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開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説

3 ... さて、わたくしどもは、日本およびベルギーで開催されました、過去2回にわたる世界宗教者平和会議の精神に基づいて、行われた軍縮への根本的アプローチについて提言したのであります。  1、宗教者としてわたくしどもは、軍備(咳払い)競争の終結のために活動している世界の外交官に対し、いまや、計画的、偶発的、もしくはテロ行為による核戦争の危険性がきわめて増大しつつあることを訴えたい。わたくしどもの会議の言葉を引用するならば、「人類が核による絶滅におびやかされている現在、人類は軍備競争によって滅亡する前に、人類が軍備競争を終わらせなければならない。最も基本的な人権とは、人類がその生活を持続することにほかならない」  2、宗教者としてわたくしどもは、軍縮問題がいかに複雑な技術的問題であっても、究極的には心の問題と倫理的決断を待つほかはない。生命(せいめい)の尊さを無視するような政府の決定は、いかに巧みな表現を使う(「つこおう」と発音)とも、わたくしどもをあざむくことはできない。  3、宗教者としてわたくしどもは、世界の為政者、特に偉大なるカーター大統領閣下、ブレジネフ書記長閣下に(「む」と発音)対し、危険を冒してまで武装するよりも、むしろ平和のために危険を冒すべきである、ということを申し上げたい。わたくしどもは軍縮に向かって、あらゆる国で運動が展開されんことを切望する。  4(し)、宗教者としてわたくしどもは、平和の、平和を希求する人々の団結を願う(「ねごう」と発音)ものである。平和を願う(「ねごう」と発音)わたくしどもの祈りは静寂であり、その声はささやかであり、影響力は小さいかもしれませんが、すべての人々が世界平和を渇望し、第三世界は軍備競争の終えんがもたらす経済的成果を待望しております。  5、わたくしどもは、世界の安全が力による恐怖の均衡ではなく、新しい価値観に基づく(「もとざく」と発音)ものでなければならぬことを提案する。世界に1万5,000以上の戦略核兵器が存在する現在、いかなる国も、人間も決して安全ではあり得ない。  6、従って、もし人類が今世紀、生き残るとするならば、全面的完全軍縮の実行以外にはあり得ない。目下、進められている軍縮に関する各種の計画は、まだ、軍縮というよりも抑制の域を出ないものであるが、やがては全面的完全軍縮への橋渡しとなるでありましょう。そして武器によるどう喝をもって政治を行う(「おこのう」と発音)ことの愚かさを反省していただきたい。  7(なな)、NGOの宗教者として、この特別総会に向けて努力された非同盟諸国に対し、称賛の意を表するとともに、このNGOと国連における軍縮問題との関係が制度化されんことを心から願う(「ねごう」と発音)ものである。...
4 ...さらにわたくしどもは、国連が核軍縮の問題を最優先されんことを強く主張する。また、わたくしどもは、核拡散防止条約第6項の履行が、倫理的、道徳的、宗教的にも一致しているという理由から、これを優先されんことを提案する。  すでにご承知のごとく、目下、日本代表団によって広島、長崎の被爆写真がこの国連内に展示されておりますが、その悲惨(「ひざん」と発音)さは目を覆うものがございます。日本から持参されたそれらの写真の何枚かは、あまりにも、ひ、悲惨(「ひざん」と発音)さのゆえに、展示を遠慮してほしいという要求があったと聞いております。しかし、その地獄の苦しみの様相から、どうか目を背けないでいただきたい。  この特別総会の宣言草案にもあるごとく、わたくしどもは武装を解除しなければならない、さもなくば滅亡あるのみである、という言葉をいま一度、思い起こしていただきたい。  わたくしどもは国連がさらに強化され、この混乱した世界に法の秩序(「つつじょ」と発音)をもった、もたらす能力をもっていることを確信しておる。そしてわたくしどもは、それぞれの宗教と教団の信者をあげて、この歴史的な国連特別総会が、有意義に成果を収められるように祈って(「いぬって」と発音)おります。そして、国連加盟諸国が現状の流れを変え(「かい」と発音)、平和と真(しん)の進歩のために立ち上がることをもあわせて、祈願致す次第であります。  最後にわたくしは、核の廃絶は夢物語であるという人々に対し、故人の深い洞察の言葉を贈りたい。すなわち、「あらゆる、ひ、人が心の底から願う(「ねごう」と発音)ことは、決して実現不可能なことではない」という言葉と、日蓮聖人の「法華経行者の祈りのかなわぬことあるべからず」という言葉、さらに仏陀の、いま、この、さんが、(咳払い)此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は悉く吾が子なり 而も此の処は諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為すと、「一天四海 皆帰妙法」、万法はみな一つから出ておるのである、「天壌無窮 異体同心」、天地とともに窮(きわ)まりなく、すべての人の心は同じくしなければならない。全人類が心を一つになって世界平和を祈れば、天の救いの主(ぬし)である、主(ぬし)は必ずわれわれを守護したもうことを教えているのであります。全人類が一つの心になるためには、世界政府の樹立が必要であり、世界政府が樹立すれば核兵器など無用の長物となる。そこでわたくしは、全世界の為政者に対し心の改心を願い、人類の未来を信じつつ、神仏のご加護を祈り、わたくしの提言を終わります。ご清聴、ありがとうございました。...

開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会

3 ...すべてのものは変化する、変化するものであるからこそ、現在の瞬間、瞬間にベストを尽くせというのが真の仏陀(ぶつだ)の教えであり、それはまた、おごれる者に自省を促し、不幸の者に希望を与えて、精進せしめるというそれがこの真理を仏陀(ぶつだ)が説かれた真の精神であります。  第2番目に、諸法無我でありますが、この諸法無我とは、すべてのものは他(た)と関係なしに孤立して存在するものではないということでありまして、すべてのものは、相違相関の間柄にあるということであります。  わたくしが、東京からロンドンに飛行して、来るためには、操縦するパイロットをはじめ、安全飛行のために絶えず地上から通信を送ってくれる人、機械を整備する(「しゅる」と発音)人、燃料を補給した人、機体の材料である鉱物を掘り出した人、機体を設計した人、というように見てまいりますと、1機の飛行機はまさにジェットエンジンの推進だけではなく、世界中の真心によって支えられて飛ぶことができるわけであります。そのような、(咳払い)そのおかげさまで、わたくしをいまこうして皆さまの前へ出ているわけでございます。  もっと突っ込んで考えてみますと、機体のジュラルミン(「ジュウラミン」と発音)やチタニウムのような原料である鉱物も燃料も、人間がつくって地下にうめたものではなく、自然から与えられ、それを利用しているにすぎないわけであります。ところが人間は、それに気づかず、自分の力だけで行動し、生きているという傲慢さをもつようになったことは、反省すべきでありましょう。あるいはまた、自然との調和ではなく、自然を征服するという驕慢さによって人類はいま、公害や資源の枯渇というかたちで、自らの首を絞めているのが現状ではありますまいか(咳払い)。  さて、諸法無我についてお話を致しましたが、ここで出てくるのは、仏教のいま一つの大事な教えであります。それは縁起ということであります。縁起とは、一切のものは縁によって起こるということであります。現在、わたくしが着ておりますこの衣服も、日々(にちにち)の糧(かて)である食料も、自分以外の人々の勤労の結果を縁とし、この心もあらゆる出会い、すなわち体験と知識を縁として形成されております。そうして人間は、あらゆる縁の中で生かされているというわけであります。人間社会はあたかも、網のようなものであって、自分という一つの網の目は、他(た)の網の目によって保たれ、また自分という一つの網の目は、他(た)の網の目にとってなくてはならぬ縁(「いん」と発音)となっている、うー、のであります。  ところが、今日(こんにち)の人びとは、物とか金(かね)とかいう目に見える物質的なものだけにとらわれすぎております。...

開祖 (19820624A) 第2回国連軍縮特別総会

3 ...よってわたくしはここに、1年間に使われる6,000億ドルの軍事費を半分の3,000億ドルにまで削減するという勇気を各国政府首脳に望むものであります。  日本の立正佼成会及び新宗連は、核兵器廃絶と軍縮を求める署名運動を全国的規模で展開致しましたが、わずか2カ月余という短い期間に3,700万人の、うや、上回る国民の署名が得られたのであります。人類の運命は一握りの各国政府代表によって決められるのではなく、草の根の人びとの人類的な広がりと連帯によって決定されなければなりません。  いまを去る41年前(ぜん)、日本(にほん)が真珠湾に奇襲攻撃を加えたその報復として、原爆投下という悲惨な結果を招いた経緯に、仏教徒であるわたくしは深いザンゲとともに因縁の道理を思わずにはいられないのであります。そして、唯一の被爆国となった日本(にっぽん)は、恨みに報いるに恨みをもってしても問題の真の解決にはならないという反省のもとに、現在の憲法を受け入れたのであります。爾来日本(にっぽん)は、ひたすら世界の平和を希求し、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して今日(こんにち)の繁栄を見たわけであります。  わたくしは、世界がこの日本(にっぽん)国憲法に理解と共感を抱き、やがては同様趣旨の憲法を、共倒れ必至の核戦争という無残な体験を経ずして模索されんことをこいねごうものであります。そのときにこそ信頼と愛による国際的安全保障は可能となると存ずるのであります。  その新しい世界の安全保障への道、全面完全軍縮への第一歩として、わたくしたちは国連並びに各国政府に次のような要望を致します。  一つ、戦略兵器削減交渉の実効ある推進。  二つ、核実験全面禁止条約の締結。  三つ、兵器としての使用を目的とする核分裂物質の製造凍結への交渉開始。  四(よん)、全核保有国に対し、それらの国々が核兵器を決して使用しないという誓約の要請。  五、平和実現と平和維持に関する国連憲章の国連安全保障理事会による実践。  六、世界軍縮キャンペーンへ向かっての精神的、財政的支持。  特に世界にはまだ核兵器の効用に対する迷信を抱く人びとの多くあること、並びに核兵器が人間に与えるむごたらしさをあまりにも知らなさ過ぎる現状をゆうり(憂慮)し、目下の急務は核兵器廃絶のために世界世論を喚起することであると痛感するものであります。  ここに立正佼成会は、平和と国際間の相互理解促進のために向こう1カ年間に100万ドルを世界軍縮キャンペーンの諸活動に拠出することを表明するものであります。(一同 拍手)  わたくしは、国連の有効の活動が一層広く展開され、世界恒久平和の、平和を祈念してわたくしのスピーチを閉じたいと存じます。...

開祖 (19830407A) 第1回庭野平和賞贈呈式

3 ...同氏のご活躍の数々につきましては、先刻カトリックの白柳先生がご紹介くださいましたので省略させていただきますが、とにかく宗教こそ違え、同じ道を歩む同志としてのわたくしは、平和のために献身されるカマラ大司教さまが、わたくしどもの第1回平和賞を快くお受けくだされましたことを何よりも光栄に存ずるものでございます。  宗教にとって祈りはもちろん大切であることは申すまでもございません。しかし、それのみにとどまる平和を、阻害するあらゆる要因の除去に怠惰であってはなりません。  またいつぽう、こうしたことに対して活動することを世間では政治的過ぎるとか、非宗教的であるとして批判する傾向があることも否定できません。しかし、宗教は、りそよの、理想の世界を目指しつつも、なお常に現実の幸福を阻む諸問題を直視し、取り組む、それがカマラ大司教さまにあっては愛の奉仕であり、わたくしども仏教徒にとりましては慈悲行であり、そこにこそ神と仏のおわしますと、神と仏はおわしますとわたくしは信じている者でございます。  何はともあれ、カマラ大司教さまに対し、心からお祝い申し上げるとともに、さらに多くの宗教者が同氏のご活動に啓発され、平和のために邁進されんことを心から祈念致しまして、わたくしのごあいさつを終わりたいと存じます。  皆さま、ご清聴誠にありがとうございました。(一同 拍手) ○司会 どうもありがとうございました。 ...

開祖 (19840727A)第25回IARF世界大会開会式

3 ...ということは、進歩と申しましても、それには不安を増長する進歩と、安心のできる進歩とがあるとわたくしは思うのであります。  申すまでもなく不安な進歩とは、核兵器や、無制限な生命科学の進歩で、安心できる進歩では、すべての人間にとって容認できるところの秩序ある進歩であります。この前へ、前への進む科学に対して、文化なかんずく宗教は常に過去にさかのぼり、原点に返り、キリストやマホメットや、仏陀(ぶつだ)の精神に立ち帰り、それを確認するという特徴を持っております。  これゆえにこそ、宗教は常に暴走しようとする科学にブレーキをかけ、それを秩序ある進歩、調和のとれた進歩にするという重要な責務を負うものであるとわたくしは考えるのであります。いまや、神仏にかわって物質万能主義と申しましょうか、即物的な考え方が支配的になっております。と同時に、人々の心の中から、思いやり、優しさ、愛というものが失われつつあります。  数年前、インドにおいてわたくしはチャーリー・デュークという宇宙飛行士にお会いしたことがございます。彼は、彼は月着陸船のパイロットであり、月面に3日間滞在した人物であります。彼は、この地上に帰ってきて、たちまち富と名声を手にしたわけでありますが、逆に自分の家庭が崩壊するという問題に直面して、気づいたのであります。つまり得るという目的として、事を得(う)るということを目的として生活ではなく、与えることの生活がいかに大切であり、それを人間が失ってしまったら、この地球はあの月と同様に荒涼というか、寂寞(せきばく)というか、寂寞(せきばく)とした世界になってしまうということに気づいたのであります。そして彼は、ハイテクの技量だけでは、信じていた宇宙飛行士から宗教の世界に身を投じたということでありました。  この第25回世界大会も、またこの地上に荒涼とした月砂漠にしないために、そして明るい21世紀を迎えるためには、いったいどうすべきかという共通の目的を持って開催されたわけであります。そのために、東から西から、われわれはここに集うたのであります。お互いがお互いに対して、無知であるということは、裏を返せば学ぶことに対して、怠惰であったか、あるいは(咳払い)教えることに不親切であったからにほかなりません。わたくしたちは、この点を反省しつつ、この会議を通じて、一層の理解と協力が促進されるよう努力したいものであります。そのことを心から念願致しまして、わたくしのごあいさつに代える次第でございます。(一同 拍手)  ご清聴ありがとうございました。...

開祖 (19911115A) 法燈継承式

3 ...そういう状態ですから、えー、岡島という、わたくしがいつも皆さんに申し上げる、あの岡島さんという人は、佼成会の幹部という名前を付けたのが、幹事長という名前を付けてしたのはその岡島という人がいちばん初代なんだ。その人が、えー、わたくしに、もうびっくりしるような、何でも惜しげなしに皆さんに持ってきて、妙佼先生は施してしまう。そのことを非常におもしろい表現をされた。  えー、わたくしに対しては、自分はその、岡島っていう人は、肺病で入会してきた人ですが、その、肺病だから仕方がないから自分では信仰してると、ま、こういう説法の仕方がなかなかおもしろい人であります。会長のように体が丈夫で家族が皆健康で、自分も家族も病人なんかいないというこの健康のこの状態を見ると、こんな条件であったらわたしはとても拝むことはできないと。えー、しかるに、自分が丈夫で、家族がみんな丈夫で、それで一生懸命に寝るめも寝ないで拝めるっていうんだから、これは会長というより仕方がないわと。(一同 笑) こういう人間だというんで、わたしの人間像をそういう説明でみんなに、こういうふうにできれば、会長になれるんだと、いうようのことをいわれたことを覚えてますが。  ま、そのように、妙佼先生は施すことのまずお手本を示してくだすった。そういう、まあ、あの、ことで、今日(こんにち)まで来てしまったわけでありまするが、えー、こうして、53年を数えますると、とにかくローマの法王さまから、メッセージがちょうだいできる。えー、こくせ、国連の事務総長のメッセージを、事務総長、次長、事務次長さんの明石先生がわざわざその、国連の事務総長さまのそれを代読してくださるようにおいでを、お出ましをいただくと。まあこのように、世界中から、いちばんお忙しい、たいへんなお役の方が、わざわざこの、わたくしどもの法燈継承の式典をするというときにお祝いがちょうだいできたということは、これはもう皆さんのおかげなんですよ。それは、どんな素晴らしい人であっても、一人や二人では目につかない。ところが佼成会の皆さんが本当に人さまのためにというこの菩薩行を真剣にとらえて、修行しなければならない、仏さまのみ教えのごとく生活をしなければならない、そのように生きなければならないと。そういうことが佼成会の人には、十分に、この外から見ておってもわかるほど、本当に信仰して幸せの人だなあと、いうふうに見えてきたと。こう申し上げていいと思うんであります。えー、ローマの教皇さまからも、こうしてメッセージをちょうだいできたと。  先般も、わたくしども、おー、ネパールへ平和会議に行ってまいりました。...

交成1950年第5号お会式

『交成』1950年第5号お会式行事

交成1955年11月号お会式

『交成』1955年11月号お会式特集

開祖(19731012A) お会式

4 ...で、そういう正直の、また信じたことを本当に真っ向から表現をされた、言葉に表して、そこに救いがあると思うのであります。  でー、日蓮聖人は、非常に、たくさんの言葉が残されておりますが、ほかのお祖師さま(「おそっさま」と発音)は大体、例えば、真宗の『歎異抄』というようのあれも、法然上人が、話されたことをあとで書いたんだというようのことになっておりますが、日蓮聖人の御遺文というのは自分でお書きになって残されて、それがいま現在でも厳然と500余編あるわけですね。ですから、だれが聞いて、書いたというようなものではないので、ま、それはどちらが、うーん、どちらでなくちゃならんということもないわけでありまするけれども、皆さんもお聞きんなっていると思うのでありまするが、きのうときょうでございますか、如是我聞という問題、是の如き我聞ききという問題を、『人生読本』でお話があります、あしたもう1日あると思うんでありますが。その如是我聞、わたくしはこのように仏さまの言葉を承りましたということから、お経は始まるわけでありますが。それと同じように、どなたか確実にご説法なさるときそのまま書いておいて残してあれば、それでもいっこう差し支えはないわけ、自分で書かなくちゃならんということはないんですけれども、日蓮聖人の御遺文だけは自分でお書きになって残されてありまするから、例えば、あとから付け加えてまねをしても、それはどうにもならない。もうお聖人さまのお書きになったものが、厳然と、その筆跡がそのままに残っていらっしゃる、こういう祖師はまたこれどこの祖師も、どの祖師にもまさった素晴らしい、厳然となさったことが皆実力として、真のそこへ記録となって残っているという、そういう、祖師であります。で、わたくしどもはそういう意味で、この、法華経というお経を所依の経典とさしていただいている。で、法華経の有り難いってことは聖徳太子以来、日本(にほん)では伝教大師もおっしゃっておりますし、たくさんの方が、あ、法華経に帰依されたわけでありまするけれども、この日蓮聖人ほど、はっきりと力づおく、このとおり行けば間違いないというような、この、力をこう、息吹を与えてくだすった方はないと思うんであります。  で、そういうきょうはたいへん、その日蓮聖人のご入滅のお逮夜ということで、わたくしども、こうして一つの、1年のうちの大行事の一つになっておるわけであります。お互いさまに、たいへんにこの、仏教というものは、どこまででも、そのいろいろの問題が、例えて申し上げますと、方便力ということになりますれば、観音経にありますように、三十三身を現じて法を説くというので、わたくしどもの目の前にあらわれたところのすべての現象界は、皆、仏さまの説法であるというふうに受け取れるようにならなければならない、ていうことでありまして、問題はたいへんに広範でありますけれども、しかし、また率直にそのまま拝読して、そのまま正直に受け取れば、その言葉自体がもうはっきりと救われていく。...

開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会

4 ...こういうことは最近のはやりだという、ただ自分の慰みだといわれればそれだけでありますが、例えて申し上げてみまするならば、(咳払い)過日も(咳払い)東京都の選抜チームとして野球が、野球チームが東京都で8チームの中に選ばれて、選抜野球大会に、駒沢大学の、あのグランドに行きまして、やったのでありますが、実際にそのチームの力としてはお互いに同等のように皆さんが非常に練磨を積みまして、軟式野球としてはほとんど現在ではこの8チームとも五分五分でございます。 ところがその試合が、いずれも最後の九回の裏にいって初めて、最後のサヨナラの1点を入れるとか、または10回戦によって、人事を尽くして最後のご守護をいただくとか、これは準決勝も決勝も2回ともそういう刹那にいきまして、もう人間同士の、チーム同士の力は全然差のないところを、交成チームにその凱旋をいただいたというあの状態も、先生は一切の貯金を全部下げられたときに「野球部員はどうしているだろう」わたしがそばに行きますといいましたら、非常にあのスポーツは骨の折れるスポーツで、体でもって、ちょうど法華経と同じように、皆さんが本当に異体同心となって9人のチームが、チーム・ワークがとれて、心の疎通が本当に一糸乱れぬところのチーム・ワークができて、初めてその成果が上がるんだ、そのために非常に皆さんは重労働以上のあれは過激の労働でございます、いう話をしましたら、そうだ、会長先生と岡野さんが好きだから、それじゃ、これをもってって選手にあげて下さい、いってお金を十万円下さいました。さっそく岡野さんを呼びまして、これを野球部員に伝達したわけでございます。  そういうようなことが、ことし、わたくしどもは悲しみのなかに、先生を失って本当に悲しんでるなかに、それほど交成チームが特別の選手をほうぼうから引いたわけでもなく、成り行きにまかして、皆さんの精進にまかして、皆さんのチーム・ワークによってこういう成果が現われる、いうことも、やはりこれは目に見えないところの陰の守護があればこそ、そういう成果があるんである。また、ほうぼうの、こんどの大会におきましても、名古屋におきまして、雨に降られれば、雨が降ったことによりまして、お百姓さんが、だいぶ忙しいのに、雨のために悠々とお話を聞きに来られたというので、あの有名な体育館が、もう、立錐の余地もないほどたくさんの方がお集まりになって、その説法会を聞くことができた。いろいろなことを思い合わしてみますると、本当に生前中、いっときも、ご飯を食べながらもご法の話以外の話はちっともしない人で、ですから普通の方でありますというと、どうも面白くもない、明けても暮れてもご法の話だと、こういうようにいわれた方もあるのであります。...

開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会

4 ...もし、いなくて会えないならば、だれか適当の者があいさつにぐらい来そうのもんだというような、なかなかこれはまた、え、相当もう、活発の意見でありました。向こうのソ連のほうではわたしども信仰者なんて認めてないかも知れませんが、世間を、わたしどもや、もう高階先生のようなこの宗教の固まった人間っていうのは、まあ、一つの道からいえば確かに、はるばるその、使節団がソ連まで渡ったんだから、政府の代表として、だれかそのフルシチョフがいなかったから、適当の者が来て、誠にご遠路ご苦労さまとあいさつして、してもらってこう、これはまあ、お年寄りの耳の遠い人ですからいろいろ事情あんまりわからんで、頑徹(がんてつ)にそうおっしゃること非常にわたしごもっともだと思う。その、老人の怒られた顔を見てわたしは本当に、なるほどこの、ご老人さすがに、15,000カ寺の管長さんを、務められて、日本(にほん)仏教会の会長にもなるという人だから、これだけのなるほど、一つの信念を持っていなさる人だなあと、こうわたしは非常に、え、高階先生のその人柄にわたしはほれ込んで。老人素晴らしいとこう思ったんでありますが、ロンドンに帰ると、と、おれはもう、ほかのところ行く必要がない。ロサンゼルスぐらい直行するから、もうおれも離団するっていうので、え、名誉団長と団長と離団して、ロンドンではもう四分五裂(「しふんごれつ」と発音)になっちゃったわけなんです(一同 笑)。ま、しかしこれはあの、感情的になったとかというんでなくて、お年寄りで、体が非常にお疲れであると。それから、まあデンマークとか、あー、(咳払い)スウェーデンっていうようのところの見学というようのことを、そういうことはもう自分に必要がないと。とにかくもっぱら、そのフルシチョフに仏教を説いてきたいというその念願で、おいでになったことは、え、ソ連で朝めしの時に、いー、高階先生のいわれた言葉を聞いてるとまったくもう、それに、い、固まって行ったわけでありますから、それが会えないってことですから、もうロンドンに来たら、おれはもうサンフランシスコへ行って、あー、ロサンゼルスへ行って、みんなの来るのあすこで待ってるから、先にわたしは行ってひとつ休養するというので、先にもう、団から離れちゃいました。  そういうことで、団の性格が少し尻が細くなってきたようの形なりまして、え、そこで、団長が別れるにあたって、あと、だれかが団長に、なると、いうことをしなきゃならんのだが、どういうふうにしたがいいだろうっていう、まあ相談受けたんであります。そこで、まあ、どういうふうにするかっていうことで、いろいろ、考えたんであります。...

開祖 (19640304A) 大聖堂入仏式

4 ... しかも宗教活動は、いよいよ、この大聖堂ができて、きょうからが、いよいよ、活発に、その宗教活動の、本義を、わたくしどもは、守らなきゃならないと思うのであります。  そういう意味におきまして、理事長さんはじめ各理事さん方が、全国の各地に、じかに自分がその地に行って、その土地の皆さま方の、いろいろの気風とか、その習慣とか、その状態に、身をもって触れて、全国の、かつ、宗教活動をまず第1番に、活発にする。国際布教ということもありますけれども、それはだんだんとわたくしどもの力に応じて、まずとりあえず、わたくしどもは、日本の国というもの、日本の国というものの立場を、はっきりとしないことには、ただむやみと場所を増やしたり、ただむやみと、太平洋を泳いでいくような考えでは、ならないと思うんであります。  え、そういう意味におきまして、宗教活動を全国的に活動は、いよいよきょうから始まるわけであります。  幸いにして、この聖堂の完成と、ともに、幹部の皆さんが非常に歓喜勇躍して、いよいよこれからやるんだという気構えで立ち上がってるわけであります。  過去にありますところのジンクスを、佼成会をして、完全に、宗教活動が殿堂ができて、とどまると、いうようのことを、破る。これは、歴史は何か繰り返すというようなことも言いますが、仏さまのお説から言うならば、諸行無常で、同じ状態ということを考えておったのでは、本当のその意味を理解してないと思うのであります。  そういう意味で、釈尊の予言に、わたくしどもが応えるならば、後五の五百歳、その末法濁悪のときには、法華経を唱えるところには、雲のごとく、たくさんの方が集まってくる、そういう現象を、予言されているわけであります。  現在、この、聖堂を中心としたところの、佼成会のこの周辺、約2万7,000坪の地所を、現在では獲得したわけであります。この地所にあふれて、収まららないほど全国から、参拝者が、ここに集まってくる。  そして、ここで、その根本道場としての使命をわたくしどもが、完全に果たすか果たさないかっということが、仏さまの予言のごとく、この後五の五百歳の、非常に、大量殺戮(「せつりく」と発音)が行なわれ、そうの、救いか滅亡かというような二つの岐路に立つところの人類が、ここに、救われるか救われないか、食うか食われるかという問題だと思うのであります。  そういう意味におきまして、仏さまの予言が、正しいものであるならば、わたくしどもの今日(こんにち)からの修行が、いよいよ約束された、ひとつの宿命とわたくしどもは考えるわけであります。  どうか、この、入仏式の、この日を記念と致しまして、いよいよ26年間の、活動は、まさに、今日(こんにち)、これからの、ための準備、活動であったので、、本格的の活動はこれからである、こういうふうにわたくしどもは心を新たに致したいのであります。(一同 拍手)  幸いにして、まだわたくしも、非常に健康にも恵まれておりますし、理事さん方がみんな地方へ出ましても、大いに本部におって、留守番をがんばるつもりでございます。  そして、全国の状態を、つぶさに、各理事さん方が、把握して、そして皆さまの本当に求めとるものを与えていく、え、そこに大乗仏教の、わたくしは在家仏教としての使命があると思うのであります。(一同 拍手)  どうか、この、わたくしどもの感激、意義ある今日(こんにち)を迎えまして、いよいよ、決定(けつじょう)を新たに致しまして、あすからの精進をここに、ご本尊の御前(みまえ)にお互いさまにお誓いを致しまして、活動に励んでいただきたいことお願い申し上げまして、ごあいさつに代える次第でございます。(一同 拍手) ○司会 ただいまは、会長先生(音声途切れ)...

開祖 (19640515A) 大聖堂落成式

4 ... えー、二尊四士とはいかなることかと申しますと、えー、このお釈迦さまの頭(こうべ)のところに、頭の上に多宝塔というお塔がございます。その中に多宝如来があるわけでありますが、えー、しかも、周りの光背の中に、ずーっと雲の模様の中に四大菩薩の座像が四つございます。これは四士、すなわち、上行、無辺行、浄行、安立行の四大菩薩をこの光背の中に座像にして配置をしたわけであります。そして、ちょっと一見致しますると、お釈迦さまの像が大きく現われておりまして、一尊のように見えます。ところが、法華経の経文にありますように、多宝如来の証明ということによって初めて、久遠実成の本仏の教え(「おしい」と発音)、仏さまのみ心、というものが証明されますように、その順序を取りまして、釈迦、多宝の二尊、そして4人の大導師、大菩薩を配置を致しましたのがこの本尊でございます。  この本尊こそは、久遠実成のお釈迦さま、インドにお生まれになったお釈迦さまは、さらに、  (聞きとれず)  この、インドのお釈迦さまが迹仏として現われるところの、その根本理であるところの本仏、この久遠の本仏を表現する、ということに非常の苦心をしたわけでございます。  かく致しまして、出来上がりました本尊、さらに、この本尊の問題が、いよいよ決まりまして、このご尊像の彫刻をどなたにお願いをするかということになりまして、たまたま錦戸新観先生と知遇を得まして、先生にわたしどもの、この問題を申し上げましたところ、快くお引き受けをいただきまして、爾来、京都、奈良の仏像をことごとく見学をさせていただき、参拝をさせていただきまして、研鑚に研鑚を重ねまして、約4年の歳月をかけまして、錦戸新観先生ほか才識の方々、みなお手伝いの方々43名のお方によって、この本尊ができたわけでございます。(咳払い)  こうして、本尊を、ここに飾ります、その周りを囲むところに、え、先ほどの報告にもありましたように、えー、日本の建国の由来あるところの、天孫降臨の峰といわれる高千穂の峰から、ジャスパーという宝石のあるということを聞きまして、この宝石を、不思議のことに回り回ってわたくしどものところへ、その(咳払い)宝石の板が回ってまいりまして、これをぜひとも由緒あるところの、その高千穂の峰の石を、なんとかしてこのご本尊さまの周りだけでも、これによって飾りたいと。これは七色の色がありまして、素晴らしい光沢をもっております。ご覧のように、えー、左右の柱、え、ずーっと奥のほうの(咳払い)壁も全部、このジャスパーによって、囲んであるわけでございます。(咳払い)  ところが、(間)道場の正面から、ずーっと上の宝塔のところまで、ぜひともこの石を張らしてくれというので、この日本ジャスパー社長のモリモトシンイチさんが、もうこれは、(咳払い)えー、わたしどもの工賃さえ、加工するその工費さえくだされば、もとはタダあげるからぜひ張らせてくれ、というので、ひじょーに無理のことでございました、硬いために、160余名の工員が、昼夜三交代で3年もかかったわけですから相当無理をしていただきまして、おもてへおいでいただきますと、ずーっと上のいちばん高いところまで、えー、総体は7階でありますが、前のほうの一部8階がございます、その8階の上にまでずーっとジャスパーによって張りつめられたわけでございます。...

開祖 (19760528A) シュバイツア賞受賞式

4 ...そうしますると、これは日本の宗教界の皆さま方が、えー、わたくしのような者を推して、あのWCRPの大会を成功裏に導いていただきました、日本中の宗教家の皆さま方のご後援のたまものでもあるわけであります。 (一同 拍手)で、そういう意味で、本日はわたくし自身の受賞ではなく、日本の宗教界の受賞であり、また新宗連の受賞であり、佼成会の受賞でもあると、わたくしはそのように考えておるものでございます。(一同 拍手)  で、そういう意味で、この今日(こんにち)のこの、お、光栄をここにもたらしました皆さま方に対し、え、衷心より厚くおん礼を申し上げる次第でございます。ありがとうございます。(一同 拍手)  (咳払い)なお、本日はこの、お、受賞に当たりまして、わざわざ、この、おー、スペンサー、ラバン博士、または婦人代表のホーワ女史、え、それに、えー、カルジュン先生、このお三方(さんかた)が、わざわざこの、おー、受賞、わたくしにこれをお授けくださるために、え、おでましをいただきましたのでございます。このお三方(さんかた)に衷心より感謝を申し上げたいと思います。(一同 拍手)  (咳払い)えー、(咳払い)わたくしどもの会員の綱領でありまするが、これもやはり、えー、自己のこの完成ということを目指して、えー、仏教による働きをする、というのであります。そして、え、自分の人格の完成を目指して、自己の練成をとおして、家庭、そして社会、そして国家、世界の平和境を建設することを期す、このように佼成会の綱領は結んであるのでありまして、えー、この綱領を実現をできるということは、(咳払い)いちばんのその中の、え、しん、このバックボーンになるものはといいますると、これは三宝帰依ということになります。えー、仏さまに帰依する。そしてお説きになられた法門に帰依する。そして最後に、僧に帰依す、であります。この三宝に帰依するというこのことは、言葉にわたくしは昨年、えー、カナダにおきまして会合のありましたときに、IRFの会合で、「万教同根」ということを申し上げたんであります。これは、法華経の中には一仏乗といわれております。えー、いろいろの宗教がたくさんある。それはインドのガンジス河の砂の数ほどある。そういうたくさんの教えがあるけれども、決して二つないのである。真の宗教というものは一つである。教えの根本は一つであると。こういうことをお釈迦さまが教えておられるのでありまして、わたくしどもはよりどころとする経典が法華経であります。その法華経の精神、さらにまた、シュバイツァ博士の、この、おー、論文の中に、えー、この生命の畏敬という問題がございました。...