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人間釈尊(45)
立正佼成会会長 庭野日敬

後生を信ずるか信じないか

異教徒の悪だくみ

 この世の正しい道理にそむき、うそを言い、後生を信じない者は、どんな悪いこともやりかねない
 これは法句経一七六番の句ですが、お釈迦さまがどんな時にこのお言葉を発せられたか、そのいきさつをお話ししましょう。
 コーサラ国のパーセナーディ王は宗教家を大切にする人で、その影響によって舎衛城の市民たちもいろいろな宗教の修行者たちに喜んで布施し供養していました。
 ところが、その郊外に祇園精舎が出来、お釈迦さまとお弟子たちが長期に滞在されるようになってから、その教えの素晴らしさに心服した王や市民たちの尊崇がそちらへ集中するようになりました。
 それが妬(ねた)ましくてならない他教徒のうち、極めて低次元の修行者たちが、とんでもない悪だくみを起こしたのです。
 その仲間の女修行者チンチャーは非常な美人でした。そのチンチャーが、ある日から急に祇園精舎の道をよく出歩くようになりました。それも、町の人々が説法を聞いて帰る夕方ごろに、花や香を持って祇園精舎の方へ行くのです。そして朝になると町の方へ歩いて行くのです。
 それが毎日のことなので、当然、人々の好奇心をそそるようになりました。そうして四、五カ月たったころ、チンチャーのお腹がふくらんできました。人々が目引き袖引きしてコソコソ話しているのに対して、
 「何も隠すことないわ。わたしは仏道修行者の子を宿したのよ」と公言するのでした。

地獄に落ちたチンチャー

 九カ月ぐらいたったころ、チンチャーは大きなお腹を抱えて祇園精舎にやってきました。そして、説法を聞いている大勢の人々の前で、お釈迦さまに向かい、
 「お偉い沙門さま。あなたのお情けを受けてこんな体になったのに、あなたは産室の用意もしてくれない。あなたができないんだったら、王さまにでも、お弟子たちにでもやらせたらどうなの。この情け知らず!」
 と罵りました。お釈迦さまは平然として、
 「妹よ。そなたの言うことが本当かどうかを知っているのは、そなたとわたしだけである」
 と言われました。チンチャーは、
 「そうよ。二人だけが知っていることよ」
 と言い返します。
 その瞬間、どうしたわけか――一説には帝釈天がそうしたのだと言われていますが――お腹をふくらませていた木の盆が大きな音を立てて地に落ちました。
 人々はアッと驚き、そして怒り出し、――仏さまを悪だくみで陥れようとするとは何事だ――と、ツバを吐きかけたり棒で叩いたりして追い出しました。逃げ出したチンチャーは、精舎の外へ出てしばらく行った時、地面がにわかに割れて、無間地獄へ落ちてしまったということです。
 その時、お釈迦さまが、決然とした面持ちで説かれたのが冒頭の偈であります。
 お釈迦さまは「諸法空」を説かれたのだから、「人間は死ねばすべて空に帰する」と誤解している向きがありますが、空に帰するのは肉体であって、魂は永遠に生きると受け取るべきでしょう。そのことは、最高の経典である法華経の背骨をなす真実なのですが、法句経や阿含経やスッタニパータなど、お釈迦さまの言行を比較的忠実に伝えている原始仏教経典にも、至るところで説かれています。
 いずれにしても、われわれ現代人も、目先のことだけでなく死後を含む未来にも思いをいたして生きれば大きな過ちを犯すことはないのであります。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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