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法華三部経の要点70

【機関紙誌】

マイナスの力をプラスに変える

マイナスの力をプラスに変える

1 ...法華三部経の要点 ◇◇70 立正佼成会会長 庭野日敬 マイナスの力をプラスに変える すべてを投げ出して法華経を  提婆達多品に入ります。お釈迦さまは大勢の弟子たちに語り始められました。  「わたしは、はるかな過去世において一国の国王であったが、それに満足せず、無上の悟りを得るために全財産を投げ出し、妻子への愛着も断ち、自分の命さえ捧げてもよいとまで思っていた。そして四方にふれを出し、『もし、世の全ての人を救う真実の教えを説いてくれる人があったら、わたしは一生涯その人に仕えよう』といって師を求めた。すると一人の仙人が現れて、妙法蓮華経という最高無上の法を説いてあげようと言った。国王は、そくざにその仙人の弟子となり、水くみから、薪(まき)拾い、食事の用意までの万端の仕事をしたばかりでなく、師を休ませるために椅子(いす)のかわりとなる奉仕までした。そのような修行を長いあいだ続け、ついにその最高無上の法を得たのであった」  こう話されてからお釈迦さまは、驚くべきことを言いだされました。「そのときの国王とはもちろんわたしであり、仙人とは提婆達多である。私は提婆達多という善知識(善き友人)のおかげで、仏の悟りを得ることができたのである」  一同はあまりにも意外なお言葉に、ただあっけにとられていました。するとお釈迦さまは、さらに言葉を継がれ「提婆達多は無量劫の後に天王如来という仏となるであろう」と言われたのです。一同はますます驚き、疑問の私語によるざわめきさえ起こったのでした。 なぜ提婆は善知識か  無理もありません。提婆達多はお釈迦さまの従兄(いとこ)であり、長年の弟子でありながら、嫉妬(しっと)心と政治的野心が強く、時のマガダ国王アジャセに取り入って別派を興し、お釈迦さまにそむいた人間でした。そこまではまだいいとしても、三十一人の弓の名人たちに命じて矢を射かけさせたり、崖(がけ)の上から大岩を落としたり、象に酒を飲ませてけしかけたり、八度もお釈迦さまのお命を狙った大悪人だったのです。  そのような提婆達多を、なぜ過去世の物語にことよせて「自分に悟りを得させてくれた善き友人」とおおせられたのでしょうか。これを現実的に解釈すれば、煩悩にまみれた提婆の弱い人間性や、その煩悩のなすがままになしたさまざまな悪行が、お釈迦さまの悟りを深める機縁となったところが多々あったからだと思われます。  「お釈迦さまが菩提樹のもとでひらかれた仏の悟りはすでに完全円満なもので、それに付け加えるべきものは何もなかったはずだ」という説をなす向きもあります。しかし、それは、あまりにもお釈迦さまを神格化した非現実的な考えです。  お釈迦さまは、宇宙と人生のギリギリの真理を悟られた方ではありましたが、あくまでも人間であられました。人間であられたことが尊いのであって、それがわれわれ凡夫にとってまことにありがたいことなのです。なんとかそのみ跡をたどり、それに近づこうと努めることができるからです。  また、三十歳で菩提樹下において悟りをひらかれたお釈迦さまが八十歳でお亡くなりになるまで、最初の悟りに付け加えるものが一つもなかった、少しも進歩されなかったと考えるのは、かえってお釈迦さまに対する大いなる冒涜(ぼうとく)となるのではないでしょうか。  進歩・向上の機縁には「順縁」と「逆縁」があります。よき師・よき友・よき書のようなプラスの力に巡り合うのが順縁です。反対に、外部から受けるマイナスの力、もしくは自身がひき起こしたマイナスの状況、たとえば迫害・嘲罵(ちょうば)・不運・失敗というようなことがらに遭遇したとき、それを自らの成長の糧としてプラスの力に変える、そのマイナスの力を逆縁といいます。この「提婆達多が善知識に因(よ)る」というお言葉を、その逆縁の尊さを喝破されたものと考えるのも、われわれの人生に大いに役立つ受け取り方でありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点71

【機関紙誌】

真の許しは仏性を認めること

真の許しは仏性を認めること

1 ...法華三部経の要点 ◇◇71 立正佼成会会長 庭野日敬 真の許しは仏性を認めること 悟りの究極は仏性の認識  お釈迦さまは大悪人の提婆達多へも授記されました。天王如来という仏になるであろうと保証されたのです。これはいったいどういうわけでしょうか。  その理由には智慧と慈悲の二面が考えられます。ではその智慧とは何か。すべての人間には平等に仏性が具わっていることを認める透徹した理知です。  菩提樹の下でいわゆる仏の悟りをひらかれたとき、思わずこうつぶやかれたと伝えられています。「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな如来の徳相を具有す。ただ、妄想・執着あるを以ての故に証得せず」。  不思議だ。不思議だ。一切衆生はみんな仏と同じ徳を具えているではないか……という驚くべき発見、言い換えれば、すべての人間には仏となりうる本質(仏性)が具わっているのだ……という、これまでの人類だれひとり経験したことのない一大発見だったのです。  「それでは、なぜ多くの人間は仏の悟りを得られないのか。なぜお互いに争い合い、奪い合いして苦しみ悩んでいるのか。それは仮の現れである自分の心身を確かな実体であるかのように妄想し、その心身の楽しみに執着しているからにほかならない」。これがお釈迦さまの人間観の基底となるものであります。  提婆達多がそうでした。青年時代から、シッダールタ太子(後の釈尊)と張り合うほどの秀才で、武術の達人でもあったのですが、残念ながらあまりにも自己顕示欲が強く、したがって嫉妬深く、闘争・対立を好む人間でした。それで、つい身を誤ってしまったのです。しかし、お釈迦さまは透徹した理知をもって、そのような提婆にもちゃんと仏性が具わっていることを見通されたのです。 仏性を見れば自然と許せる  では、慈悲の面とはどんなことでしょうか。  お釈迦さまは無限の慈悲の持ち主でした。それは法華経譬諭品の「今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり」という一語の中に尽くされています。すべての人間をわが子として大きく包みこみ、一人として冷淡に突っ放すことをされませんでした。自分の名前さえ覚えられない知恵遅れのシュリハンドクをも教団の一員として粘り強く教化されました。どうしようもないほどの暴れん坊でプレーボーイのカルダイをも追放されることなく、ついに家庭教化の名人にまで育て上げられました。  「愛とは許すことである」と言った人がありますが、お釈迦さまはすべての人を許す人だったのです。ご自分の命を何度も狙った提婆をも大きく許されたのです。それもただの許し方ではありません。普通の人間の許し方は、相手の悪に憤りや不満を覚えつつもそれを理性で抑えて許すのですが、お釈迦さまの許し方は、相手の本質である仏性を認めることによって、完全に、余すところなく許されるのです。だからこそ、成仏の保証まで与えられたのです。  それにしても、なぜいま突然そのような発表をなさったのでしょうか。これまで法華経の説法の中で授記されたのは、おおむね誠実な弟子たちでした。順当な授記だったと言っていいでしょう。ところが、そうした順当さは、ともすれば聴法の人たちの心に一種のマンネリズムを生ぜしめがちです。右の耳から左の耳へ聞き流し、自分自身のこととしてかみしめることをしなくなりがちです。  そこで、ここで突然「悪人成仏」という異常とも見えることを言い出され、強いショックを与えられたのではないでしょうか。後世のわれわれも、この提婆品に強いショックを覚え、「悉有仏性」ということを深く深く心にしみこませざるのをえないのであります。    ...

法華三部経の要点72

【機関紙誌】

「信」の力の偉大さ

「信」の力の偉大さ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇72 立正佼成会会長 庭野日敬 「信」の力の偉大さ 八歳の竜女がたちまち成仏  提婆達多品の後半は、海底の竜宮の娘でわずか八歳の竜女(りゅうにょ)が成仏するくだりです。海底の竜宮というのは、文明の中心地から遠く離れた島国と解すべきでしょう。したがって、竜女とは、そうした国や民族の幼女のことだと考えれば、つじつまが合います。  そういう場所に布教に行っていた文殊菩薩が、そこでは妙法蓮華経だけを説いたという話をしますと、多宝如来の侍者の智積菩薩が「その国にすぐに仏の悟りを得そうな人がいましたか」と尋ねます。「いました。八歳になる竜王の娘がそれです」と文殊は答えます。すると、たちまちその幼女が現れて、お釈迦さまをうやうやしく礼拝するのです。  それを見ていた舎利弗は、その娘に「仏の悟りというものは、計り知れないほどの年月、血の出るような修行をしてこそ到達できるものであって、もろもろの障りの多い女人のそなたがとうてい達しうるものではない」と言いました。  竜女はそれには答えず、手に持っていた三千大千世界にも値するほどの宝珠をお釈迦さまに捧げました。お釈迦さまはただちにそれをお受け取りになりました。すると竜女は智積菩薩と舎利弗尊者の方に向き直り、「お釈迦さまは、わたくしの捧げた宝珠をすぐお受け取りくださいましたが、わたくしの成仏はそれよりも早いのです」と言ったかと思うと、たちまち男子の姿に変わり、はるか南方の無垢(むく)世界という所で仏となって法華経を説いているありさまを見せました。  それを見た智積菩薩も、舎利弗も、その他の大勢の人々も、じっと黙りこんだまま深い感動をかみしめるのでありました。 素直な「信」が何より大切  八歳の幼女というのは、「幼子のような素直な心」を象徴したものであり、竜宮界というのは先にも述べたように文明の中心地から遠く離れた国を象徴しているのです。そして、三千大千世界にも値する宝珠というのは、「信」ということにほかなりません。  いつも言いますように、信仰というのは理屈ではありません。心と実践の問題です。純粋な心で仏さまの大慈悲心へ直入してしまうことです。そうしますと、その瞬間に宇宙の大生命ともいうべき本仏さまと溶け合い一体となる心境になれます。まことに「信」は三千大千世界に匹敵するほどの値打ちがあるのです。  科学時代に育ったわれわれは、仏教を学ぶに当たっても、どうしても頭での「理解」ということを先に立てがちです。仏教の教義はたいへん理性的なものですから、たしかに理解できるものですし、それも大切なことです。しかし、宗教であり、信仰であるかぎりは、理解ということだけで「信」の働きがなければ、その究極の境地、すなわち涅槃(ねはん)という大安心の境地に達することはできません。このことを、よくよく心得ておくべきでしょう。提婆品の後半の竜女成仏のくだりには、このことが教えられているのです。  ここで一言付け加えておきたいのは、真の男女平等を説いたのは世界中でこの法華経が最初であるということです。自由平等の本家とされているフランスでさえ、完全に婦人の参政権を認めたのが一九四六年(昭和二十一年)なのですから、ほんの最近のことです。そして、それは「権利」という人間に与えられた「権(か)り=仮」のものに過ぎません。それに対して法華経が認めた男女平等は、「仏になりうる」という人間のギリギリの本質における平等です。実に素晴らしいことではありませんか。  一つ気になるのは、男の姿に変わって成仏したということですが、それはおそらく当時のインドの大衆を納得させるために、そういった表現をしたのでありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点73

【機関紙誌】

世にもすぐれた二人の比丘尼

世にもすぐれた二人の比丘尼

1 ...法華三部経の要点 ◇◇73 立正佼成会会長 庭野日敬 世にもすぐれた二人の比丘尼 母性愛が尊崇に変わって  勧持品に入ります。この品は二つの部分に分かれており、前半はお釈迦さまの養母であった摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)比丘尼と、かつて妻であった耶輸陀羅(やしゅたら)比丘尼が授記されるくだりです。  摩訶波闍波提は、お釈迦さまの生母摩耶夫人の妹で、お釈迦さまの誕生七日目に摩耶夫人が亡くなられたのち、浄飯王の二番目の夫人となり、生みの親にもまさるとも劣らぬ愛情をそそいで太子を育て上げた人です。その太子が出家されたときの悲歎は察するに余りがあります。  その後、実子の難陀(つまりお釈迦さまの異母弟)も、愛孫の羅睺羅もつぎつぎに出家し、夫の浄飯王にも先立たれたのですから、一国の王妃でありながら別離の悲しみを味わい尽くした人であるといえましょう。その出家のいきさつは本稿六十回に書きましたのでここには略しますが、とにかくお釈迦さまの女性のお弟子としては最初の人でした。  教養の高い、しっかりした人でしたから、在家のときは在家婦人としての務めを尽くし、出家しても比丘尼たちの統率者として信望を集めました。お釈迦さまも、比丘尼集団のことは一切この人に任せられたのでした。  摩訶波闍波提比丘尼は、お釈迦さまが年を取られてお体がずいぶん弱られたのを見ると、そのご入滅に会うことはとうてい忍び得ないという思いから、おいとまごいをしてビシャリ国に行き、そこで禅定に入ったまま入滅しました。その野辺の送りは、お釈迦さまご自身によって執り行われました。遺体をお釈迦さまと難陀・羅睺羅・阿難の四人がかついで寒林(かんりん=墓場)まで運ばれたといいます。立派に生き、立派に死んだ、婦人の鑑(かがみ)ともいうべき人でありました。 「道心の中に衣食あり」  耶輸陀羅尼は、夫の太子がとつぜん出家されたときは、身も世もあらぬほど歎き悲しまれましたが、すぐに気を取り直し、一子羅睺羅の愛育にすべてをささげました。  そして、一切の化粧を断ち、太子が褐色の衣を召しておられると伝え聞いては自分も褐色の衣を着、太子が一日に一度しか食事されないと聞けば、自分も一度に減らし、つねに夫と共にある心を忘れませんでした。  やがて、羅睺羅も出家し、舅の浄飯王も亡くなり、姑の摩訶波闍波提も出家してしまいましたので、自分もその後を追おうと決意し、ビシャリ国にいる姑の所へ行って比丘尼の仲間に入りました。  それから祇園精舎におとどまりのお釈迦さまの下へ行き、教えを受け、修行に励みました。祇園精舎には羅睺羅も住んでいましたので、その近くに住居を定め、お釈迦さまのお許しを得ては羅睺羅を見舞ったりしておりました。  生来おとなしい性格の人でしたので、比丘尼としての事跡にはあまり目立ったものは伝えられていませんが、しかしそのおっとりした人柄のせいか、在家・出家の多くの人たちに慕われていたようです。そして舎衛城の信者たちがわれもわれもと供養物をささげますので、王宮にいたときよりもかえって生活が豊かだったといいます。  しかし、耶輸陀羅比丘尼はあまりそれを喜ばず、かえって煩わしく思い、ビシャリ国に移ってしまいました。ところが、そこでもいつしか同じような状態になり、またまた居を移して王舎城のほとりに住むようになったと伝えられています。  清貧を好む人だったのでしょうが、それにしても伝教大師の名言「道心の中に衣食(えじき)あり」を絵に描いたようなことで、たいへんほほ笑ましく思われます。                                                       ...

法華三部経の要点74

【機関紙誌】

我身命を愛せず但無上道を惜む

我身命を愛せず但無上道を惜む

1 ...法華三部経の要点 ◇◇74 立正佼成会会長 庭野日敬 我身命を愛せず但無上道を惜む 仏に生かされていればこそ  勧持品の後半は、多くの菩薩たちが「世尊の滅後に法華経の教えを説きひろめます」とお誓いする力強い言葉に終始しています。まず、こう申し上げます。  「世尊、我等如来の滅後に於て、十方世界に周旋往返(しゅせんおうへん)して、能く衆生をして此の経を書写し、受持し、読誦し、其の義を解説し、法の如く修行し、正憶念せしめん、皆是れ仏の威力ならん。唯願わくは世尊、他方に在(ましま)すとも遙かに守護せられよ」  この一節に、後世の法華経行者のなすべきことが尽くされています。そして、われわれ立正佼成会会員はそのとおりのことを実践しているという自負と自信を持っていいと思います。とくに「十方世界に周旋往返し(この世のあらゆる場所に何べんも行き来して)」というくだりは、立正佼成会が国中のあらゆる所ばかりでなく諸外国へも実質的な広宣流布を行っていることを宣(の)べているものと言ってもいいでしょう。  もう一つここのくだりで注目すべきは「皆是れ仏の威力ならん」という一句です。法華経は「自力」を重んずる努力主義の教えだといわれています。たしかにそれに違いありませんが、しかし、一面では、すべての衆生が仏さまに生かされていることを強調し、仏さまに帰依し恋慕渇仰(れんぼかつごう)することによってそのご加護を受けることをも力説しているのです。いや、宗教の信仰であるかぎり、神仏の存在を無視した「自力」のみの教えがあるはずはなく、「自力」の最右翼である禅宗でも、道元禅師などは「わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえ(家)になげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき云々」と言っておられます。  法華経でも、ここにあるとおり、われわれがなすあらゆる菩薩行は自分でやっているようでも、すべて仏さまのお力によるものだと説いているのです。 これぞ法華経行者の合言葉  この品の後半にある偈は、「勧持品二十行の偈」といわれ、日蓮聖人がここに述べられていることがひとつ残らず自分の身の上に現れてきたことによって「自分こそ末法の世に法華経を説きひろめる使命を持って生まれてきた者だ」という自覚を得られたということでも有名です。その中に次の一句があります。法華経にある数々の名句中の名句といってもいいでしょう。  我身命(しんみょう)を愛せず 但(ただ)無上道を惜む  「わたくしどもは命さえ惜しいとは思いません。ただ仏さまのお説きになったこの無上の教えに触れることのできない人がひとりでもいることが何より惜しいのでございます」  法華経に生き、法華経に死ぬ者の烈々たる心情です。人間よほど長生きしてみたところで百歳そこそこです。その一生を、ただ利己の欲のため、名誉のため、快楽のため、権勢のためにあくせくして過ごしてしまうのは、なんというもったいないことでしょう。  たとえただ一人でもいい、仏道に導いて幸せにしてあげる。ただ身のまわりの一隅でもいい、世の中を明るくし平和にする。それこそが、この世に生まれてきたことの真の意義です。ましてや、仏さまのお使いであるという意識をハッキリ持てば、一人でもこの教えに触れぬ人がいるかぎりジッとしてはおれぬという烈々たる意欲がわいてくるはずです。その意欲をそのまま実行に移して完全燃焼させることこそ、人間として最高の生き方と言っていいでしょう。  「我身命を愛せず 但無上道を惜む」。一日に何度でも、思い出すごとに口ずさむべき、法華経行者の合言葉であります。 ...

法華三部経の要点75

【機関紙誌】

法華経伝道者の身の振る舞い

法華経伝道者の身の振る舞い

1 ...法華三部経の要点 ◇◇75 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経伝道者の身の振る舞い いつも柔和で落ち着いて  安楽行品に入ります。この品は、文殊菩薩が「後の世においてはどんな心がけでこの法華経を説いたらよろしいのでしょうか」とお尋ねしたのに対して、(一)身の振る舞い(身安楽行)・(二)言葉の使い方(口安楽行)・(三)心の基本的な持ち方(意安楽行)・(四)伝道者としての誓いと祈り(誓願安楽行)の四つに分けてこまごまとお教えになった章です。まず初めに、  「若し菩薩摩訶薩忍辱の地に住し、柔和善順にして卒暴ならず、心亦驚かず、又復法に於て行ずる所なくして、諸法如実の相を観じ、亦不分別を行ぜざる、是れを菩薩摩訶薩の行処と名く」  とお説きになります。この一節に、誓願安楽行を除く(一)(二)(三)の基本が尽くされていますので、このくだりを解説しておきましょう。現代語に意訳しますと、こういうことです。  「もし法華経の伝道者が、いつも忍耐づよい境地におり、柔和な心を持ち、我(が)を張らずに正しい理によく従い、挙動に落ち着きがあり、つねに『すべてのものごとはもともと空である』という実相を観じて現象(法)にとらわれることなく、と同時に、目の前にある現象は起こるべくして起こったものであることをも認識して、現実を無視した判断や対処をする過ちをおかす(不分別を行ずる)こともないならば、それが菩薩としての正しいあり方である」  この一節の前半はまことにそのとおりで、できればいつもニコニコしていて、立ち居振る舞いがゆったりしており、怒りを表にあらわしたりせず、人に親しまれるような態度でおればいいわけです。  ところが、後半が問題です。つねに「空」を観じていることは普通の人にはなかなか難しいことです。ですから、こうすればいいのです。「空」の教えから導き出され、それを現実に即して説かれた「諸行無常(すべての現象は変化する)」という真理と、「諸法無我(すべての人・すべての物は相互依存、すなわち持ちつ持たれつで存在している)」という真理をつねに心に置いておればよいのです。これならば、自分も納得できるし、人をも納得させることができると思います。 利益を求める心を持たず  さて、この一節のあとに、いろいろな地位や職業の人に近づいたり親しくしたりするなということが説かれていますが、二十世紀の今日においては事情がたいへん違ってきています。そういえば、前の「勧持品二十行の偈」に法華経の行者がさまざまな迫害に遭うことが説かれていますが、日蓮聖人の時代まではそうであっても、現在はまったくそんなことがありません。時代の変化です。  こういった変化があることは、「諸行無常」の真理に説かれているとおりですから、経文の一語一句にこだわることなく、どんな地位の人であろうが、どんな職業の人であろうが、どしどし近づき、親しくし、仏道に導かなければなりません。  ただ、ここのくだりに「是の若(ごと)き人等 好心を以て来り 菩薩の所に到って 仏道を聞かんとせば 菩薩則ち 無所畏の心を以て 悕望(けもう)」を懐(いだ)かずして 為に法を説け(こういう人たちが素直な気持ちでやってきて、仏道について聞こうとするならば、なにものをも恐れはばかることなく、自信を持って、しかもなんら求める心を持たずに法を説きなさい)」と断り書きがしてあることを見落としてはならないのです。  ここのくだりでは「求める心を持たず」ということが特に大事であって、物質を求める心はもちろんのこと、偉く見てもらおうとか、名誉を得たいとか、そういった私心など一切いだくことなく法を説かなければならないのであります。 ...

法華三部経の要点76

【機関紙誌】

和顔をもって法を説け

和顔をもって法を説け

1 ...法華三部経の要点 ◇◇76 立正佼成会会長 庭野日敬 和顔をもって法を説け 批判についての慎み  法華経布教者の言葉の使い方(口安楽行)については、まず次のように説かれています。  「楽(ねが)つて人及び経典の過(とが)を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ。他人の好悪長短を説かざれ」  現代語に訳するとこうなります。「好んで人の欠点を掘り出したり、経典のあら探しをするようなことがあってはならない。また、教えを説く他の人たちを軽べつする気持ちを持ってはならない。他人のよしあし、長所・短所などをあげて批判することも避けなければならない」。  同じ法華経を説く他の人々に対してはもちろんのこと、仏教の他の宗派の人々や、他の宗教に対してもこのような心がけを持っていなければなりません。  批判ということも大切です。しかし、それは、政治とか、外交とか、技術とか、産業とか、文化とかいった現実的な問題において大切なのであって、信仰というその人ないしその民族の魂に深くしみ込んでいるものは批判の対象外のものなのです。もしそのタブーを犯すようなことがあれば、必ずそこに無用の争いが巻き起こり、その争いは根が深く、どこまで拡大するかわかりません。  人を批判したり、訓戒したりする場合も、その人の本質にかかわる言葉は絶対に慎まなければなりません。「大体おまえは頭が悪いよ」とか「あんたって冷たい人なんだから」といった言葉は、相手の胸にグサッと突き刺さり、いつまでも消えません。  批判や訓戒は、行為のうえに現れた事実そのものに即すべきです。よくない行為をした本人は、その事実を自分自身よく承知しているのですから、その行為についてしかられたり、注意されたりしても、余計な恨みをいだくことはないのです。この点よくよく心得ておきたいものです。 方便なくして人は導けない  口安楽行の積極面については、次のように説かれています。  「若し比丘 及び比丘尼 諸の優婆塞 及び優婆夷 国王・王子 群臣・士民あらば 微妙の義を以て 和顔にして為に説け 若し難問することあらば 義に随つて答えよ 因縁・譬諭をもつて 敷演し分別せよ 是の方便を以て 皆発心せしめ 漸漸に増益して 仏道に入らしめよ」  じつに細やかなご指導です。まず和顔を以て説けとあります。終始おだやかな態度で、できればニコニコ顔で説法しなさいというのです。  それも「微妙の義を以て」とあります。仏法の本義は、奥の深い、いわく言い難い微妙なものです。その深い内容を、だれの胸にもしみ入るように、わかりやすく説きなさい、というのです。その具体的な方法は次の一節に述べられています。  「もし難しい質問をしてくる者があったら、必ず仏道の本義にもとづいて答えよ。ただし、その本義を、あるいは実例(因縁説)をあげたり、譬えを引いたり(譬説)、さまざまな方法でおしひろめて説くことである。このように相手の機根にふさわしい方便を用いて、仏道に入ろうという心を起こさせ、その心をだんだんと強めるように指導して、いよいよ本格的に仏道に入るように仕向けることである」  この方便(たくみな手段)ということこそが大事なのです。法華経の二つの柱の一つとして「方便品」という章が設けられているほど大切なものです。この方便を身につけるには、何はともあれ人を導いてみることが第一です。試行錯誤もいろいろとありましょう。案外うまくいくこともありましょう。そうした体験の積み重ねによってこそ、ほんとうの方便が身につくのです。付け焼き刃は役に立ちません。とにかくお導きの実践こそが最高の道なのです。 ...

法華三部経の要点77

【機関紙誌】

衆生とも仏さまとも一体感を持つ

衆生とも仏さまとも一体感を持つ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇77 立正佼成会会長 庭野日敬 衆生とも仏さまとも一体感を持つ 一切衆生への大悲の心とは  第三の、法華経布教者の心の持ち方(意安楽行)の教えですが、細かいご指導としては偈の最初にある「若し是の経を説かんと欲せば 当に嫉(しつ)・恚(ち)・慢・諂誑(てんのう)・邪偽の心を捨てて 常に質直の行を修すべし」という一説にまとめてあります。嫉はねたみ、恚は怒り、慢はおごり、諂はへつらい、誑はこじつけ、邪はよこしまな心、偽はいつわりの心です。このような心を持つことなく、つねに誠実で素直な精神で法を説きなさい、というのです。  もっと根本的な心の持ち方について、次のような名句が説かれています。  「当に一切衆生に於て大悲の想を起し、諸の如来に於て慈父の想を起し、諸の菩薩に於て大師の想を起すべし」  すべての衆生に対しては大きな哀れみの心を持ち、その苦しみを見てはわが身の苦しみと感ずるような心根(こころね)がなくてはならない。もろもろの仏に対しては、自分のやさしい父であるという気持ちを持たなければならない。もろもろの菩薩に対しては、自分の大切な先生であるという思いを持たなければならない……というのです。  これはもはや「理」でもなく「義」でもありません。心情の問題です。情緒の問題です。この一切衆生というのは、人間ばかりでなく、あらゆる動物をも、植物をも含みます。むかしの仏教修行者は、道を歩くときも小さな虫を踏まないように気をつけました。飲み水を漉(こ)す布をいつも持ち歩いていましたが、それは不純物を飲まないためではなく、水の中にいる小虫を飲み込んで殺さないためでした。二十一世紀を迎えようとする現在にこそいよいよそうした自然の生物に対する心づかいが必要になってきたのではないでしょうか。 仏さまと一体になってこそ  「諸の如来に於て慈父の想を起し」というのも、仏教徒にとって大切な心情です。仏さまを、何か自分を管理している厳しい存在のように思うのは間違いです。そのように思って身をつつしむのもいちおうはいいことでしょうが、それでは仏さまと対立していることになり、ほんとうの帰依とは言えません。仏さまをやさしい父のように思い、寿量品にあるように恋慕渇仰すればこそ、仏さまとの一体感が生じます。仏さまにしっかり抱かれているのだという思いが生じます。そうなったときにこそ、仏さまの生かす力が心身いっぱいに充ち満ちてくるのです。仏教徒ならではの法悦の境地であります。  「諸の菩薩に於て大師の想を起すべし」の菩薩というのは、同じ法華経を行ずる諸先輩はもちろんのこと、他の宗教の指導者の人びとを含むと考えなければなりません。教義や信仰の所作こそ違え、世の人びとを幸せにすることを願い、その手段に思いをこらすことは、どの宗教でも同じなのですから。  ここで思い出すのは、吉川英治先生の言葉です。  「自分以外の人はすべてわが師である」  こういう謙虚な心を持ち、触れ合うすべての人からなんらかの教えをくみ取ろうという積極的な気持ちを持っておられたからこそ、数々の名作を生み、国民的文豪と呼ばれるほどになられたのでありましょう。  いずれにしても、この「当に一切衆生に於て大悲の想を起し、諸の如来に於て慈父の想を起し、諸の菩薩に於て大師の想を起すべし」の一節は、みなさんぜひ暗記してほしいと思います。そして、時に応じてこれを暗誦していただきたいものと思います。 ...

法華三部経の要点78

【機関紙誌】

法華経を説きひろめることが最高の人生