘を作ってさしかけてお供をした。そこには、為になろうとか、良いことをしようとかいう心さえありません。文字通り無邪気そのものです。フト気がついたら遠くまで来てしまったので、あわてて傘をほうり出して走って帰った……その子供らしい行為、これまた無邪気そのものです。  お釈迦さまは、その無邪気さについニッコリされたのではないかと拝察されます。そしてその純粋さの功徳を大きく評価されたのでありましょう。  最近の社会には、こうした心温まる話が少なくなりました。新聞・雑誌・テレビなどの報道も、ギスギスした、血なまぐさいものが主流を占めています。そのために人の心もますます乾いていくのではないかと思われます。  アメリカのある地方で、いわゆる美談ばかりを報道する新聞を発刊したところ、じつに売れ行きがよいということを聞きました。人間の心の底にはまだまだそうした尊いものが残っているものと、ホッとする思いがしました。  思わず微笑が浮かぶようないい話、そんなものをたくさん掘り出したいものですね。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば36

愚人に交わるは 臭き物に近づくが如し 次第に迷いて非を習い 自ら覚えずして悪をなす 賢者に近づくは 薫香に染むが如し 自然に智を進め善を習い 清浄の行をなす (法句譬喩品第一)

1 ...経典のことば(36) 立正佼成会会長 庭野日敬 愚人に交わるは 臭き物に近づくが如し 次第に迷いて非を習い 自ら覚えずして悪をなす 賢者に近づくは 薫香に染むが如し 自然に智を進め善を習い 清浄の行をなす (法句譬喩品第一) 紙の香りと縄のにおい  大雨が降ったあとの道を、お釈迦さまのあとについて、最近教化されたばかりのバラモンたちが歩いていました。  お釈迦さまがつと立ち止まられて、路上に落ちている紙を拾うように命ぜられました。そして、  「その紙は何だと思うか」  と尋ねられました。バラモンは、  「いい香りが残っておりますから、多分香を包んだものだったのでございましょう」  とお答えしました。  しばらく行くと、縄切れが落ちていました。お釈迦さまはそれも拾わせてお尋ねになりました。  「何の縄だと思うか」  バラモンは縄をかいでみて、  「魚をゆわえたものでございましょう。なま臭いにおいがいたします」  と答えました。そこでお釈迦さまは、  「すべての物は本来、清らかなものだが、因縁によってあるいは罪を作り、あるいは福を得るようになるのだ」とお説きになり、重ねて標記の偈をお示しになったのです。 情報化時代に生きる教え  偈の意味は説明するまでもありますまい。また――こんなことは昔から言い古されたことで、何をいまさら――という思いをされるかもしれません。  だが、ちょっと待ってください。情報化社会といわれる今日こそ、このお言葉が千鈞(きん)の重みを持って迫ってくるとはお考えになりませんか。  交わる相手は、何も人間だけとはかぎりません。現代においては人間よりもむしろ、テレビと交わり、ラジオと交わり、新聞と交わり、雑誌と交わる分量が多いのです。  そういったものが提供する情報の中で、純粋な「報道」は、それがいかに痛ましい、残虐な、腹立たしい、汚濁に満ちたものであろうとも、現実の社会に生きる者として耳を覆うわけにはまいりません。  しかし、純粋なニュース以外の情報に対しては、よほどしっかりした態度をもって選択し、対応しなければ、この偈に示された「臭き物」に近づいてそのにおいに汚染される恐れが十分にあるのです。  とりわけ拾うのをやめるべき縄切れは、有名人のプライバシーを興味本位に覗き見る番組や週刊誌等の記事だと思います。それは、あるときは人間の心の隅に潜んでいる「人の不幸を喜ぶ気持ち」をかき立て、あるときは「ひとの幸福を羨む嫉妬心」を呼び起こし、ろくなことはありません。  自分では井戸端会議をしているような軽い気持ちで見ているつもりでしょうが、この偈にあるように「次第に迷いて非を習う」ものです。いつしか人間としての品性が下落していくものです。  やはり読書は、しっかりしたシンのある、重みのある本を読みたいものです。現代人は、ともすれば軽く読み捨てられるものに手を出しがちですが、その傾向が大きく集積すれば、軽薄で、刹那的で、無責任な思想の流れを生み出すことは必至です。そうした病弊はすでに顕著に表れつつあります。  ものを見通す力を持つ人が見ると、真理の書からは尊い光が射し出ているそうです。そのような書物をゆっくりと読み、そのような後光の中で暮らしてこそ、ほんとうの文化人と言えるでしょう。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば37

大毒蛇なり阿難。 悪毒蛇なり世尊。 (大荘厳経論・巻六)

1 ...経典のことば(37) 立正佼成会会長 庭野日敬 大毒蛇なり阿難。  悪毒蛇なり世尊。 (大荘厳経論・巻六) あぶく銭を得た農夫  あるとき、お釈迦さまが阿難を連れて、舎衛国の農村を歩いておられました。  田んぼのそばに土が小高く盛り上がった所があるのに目を留められた世尊は、  「阿難よ、あれをごらん。あの中には大毒蛇がいるんだよ」  と仰せになりました。阿難はそれを見て、  「なるほど、世尊。恐るべき悪毒蛇がおります」  こう話し合いながら歩いて行かれました。すぐ近くの田を耕していた一人の農夫がこの会話を聞いていて、仏さまと阿難さまは千里眼を持っておられるのか……と思い、その小さい丘を掘ってみると、中からたくさんの黄金が出てきました。  「なぁんだ。金じゃないか。仏さまがたはどうしてこれを『大毒蛇だ』『悪毒蛇です』などと言われたんだろう。こんな有り難いものを……」  そうつぶやきながら黄金を掘り出し、家へ持って帰りました。  それまでこの農夫はたいへん貧乏で、着る物にも食べる物にも不自由していたのですが、思わぬ大金が入ったのでいい気になり、新しい着物は買うわ、毎日ご馳走は食べるわと、大いにぜいたくを始めました。  近所の人たちがそれを見て怪しく思い、いつしかそれが役人の耳にも入り、彼は役所に引っ立てられました。そして金の出所を追及されました。ありのままを言ったのですが、そんな夢みたいなことは通らない、と吟味は厳しくなるばかりです。  もはや刑罰を受けるのは必至となってから、彼は弁解をやめて、ただ、  「大毒蛇なり阿難。悪毒蛇なり世尊」  と口の中でつぶやくばかりでした。 現代にも毒蛇はいる  そのことを刑吏から聞いた王は不思議に思い、農夫を呼び出して直接事情を聴きただしてみました。彼は一部始終を申し上げ、  「仏さまと阿難さまの仰せられた通りだと、今つくづくわかりました。わたくしは毒蛇に咬まれたのでございます。いや、毒蛇に咬まれたのは一身だけですみますが、黄金に心をくらまされると、その害は家族や親戚までにも及びます」  と言いました。王は深く感じ入り、  「よくぞそこまで悟った。まことに仏陀のお言葉は常に真実である。よろしい。そなたから取り上げた残りの金は返してやる。そのうえ、褒美の金も遣(つか)わすとしよう。これからは仏陀の教えを敬信して、正しい道を歩むがよい」  と、嬉しい判決を下したのでありました。  「黄金は毒蛇である」という言葉を聞いて、素直に納得しない人も多いことと思います。たしかにお金は大切なものです。今の世の中に生きていくには無くてはならぬものです。  しかし、この農夫が額に汗することなく得た大金が身に災いを呼んだような実例は、今の世にも数多くあります。  楽をして儲けようという心理につけ込むさまざまな商法が次から次へと出現することは周知の通りです。そして多くの悲劇を生んでいることも新聞紙上などで見られる通りです。そういう意味で、まことに「黄金は毒蛇」なのです。  釈尊も決して金銭を無視してはおられません。そのことは、善生経の次のお言葉でも知られます。  「まず技術を習って、しかる後に財業を得べし。財業すでに具わらば、宜しくみずから守護すべし」 題字と絵 難波淳郎 ...

経典のことば38

麤(そ)者は麤事に悟り細者は細事に解(げ)す (大荘厳経論・巻六)

1 ...経典のことば(38) 立正佼成会会長 庭野日敬 麤(そ)者は麤事に悟り細者は細事に解(げ)す (大荘厳経論・巻六) 三帰依だけで助かった  今回はひとつ笑い話をしましょう。  むかし、ある所に一人の修行者が住んでいました。たびたび盗賊に襲われて、なけなしの物を盗まれるので、固く戸を閉ざして用心していました。  ある日また盗賊がやってきました。戸締まりの厳重なのを見て、  「おい、戸を開けろ」  と怒鳴ります。修行者は言いました。  「あんたを見るのが怖いから、戸は開けないよ。しかし、欲しいものは何でもやるから、この窓から手を入れなさい」  単細胞で頭の回転の鈍い盗賊は、言われるとおり小窓から手を差し入れました。修行者はすかさずその両手を捕まえ、縄でギリギリに縛り、あわてて逃げようとする盗賊をとらえて柱に縛りつけてしまいました。  そして、太い棍(こん)棒をふり上げ、力まかせに打ち据えました。  一つ打つと、  「帰依仏と言え」  と言います。盗賊が、  「帰依仏」  と唱えると、修行者はまた一つ打ち据え、  「帰依法と言え」  と言います。盗賊がそのとおりに唱えると、また一つ殴りつけ、  「帰依僧と言え」  と言います。あまりの痛さに気を失いそうになりながらも、言われるとおり唱えましたが、心の中に思いました。――この修行者はいくつ帰依を持っているのだろう。もうこの辺でおしまいにしてくれないかなあ――と。  ところが、修行者は、盗賊が素直に三帰依を唱えたのに免じて、縄を解いてやり、早く立ち去るように言いました。 骨身にこたえる悟りこそ  よろよろと立ち上がった盗賊は、帰依仏、帰依法、帰依僧とは何の意味かと質問します。修行者がその由来と意味を説明してやりますと、にわかに――わたしを出家させてください――と言い出しました。修行者が――突然、どうしたわけで――と尋ねますと、盗賊は、  「仏さまは今日のわたしのことをチャンと知っておられて、三帰依だけを説かれたのでしょう。もし四帰依も五帰依も説かれたら、わたしは死んでしまったでしょう。仏さまはわたしをあわれんで、生かしておいてくださったのです。ですから、お弟子になりたいのです」  じつに見当違いも甚だしい解釈で、笑いがこみ上げてきますが、しかし、後でその盗賊が歌った標記の詩(偈)を読むと、出かかった笑いが急に止まるのを覚えます。 麤というのは粗(あら)いという意味で、細というのは緻密なとでもいう意味です。つまり「粗放な人間は粗放なことで悟り、緻密な人間は緻密なことで理解する」というのです。  これはスバラシイ真理だと思います。人間はすべて平等に仏性を持っているのですが、その発現の動機やプロセスは千差万別で、ある人はとんでもない事件によって仏性を開発させられ、ある人は教義などを細かに研さんして悟りを開くでしょう。そこに、どんな人にも向上の希望があり、また教化のおもしろみもあると思います。  国家としても、わが日本国は太平洋戦争という粗放極まる行為によって悟りを開き、軍備を放棄し、平和国家として生きることを決意しました。理論的に平和の大切さを探究した結果ではありません。国家の命運を賭けた荒々しい行為の結果の悟りです。それだけに、骨髄に徹して忘れることはありません。また、忘れてはならないのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば39

転輪聖王の判断とは、無益の事を除き、有益の事に向かわせることである。 (根本説一切有部毘奈耶薬事第十五)

1 ...経典のことば(39) 立正佼成会会長 庭野日敬 転輪聖王の判断とは、無益の事を除き、有益の事に向かわせることである。 (根本説一切有部毘奈耶薬事第十五) 二人の農夫のけんか  お釈迦さまが、前世の物語を縁として説かれた教えです。  「むかしハラニシ城の郊外に一人の仙人が住んでいた。たいへん慈悲深く、一切の生きものに対して平等な愛情を持っていた。  仙人のすぐ近くに二人の農夫が住んでいた。耕地のことから争いを始め、殴り合いのけんかになり、王に訴訟を起こして黒白をつけてもらうことにした。そして、はからずも二人の争いを見ていた仙人に、証人になってくれるよう頼んだ。仙人は快く承知して出廷した。  王は仙人に向かって、  『この争いはどちらが先に始めたのか』  と聞いた。すると仙人は、  『王よ、転輪聖王(てんりんじょうおう)の法によってお裁きになるならば、わたしは証人になりましょう。そうでないならば、証人はお断りします』  と答えた。王は、  『よろしい。そのとおりにしよう。さて証人よ、どちらが先に始めたのか』  『この男があの男に怒りを抱き、あの男がこの男に怒りを抱き、お互いに殴り合ったのです』  『それならば、二人とも罰せねばならぬのう』  『王よ。だからわたしは先に申し上げたではありませんか。転輪聖王の法によって裁かれるなら証人になりますが、そうでないならご免こうむります……と』  『どうもよくわからぬ。その転輪聖王の法とはいったいどういうことか』  『無益なことはやめさせて、有益なことへ向かわせることです』  その一言で、賢明な王はハタと悟った。そして二人の農夫に向かって、  『おまえたちはすぐ帰って、農業に励め。二度とつまらぬ争いを起こしてここへ来るのではないぞ』  と言い渡した。それ以来、二人は自分の田畑を耕作することに専念し、平和に暮らしたのであった」 二十一世紀人類への示唆  転輪聖王というのは、古来インドにあった思想で、世界を統治する帝王の理想像です。武力を用いず、正義と正法のみで政治し、天下を穏やかにまとめるというので、聖王と名づけられるわけです。  したがって、この仙人が言った「転輪聖王の法」というのは、争いそのものを究明したり、当事者を処罰して一件落着とするといった、現象に執らわれた目先だけの処断ではなく、それをもう一つ飛び越え、もう一歩先と進んで、正しい生き方をガイドするという、積極的・創造的な法を意味するものです。  この説法は、たんに個人と個人間の問題だけでなく、二十世紀から二十一世紀にかけての人類の、国家と国家、民族と民族との紛争を収める方途を教えてくださっているように思われてなりません。  すなわち、国家・民族の別などを超越した機関ができて、世界中のだれもが納得できるような正法と道理によって事を裁き、無益な紛争や戦争をやめさせ、人類全体が幸せに生きるという有益な方向へ向かわせる。それが人間が救われる最後の道だぞ……と、この説話で示唆されているように思われてならないのです。  そういう意味で、この言葉には無限の尊い響きがこめられていると感ずるのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば40

仏陀は「もろもろの草木も生きものであり、魂を持っている」と説きたもうた。ゆえにわれらはそれを切ることはできない。 (大荘厳経論巻三)

1 ...経典のことば(40) 立正佼成会会長 庭野日敬 仏陀は「もろもろの草木も生きものであり、魂を持っている」と説きたもうた。ゆえにわれらはそれを切ることはできない。 (大荘厳経論巻三) 草で縛られた比丘たち  数人の仏道修行者たちが荒野の中を旅していたところ、盗賊の一団が襲いかかり、衣服を全部剥ぎ取ってしまいました。その上、――この修行者たちが村に行ってしゃべってはこちらの身が危ない。みんな殺してしまおう――ということになりました。  ところが、賊の中にかつて出家した経験のある男がいて、言いました。  「なにも骨を折って殺すことはないよ。仏教の比丘たちは、戒律によって生きた草木を傷つけることをしないから、ほら、そこいらにいっぱい生えている長い草で縛っておけば、いつまでもジッとしていて、そのうち死んでしまうさ」  なるほど……というので、盗賊たちは身の丈以上に伸びている生えたままの草でガンジガラメに縛り、立ち去って行きました。  修行者たちは、裸のまま一日じゅう強烈な太陽に照らされ、蚊・アブなどに全身を刺され、その苦しさといったらありません。日が暮れると、夜行性の獣たちがうろつき、野狐やフクロウが鳴き、気味わるい限りです。  しかし、リーダーである老比丘の激励によって、比丘たちは耐えに耐えて一夜を明かしました。  翌朝たまたま狩りに出かけた国王が、はるかにこの人たちを見つけ、家来を見に走らせました。家来がありのままを報告しますと、  「それは裸形外道(らぎょうげどう)ではないか」と王は聞きます。  「いいえ、真っ裸で恥ずかしそうにしていましたし、第一右の肩だけが真っ黒に陽焼けしていますから、仏教の僧たちに違いありません」  と家来は言いました。興味をそそられた王は、さっそく修行者たちの所に行き、  「どうしてこんな草などに縛られておられるのですか。これぐらいすぐ引き抜けるのに……」  と尋ねますと、比丘は答えました。  「わたくしたちの師仏陀は『もろもろの草木も生きものであり、魂を持っている』と仰せられ、そのいのちを断つことを禁ぜられました。もちろんこの草を引き抜くこともできれば、断ち切ることも容易にできますが、仏陀のおん戒めは金剛(こんごう)のように固いのです。それを破ることはできません」 地球砂漠化の戒めと  王はそれを聞いて非常に感激し、さっそく手ずから比丘たちを縛っていた草をほどいてあげました。  そして、そのような教えを説き、弟子たちが命を捨ててもその戒めを守ろうとする釈迦牟尼世尊とはなんという偉いお方であろうかと、深い帰依の心を起こしたのでありました。  この話は、もちろん持戒の心の堅固さをたたえたものでありますが、わたしは現在の地球が直面している危機にかんがみて、お釈迦さまの「草木の生命を断つなかれ」という戒めを、そういった意味で重大に考えざるをえません。  周知のとおり地球上からは日一日と緑が失われ、砂漠化が急速に進行しつつあります。それなのに、緑に養われている人間たちは、目前の利益と安楽を貪るためにその大切な恩人たちを殺生しつつあるのです。  こうした末世の人間たちに、お釈迦さまのこの戒めと、それを懸命に守った比丘たちの所行は、絶大な教訓を与えているものと考えざるをえないのです。たんなる昔の信仰美談として読み過ごすことはできないものと思います。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば41

そなたがまさしく見たように 小さな種子から大樹が生ずる わたしもまさしく見ているのだ 小さな行為から大きな報いが生ずることを (根本説一切有部毘奈耶薬事第八)

1 ...経典のことば(41) 立正佼成会会長 庭野日敬 そなたがまさしく見たように 小さな種子から大樹が生ずる わたしもまさしく見ているのだ 小さな行為から大きな報いが生ずることを (根本説一切有部毘奈耶薬事第八) 業報は無限に展開する  お釈迦さまが王舎城を出て多根樹という村で托鉢されたときのことです。  カピラバストからこの村に嫁に来た一人の女がいて、光り輝く仏陀のお姿を見て心の中に思いました。――仏さまは釈迦族の中でいちばん尊いお方。そんなお方がわたしのような者にまで食を乞われる。有り難いことだ。わたしはこの麦こがしを差し上げよう――。  仏陀はすぐその心を見通され、鉢を持って近づき、「姉妹よ、そなたの麦こがしをこの鉢に施してください」とおっしゃいました。女は自分の心を見抜いていてくださったことを知り、ますます尊敬の念を深め、うやうやしく麦こがしを供養しました。  仏陀はニッコリと微笑されました。おそばにいた阿難がそのわけを聞きますと、「この女は十三劫という長いあいだ天上界に生まれ、最後には独覚の悟りを得ることを予知したから、微笑したのである」とお答えになりました。  仏陀のそのお声は村中に響きわたりました。林の中にいた女の夫がそれを聞いて大いに怒り、駆けつけてきて、  「お前はおれの妻から麦こがしをもらうために、独覚の悟りを得るなどと大嘘をついたな。少しばかりの麦こがしでそんな果報が得られるはずがない。この嘘つき奴!」  と怒鳴りつけるのでした。仏陀は静かに、  「そなたは珍しいと思うことを見たことはないかね」  とお尋ねになりました。すると男は、  「珍しいものはいろいろ見たが、この村の多根樹ほど珍しいものはないだろう。なにしろ一本の木の陰に五百台の馬車をゆっくり入れることができるのだから……」  と言います。  「ほほう。だとしたら、その木の種子はよほど大きいのだろう。ひき臼(うす)ぐらいか、牛のかいば桶ぐらいか」  「いや、そんなに大きくはない。ごく小さいものだ」  「そんな小さい種子から、木陰に五百台もの馬車を入れるほどの大樹がほんとうに育つだろうか」  「ほんとうだ。ちゃんとおれが見て知っているのだ」  男がそう断言すると、釈尊は即座に一つの偈を作って示されました。 そなたがまさしく見たように 小さな種子から大樹が生ずる わたしもまさしく見ているのだ 小さな行為から大きな報いが生ずることを  男はなるほどと感じ入ったのでありました。 仏典の小話の読み方  この小話に含まれる教訓は、もはや説明の要もありますまい。しかし、仏典に出てくるエピソードは、意味が明白だからといって軽く読み過ごしてはならないのです。そこに登場する人間像やその心理を、自分と引き比べながら思いめぐらしてみることが大切なのです。  例えば、この女が麦こがしを供養しようとした瞬間の気持ちを推し測ってみましょう。すると、どう考えてもそこになんらの交換条件のような心もなければ作為もなく、おのずから催してくる純粋な気持ちからだったとしか思われません。お釈迦さまもその魂の純粋さを高く評価なさったのだろうと拝察されます。そしてそこから、われわれが布施や善行をなす場合の大切な心得を教えられるのです。  このように、仏典に出てくるどんな小さなエピソードでも、それを出発点として思索を深めてみることが大切だと思います。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば42

この国の人びとは、みなすぐれた人ばかりである。 (旧雑譬喩経下)

1 ...経典のことば(42) 立正佼成会会長 庭野日敬 この国の人びとは、みなすぐれた人ばかりである。 (旧雑譬喩経下) 凶暴な人びとの教化  お釈迦さまが王舎城の霊鷲山で法をお説きになっておられた時のことです。隣国に、人民が凶暴で、さまざまな悪事をしてはばからない一国がありました。お弟子の中で神通第一といわれた目連が、あの国へ行って人びとを教化したいと決意し、世尊にお許しを願いました。  世尊がお許しになったので、目連は勇んでその国に行き、熱弁をふるって悪行の罪の計り知れないことを説き、善をなすことをすすめました。ところが、人びとは怒って目連をののしり、教えに耳を傾けるどころではありませんでした。目連はスゴスゴと帰ってきました。  それを見た智慧第一の舎利弗は、「人を教化するには智慧を授けるに限る」と言い、世尊の許しを得て出かけて行きました。しかし、その国の人びとは唾をひっかけて侮辱し、相手にしませんでした。  次には摩訶迦葉が行きましたが、これもむなしく帰ってきました。こうしてたくさんのお弟子たちが代わるがわる行きましたが、みんな追い返されてしまいました。  それまでの様子を黙然と見守っておられたお釈迦さまは、やはり菩薩でなければ、かの国の人びとは教化できないとして、文殊菩薩にそれを命ぜられました。  文殊菩薩はその国に行きますと、第一声に「この国の人びとは、みんなすぐれた人ばかりである」と言い、個々の人に会うごとに、「そなたは勇気がある」「そなたは孝心がある」「そなたは胆力がある」などと、おのおのの長所ばかりを認めて称賛しました。  みんなはいい気持ちになり、文殊菩薩を手厚く供養するのでした。文殊は頃合いを見はからって、こう言いました。  「そなたたちはわたしを尊敬し、供養してくれるが、わたしの師である釈迦牟尼世尊はわたしなんぞ足元にも及ばない尊いお方である。世尊を供養するならば、わたしを供養するよりも幾十倍もの福が得られるだろう」  人びとは大いに喜び、文殊に連れられて霊鷲山にお詣りし、世尊のお説法を聞くようになったのでありました。 愛語には廻天の力あり  「叱る教育」と「褒める教育」とどちらがいいか、いろいろ議論が分かれているようです。わたしはこう思います。知性の発達した相手には「叱る教育」も効果があるが、未熟な者には「褒める教育」に限ると。  とりわけ、凶暴で非行に走る傾向のある相手に対しては、文殊菩薩がしたように、その人の持つ良い個性を認め、理解してあげることが第一の要件だと思います。どんなワルでも、心の隅には自分の悪行を「よくないなあ」と考える気持ちが潜在しているのですが、世間が「悪い奴」と決めつけ、冷たくするために意地になって悪行を重ねるわけです。  だから、自分のある一点でも褒めてくれる人があれば、無性に喜び、人間がガラリと変わることが多いのです。凶暴な人間は、わるく言えば単純で幼稚だし、よく言えば純粋なところがあるからです。  一般の人びとにしても、褒められて悪い気持ちのする人はありません。ただし、おべっかやへつらいは別です。ほんとうにその人を理解して褒めれば、理解されることは人間にとって無条件の喜びですから、心がホドけてくること必定です。  道元禅師が「愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」と喝破されたとおりなのです。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば43

汝もし念ずることあたわずば、まさに無量寿仏と称すべし (仏説観無量寿経)

1 ...経典のことば(43) 立正佼成会会長 庭野日敬 汝もし念ずることあたわずば、まさに無量寿仏と称すべし (仏説観無量寿経) どんな人でも救われる  観無量寿経には、仏・菩薩や浄土を観想し憶念する功徳と、経題や仏・菩薩の名を聞く功徳と、仏号を称(とな)える功徳とが述べられています。  観想というのは、仏・菩薩や浄土があたかも眼前にあるかのように思い浮かべることです。憶念というのは、深く思いこみ、いつでも、そしていつまでも忘れないことを言います。聞く功徳というのは、仏・菩薩の説法の声をまざまざと聞くことで、一種の天啓をいうのです。  こういうことは、よほど前世によい業を積んだ人か、現世においても修行に修行を重ねた、いわゆる上根上機の人でないと可能なことではありません。ましてや、生計のための仕事に追われ、また合理思想のみに執らわれている現代人にとっては、まことに至難のわざと言うべきでしょう。  しかし、どんな人でも、ただ無量寿仏の名を称えさえすれば極楽往生ができる……というのが、このことばの意味です。  無量寿仏とは、このお経の中では阿弥陀如来を指しておられますが、その名からもハッキリ読み取れるように、もともとは法華経の寿量品に説かれる久遠実成の本仏と同一体なのです。ですから、われわれ法華経の信奉者にとっては、「汝もし念ずることあたわずば、まさに南無久遠実成の本仏と称すべし」と受け取っても、少しも差しつかえありません。 ことばには霊力がある  さて、名を称えさえすればいいのだ……というのは、たいへん安易な教えのようですけれども、決してそうではありません。称えること、呼びかけることは、実に重大なことなのです。というのは、ことばには霊力があるからです。  日本の神道でも言霊(ことだま)ということを重んじます。キリスト教でも、「はじめにことばあり、ことばは神と共にあり、ことばは神なりき」(ヨハネ伝一・一)と言っています。  法華経の中にも、普門品には「声を発して南無観世音菩薩と言わん。其の名を称するが故に即ち解脱することを得ん」をはじめ、その名を称えれば救われるということが繰り返し繰り返し説かれています。  標記のことばにいちばん近いのは、方便品の「若し人散乱の心に 塔廟の中に入って 一たび南無仏と称せし 皆巳に仏道を成じき」という一句です。散乱の心でもいいというのです。カラ念仏でもいいというのです。とにかく称えることだというのです。というのは、たとえ散乱の心で称えたのでも、カラ念仏でも、称えたこと自体が発心の種子になるからです。あるいは発芽になるからです。これがことばの持つ霊力です。「はじめにことばあり、ことばは神なりき」なのです。  もちろん、われわれ信仰者は、教義を学び、仏を信じ、法に帰依し、僧伽を重んじ、教えの通り行じていかねばなりません。そうすることによって、われわれが称える「南無妙法蓮華経」の霊力はますます増大し、諸仏・諸菩薩・諸天善神と感応道交(かんのうどうきょう)するようになるのです。  しかし、それにしても、日常の仕事に追われて心が散乱し、仏さまを念ずることを忘れているとき、フト思い出しては無心に「南無妙法蓮華経」と称えること、それがどんなに大事であるか……標記のことばは、そういった意味でまことに有り難い教えだと思います。 題字と絵 難波淳郎...

経典のことば44

我身命(しんみょう)を愛せず 但(ただ)無上道を惜しむ (法華経・勧持品

1 ...経典のことば(44) 立正佼成会会長 庭野日敬 我身命(しんみょう)を愛せず 但(ただ)無上道を惜しむ (法華経・勧持品) 現代にもこんな人が  法華経を行ずる者の気魄を一気に吐露した、すさまじいばかりの名句です。日蓮聖人がこれを一生の箴言(しんげん)とされたことは有名です。  意味はいまさら説明するまでもありませんが、現代語に訳しますと「わたくしどもは、命など惜しいとは思いません。ただ仏さまのお説きになったこの無上の教えに触れない人が一人でもいることが何より惜しいのでございます」ということです。  利己と自愛ばかりがまかり通っている今の世の中にはなかなかお目にかかれない精神のようですが、そうではありません。本会の会員にはこのような人がたくさんおられるのです。その一例を紹介しましょう。  アフリカのスーダン東部の国境地帯に、飢えと戦火から逃れてきたエチオピア難民のキャンプがあり、そこに医療援助として本会から佼成病院の岩田好文医師と山下方子・池田友子・小柳昌代の三人の看護婦が派遣されました。熱帯の奥地という最悪条件下に活動しておられるその方々の様子を聞きますと、まさしく「不惜身命」の典型なのです。  岩田医師は、日本では見られない病気が次々と発生するので、昼間の診療に疲れた身にムチ打って、夜の十時ごろまで研究に打ち込んでおられるそうです。看護婦さんの苦労もそれに劣るものではありません。  ある日「赤ん坊を助けて」という連絡が入り、駆けつけてみると、明らかにコレラの症状。小柳看護婦がすぐその子を抱き取り、岩田医師が診察しました。その最中、子供が下痢し、看護婦の着衣にベットリかかった。その汚れを気にもせず、便の色を見た看護婦は「この色なら大丈夫よ」と叫んだ。その瞬間の小柳さんは、まさに天使そのものだったでしょう。 人のために捧げる命なら  また、ある日、病魔に侵された十二、三歳の男の子が、突如、山下看護婦にむしゃぶりついてきた。まわりの人たちが、危険だからとその子を引き離そうとした。だが、山下看護婦は、肩や腕をひっかかれながらも、「いいのよ、この子は寂しいのよ」と言って、じっと抱きかかえていた。すると男の子は、安心したように彼女の腕の中で静かになった。これまた天使の姿ではないでしょうか。  雨期になってものすごい雨が降り、地面に柱を立て、ワラで屋根を葺いたばかりの病棟のベッドの下は泥水だらけになる。さらに、流れ込む泥水には大小便も混じり、その中にはたくさんの病菌が入り込み、衛生状態を極度に低下させる。そこで、雨がやむと、看護婦とスタッフたちは泥をかき出す作業をするのだが、靴をはいていると泥の中にめり込んで靴が脱げてしまうので、みんな素足になってやった。もし足に小さな傷でもあれば、そこから病菌が侵入してくることは必至だ。それでも、病棟を少しでも清潔にするために、彼女らはそんなことなど構っていなかった。  あとで、そのことが批判されたとき、彼女らはこう言ったそうです。  「わたしたちがここへ来たのは、一人でも多くの人の命をお救いするためです。そのためにわたしたちの命が使われるのなら、これ以上の喜びはありません」と。  この報告を聞いて、わたしたちはただただ頭が下がりました。今の世にも「我身命を愛せず」の気魄に満ちた人はいるのです。それを思えば、法華経の行者であるかぎり、のうのうと暮らしてばかりいられないのではないでしょうか。 題字と絵 難波淳郎...