人間釈尊(41)
立正佼成会会長 庭野日敬
新興宗教につきものの法難
忌まわしい中傷をまく女
祇園精舎が出来てから、パーセナーディ王をはじめ舎衛城の町の人びとの尊崇は、新興の仏法に集中するようになりました。他の教団の修行者たちは、それがいまいましくてなりません。
その嫉妬心が高じて、ある一団の修行者たちが、およそ宗教者としては考えられぬような悪計を企(たくら)んだのでした。
その仲間の女修行者スンダリーは評判の美人でしたが、そのスンダリーが毎日けばけばしい化粧をし、夕方になるとわざと人目につくようにシャナリシャナリと歩きながら、祇園精舎のほうへ向かうようになりました。
朝になると、祇園精舎から出てきたように装って、舎衛城の町へ帰るのです。そして、知る人に会うごとに、
「ゆうべはね、祇園精舎に泊まってきたのよ。沙門ゴータマの所に寝たの」
と聞こえよがしに言うのでした。
その噂はたちまち町中に広がりました。それを見すました悪い修行者たちは、数人の殺し屋に金をつかませて、スンダリーを殺させたのです。
殺し屋たちはスンダリーを虐殺し、祇園精舎のお釈迦さまの部屋のそばの深い溝に投げ込み、土をかぶせておきました。
悪評にも泰然として
悪い修行者たちは、スンダリーが行方不明になったと騒ぎたて、王に訴え出ました。王が、
「心当たりの所はないのか」と聞くと、
「そういえば、近ごろよく祇園精舎へ行っていたようですが……」
と、しゃあしゃあと答えます。
「では祇園精舎のあたりを捜してみよ。捜索を許す」
悪い修行者たちは、その辺を捜すふりをしてから、スンダリーの死体を溝から引き揚げ、舎衛城へ担いで帰りました。
釈尊教団の名声はまったく地に落ちてしまいました。比丘たちが町へ托鉢に出ても、聞くに耐えぬ罵りを受けるばかりです(新興宗教にはつきものの法難でした)。
そのことをお釈迦さまに申し上げると、顔色ひとつ変えられず、悪罵する人にはこう説いてやるがよいと言われ、次のような偈をお説きになりました。
「偽りを言う者は地獄に落ちる。自分で作(な)していながら作していないと言う者も同様である。両方とも、己れの作した行為によって己れを悪しき運命へ索(ひ)いて行くのである」
それでも、弟子たちの中には「この舎衛国から引き揚げては……」と言い出す者も出てきました。お釈迦さまは、
「しばらく待て。そのような噂は七日もすれば消えていくであろう」と仰せられ泰然としておられました。
そのうち殺し屋たちは、もらった金で酒を飲んでいるうちに喧嘩を始め、その中の一人が、
「おい、お前がいちばん悪いんだぞ。スンダリーを一撃で打ち倒したのはお前じゃないか」と口走りました。それを小耳にはさんだ役人は、ただちに殺し屋たちを逮捕し、極刑にしました。
悪い修行者たちがどうなったかは、言うまでもありません。お釈迦さまが説かれた偈のとおり、「己れの作した行為によって己れを悪しき運命へ索いて行った」のでした。
これは事実あった事件で、右の偈は法句経の三〇六番に収録されています。
それにしても、お釈迦さまの忍辱の強さには、ただただ敬服のほかはありません。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
新興宗教につきものの法難
忌まわしい中傷をまく女
祇園精舎が出来てから、パーセナーディ王をはじめ舎衛城の町の人びとの尊崇は、新興の仏法に集中するようになりました。他の教団の修行者たちは、それがいまいましくてなりません。
その嫉妬心が高じて、ある一団の修行者たちが、およそ宗教者としては考えられぬような悪計を企(たくら)んだのでした。
その仲間の女修行者スンダリーは評判の美人でしたが、そのスンダリーが毎日けばけばしい化粧をし、夕方になるとわざと人目につくようにシャナリシャナリと歩きながら、祇園精舎のほうへ向かうようになりました。
朝になると、祇園精舎から出てきたように装って、舎衛城の町へ帰るのです。そして、知る人に会うごとに、
「ゆうべはね、祇園精舎に泊まってきたのよ。沙門ゴータマの所に寝たの」
と聞こえよがしに言うのでした。
その噂はたちまち町中に広がりました。それを見すました悪い修行者たちは、数人の殺し屋に金をつかませて、スンダリーを殺させたのです。
殺し屋たちはスンダリーを虐殺し、祇園精舎のお釈迦さまの部屋のそばの深い溝に投げ込み、土をかぶせておきました。
悪評にも泰然として
悪い修行者たちは、スンダリーが行方不明になったと騒ぎたて、王に訴え出ました。王が、
「心当たりの所はないのか」と聞くと、
「そういえば、近ごろよく祇園精舎へ行っていたようですが……」
と、しゃあしゃあと答えます。
「では祇園精舎のあたりを捜してみよ。捜索を許す」
悪い修行者たちは、その辺を捜すふりをしてから、スンダリーの死体を溝から引き揚げ、舎衛城へ担いで帰りました。
釈尊教団の名声はまったく地に落ちてしまいました。比丘たちが町へ托鉢に出ても、聞くに耐えぬ罵りを受けるばかりです(新興宗教にはつきものの法難でした)。
そのことをお釈迦さまに申し上げると、顔色ひとつ変えられず、悪罵する人にはこう説いてやるがよいと言われ、次のような偈をお説きになりました。
「偽りを言う者は地獄に落ちる。自分で作(な)していながら作していないと言う者も同様である。両方とも、己れの作した行為によって己れを悪しき運命へ索(ひ)いて行くのである」
それでも、弟子たちの中には「この舎衛国から引き揚げては……」と言い出す者も出てきました。お釈迦さまは、
「しばらく待て。そのような噂は七日もすれば消えていくであろう」と仰せられ泰然としておられました。
そのうち殺し屋たちは、もらった金で酒を飲んでいるうちに喧嘩を始め、その中の一人が、
「おい、お前がいちばん悪いんだぞ。スンダリーを一撃で打ち倒したのはお前じゃないか」と口走りました。それを小耳にはさんだ役人は、ただちに殺し屋たちを逮捕し、極刑にしました。
悪い修行者たちがどうなったかは、言うまでもありません。お釈迦さまが説かれた偈のとおり、「己れの作した行為によって己れを悪しき運命へ索いて行った」のでした。
これは事実あった事件で、右の偈は法句経の三〇六番に収録されています。
それにしても、お釈迦さまの忍辱の強さには、ただただ敬服のほかはありません。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎