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仏教者のことば69

手は熱く足はなゆれど  われはこれ塔建つるもの  宮沢賢治・日本(宮沢賢治全集5)

1 ...仏教者のことば(69) 立正佼成会会長 庭野日敬  手は熱く足はなゆれど  われはこれ塔建つるもの  宮沢賢治・日本(宮沢賢治全集5) 死を前にした充実感  宮沢賢治の文学は、法華経の宇宙観・人間観から発していることは前にも書いたとおりです。有名な「雨ニモマケズ」の詩にしても、「西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ」というのは菩薩行の実践であり、「南ニ死ニサウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイイトイヒ」というのは観世音菩薩の施無畏です。  そして、この詩の結びに「ミンナニデクノボウトヨバレ ホメラレモセズ ク(苦)ニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と書いています。つまり賢治は、世間的には目立たないところで、実質的に、コツコツと菩薩行を積んでゆきたいという謙虚な心の持ち主だったようです。  事実、教師の職を辞してから「羅須地人協会」を設立し、故郷一帯の稲作指導を行う一方で、農民芸術を語って、地方農民への献身的な生活をつづけたのでした。その文学作品も生前はあまり認められず、死後、高村光太郎氏や草野心平氏の紹介で世に注目されるようになったのであって、「雨ニモマケズ」の詩にしても後にその手帳から発見された、下書きのようなものだったのです。  前掲の詩(一部)は、重篤な病の床で書いたものですが、さすがに死に直面しては、自分の後半生が法華経精神につらぬかれたものだという充実感がこみ上げてきたものらしく、「われはこれ塔建つるもの」という一句にもそうした自覚が満ちあふれています。 貪欲な男にも仏性を  では、この後に続く全詩句を見てみましょう。  滑り来し時間の軸の  をちこちに美(は)ゆくも成りて  燦々と暗をてらせる  その塔のすがたかしこし  むさぼりて厭(あ)かぬ渠(かれ)ゆゑ  いざここに一基を成さん  正しくて愛(は)しきひとゆゑ  いざさらに一を加へん  高熱のために手はほてり、足は萎(な)えているけれども、思えば自分は仏性の塔を建てるためにこの世に生まれてきたもののようだ。過去をふりかえってみると、遠い所にも、近い所にも、暗の中にさんさんと光を放っているその塔が、有り難く見えてくる。  貪欲なあの人のためにも、さあここにもう一基の塔を建てよう。正しくて美しいあの人のためにも、さあ、もう一つ塔を立てよう……  すべての人に仏性を見ているのです。法華経そのもののような詩です。世間に発表するために書かれたものではなく、自分の内心の叫びを書き留めておいたものでしょう。それだけに、いよいよ尊い詩だと思います。  わずかに三十八年の一生でしたけれども、賢治はたしかに多くの塔を建てました。しかし、死に直面するまでは、自分のことを「修羅」と呼んだり、「はてなき業の児」と見たりしてきました。そして、デクノボウになりたいと願っていました。  しかし、いよいよわが命はここに極まるというときに、「このわれは仏性の塔を建てる者だ」という光り輝くような自覚が魂の底からわき上がってきたのでありましょう。願わくは、われわれも、臨終の床でこうした自覚を持てるような一生を送りたいものです。 題字 田岡正堂...

仏教者のことば70

合掌。私の全生涯の仕事はこの経をあなたのお手許に届け、そしてその中にある仏意にふれて、あなたが無上道に入られんことをお願いする外ありません。  昭和八年九月二十一日  臨終の日に於て  宮沢賢治・日本

1 ...仏教者のことば(70) 立正佼成会会長 庭野日敬  合掌。私の全生涯の仕事はこの経をあなたのお手許に届け、そしてその中にある仏意にふれて、あなたが無上道に入られんことをお願いする外ありません。  昭和八年九月二十一日  臨終の日に於て  宮沢賢治・日本 子に改宗させられた父  これは宮沢賢治の遺言状です。父の政次郎氏に花巻の方言で口述したのを、政次郎氏が文章にしたものです。  賢治は二十歳のとき、島地大等師の国訳法華経を読んで、身震いするような感動を覚え、それからの一生を法華経の世界観・人間観に忠実に生きようと努力し、見事にそれを貫いた人でした。  父政次郎氏は立派な人物で、浄土真宗の熱心な信者でしたが、賢治はこの父を法華経の教えに改宗させようとして、夜どおし大激論を交わしたこともありました。父はなかなか承知しませんでしたが、いつしか法華経に引かれるようになり、心の中では改宗していたもののようです。  この遺言口述の前後のありさまについて、盛岡市史編纂委員で賢治の研究家でもある森荘己池氏が書かれた『賢治と法華経の関係』という文章により、要約して述べてみましょう。 その美しい臨終  二十一日の午前十一時半、二階の賢治の寝ている部屋から、力強い唱題の声が聞こえてきました。家中の人びとがハッとして、急いで階段を上がってみますと、賢治は床の上に端座して合掌し、「南無妙法蓮華経」と繰り返し唱えていたのでした。父も、母も、弟も、妹も、いよいよいけないな……と思いました。  父は賢治に、「賢治、今になって何の迷いもないだろうな」と呼びかけました。賢治は、「もう決まっております」と、きっぱり答えました。「何か、言い残したいことはないか、書くから……だれかすずり箱を持ってくるように……」と父が言えば、母は「いま急いでそんなことをしなくても……」と止めようとしました。「いいや、そんなものではない」と父は決然と言い、すずり箱を持って来させました。  巻き紙と筆を持った父に、賢治は静かにゆっくりと、「国訳の法華経を千部印刷して、知己友人にわけて下さい。校正は北向さんにお願いして下さい。本の表紙は赤に――。お経のうしろに、『私の一生のしごとは、このお経をあなたのお手もとにお届けすることでした。あなたが、仏さまの心にふれて、この世で最高の正しい道に入られますように』ということを書いて下さい」と、花巻弁で言いました。  父は、そのことばを前掲のような文章にし、読んで聞かせると、「それでけっこうです」と賢治は答えました。  父は、「戸棚の中のあのたくさんの原稿は、どうするつもりか」と尋ねました。賢治は、「あれは、みんな、迷いのあとですから、よいようにして下さい」と答えました。すると父は「おまえのことは、いままで、一ぺんもほめたことがなかった。こんどだけは、ほめよう、立派だ」と言いました。  賢治は、あとで弟の清六氏に「お父さんに、とうとうほめられた」とうれしそうに言ったそうです。そのしばらく後に、賢治は安らかに息を引き取ったのでした。  わたしは、賢治の書いたたくさんの原稿が「迷いのあと」であるとはけっして思いません。とくにあの「雨ニモマケズ」の詩が、どれぐらい多くの人に深い感銘を与えたか……それはじつに計り知れないものがあると思います。それにしても、この遺言状はまた尊いものです。まことに法華経を生き抜いた人にふさわしいものでした。(なお、その遺言は父の手でりっぱに果たされました) 題字 田岡正堂...

仏教者のことば71

我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ。  日蓮聖人・日本(『開目抄・下』)

1 ...仏教者のことば(71) 立正佼成会会長 庭野日敬  我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ。  日蓮聖人・日本(『開目抄・下』) 鎌倉中期の日本は今の世界  日蓮聖人が活動されたころの日本ほど内憂外患がこもごも起こったことはありません。一二五六年には暴風雨や洪水のために東国には死者が多く、作物が大被害を受けました。翌年には鎌倉に大地震があり、多くの人家が倒壊し、その翌年には鎌倉に今度は大洪水があり、多数の人びとが死にました。その翌年には全国的に飢きんが起こり、その間に疫病も流行して、聖人が『立正安国論』に書かれたように「牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ、骸骨路に充てり」というありさまでした。  また、諸国に盗賊が横行し、民家から略奪をほしいままにし、旅人を襲って殺傷しました。そういう中で役人たちは、何かと理由をつけては領民から規定以外の税金をやたらに徴収しました。そうした国内の混乱に加えて、日本とは比べものにならぬほどの強国である蒙古の元(げん)が、二度も大軍を送って攻めてきたのです。幸いにも、二度とも暴風雨のために敵の艦船が沈没・漂流して占領をまぬがれましたが、まことに危機一髪だったのです。  今の世界全体をつらつら眺めてみますと、鎌倉中期の日本にそっくりです。ある国では熱波のために作物が半減するかと思うと、ある国では大洪水によって多くの家々が流され、うち続く戦乱のために何十万という難民が出る地方があるかと見れば、はなはだしきは食糧不足で何百万という人が餓死にひんしている地方もあります。  そうした中で、恐るべき超大国が次々と弱小の国を脅かし、思想的に侵略し、不幸の種をまき散らしています。その超大国に対抗するもう一つの超大国が着々と核戦力を増大しつつあり、国際的テロ行為も続発していますから、いつボタン一つが押されることによって世界中に火の雨が降り、何億という人間が黒焦げとなってもだえ死ぬかわからぬという、危機寸前の状態にあるのです。 われ世界の柱とならん  日蓮聖人は当時の危機に際して、それらはすべて信仰の誤りによって生じたものと断じ、日本人すべてを正しい信仰へ向かわせようとして不惜身命の努力をされました。その決意のほどを言い表されたのが右の言葉です。「われこそは日本を支える柱となろう。日本人の精神の要(かなめ)となろう」という烈々たる意気であります。  今の世界の混乱と危機を「信仰の誤り」の故と決めつけることはできませんが、しかし、「心の誤り」であることは確かです。近年著しくなった異常気象も、干ばつも、単なる天災ではないと言われています。森林の乱伐による地球の砂漠化の進行や、石油燃料の乱費が大気の組成を変えつつあることも大きな原因になっているというのです。ましてや、各地に起こっている民族間の反目、宗教の相違による戦争やテロ行為においてをやです。そうした心の誤りの頂点にあるのが、核戦力の増大です。  われわれは、一日もうかうかしてはおれないのです。表面の、一時的な、そして一部的な繁栄を楽しんではおられないのです。心ある人が「われ世界の柱とならん、われ世界の眼目とならん」という決意をもって立ち上がり、人類の、とりわけ先進諸国の人間の心のあり方を百八十度転回させるようにあらゆる努力を尽くさねばなりません。  それも、一人より二人、十人より百人、千人より万人と、多くの「心ある人」の結集が大切なのです。お互いさま、人類永遠の幸福のために、敢然と立ち上がろうではありませんか。 題字 田岡正堂 =おわり= ...

心が変われば世界が変わる1

まず身近なところで/人間で言えば“からだ”から

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(1) 立正佼成会会長 庭野日敬 はじめに  まず身近なところで人間で言えばからだから  心の立て直しで世界平和を  皆さんもよくご存じのように、私は、(世界平和)のために懸命に働いている者であります。世界平和のための努力といっても、あるいは政治・外交の面から、あるいは産業・経済の面から、あるいは文化交流の面からという具合に、さまざまな路線がありますが、私は宗教者ですから、「人類の心を立て直すことによって世界に平和を」という路線を取ることは言うまでもありません。そして、そのために不可欠の階梯として、「まず世界の宗教者が心を一つにし、力を協(あわ)せよう」と呼びかけているわけであります。  ところが、一般の方々の目から見れば、こうした行き方は大変迂遠であり、いわゆる(百年河清を待つ)に等しいと考えられがちです。「そんな理想主義的なことを言っていてどうなるものか。現実はそんな甘いものではない」と評する人もあります。  そんな人に対して、私は反問したい。  第一に、「では、他にどんな方法があるのですか。完全な平和世界をつくり上げる道が、ほかにあるのですか」と。  第二に、「あなたは(理想)と(目的)とを混同しているのではないですか。目的は、それに到達した時、初めて価値を生ずるのですが、理想は、それに向かって踏み出す第一歩から、すでに一歩だけの現実的価値を生ずるものではないのですか」と。  ハーバード大学のソローキン教授は、その名著『人間性の再建』の結論として「世界永遠の平和のためには、人間性が立て直されなければならぬ」と断じています。まさにその通りです。世界を平和にするには、人類の心を変えるよりほかに道はないのです。  「人類の心を変える」という言葉を額面通りに聞けば、まるで雲をつかむような全く現実離れのした考えのように思われるでしょう。しかし、よくよく考えてみれば、決して現実から遊離したものではないのです。その第一歩として、もしあなた自身が心を非利己的に、愛他的に立て直すならば、確実にあなた一人だけは心安らかな平和人間になれるのです。ということはつまり、微小ながらも世界平和のための一粒の種子が現実に芽生えたことになるのです。  そして、そうした新しい心の芽生えが家族へ、職場へ、地域社会へと次第に広がっていけば、その広がりの過程の中で一歩一歩確実に理想が達成されていくのです。  われわれが信奉している仏教は、実はそうした教えなのです。世界の永遠の平和を理想とし、まず個人個人の心から立て直していこうという教えなのです。なかんずく、われわれが所依の経典としている法華経は、(心が変われば世界が変わる)ことが可能である原理と、その具体的方法を説いたものなのです。だからこそ(諸経の王)と言われる大きな理由の一つが、実にここにあるのだ、と私は信じております。 十如是に示されている原理  どこにその原理が示されているかといえば、方便品の諸法実相・十如是の法門です。ところが(如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等)という文字の表面だけ見れば、どこに(心が変われば世界が変わる)という原理が示されているか分かりません。そこで、小釈迦と言われた中国の天台大師がこの法門を敷衍(ふえん)して(一念三千)ということを説かれました。「人間の一念の中に三千世界がある。だから、一念が変われば三千世界が変わるのだ」と説かれたのです。  しかし、われわれ凡夫の身としては、「一念が変われば三千世界が変わる」と聞かされても、あまりに話が大き過ぎてピンときません。身に迫る現実性が感じられません。ですから、私共の会の中でも「一念が三千だから」と、一つの通用語として、よく口にもし、耳にもしますけれども、果たして、みんながみんな、それが抜き差しならぬ真理であることを心の底から確信しているかどうか……ということになりますと、いささか心許ない感じがあるのです。  そんなアヤフヤなことではいけない、と私は思います。この真理は法華経の大きな柱の一つです。これが心の底に確立していなければ、何のために法華経を信じ、法華経を行ずるのか分からないことになります。  そこで私は、この真理を改めて見直してみたいと思い立ったのです。それも、「世界が変わる」と一足飛びに大きなことを考えないで、ごく身近なところから一歩一歩ゆっくりと、地道に考えていきたいと思い立ったのです。  また、こういうことを理論的に説いていったのでは、堅苦しく、読みにくく、飽きもきましょうから、できるかぎりやさしく、分かりやすく、なるべくたくさんの実例を挙げて、現実の問題として考えていこうと思うのです。  以上が、これから私が述べていこうとすることの根本理念であり、根本方針であります。 心が変わればからだも…  さて、われわれにとって一番身近なところといいますと、われわれ自身のからだです。肉体です。ですから、(心が変われば世界が変わる)という真理を考えるには、何よりもまず(心が変わればからだが変わる)ということから見ていくのが筋道だと思います。  次回から、このことについて、徹底的に、くわしく考えていくことにしましょう。(つづく)  仏の顔(アフガニスタン)  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる2

心とからだの不思議な関係

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(2)  立正佼成会会長 庭野日敬 心とからだの不思議な関係 体験的に知っていた(心身不二)  仏教では(心身不二)ということを教えていますが、皆さんも、確かにそうだと、感じる体験があるはずです。例えば、ひどく腹を立てると、頭がガンガンしてきたり、手足がブルブル震えたりしてきます。心配ごとがあると、顔色が青くなり、食欲もなくなります。急に恐ろしい目に遭えば、心臓は一時止まったかのように感じ、口の中が乾いてカラカラになります。大事な勝負に臨む前は、出もしない小便をやたらにしたくなります。  こういうことは大昔から人間は体験的に知っていたのですが、どうしてそうなるのかということまではわかりませんでした。ところが、現代になって、いろいろな学者が実験によって、その理由をつきとめ、実証するようになりました。  アメリカのキャノンという学者は、ネコを使って、怒ったり、恐怖したりする時の反応を研究しました。ネコにイヌをケシかけると、全身の毛を逆立て、爪を出し、歯をむき出してうなります。その時、ネコの体に起こる変化を調べてみますと、脈が大変速くなり、血圧が上がり、赤血球の数が増え、血液の中の糖分が増し、胃腸の運動が停止することがわかりました。そして、これらは副腎(ふくじん)というところから出るアドレナリンのせいだとしたのでした。  この研究から出発して、カナダのセリエという学者は、ストレス学説というものを唱えました。ストレスというのは(緊迫)とか(侵害刺激)と訳され、人間の健康に害を与える外的・内的な刺激を言うのです。外的な刺激と言いますと、猛烈な寒さや暑さ、外傷、かび、菌の感染などです。内的な刺激と言いますと、不安とか、苦悩とか、恐怖とか、憤怒といった精神的な刺激です。このような不快な精神的刺激も、よくない外的な刺激と同様に、身体に害を与えるというのです。その理由として、不快な刺激によって出るコーチゾンというホルモンが、全身に大きな影響を与えることを発見したのでした。  セリエは、このようにして起こる病気をストレス病と呼び、実力以上の地位についた人が起こす狭心症や不整脈、心労の多い管理職がよくかかる胃潰瘍、その他高血圧、リューマチ、糖尿病、腎硬化病などを、その病例として挙げています。  昔から「病は気から」と言われてきましたが、現代の医学でも精神と身体とは切り離すことのできないことを実証し、(精神身体医学)という独立した分野もできたのであります。私はつい昨年、わが国の精神身体医学の最高権威と言われる池見酉次郎博士と対談させて頂きましたが、いろいろとお話をうかがって、(心が変われば身体が変わる)という実証が、実に広範囲に及んでいることに、今さらのように驚きました。  池見博士によりますと、小児ゼンソクは親の過保護が大きく関係しているということでした。この病気は三歳児に一番多いのだそうですが、この年齢の子供はこれから独立した人格を形成しようという大切な時期にさしかかっているのです。ところが、近ごろの親たちは、子供を自分のものとして独占したいという気持から、あまりにぴったりくっついて離れない。だから子供の個性は健やかに伸びていかないということになる。そうした親と子のゆがんだ関係がゼンソクに結びつく……というのです。 解明される心と身体の因果関係  つまり、三歳ぐらいの子供ですから、まだハッキリとは意識しませんけれども、本能的に自分の個性がスクスク伸びるのを妨げるものに対して反抗する、そうした無意識の働きがゼンソクを引き起こすわけです。そこで、最近、親と子を切り離すという療法が欧米で始められ、日本でもやり始めたということですが、難治性のゼンソクの子供を施設に移すと、その日から発作がおさまってしまう子が、八〇パーセントぐらいいるというのです。この数字には全くびっくりしてしまいました。  このような、無意識の働きが身体に及ぼす影響は、実に計り知れないものがあって、まだまだ、未解決の世界がたくさんあるそうですけれども、われわれ素人が聞いても、なるほどと思われるような原因・結果の法則がずいぶん明らかにされているようです。  例えば、怒ったり、恐怖を感じたりすると、内臓の平滑筋や、骨格や筋肉のあるものが緊張します。その怒りや恐怖がすっかり解消してしまえばいいのですが、割り切れぬままに残りますと、その肉体的緊張も少しばかり残るというのです。少しばかり残っているぐらいでは何ということもないのですけれども、そういうことがしょっちゅう繰り返されますと、次第にそれが累積して、その部分に痛みを覚えるようになるのです。筋肉リューマチの原因の大部分がこれだといわれています。 ストレスの累積が病気の原因に  このように、不快な精神的ストレスがしょっちゅう繰り返され、心の奥底にある無意識の世界に累積することが、さまざまな病気の原因となるのです。治らぬ病気に苦しんで佼成会に入会する方にはこのようなケースがたくさんあります。嫁・姑の間の葛藤(かっとう)、夫婦や親子の間の隠微な心の争いなどは、毎日のように繰り返され、表面の心で我慢しているうちにドンドン心の奥底に蓄(た)まるから、害が大きいのです。  ですから、入会して法座などで身の上を洗いざらい話してしまえば、その場で永年の病気がケロリと治ってしまうのは何の不思議もないわけです。小児ゼンソクの子が、親と切り離されたその日に八〇パーセントも発作がおさまるというのと、同じ理屈だと思います。次回は、このことについて、もう少し掘り下げて考えることにしましょう。 (つづく)  仏立像(ガンダーラ出土)  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる3

懺悔によって病気が治るのは

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(3)  立正佼成会会長 庭野日敬 懺悔によって病気が治るのは 心の抑圧を解き放つことで  心と身体の関係を掘り下げて考え、分析し、そこから得た理論を応用して病気を治すことをやり始めたのは、ウィーン(オーストリア)の精神病医フロイト博士です。その前に、同じウィーンのある開業医が、ヒステリーの少女に催眠術をかけて、病気の誘因になった事件を思い出させ、それをくわしく語らせたところ病状が消えてしまうことを発見しました。  それにヒントを得て、フロイト博士はその開業医と協力してこの問題を追求していった結果、ヒステリーは心の奥底に残る古傷が原因であることを突き止めたのでした。ヒステリーというのは、体の器官にはなんらの障害はないのに、機能(はたらき)に障害が起こる病気です。耳が聞こえなくなったり、咽喉に何かつかえたようでモノがのみ込めなくなったり、手足がこわばって動かなくなったり、原因不明の頭痛がしたり、突然気を失ったりするのですが、耳や咽喉や手足を調べてみても何の異常もないのが特徴で、女子に多い病気です。  フロイト博士は、その病気の原因は、ある時に受けた屈辱とか、恐怖とか、悲哀とかいうような心の痛みが、本人は忘れてしまったつもりでも、心の奥底の無意識の中に抑圧された形で残っているので、それがうごめき出して身体的症状へと転換するのだ、と考えたのです。従って、その抑圧され、閉じこめられた心の痛みを放出させてしまえば、ヒステリーは治る、ということを発見したのです。  ところが、前記のように催眠術を応用するのには欠陥があることがわかり、フロイト博士は、患者にいろいろな質問をして連想を起こさせたり、「何でもいいから、心に思い浮かべることをドンドン話しなさい」と言って止めどもなくおしゃべりをさせたり、あるいは見た夢を語らせたりして、その患者の言葉の中から心の奥にひそむコンプレックス(抑圧されたために起こった心のシコリ・結ぼれ)を見つけ、その抑圧を解き放つことによって、見事にヒステリーを治していったのでした。現在でもアメリカなどには、このような方法で主としてヒステリーやノイローゼや神経系統の病気を治療する、いわゆる(精神分析医)が開業しているのです。  さて、こう考えてきますと、どうしても宗教における(懺悔)というものをもう一度考え直さねばならなくなります。 殻をかぶった生活から決別  (懺悔なくして宗教なし)という言葉があるくらい、あらゆる宗教において懺悔ということを大切にしますが、どうもそれが中途半端な受け取り方をされているように思われてなりません。すなわち(犯した過ちや心の罪を懺悔することによって心を洗い清める)というその(心)を、単に表面の心(顕在意識)の世界のことのように受け取っているのではないか、と考えられるのです。  もちろん、表面の心を洗い清めることも大切なことです。世俗の世界においては、人間は自分の心身の罪・醜さ・弱点・悩みなどを他人の前にさらけ出すことは、実際上なかなかむずかしいことで、多少とも殻をかぶって暮らしています。殻をかぶっていると、心は自由自在ではありませんから、本当の幸せを感じることができません。また、心に殻をかぶせることが習慣になりますと、常になにがしかの欺瞞をなしていることになりますから、本当の人格が育ちません。それゆえ、素っ裸になれる宗教の世界において指導者や同信者たちに、過去の行いの過ちや、現在の内心の罪などを洗いざらい懺悔することによって、心の自由自在を得、解放感を味わい、本当の人間らしい幸福を享受することができます。と同時に、本当の人格も育っていくのです。 真の姿に心を透徹させる  ところが、懺悔には、そうした表面の心の洗い清めだけでなく、もっと重大なはたらきがあるのです。それは『懺悔経』の別名を持つ『仏説観普賢菩薩行法経』をしっかりと読めば必ずわかるはずです。  例えば、「懺悔清浄なること己りなば普賢菩薩復更に現前して行・住・坐・臥に其の側を離れず。乃至夢の中にも常に為に法を説かん」とあります。深層心理学者の分析によりますと、夢というものは(意識が眠っている間に、かくれた世界(無意識)に閉じこめられたさまざまな経験や思いが活発に働き出し、その動きを睡眠中の意識が把握し、記憶したもの)だそうです。ですから、起きている時は考えもしなかった大胆不敵なことや罪深い行いを、夢の中ではするわけです。ところが、ここに述べられた信仰者は、起きている時も普賢菩薩と共にある実感をもっていますし、夢の中でも普賢菩薩を見るというのですから、無意識の世界までも清められていることになります。  また、「一弾指の頃(あいだ)に百万億阿僧祗劫の生死の罪を除却せん」とあります。これは、人間がまだアミーバのような原生動物だったころから積んできた無数の罪が、無意識の中に累積しているのを、一瞬の間に消滅できるというのです。つまり、無意識の世界の大掃除ができるわけです。  先に述べた精神分析医の治療法は、無意識の世界の局部的な掃除をするものですが、もっと広く、もっと深く、底の底まで大掃除するのが宗教の懺悔であります。しかもその極致は「若し懺悔せんと欲せば端坐して実相を思え」とありますように、この世の成り立ちの真の姿に心を透徹させることだ、とあります。この(真の姿)とは何か。それは追い追い明らかにしていくことにしましょう。 (つづく)  わらう僧の頭部  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる4

心の平和を保つには…

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(4)  立正佼成会会長 庭野日敬 心の平和を保つには… 病気を忘れる事が一番の薬  心のもち方が身体の健康にどれぐらい大きく影響するか、これについては、私が信仰活動を始めてからきょうまでの約五十年間に、数え切れないほどの体験例をもっているのですが、そのホンの一部を紹介してみましょう。  ストレプトマイシンとか、パスとかいったような特効薬のなかった戦前では、肺結核が若者の生命を奪う最も恐ろしい病気でした。療法としては「栄養のある物を食べて安静にしていること」、これよりほかにはなかったのです。それで、お金のある人は暖かい海岸地方に転地したり、サナトリウム(療養所)に入ったりして、寝たっきりの、もしくはブラブラした生活を二年も三年も続けたものです。  しかし、いくら身体は安静にしていても、精神はなかなか安まりません。いつも体温計をまくら元に置き、一日何回も熱を計っては、「一度下がった」「二度上がった」と、一喜一憂したものでした。体重もまた病勢を計るバロメーターとされ、しょっちゅう体重計に乗っては、これまた一喜一憂していました。そうした精神の不安定の底には「結核は不治の病」という通念がわだかまっていて、これが患者の心をいつも暗くし絶望的にしていました。たいていの結核患者は、その心に負けて死んでいったのです。  その反証が私の手元にはたくさんあります。戦争中や終戦直後のころは、肺結核の人がずいぶん佼成会に入会してきました。その人たちに、仏の教えを話してあげたり、礼拝・供養といった宗教的な行をキチンとさせたりすると同時に、畑仕事やら本部の廊下ふきなどの軽労働をしてもらいました。大変な食糧難で、栄養物などはほとんど手に入らない時代でしたが、青い顔をして入会してきた人たちが、芋を食べ食べ、畑の草取りをしいしい、ほとんど治ってしまったのです。一番の薬は、そうした毎日の中で、これまで自分の病気は不治だと悲観していた人たちが、いつしかその病気を忘れてしまったことだったのです。今でも元気に働いている生き証人がたくさんいます。 自然界と調和して共存する  結核菌やコレラ菌はドイツのローベルト・コッホ博士によって発見されました。それは人類のための大きな貢献には違いなかったのですけれども、しかし、残念なことには、こういう病原菌が発見されると、とかく人間はそれを絶対視してしまいがちなのです。菌もわれわれ人間と同じく、諸行無常・諸法無我の法則を受ける生きものであり、決して絶対の存在ではないのですから、極端に恐れることはないのです。  現実にわれわれは、口や喉や鼻や腸内には、いつもいろいろな細菌を持っており、また、悪い細菌やビールスを絶えず吸い込んだり飲み込んだりしているのですが、心身共に健康であれば、それらに侵されて発病することがありません。つまり人間は、自然界に存在する無数のバクテリアやビールスとも調和しながら共存しているのであって、この調和が崩れると、病気になるわけです。  普通には、そうした病原菌を頻繁に、あるいは濃密に吸い込んだり飲み込んだりすると発病すると考えられていますが、必ずしもそうとは限りません。もしそうだとしたら、毎日毎日病原菌の中で生活している医師や看護婦など、命がいくつあっても足りないはずです。医師や看護婦がなぜあんなに強いのかと言えば、普通人のように病原菌を極度に恐れないからだ、と私は信じています。そのことについて面白い話があります。  今から百年ほど前、前記のコッホ博士がコレラ菌を発見し、コレラはこの菌で起こることを発表しました。ところが、ペッテンコーフェルという学者は「それが第一義的原因ではない」と猛烈に反対し、コッホ博士との間に激しい論争が繰り返されました。そのあげく、ペッテンコーフェル博士は「私が実験台になって証明してみせる」と言って、何十億というコレラ菌を飲んでみせたのです。それは千人以上の人を感染させるほどの量だったのですし、すでに七十四歳という老齢だったにもかかわらず、わずかに軽い下痢をしただけでピンピンしていたというのです。便を調べてみると、コレラ菌がウヨウヨしていたそうですけれども。 心の平和を保つ11ヵ条  信念とか精神力とかいうものは、これほど強力なものです。もちろん、コッホ博士の説のほうが正しかったわけですが、ペッテンコーフェル博士の実験結果にも学ぶべきところが大いにあると思います。われわれは、ともすれば心のほうから先に負けて病気になってしまいがちです。この点をもう一度しっかり考え直す必要があると思うのです。  現代は、ストレスに満ちた時代です。とりわけ都会で働き、生活している人は、職業上の心労や、人間関係の摩擦などで神経をすり減らし、常にイライラしがちですから、そうしたストレスに負けず「心の平和を保つ」ことが何よりもまず大切な要件です。  それには一体どうしたらいいのか。ちょうど、アメリカ精神医学会の前会長で、世界精神保健連盟総裁のジョン・スチプンスン博士の提唱しておられる次の十一ヵ条が、表現の上ではともかく、根底においては仏教の説くところや、佼成会の行法ともほとんど一致しますので、これを手掛かりとして、私の考えを述べていくことにしましょう。  一、率直に打ち明けること。  二、しばらく逃避すること。  三、怒りは仕事で消すこと。  四、ときには譲ること。  五、他人のために尽くすこと。  六、一時に一事を。  七、超人的な衝動を避けること。  八、批評はのんびりやること。  九、相手にも機会を与えること。  十、自分を(役立てる)こと。  十一、レクリエーションを予定すること。  次回からこれらについて逐条的に考えていくことにしましょう。 (つづく)  目犍連像(興福寺)  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる5

心の掃除と休息を

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(5)  立正佼成会会長 庭野日敬 心の掃除と休息を 心の平和を得る秘訣  さてそれでは、スチブンスン博士の説く「ストレスを緩和し、心の平和を得る秘訣」を、仏法に照らし合わせながら考えていくことにしましょう。  率直に打ち明けること。  気になることや心配事を、ただクヨクヨと胸の中でくすぶらせているばかりでは、いつまでも解決はしません。  理性がどこかへ追いやられ、感情ばかりが無秩序に空回りしているために、問題をどう解決していいかという方途など思いつく余裕がないからです。  そこで、そうした余裕を見つけ出すか、積極的につくり出すかして、心に理性を取り戻す工夫が肝心となってくるわけです。その一方法として、心配事を筋道を立てて紙に書いてみることを勧める人もあります。たしかにそれは名案です。頭の中だけであれこれと考えている時は、ものごとが過大に感じられたり、ゆがんで見えたり、錯綜(そう)していてどうにもならないように思われるものです。  ところが、それを文書にしたり、数表にしたり、図式にしたりして書きあらわしてみますと、かなり実相が見えてきます。全体がおよそつかめます。ものごとを組み立てている諸要素の相互関係がハッキリしてきます。そこから、解決の糸口を発見することがよくあるものです。 心の悩みは信頼できる人に  ところが、事業の上などの心配事ならそれも良策ですけれども、純然たる心の悩みとなると、その方法も手に負えません。たとえば、自分の欠点が気になって仕方がないとか、仲よくしていた人が急によそよそしく感じられるようになったとか、上司や同僚が信用できなくなったとか、自分が無能・無力であるような劣等感にさいなまれる……といったような悩みになりますと、自分の力ではなかなか解決できません。  そんな場合は、信頼できる人――友人でもいい、父母でもいい、先生でもいい、とにかく親身になって聞いてくれる人――に胸の中を洗いざらいぶちまけて相談するのが最上の方策です。そうすれば、話をしただけで、その瞬間から胸がスーッとしてきます。心にいっぱい溜まっていたゴミを、とにもかくにも掃き出してしまったわけですから、そこにスガスガしい空間ができるわけです。すると、その空間(これを(余裕)という)に、これまでどこかへ追いやられていた理性が戻ってきて、ものごとを客観的に眺める冷静さも生じるのです。ですから、人に打ち明けたとたんに、「オヤ、大したことはなかったのに……」と気づくことも往々にしてあるのです。  ましてや、打ち明けた相手から適切な助言を与えられると、それを糸口として問題を解決することもできます。少なくとも、「解決しよう」という意欲がわいてくるものです。「暁の来ない夜はない」という言葉のとおり、解決できない人生問題はないのですから、意欲をもって立ち向かえば、必ず道は開けるのです。  ところで、立正佼成会の法座は、万人のための「率直に打ち明ける場」であります。打ち明ける相手のない人は、どうぞ遠慮なくおいでになって頂きたいものです。また、会員のみなさんも、自分たちのこのような尊い立場と役割を、常に深く自覚していて欲しいものです。 利害や欲望を離れた世界へ  しばらく避難すること。  逃避すると言えば、何か卑怯なことのように考えられるかもしれませんが、身辺に殺到するストレスから一時的に逃れるのは、心の調和をはかる自然の智慧であって、けっして恥ずべきことではありません。  第二次世界大戦当時、アメリカの大統領だったハリー・トルーマンは、次々に押し寄せる難問題と激務の中で、素晴しく冷静で、しかもつねに健康を保っていました。ある人がその秘訣を尋ねたところ、「わたしは心の中にフォックス・ホールをもっていて、時々その中に入るからです」と答えたそうです。フォックス・ホール(狐穴)というのは、日本軍隊ではタコツボと呼んでいましたが、兵士が一人入れるくらいの簡単な塹壕で、激しい砲火を浴びせられた時、そこに身を潜め、危険を避けると同時に、ひとときの休息を取るためのものです。トルーマン大統領は、自分の心の中にこのフォックス・ホールをもっていて、ときどきその中に入って気にかかることをきれいサッパリ忘れることにしているのだ……というわけでした。  ストレスからの一時的逃避には、いろいろな方法があります。音楽を聞く、スポーツをやる、散歩をする、それぞれいいことです。静かに座って瞑想する……となりますと、たんなる逃避以上のはたらきをもつ尊いことです。トルーマン大統領のフォックス・ホールは、おそらくこの瞑想だったのではないかと思われます。  信仰はもちろん、ほんとうの意味はもっと奥深いものではありますが、心を静め、神経の緊迫を柔らげる効果も非常に大きなものがあります。  朝夕ご宝前に正座して礼拝し、読経し、題目を唱える。道場に来て、法の話を聞き、同信の仲間と研さんし合う。すべて、利害と欲望の渦巻く俗世界から離れて静かな魂の憩いの世界に入ることであり、精神衛生上こんないいことはないのです。  よく世間には「宗教は生活からの逃避である。弱い者のやることである」と勇ましい論を吐く人もありますが、そんな人でも、思索に行きづまったらタバコを吸いましょうし、夜は一杯飲みにも出かけるでしょう。それが逃避でなくて何でありましょうか。  もし実生活から絶対に逃避しない人があったとしたら、必ず気狂いになるか、病気を起こして早死にするでしょう。百歩を譲って、かりに宗教が逃避だったとしても、酒や、女や、ギャンブルなどに逃避するよりは、はるかにすぐれた、有意義な逃避ではないでしょぅか。  ハーバード大学哲学教授だったウイリアム・ジェームスはこう言っています。  「言うまでもなく、煩悶(はんもん)に対する第一の治療は宗教的信仰である」と。 (つづく)  供養の子供(アフガニスタン)  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる6

怒りへの対策と三味方

1 ...心が変われば世界観が変わる  ―一念三千の現代的展開―(6)  立正佼成会会長 庭野日敬 怒りへの対策と三味方 数を数え怒りの心を静める  怒りは仕事で消すこと  怒りには、大きく分けて、公憤と私憤がありますが、この場合、公憤は別問題とします。なぜならば、純粋の公憤は多くの人々の幸せのためを思って怒るのであって、根底に慈悲の心が横たわっているからです。もし仮に、公憤のあまりに病を発するようなことがあっても、その人は、私利私欲のみを追及しながら、ピンピンしている人よりはるかに価値ある、崇高な人物であります。ですから、この場合は、いわゆる私憤のみを問題とします。  さて、昔から「腹が立ったら十数えよ」という言葉があります。十数えるうちに、少しばかり心が冷静になってきて、頭から湯気を出して怒り狂おうとする自分のバカらしさ、大人気なさに気づくからです。つまり、自分の心を、現在いちずに立ち向かっている対象から、ぜんぜん別の対象すなわち「数を数える」という単純な仕事に移し変えることによって、カッカと燃え上がろうとする怒りの火を消してしまう、少なくともブスブスくすぶる程度に収めてしまうわけです。  この「数を数える」という仕事は、心を静めるために案外大きな働きをするものであって、禅宗では基本的な修行として数息観(すうそくかん)ということをやらせます。これは、自分の呼吸する息を心の中で「ひとーつ」「ふたーつ」と数え、百まで数えたら、また一にもどって数えるのです。こうする間に、もし(数を数える)以外の思いがチラッとでも混じったら、それは雑念ですから、また一から数え直すわけです。  簡単なようで、なかなかむずかしいことであって、もしぜんぜん雑念を起こさずに数だけ数えておられるようになったら、数息三昧という立派な禅定の境地に入ったと言えるのです。よく無念・無想と言いますが、目の覚めている時の人間にとって、何も思わないということは、不可能であって、三昧の境地とは、邪念・妄想の混じらぬ、ある尊い一念を持続して、揺るがない状態を言うわけです。 熱中することが人生に大切  さて、(怒りは仕事で消せ)というのも、「怒っている対象から、ぜんぜん違った対象へと心を移し変えなさい」というわけで、まことに理にかなったやり方です。  仕事といっても、職業上の仕事でもいい、あるいは趣味上の仕事でもいい、とにかく自分が熱中できるものにシャニムニ取り組んでいくのです。そうすれば、初めはブスブスくすぶる程度の怒りが残っていても、いつしかそれも消え去ってしまうこと必至です。  熱中すれば、没我の状態になります。妄想・雑念が消え、その一事だけに専念して、われを忘れてしまうわけです。その状態が、つまり三昧であって、人生にとって(正しい三昧に入る)ことほど大事なことはありません。正しい三昧といっても、なにもむずかしく考える必要はなく、普通の生活者としては、仕事をする時は仕事三昧、勉強をする時は勉強三昧、スポーツをする時はスポーツ三昧、とにかくその一事に熱中し、没頭することです。  そうすれば、それぞれの分野で、高い境地に達することができるばかりでなく、そうした心の集中力、つまり三昧力は、いろいろな場合に思いがけない大きな働きをするものであります。ここにあるような(怒りを仕事で消す)場合もそうです。  もし仕事に集中する三昧力が不十分で、仕事をしながらも腹の立つそのものごとが忘れられないようでは、十分な効果をあげられないでしょう。ですから、なにごとをなすにも、それに(三昧する)クセをつけておくことが、よき人生を送る大きな要因となるわけです。  さて、(怒りを仕事で消す)よりは、自分の理性のはたらきで、それを消したいと望む理想派の人もおられるでしょう。そんな人のためには、聖徳太子の十七条憲法の第十を紹介しておくことにしましょう。すなわち……  「十に曰く、心の怒りを絶ち、おもての怒りを棄て、人のたがうを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執ることあり。かれ是(よみ)すれば、すなわちわれ非なり。われ是すれば、すなわちかれ非なり。われかならずしも聖に非ず。かれかならずしも愚に非ず。共にこれただひとのみ。是非の理(ことわり)、いずれか定むべき。相ともに賢愚なり。鐶(みみがね)の端(はし)なきが如し。これをもって、かの人はおもて怒るといえども、かえってわがあやまちを恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従って同じくおこなえ」 独善を慎み仲間と努力を  人が自分と違うからといって、怒ってはいけない。人間にはそれぞれ執着している見解があるものだ。自分がよいと思うことを、人はよくないと思うことがある。人がよくないと思うことを、自分はよいと思うこともある。自分はかならずしも聖者ではなく、相手はかならずしも愚者ではない。どちらも凡夫なのだ。凡夫である限り、こちらが是で向こうが非だとハッキリ決められるものではない。本当の是非は、絶対の真理のみが知っているのだ。凡夫である限り、ある時はこちらが賢く、ある時は向こうが賢く、転転として定まりのないことは、円い鐶に端のないのと同様である。だから、一方的に怒ってはならない。また、相手が怒ったら、すぐそれに怒りをもって対抗することなく、怒った原因がどこにあるかを静かに考え、それを参考にして自分があやまちを犯すことのないように、恐れ慎むことが大切である。  また、自分だけが正しい道を悟り得ているように思われることがあっても、決して独善的になることなく、世の多くの人たちを、共に迷い苦しみながら道を求める同行の仲間と観、自分もその人たちと一体の凡夫であると悟り、多くの人たちと同列になって、悩み苦しみつつ努力することである……このような教えです。  これは、怒りを和らげ消滅する教えとして尊いばかりでなく、真の民主主義(仏教的民主主義)の道を指し示す素晴しい教えだと信じます。 (つづく)  阿修羅像頭部(興福寺)  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる7

下がるのはなぜ善なのか

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(7)  立正佼成会会長 庭野日敬 下がるのはなぜ善なのか 譲る心で家庭や社会も平和  ときには譲ること。  世の中には「絶対に譲れない」というものごとは案外少ないものです。自分一人の立場から見れば金輪際(こんりんざい)譲れないと思っても、ちょっと心に余裕をもたせて、大勢の人間の立場に立って考え直してみると、「少しわがままかな」という反省が生じてくることがよくあります。また、その時その場では絶対に譲れないと思っても、一日なり二日なりたってみると、「そう強情を張るほどのことでもないじゃないか」と、考えが柔らぐこともよくあるものです。  利害のからまる諸問題でも、「大所高所から見れば、一歩も引けない」というケースはあまりないものです。「負けるが勝ち」で、一歩引いたほうがかえって結果がいい場合もよくあります。商人はそれをよく承知していますから、取引の条件を決める場合など、「仕方がない。今度はわたしが泣きましょう」と、ある所で妥協します。そして、泣くことによって、いつまでも笑ってつきあえるのです。長く取引を続けることができるわけです。  ましてや、親子、夫婦、親戚、友人といった、利害関係よりも親和関係のほうが強い間柄においては、お互いに譲り合うことが絶対に必要です。佼成会では、これを(下がる心)と表現して、教えの大切な根幹としています。なぜ大切かと言いますと、それには個人的と社会的と双方の利益(りやく)があるからです。個人的な利益とは、「我を張って心にストレスを起こすよりも、ちょっと譲れば気が楽になり、体のためにもよい。またそうすることによって人格が高まる」ということです。社会的な利益とは、「譲ることによって家庭(これも小社会)の波風も収まり、そういう気風がだんだん世の中に広がっていけば、社会全体が次第に平和になっていく」ということです。 下がれば心が和やかになる  釈尊は、この(下がる心)の利益をもっと深く掘り下げて説いてくださっています。すなわち、『大宝積経巻五九』に次のようにあります。  「謙下(けんげ=下がる心)に四種の利益あり。何等を四と為す。一には、悪趣畜生等の身を遠離(おんり)するなり。二には、妙なる快楽(けらく)を受くるなり。三には、潜謀(せんむ)も暴賊も倶に害する能わざるなり。四には、人天の恭敬礼拝を受くるに堪うるなり」  「悪趣畜生等の身を遠離する」というのは、下がる心をもっておれば、貪欲(餓鬼)、闘争(修羅)、憤怒(地獄)、愚痴(畜生)、といった悪道から自然と遠ざかり、人間らしい人間になれる……ということです。  「妙なる快楽を受くるなり」というのは、下がれば必ず心が和やかになり、人を柔らかく抱き取るような気持になり、したがって周囲の人々とも和楽できますから、何ともいえない幸せな気持になれる……ということです。  「潜謀も暴賊も倶に害する能わざるなり」というのは、我を張って一歩も譲らないような人に対しては、ひそかに策謀をめぐらしておとしいれたり、暴力で立ち向かったりする相手が現れるものですが、下がる心をもった謙虚の人に対しては、そんな対抗意識を起こし難いものだ……ということです。よしんば起こしても、いわゆる「柳に雪折れなし」で、そんな人にはなかなか通じないものです。  「人天の恭敬礼拝を受くるに堪うるなり」というのは、そのような謙下の人は、つねに「自分はまだ至らぬ人間だ」というつつましい自覚をもち、したがって、つねに上へ上へと向かう求道の志を胸奥にもっている人であるから、人間はもとより、神々からまで敬われる資格があるのだ……ということです。 必ず真理によって執われる  ここで思い出すのは、新約聖書の中にある「さいわいなるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり」という言葉です。「心の貧しき者」というのは、自分の心に欠乏を覚え、それが満たされんことを祈る人のことです。自分はまだ至らぬ人間だという自覚をもつ人、つまり下がる心の持ち主です。「天国はそのような人のものだ」とキリストはおっしゃっているのです。釈尊のおっしゃった「人天の恭敬礼拝を受くるに堪うるなり」と、何という尊い一致でありましょう。  なぜ下がる心の持ち主がそんなに尊く、下がることがそんなに立派な行為なのか。これは「この世は持ちつ持たれつの大調和によって成立している」という諸法無我の真理によって証明できます。  現実の世の中を眺めてみますと、たいていの人がオレがオレがと我を張っています。自分の権利ばかりを主張しています。その状態を放っておきますと、我と我、権利主張と権利主張は必ず衝突し、争いが起こります。摩擦を生じます。そして、ギスギスした住みにくい世の中になっています。ですから、そこにいくらかの下がる心の持ち主、すなわち、外部から突っかかってくる力を柔らかに受けとめる、クッションのような、空気バネのような人間が絶対に必要なのです。そんな人がいてこそ、世の中のバランスが取れ、調和が生まれるのです。  ところが、我を張り、権利を主張することに比べて、下がるとか譲るとかいうのは、割に合わぬことのように思われます。表面上はたしかに割に合いません。しかし、その割に合わぬ役目をあえて自分が引き受けるという尊い犠牲的精神がどこかで報われぬということはけっしてないのです。善因善果の理で必ず報われます。  自分が犠牲になって大なり小なりの調和をつくり上げる。それは「宇宙は持ちつ持たれつの大調和の世界」という真理に合致した道でありますから、表面上は犠牲になっているようでも、実際は必ず真理によって報われるのです。身心共にいい報いを受けるのです。釈尊のお説きになった四つの利益がそれにほかなりません。 (つづく)  わかい女の頭部  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる8

「人さまのために」の哲学

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(8)  立正佼成会会長 庭野日敬 「人さまのために」の哲学 清浄身の楽しさが尊い  他人のために尽くすこと。  他人のために尽くすことがストレスの解消に役立ち、従って健康のためにもよい……これはわたし自身が十二分に体験しています。立正佼成会を創立したころは牛乳配達をしていたのですが、お導きや手どりに飛び歩くために商売はだんだん細るばかり、あげくは質屋通いをしなければならない始末でした。これが、もし商売一途にやっていながらそんな状態に陥ったのだったら、それこそ心配で夜も眠れなかったことでしょうが、「人さまのため」という一心があったばかりに、じつに気が楽でした。どんな貧乏も苦になりませんでした。朝四時に起きて、夜寝るのは十二時過ぎという、心身共に酷使する生活を何年も続けながら、健康そのものでした。  このような全生活をあげての奉仕活動ではなくても、余暇を活用したボランティア活動や日常のちょっとした人さまへの親切行を体験したことのある人は、その行為に伴う何とも言えぬホノボノとした心の楽しさを味わわれたはずです。その楽しさは、娯楽や遊びなどの楽しさとは違った、もっと高貴な感じのものだったはずです。心身脱落と言いますか、心身にコビリついていた(我)というものがスッポリ脱けて自由自在の清浄身になったような、そんな感じの楽しさだったはずです。それです。それが尊いのです。そのような楽しさを味わえば、ストレスなどいっぺんに飛んでいってしまうのです。  なぜ、人のために尽くせば自分がそのような快さを覚えるのか。その根源の理由を探(たず)ねれば、疑いもなくそれが宇宙の万物を成り立たせている(持ちつ持たれつ=諸法無我)の真理にピタリと合致した行いであるからです。バランスの理に合致した行いであるからです。 諸法無我の真理に合致  われわれは自分だけの力で生きているのではなく、宇宙の万物に生かされているのです。自分を中心にして考えれば、無数の物や人に持たれつして生きているのです。その恩恵を受けっ放しにして、こちらが他の存在に恩恵を与えることがなければ、つまり能動的に持ちつすることがなければ、(持ちつ持たれつ)は完成しません。両方のバランスがとれないのです。ですから、他のために尽くすことはそうした根源的なバランスをとり、調和をつくり出す行いだからこそ、快さを覚えるのです。  とりわけ現実の人間世界においては、利己という煩悩が盛んで、他人のためを思う心は一般的に薄いのが実情です。それだけに、心ある人々が積極的に他のために尽くしてバランスを取る社会的必要があるのです。従って、そうした積極的な奉仕の行いをすれば、心に覚える快さはまた格別のものがあるわけです。こうした快さは、その人自身の心を清め、暖める高貴な喜びですから、それを味わえば味わうほど人格が高まっていくのです。仏教で菩薩行ということを強調する根本の理由は、以下のようなところにあると思うのです。  昭和三十八年度の東大の卒業式に際して、当時の茅誠司学長が卒業生に与えられた言葉は、「人に親切を尽くしなさい」ということでした。これを新聞で読んで、わたしは心から嬉しく思いました。そして、茅さんは本当の意味で偉い人だと感服しました。なぜなら、日本で最高の学府とされている東大の卒業生に対して、そんな平凡なことはなかなか言えないものです。「なにをいまさら古臭いことを……」とか「ぼくらを小学生と同じように思っているのか」とかいう反発が返ってくることは必至だからです。それをあえてされた茅さんは、理論物理学者としてよりも、一人の菩薩として尊い方だと思うのです。そしてこの一言は、単に東大の卒業生ばかりでなく、日本人全体に与える痛切な(菩薩の言葉)だったと思うのです。  その前年に亡くなられた(雪の科学者)中谷宇吉郎理学博士は、臨終に際して遺言らしい遺言はされませんでしたが、奥さんに対してただ一言、「人には親切にしてあげなさいよ」と言われたといいます。じつに千万の言葉にまさる偉大な遺言だったと思います。 己を心身共に高める慈悲行  ハシノク王と王妃が、ある日城の宮殿で四方の景色を眺めながら話し合っているうちに、話題が「自分より愛(いと)しいものがあるだろうか」という問題にたちいたりました。二人とも同じく「自分より愛しいものはない」という結論に達しました。それは、日ごろ、釈尊に教えて頂いていることと反対のように思われましたので、王は早速、祇園精舎に参って率直にそのことを打ち明け、教えを乞いました。すると釈尊は、偈を説いてこう教えられました。  「人の思いはどこへでもおもむくことができる。しかし、どこへおもむこうとも、人は自分より愛しいものを見出すことはできない。しかし、他の人々の身になれば、やはり同じように自分自身がこの上なく愛しいのである。であるから、自分の愛しいことを知る者は、他のものにも慈(いつく)しみをかけねばならない」  なんという理性的な教えでありましょう。自分を愛するものは他人にも慈しみをかけよ、それでバランスがとれるのだ、調和が生ずるのだ……という、宇宙の真理に根底を置くお考えと拝察されます。慈悲というのは、単なる感情ではなく、もっと奥の深いものだということが、これでもわかります。だからこそ、慈悲行というものは個個人を心身共に高めると同時に、社会全体の平和にも不可欠のものなのであります。 (つづく)  ひげのある王の頭部  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる9

「あれもこれも」と欲張らぬこと

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(9)  立正佼成会会長 庭野日敬 「あれもこれも」と欲張らぬこと あれこれ迷わず一時に一事  一時に一事を  現代人に多いイライラの大きな原因の一つに、「あれもしなければならない」「これもやってしまわねば……」と、一時に三つも四つものことを気にするという心のもち方があります。そうしますと、いろいろなことが心の中で錯綜し、入り乱れて、まとまりがつかなくなり、ただイライラするばかりという状態に陥ります。  イライラだけならまだいいのです。およそ仕事というものは、それに手をつける前はたいてい重荷に感ずるものです。やり始めると案外やさしくスラスラ運ぶものですけれども、始める前は何ということなしに過大に見えるものなのです。そういう仕事が三つも四つも目の前に立ち塞がっていると思うと、神経の細い人は、その重圧に押されて心が鬱屈してしまいます。その鬱屈が怖いのです。(新人五月病)といって、学窓を巣立って社会人になりたての人が、まだ研修の段階にノイローゼになってしまうケースが多く、発作的に飛び降り自殺などをする事例をよく聞きます。これなど、「仕事を始める前のわけのわからぬ重苦しさ」に負けたのだと、私は思います。  いずれにしても、一時にいろいろなことを気にかけるのは、精神衛生上たいへんよくないことです。では、どうすればよいのか。簡単です。いちばん急を要することから手をつけ、それに全力を集中することです。全力を集中してやり遂げられない仕事はないはずです。それができるからこそ、あなたは今の地位を獲得しているのですから。そうして一つのことを成し遂げれば、自信もつき、勢いにも乗り、他のものごともおのずからスムーズに片付けていけるものです。(一時に一事)を……これは仏法でいう(三昧)の実生活への応用であり、まことに理にかなったことなのです。 万事に完全を望むのは無理  超人的な衝動を避けること  青砥藤綱(あおとふじつな)は北条時頼に仕え、清廉潔白な人柄と、公平な裁判で評判の高い人でした。わたしが小学生時代の修身の教科書に、この人がわずかな銭(もちろん硬貨)を川の中に落としたのを、その何十倍もの金を使って人足を雇い、ついに探し出させたという話がのっていました。たとえ少額でも永久に川底に沈めてしまっては国家の損失である。人足たちに支払う賃金は回り回って人々の暮らしを潤しこそすれ、消失することはない……という精神から、自分自身の目先の損は承知の上でそうしたのだ、と教えられました。  この逸話にも片鱗が見えるように、藤綱は万事についての完全主義者で、自分のやっていることを常にあきたらず思い、上の人が自分を不満に思ってはいないか、下の人に憎まれてはいないかと、いつも小心翼翼とし、イライラしていました。ある晩、うつらうつらと物思いにふけっていますと、とつぜん目の前に真っ黒な妖怪が現れました。「何者だ」と大喝しましたが、妖怪は答えません。藤綱が立ち上がると、同じように立ち上がり、棒を捨てて腕を組むと、化け物もその真似をします。  藤綱が心を静めてジッとみつめてみましたところ、その真っ黒な妖怪は自分の影法師だったことがわかりました。そこで藤綱は忽然として悟ったというのです。「万物はすべてわが影である。主君や、上役や、家来たちの言動に映るのもわが影である。それを一々気にするのは、わが影法師と戦うようなものだ。自分さえ正しく、真心を尽くして行動しておれば、他の思わくなど気にすることはないのだ」と。  明らかに藤綱はノイローゼにかかっていたのです。なぜノイローゼになったかといいますと、あまりにも万事につけて完全でありたいと気を使い過ぎたからです。完全でありたいと願うのは悪いことではありません。しかし、万事につけて完全な人というのは一種の超人であって、それを望むのは無理というものです。 一事において超人たらん…  早稲田大学の創始者大隈重信侯は字が下手で、揮毫を頼まれてもほとんど書かなかったという話。菊池寛は、いつも巻き帯のダラシナイ格好をしていて、着物のヒザのあたりは煙草で焼け焦げだらけだったという話。世にすぐれた人たちにも、どこかに欠点はあるものです。ましてや、われわれ凡人が「あれもこれも完全に」と気を使えば、結局は(二兎を追うものは一兎をも得ず)に終わること必定です。また、そうした完全主義者は、何もかも中途半端な自己を嫌悪するようになったり、ノイローゼにかかって自分の影法師と独り相撲を取るようにもなりかねません。超人になりたければ、ただ一事において超人たらんと欲することです。 (つづく)  サーンチーの柱頭のゾウより  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる10

批判も競争もほどほどに

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(10)  立正佼成会会長 庭野日敬 批判も競争もほどほどに 人のアラを気にしない  他人への批判はのんびりやること  前項でも述べましたように、あらゆる点で完全な人というものは、現実の世界ではまずありません。それなのに、われわれ凡夫は、自分の不完全なことはタナに上げて、自分と関係の深い夫・妻・姑・嫁・上司・同僚などに対しては、ともすれば完全を望みがちなのです。そうしますとほとんどの場合、期待は裏切られます。相手の欠点がイヤに目について、腹が立ったり、失望したり、心に波風が立ち騒ぎます。すると、どうなるでしょうか。  お釈迦さまが「火に熱せられて沸騰している水は物の姿を如実に映すことはできない。風に波立っている水も物の本当の姿を映すことはできない。人間の心もその通りである」とお説きになりましたように、腹を立てたり、失望したりして、波風の立っている心で見ると、相手の本当の姿が見えなくなり、美点・長所までが目につかなくなるのです。そして、人間関係は悪化の一途をたどるのです。  ですから、身辺の人間関係を和やかにし、心の平和を保つためには、人のアラを気にしないことです。お汁粉にも、甘酒にも、少しばかり塩を入れたほうが味がよくなるように、人間も少しばかり欠点があったほうが味わいがあるものです。一点も非の打ちどころのない美人はかえって冷たい感じがして近寄り難いのに対して、少し目尻が下がっていたり、ちょっぴり団子鼻だったりすると、いかにも魅力があり、親しみがもてるものです。人間性もそれと同様で、少々あわて者だったり、間の抜けたところがあったり、どうでもいいことに熱狂したり、とにかく少しばかりの短所があったほうがかわいげがあり、ユーモラスでもあり、人間らしいものです。  人のアラが目についても、このような見方で、微笑みをもって包容すれば、こちらも気が楽になります。反対に、人のアラをいちいち取り上げて気にしたり、批判したりすれば、自分自身の心も緊迫し、波立ち、イライラし、一つとしていいことはありません。「他人の批判はのんびりやる」というのは、ここのところを言ったものと思います。 共に持ちつ持たれつの関係  相手にも機会を与えること  世の中には、何がなんでも人に勝たねばならぬ、相手より上に立たねば気がすまぬ……と、いつも闘争精神を燃やしている人があります。そんな人はよく「この世は生存競争の世の中だ。強い者が生き残るのだ」という理論を吐きます。私は若いころから、この(生存競争)という言葉が何となく嫌いでしたが、仏法を知るに至って、理念の上でもハッキリとその誤りもわかり、機会あるごとに、その思想を排撃することにしています。  地球上の動植物の生態を見ますと、確かに生存のための競争があるように見えます。しかし、それは大自然のホンの表面をなでたような見方です。つまり、それぞれの生物の個体の生死の問題を見ているに過ぎないのであって、もっと高い観点から見れば、万物の生死が大きなサイクル(循環)を形成し、永遠のいのちとして、つながっていることが見えてくるはずです。つまり、諸行は無常でありながら、その奥にある宇宙のいのちは永遠なのです。  大宇宙には何千億兆とも知れぬ天体が虚空に浮かび整々たる運行を続けているわけですが、それは決して競争しているのではなく、万有引力による持ちつ持たれつの関係を保っているのです。仏法から言えば、(諸法無我の理による大調和)それが宇宙の姿なのです。 宇宙の実相に即して生きる  アメリカの哲人エマーソンは、「人間は大宇宙の一片である」と言いました。二千五百年前のお釈迦さまはもっと深く「すべての人間は久遠実成の本仏(宇宙の大生命)の分身である」と見通されたのです。人間が大宇宙の一片であり、宇宙の大生命の分身であるからには、(大調和による共存)という宇宙の実相に即して生きるのが、正しい生き方であることに間違いはありません。ですから、そのように生きることによって、心の安らぎも、社会の平和も生まれるのです。それをこそ涅槃寂静というのです。  話がつい理論的になってしまいましたが、あなた個人を中心とする小さな社会でも、その理論はそのまま働くのです。目に見える結果として実現するのです。まずあなた自身が、いたずらに他と競争し、他に勝つことばかりを考えずに、相手にもチャンスを与えて力を伸ばしてあげ、しあわせになってもらうよう心がけて欲しいのです。そうすれば、第一にあなた自身の心に安らぎが生じます。  しかも、相手も以心伝心であなたの思いやりに感謝し、協力するようになりましょう。そうした協調の輪がだんだん広がることによって、この世は確実に平和になっていくのであります。(つづく)  ガンダーラ仏  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる11

楽しく人生を送るために

1 ... 心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(11)  立正佼成会会長 庭野日敬 楽しく人生を送るために 人間の値打ちに差はない  自分を(役立てる)こと  現在のような競争の激しい社会においては、自分が取り残されているような、落ちこぼれているような感じを心の底に抱く人がたくさんあります。そういう劣等感は、働く意欲を減退させ、生活にも張りを失わせ、鬱(うつ)々として楽しまぬ一生を送らせる素因となります。また、(心身一如)の理によって、健康を損ねる恐れもあります。  この世は千差万別の現象によって成り立っています。人間の世界も同じです。それぞれの人が違った体力・頭脳・性格・才能等々をもっています。いわゆる持ち前があります。その持ち前をフルに発揮しさえすれば、地位がどうあろうと、職業がどうあろうと、人間としての値打ちに差はないのです。それなのに、今のような民主主義の時代になっても、まだ頭のどこかに職業や地位によって人間の貴賎が分かれるような観念をもった人が多く、それが劣等感を生むのです。  バイオリンの名手も、その陰によいバイオリンを作る工人がいてこそ、華やかな演奏活動ができるのです。名もない絵の具作りの職人がおればこそ、ルノアールもマチスも数々の傑作を生み出すことができたのです。どんな大会社でも、社長や重役ばかりで平社員や工員が一人もいなかったら、手も足も出ないでしょう。それぞれの人が、それぞれの分(ぶん)に応じて全力を尽くすならば、名バイオリニストもバイオリン作りも、大画家も絵の具職人も、社長も平社員も、まったく同格なのです。下積みだからといって、決して卑下することはありません。 人さまのために自分を役立てる  タイヤの世界的メーカーであるブリヂストンの石橋正二郎氏は、もとは小さな足袋屋さんだったのです。むかしは、足袋屋は足もとに関する商売としてあまり尊敬されていませんでした。石橋氏はもちろんそんなことにはお構いなく、真心をこめてお客さんの便利を図り、二十銭均一の足袋を売り出して喜ばれたりしましたが、その熱心さはついに地下足袋の考案として結実したのです。現在も用いられている、甲との間に継ぎ目のないゴム底の、軽くて、足を傷めぬあの地下足袋です。これの出現が日本中の労働者の働きをどれぐらい助けたか、どれぐらいその安全を守ったか、じつに計り知れないものがあります。わたしはタイヤ王としての現在よりも、地下足袋の発売が果たした業績のほうを大きくたたえたいのです。  人間はもともと平等です。本質的には等しく宇宙の大生命の分身です。等しい仏性の持ち主です。したがって、人間の値打ちというものは、煩悩に覆(おお)われがちなその仏性をどれだけ磨き出しているか……というその度合いによって決まるのです。  ですから、どんなことでもいい、人のため世のために精いっぱい(自分を役立てる)ことに努めることです。そうすればするほど、自分の仏性が磨き出されてくるからです。 働く時は仕事に精根を打ち込め  レクリエーションを予定すること  これは、特に勧めなくても、今の人は予定しすぎるくらいでしょう。しかし、一つ大切なことが忘れられているのではないか、と心配です。  それは、レクリエーションの楽しみを胸に描きながらも、働く時は仕事に精根を打ち込むということです。それによって仕事の成果も上がり、したがってレクリエーションの時間も、心おきなく楽しめるのです。私の生まれた村はたいへん祭りの多い所でしたが、それが楽しみで、祭りから祭りの間はじつによく働き、近在の村のうちではいちばん豊かでした。この事実は、百万言より貴重だと思います。  仕事をする時、それに最善を尽くしていないと、遊ぶとき心から楽しめません。なんとなく胸の奥にわだかまる影があります。  そうしますと、せっかくの遊びがレクリエーションでなくなります。レクリエーション(recreation)の原意は(再び創造する)ということで、仕事で疲労した心身を娯楽やスポーツによってイキイキとよみがえらせることを言うのです。  ですから、せっかくのレクリエーションが(再創造)にならなければ、こんど仕事にかかった時も、百パーセントの力が出せません。  そうすると、仕事の成績も上がらず職場がおもしろくなくなり、それが家庭の空気にも影響を及ぼし、こういった悪循環は恐ろしい結果を招きます。ギャンブルに凝って人生を台無しにするなど、こういったケースの典型です。  (レクリエーションを予定する)、それはあくまでも張り切って働くためのものであり、レクリエーションそのものも自分の本業を立派に遂行するためのものであることを忘れてはなりません。 (つづく)  仏陀座像部分マトウラー  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる12

心が変わればからだも変わる

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(12)  立正佼成会会長 庭野日敬 心が変わればからだも変わる 信仰で病気が治る六つの因  立正佼成会に入会して信仰するようになってから、医者も見放したような難病が治ったという例は、数え切れないほどあります。副会長だった長沼妙佼先生なども、その好例と言えましょう。ましてや、それほど重病でもない慢性病が治ったとか、病弱だったからだが見違えるように元気になったというケースは、おそらく数万、数十万例に達するだろうと思われます。  なぜ治ったか、なぜ健康になったか、という原因は、いろいろな要素がからまっていると思われますので、にわかに断定はできません。いろいろな要素というのは、第一に、先祖の供養を朝晩真剣に執り行うことによって、その諸精霊が安らぎを得る、その結果が供養する人にはねかえってくるということがまず考えられる、ということ。第二に、諸仏・諸善薩、諸天善神のご加護を受けるようになった、ということ。また本会では、病気の方に対しては、班・組・支部などで祈願供養を行いますが、そのような(集合した愛の念波)は非常に強力な力をもっていますので、その祈願が通じた、ということ。さらには、信仰によって本人の心が変わったために、(心身一如)の理によってからだも変わったということ。そして、信仰活動によってからだも積極的に動かすようになり、それが好影響を与えた、ということ。あるいはまた、姿勢を正してご供養することによって、それが腹式呼吸、数息観に自ら適っていること。 奇跡のようでも奇跡でない  これらの原因のうち、前の三つには神秘的な要素がたぶんにあります。これについては、あとでゆっくりと考究することにしましょう。あとの三つの原因はだれしもすぐ納得のいくものですが、それにしても、信仰者の場合は、それが突然に出現することが多いために、(奇跡)と受け取られる場合がよくあります。  例えば、こういう実例があります。前の世田谷教会長の豊田恵三郎さんが、直接、私に話されたことですが、一昨年(五十二年)のお会式で私が説法させて頂いた時のことです。豊田さんは、何かお悟りを頂戴してずっと足を痛めて、歩くのも苦しかったのだそうです。ところが、私の説法を聞いていた一人のお年寄りが、大聖堂のホールのいちばん前の床にタオルか何か一枚敷いて座り、懸命に合掌しておられる姿を見て、豊田さんは「ありがたい。これが佼成会の信者さんなんだ」と感激されたのだそうです。すると、そのとたんに足が治ってしまい、連れてきた子供さんを何気なく抱き上げたら、少しも痛くないのに気がついた、というのです。そして、楽々と歩いて帰られたのです。  この実例など、奇跡と言えるかもしれませんが、私はやはり(心が変わればからだも変わる)の理に基づくものだと信じます。豊田さんは「何かお悟りを頂戴して……」と語っておられましたが、それはつまり、何か心の中に引っ掛かりというか、しこりというか、執着というか、そうした異常があり、それが足の痛みを起こしていたものと推定されます。  心の異常は筋肉や神経にも微妙な影響を及ぼすもので、前に紹介した池見博士の著『心療内科』にもそうした症例がたくさん語られています。例えば、斜頸と言って首が一方に曲がっている異常がありますが、先天的なものは別として、博士が精神療法で治されたものは、恋愛の破綻、職場での対人関係のもつれ、強制された転任、同僚が先に昇進したことへの不満などによって誘発された肩、頸の凝りに端を発し、それが続くうちに頸が動かしにくくなってしまったもの……と記されています。  また、中学時代は首席だった女の子が町でいちばんの進学校である高校に入り、急に負担が重くなって、心身を緩める暇がなくなったら、中学時代からあったジンマシンと膝の関節の痛みが連日起こり、とうとう休学してしまったという症例もあります。ジンマシンは暗示療法で治ったのですが、それだけでは本当の解決にはならないので、両親とも相談の上、進学コースでない楽なコースに変えさせたら、膝関節の痛みも起こらず、再び元気に通学するようになった……とのことです。 心の全体を正常化すれば…  豊田さんの足の痛みの原因は知る由もありませんが、やはり根源的には心にあったものと思われます。ところが、さすがに修行を積んだ方だけあって、一人のお年寄りの信仰の姿を見て、「ああ、ありがたい」という一念を起こされた瞬間に全く無私の、純粋の、仏さまのみ心にそのまま通ずる正常の心になってしまわれた。もちろん足の痛みの原因となっていた心のしこりなども、瞬間に雲散霧消してしまった……こう考えるよりほかはありません。信仰によって病気が治ったという実例には、このように、心の全体が純化され、正常化されたために、個々の原因と結集の結びつきがハッキリつかめないままに治る場合が多く、本当は判然とした因果関係があるのですが、それが私たちの目には見えないために、そこで(奇跡)と言われるケースも多々あると思います。(つづく)  婦女形 法隆寺五重塔塑像  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる13

信仰活動の真の功徳

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(13)  立正佼成会会長 庭野日敬 信仰活動の真の功徳 病人にお導きを勧めるのは  信仰によって病気が治る原因の第五に、「信仰活動をすることによって、からだも積極的に動かすようになり、それが好影響を与える」ということを挙げました。病気がちの人は、ともすれば自分の病気に甘えて、必要以上に安静にしていたがります。そういう態度には二つの逆効果がつきまといます。第一は、生きている限り、なるべくからだを動かさなければ、からだ全体の活力と機能は低下する一方です。したがって、病気そのものもなかなか治りません。病気を治す最も大きな力は、からだ全体に具わっている自然治癒力なのですから。第二に、そうした甘えは「わたしは病気なのだ」という暗示をいつも自分自身に与えていることになり、そのためいよいよ病気から離れられなくなるのです。ですから、何らかの方法で病気を忘れることが必要だということになります。  宇都宮教会所属の栗原亘江さんは、一度手術した子宮ガンが再発し、がんセンター入りを勧告され、生命もあまり長くないと覚悟していました。所属支部の支部長の麦倉己予野さんは、栗原さんが気性が強く、夫の徳訓さんにいつも不満を抱いているのを知って、まず、夫の言葉を無条件に聞くように命じました。と同時に、お導きをするように指導しました。 もう一人の強い自分がいた  栗原さんは、この二つのアドバイスを懸命に守り、お導きも多い時は一ヵ月に六人もしたそうです。と同時に、これは自発的ですが、朝九時から行われる支部のご供養に一年間無遅刻・無欠席を続けようと決意し、見事にそれをやりとげました。  現在、ガンの再発を宣告されてから二年半になりますが、患部に何の異常もなく、元気に暮らしておられます。そして、助かるまでの修行の日々を振り返って「毎日毎日が、道場へ一分も遅れまいとする緊張感と、生きている間に家族はもとより、他人のために尽くしておきたいという気持だけでいっぱいでした」と語っておられます。また、「修行を続けているうちに、自分の中にもう一人、強い自分が生まれてくるような心境でした」とも述懐しておられます。これは、信仰というものの神髄を物語る貴重な内的体験であると思います。なお、ちょっと付け加えますと、現在でも時に夫に反発することがあると、すぐに子宮に激痛を覚え、サンゲをするとたちまちよくなるということでした。これまた、大いに考えさせられる事実です。  子宮ガンと言えば思い出すのは、今の唐津教会長の中村倭子さんと、福岡教会でお導きの名人と言われる(一ヵ月に二百人も導かれたことがあるという)橋本佳子さんとの因縁です。橋本さんは婦人科の病院に看護婦として勤務中、自分も重症の子宮ガンにかかり、死を覚悟していたのだそうです。患者さんの一人にやはり手遅れの子宮ガンの人があり、いつも「死にたくない、死にたくない」とシクシク泣いているので、「この本を読んでごらんなさい」と雑誌『佼成』を差し上げたところ、それがキッカケでこの患者さんが入会されました。  入会するやたちまち熱心な実践者となり、病院に通うバスの中で同病の人を片端から導いたのです。そうしているうちに、いつしか自分の病気がすっかり治ってしまったのでした。それを見てびっくりしたのは看護婦の橋本さんです。会員としては先輩でありながら、それほど熱心でなかった橋本さんは、遅ればせながら信仰活動に身を入れるようになりました。そして、たくさんの人を導いているうちに、ご自分の病気も治ってしまったのでした。この患者さんこそ、今の唐津教会長の中村さんにほかなりません。 仮の自己と本来の自己  こう見てきますと、自己を投げうって信仰活動をすることが、本当の自己を育てるのにどんなに大切であるかがよくわかってくるはずです。自己には仮の自己と、本当の自己があります。鈴木大拙博士はこのことを「自己の中にもう一人の自己がある」と表現され「初めの自己は変化する自己で、意識的自己という。あとの自己は変化するものを自覚する自己で、本来の自己という」と説明しておられます。ちょっと難しい論理のようですが、さきほどの栗原亘江さんの「自分の中にもう一人、強い自分が生まれてくるような心境でした」という素朴な述懐をよくよくかみしめてみれば、おのずからうなずけるはずです。  信仰とはつまり、仮の(現象上だけの)自己を捨てることによって、本来の(宇宙のいのちそのものの)自己を浮かび上がらせることにほかならないわけであります。と言えば、高徳の僧などでなくてはできない難しいことのように見えますが、そうではありません。在家の普通の信仰者でもやすやすとできるのです。すなわち、利他行を実践しさえすればいいのです。いま挙げた実例が、そのことを証明しているではありませんか。 (つづく)  魔衆の頭部(ハッダ)  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる14

心が変われば容貌も変わる

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(14)  立正佼成会会長 庭野日敬 心が変われば容貌も変わる 自分の顔に責任をもて  心が変わればからだも変わるのなら、からだの一部であり、心の窓である顔が変わらないはずはありません。絶対に変わるのです。  テレビの普及のおかげで、世の中のさまざまな人の顔を、まるで面と向かって対座しているように見ることができますが、学者には学者らしい顔があり、教師には教師らしい顔があり、お医者さんにはお医者さんらしい顔があることが如実にわかります。これは、永年の職業が独特の顔つきをつくり上げたのです。  お相撲さんの社会は、十五、六歳のころから部屋に弟子入りし、親方と一緒に生活しながら訓練されるのが普通ですが、そうして育った力士は、顔つきやからだの所作が、どことなく総帥の親方に似てくるものです。春日野型とか、時津風型とか。また、むかしは、大家(たいけ)の女中さんは少女のころから奉公に来てお嫁に行くまで勤めたものですが、そうして永年一つの家にいますと、顔つきがどことなくその家の奥さんに似てきたものでした。不思議なものです。  リンカーンの「自分の顔に責任を」という言葉は有名ですが、それにはこういういきさつがあるのです。リンカーンが大統領になったとき一人の友人が、「よく切れる男がいる、側近に使ってくれないか」と頼んできました。面会してみてリンカーンは採用を断りました。友人が「どこがよくなかったのかね」と尋ねると、「顔つきが気に入らなかった」との答え。「顔つきで決めるなんて……」と抗議すると、リンカーンは毅然として「人間、四十になれば、自分の顔に責任をもたねばならないんだよ」と言ったというのです。 愚か者でも立派な顔に  それを踏まえてか、警句の名人大宅荘一氏は、「男の顔は履歴書である」と言いました。確かにその通りです。またテレビの話をしますが、例えば国会の赤じゅうたんの上を濶歩する人たちの中にも、いかにも品のない顔がずいぶんありますね。反対に、農村の篤農家や隠れた郷土史家などに実に立派な顔の人を見受けます。本当に「顔は心の窓」であると思います。  仏典にもいろいろな例が出てきます。例えば、自分の名前さえ覚えられないバカ者であった周陀(シュリハンドク)が、お釈迦さまのお言いつけ通り祇園精舎の掃除をしながら「塵を払わん、垢を除かん」という一偈をセッセと覚えようとしているうちに、いつしかスガスガしい一つの三昧の境地に達しました。長い間会わなかった兄の離婆多(りはた)がある日訪ねていくと、弟の顔つきが打って変わって尊げに見えました。兄は思わず「お前、悟ったな」と叫んだそうです。まったく手に負えなかったバカ者でも、こういう変化を遂げるのです。  仏教の理想は、心身ともに仏さまのようになることです。そのために、仏さまのお顔やお姿の尊さを「三十二相・八十種好」などと、くわしく挙げて賛嘆しているのです。お釈迦さまが衆生を教化なさる念願も、法華経の如来寿量品の偈にありますように、「毎(つね)に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと」ということです。仏心だけでは不十分なのです。仏身を成就して、初めて人間の理想が達成されるのです。 仏心があれば仏相が出る  私が尊敬し親しくさせて頂いている清水寺の大西良慶老師が、『大法輪(五四・七)』の『坐禅和讃講話』の中にこんなことをお話ししていらっしゃいました。「別にお母さんのお腹から出る時に華族で出てくる……そんなことあらへん。やっぱりあたりまえの人間で出てくる。けれども心の中に五摂家(藤原氏の中の近衛・九条・二条・一条・鷹司の五家)やったら五摂家、関白さん、大名やったら殿さまの子や。あんたも大きくなったら何万石の殿さまにならんならぬのやちゅうので仕上げると、かっこう悪うても殿様の風格をもった者になってくる。そやよって、わしらみたいな者はあかん……もう貧乏人で、食うや食わずで……そんなことばっかり思うてたら、その顔見ても食うや食わずの顔になるの。食わいでもかまへんよって、食うてるような顔して、千万長者のような心構えをもって悠々としてたら、必ずそういう相に現れて出てくるに決まったる。本来仏やと思うてたら、仏の相が出てくるに決まったる」。  まことにありがたく拝読させて頂きました。お互いさま、できるだけ卑しいことや不正なことを思わず、「自分は本来仏子である、仏性の持ち主である」ということを、時に応じては思い出し、それを心に刻み込みたいものです。そうすれば顔の造作の美醜にかかわらず、必ず立派な相が滲み出てきて、人にも尊ばれ、親しまれるようになるのです。これは間違いのない真実なのです。 (つづく)  菩薩の頭部(ガンダーラ)  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる15

心が変われば人生も変わる

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(15)  立正佼成会会長 庭野日敬 心が変われば人生も変わる 見る自己と見られる自己  これまで(心が変わればからだが変わる)ことについてお話ししてきましたが、ここで少し角度を変えて、(心が変われば人生も変わる)ということと、(どうすれば心を変えることができるか)ということについて考えていってみたいと思います。  さて、前々回に(自己の中にもう一人の自己がいる)という真実について少し触れました。この(もう一人の自己)というのは、つきつめていくと、禅の公案にある(父母未生以前における本来の面目)であり、宇宙の大いなるいのちと同体の(仏性)のことであり、たいへん深遠で、にわかにとらえ難い問題となってきますので、そこへ達する入り口として、ひとまず(見られる自己と見る自己)とに分けて考えていくことにしましょう。  芭蕉の句に  馬ぼくぼく我をゑ(絵)に見る夏野哉 というのがあります。芭蕉の乗った馬がボクボクとあまり威勢のよくない音を立てながら、日盛りの夏野を歩いています。芭蕉は心の中で、ずっと離れた場所にもう一人の自分を置き、馬に揺られて旅をしている自分の姿を一幅の絵として眺めてみたのです。  どんな気分の絵として眺めたのか、それは芭蕉に聞いてみなければわからないのですけれども、ただハッキリしていることは、もう一人の芭蕉が(見る自己)となり、現実の自分を(見られる自己)としていることです。  ここでは芸術創作の一手段となっているわけですが、心のこうした働かせ方は、人生にとってもたいへん大事なものなのであります。 人間の人間たる最大の条件  虫や、魚や、鳥や、獣には、心があるとしても、自分の生命を守り、自分の欲求をいちずに遂げようとする本能的な心だけでありましょう。もちろん、人間にもそうした本能的な心は旺盛なのですが、別にもう一つの心があって、その本能的な心を客観的にみつめることができるのです。つまり、(見る自己)が別にあるということです。これが畜生と人間とを分ける最大の条件であって、これがあってこそ人間らしい人間と言えるのです。(良心)という言葉があります。(反省)ということも言われます。それらはつまり、この(見る自己)の働きにほかならないのです。  幕末から明治にかけて豪僧の名が高かった原坦山(たんざん)師は、若いころには昌平黌(江戸幕府の学校)で儒教を学んでいました。そのころ、深い仲だった女に裏切られたのに激怒し、殺そうと思ってその家に行きました。ところが女が留守だったので、帰りを待ちながらフト机の上にあった本をパラパラめくってみると、女色を戒めた文章が目に入りました。それを読んでいるうちに自分の愚かさに猛然たる悔悟の念がわき、そこを飛び出して再び女に近づくことがなかったということです。  じつに危ないところでした。そのまま推移すれば、痴情の果ての人殺しとして死罪は免れず、世の笑い者になったでしょう。  ただ一瞬に(見る自己)が目を覚まして、道を踏み外そうとしている(見られる自己)を正視したおかげで、人生が一八〇度変わってしまったのでした。 見る自己を常に働かすこと  この回心はあまりに劇的なものなので、普通の人間には縁遠い事例のように感ずる人があるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。われわれは、ともすれば何事かに溺れたり、邪まなことに興味を持ったりして、たとえ犯罪のような大それたことはしないまでも、人生の横道に逸れてしまったり、天から与えられた持ち分を伸ばすことなく一生を終わったりする危険な岐路には、日常いつも直面しているのです。したがって、常にこの(見る自己)を働かすか否かが、大小にかかわらず人生の分岐点になるのだ、と知らなければなりません。  伊達政宗は名器といわれる茶碗を愛用していましたが、ある日それを手に取って惚れぼれと眺めているうちに、フト取り落としてしまいました。幸い膝の上に落ちて無事でしたが、政宗はそれを取り上げるや突然庭の石に叩きつけてしまいました。家臣たちが驚き騒ぐのに向かって政宗は「茶碗を落とそうとした時、わたしはハッとした。武将たるものが、わずか茶碗ごときに胆を冷やすとはじつに恥ずかしいことだ。だから、その源を断ったのだ」と笑って言ったそうです。つまり政宗は、とっさに(見る自己)を働かせて、一つの分岐点を無事の道へと切り抜けていったわけです。 (つづく)  笛を吹く天子(東大寺燈籠)  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる16

よく生きるためにまず自己を知れ

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(16)  立正佼成会会長 庭野日敬 よく生きるためにまず自己を知れ 仏教は自己を知れとの教え  第十三回に(仮の自己と本来の自己)ということを書きました。第十五回には、(見る自己と見られる自己)について書きました。なぜこのようにしつこく(自己)というものを追求していくかと言いますと、自己を知ることこそ、人生を決定する一大事であるからです。ほんとうに自己を知ることができれば、生きるべき方向もおのずからわかり、ほんとうの生きがいも味わうことができ、したがって、ほんとうの幸福も得られるからであります。  お釈迦さまがバラナシから六十人の弟子たちを伝道に送り出し、ご自分もお一人で王舎城への旅に出られてから間もなく、ある森の中で休んでおられますと、大勢の若者たちがドヤドヤやってきて、「若い女をお見かけになりませんでしたか」と尋ねました。事情をお聞きになりますと、三十人の若者たちが妻を連れて森に遊びに来たのですが、その中の一人は未婚だったので遊女を連れて来ていたところ、遊びに夢中になっているうちに、その遊女が彼らの財物を盗んで逃げてしまったというのです。  それを聞かれたお釈迦さまは、「若者たちよ。その女を探し求めることと、自己を探し求めることと、どちらが大事だと思うか」とお聞きになりました。若者たちはしばらく呆気にとられていましたが、やがて「自己を探し求めることのほうが大事だと思います」と答えました。お釈迦さまは「では、そこに座りなさい」とおおせられ、じゅんじゅんと法を説いて聞かせられました。みんなはたちまち信伏して、弟子入りをお願いしたのでありました。 理論的に考えてもわからぬ  この(南伝・律蔵大品)の記述から見ましても、仏教においてはその初期から(自己を知る)ことを、大切な眼目としていることがわかります。  後世に興った禅宗においても、このことを修行の最大の眼目としており、「父母未生以前における本来の面目如何」という公案がその中心となっています。「父や母もまだ生まれない前の自己の本来の姿(本質)とは何か」というのですから、雲をつかむような話です。夏目漱石の(門)という小説に、主人公の宗助が鎌倉の円覚寺に参禅し、この公案を授けられ、十日間坐禅しながら考えたが、ついにわからぬまま退散したことが書かれています。漱石自身の体験にもとづいたものであることは明らかですが、あの大文豪の、万人にすぐれた頭脳を以てしてもつかみえなかったのですから、これを理論的に考えていったら、だれしもわかりはしないのです。  禅の高僧伝などを読みますと、たとえば庭掃除をしていて箒に飛ばされた小石が竹に当たってカチンと音を立てた、それを聞いたとたんに悟った……などとあり、われわれ普通の生活者にとってはチンプンカンプンです。なぜわかり難いかといえば、このような場合の(本来の面目)とか(本来の自己)とは、宇宙の大生命と同体のギリギリの自己であるからです。そんな深遠な境地は、禅のお坊さんでも、何年何十年と坐禅を続け、修行が熟しきったとき、ある日、豁(かつ)然と悟るのであって、漱石が十日間で悟れなかったのは無理もないのです。 現象に現れた所をつかめ  そこで、われわれ普通の生活者は、そのギリギリの本来の自己については、お釈迦さまの教えをそのままに「自分の本体は仏性なのだ」と素直に信じているだけで、いちおうは十分なのです。そしてもっと普通の意味の、二次的な意味の(自己を知る)ことを、まず考えなければなりません。  (本来の面目)とか(本来の自己)とかは、目にも見えず手にもとらえられない、われわれの本質です。ところが、本質がある以上は、何かの現象として現れないことはないはずです。現れなければ、本来の面目であろうが、本来の自己であろうが、絵に描いた餅と同様で何の価値もありません。  空中にいくら電波が飛び交っていても、ラジオやテレビの受信機でそれをとらえなければ、有って無きに等しいのと同様です。ですから、われわれ普通人は、本質が自分の心身に現象として現れた、そのところをつかまねばならないのです。  たとえば、自分は学問が好きだ、自分は手仕事が得意だ、自分は汗を流して働くのが性に合っている等々、各人各様の性向や才能があります。それも自分の本質の現れにほかならないのですから、さきに述べた(見る自己)を働かせて、それをしっかりとつかむことが(自己を知る)ことであり、よい人生を生きる第一条件なのです。  わかりきったことのようですけれども、案外多くの人が、金銭収入の多寡とか、体面とか名声とかいった外的な条件に心をくらまされて、このわかりきったことから外れて生きようとするために、自らを不幸に陥れているのです。まず自己を知れ……というのは、このように実人生にピッタリ密着した教えなのです。 (つづく)  月光菩薩(東大寺)  絵 増谷直樹...

心が変われば世界が変わる17

劣等感を解消するには(1)

1 ...心が変われば世界が変わる  ―一念三千の現代的展開―(17)  立正佼成会会長 庭野日敬 劣等感を解消するには(1) 高い所から自分を眺める  自分自身に劣等感をもちながら、スッキリしない気持で日々を暮らしている人が世の中には多いようです。せっかくの一生を、そんなジメジメした、不透明な心理状態で送るなんて、これほど不幸なことはないと思います。自分自身が不幸であるばかりでなく、そういう気持は周囲の人々にも反映して、なんとなく暗いイヤな印象を与えます。当然の成り行きとして、他人にも好意をもたれず、それがまた劣等感に輪をかけるという悪循環を繰り返すのです。  ここで断っておきたいのは、一時的な自己嫌悪と劣等感とは違うということです。われわれはある物事に失敗したり、つまらぬ言動をしたり、ふと醜い心を起こしたりしたとき、つくづく自分がイヤになることがあります。そういう一時的な自己嫌悪は、健全な精神のはたらきであり、それがあればこそ、人間は人格的にも成長し、生活的にも進歩するのです。それに対して、劣等感というのは何か決定的な様相をもって、いつも心につきまとっている卑屈な感じをいうのです。これがよくないのです。  さて、そのような劣等感を解消するにはどうすればよいか。ここでも、前に述べた(見る自己)をはたらかせればよいのです。この場合(見る自己)をどこに置けばよいかといえば、できるだけ高い所に置くのです。最初の宇宙飛行士が「地球は青い球だった」と言っています。その青い球の上にいる三十数億の人間は、もちろん見えなかったわけですけれども、仮に見えたとしたら、みんな同じような粒々だったでしょう。それほど高く上がらなくても、町外れの山の上から、あるいは四十何階建てのビルの屋上から、地上にいる自分を含めた人間全体を眺めてみるといいのです。そこから見下ろすと美人も不美人も同じです。頭のいい人も悪い人も同じです。大金持ちも貧乏人も同じです。つまり、自分もみんなと同じなのです。このことがハッキリわかれば、劣等感など飛んでいってしまうでしょう。 ものの見方に深浅五眼あり  これは決してゴマカシの見方ではありません。仏さまが衆生を見られる眼をお借りした、正しいものの見方です。仏教では、物事を見る眼に五つの種類があるとしており、これを五眼(げん)といいます。  第一は(肉眼(にくげん))です。現象に現れたものしか見ることができず、それもごく一部しか見ることのできない、視野の狭い、皮相な、近視眼的なものの見方です。  第二は(天眼(てんげん))です。肉眼では見ることのできぬ物事を見通し、見分ける能力で、昔、虫めがねのことを天眼鏡と呼んだのも、ここから出た言葉です。二十世紀の現実に即していえば、鉄も、石も、人間の身体も、目に見えぬ素粒子の集まりと知る……といったていの科学的なものの見方と考えてもいいでしょう。また、事物の表面だけでなく、その奥に隠された真相を見通す眼力と解釈してもいいでしょう。  第三は(慧眼(えげん))といって、天眼よりもさらに深く、宇宙のすべての物事の実相を明らかに見分け、それらをつらぬく理法をも手に取るように知る力です。仏教学上では(諸法の空を知る眼力)だとされています。  第四は(法眼(ほうげん))といってやはり物事の奥底を洞察する眼ではありますが、天眼が科学的な見方であり、慧眼が哲学的な見方であるのに対して、これは芸術的な見方だといえます。芭蕉の「静かさや岩にしみ入る蝉の声」の句のように、自然の生命に直入し、普通の人では感じられぬ真実を魂で感じ取る力です。この句に即していえば、芭蕉自身も蝉の声と共に岩にしみ入っているのです。  最後が(仏眼(ぶつげん))で、これこそが最高のものの見方です。肉眼・天眼・慧眼・法眼を兼ね具(そな)えていながら、すべての物事の底にあるいのちを等(ひと)し並(な)みに見、それらを等し並みに生かしてやりたいという大慈悲をたたえて見るのです。仏さまはこういう眼で一切衆生を見られるのです。つまり、宗教的なものの見方です。 肉眼に惑わされぬことこそ  さて、高い所に(見る自己)を置いて、多くの人の中の自分を眺めてみるというのは、現象にとらわれた(肉眼)から離れて、すべての存在を等し並みに見る(仏眼)に近づく方便にほかならないのです。人間それぞれ、現象の上では美醜あり、賢愚あり、強弱があるように見えますが、その底にある本質は等しく宇宙の大生命から分け与えられた純粋の生命(仏性)です。肉眼に惑わされることなく、この真実を見ることができれば、劣等感などはいっぺんに雲散霧消してしまうのであります。(つづく)  楽人、飛天(薬師寺東塔、水煙部分)  絵 増谷直樹...