人間釈尊(57)
立正佼成会会長 庭野日敬
仏縁の種子はいつか芽ぶく
有名なウパカの後日譚
霊鷲山のあるマガダ国の南方にヴァンカハーラという地方がありました。文化の低い土地で、住民はたいてい野獣を狩り、その肉を町へ売りに行って生活していました。
その土地へウパカという修行者が遍歴してきました。民度は低くても宗教の修行者を大事にする土地でしたので、しばらくそこにとどまっているうちに、猟師のかしらの娘チャーパーに熱烈な恋をし、修行を捨ててその娘と一緒になったのです。
入り婿となった彼は、義父が狩りをしてきた獣の肉を町へ売りに行かされていましたが、そのうち子供ができました。妻のチャーパーは、赤ん坊が泣くと、こんな子守唄をうたうのでした。(渡辺照宏師訳による)
ウパカの子供
坊さんの子供
肉屋の子供
泣くのはおよし
いくら婿養子の身とはいえ、妻にこのような侮辱を受けてはたまりません。清浄の身であった修行者時代を振り返っては、物思いにふける毎日でした。
ある時ふと思い出したのは、ずっと以前に会った聖者のことです。ガヤ近くの道を歩いていた時、いかにも神々しい姿の沙門とすれちがいました。思わず呼び止めて、
「あなたは清らかな顔をしておられるが、だれを師として出家し、どのような教えに帰依しておられるのですか」
と尋ねると、その沙門は決然として答えました。
「わたしは一切知者であり、一切勝者である。一切の煩悩を滅し尽くして解脱した者である。自ら悟りを開いたのであり、この世に師はなく、わたしと等しいものはない。わたしは仏陀である」
ウパカは、半ば驚き、半ばあきれて、
「あるいはそうかもしれん」
と言い捨て、首をかしげながら歩み去って行きました。
これは、お釈迦さまが成道直後、五比丘に法を説こうと鹿野苑へおもむかれた途中の出来事で、世界で最初に仏の教えを聞くチャンスを失ったことで有名な、あのウパカがこのウパカなのです。
蒔かれた仏縁の種子は
――いま世に名高い釈迦牟尼という聖者はきっとあの方に違いない――そういうひらめきを覚えたウパカは、お目にかかって教えを受けたいと思い立つと、もう矢も盾もたまらなくなりました。その決心を妻に告げたところ、チャーパーはさすがに自分の非をわび、思いとどまってくれと懇願しましたが、それを振り切って祇園精舎へと旅立ったのでした。
祇園精舎に着いたウパカは、仏前に出て、
「世尊。わたくしを覚えていらっしゃいますか」
「覚えている。ガヤの付近で会ったね。あれからどうしていたのか」
「はい、あちこちを遍歴しまして、最近はヴァンカハーラで俗人となっておりました」
「年をとったようだが、また出家する気があるかね」
「はい、出家いたしとう存じます」
こうして入門したウパカは一心に修行を続け、澄みきった解脱の境地に達することができました。ガヤ付近で言葉を交わした時はそっけなく別れてしまったのでしたが、仏縁というのは不思議なもので、こうしてついにはまことの師弟となり、まことの幸せを得ることができたのでした。
なお、チャーパーは、子供を父に預けてウパカの後を追い、これまた仏門に入って立派な尼僧となったのでありました。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
仏縁の種子はいつか芽ぶく
有名なウパカの後日譚
霊鷲山のあるマガダ国の南方にヴァンカハーラという地方がありました。文化の低い土地で、住民はたいてい野獣を狩り、その肉を町へ売りに行って生活していました。
その土地へウパカという修行者が遍歴してきました。民度は低くても宗教の修行者を大事にする土地でしたので、しばらくそこにとどまっているうちに、猟師のかしらの娘チャーパーに熱烈な恋をし、修行を捨ててその娘と一緒になったのです。
入り婿となった彼は、義父が狩りをしてきた獣の肉を町へ売りに行かされていましたが、そのうち子供ができました。妻のチャーパーは、赤ん坊が泣くと、こんな子守唄をうたうのでした。(渡辺照宏師訳による)
ウパカの子供
坊さんの子供
肉屋の子供
泣くのはおよし
いくら婿養子の身とはいえ、妻にこのような侮辱を受けてはたまりません。清浄の身であった修行者時代を振り返っては、物思いにふける毎日でした。
ある時ふと思い出したのは、ずっと以前に会った聖者のことです。ガヤ近くの道を歩いていた時、いかにも神々しい姿の沙門とすれちがいました。思わず呼び止めて、
「あなたは清らかな顔をしておられるが、だれを師として出家し、どのような教えに帰依しておられるのですか」
と尋ねると、その沙門は決然として答えました。
「わたしは一切知者であり、一切勝者である。一切の煩悩を滅し尽くして解脱した者である。自ら悟りを開いたのであり、この世に師はなく、わたしと等しいものはない。わたしは仏陀である」
ウパカは、半ば驚き、半ばあきれて、
「あるいはそうかもしれん」
と言い捨て、首をかしげながら歩み去って行きました。
これは、お釈迦さまが成道直後、五比丘に法を説こうと鹿野苑へおもむかれた途中の出来事で、世界で最初に仏の教えを聞くチャンスを失ったことで有名な、あのウパカがこのウパカなのです。
蒔かれた仏縁の種子は
――いま世に名高い釈迦牟尼という聖者はきっとあの方に違いない――そういうひらめきを覚えたウパカは、お目にかかって教えを受けたいと思い立つと、もう矢も盾もたまらなくなりました。その決心を妻に告げたところ、チャーパーはさすがに自分の非をわび、思いとどまってくれと懇願しましたが、それを振り切って祇園精舎へと旅立ったのでした。
祇園精舎に着いたウパカは、仏前に出て、
「世尊。わたくしを覚えていらっしゃいますか」
「覚えている。ガヤの付近で会ったね。あれからどうしていたのか」
「はい、あちこちを遍歴しまして、最近はヴァンカハーラで俗人となっておりました」
「年をとったようだが、また出家する気があるかね」
「はい、出家いたしとう存じます」
こうして入門したウパカは一心に修行を続け、澄みきった解脱の境地に達することができました。ガヤ付近で言葉を交わした時はそっけなく別れてしまったのでしたが、仏縁というのは不思議なもので、こうしてついにはまことの師弟となり、まことの幸せを得ることができたのでした。
なお、チャーパーは、子供を父に預けてウパカの後を追い、これまた仏門に入って立派な尼僧となったのでありました。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎