人間釈尊(43)
立正佼成会会長 庭野日敬
死にゆく人のために
舎利弗友情の説法
舎利弗の在家時代の友だちにダネンという人がありました。その旧友が重い病気と聞いて、早速見舞いに行きました。
「どうですか、具合は」
と聞くと、
「体中が痛くてたまらないんです」
と言います。
「食べ物はよく食べていますか」
「ぜんぜん食欲がないのです。なにしろ頭が刀で刺されるように痛んで、それに腹も張り裂けるように痛みます。体中が火の上であぶられるように熱いのです」
その言葉を聞くまでもなく、舎利弗は一目見てもはや助かる見込みはないと判断しました。
「ではダネンよ。わたしの尋ねることに思うとおりに答えてください。君は下は地獄から上は梵天までのどこがいちばんいい所だと思いますか。どこに生まれたいと思いますか」
「もちろん梵天です。梵天に生まれたい……」
「安心しなさい。わたしの師のゴータマ仏陀は三界のすべてを見通しておられる方で、梵天に生まれる法をもお説きになっておられます。よくお聞きなさいよ。まず、すべてのものに対する執着を捨てよとお教えになりました。東西南北、四方上下のすべての存在に対して、恨みのない、怒りのない、争いのない広大な心を持ち、欲念を去って清らかになれば、身は死し、命は終わっても必ず梵天に生まれると保証してくださっています」
「そうですか。有り難いことです。それをうかがって心が安らかになりました」
ダネンは両眼に涙を浮かべながらも、ほおには微笑を浮かべ、両手を合わせるのでした。
在家仏教徒の一課題
「その気持ちですよ。何も心配はいりません。また来ますからね」
そう言いおいて、舎利弗は竹林精舎へと帰りました。あとで聞けば、ダネンはそれから間もなく、まことに安らかに息を引き取ったということでした。
竹林精舎では、お釈迦さまが大勢の人たちに囲まれて法を説いておられましたが、はるか向こうから舎利弗が歩いてくるのを見られ、
「みなさん。あの舎利弗はいまダネンという旧友のために梵天に生まれる法を説いて帰ってきました。まことの大徳です」
とほめたたえられました。
中阿含経第六にあるこの実話には、非常に大きな意味が含まれていると思います。
お釈迦さまは、病者に対しては特に慈悲をかけられたお方です。病気の比丘を手ずから看護され、汚れた体や衣を洗ってまでおやりになりました。また、遠くからお釈迦さまを拝しに旅してきた一団が、途中で病気になった一人を置き去りにして来たのを、きびしく叱責されたこともあります。
いま、末期のガンなどで余命いくばくもない人たちのための精神的な救いが、重大な社会的要請となっています。それに応えうるのは宗教者しかいないのですが、現在いわゆるホスピスの施設を造ったり、病院に出入りして死にゆく人々の友となっているのはほとんどキリスト者です。
仏教の僧侶が重病者のもとへ行くのを遠慮せざるをえない事情はお察しがつくことと思います。とすれば、在家の仏教徒がその任に当たらねばならないことになりましょう。今後の課題の一つだと思います。
ここで思い出すのは、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の詩にある左の一節です。
「南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ」
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
死にゆく人のために
舎利弗友情の説法
舎利弗の在家時代の友だちにダネンという人がありました。その旧友が重い病気と聞いて、早速見舞いに行きました。
「どうですか、具合は」
と聞くと、
「体中が痛くてたまらないんです」
と言います。
「食べ物はよく食べていますか」
「ぜんぜん食欲がないのです。なにしろ頭が刀で刺されるように痛んで、それに腹も張り裂けるように痛みます。体中が火の上であぶられるように熱いのです」
その言葉を聞くまでもなく、舎利弗は一目見てもはや助かる見込みはないと判断しました。
「ではダネンよ。わたしの尋ねることに思うとおりに答えてください。君は下は地獄から上は梵天までのどこがいちばんいい所だと思いますか。どこに生まれたいと思いますか」
「もちろん梵天です。梵天に生まれたい……」
「安心しなさい。わたしの師のゴータマ仏陀は三界のすべてを見通しておられる方で、梵天に生まれる法をもお説きになっておられます。よくお聞きなさいよ。まず、すべてのものに対する執着を捨てよとお教えになりました。東西南北、四方上下のすべての存在に対して、恨みのない、怒りのない、争いのない広大な心を持ち、欲念を去って清らかになれば、身は死し、命は終わっても必ず梵天に生まれると保証してくださっています」
「そうですか。有り難いことです。それをうかがって心が安らかになりました」
ダネンは両眼に涙を浮かべながらも、ほおには微笑を浮かべ、両手を合わせるのでした。
在家仏教徒の一課題
「その気持ちですよ。何も心配はいりません。また来ますからね」
そう言いおいて、舎利弗は竹林精舎へと帰りました。あとで聞けば、ダネンはそれから間もなく、まことに安らかに息を引き取ったということでした。
竹林精舎では、お釈迦さまが大勢の人たちに囲まれて法を説いておられましたが、はるか向こうから舎利弗が歩いてくるのを見られ、
「みなさん。あの舎利弗はいまダネンという旧友のために梵天に生まれる法を説いて帰ってきました。まことの大徳です」
とほめたたえられました。
中阿含経第六にあるこの実話には、非常に大きな意味が含まれていると思います。
お釈迦さまは、病者に対しては特に慈悲をかけられたお方です。病気の比丘を手ずから看護され、汚れた体や衣を洗ってまでおやりになりました。また、遠くからお釈迦さまを拝しに旅してきた一団が、途中で病気になった一人を置き去りにして来たのを、きびしく叱責されたこともあります。
いま、末期のガンなどで余命いくばくもない人たちのための精神的な救いが、重大な社会的要請となっています。それに応えうるのは宗教者しかいないのですが、現在いわゆるホスピスの施設を造ったり、病院に出入りして死にゆく人々の友となっているのはほとんどキリスト者です。
仏教の僧侶が重病者のもとへ行くのを遠慮せざるをえない事情はお察しがつくことと思います。とすれば、在家の仏教徒がその任に当たらねばならないことになりましょう。今後の課題の一つだと思います。
ここで思い出すのは、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の詩にある左の一節です。
「南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ」
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎