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法華三部経の要点 ◇◇30
立正佼成会会長 庭野日敬

火宅の動物たちは人間の煩悩

高慢・怒り・愚かさ

 譬諭品の『三車火宅の譬え』には、さまざまな動物の生態にことよせて、人間の煩悩の醜さ、汚さ、いやらしさが、これでもかこれでもかといわんばかりに描かれています。読んでいて胸がわるくなる思いがします。しかし、そんな思いがそのまま反省のよすがとなり、懺悔のきっかけになるのですから、性根を据えて読まねばなりますまい。
 さて、古びて崩れかかった大きな屋敷の上をわがもの顔に飛びまわっているクマタカやカラスやワシなどの鳥は「慢」の象徴です。高い所から他を見くだしている高慢な心です。他の生物が地上をはいまわっているのに対して、自分は空中を自由自在に飛びまわっているのですから、よほど自省しないかぎりこのような驕(おご)りが生じやすいのです。いま世界一の経済力を誇る日本人には、このような驕りが生じつつあるのではないでしょうか。
 つぎに、マムシやサソリやムカデなどが住みついているとあります。これらは他を刺したりかんだりして害を与える毒虫で、「瞋(しん)」すなわち「わがままな怒り」を象徴しています。自己中心の心から起こる怒りは、個々の人間関係をそこなうばかりでなく、それが民族的な「瞋」となると、長いあいだ中東あたりにくすぶりつづけているような戦争や紛争の元凶となるのです。「怒り」が慢性化すると「恨み」に変化するから恐ろしいのです。 
また、イタチやタヌキやネズミなどが横行しています。これらは夜行性の動物で、智慧の光をきらい、やみにうごめく愚かな心「痴」を象徴しています。これらの動物に譬えられる人は、いちおうは利口なんです。利口は利口でもいわゆる小利口であって、コソコソした世渡りは上手だけれども、天地の理にかなった大きな智慧に欠けているために、たとえば一時の利益のためにやった贈収賄などが白日のもとにさらされると、小利口がじつは「痴」にすぎなかったことが露呈されることになります。心すべきことでしょう。

すべての苦しみは貪欲から

 不浄物がいっぱい流れており、その上にクリムシの類がたかっている汚らしい光景がえがかれています。このクリムシは何を象徴しているかといえば「疑」の心です。心性の下劣な人は、えてしてうさんくさい物事にかかわり合うものです。したがって、何事にもまず疑ってかかります。こうして「疑う」のが心の習慣になりますと、心性はいよいよ下劣になっていくのです。
 ですから、人間にとっていちばん大切なのは、いつも言うことですが、正直ということなんです。正直というのは何も難しいことではない。あたりまえのことを話し、あたりまえの行いをすればいいのです。多くの人がそうなれば、当然「疑」は人びとの心からしだいに消えてゆき、人と人との間に美しい信頼関係が生じてきます。そうなってこそ世の中はほんとうに寂光土化されるのです。
 つぎに、いろいろなケモノが食をあさっていがみ合うあさましい姿がえがかれています。これは凡夫の心「貪欲」の象徴です。欲望というものは「生存」そのものと密着しているものであって、全面否定はできません。しかし、それが必要に応じたほどほどのものであり、そのほどほどに満足しておれば問題はないのですが、ともすれば「もっと、もっと」と限りなく肥大させがちです。それを貪欲というのです。
 「もっと、もっと」と限りなく肥大しつづける貪欲が完全に満足されることはありえません。だから、そんな人はいつも欲求不満で心がイライラするばかりでなく、それによって病気を引き起こしたり、人間関係をそこなったり、犯罪に走ったり、いいことは少しもありません。まさにこの偈(げ)の中に喝破してあるように「諸苦の所因は貪欲これ本なり」なのであります。
                                                     

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