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...「法座」について 一 法座は立正佼成会のいのちであります。神髄であります。世界中にこのような形態の、生きて血のかよった、打てば響くようなハツラツたる信仰活動をしている教団は類例がなく、諸外国の宗教学者達もこぞって感嘆しているところであります。 と言っても、これは私の発明ではありません。お釈迦さまがお弟子達を指導されたり、大衆を教化されたその方法を、現代的な形で受け継いだものであり、これこそ宗教の原点に立ち返った正しい道であると確信しているのであります。 (昭和45年03月【躍進】) 創立以来の永い年月に、本会の信仰のあり方にも、形の上ではさまざまな変遷がありました。しかし、その中においても不動のバックボーンとしてわが会の存在意義を支え、隆々たる発展に導いたものが二つあります。 一つには、法華経を所依の経典とすることであり、二つには、法座を信仰活動の最大の拠点としてきたことであります。 法華経を所依の経典とする教団はほかにもたくさんありますので、これはしばらくおくとして、法座こそは立正佼成会独特のものであり、宗教が真に生きて働き、現実に人々を救う稀有な場であるとして、世界の宗教家や宗教学者が絶賛してやまないものなのです。 (昭和50年03月【佼成】) 「法座」について 二 この法座という集会は、意図して組織したのではなく、自然に発生し、発展したものであって、そのことがたいへん尊い意義を持っているのだと、私は信じています。創立の当初は入信しようと訪ねて来た人には、まず、その姓名によって過去の因縁を判断してさしあげていました。 それがピタリピタリと当たるものですから、毎日、たくさんの人が私の店(当時は牛乳店を経営していた)に訪ねて来られました。過去の因縁を鑑定するばかりではなく、今後の生き方についても法に照らしてアドバイスしてあげましたので、つまり一種のカウンセリング(面談相談)の場がそこにでき上がっていったのです。 ところで、牛乳発達のために妙佼先生のお店(冬は焼きいも屋、夏は氷屋を営んでおられた)に行ってみますと、妙佼先生は非常に豊富な人生体験を積んだかたでしたので、今で言う人生相談を持ちかけてくる人がたくさん集まっていました。そこで私もそれに加わり、いろいろと相談に応じたものです。ほかにも会員のお宅にこうした人々が集まっていて、私の来るのを待っておられました。 このように、真剣に救いを求めて集まって来る人々に、こちらも真剣かつ無私の気持ちで対応し、法に示されたとおりをビシビシと言ってあげますので、その場はまことに熱気があふれ、火花が散るような様相を呈していたものです。それだけに、おもしろいほど結果(現証)が出ました。世間の人にとっては奇跡としか考えられないようなことが、日常茶飯事のように起こったのでした。 これが、法座というものの偽らざる発生の歴史です。 (昭和50年03月【佼成】) 私の牛乳店の二階にあった本部も、廊下まで座ってもまだ入り切れないという状態になりましたので、妙佼先生のお住居の隣に二十五坪の本部を建設することになりました。そして、昭和十七年の五月に落成したこの建物に、私も住居を移し、牛乳店を廃業するのやむなきに立ち至ったのでありました。 法座も、この本部で行われることになりました。初めは五日に一回だけだったのですが、それではどうしても対処しきれなくなり、次第に回数が増え、ついには毎日開かれるようになりました。そして、ますます驚異的な成果をあげるようになったのです。 (昭和50年03月【佼成】) 「法座」について 三 釈尊教団では、重要な定例行事として、布薩という集会が毎月二回持たれました。そのころインドで一般に行なわれていた斎日にならったもので、在家信者もこの日にはとくに行ないを慎み、清らかな生活をするように努めたのですが、比丘・比丘尼教団ではこの日を自己反省と懺悔の日としていました。 毎月、満月と新月の日にもたれるこの布薩という集会で、戒律の基本条項をひとりが三度ずつ朗読し、もしみずからが戒律にそむくことがあったと判断するならば、それをみんなの前で懺悔することになっていました。この布薩は、教団を教団として保っていくうえの根本をなす重大行事として、欠席するなどは断じて許されなかったのです。わが立正佼成会で行なっている法座は、この布薩をより在家的に、より菩薩行的に発展させたものと言ってもよく、これまた教団を教団として維持していくうえに、最も重大な行事なのであります。 (昭和41年02月【躍進】) 「法座」について 四 講師が演壇に立ち、大勢の聴衆に向かって話をする形式の説法は、いわば一方通行です。話の中に納得できないところがあっても、その場で質問するわけにはいきません。また、身につまされる話があって、そこのところをもう少し突っ込んで話してもらいたいという気持ちがコミあげてきても、それを要求するわけにもいきません。それゆえ、よしんば感動的な話を聞いても、もう一歩のところで心の救いにまで達しないことが多いのです。その点、法座はまったくの“自由通行”と言うことができるでしょう。 どんな意見を求めようが、何度同じことを質問しようが、だれもとがめはしません。得心がいくまで聞きだし、考え合い、説き明かす場なのです。こうして得心がいくからこそ、救いに達することができるのです。 (昭和50年03月【佼成】) お釈迦さまは、鹿野苑の初転法輪からクシナガラでご入滅されるまでの四十数年間に、八万四千(無数の意)の法門をお説きになったと言われています。その中で、法華経のように大勢の聴衆を前にして、宇宙と生命の法則とか、人生の根本道理といった原則的な事柄について体系的な大説法をなさったのはむしろまれで、たいていはお弟子ひとりひとりの疑問に解決を与えられたり、在家の人達の悩みや不幸を救うために一対一の現実的な指導をなさった、いわゆる対機説法であったのですから、そのみ教えはまことに無数であったわけです。初転法輪では、わずか五人の比丘を相手に中道・四諦・八正道の教えをお説きになりました。すると、五人とも悟りを開き、自由自在の境地を得ました。 次には、富豪の子としての贅沢ざんまいの生活に自己嫌悪を起こして悩んでいた青年ヤシャを救われました。その縁でヤシャの父も仏さまに帰依し、またその家に招かれて一族の者にお話をされますと、ヤシャの母も妻も即座に法にめざめ、在俗の信者としてほんとうの幸福な人生にはいりました。(中略) こういう例をあげれば、それこそ無数にあるわけですが、ともあれ、この一つ一つの教化のなりゆきをつぶさに観じていただきたいと思います。それらがとりもなおさず、法座にほかならぬことがきっと胸におちてくることと思います。お釈迦さまは決して紋切り型の説法をなさらず、相手の機根と、事情と、環境と、時期とにピッタリ合ったご指導(結び)を与えられ、現実にひとりびとりをお救いになったのです。これこそ法座のほかのなにものでもありません。 (昭和45年03月【躍進】) 「法座」について 五 第一に、法座は、信仰者同士の純粋な集まりです。 そこには、世間的なみえも、外聞も、はばかりも、一切ありません。みんながほんとうに素っ裸になれる、この世にただ一つの場であります。(中略) われわれの法座においては、みんなが世俗的な鎧を脱ぎ、殻をうち破り、素っ裸になって話し合い、心の泥(我)をさらけだすのです。みんなが、ほんとうの人間に立ち返るのです。ほんとうの意味の解放感を味わい、仏性のわきあがりをマザマザと自覚することができるのです。まことに、この世に得難い、貴重な場であります。(中略) 第二に、法座はまた菩薩行の場であります。同信の人達の懺悔を聞き、こちらも心の壁を取り払って、その悩みに同情し、仏法に照らし合わせて、それを払拭する手段をともに考えてあげる。そうすることによって、その人に人生の真の幸福をもたらしてあげる。これが菩薩行の神髄です。(中略) したがって、まだ仏法に触れない人を仏法に導くことは、現実面の救いよりももっと尊い菩薩行と言わなければなりません。けれども、ただ仏法に導いてあげただけでは、その菩薩行は完成されていないのであって、仏法によって魂の浄化・人間の改造にまで導いてあげてこそ、はじめてそれが完成されるのであります。法座は、その菩薩行完成の場にほかなりません。(中略) 第三に、法座は、僧伽の結束を固める場であります。法座において裸と裸の魂が触れ合い、融け合うことによってこそ、お互いが一心同体になれるのです。「一本一本の葦は立つことができないけれども、それが束になれば、立つことができるのだ」と、お釈迦さまはお説きになりましたが、その教え、すなわち人間の相依性を如実に体験できる場も、法座であります。 結束と言っても、決して外部の勢力に立ち向かうためと言うような、第二義的な結束ではありません。お互いが人間的に研鑽しあい、仏性を磨きだしていくための第一義的な結束です。そういう意味における僧伽ないし法座のもつ価値は、実に絶大なるものがあります。(中略) このように、法座というものは、われわれの魂を清め、心の自由自在を得、人生の真の幸福を得る場でもあり、また他の人を救う菩薩行をほんとうに完成させる場でもあり、また、お互いが研鑽し合いながら一心同体になり得る場でもあります。つまり、お釈迦さまのお言葉によれば〈聖なる道のすべて〉であるのです。 (昭和41年02月【躍進】)...
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...法座修行 一 法座には、不思議と同じ悩みや同じ因縁を持った人が同座するものです。また、そうした悩みから救われ、そのような因縁を断ち切った“卒業生”が、結果を報告に来たり、救われたお礼を言いに来ていることもあります。 さらに、まだ“卒業”にまで達しきれず、法座へ追加指導を受けに来ている人と居合わせることもあります。 そうした、各段階の同信者がひざを突き合わせて、なんの隠しだても飾りけもなく〈悩みを打ち明け、懺悔し、共感し、一緒に考え合う。救われた人は自分の体験を語り、途中でつまずいている人はその原因について意見を求める。最後に、リーダーである法座主が法の示すところに従って結論を出し、今後の方針を打ち出してあげる(結び)〉というこのような素っ裸の魂と魂のぶつかり合い、信頼と信頼との交流、それがすばらしい結果を生まないはずはないのです。 これが在家仏教の真のあり方であると私は確信しているのですが、中でも大きな特長は、リーダーが“先生”でなく“先輩”であることだと思うのです。先生ともなれば、なんと言ってもその間に若干の距離を感じがちです。ところが、卒業したての先輩ですと、まったく身近な存在であり、その体験談も、アドバイスも、そのままじかに心身にしみ込んでくる感じがするものです。(中略) しかも、ただ独りの納得にとどまるものではありません。法座にはいろいろな人が寄り集まっているわけですが、そのみんなの人が、ある人の悩みや体験を聞き、それに対するリーダーの結びを聞くことによって、それぞれに自分なりの心の収穫を得ることができるのです。いや、それより何よりたいせつなことは、そのある人の苦しみに対して心から共感し、同情を覚え、なんとか救いの手を貸してあげたいという気持ちになることです。こうした慈悲の念が自然にわき、行動となって現われ、そのような菩薩心・菩薩行の輪が次第に広がっていく……そこにこそ、法座の真骨頂があるのです。 (昭和30年03月【佼成】) 法座修行 二 二「人を救うには、どうしたらよいか」という仏教の本義に目ざめて法座に体当たりするなら、自分とは生活環境の異なった人の経験も、自分の生活の上に応用できるのです。 「年が違うから、かかえている問題が違うから、そんな人の経験は興味ないし、聞く必要もない」という考え方は、まだほんとうの宗教活動に結びついていないと言うことです。裏返して言えば、信仰生活に余裕がないことを証明しているようなものです。 若い自分はこう考えるのに、年長者はこう考える。なぜなのか。どこが違うのか。どこから食い違ってきているのか、などを知ることが、自己の人格を高める上にも、さらに信仰する上にも必要なのです。そこにこそその人自身の人間的な進歩があるのです。 同じ年代の者が、また、同じような生活をしている者だけが集まって話をしても、ウマが合って楽しいでしょうが、進歩は望めないと思います。 後輩の者は先輩の意見を聞き、先輩者は後輩の意見、後輩の状態を知る。そのために努力をする。そこに経典の「人のために説きしがゆえに、疾く、阿耨多羅三藐三菩提を得たり」というお言葉の意味があるのです。人間社会のあらゆる物事を吸収したいという切なる求道心があれば、おそらく、この声は反対になって出てくるに違いありません。私は若いころ、年寄りとか古いとか、ということを少しも思わずに「全体のよいところをとっていこう」と心掛けていましたから十七、八歳ごろから年寄りの話を聞き、ずいぶん大きなものを得たと思っています。 信仰は遊びではないのです。ただ“話が合うから”と言って、同じような人とばかり話していたのでは信仰者として失格ですし、人間としても堕落してしまうでしょう。 自分に満足できる段階で止まってしまうのでは、なんにもならないのです。いろいろな階層、階級の人と多く語り合うことによって、自己を高め、どんな人にも、どんな状態にも対処できる余裕と、人間的な幅を広げてほしいと思います。法座というものを仲よしグループのサークル活動と同様な受け取り方ではなく、より真剣に、そして謙虚に学んでほしいと思います。 (昭和37年10月【佼成新聞】) 法座修行 三 「是の処は即ち是れ道場なり」という言葉があります。会社にあっても、家庭にあっても、街頭であっても、そこがすなわち道場である、という気持ちで生活することが大事である、という意味で用いるのであります。たしかにどんな場所においても、自分というものが、求める心、道を学ぶ心をしっかり持っていれば、そこがすなわち道場であるとすることができましょう。ところが、「たまには道場にいらっしゃい」とか「法座に出てきなさい」と言われますと、「いや、是の処は即ち是れ道場なり、と説かれているのだから、何もわざわざ道場まで行く必要はない」という断りの言葉に利用されることがあります。しかし、いかに“即是道場”といっても、道場や法座で、いろいろと教えられ、鍛えられ、そのうえで、職場や家庭にはいってこそ、初めてこの言葉が生きてくるのです。 (昭和46年03月【佼成新聞】) 法座にすわり、他の人の話を聞くことによって、自分が一番正しいと思っていたものが“なるほどそういう考え方もあるのか”と、自分の狭い独りよがりの考え方を反省し、〈自分の考え〉という短い尺度を法というモノサシに当てはめて誤りを正したり、人の苦労を知って、自分の甘い考えや生活態度を省みたり、というように磨き合いの場が法座です。とかく人間というものは、自分の今までの経験に照らして、自分は物事がわかっているとか、間違ったことはしていないと思い込んでいますが、案外と独断や偏見に陥っているものです。タテとヨコの糸を順序よく織り成してこそ、よき布ができ上がるように、従来の自分の経験をタテの糸とすれば、ヨコの糸とも言うべき、人々の意見や知識をとり入れて、自己を高めることがたいせつであります。 (昭和43年04月【佼成新聞】) 法座修行 四 悟りというものは、一度悟ったらもう迷わないものだとか、木の葉の落ちるのを見たり、竹に小石が当たる音を聞いてパッと悟った、といった話を聞きますと、「卑小な自分など、とうてい悟るなどということはできない」と思い込んでしまいやすいのではないでしょうか。何か、よほどの天才的な能力がないと悟れない、と思い込みがちなのではないでしょうか。 それがまた、仏教をとっつき難いものにしているのではありますまいか。人間というものは、求める心と努力によって少しずつ悟り、向上していくものだと私は思うのです。白隠禅師も“大悟十八回、小悟は数知れず”と申されておりますが、これがほんとうのところでしょう。苦を直視し、あるいは、どうすれば人さまをお救いすることができるだろうかと悩み、法座でお話を聞くうちに“なるほど!”と思う──その積み重ねこそが、人生の悟りにほかなりません。 (昭和51年04月【佼成新聞】) 法座修行 五 ここで改めて強く要望したいことは、「みんなが無我になること」であります。日常生活の場では〈我〉をことごとくぬぐい去ることは困難です。しかし、同信者の純粋な、信仰的な集まりである法座においては、それが可能なのです。お互いが〈我〉をまったく投げ捨て、法のまにまに生かされているのだという任せ切った心境になったとき、宇宙の大生命(久遠実成の本仏)の生かす力はマザマザとわが身に発現するのです。 「常にここに住して法を説く」というお言葉のとおり、久遠実成の本仏はいつも私どもと一緒におられて、一刻の休みもなく見守っていてくださいます。ちょうどテレビの電波が、目には見えないけれども、私どもの身のまわりに充満しているのと同じです。ところがテレビの受像機に狂いがありますと、画像がチラチラしたり、音声が聞こえなかったりで、たしかにそこまできている電波を正しくキャッチすることができません。それと同様に、私どもの心が〈我〉でいっぱいになり、濁ったり狂ったりしていますと、仏さまの生かす力を完全に受け取ることができないのです。 法座においては、お互いに容易に〈我〉を捨て去ることができます。仏と法と僧とに身を任せ切った、大安心の境地に入ることができるのです。ですから、宇宙の大生命(仏)の生かす力はそのまま身に現われ、もろもろの悪や障りは消滅してしまうのです。しかも、そういった心境は一種の精神的習慣となって残りますので、日常の生活にもどっても〈我〉の発現がだんだん少なくなり、法に即した考え方や行ないが生活の本流となるために、宇宙の大生命(仏)の生かす力はスムーズに流れ入ってきて、その人はほんとうの幸せを得るわけです。わが会の創立以来、三十二年間に無数の人々が現実の救いを得た原理はここにあります。そして、この原理はいついつまでも、立正佼成会の生命として生き続けるでしょう。いや、生き続けさせねばならないのです。 (昭和45年03月【躍進】)...
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...法座主の役割 一 “法は人に因って貴し”と言われます。そしてまた立正佼成会の一番たいせつな修行は法座にあります。その法座を預かる皆さんが、この久遠実成のご本尊勧請の意義の大きさをしっかりと心にうけとめてこそ、法は世に輝き出るのであります。 現代の混乱にまき込まれて苦しんでいる人々のすべてが、心の奥底では救いの道を求めています。しかし、あまりにも物にとらわれた心は、なかなか正しい道に従おうとしたがりません。また理屈でいっぱいになった現代人の頭は、言葉を尽くして真理を説いても、それを素直に受け入れようとしないのです。 この人々を正しい法に導き入れることは、私達独りの才覚、独りの力ではとうてい不可能です。すべてご本仏のご加護によらねばなりません。ご本仏の力によって、相手の仏性と自分の仏性がふれ合う縁を与えていただけたことの有り難さをかみしめ、相手の人格を礼拝する心になったとき、初めてあなたの法を説く言葉が、そのまま仏さまの言葉として相手の心にしみ込んでいくのです。 そして、ご本仏にかわって法を説かせていただく心になれば、そこに自分の感情など一かけらもさしはさむ余地がないことに気づくはずです。自分の言葉が素直に相手に通じないとき、ご本仏の前で自分が正直になっているかどうか、じっと自分の心をみつめてください。自分がご本仏の慈悲をさえぎる絶縁体になってはいないか、よく反省していただきたいと思います。 法座は、すべての人が、それぞれ己の個性を生かし、自分の体験を素直に語り合い、意見を出し合って、初めて万法に通じ、あらゆるものを浄化し救っていく修行の場となるのです。 仏の智慧の象徴として釈尊の眉間から輝き出た白毫相の光が、皆さんの額からほとばしり出るようになるとき、現代社会に寂光土が出現するのであります。 (昭和43年03月【躍進】) 法座主の役割 二 命令や威光では、真底から人を動かすことはできません。肩書きで信者さんを教化しようとしてもだめなのです。教化の極致は言葉ではなくて行ないであり、一隅を照らすのは威光ではなくて、ひたすらその人を幸せにしてあげたい、幸せになってもらいたい、という慈悲の一念に裏づけられた率先垂範の自燈明・法燈明であります。 仏さまは口をきかれませんが、説かれたその教えは〈経典〉としてはっきりと伝えられています。ですから、経典を開くことによって、私達は仏さまがあたかも口をきいておられるように、そのお言葉を聞くことができます。そのお言葉を、足りないことばかりの多い私達ではありますが、仏さまに代わって人さまに伝えさせていただく、仏さまの慈悲、仏さまの教えをそのまま信者さんに聞いていただいて、心に歓喜の念をわき立たさせ、菩提心を起こさしめるのが、皆さんのたいせつなお役であります。 ですから、自我をまる出しにした教化の態度では信者さんの期待を裏切ることとなり、純真な信仰をも崩れ去らせる結果となるのは当然のことです。また、それでは仏さまの慈悲の光、仏さまの教えを伝えるどころか、かえって、仏さまと信者さんとの間の“妨げ”になってしまいます。 その点、自分がほんとうに仏さまと信者さんとの真の仲立ち役になっているかどうか、逆に邪魔な存在になっていたり、仏さまの光をさえぎったりしてはいないかどうかを、反省していただきたいものです。 宗教学は、机の上の書物を対象にしていても事が済みますが、信仰はそれとは違います。向かい合って対座している仏さまと信者さんとの間に入って、司会をさせていただき、とりもちをし、通訳の役目を果たす、その生きた仲立ちがあってこその信仰です。私はしばしば対談や、座談会に出席いたしますが、そうしたとき対談なり、座談会なりが成功するかどうかのカギを握っているのは司会者です。出席者の気持ちになりきって、それぞれの考え方を十分にくみとり、リードしていって初めて、話し合いの内容は実のあるものになります。皆さんの場合も同様で、あるときは信者さんがしびれをきらしてはいないか、話はすっかり理解されているかどうかに気を配らなければなりませんし、あるときは信者さんが何を言いたいかを推し量って、いろいろとはからい、心づかいをしなければなりません。それが、信仰の仲立ちである幹部の役目であります。 自分が主役で説いて聞かせるのだとか、命令さえしていれば教化できるといった考え方では絶対にうまくいかないことは、こうした自分の真のお役を知って初めてわかってくるのであります。 (昭和45年04月【求道】) 法座主の役割 三 「弘経の三軌」という教えが、法華経の法師品第十にあります。法を説き弘める者の三つの軌範、すなわち歩むべき三つの軌道を教えられたもので、〈如来の衣〉〈如来の室〉〈如来の座〉がそれです。そう言っただけではよくわかりませんが、まず〈如来の衣〉とは何かと言いますと、柔和忍辱の心であります。柔和な心でいるからには、人がどんなことを言おうと、腹を立てたような顔をしてはならないわけです。この場合の衣とは着物、すなわち外見ということです。相ということです。柔和な心と柔和な顔で道を歩むこと───それを、如来の衣と言うのです。 また〈如来の室〉とは大慈悲の心のことです。それは自分に向かってかける慈悲ではありません。周囲の人々に対して、一生懸命に慈悲をかける、それが二番目の〈如来の室〉です。最後の〈如来の座〉とは“諸法空の座”と言うことであります。「般若心経」の言葉を借りますと“色即是空”と言うことであります。形があっても、すべてのものは必ず空に帰すということです。 空というのは無ではありませんから“空即是色”となってそこにまた生まれてくるわけです。その理をはっきり理解し、自分のものにしきっていないと〈如来の座〉、つまり諸法空の座に坐すということにならないのです。 皆さんが受け持っておられる法座では、方便力をもって現象界のことをどしどし説いていかなければなりませんが、同時に、自分では仏教の根本の理である“色即是空、空即是色”という因縁所生の根底の座を、しっかり持っていなくてはなりません。その根底の座がぐらついているようでは、信者さんはついてこないのです。 入会して、少し努力したくらいではご利益はありません。功徳というものは、お経の中にありますように高原に井戸を掘るのに似ています。掘っても掘っても、初めのうちは乾いた土しか出てこない。ですから、果たして水は出るのだろうかと信じられない思いでいるわけですが、それでもどんどん掘り進んでいくと、ようやく湿った泥が出るようになって、地下水のあるところへ近づいているんだな、ということがようやく信じられるようになってくる。それと同じで、功徳の泉は一生懸命に努力を続けているうちにわいてくるのです。そこで、「なるほどこれは、まんざらでもないな」ということで、もっとやってみようと努力していると、今度はどんどん水が出てきて、「やはりこれでなくてはいけないんだな」と、確信できるようになるのです。 そこへいくまでが、なかなか容易ではないわけですから、信者さんの精進ができるように、水の出るところまで“井戸掘り”をともにしていく、伴い役が幹部の役目です。人間は独りで大きくなろうとしても、なかなか成長するものではありません。時間がかかり、成果も微々たるものです。ですから、どうしても伴い役がいるのです。ことに今のような末法の世の中に法華経を弘めるには、実生活をしながら、余暇をつくって人さまを教化する活動を積極的に続けていって、世界中の人達がみんな仏恩にあずかれるような状態を、つくり出していかなくてはならないのです。そのためにも自分が、不退転の信仰を確立して、日々の生活をとおして手本を示していかなくてはなりません。私達が節度をもって実行すべきことは、五種法師の修行として仏さまの示された「受持」「読・誦」「解説」「書写」であります。これは非常に大事な修行です。書写一つにしましても、観世音菩薩普門品でも如来寿量品でも結構ですから、できるだけ時間をつくって写経三昧に入って、この〈如来の座〉に坐して、何事にもとらわれのない、仏さまと直結をした不動の信仰を築いていただきたいのであります。 したがって、法座主の役割は、なかなかたいへんなことであります。立正佼成会がこれほどに発展してきましたのも、皆さんがそれぞれ立派にお役を務めてくださったからであり、また皆さんの先輩であるかつての法座主も皆さんと同じように、大安心の心で立派に法を説いてこられたからであります。この「なんとかして人さまを幸せにしなくてはならない、救ってさしあげたい」と思う心が大慈悲心です。これが〈如来の室〉です。重ねて申しますと「どうしてもこの人を、私と同じ境涯の腹がまえになさしめなければならない」というのが〈如来の室〉です。そうやってその人にほんとうの大慈悲をもって一生懸命に法を説き、その人が精いっぱいの修行をされた結果、「ああ、有り難うございます。おかげさまで、すべてのことの解決がつきまして、ほんとうに幸せな気持ちにさせていただきました」と言うことになれば、ほんとうの大慈悲心と言えましょう。こういう修行が立正佼成会の修行であります。 (昭和46年02月【求道】) 法座主の役割 四 以前、私はこんな歌をうたってみんなを笑わせたものでした。 佼成会の信者さんはのんきなもので 法座で聞かせりゃ なんでもそうだと思ってる ハハのんきだネ とにかく、普通では人の言うことを聞こうとしない人が、いったん立正佼成会の会員になると、皆さん、言いなり八兵衛になってしまう。それほどまでに、皆さんが信じてくださる。法座での話が、それを実生活に用いても少しの心配もないものですから、言われることを信じて付いてもいけるし、安心もしていられる。だからこれほどまでにのんきになれるわけなのです。 法座で先輩に結んでもらったんだから、もう間違いがない。そのとおりにやっていけばいいんだと、まあ、そういうことになると、自主性がないような気のする人もいるかも知れませんが、実はそうではありません。仏さまに帰依し、法に帰依する気持ちがあれば、まったくのんきになっていて大丈夫なのです。先輩に自分の悪いところ、持っている悩みを打ち明けて懺悔する、そしてそれはこうしなさいと結んでもらったら「はい、よくわかりました」と、すぐに実行する。こうなればまことにのんきなものです。なんでも結んでもらったとおりにやっていれば、ちゃんと結果が出てくるのです。 ですから、結んでもらう者の方がのん気でいられるほどに信じ込んでいて、法座で聞いたこと、言われたことをそのままに実行しようと決定しているのですから、結ぶ者の方がいい加減な結びをしてはなりません。人さまから何を聞かれても、いつ、どんな時でも法にかなった言葉が出てくるような修行を積むことを心掛け、〈五力〉つまり、(1)信ずること、(2)務めること、(3)意識をはっきり保つこと、(4)心を統一すること、(5)明らかな智慧をもつこと、という釈尊ご自身が得られた正覚を衆生が身につけ、体得する方法として教えられた道をきちんと行じていなくてはならないのです。 それがあれば、すぐに仏の智慧がわき出て「こうすればあなたは救われますよ。こういう心になりなさい」と、適切な結びをしてあげられるわけです。そして、相手がその気持ちになったら現証がすぐに出てくるのです。そのように現証がどんどん出てくるようになっているのが仏法です。とにもかくにも功徳が出るところまで相手を伴っていくには、話がよく研がれた刃物のようにサッと切れるようでなくてはいけません。それには自分をよく磨くことです。荒砥でかみそりを研いだだけではひげなどとてもそれるものではありません。しかし、その荒砥で研いで刃の状態をよくしておいてから、仕上げをかけると、ひげもすらすらそれる。それと同じで自分を磨くと同時に、努め励まなければならないのです。そのためには平穏無事に安住していないで、お導きもし、人さまのため社会のために世直しのお手伝いをする。その心意気で仏さまの本願を成就していく。そういう力を発揮しなければほんとうの大安心は得られません。そこまでいけば、おまかせしていて大丈夫です。仏さまはちゃんと護っていてくださいます。 大安心を得れば、この宇宙に満ち満ちている仏さまの力を、ちゃんと感じとることができるようになります。そこまでいかないうちは、つまりこちらの信力が完璧でなく、努め方が完全でないと、信ずることも、努め方もいい加減になってしまいます。これでは心は少しも清くならないし、当然、智慧を授かるはずもなく、志とは反対のことになります。そうなっては、仏さまの力が満ちあふれていても感じとることはできません。やはり善因には善果、悪因には悪果がもたらされてくるのであります。 (昭和50年12月【求道】) 法座主の役割 五 その人を「どのようにして救うか」という慈悲の心のない話は、相手の胸に響かないのです。法座主はその意味からも、しっかりと仏法の神髄を会得する必要があります。とかく、あまり法門を理解していない人にかぎって仏教用語を形式的に並べたがりますが、智慧のない知識では、人は救えないのです。 (昭和40年04月【躍進】) 自分のことを言うのはなんですが、六十歳を過ぎた現在でも私はできるかぎり本を読み、有益な放送を聴くようにしています。それは私自身の信念の裏づけともなり、私の説法の一つの潤滑油ともなり、私自身の向上の糧ともなるという意味で、私はそれをいつまでも続けたいと思っています。ところで、恵まれた環境の下で大学へ通っている青年に案外、そうした努力をしていない人が多いようですが、小学校しか出ていない私にとっては、まことにもったいなく思われます。法座でも、いつも同じことばかりを話していては「行ってもつまらない」ということになります。やっぱり、道場へしばらく出ないとおくれてしまうという気持ちに、信者さんがなるぐらいの活気ある法座にするには、幹部さんの勉強がたいせつです。 (昭和43年05月【佼成新聞】)...
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...「結び」と四諦の法門 一 お釈迦さまの時代にも、悩みを持った人々が、その悩みを解決するために、直接、お釈迦さまに結んでいただいて、それを実行し功徳をちょうだいしたものでした。その有様をたどってみますと、人々はお釈迦さまの前に来て、そのみ足をいただき、この悩みから脱け出す方法をどうかお教えください、結んでいただきたいとお願いをして、お言葉を聞いたのであります。み足をいただくという姿勢をとりましたのは、大導師であられるお釈迦さまのお教えのとおりに歩みます、という心の表われです。 こうして「あなたはこういう欲があるから悩んでいるんだ」「考え方がこうだから病気しているんだ」と結んでいただいて、それを有り難く受けて素直に実行していく。その結果、功徳をちょうだいした人々が、比丘・比丘尼として次々にお釈迦さまのお弟子になり、また、在家のまま帰依する優婆塞・優婆夷達が、ぞくぞくとふえていったのであります。 この〈結び〉ということについて、お釈迦さまは法華経の中で、自分は悟りを開いたとき一番最初に、五人の比丘の前で四諦の法門を説いたと言われています。〈苦・集・滅・道〉と言う、文字にすれば四つで表わされているのが、この「四諦の法門」です。 (昭和34年04月【速記録】) 「結び」と四諦の法門 二 法座では、「こういうことで私は悩み苦しんでいるんです。解決するにはどうすればいいでしょうか」とまず問題が出されますが、これが四諦の法門で言う〈苦諦〉です。そして、その悩みを聞いた先輩のかたが「それにはあなたのところに、何かわけがあるのね」と、結んでくださるのが〈集諦〉です。そこであなたはひとつ、「一生懸命に菩薩道を行じなさい。お導きをして精進してごらんなさい」と言われて、それを真剣に実行していくと、家の中が円満になるとか、病気の人が治るとかして、気持ちも次第にせいせいしていく。そのさわやかな心持ちが〈滅諦〉であって、毎日一心に修行するのが〈道諦〉と言うことになります。 法華経の序品第一には「四諦の法を説いて、生老病死を度し涅槃を究竟せしめ」と説かれていますように世の中には四苦と言って生・老・病・死というさけることのできない人間の苦しみがあります。生まれてきて、何十年かたつうちにだんだんと歳をとって、しわが寄ってくる。ときには不節制をして病気にかかることもある。また病気には伝染するものもあれば、体内から出てくるものもあって、最後にはだれもが死んでいく。生あるものは必ず死ななければならないのですから、これは非常に悲しいことです。だからこそ人間は、あすのことはわからない、とお互いに言いながらも、一日でも多く生きていたいと願うのであります。 しかし、四諦の法門をよくわきまえ味わっていきますと、そんなことで何もくよくよしなくてもいいんだな、ということがわかってきます。なぜなら、生・老・病・死の原因と、そしてまた、そこには未来に向かっての約束がちゃんとあるのだ、ということを道諦によって悟らせていただけるからです。そこで、今、現在のこの喜び、この感激をこめて立派な家庭をつくっていこう、人さまともそのようにお付き合いをしていこうという気持ちになってくる。〈四諦〉とか、生きるべき道を説いた〈八正道〉の教えには、そうした理がはっきりと、そしてわかりやすく説明されています。 さて、その理をよく知って、だんだんと身につけていきますと、歳をとって老いていくことにしても、病むことにしても、何一つ苦しむ必要がなくなってきます。当然のことがくるんだと考え、だからそれを有り難く受けていこうという気持ちになってくるわけです。また、自然に自分の心持ちがそのように変わっていくものなのです。 (昭和34年04月【速記録】) 「結び」と四諦の法門 三 法華経の中に「声聞を求むる者の為には応ぜる四諦の法を説き」とあり、また「辟支仏を求むる者の為には応ぜる十二因縁の法を説き、諸の菩薩の為には応ぜる六波羅蜜を説いて阿耨多羅三藐三菩提を得、一切種智を成ぜしめたもう」と説かれてありますが、これはもうそのままに受けとって、この法門を説かれた仏さまのみ心を、そのとおりに了解していただきたいのであります。 では、「この立正佼成会では何を説いているのか」と、聞かれるかたもきっとあることでしょう。たとえば「輪の中に入って、修行しなさい」と皆さんに申し上げているのは“四諦の法門を説いている”ことにほかなりません。 「あなたは、苦しいのでしょうね。悲しがっていられるのですね。思い悩んでおられるんですね」と、心の底から呼びかけてくれる人が、そこにはいます。そして「その原因はこういうことなんですよ」と、聞かせてもらえます。そこで「なるほど、そうだったのか」と悟って、改めていけばそれまで抱えていた苦しみが解決してしまいます。そして「では八正道をこれから懸命になって行じなさい。人を色目で見たり、疑ったりしないで、正しい見方をしなさい。人さまの幸せになることを考えなさい。言葉にも気をつけなさい。そういう正しい考えをもって生きなさい」とこと細かく教えられます。それを素直に実践していくのです。これが立正佼成会の行であります。 とくに、お経では〈六根〉つまり、眼・耳・鼻・舌・身・意についての教えが説かれておりますが、「舌根は五種の悪口の不善業を起す」(注・仏説観普賢菩薩行法経)と言われて、妄語・綺語・悪口・両舌などを戒めておられます。災いは口から出る。偽りを言ったり、そしったり、人さまの気をもませたりするその口に気をつけなさい、と教えられているわけです。 こういうことを、一つ一つとりあげてお話をしておりますと、世間には「それじゃまるで、立正佼成会というのは修養会みたいじゃないか」などと言う人がいます。しかしそれで結構なのです。人間にとっては修養も大事なことです。そうやって絶えず修行を続けていくことが人間としての生きる道なのです。 (昭和34年06月【速記録】) 「結び」と四諦の法門 四 自分にはどう悩みを解決すればいいか判断がつかないことがあるものです。そんなときは、遠慮したりする必要はありませんから、支部長さんに「実はこうなんですが、どうすればいいでしょう」と、素直な気持ちで、率直に結んでいただくのです。そんな場合、必ず問題をはっきりと投げかけて判断してもらうことがたいせつです。そうやっていくつかの問題を出しますと、支部長さんは慣れてもいるし、それに敏感ですから、聞いていて「あっ、それだ。それが悩んでいる原因ですよ」ということになります。そういうものが、きっと飛び出してくるはずなんです。 そして「それだ」と言われたところは、徹底的に懺悔をして、すっきりとした改め方をするのです。それが四諦の法門の中の〈滅諦〉です。そうして苦しみや悩みを解決してしまうと、これはもうすぐに極楽が招来します。「ああ、有り難いことだな」と思ったら、今度は道を行じなくてはなりません。四諦の法門は、苦・集・滅・道の四つが一つになって、初めてほんとうの法門になるのですから、「自分は幸せになったのだからこれでいい」と道を行ずることを忘れてはならないのです。また、法門というものは、その中の一つだけを考えていては〈道〉にならないのであって、これは四諦の場合も同じです。たとえば、人生は苦なんだと言うことだけを聞いて、「苦しみなんだから、しようがないじゃないか」とあきらめてしまったのでは、一歩も前に進んでいかないのであります。 「四諦の法門」に照らして、その人その人の悩みを解決するに当たって、その人の顔や姓名、現在の境遇など、どこからその手掛かりを導き出してもよいのです。最もこれは、この法門の極致がわかって初めてできることですが、その人のそのままのことが、どこかにちゃんと現われているわけです。多くの人の中にはその人が今どうして、なぜ苦しんでいるのか、原因はどこにあるのかを的確に教えてあげたとしても、もう取り返しがつかないと思ってしまい、自分から救われようとしない人もおります。 そこへいくと、立正佼成会の皆さんは素直で、“救われたい”と心から懺悔され、精進を重ねておられますので、そういうことはありません。しかし、大勢の人の中には、何もそんなにまでして救われたいとは思わない、などと言っている人もいるのです。しかし、不幸に陥っていくことがはっきりしているそれらの人達を、そのまま手放しにしておくことは、仏さまにはおできにならないのです。「われと等しくして異なることなからしめん」と言われているように、仏さまはそういう人達をも救って、自分と同じような境地にしてあげたいと願われているのです。そのためには過去の原因、要するに因縁をよく悟って、そこから目覚めて、正しい道を歩かなくてはならないということを教えられているのです。 (昭和34年07月【速記録】) 「結び」と四諦の法門 五 だんだんと修行が進みますと、大きな〈おさとり〉をちょうだいしても、じっくりと瞑想に入り、腹の中で思念できるようになります。すなわち、禅定な気持ちでいられるわけです。自問自答して「ははあ、なるほどこれだな」と自分で問題を発見し、解決して、滅諦の境地へ自分を持っていくことができるようになります。そうすると、もう迷いはなくなってしまい、むしろ何かがあることによって、かえって信心に倍の力がついてきます。このように輪がだんだん回り始めると、もうしめたもので、そうやって法輪を回していると、縁起の法則によって、輪がどう回るかがわかってきます。皆さんも、毎日この輪を回さなくてはならないのです。 仏教では教えを説き弘めるということを“転法輪”と言いますが、法座はその転法輪の最も象徴的な場です。皆さんに「法座に来て修行をしなさい」と言っておりますのは「輪になってみんなで法輪を転じなさい」ということなのです。自分が悟ったならば、悟っただけのことを隣の人に懺悔をして聞いてもらって、ぐるぐる回していくのです。その人が体験したことは隣の人にも当てはまります。そして、そのまた隣の人にも感応していく、という状態が転法輪の姿です。したがって、法輪というのは輪の修行、つまり法座の修行を積むと言うことです。皆さんはその輪の帯です。そうやって、お釈迦さまの悟りの内容が、どなたにでも広く適応され、回り続けていくから法輪を転ずるというわけです。 この経は「菩薩所行の処に住す」とお経にありますように、菩薩行実践のところに仏さまがおられるからこそ、法輪を転じ続けて人々に救いをもたらせていかれるわけです。「私は去年まで一生懸命にやったんだから、今年は休ませてもらおう」などと考えて、法輪の回転を止めてしまってはなりません。 都々逸の文句に「磨けど磨けど根が鉄ならば、ときどき地金のさびが出る」と言うのがありますが、そのさびの出る鉄も、引っぱられていつもガラガラ回っている車輪を見てもわかるように、回り続けている間は光っています。ところが回さずにいると、すぐにさびが出てしまいます。同様に皆さんも心のさびを取るには、不断の回転、つまり活動していかなければならないのです。家の中にじっとしていたのでは、どうしても法から離れてしまいがちです。毎日は来られなくても、三日に一度か一週間に一度は、法座に来て心のさびを取ってもらうことです。 法座には、ちょうど磨き粉を付けてさびを落とすような力があります。掃除ひとつにしましても、お当番の人は、ここは皆さんが心のさびを落としにくる道場だから、ということできれいにする。そのさびをいつもみんなで取り続けていこう、と心がけ合うわけです。これが修行の一番たいせつなところです。 このように、仏さまは悟りを開かれて、智慧の法門によって人類に光明を与えてくださったのであります。私どもに大きな慈悲、光明を投げかけられたその仏さまのみ教えをよく心に銘記して、どうか皆さんも法輪を回し続けていただきたいのであります。 (昭和37年12月【速記録】) ...
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...導きと手どり 一 「お導きをしてごらんなさい」と言われ、また、自分でもしてみたいと思ってはいるのだけれど、どう導けばいいのかわからないという、そういうときもあると思います。その場合はまずお経をよくかみしめて、じっくりと読んでみることです。じっくり拝読しておりますと、仏さまのお慈悲がどんな順序次第で流れているか、だんだんとわかってきます。その心で、慈悲心を持って、知っている人や、近所の人達にお話をしてみると、そこにお導きをする順序次第がちゃんとついてくるものです。 その心の奥の奥にあるもの、それは「お導きをさせていただこう、人さまを救ってあげよう」というほんとうの友情です。そうして「私達は仏さまのお弟子になることによって救われるんだ。しかし救われるためには、仏さまのみ教えを実行することがたいせつなんだ」ということを、相手にわかってもらおうと努力するのです。こうした気持ちに自分がなると、一度や二度、相手からはねつけられても、お導きが自然にできるようになります。「あの人をどうしても救ってあげたい」「あの人に幸せになってもらいたい」という友情があればこそのことです。ですから、お導きができないという人は、うわっつらの相手の人しか考えていないと言えるでしょう。 (昭和52年【求道】83集) 導きと手どり 二 お経の中に「人の為に説きしが故に、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得たり」というお言葉が出てまいります。お釈迦さまのようなかたでも、人さまのために法を説き続けたからこそ自分は成仏できたし、それを完璧なものにすることができたとおっしゃっておられるのです。 ですから相手から「うるさい」と言われても、なおその肩をゆすって「あなたも仏教の信仰に入りましょう」「あなたもご先祖のご供養をしましょう」「あなたも菩薩行に挺身しましょう」と、相手があきれるほどに呼びかけていこうとする心構えがなければ、人さまを導くということはなかなかできないものであります。 また、お釈迦さまが、「この経は持ち難し」と言われておりますように、あの「六難九易の法門」を拝読しますと、法華経はただひとりの人間に向かって説くことさえも難しい、と説かれております。富士山のような山を足の先に突っかけて、ポーンと三十三天まで投げ上げるようなことは易しいけれども、この法を持つことは難しいと説かれているのです。したがって、法というものはどんなに立派な学者が説いても、理論を口にしているだけでは救いもなく、広がってもいきません。学んだことを、行ないに現わして見せなければ、人もまたついてこないのであります。 (昭和52年11月【速記録】) 導きと手どり 三 お導きほど功徳のあるものはありません。お導きとは、仏さまの分身をつくることなのです。み教えによって救われた自分から、またひとり、またひとりと、人々の心の中にある仏性を発現して、「自分は仏の子である」と自覚した人をふやしていくのです。このように、仏さまの世界をつくるには、皆さんひとりひとりが仏さまの分身としての導きの子どもをつくらなければならないのです。それがなければ、仏さまの本願はこの地上に成就しないのです。ですから、大いに勇気を出して“われこそは世尊の使いなり”という気持ちで、あの人にもこの人にも、皆さんが仏の分身としての真心をこめて語りかけてください。このようにして、仏さまの分身であることを自覚して自分を燈とすることが自燈明であります。 仏さまは自分自身の胸の中にちゃんといらっしゃるのですから、どこからか助太刀が来なければ、導きができないなどということはないのです。まず、自分がほんとうの仏ごころになって、人さまに愛情をもって接すること、つまり自分の心に革命を起こせばいいのです。自分の心をまず改めてかかることです。それによって相手もちゃんと変わって見せてくださるわけですから、ひとりひとり間違いなくお導きができるのであります。 (昭和52年02月【速記録】) 導きというものは、どうしても歩き出さずにはいられない、という境地になったら、いくらでもできるものです。ですから、歩けとか、歩くなとか人に命令されてするのではなく、みずから歩き出すことが必要なのです。そこで、信者の皆さんが、このご法はほんとうに有り難いものであるかどうか、ということを体験をとおしてしっかり確かめたうえで、歩き出さずにはいられないという境地になってやっていただければ、たちまち信者さんの数は、現在の三倍や五倍になることでしょうし、そうなるのもわけないと思うのであります。 とにかく、今、現在でさえ発足してから二十二年の間に信者が二百万人にもなったというので、人は驚いていますが、私が妙佼先生とともにこの会を発足させたころ、まだ少なかった信者の人達がどんなに多くの人々を導いたか、その比率から言えば、今はとうてい及びもつかないのであります。 (昭和34年09月【速記録】) 導きと手どり 四 「立正佼成会に入会したけれど、お導きをしなさいと言われるから、骨が折れてたいへんだ」などと言っていたらとても成仏はできません。お釈迦さまは方便品第二の結びに「心に大歓喜を生じて、自ら当に作仏すべしと知れ」と言われておりますが、成仏するためには喜び勇んで人さまに接し、そしてお導きをしなければならないのです。自分が菩薩道を行じてこの道を進んでいけば、間違いなく仏になれるんだ、ということを自覚して、毎日毎日、繰り返して精進していかなければ仏にはなれないのです。この精進によって、大安心がえられ、幸せの訪れがあるのですから、自分独りさえも幸せになれないようでは、世界にも幸せがこないし、平和も訪れないということになります。 (昭和46年12月【速記録】) 導きと手どり 五 仏教の経典は、そのまま体験の世界です。ですから、自分で人を救うという体験を積まないと、入会はしてもなかなか救われません。中には入会早々に体験をされ、すぐに功徳をいただいた人もいますし、体験しても功徳の現われない人もいます。そこで「だれか知り合いの人でも、お導きしてごらんなさい」と言うと、不思議なことに、その人が持っているのと同じような性分を持った業障な人をお導きしてきます。さらに、相手の話すことを聞いていると、申し合わせでもしたように、どれもこれも以前、自分が考えたり思ったりしたことと同じことを言います。しかも、かつて自分が先輩に指摘されたことであり、今こうして自分の導いた人がかつての自分と同じことを言うのを聞くと冷や汗の出る思いをするものです。そこで、導きの子に「ああしなさい」「こうしなさい」と、自分の体験に照らして話しますと、言われた方がきちんと実行しようという気持ちになってくればその人はすぐに救われます。 反対に「ああだ、こうだ」「滑った、転んだ」と言って実行しようとしない人は一向に救われません。こういう人を二、三人お導きしてみると「なるほど仏法の縁起の法則は生きているんだな」ということがよくわかります。ですから、この体験を鏡として自分に功徳が現われてこないのは、気持ちが仏さまにぴったり張りついていないためなのだということが、はっきりわからせていただけるのです。そういうときは、自分で自分の心を改めることを真剣に考えて「あれかな」「これかな」と、思いあたることを一つ一つ吟味してみるのです。すると、自分の心のどこに救われない原因があるのか、ということがはっきりしてきて「ああ、そうだったのか」と気づきます。そこで初めて一つの解決がついて、縁起の有り難さがわかってくるのです。 ですから、手どりをしたことのない人には、何年たっても仏教はわからないのです。ひとりでもふたりでも導いて、体験を重ねていけば、自分の業障がそれをとおして見えてきます。そういうことで本会の活動として、“総手どり”と言うことをよく申しますが、それは仏性の開顕をみんなでしていこうという呼びかけなのです。 (昭和51年06月【速記録】) 導きと手どり 六 苦しみや悩みを持つ人が少なくなったので、手どりの手のやりばに困る、などと言うことはありえないはずです。そんな場合は、表面の浅いところだけを見るのでなく、人間の心のもう一つ奥を見るように心掛ければいいのです。また、現在のひとときの状態にばかり目を奪われず、時間に束縛されない長い目で諸行無常の相を見とおすように努めることです。 そういう精神的習性を身につけておれば、世の中には救うべき人がいっぱいいることが目に見えてき、また、どのように救いの手をさしのべていくべきかも、おのずからわかってくるはずです。要するに、目のつけどころの問題です。仏教徒と言うからには、普通の人より大きな目と永い目で、物事を見なければならないのです。 (昭和46年08月【躍進】) 筋道がハッキリしなければ、しっかり信仰ができないというような人には、法を説く人自身もほんとうにご法を確信し、安心立命の境地に立っていなければならないのです。人さまから何か言われると、その度ごとに気持ちがグラつき、自分の信仰に自信が持てないようでは、人に法を説き、導く資格はないのです。私どもは、どのような事態に直面しようとも、所依の経典の中に説かれた意義を正しく把握し、どこまでも澄み切った永遠性のある法華経を護持する不退転の決定心が必要なのです。そうかと言って、また信じない人は放っておいてもよいというのではなく、信じない人でもなんらかの方法によって、または何かの機会をとらえて、私どもの仏縁に結んであげましょう、というところへ行かなくてはならないのです。さらにまた、どんな機根の人に対しても、常に心掛けて正しいご法に積極的に導いてあげるということが宗教者としての責務であり、あの人はこのご法を信じないから無縁の人である、というような気持ちそのものは、自分の信仰に忠実ではないのです。 (昭和34年08月【佼成】) 導きと手どり 七 私事にわたって恐縮ですが、うちの家内は隣のお年寄りと、よく塀越しに話をしたり、台所などにも往来しているようですが、そのお年寄りが、こう言われるのだそうです。「お宅のだんなさまが朝晩あげられるお経の声を聞きますと、なんとも言えず有り難い気持ちになります。お経の聞こえる場所に住んでいることは幸せだあ……と、つくづくそう思うんですよ」と。 読経の声だけでも、そんな影響力を持つのですから、信仰のほんとうの喜びを知った人が、ぜひ、その喜びを分かち合いたいと、心から人さまに呼びかけ、人さまの手をとって差し上げるとき、それが相手を動かさないはずはないのです。ましてや同じ信仰を持ち、もう一皮剥きさえすれば……という状態にいる人は、一挙手一投足の労で驚くほどの結果が出ることに間違いありません。(中略) こうして、まず僧伽の中を、ご法のとおりに生きることが有り難くてならないという人でいっぱいにするのです。そうなれば、泉の水が自然とあふれ出していくように、その救いは、ひとりでに周囲の世界へしみ出してゆき、次第に社会全体を明るくしていくのです。内が満ち満ちていないのに、どうして外を潤すことができましょうか。 (昭和50年12月【躍進】)...
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...人見て法説く 一 既成教団を例に見てもそうでありますが、教団が大きくなりますと、とかく、すべてが機械的に、また形式に流れ、真摯な信仰態度が失われがちになります。また、ややもすると巧みな言葉で説法をする、人に聞かせるという点にのみとらわれがちになるのであります。しかし宗教家は上手に法を説くよりも、人さまに希望を持たせ、光明を与えるような話し方をするべきであると思います。人々に生きがいを感じさせるような言葉を吐くように、常に心掛けるべきであると思います。 (昭和33年08月【佼成】) 仏教では対機説法とか、“人見て法を説け”と申します。したがって、法を説く人はたいへんだと言うことになります。そこでほかの人に法を説く場合に忘れてならない心構えが一つあります。それは法を初めて聞く人、初信の人に理解できる話をすることであります。たとえば、小学一年生から六年生までの生徒を対象にした場合、六年生にしかわからない難しい用語を使って話をすると、一年生から五年生までの子ども達は、まったく内容を理解することができません。同様に、ご法のことはよく聞いてなんでも知っている人に向く話よりも、初めての人に話すような心構えがたいせつなのです。ご法のことをよく知っている人に残されている問題は、要するに“実践”だけなのですから、そうした人達よりも、初信の人に理解できる話をするやさしさが肝心なのです。 (昭和46年11月【佼成新聞】) 人見て法説く 二 この人になんとかして幸せになってほしいと願って、教えによって自分が体験したことを一生懸命に話します。そうやってひたすら話をしていると、相手もやがて納得する。そして「やっと納得してくれたな」と思ったとき、その人が救われていく。仏法とはそういうものです。 相手のために心をこめて、いろいろと体験を話すことによって、相手が幸せの方向に心を向けていくのを見ていると、この法は間違いのないものである。普遍の法則なんだということが、いっそうよくわかってきます。そこでさらにまた、お経を読ませていただくと、たとえば〈五戒〉にしても〈十善戒〉にしても、極めてあたりまえなことではあるけれど、それがあたりまえに行なわれていないことに気づきます。お釈迦さまは“われと等しくして異なることならしめん”と言われて、みんながもろもろの執著から離れて、生死を解脱しなさいと説いておられるのですが、それから二千五百年もたった今でも、それができずにいるのが、われわれ凡夫の姿であります。 しかし、凡夫だからそれができないのか、というと実はそうではありません。自分には仏法の法則はおぼろげにしかわかっていないし、自信もないけれども、人さまに「自分の体験はこうだった」「こういう人がこうなった」そして「お経にはこう書かれているそうだ」と、真心こめてその行じ方を具体的に話をすれば、結果としてお釈迦さまの説かれたことの証が出てきます。教・行・証がまさにそこに現われてくるわけです。教えを行ないに発展させていくとそこに〈証〉がはっきり出てくるということは、体験をとおして如実につかめることであります。したがって、それを続けることによって、法を説くことの自信がだんだんとわいてくるのであります。 (昭和41年03月【速記録】) 人見て法説く 三 私は、どこの布教大会へ行っても、必ず体験説法を真剣に聞くことにしています。いろいろな苦しみに耐え、困難を克服しながら、ご法に精進した結果「このように幸せになりました」という信者さんの説法を聞くときほど、ほんとうにうれしく思い、心から感動させられることはありません。今まで、ずいぶん多くの体験説法を聞かせていただきましたが、なんと言っても一番感銘の深いのは、ありのままに自分を語った説法です。名文調に原稿をまとめた“作文”は感銘が薄れます。率直に、飾り気なく、自分のほんとうの姿を、そのまま語ることがもっとも人を感動させるものであります。 (昭和42年09月【佼成新聞】) 体験説法をするにあたってたいせつなのは、自分の体験そのものを赤裸々に述べることです。「入会する以前の自分はこういうものの考え方をしていた」「自分の家庭は、こういう複雑な状態であった」「導いてくださったのはこういう名前のかたで、またこういう名の支部長さんや法座主任さん、あるいは幹部さんからご指導をいただいた」などの点も、正直にはっきり述べた方が内容が生々しく伝わってきます。 もっと具体的に言うと、莫然としたかたちで、法は有り難いとか、会長は有り難い、などと言うよりも「私は支部長さんからこういうご注意をいただいた」「主任さんから、こんなご指導をいただき、こういうことをこのように結んでいただいた」「それによって懺悔させていただき、このような気持ちになれたときにすばらしい結果をいただいた」と言うように、時間の流れを追って話をすると、聞いている人々の頭に、説法されるかたの体験がはっきり入ると思うのです。 (昭和39年04月【会長先生の御指導】) 難しい仏教語を、ずらりと並べたような説法では一般大衆にわかってはもらえません。ですからごく普通の言葉で自分のありのままを、少しの飾り気もなく感激のままに説法させていただくことが、なによりたいせつなのであります。 (昭和38年07月【会長先生の御指導】)...
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...大衆教化 一 私達は、ここで自分達に与えられた使命を新たに自覚すると同時に、“説かざる者の罪”を認識しなければなりません。 仏教はキリスト教よりも歴史は古いのです。法門には寛容の精神が中心に流れ、科学時代と言われる今日でさえ、その教えは決して無理がありません。だれにでも納得のできるいわゆる、いつでも、どこでも、だれにもあてはまる、この仏教の根本原理が、世界中で一億五千万の人にしか知られていないのです。五億を数えるカトリック信徒の三分の一でしかありません。このことは、“説かざる者の罪”と言えないでしょうか。 ちょっとけなされると、自信を失ってやめてしまったり、相手の方が威勢がいいとすぐひっこんでしまったのではいけません。また、人と会うのはおっくうだとか、いそがしくて話をする暇がないと考えている人がいたらすぐ改めなければなりません。 私達の使命は、まず、ひとりでも多く“仏教徒らしい仏教徒”を育成することにあります。 今その努力を怠ると、五年後、十年後に宗教がいかなる方向に向かってしまうか、それは明らかだと思います。現代の人達に、難信難解といわれる法華経を弘めるには、私達が現代的に仏教を解釈し、ひとりびとりが日蓮聖人のような“われ日本の柱とならん”の決意を持って、猛精進していかなければならないのです。 私達をおいていったいだれにそれができるでしょうか。私達は、自己の救いだけにとらわれていたり“立正佼成会のための立正佼成会”というワクにはまっていたりという時ではないのです。小さな信仰観や立正佼成会というワクから脱皮しなければならないのです。 今までの体験をもとにして、さらに学んだ教学を加えて、あらゆるところで私達は法を説かなければなりません。他人に燈を点じることがたいせつなのであり、そのことが、また自分の足もとをより明るく照らすことになるのです。「私は信仰者である」と大衆の中で堂々と根本道理を説くならば、必ず納得がえられるはずです。 “立正佼成会”のための会員、という観念を脱皮して、全世界にこの根本道理を伝えていく使命が私達にはあるのだということを、ここでしっかり認識していただきたいと思います。 (昭和40年10月【佼成新聞】) 大衆教化 二 私どもは大衆の苦悩に接し、その求めるものを与える活動を通じて、現代人の心の救いと、勇気づけを積極的に行なっていくべきだと考えます。その行動、つまり布教は宗教につきものであり、みずから信じ人をして信じせしめる布教こそ、信ずる者としての正義感、使命感の発露にほかなりません。(中略) 仏教は、世界のどの宗教よりも知性的であり、それだけに普遍的であります。しかも、仏教の智慧は慈悲に裏付けられていますから、理性と人間的な感情をともに満足させることができるのです。 しかし、物事の価値というものは、それが生きて働くときに初めて発揮されます。苦しみにあえぐ人に救いの手をさしのべようとせず、また何もしないのなら、尊い悟りも死物にすぎません。ましてや、仏教の智慧は、もともとすべての人々を救うのが目的のものですから、絶えざる布教活動の実践のなかにおいてこそ完成されるのです。かかる日々の精進の中で、初めて高い理想を持ち、ねばり強い実践力を身につけた正法弘通の闘士が育っていくのです。 布教は、あくまでも自己の修行の道であり、同時に自分を向上させ、幸せにする道であることを深く自覚し、釈尊の根本精神を真に生かそうとする大運動に参加していることに、深い歓喜の心を燃やしていただきたいと思います。 (昭和39年09月【躍進】) 大衆教化 三 私どもが外に向かって、大衆教化を掲げましても、私達の行動が、大衆が望み、また理想としているような状態で展開されていかないかぎり、その目的を果たすことはできないのであります。したがって、折伏などという独善的な態度をとったり、その場かぎりの勝手な行動をとったりすると、大衆はそれに服したような顔をしておりましても、結果としては、それに反発し、押し返そうとするようになると思います。 そうではなく、私達ひとりびとりの行動が、人間としての理想のかたちであり、大衆を集めて会合を開きましても、厳粛に会が運営され、あと始末まできちんとできるようになれば、信者でない人々も「なるほど、こうでなくてはいけない」「この立正佼成会のようなかたちであるべきだ」と思われることでしょう。そしてまた、人づくりの問題につきましても「理想は立正佼成会の会員のような人をつくりあげることだ」と言った声が、会員以外の人々から出るようになります。事実、そうした外からの評価が、私どもが進めている大衆教化に大きく役立っているのであります。 (昭和39年02月【速記録】) 大衆教化 四 立正佼成会の会員はおとなしい、というのが定評です。しかし、おとなしいということは気魄がないことではありません。行動力がないことではありません。常不軽菩薩が、いかなる迫害や困難にもくじけることなくひたすら礼拝行を続けた、あのすさまじいほどの気魄と行動力を内に秘めたおとなしさ、これでなければならないのです。(中略) ましてや、法華経を世に弘めるという仕事は、この世で最高の聖業です。なんの躊躇するところがありましょうか。ガムシャラにやってごらんなさい。バカになってやってごらんなさい。それが国を救う道であり、自分を救う道でもあるのです。 (昭和50年01月【躍進】)...
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...信者即布教者 一 私は毎年、三月五日を迎えるたびに「偶然とはいえ、絶好の季節に発足したものだなあ」と、つくづく感じます。三月初旬と言えば、まだ大気には凛とした厳しさが残り、天地は「清明」という言葉がピッタリに、澄み透っています。しかも、よろずのいのちをはぐくむ春の息吹が、爆発の力を秘めてどこかに動きはじめている。そんな季節です。 それにつけて、私は思うのです。「立正佼成会は常に“三月の会”であるべきである」と。と言うのはつまり、どんなに発展しようと、どんなに隆盛になろうと、決して春爛漫といった浮かれた気持ちに陥ってはならない。いつも「これからだ」という鬱勃たる発芽と成長の気力に満ち満ちていなければならない、ということなのです。 結成式を挙げたのは、昭和十三年のこの日、場所は中野区神明町にあった私の牛乳店の二階でした。 会員はわずか三十余名。ご宝前のあるその部屋は六畳しかありませんでした。もちろん、教団としての形はととのわず、教義も整然としたものではなく、ただほんとうの信仰を求め、現実に人を助けていこうという熱気に燃える同志の集まりでした。(中略) きのう入会した人は、きょうから布教者になり、その新発意の人さえすばらしい結果を生みだしますので、みんなはほんとうに無我夢中でした。純粋な、燃え上がるような気持ちで、求道と布教に猛精進したものでした。 私自身、妙佼先生を自転車の荷台に乗せて、一日に二十数軒の家をお導きに歩いたこともあります。思い出すたびに、総身の血が新しく躍るのを覚えます。 (昭和48年03月【佼成】) 信者即布教者 二 自分ができもしないのに、人さまに法を説くのはおこがましい、と考える人が多いようです。これは一応、最もなことのように思われます。日本人は永い間、中国の儒教の影響を受けてきているだけに、いっそうまた、そう考えがちなのですが、お釈迦さまが教えられているのはそれとは一段違うのです。 では、どう違うかと言うと、お釈迦さまは人間は皆一緒に、平等に生まれてきたのだから、ただ一事でもいい、自分が善いと思ったもの、信じたもの、しなくてはならないと思ったものを、一つ一つ体験しなさいと言われているのです。人のために説いてみなさいと教えておられるのです。また、そうやって、人さまに話をさせてもらってみると、教えられたことの意味がひとしおわかってくるのです。 これはある踊りの名人と言われた人の言葉ですが、「お師匠さんについて一生懸命習っても、それだけではなかなか覚えられない。覚えるためには、自分がまだ教えるほどの域には達していなくても、何も知らない人に手ほどきすることだ」と言われるのです。人に「教えてあげよう」と思ってやってみると、自分も踊り方を覚えることができると言うのです。おかしな話のようですけれども、〈教える〉と言うことはそういうものなのです。皆さんもやってごらんなさい。人に教えることによって、自分もほんとうにそれを覚え、身につけることができます。 ところが、妙なもので自分で覚えようとしてお師匠さんのところへ通っているうちは、ほんとうに覚えられません。なぜかと言いますと、人に教えようとするとどうしても自分のくせが出てきて、それに気づかされます。また、教えようとするには一貫性がなくてはなりません。何度踊っても、同じ型でなくてはならないのですから、足の踏み出し方、手の振り方をきちんと一つ一つ教えていかなくてはなりません。それだけに人の師匠になると、教えながら自分が完全に覚えてしまうのです。自分が人から習っているだけのときは、何日やってみても“こうだったか”“ここは手を四つ打つのだったっけ……いや、それとも三つだったかな”というように自信がないのですが、人さまに教えるにはそんなわけにはいきません。ここは歌が何拍子でどうなっているとか、足の開き方、手の出し方はどれくらいでないといけないとか、無意識のうちにも、念を入れて確かめてかかりますから、知らず識らずのうちに完全に覚えることができるのです。 (昭和41年04月【速記録】) 信者即布教者 三 因縁とは不思議なもので、お導きをしなさいと言われると、だれもが自分と同じような業障の人を伴って来るものです。そして、導いてきた人に、わかってもらおうと懸命になって努力する。自分が、わけのわからぬことを言っていたのでは、相手がますます混乱してしまいますから、まず自分が正しくならなければいけない。腹を立てたり、怒ったり、欲張ったりしないで、いつ、だれが見ても、自分は間違っていないんだ、ということをしてみせなければ、導きの子は言うことを聞いてくれません。ですから、自然に自分のすること、なすことをだんだんと吟味していくようになります。自己の内側に向かって、自分を吟味していくということになるわけです。 仏さまもこのことを、お経の中ではっきり言われています。それは常不軽菩薩品第二十に出てくる「人の為に説きしが故に、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得たり」というお言葉です。ひたすら人のために法を説いたからこそ、こうして仏の悟りに達することができたのだと、お釈迦さまは説かれているのであって、これこそは、法華経の特性と言っていいのではないでしょうか。 (昭和41年04月【速記録】) 理屈はあまりはっきりわかっていなくてもいいのです。人さまのためを思い、一生懸命になって、お導きをしていると、だんだん自分も向上していきます。そして人のために、人のためにと繰り返していいるうちに、家もしだいに繁盛するようになって商売もうまくいく。それに家の中が円満になって、そのうち家も建てられる、と言ったように、すべてが順調に運ぶようになって、そこに幸せが訪れるのです。このように“人さまのために”と言いながら、自分が成長しふくらんでいくのです。それは不思議なものです。 (昭和34年07月【速記録】) 信者即布教者 四 だれもかれもが「はいそうですか」と言って入会してくださるのなら、私どもは一つも苦労しません。初めは最も身近な親せきに目をむけてみましょう。どんな人でもひとりやふたりは親せきを持っているはずですから、まずその人達に「一度でもいいから道場を訪ねてみましょう」という気運を少しずつ作りだしていくことです。自分だけ救われればいいという欲ばった心をなくして、自分の体験をどんなことでも話していくことです。道場まではなかなかいけない、という人もいるでしょうから、その人には班の組織を活用して、班の人達に集まっていただき、新しい人を囲んで十人くらいのサークル(法座)を作ります。この人数がサークルの単位として一番いい数でしょう。そして新しい人達にまず自分の持っている苦しみ、あるいは疑問を出してもらって話をすすめていきます。この方法が一番初歩的で、ご法をわかっていただく早道だと思います。新しい人をなるだけ多く訪ね、親しくなっていくことがまずたいせつです。そして班単位で話す内容は次に道場へ出て来る必要のある話をし、信者さんが道場へ出て来られる道をつけておくことです。 (昭和38年01月【佼成新聞】) 皆さんは、ほんとうにすっきりした仏さまの子です。ですから、自分に仏さまがついているかぎり努力しただけのことは、ちゃんと結果に現われてくるんだ、という自信を持って毎日の生活を続けていけば、隣の人が「私も、あなたのやっている生きた信仰に入れていただきたいから、どうか連れて行ってください。実は私はこういうことで悩んでいるんですよ」と言って、やってくるようになります。そのとき、自分で説くことができればいいのですが、もし説けなかったら、少し慣れている話の上手な人のところを訪ねて、聞かせてもらえば、たちまち「今すぐからお仲間になりましょう」ということになるのです。 私なども全国を歩いて、宿屋に泊まるたびに、女中さんをずいぶん導かせていただきました。一晩泊まって翌朝帰るときになると「お弟子にしてください」と言って、みんな入会するのです。 私は宿屋に泊まると、接待の女中さんに「せっかくこうしてご飯をよそってもらったんだから、あなたとは切っても切れない深い縁があるんだ」と話しかけます。そこから、酒を一杯ついでもらうと「ああ、有り難い。あなたについでもらったおかげで、甘露のお酒をいただくことができます」と感謝しながら、だんだん話をしていきますと、「ぜひお願いします。入会させてください」と相手は身を乗り出してきます。食事をすませ、ひと風呂浴びて、あんまさんに来てもらうと、今度はそのあんまさんが「私もご本部に出かけて行きます」ということになります。今の時代は仏法の弘まる時期だと、お釈迦さまはすでに二千五百年も前に言われています。ですから、みんなで「仏さまの教えに従って幸せになりましょう」と会う人、会う人に働きかけてごらんなさい。自分の手に負えないようであれば、先輩の幹部さんに話をしてもらえばいいのです。自分でみんな仕上げようとするとなかなかたいへんですし、とくに、社会常識の豊かな人なんかは、なかなかめんどうです。しかし、おもしろいもので、そういう人を導くには、理屈をあまり言わない方がいいのです。その方が実際に導けるのです。 (昭和51年04月【求道】) 信者即布教者 五 仏さまの真似をして、仏さまの説法をいろいろなかたちで表現し、口で人さまに伝えようとしますと、自分が生まれながらにして持ってきた因縁がわかってきます。そして修行を続けて、心を改めていくと、自分が仏さまの子であって、仏性をちゃんと授けられているのだということが、いっそうはっきりしてまいります。 このことがよくわからないうちは、何か無駄なことをしているような気がするものです。最初のうちは、だれかから入れ知恵されたり、頼まれてやっているような気がするものですが、だんだんと実践しているうちに、自分の本心から発露されたものであり、自分が仏性をもっているからこそ、そうなるんだということがわかってきます。言い換えると、本然の仏性から自然にわき出してくるところの方便力なんだということに、気がついてくるのです。その段階ではまだまだ危なっかしい行者には違いありませんが、その危なっかしい行者が、人さまのために法を説き続けているうちに、やがて本物になってくるわけであります。 (昭和48年03月【求道】)...
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...後ろ姿で人を導く 一 お導きというものは、そのためにどう骨折りしなければならないかということよりも、皆さんの気持ちを、しっかりつかむことに尽きます。そうすれば、無理にこせこせしなくても、大地から泉がわき出すように、信者さんは次第にふえてくるものです。そのことからも、私ども立正佼成会のあり方が、宗教団体として、だれからも立派だ、と認められるようにまでもっていかなければなりません。そういう雰囲気を持った教団にしていかなければならないと思います。そうならないと、立正佼成会の目指している遠大な理想や、よさがすべての人にわかってもらえないのであります。 (昭和35年09月【会長先生の御指導】) 仏教の究極にまで進んでいきますと、法を説いた、行じたという問題よりも、心身一如して三宝帰依に徹していれば心はいささかも動揺することなく、慈悲と感謝に満ちあふれて、黙ってにっこり笑いかけるだけで、人さまを教化する力が備わるということになってまいります。したがって、個々の人格完成ができれば、教化の力はいくらでもわき出てくるのです。 そして、その人の心の中に仏さまのみ心がほのぼのと感じられるようになり、相手の顔を黙って見ただけで感化を与え、しかも礼儀にかなっていて、真心が通じて心を和やかにする、そうした人間性の改革がなければ、信仰者としても、宗教家としても落第であると言わなくてはなりません。 (昭和39年03月【会長先生の御指導】) お導きをするというのには、お導きをするその人自身が、周囲から見てほんとうに安心のできる人でなくてはなりません。仏さまに一切をおまかせして、力のかぎり生きがいを感じて活動している、と受けとられるようになることが大事なのです。 (昭和51年06月【求道】) 後ろ姿で人を導く 二 男というものは、どうも理屈が先にくると申しますか、理論倒れの感じがあります。ですから、だんなさまが先に精進を始めた場合、主人の権威をかざして奥さんをすぐにも教化できそうなものですが、それがなかなかできません。それは私も体験ずみですが、どうも男は頭で理解して、それを家の者に説教し、理づめで押しつけるようです。したがって、奥さんをはじめ家族に、かえって反発されるのではないでしょうか。その点、奥さんが先に入会して精進されているところは、例外もありますが、案外とご主人を教化される時間が短いというか、早いのです。それでは奥さんの話し方が上手なのか、と言うと決してそうではありません。まったく奥さんには筋のとおった論理というものはないのですが、一番肝心な慈悲があり、実践があるのです。この身をもって自分の生活態度の変わったことを示す回心が、ご主人の心を打つのです。 (昭和51年05月【佼成新聞】) 後ろ姿で人を導く 三 苦しみや悩みのない人が多くなったというのは、一応は喜ばしいことです。衣食が足りるようになってきたことの反映ですから……。しかし、そのもうひとつ奥を考えてみますと、今の時代に苦しみや悩みを感じないと言うのは、ちょっとおかしいのではないでしょうか。一歩外へ出れば交通戦争、いや外へ出なくても、さまざまな公害物質は空からも降ってくるし、食べものの中にも潜んでいます。それどころか、いつ核戦争が始まって何もかもおしまいになってしまうかわからない……という時代です。こんな時代に苦しみや悩みがないと言う人は(よほど高い悟りを開いた人は別として)、自分だけの小さな安逸を、それもホンのひとときのはかない平穏無事を楽しんでいるに過ぎないのです。 そんな人は、一身上に何か事が起これば、たちまち苦悶の淵へ落ち込んでしまうこと必至です。われわれが信奉し、布教している仏教の目的は、個人的に言えば、身の上にどんな事態が生じようと、取り巻く環境がどう変わろうと、あわてふためくことなく、ドッシリと落ち着いた気持ちで、自分自身の生き方(宇宙が自分に与えた存在価値)を生きいていけるような人間になってもらうことにあります。 法華経の教えの真髄を悟れば、事実そういう人間になれるのです。なぜならば、自分は宇宙の永遠のいのち(久遠実成の本仏)の分身であり、現象のうえでどう変化しようと、真実の自分は永遠不滅の生命である……という大自信を持つことができるからです。 (昭和46年08月【躍進】) 一隅を照らすもの──それは威光ではありません。一筋に人さまに幸せになってもらいたいと願う慈悲の一念に裏づけられた率先垂範の自燈明・法燈明であります。ですから教化の極致は、言葉にあらずして行ないです。 “後ろ姿で人を導け”と言うのもまた、そのことにほかならないのであります。 (昭和45年04月【求道】) 後ろ姿で人を導く 四 創立当時は、世間の信用など皆無と言ってよかったでしょう。牛乳屋のオヤジと芋屋のバアさんがやっている拝み信仰──ぐらいが周囲の評価だったと思います。ましてや、世の識者や報道機関などは、軽蔑や疑惑こそ懐け、好意をもって見守ってくれることさえ望めない状態でした。それだけに、会員の行持は実にまじめで、清潔でした。お導きや手どりに訪問した先では、座ぶとんはむろんのこと、お茶の一ぱいさえいただきませんでした。常に「仏道のために」という堅い信念と、「導かせていただく」というへりくだった態度を忘れませんでした。 そのころの思い出で深く印象に残っていることの一つに、今の長沼理事長さんの肥汲みがあります。妙佼先生の家も、布教活動が拡がるにつれて人の出入りが激しくなり、一日に四、五十人の人が訪れるようになりました。訪れる方は気のつかないことですが、水洗でない当時の便壺は、たちまち一杯になるのです。それを、妙佼先生の甥である今の理事長さんは、「便所がたまるのは、それだけ信者さんがふえることで、こんな有り難いことはない」とみずから進んで、黙々と糞尿処理の仕事をやっておられました。その後、出征されて二十一年に復員されてからも、当時の本部や教堂の便所を汲み、まだ残っていた戦時農園まで、天秤棒で運んでおられたものです。現在の会員のかたがたにとっては、にわかに信じ難いことでありましょう。 このように、内外ともに真摯な活動を続け、しかも、現実の功徳が目を見張るほどに現われますので、入会者はひとりでに急増していきました。私も妙佼先生も自分の商売を持っていることが不可能になり、また本部が私の家の二階などではどうにもならなくなりましたので、やむなく本部を建築したのですが、それもたちまち手狭になり、庭にムシロを敷きまわして法座を開く日々が続きました。仕方なく、ある航空機会社の練成道場だった百七十坪(約四五一平方メートル)の建物を買って移築しましたが、これも翌年には狭くなり、再び野外法座を開かなければならなかったのです。こんなことを繰り返していくうちに、いつしか大聖堂や普門館の建設にまで到達してしまったわけです。 (昭和48年03月【佼成】)...
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...八万の大士 一 お釈迦さまの言われる八万の大士とはどのような人なのでしょうか。これは、真に現代社会を憂え、世の中を正しい方向に向けようと、在家の信仰者でありながら、身を粉にして努力する人達のことです。 (昭和43年10月【佼成新聞】) 八万の大士の自覚が徹底することは非常にたいせつで、現代はただ信仰していればよい、という時代ではありません。“三世諸仏の説法の儀式”ということの意味をしっかりかみしめてみますと、われわれが今日あるのは決して偶然ではなく、過去世からの宿縁によって、立ち上がらなければならないということなのであります。その自覚がはっきりすると“そんなにやらなくてもよい”とか“このぐらいでいい”というような気持ちではなく“我と等しくして異なることなからしめん”という仏の本願に立って不動の信仰を永続するようになるのです。 現代は、自分ひとりが幸せであればそれでよいという時代ではなく、みんなが幸せにならねば真の平和も、幸福もなりたたない時代です。ひとりでも極楽に行けぬ人間がいるうちには仏は悩む、という仏の心を心として、わかった者からひとりでも多く、八万の大士の自覚に立たねばなりません。 (昭和43年11月【佼成新聞】) 八万の大士 二 法師品第十の中で、八万の大士は「自ら清浄の業報を捨てて」と、この複雑多岐の娑婆に好んで生まれてくるのだとあります。それは世の中が物騒だというので悩んでいる人、迷っている人、苦しんでいる人がかわいそうでしかたがないから、みずから願って生まれてくるのだ、と説かれています。このように人類が滅亡してしまいかねないような悪世末法の世に、正法を弘めるために生まれてくるのであります。この八万の大士達は前世において、そのことをすでに仏さまに約束していると言うのですから今のような時代であれば、そういう人達がこの娑婆に出てこなくてはならないのであります。 そういうことになりますと、この八万の大士がお釈迦さまの前で約束申し上げたときに、何か目印になるようなレッテルを貼っておけばよかったのでしょうけれども、そのしるしがないものですから、それと見分けるわけにはいきません。したがって、みずからが“八万の大士のひとりである”と悟らなければ、「私は最近導かれたばかりで、凡夫でございます」と言っていたのでは、自覚には至らないのです。だれかに「おまえは前世から八万の大士なんだよ」と言われたとしても、「そんなこと、わかるものか」と言っていたら、自分も、世の中も一向によくすることはできません。 だれが認めてくれなくても、自分が今の世の中をながめて、「なるほど世の中のあり方はお釈迦さまの予言されたとおりだ」と気づき、み教えを繰り返し口に唱えてみる、人にも語りかけてみると、そこでまたお釈迦さまが言われたとおりの結果が出て、用いた人はすぐさま、仏果をいただくことができたということになってきます。そうなりますと「これは自分もいくらか八万の大士の孫ぐらいにあたるんじゃないか。そういう可能性もあるのじゃないか」と思えてくるのであります。そういう意味では私達は、みずから八万の大士になろうという、大誓願を立てなければならないのであります。 (昭和35年07月【速記録】) 八万の大士 三 皆さんの行く手には、あらゆる困難が待ちうけていると思います。幾度も幾度もつまずき、悩み、苦しむことでしょう。それが当然なのです。大いに疑問を持ち、大いに苦しんでください。苦しみのなかでこそ人は育つのです。幾多の困難を乗り越えて皆さんのひとりひとりに八万の大士(地涌の菩薩)になっていただきたいのです。地涌の菩薩とは、苦しみや悩みの多い現実の生活を経験し、その中で修行を積み、そして世俗の生活をしていながら、高い悟りの境地に達した人々のことを言います。 みずから苦しみや悩みを経験し、そこをつきぬけてきた人は、ほんとうの力を持っています。かかる人にしてこそ、人を教化することができるのです。それゆえ、皆さんは現実から逃避することなく、現実に根ざして、それに対処する勇気を養ってください。 (昭和39年07月【躍進】) ...
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...「教育」について 一 あなたはすでに仏法に触れ、人間というものを深いところでとらえられる習慣が多少なりともついていますから、すぐには答えないで、「さて……」と心のなかでしばらく考えてみられることでしょう。ところが、世間一般の人に同じ質問を発してごらんなさい。もし小学生の子をもつ親なら、すぐ「読み書き、算数を教え、それから理科や社会の知識などを与えて、一人前の人間として世に立てるようにすること」ぐらいに答えるでしょう。 一応正しい答えのようですが、実は一番たいせつなことを忘れた、五十点以下の答えなのです。一番たいせつなこと、それは何か。ほかでもありません。〈人間をつくる〉ことです。人間らしい人間をつくり、立派な人間をつくるということです。これこそ教育の究極の目的でなければならないのです。 (昭和42年09月【佼成】) 教育をどう定義するか──これはなかなか難しい問題ですし、いろいろなとらえ方があろうかと思いますが、私はこう定義してみてはどうだろうか、と考えております。「人間として円満な人柄であり、また完全な人格者に導くための基礎になる理性を養うこと───それが教育である」と。 お互い同士が人格の完成をめざして修行し合うことは、立正佼成会の目標ですが、人間、完成された域にまで到達するのは容易ではありません。ですから、まず土台になる理性を養うことによって、円満な人間、完全な人格者に育てあげる基礎づくりをすることが、ほんとうの教育のあり方ではないかと私は思うのです。 そのように人格の円満な、完全な人間をつくるという考え方で、教育の問題をとり扱っていけば、知育も徳育もそして体育も、おのずからそこに培われていくのではないでしょうか。 (昭和37年05月【速記録】) 「教育」について 二 教育は、押し込むことではありません。引き出すことです。それぞれの人間にふさわしい特性を引き出し、育てることです。また、すべての人間に人間らしい心を「起こさしめる」ことです。無量義経十功徳品第三に、「是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして菩提心を発さしめ、慈仁なき者には慈心を起こさしめ、殺戮を好む者には大悲の心を起こさしめ……」とあります。この「起こさしめること」が教育の真髄なのです。 (昭和52年04月【佼成】) 「教育」について 三 教育という文字の起こりを藤堂明保博士の『漢字語源辞典』によって調べてみますと、「教の」原字は「■」で、上の「メ」は交わる形だと言うのです。つまり「おとなが教え、子どもがそれを受けてまねる。おとなと子どもの間に交流が生まれる」、その姿を表わしたものだと言うのです。また「育」の字は「子を養い善をなさしむる」という意味なのだそうです。 (昭和52年07月【躍進】) 「おとなが教え、子どもがまねる」なんと言っても、これが教育の根本原理なのです。しかも、善をなさしめるように養う(養成する)、これが教育の根本方向なのです。 (昭和52年07月【躍進】) 「教育」について 四 教育の究極の目的は、人間を幸せにするためのものです。しかも、人間全体を幸せにするためのものです。 (昭和51年04月【佼成】) 何よりも、まず人間づくりをたいせつにし、人間と人間との結びつきを強く、こまやかに、そして温かくすることです。 (昭和51年04月【佼成】) 「教育」について 五 たんなるものしりは、やたらに多くの知識を単発的に知っているだけで、知識と知識のあいだにしっかりとした脈絡がありません。だから、それを活用する機会がほとんどないのです。(中略) また、たんなるものしりは、その知識に基礎理論や体験の裏付けがないために、応用が効きません。実地に役立つことはきわめてまれなのです。 それよりも、知識の量は基礎的なものをホンの少しだけでいいから、それをゆっくりとかみしめ、消化し、吸収して、完全に自分のものにすることこそたいせつなのです。また、そうする過程において養われるものの考え方の方向と、その力こそが一生涯役立つのです。 (昭和52年04月【佼成】) 「教育」について 六 学問は、それによって自分が高められ、社会に貢献するところがなければ価値はありません。そのような価値を発揮するためには、何よりもそれが身についていなければならないのです。 (昭和52年04月【佼成】) 素直な気持ちで大自然の法則に随順し、それぞれの人間に本来そなわっている価値をノビノビと伸ばすことを心がければ、次の世代は間違いなく健全に育っていくことでしょう。 (昭和52年02月【躍進】)...
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...学校教育 一 今の日本では「上の学校へ行けば行くほど、社会に出てからの収入が良く、生活が安定する」と言うのが、進学の最大の理由になっています。学校をエスカレーターのように考えているのです。ですから、乗っかってしまいさえすれば、あとはブラブラしていてもいいんだ、という気持ちになるのは当然です。 言うまでもないことですが、学校は“よい収入”や“安定した生活”を得るための道具ではありません。体を鍛え、心を磨き、知恵をはぐくんで、世の中のためになる人間をつくる道場なのです。このような、教育の目的を大きくはき違えているのが、今の日本の社会です。 目的をはき違えているうえに、方法論をも誤っているのです。自分自身の努力で階段を一歩一歩登って行ってこそ、身も心も鍛えられるのに、それを敬遠してエスカレーターに身を任せる傾向が濃厚に見受けられます。 (昭和49年08月【躍進】) 学校教育 二 人間らしい人間に育つためには、小学生は小学生らしく、中学生は中学生らしく、その心身の発達の段階において「らしく」生活することが必要です。「子どもはノビノビ育てよ」と昔から言われてきていますが、このノビノビと言うのは、つまり「らしく」だと思うのです。「らしくあればノビノビする」のだと思うのです。 〈楽しく遊びたい。飛んだり、跳ねたり、大声を出したり、思いっきり生命力を躍動させたい〉これが子どもの本性です。「らしさ」です。それも〈独りでやっているのではつまらない。仲間と一緒に群れをつくって遊びたい。勉強するのでも、友達と机をならべ、ノートを見せ合ったりしてやりたい〉これが子どもの本性です。「らしさ」です。その本性、その「らしさ」を生かしながら知・情・意をより高めていく。これがほんとうの教育だと、私は信じます。 (昭和52年11月【佼成】) 学校教育 三 近年、「胃潰瘍」や「十二指腸潰瘍」にかかる子どもがふえており、その八〇%とかが塾に通っている子どもであり、またその六〇%とかが学習塾・英語塾・音楽塾というように三つも四つもの塾に通っている、正確に言えば、通わされている子どもだと言うのです。 最も顕著な例は、血まで吐いた子どもの胃潰瘍が、塾をやめさせたらケロリと治ってしまったというのです。これなどは、異常な世相が子どもの身体を異常化した明瞭な証拠です。とすれば、心身一如の教えのとおり、それが精神の異常化を招かないはずはありません。実に恐ろしいことです。 (昭和52年11月【佼成】) 学校教育 四 戦後の日本人は、敗戦直後のみじめな生活体験から、何よりも物質生活の豊かさを願望する精神的習性がついてしまいました。(中略)しかも、戦後の日本に一番大きな影響を与えたのが、世界一〈物〉の豊かなアメリカの消費文化でしたから、ますますその傾向は助長されたわけです。原因は民主主義という思想の誤った受け取り方にあると思います。民主主義の基本である〈万民平等〉および〈人権尊重〉ということを、形のうえで杓子定規に解釈し、「先生も生徒も、親も子も、平等である」とか「子どもの心身に苦痛を与えるような教育は人権を侵すものである」と言ったような軽薄な考えが、自動車の排気ガスのように、知らず識らずのあいだに人々の頭にしみわたり、精神的公害を及ぼしていったのです。 そして、先生は〈人間をつくる〉ために生徒を人格的に鍛錬することを避け、したがって、生徒は先生を先生とも思わぬようになり、親は〈子を立派な人間に育てる〉ことを忘れてしまって、子は親をすっかりナメてしまうようになり、こうして学校教育も家庭教育もすっかり堕落してしまいました。 このような教育の堕落が、日本の社会をどんなに変えてしまったか、また、変えつつあるかは、お互いの周囲を見まわしてみればよくわかることと思います。多数の非行少年が発生し、性のモラルは腐敗し、賭博行為はほとんど公然と行なわれ、不特定多数の人間を殺すような非情な犯罪が続出し、もうけ第一のジャーナリズムが横行し、政治家は国民の利益よりも、まず党と自分のためを考えるのが当然のようになってしまいました。このままでいけば、いったい日本はどうなっていくのでしょうか、ほんとうに心配でなりません。 (昭和42年09月【佼成】) 学校教育 五 今日の教育の混乱の根は何か。家庭にも、学校にも、そして社会にも“学力第一主義”という悪風がしみとおって、心情とか情操とかを重んずる気持ちがまったく影を潜めていることです。学力第一主義は、つまるところ経済第一主義につながるわけですから、近年の日本の教育は単なる“経済人間”養成の場に堕してしまっているわけです。(中略) 情緒・情操のひからびた人間は、たんに人間らしさがないばかりでなく、今後は実務家(経済人間)としての価値も下落していくこと必至なのです。(中略) それならば、情緒を養い高める教育はどのように実践したらいいのか、ということが問題になりましょう。だれもがすぐ考えつくのは、道徳・音楽・造形美術・詩文の創作・文学鑑賞といった教科に力を入れることでありましょうが、──それももちろんたいせつなことですけれども──もっと根源的な一大事があるのです。ほかでもありません。教師が生徒や学生を引きつけるに足る人徳を、もしくは真底から生徒や学生のためを思う熱意を持っていること、これです。これを欠けば、たとえ百の方策を立てようと、千の教科を実施しようと、ほとんど効果は期待できないと思います。 このことについても法華経は、その“実践編”である流通分において、繰り返し繰り返し、徳と熱意の偉大なる力を教えているのです。仏性礼拝という一徳を貫いて、ついに多くの人々を傾倒させた常不軽菩薩、自己犠牲の尊さを身をもって示した薬王菩薩の前身、理想の現実化に挺身した妙音菩薩、真の智慧と大慈悲の権化である観世音菩薩、徹底した行を勧発して倦くことのない普賢菩薩……、それぞれに、ある強烈な一徳を身につけた人生の教師達を、人々が仰ぎ、慕い、あのようにありたいと願う、そこに強烈な魂と魂の感応が生ずるのです。 こういう、魂と魂との感応こそが、情緒を高め、養うのです。数学を教えようが、物理を教えようが、社会科を教えようが、その授業のなかで教師の魂と生徒の魂が火花を散らすような教育をすればいいのです。「見聞触知、皆菩提に近づく」であって、教科は何科でもいいのです。 (昭和48年04月【佼成】) 学校教育 六 文部省あたりでも指導方針を少しずつ切り替えつつあるようですが、戦後のお役所というものは四方八方に気兼ねをして、ズバリと思い切ったことのできない立ち場にありますから、この大河の流れのような世の風潮を大きく方向転換させることはきわめて難しいことと思われます。 ですから、なんと言っても国民自体の頭を切り替えることがたいせつだ、と言うことになります。切り替える、という言葉に語弊があるならば、もう少し深く人間というものを考え、人生というものを考え、人間社会というものを考えるように仕向けなければならないのです。そうすれば、教育も必ず本来の軌道に乗ってくるはずです。 それでは、いったいどうすればいいのか。私は、すべての人々が正しい宗教に目覚め、正しい信仰を持つようになることが、最も根本的な、しかも一番実効のある道だと確信しています。 (昭和42年09月【佼成】)...
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...家庭教育 一 教育の根本は、なんと言っても家庭にあると思います。家庭は「人間教育の場」です。そのたいせつさを忘れて、「学校教育は知識の切り売りばかりをしている」などと学校に責任があるようなことを言っている人がいますが、それはおかしなことです。学校の役目は知識を与えることにあるのであって、家庭はその知識を受け入れることのできる、人間をつくる場所でなければならないからです。 ですから、一番のもとになる家庭教育がきちんとできていないと、学校教育を受けても知識が与えられれば与えられるほど、誤った方向に走ってしまう可能性を大きくすることになります。つまり、気違いに刃物と言うような結果にならないとはかぎらないところに、家庭教育をしっかりしたものにする必要があるのです。ことわざに“三つ子の魂百まで”と言うのがありますが、まったくそのとおりだと思います。 ぴしっとした家庭教育によって人間づくりが行なわれていれば、そこに知識が加われば加わるほど、人間として成長もしていくし、同時に立派な人格も形成されていきます。それがまた教育の順序だと、私は考えています。 (昭和50年06月【速記録】) 家庭教育 二 一般的に考えられることは、学校というのは一定のカリキュラム(教育課程)に従って先生がひとりで四、五十人の生徒を教えるわけですから、とてもひとりびとりの生徒の全人格というものを育てることは不可能に近いと思います。(中略)知育教育が中心になると思うのです。 ところが家庭では両親、あるいは兄や姉というように指導者も多い。そして家庭における子どもというのは、いわば裸の状態ですから、外ではカラをかぶっている本性をそのまま出してきます。 そんなところに、その子の健康状態、ものの考え方、感情の起伏やその傾向、才能の特徴など、親がその気になって気をつければ手に取るようにわかります。したがって指導がしやすいわけです。このほかにもいろいろな理由をあげることができますが、こういったところにも家庭教育の利点、あるいは重要な要素があると思います。 (昭和42年11月【佼成新聞】) 家庭教育 三 親は、子を育てるという至上の役目を持っています。しかも人間の世界では、ただ健康な肉体を育てるだけにとどまらず、社会生活に耐えうる品性と、社会に貢献しうる能力をも育てあげなければなりません。それには、親としての愛情のほかに、人生の教師としての厳格さがどうしても必要なのです。 子どもの本質的な人権は、むろん尊重しなければなりませんが、しかし、なんと言っても子どもは一人前の人間ではありません。未完成な一つの素材にすぎません。その素材を一人前の人間として完成していくには、親の英知に基づく厳しい指導が絶対に必要です。すなわち、伸ばすべきもの──美しい心情・よい才能など──は、どんどん伸ばしてやらなければなりませんが、伸ばしてはならないもろもろの悪徳の芽は、見つけ次第ビシビシつみとらねばなりません。人間としての姿勢の歪みが見受けられたら、まだ素材が柔らかいうちに厳しく矯正することです。これがしつけと言うものです。これは、親たるものの至上の責任です。その責任の重大さを自覚するところに、親の権威が生ずるのです。そして、そうした責任感に裏づけられた権威であれば、必ず子どもを納得させ、導いていくことができます。なぜなら、それは自然の摂理に合った権威であり、〈如是〉の権威であるからです。 (昭和41年05月【躍進】) 家庭教育 四 子どもは親が仕事をしていると、かたわらでマネをしたがります。手紙などを書いていると自分も一緒になって字を書いたりします。そのときに頭から“邪魔だからどきなさい”としかりつけてはいけないと言われています。 せっかく自発的にやろうとしている気持ちを押さえつけると、子どもは無気力になるか、または曲がった形で他の面で爆発しやすくなります。「この子は小さいときにはおせっかいだったのに、大きくなったら何も手伝わない」という親の不平も、案外そうしたことが原因なのかもしれません。 (昭和42年07月【佼成新聞】) 家庭教育 五 道徳教育は、決しておとなの型を押しつけるものではありません。第一にたいせつなのは、子どもを信ずることです。子どもの仏性をあくまで尊敬し、教えてやるのだ、なおしてやるのだという心を捨て、どんな子どもも人間として立派な力を持ち、自分で善い行ないをしようとする心を持っている、と信ずることです。それには、表面に現われた行動だけを見て子どもを評価せず、理解をもって対しなければなりません。しかるよりも、むしろ長所をほめてあげることがたいせつです。 第二は、おとなたちの生活態度です。第三は、慈悲の心ですべての子ども達をつつむことです。困った子どもほど、不幸な子どもと言えます。内心に葛藤を持つ気の毒な子どもなのです。自分はよくない子どもだから親からもかわいがってもらえない、と思いこむ子どもにとって、おとなたちの愛は大きな心の支えになるに違いありません。 (昭和39年07月【佼成新聞】) 家庭教育 六 人間は〈こわいもの〉があってこそ自制も自戒もするものです。そして道を誤らずに生きていけるのです。その点、現代の子どもや若い世代には〈こわいもの〉がなくなり過ぎた感があります。それが、無軌道や無謀な若者を生みだしている大きな原因となっていることを考えてみる必要があると思います。 もちろん、子どもといえども、人権は尊重しなければなりません。しかし、そこには、おのずから限度や制約があるべきです。なんと言っても子どもは、まだ一人前として自立していないのであり、いわば、養われている身なのです。百%の権利には、完全な義務と責任を伴いますが、精神的にも独立していない、責任もとれない身では、百%の権利を主張できないはずです。 また、子どもの言いなりになる親を、子どもは決して尊敬はしないものです。それより、子どもの言葉には充分耳を傾けながらも、「それはいけない」と断固として言える親の見識が、陰で子どもの信頼と尊敬をうることになると、私は信じて疑いません。 これまでの、学校教育に頼りすぎる傾向を改め、もっと家庭の役割に自信を持ち「世代が違う」「無理解だ」という声にひるむことなく、断固として子どもをしかるべきです。 しかることと共に、忘れてならないことは、子どもの望ましい成長を願うために、親自身が、たえず人間的に成長しなければならないという点です。子どもの人格的成長は、親の口先によるものではなく、まじめな生活態度によるものであることを、しっかり自覚する必要があり、ここにも精進の意義を見い出すことができるのです。 (昭和39年11月【躍進】) 家庭教育 七 父親は、スキン・シップ(肌と肌との触れ合い)こそ母親に及びませんが、それだけに“覚めた眼”をもって子どもを見守り、“義”をよりどころにして子どもを育てます。また、たとえ貧乏でも、子を飢えさせることのないよう身を粉にして働きます。あたりまえの父親なら……。 そういう父親に対して、子どもは自然に信頼と尊敬の念を持つようになります。「頼みになる人」として父親を見るのです。これが子どもと父親とのほんとうの関係であると思います。 (昭和51年04月【佼成】) 私は、かねてから「最高の教育者は母である」「母であるべきだ」という不変の信念を持っています。母は本来、子に対して無限の愛を注ぐ、心優しい存在です。しかも、非常に強いところがあります。子のためならどんな犠牲を払っても顧みません。あまり説教がましいことは言わないが、身の振る舞いをもって知らず識らずのうちに感化を及ぼす、いわば全身全霊的教育者です。たとえ人間としての短所はいくらかあろうとも、子にとっては絶対の存在なのです。これが“母”の本質です。 (昭和51年02月【佼成】) 家庭教育 八 家庭教育というのは、結局は情操教育ということです。感情の中で最高のものは慈悲ということです。ですから仏教で言えば、慈悲の心を養うということになるわけです。 〈慈〉とは、人を幸せにしてあげたいという気持ち。〈悲〉と言うのは、人の苦しみを取り除いてあげたいという気持ち。これは人間の平等心、自他がともに一体となる心から芽ばえるものです。こうした境地に達するには、宗教によって不断の実践行を積まなければ育たないと思うのです。しかし、小さな子どものときからこうしたことを教え込んでおくと、非常に効果的だと思います。 (昭和42年11月【佼成新聞】) 幼いうちに人間性豊かな教育、情操にあふれた教育を肌をとおして施していくことです。そうした教育環境のなかで育っていきますと、人間はやがて善知識にめぐり会います。いろいろな人達と会っているうちに、お互いに心の底から信頼してつき合っていけるような相手、つまり善知識との間に縁が結ばれていくのです。そして、そういうことを重ねているうちに、自分自身の人生経験から、この人を師匠にしていけば間違いないと確信できる師にも出会うことができます。豊かな人間性と情操が生活の土壌としてあれば、師としてだれを選ぶべきかがはっきりしてきますから、間違いのない人をお師匠さんとして持つことができると思うのです。 (昭和41年11月【速記録】)...
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...生涯教育 一 これからの教育はどうあらねばならないのでしょうか。それには三つの柱があると私は考えています。第一は「人間をつくる教育」、第二は「生涯教育」、第三は「地球人レベルの教育」です。 第一の柱については、もはや説明の要はありますまい。とにかくこれまでは、あまりにも実生活に役立つことに偏した功利的な教育が行なわれてきました。幼稚園・小学校・中学校・高等学校でも、おおむね“進学のため”という功利一本やりの教育が行なわれてきました。これでは偏った人間にならざるをえません。今後の教育は、何よりもまず人間らしい人間をつくることを基本精神とし、世の中のすべての人々と協調し、仲よく交わり合い、平和な社会を創造できるような人格を育て上げることに主眼をおかなければなりません。同じ知識を授けるにも、あくまでも「これが世の中の平和と進展に役立つように」ということを基調としてなされるべきです。これまでの進学のための知識の詰め込みや、産業エゴのための研学と違って、このような精神が基調となるならば、よしんば、いかに知識を詰め込もうと、いかに激しい成績争いが行なわれようと、それなりのメリット(長所)さえあれば、人間や社会を害することは、よもありますまい。 第二の「生涯教育」と言うことですが、これも私の持論ですので、詳細を繰り返すのは避けますが、とくにたいせつな点を二つだけ述べておきたいと思います。一つは、幼・少年期における家庭教育において、人さまに迷惑をかけない、ということをビシビシしつけていただきたいことです。たとえば、公園の花を摘んだり、お菓子の袋を道に捨てるような行為を「子どもだから……」といって容赦することなく、「大勢の人に迷惑をかけますよ」と、理由をハッキリ話して、そのつど厳重に戒めることです。これは、たんに公衆道徳を守る人間をつくるばかりでなく、すこしでも目を広く外へ向ける習慣をつけ、それだけエゴの濃度を薄くするという、非常に重要な教育効果を持つものなのです。 もう一つは、学校での教育についてですが、小学校から大学までを通じて、学ぶことの楽しさを身にしみて味わい知るよう、指導してもらいたいことです。今の日本の教育では、「勉強はイヤなもの、苦しいもの」と感じる学生・生徒が大部分ではないでしょうか。だからこそ、苦労して大学に入ったとたんに勉強しなくなるのです。まして社会に出てしまえば、勉強なんか見向きもしないようになるのです。それでは、ほんとうの人間は育たず、ほんとうの社会の進展はありえません。 さらに付け加えたいことは、学校ではいかに学ぶか、という方法論をしっかり身につけさせてもらいたいものです。そうしますと、社会に出てからも、独りで本を読んだり、データを集めたり、実験をしたりして、研究を続けることもできましょう。従来は、とくに高校までの教育には、これが不足していたのではないでしょうか。 さて、第三の柱の「地球人レベルの教育」ということですが、これは「宇宙船地球号の乗組員のひとりとして、常に、地球号の運命を考えて物事をなす人間をつくる」と言うことです。人間の利己心、つまりエゴイズムをなくするというのは正直な話、至難の業です。投げ捨てよう、抑えようと努力しても、なかなか思うに任せぬのが利己心です。 では、どうすればいいか。関心を広い世界へ向けるようにすればいいのです。自分一身のことだけしか考えない人はコチコチのエゴの固まりです。その人が家族全体のことを考えるようになりますと、ホンの少しでも固まりの一隅が柔らかくなります。地域社会への関心が深くなれば、固まりの溶けた部分がもっと多くなります。民族全体のことを心配するようになれば、エゴはもう水溶液程度に薄まったと言ってもいいでしょう。もし、何かにつけて人類全体のことを思うようになったとしたら、もはや利己心はあってもなきに等しい、と断じていいでしょう。 (昭和49年10月【佼成】) 生涯教育 二 あらゆる物・あらゆる現象・あらゆる人間が、あるべき所に存在して、おのずから描き出しているのが宇宙の大曼荼羅であります。あらゆる物・あらゆる現象・あらゆる人間が、それぞれの抜き差しならぬ存在理由を持ってそれぞれのパート(部署)を受け持って働く、そのすべての働きが大きなところで総合され、大調和して、一大シンフォニーを奏でている、そうした宇宙の姿の尊さ、美しさであります。 ここまで言えば、結論はもうおのずから明らかでしょう。人間はなんのために生きるのか──それは、自分のみに与えられた宇宙の中の一部署をしっかり守り、その役目の完遂に努力することによって、他のすべての存在との調和を高め、そしてこの壮大なシンフォニーをいやが上にも尊く、無限に美しくしていくためなのです。このほかの何ものでもないのです。 こういうことを、学校で教えていますか。教えていません。人間が生きていくための最も根本的なもの、背骨となるものを、学校では教えないのです。それを教えるのは、宗教だけです。ですから、すべての人にとって、とりわけ青年にとって宗教はどうしても必要なものなのです。何も我が田に水を引くわけではありません。学校やその他の機関がやってくれれば立正佼成会なんてなくてもいいのですが、どこでもやってくれないから、われわれがやるほかはないのです。 (昭和52年09月【躍進】) 生涯教育 三 人間社会というものは、それぞれの人が自分の務めを完全に果たし、他人に迷惑をかけることがなければ、円滑に運営されていきます。もちろんそれだけでも大したことなのですが、しかし、円滑な運営というだけではなんとなく機械的で、人間の住む社会のあり方としては物足りません。 そういう境地からもう一歩進んで、この世の中、すべての人が他の人々を思いやり、だれにでも積極的に親切を尽くそうと心がけ、その思いやりと親切とが春の風のように交流し合ってこそ、ほんとうに人間らしい、温かみのある社会ができあがるのです。 ですから、子どものときから親切心・親切行を身につけさせることは、何はさておいても第一になすべき教育であると、私は信じます。 なにも難しいことをする必要はありません。鉛筆を忘れてきた友達に一本貸してあげる、泣いている小さな子に「どうしたの」と聞いてあげる、バスや電車の中で、お年寄りがいたら席を譲ってあげる、といった、いわゆる小さな親切でいいのです。 その小さな親切によってはぐくまれた美しい心が、やがて、公共のために無償の行ないをする奉仕の精神へと成長していくのです。社会に奉仕する精神は、全人類に奉仕する精神に通じ、したがって宇宙の大生命である神仏に奉仕する精神に通じます。これこそが人間として最も高貴な精神であることは言うまでもありません。 (昭和46年06月【佼成】) 生涯教育 四 四「社会的な規律を守る」という精神を養うのでなければ、人間らしい人間には育ちません。昔は、友達仲間というものが自然とその役目を果たしていたものです。友達仲間にはおのずからなるルールがあって、それに背く者は辱しめを受けたり、仲間はずれの罰を受けたりしました。これが意外に強い拘束力を持ったもので、親の言うことは聞かなくても、仲間との約束は死んでも守るといった気風があったものです。これも、青少年の「らしさ」の一つです。 ですから、青少年を育成するには、おとなが直接指導するより、同じ仲間の兄貴分に任せるのが最も効果的です。昔の「若者宿」も、また、私達の時代の青年団もそうでしたし、現在のボーイ・スカウトやガール・スカウトもそうです。これらは、理想に近い幼・少年育成の機関だと私は思っています。よく子どもの特質を生かして、遊びや野外訓練などの間に心身を健全に育てるからです。その入団時の宣誓がまたいいのです。「誠をつくしておきてを守ります。いつも他の人々を助けます。体を強くし、心すこやかに徳を養います」 この内容こそが、人間らしい人間のモデルではないでしょうか。 (昭和52年11月【佼成】) 青年部の人達が主になって少年部活動を盛り上げていくことは大いに意義のあることです。子どもを強力に引っ張っていく力は、親よりもむしろ仲間同士にあります。仲間との友情を失いたくない、仲間から除け者にされたくない、仲間に喜んでもらいたい、そういう意識が遊びやその他の行動を通じて、ほんとうの意味の道徳感覚・倫理観を育てていくのです。そうして自然に育った道徳感覚や倫理観は一生の間、身にしみついて離れないものなのです。 ところが、今の子どもは、勉強勉強に追われて、そのような場を持つことがあまりにも少なくなっています。そこで、青年部の人達が兄貴分として子ども達の仲間に入り、一緒に遊び、一緒に活動する──これが、どんなにか子ども達をノビノビと、明るく、人間らしく育てていくか、まことに計り知れないものがあると思うのです。 (昭和52年07月【躍進】) 生涯教育 五 男も女も、人間としての根本においては平等です。しかし、現象面においては、第一に身体の造りが違います。身体の造りが違うというのは、この世における大事な務めが違うということです。したがって、体力も違い、気質も違い、才能も違ってくるのは当然です。ところが、この違いを「上下の違い」のように考える向きが多いのです。そういう受け取り方から昔は女性蔑視といういきすぎが生じ、今ではウーマン・リブといういきすぎが生じているのです。男女の違いは上下というタテの違いではなく「平等なヨコの違い」なのです。 電気には陽電気と陰電気があります。われわれがよく使う懐中電燈やテープ・レコーダーなどには、電池の陽極(+)と陰極(?)をこういう向きに入れなさい、と指示がしてあります。それを、電気は平等だからどっちでもいいんだと言って、反対に入れたとしたら、光もつかないし、モーターも回りません。+と?がそれぞれの分を守って互いに協力してこそ、そこに電気エネルギーが生きて働き出すのです。 つまり、陽電気が上等で陰電気が下等だ、などという差別は全然なく、その価値においてまったく平等です。しかし、その務め、役割には歴然たる違いがあります。これを私は「平等の差別」と呼びたいと思うのですが、天地の万物・万象すべてに、この「平等の差別」があり、宇宙のすべての現象は、この「平等の差別」で成り立っていると言っていいでしょう。 (昭和50年09月【躍進】) 「らしく」ということのたいせつさは、近年の日本人はイヤというほど思い知らされているはずです。空気が空気らしくなくなり、水が水らしくなくなり、土が土らしくなくなり、緑が緑らしくなくなったために、人間の生存そのものが脅かされていることを、身にしみて経験しているはずです。それなのに、女が女らしくあり、母が母らしくあり、子が子らしくあり、教師が教師らしくあり、学生が学生らしくあることを、どうして拒むのでしょう。不思議でならないことです。 強いてその理由を分析するならば、自分の置かれている位置と言いますか、自分に与えられている分際と言いますか、そういったものに逆らうことが人間の特権であるかのような錯覚があるからではないでしょうか。分に従うことなく、分から飛び出してこそ、いかにも人間らしい、自主的な生き方であるかのような思い上がりを懐いているのではないでしょうか。 そんな考えは、目の前の現象だけにとらわれた浅知恵に基づくものであって、ちょうど孫悟空がお釈迦さまの掌から飛び出そうとして懸命に飛んだのと同じです。何千里も飛んだと思って着陸してみたら、なんと、まだ、お釈迦さまの掌の上だったわけです。人間が“特権”だとか“自主性”などと言って力むのもそれと同様で、どうアガいてみたところで、宇宙の大生命が与えてくれた“分”から飛び出せるものではないのです。飛び出せないものを、無理に飛び出そうとするから、大けがをしてしまうのです。 そんな浅い知恵やハカナイ力みを捨てて、もっと深い宇宙の実相に目を向けるべきです。そして、大きな意味において「分に従い、らしくある」ことです。「分に従い、らしくある」と言えば、なんとなく受動的な、消極的な生き方のように感じられるかもしれませんが、それはとんでもない考え違いであって、それぞれの分において能動的に、積極的に進んでいく道は無限にあります。女は女らしくある道を無限に追求していく、母は母らしくある道をどこまでも探求していく、そこにこそ、ほんとうの意味の向上があります。人格の完成があるのです。 (昭和48年10月【躍進】) 生涯教育 六 教育はいわばマラソンみたいなものです。ゴールは、見えざる彼方にあるのです。極端に言えば、棺を覆った時がゴールであって、生涯教育こそが真の教育なのです。それを、今の日本の社会は、せいぜい四百メートルか、八百メートルの中距離競走ぐらいにしか見ていないようです。大学卒業がゴールだと考えている、これが第一の間違いです。 ゴールがすぐそこにあると見るから、バタバタ急ぐのです。急ぐから、すぐ息が切れてしまうのです。近ごろの大学生は、中学・高校・予備校などでの受験勉強に精力を使い果たし、大学に入ったとたんにホッとして、遊びにふけったり、あるいはノイローゼにかかって、あたらたいせつな学生生活を棒に振る人が少なくないと言います。なんのために受験勉強をするのか、なんのために大学に入るのか、まったく本末転倒もはなはだしいと言わなければなりません。 (昭和49年08月【躍進】) 昔の人は、うまいことを言いました。「早い馬も宿に着く。遅い牛も宿に着く」と。 パッカパッカ飛ばす馬は、途中で何度も休まなければ体がもちません。ノロノロ歩く牛は、休みもせずマイペースで着実に距離を稼ぎます。そして、結局は、その日のうちに同じ宿場に着く、と言うのです。いい言葉です。 しかし、私に言わせれば、教育に関するかぎり「早い馬も宿に着く」とは断言できないと思うのです。勢いよく走る馬はつまずきやすいし、滑って足を折ることもありましょう。また、物音に驚いたり、変な物を見たりすると、とんでもない方向へ暴走してしまうこともあります。過激派学生のように……。ですから、近視眼的に先を急ぐと、ロクなことはないのです。 (昭和49年08月【躍進】) 生涯教育 七 職業の虚栄、学歴の虚栄、これはもうソロソロ投げ捨てなければなりません。正しい仕事ならなんでもいいではありませんか。その代わり、心の豊かな、精神性の高い人間でありたい、そういった意識をみんなが持つような世の中にしなければなりません。いや、日本にもそんな兆しが現われてきつつあるのではないですか。国鉄の管理職は、従来ほとんど東大出で占められていましたが、今年度(注・昭和52年)は私大からも採用し、柔道部の主将という変わり種も採ったと言うことです。 大学に入らずに、あるいは大学を出てから、いろいろな技能を教える各種学校に入学する人も増えていると言うことです。いい傾向です。アメリカあたりでは、大工・左官などは収入も社会的地位も大したものだそうです。いや、日本でも、昔はこれらの職業を尊敬し、木を扱って家を造る人には右官、土で壁などを塗る人には左官と、“官”の字が与えられたのだそうです。また、そんな時代がかえってきつつあるのではないでしょうか。 学校におけるカリキュラムの虚栄も反省され、改善されつつあります。そうでなければならないのです。極端に言えば、学校では読み・書き・算数の基礎をしっかりやればいいのです。あとは、その人その人によって専門の教育を受け、また自己を“生涯教育”していけばいいのです。 (昭和52年02月【躍進】)...
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...リーダー育成 一 近視眼的な考えを持っているかぎり、仏法という大きな法則によって、大衆を指導することはとうていできないことです。世法も仏法も自由に駆使していける実力と、地位を授けていただかないことには、指導者としての使命を果たすことはできません。 日蓮成人も清澄山で、虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となし給え」と祈願をこめられた、と伝えられておりますが、仏法を究めようとする人間は、それほどまでに世法にもたけた智者でなければならないし、またそういう智者でなければ甚深微妙のこの法をわかりきることができないのです。では、仏さまの言われた意趣の深い教えをわかりきろうとするにはどうすればいいか。そのためには、まずわれわれの目前に現われる人生のさまざまな変化を一つ一つ肯定し、それを常に善用しながら、へこたれずに乗り越え、また乗り越えして、修行していくことが肝心だと思います。 (昭和39年04月【速記録】) リーダー育成 二 二〈学びの林〉、まさに名のごとしで、この文字が〈学林〉の性格を物語っていると思います。林の中の木はみんな似ています。しかし、よく見ると、似てはいるけれども太い木、細い木、そして育ちのいい木、育ちの悪い木といろいろあります。林というのはそういうものです。 そこで、立派な林をつくりあげていくには、一本一本の木が自分で根をしっかりと張り、そして大木になろうとめざすことです。細ければ細いなりに、また太ければ太いなりに、一本一本が大きな木になろうと根を張ることによって見事な林になります。一本の木だけ立っているのは林じゃありません。この学林も同じで、ひとりひとりが林の建設者にならなければなりません。ひとりひとりが林をつくりあげる一本の木として自立していくことがたいせつなのであります。 (昭和49年02月【速記録】) リーダー育成 三 現代における宗教者は、一般大衆の間に見られる無関心さ、あるいは無責任と言ってもいい生活行動の中にあって、責任を持って大衆を教化しなければならない使命を担っています。だからこそ、やはり素養もなくてはいけないし、学問の面での自信も持っていなくてはならないわけです。君達に勉強してもらったのも、そのためです。 人生の苦は時代の移り変わりとともに、さらに深刻なものになろうとしています。われわれの前に、いよいよ本格的な苦悩の時代が押し寄せてこようとしているのです。今このとき、その苦を大衆にどう説明し、どう教化して安心を得させしめるか……。この学林はその人生苦に喜んで取り組んでいかれる人間づくりの場であります。したがって、この学林に学ぶ者は深刻な人生苦と大きく取り組んでいける自己改造を目指さなければなりません。 (昭和50年12月【速記録】) リーダー育成 四 日蓮聖人の説かれた〈五綱教判〉に、教・機・時・国・序とあります。お釈迦さまのあらゆる諸法のなかの神髄であり、最高の教えである法華経も、その信解に堪えうる機根をもつ人間と、それにふさわしい時・所を得、しかるべき順序・次第を経てこそ、はじめて花も咲き、実も結ぶのである──という立論ですが、その五つの要素が、今こそまさに成熟しつつあると、私は確信するものです。〈国〉は、大乗仏教の生きている随一の国土、日本。〈時〉は対立・闘争の西洋思想が行き詰まって、一如と寛容の思想が切実に求められている二十世紀後半。〈序〉は、既成仏教の温床から出た新しい芽がたくましく成育しつつある現段階。そして、〈人〉は、最も正しい仏法の本道にはぐくまれてきた佼成人。 これが、末法に法華経がよみがえると予言された時期でなくて、なんでありましょうか。これから二十一世紀の初頭にかけて、必ずやこの機運は成熟の一途をたどることでありましょう。そして、その中核となるのは、実にわが立正佼成会会員でありましょう。いや、そうあらねばならないのであります。 そう考えてまいりますと、その〈人〉の中核体たるべきわが立正佼成会にとって、多くの優秀な人材を育成することは、天から与えられた至上命令と言わなければなりません。 (昭和42年08月【躍進】) リーダー育成 五 よきリーダーをつくる条件は、人を信用することであり、部下を信用することです。ほんとうに仏さまに帰依し、つまらない我などを捨て去って、素直な眼で自分の支部の中にいる人物を正しく見てごらんなさい。皆さんのすぐ側にすばらしい人物がぞくぞく集まってきています。けれども、そんなにたくさんのすばらしい人物がいても、見えないことがあります。そこが仏法に言う正見でないわけです。正しい見方をして、心からその人間を信頼し“この人の天分はどこにあるのかな”と、その力量を謙虚な態度で、合掌するような気持ちで見ていくのです。 すると身の回りにいかにすばらしい人々が大勢いるかが見えてきます。それがわかれば、人間の能力は無限なのだから個々の能力を開発しようと努力するようになってきます。そうやって自己の正見に基づいて、人材を発掘していけば、いくらでも人物はいるのであります。 (昭和41年【会長先生の御指導】46集) リーダー育成 六 真理というものは、いつでも、どこでも、変わることなく厳存するものでありますが、しかし、たんに存在するというだけでは、人間にとってほんとうに価値あるものとはなりません。それが、人間社会に働きだしたときに、初めてその真価を発揮します。 真理が働き出すとはどういうことかと言いますと、人間がそれを発見し、確認し、しかもそれを万人のものたらしめることにほかなりません。ですから、厳密に言えば、真理が動きだすのではなくて、人間が真理に動きを与えるのだということになります。 お釈迦さまがお悟りになった宇宙と人生の法則というものも、無限の過去から、そのとおりに存在していたのです。しかし、お釈迦さまがそれを発見され、確認され、そして万人のためにお説きになってから、初めて人間社会においてほんとうの価値を発揮するようになったのです。 そのお釈迦さまの教えにしても、それを受け継ぎ弘める人がなくなれば、教えはそこにありながら、インドにおいては無きに等しくなってしまいました。(中略) このように、真理は人がそれに動きを与えたとき生命を顕し、法輪も人がそれを転ずればこそ価値を発揮するのです。まことに〈法は人に因って貴し〉なのであります。 (昭和42年02月【躍進】) リーダー育成 七 法は人に因って興る──残された課題は、実に〈人〉です。そこで、私は、この仏教再興の聖代に必要な人材とはどのような人物であらねばならないか、その条件について、真剣に考えてみたいと思うのであります。 まず第一に要求されるのは、強盛な信心を持ち、帰依三宝の精神に徹し、人格的にも衆の範となるべき人と言うことです。 これは、信仰者の集まりのリーダーとして、最も根底をなす資格でありますから、もはや説明の要もありますまい。これを欠いては、いかに智慧・才腕の持ち主であっても、大勢の人の敬慕と心服を集めることは不可能でありましょう。(中略) 第二の条件として、広宣流布の菩薩行の熱意に燃え、しかも緻密な布教計画と、冷静な目標管理の能力をもった人が求められるのであります。いかに盛んな熱意に燃えていても、ただガムシャラに突進するのみの人は、兵となることはできても、将となることはできません。幹部たるべき人は、計画性がなければならないのです。(中略) 次に要請されるのは、自他の未来を創る、前向きの人と言うことです。 諸行無常の真理に徹している人は、現在、自分がいかに大きな能力を持っていても、いつかは必ず老い衰えていくものであることを知っています。諸法無我の真理を体している人は、自分の働きは決して自分だけの働きでないことを知っています。 それゆえに、極端な言い方をすれば、有能な幹部とは、自分がいなくても変わりなく布教活動ができるように、多くの人材を養成し、その人達がおもうさま働けるような態勢をつくる人のことを言うのです。後進を育て、その人々にすべてをゆだねていくことで、現在よりもさらに多くの成果が期待できますし、また、その人自身も一段と光り輝く存在となってくるのです。(中略) 最後に、最もたいせつなことは、人の長所を見い出し、それを生かし、育てていくことのできる、温かい心と寛容大度の持ち主ということです。 指導的立ち場にある者は、メンバー各員の持っている潜在能力を見い出し、それを正しく評価するとともに、それを発揮するに足る仕事を、現実に与える用意を持たなければなりません。 (昭和42年08月【躍進】)...
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...教主は釈尊 一 仏教においては、人間形成の目標として「完全なる人間像」が示されてあります。すなわち、完全円滑なる人格の完成者である教主釈尊その人であります。これが仏陀と称される理想像です。 ところが、人間の理想像が教主釈尊であり、仏陀であると言っても、その最高至上の理想像と同じ境地に到達するだけが、仏道修行の目的ではなく、そこまで一歩でも二歩でも近づこうとして、真理の教えを実践し続ける──その努力の過程が尊いとされるのであります。 そしてまた、この理想像は、決して観念による所産ではなく、明らかな現実の人間像であるのです。人間の肉体をもってこの世に生まれ、人生苦を体験し、真理を求めて正覚を成じ、説法教化に生涯をささげられた教主釈尊、私は、釈尊をもって理想の人間像となし、人間形成の目標にしていくことになれば、おそらく完璧であると考えております。 (昭和43年06月【佼成新聞】) 教主は釈尊 二 二千五百年前に釈尊がお説きになった仏教は、日本ではさまざまな時代にいろいろな形で、多くのお祖師さまによって受け継がれてきました。禅宗、念仏宗、真言宗、日蓮宗など非常にたくさんの宗旨がございますが、お上人さまがたは、お出ましになったその時代によってご法門を開いてこられました。 しかし、そのさまざまな宗派を見渡してみますと、お祖師さまがたが多くの教えを遺され、また法門を説き勧められたとは申しながら、仏教の本義とはどういうものであるか、ということについて説かれている宗派はあまりないのであります。また、それの説けるような時代ではなかったのかも知れません。その点、仏教の教えはどんなものであり、どういう意味のことを説いているのか、ということが、割合徹底されていないと思うのです。 その意味からも、現在、立正佼成会が呼びかけておりますのは、仏教の本義を行じることであります。また、そうした同志がひとり、またひとりと加わって、今の立正佼成会を成立せしめているのです。ですから、会長の教えとか、恩師の教えとか言われておりますが、会長が説いたわけでもなければ、亡くなられた妙佼先生が説かれたのでもありません。私はいつも、立正佼成会には教祖はいないと申しておりますが、仏教徒である以上は、教祖であるお釈迦さまの教えを体していくことがたいせつなのである、と申し上げているのです。 宗教団体の中には「二千五百年も前のお釈迦さまの教えなんかもう古い」と言って、七百年前の日蓮聖人のお題目がいいと教えている人達もいるのでありますが、私には正気の沙汰とはとても思えません。そのようなことを、私が申し上げるのは非常に僣越でありますが、お経に照らしてご覧になれば、そのことはすぐにおわかりになるはずです。 (昭和35年11月【速記録】) 教主は釈尊 三 この世に、お釈迦さまがもし、お生まれにならなかったとしたら、仏教はなかったはずです。しかし、七百年前に、もし日蓮聖人が生まれてこられなくても、すでに仏教は厳然として存在していました。そのことから考えましても、仏教の教えが二千五百年の間に古びていらなくなってしまうようなものだとすれば、七百年前に日蓮聖人が説かれた教えも、この先、時代がたつにつれて用のないものになってしまうはずです。そのような新しさとか古さとか、時代によっていらなくなったり、用のなくなるような教えであるのなら、私どもは真剣に用いる必要はないということになります。また、そのような教えならば用いたところで、何の利益もないと思います。 お釈迦さまがお説きになった教えは、決してそのようなものではありません。二千五百年前に示された行法を用いれば、だれもが自分では想像だにしなかったほどの大きな利益に遇うことができるのであります。 (昭和35年11月【速記録】) 教主は釈尊 四 いつの時代の宗教家にも、先人の遺してくれた教えのなかから、その時代にふさわしい教えを選択する〈自由〉が与えられています。そして、先人の遺してくれた教えを、その時代にふさわしく解釈し、解説する〈義務〉を課せられているのです。この自由を放棄し、この義務を怠る者は、畢竟その時代を救うことはできないのであって、宗教家としては失格者であると言わなければなりません。 実は、日蓮聖人こそ、その選択の自由と、時代的解説の義務を、百パーセント遂行されたかただったのです。すなわち、聖人は二十年のあいだ、お釈迦さまの遺された一切経をつぶさに研鑽された結果、法華経こそは人を救い、世を立て直す最高の教えであると〈選択〉され、その教法を当時の人々に理解させる〈義務〉を遂行するために、天台大師の解釈にも縛られず、ときの“法王庁”叡山の権威をも恐れず、法華経の受け取り方に、はつらつたる新風を巻き起こされたのです。そうして、権力の庇護もなく、既成教団の軒をも借りず、それとまったく逆の状況下にあって、獅子王のごとく邁進されたのでした。 (昭和41年03月【躍進】) 教主は釈尊 五 とかく日本では、どうしても祖師仏教になりがちであります。日本の仏教は、お釈迦さまの説かれたほんとうの仏教ではなくて、祖師仏教が一番いいものだと考えられています。その祖師仏教とは何かと言いますと、いわば半ぱの仏教なのです。 そうした偏り方の強い方が刺激があるので、日本では割合に受けがいいらしく、それが今日にまで及んでいるのです。その点で、日蓮聖人は非常に強い信念を持たれ、また非常に偏った教えの説き方をされたように、皆さんは受け取っていると思います。しかし、それは一面から見た受け取り方であって、ご遺文を読んでみますと、心の中が浮き立つように、日蓮聖人のお心持ちがひしひしと感じられるのであります。 (昭和33年05月【速記録】)...
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...釈尊の降誕 一 お釈迦さまが太子としてお生まれになったシャカ族の居城のあったカピラヴァストゥは、今の千葉県ぐらいの面積の小国だったと言いますが、農産物が豊かで、人情・風俗もすぐれた、立派な国だっと言います。しかし、西隣には強大なコーサラ国があり、その属国的な地位にあったため、なにかと政治的な圧迫があったようですし、また、当時のインドには大小さまざまの国が並び立っていて、あさましい侵略や紛争が絶えず、それが生まれつき純粋な心の持ち主であられた太子の胸を、深く痛ましめたのでありました。 (昭和46年04月【佼成】) シャカ族の王子としてお生まれになったお釈迦さまは、誕生されてから一週間後に、お母さまを亡くされ、継母の手で育てられました。私どもの身の回りにある因縁と同じように、お釈迦さまもまた生まれながらに、母を失うという悲しみに遭われたのです。聡明なかたであればあるほど、味わわれた人生苦もまたひとしおだったことでしょう。 お釈迦さまのようなすぐれたかたのお心のうちを、私どもがそのようにおしはかって考えるのは、たいへんに失礼なことかも知れません。けれども、仏さまを見るとき、私どもと同じように、人間としてこの世に生まれてこられたお釈迦さまが、人間の苦しみを味わい尽くされたのち、人間はどう生きるべきかを悟られたのだと考えた方が、いっそう親近感がわいてまいります。 そうやって、お釈迦さまをより近くに感じながら仏教の教えをとらえていただきますといいのではないでしょうか。 (昭和38年06月【速記録】) 釈尊の降誕 二 今、世界にはさまざまな宗教があって、それぞれにいろいろな神さまをたてておりますが、とかくそうした宗教は神がかり的な奇跡を持ち出したがります。ですが、お釈迦さまは奇跡を望んではおられません。お釈迦さまがお示しになっているのは、自分自身の歩みや行動を正しくしていくことがどれほどたいせつか、そしてそれを実行し続けることが、どんなに値打ちのあることかというものであります。 ですから、もしもお釈迦さまが生まれながらに歩き出されて、〈天上天下唯我独尊〉と言われなかったとしても、その値打ちが下がるようなことは、決してありません。それよりもむしろ、お父さまやお母さまの愛情を一身に受けて生育され、なんの不足もない境涯にありながら、世の中の状態をご覧になって、とうとう出家をされたという事実を、私達はもっとかみしめるべきです。なぜお釈迦さまは出家されたのか、それはなんのためであったのか、ということを考えてみる方が、お釈迦さまに対する仏教徒としてのほんとうの態度ではないかと思うのであります。 (昭和50年06月【求道】) 釈尊の降誕 三 法華経の方便品の中の一節に「諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう」とあります。仏さまは一大事の因縁によってこの世の中にお出ましになられたのである、ということが説かれているわけですが、では、仏さまは何を願われたのかと申しますと、これは「衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に」世の中に出現されたのだ、と説かれています。 要するに、すべての人々をして、仏の智慧の眼を開かせ、物事の実相を明らかに見ることのできるような人間にしてやりたいために、この世に出られたのです。言い換えると、仏さまの心をもろもろの人々に打ち明けたいとお考えになって、如来は世の中に現われたのであります。 そしてまた、次には“仏知見を示さん”がために、三番目には“悟らしめん”がために、さらに四番目には“衆生をして仏知見の道に入らしめん”がために、仏さまは出現されたのです。そのことを指して「是れを諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したもうとなづく」と方便品に説かれています。これを〈開・示・悟・入〉と言います。つまり、仏知見を開かしめるということと、その仏さまのお心の働きを世の中に示して、みんな明らかに見せてあげようというおはからい、さらにはその仏さまの悟りを、もろもろの人達に悟らせてあげたいというお考え、そこに加えて、仏知見の道に入らしめんがために、つまり仏道修行に入らせてあげたいと、いう四つの問題〈四仏知見〉を一大事の因縁とされて、諸仏世尊はこの世に出現されたのであります。 こうして仏さまが世の中に出られて、いろいろな法門をつぶさに説かれたのですが、それはただ一仏乗のためであって、二もなく三もないわけです。 世の中には、いろいろな宗教がたくさんあり、さまざまの教えがあるが、それらは皆方便であって、だからこそ時と次第、つまりいろいろな関係や因縁によって、ある時は興り、あるときはすたれていくのです。世の中にはこうしたさまざまな要素があり、それがまた古いとか新しいとか、しっかりやっているとかやっていないとか、いろいろのことがあったとしても、仏さまの目からご覧になったもの、またお出ましになった因縁ということをうかがってまいりますと、われわれはそうした雑事に頓着する必要はまったくないのであります。 問題は、ただ一大事の因縁、〈開・示・悟・入〉ということに尽きるのであって、仏さまが開き、示された仏道、いわゆる仏知見に到達できるかどうかということにあります。それも、お示しになったことをただ単に「そういうものか」と簡単に受け取って、心の中で“わかった”というだけではだめなのです。つまり八正道とか六波羅蜜など、私どもがこの身で行ない、この娑婆において実践する方法を、どう受け取るかが問題なのです。 (昭和41年03月【速記録】)...
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...出家と苦行 一 お釈迦さまが〈出家〉された動機については、いろいろなことが言われていますが、その最も大きなものは平和への願いであった、とする学者もあります。すなわち「社会・国家の現実の問題と取り組むのも、一つの行き方であるけれども、それでは根本的な解決にはならない。一つの問題は解決しても、新しい事態が生ずれば、また新しい争いが起こる。それゆえ、ほんとうにこの世を平和にするには、個人個人の心を改造し、大多数の幸福のためには、自分の利益を犠牲にできるような高等な人間をふやしていくよりほかはない。遠回りのようではあるけれども、これが平和のための真の大道である」というお考えのもとに、その道をお選びになったというのです。 一国の太子であられたという地位と、出家された時の年齢などを思い合わせてみますと、個人的な悩みとか人生に対する疑惑などよりも、平和への切実な願いが出家の大きな動機だったという見方の方が、より適切であるように考えられます。 ともあれ、きのうまでは世継ぎの王子、きょうからは乞食によっていのちをつなぐ一介の沙門……そういう生活の大改革を成し遂げられた勇気と実行力には、まったく頭が下がります。 (昭和46年04月【佼成】) 出家と苦行 二 私どもですと、自分ではどうにもならない問題が身の回りに押しかけてきて、そうした中でふり回され動きがとれなくなったとき、信仰にでも、ということで、追い詰められてようやくそこに達するのが普通です。しかし、お釈迦さまはわれわれとはまったく逆に、何もかもが思うようになる身分でありながら、世の中の状態をご覧になって憂うつになってきて、どうにもならない、やりきれない気持ちに陥ってしまわれた──それはどういうことかと言いますと、皆さんご存じのように、大きな城壁に囲まれたご殿にお生まれになったお釈迦さまが、門外に出てみられると、そこにはしわがよって、歩くことさえ困難な老人がよたよたとしている。それを見ると憂うつになり、病人を見かけては憂うつになり、葬式を見かけると、また憂うつになる──というように人間のさまざまな状態をご覧になって、非常に憂うつになられたということです。このところが、「人間は生まれてくると、どうして年寄りになるのだろう、どうして病むことがあるのだろう、なぜ、死ななければならないのか」ということを明らかになされた経文で言いますと、あの生老病死をめぐる教えにおのずからつながっていくのであります。 われわれは、死ぬときになってようやく、死にたくないということでじたばたしながら迷います。しかし、体が健康な若いうちは、死ぬなどということは夢にも思わずに、一日一日をむなしく過ごしているわけであります。ところがお釈迦さまは、そのようにお年寄りや、病人を見かけられ、葬式に出会われて憂うつになるというように、われわれと違って物事の実相ということに着眼されて、考え込まれたのですが、そのようにお釈迦さまはすばらしい頭脳を持っておられたのであります。 (昭和45年04月【速記録】) 出家と苦行 三 お釈迦さまのされた苦行は、われわれの考えるものとは、まったく違ったものでした。じっとしていても王さまになれる身分に生まれられ、インドで一番のお嫁さんをもらって、お子さんにも恵まれていたのですから、インドでも第一番の幸せなかたであったはずであります。ところが、このままではならないということで出家の決心をされた──。みずから自分の身を苦しめて修行に入られたわけでありますから、これはわれわれの考えていることとは、まったく違います。 われわれの場合ですと、それは苦しみの修行ですが、お釈迦さまにしてみると、それは一つの「願い」を持たれてのことですから、むしろ苦しみを味わうことが楽しみと申してもよいほど、修行に順応しておられたのでした。ですからお釈迦さまは、自分が幸せになれるとか、なれないとかいうような問題ではなくて、そこに現われた問題、いま目に映った問題をとおして、どうすれば人々を幸せにできるかというところから修行に入られたのです。 そして永い間修行され、もはや体が衰えて、気力ももうろうとする状態のところまで、肉体を追いつめて苦行されたわけです。それこそは私どものよってもってくる悩み、苦しみとはケタはずれに大きい悩みであります。すべての人を救う──すべての人の苦しみを見たとき、それが自分の苦しみとなる──。幸せな身分のかたがそういう心境になられたということを考えると、凡人にとっては不思議というよりほかにない思いがいたします。 (昭和50年01月【求道】) 出家と苦行 四 成道以前のお釈迦さまは、非常に無理な苦行をなさいました。しかし一生懸命になって苦行をしてみたけれども、無理なことをすればするほど、自身が苦しくなってくる───、そのころのお釈迦さまの像が方々にありますが、お姿はもうやせ衰えて、あばら骨がはっきり浮き出て骨にそのまま皮をかぶせたような感じですし、お腹のあたりも落ちくぼんで、内臓がないのでは、と思うほどであります。 それほどまでに苦しまれたのですが、では、そうした難行苦行を続けてどうなるかというと、頭はもうろうとしてきて、一向にはっきりしない。自分自身そのものがはっきりしない以上、これでは救われるということにはならないわけです。そうした苦行を経て、お釈迦さまはそれがむだなことであると身をもって感じられ、〈中道〉ということを悟られたのでした。 この悟りの〈中道〉とは、どっちにも動かすことのできない真理という意味です。それは物事の根本実相であります。 (昭和48年12月【速記録】)...
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