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人間釈尊(6)
立正佼成会会長 庭野日敬

学習が出家の遠因の一つに

文字を習われたけれど

 シッダールタ太子は少・青年時にどんな勉強をなさったのでしょうか。さまざまな仏伝が述べていることには大きな差異がありますが、次のような説が事実に近いと思われます。
 太子は七歳のときからヴィシヴァーミトラという師について文字を習われました。といえば当時のバラモン教の重要経典を学ぶためと思われがちですが、そうではなく、将来、国王となった場合、外交文書その他の書類を読んだり作成したりするのに必要だったからでした。なぜならば、古来インドでは宗教の教えを文字に表すのはその神聖さを汚すものと考えられていたからです。修行者たちは説法を耳で聞いてそれをことごとく暗記し、人に伝えるにも口による説法をもってしたのでした。その習慣は、のちに太子が仏陀となられてからもそのまま生きており、仏陀が書かれた文字が一字も残っていないのはそのせいなのであります。
 渡辺照宏博士によりますと、十九世紀になってからも、ヨーロッパの学者がバラモン教の重要経典であるヴェーダを活字本として出版したとき、インドの保守的バラモン階級の人たちが激しく反対したそうです。
 尊い法は暗記すべきであるというこの習慣を知ることは、仏教の伝弘(でんぐ)を学ぶうえに重大なポイントになると思います。
 第一に、偈(げ)の重要性ということです。現在のわれわれの経験でも、散文より韻文(詩・歌)のほうが覚えやすいように、教えを一言一句間違いなく記憶させるためには偈(詩)として説かれる場合が多かったのです。法華経でも長行(じょうごう=散文形)の後に同じ内容を偈で説かれたのは、そういった大事な意味があるわけですから、たんなる繰り返しのように考えておろそかにしてはならないのです。
 第二に、仏滅後四、五百年後に編集された法華経には、逆に、(書写)ということを大事な行として強調してあることです。つまり、世の進歩と共に文書布教ということが不可欠になったからでありましょう。その点からみても、法華経は進歩的なお経だったわけです。

父王の青写真も空に帰した

 文字と共に算数をも学ばれました。当時、カピラバストにアルジュナという数学の大家がいて、その師について勉強されました。この算数の教育も将来の実用を考えての父王のさしがねだったようです。国王は財政面の歳出・歳入(とくに税の取り立て)などについて数学の知識が必要だったからです。
 太子は文字の勉強についてもそうでしたが、算数においても成績は抜群で、ついには師のアルジュナも及ばぬほど数学の奥深いところにまで到達されたといいます。のちに説かれた仏法に、極微から極大までの数を現代の科学者がびっくりするほどに駆使されたことからみても、その天才ぶりがうかがえます。
 また、国王として必要な戦略・戦術の心得をはじめ、天文・祭祀・占い・古典・呪術などについても教育を受けられたといいます。このうち、戦争の仕方についての学習に太子がどんな気持ちで臨まれたかは疑問の残るところです。幼年期から争いを好まず、弱肉強食の世界をうとましく感じておられた太子ですから、おそらく気乗りがしなかったばかりでなく、そのような学習が出家の遠因の一つになったのではないかとも推測されます。
 いずれにしても、父王の望まれた実用的な教育の路線は、ことごとく意外な結果に終わってしまったのでした。このことについて、われわれ現代人も、よほど反省しなければならないと思います。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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