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49
...一つの体験 一 昭和十一年に小谷先生が講演されたとき、この年は見宝塔品の年だというようなことをいわれたのだろうと思うのですが、本部からもその話が出されました。法華経の見宝塔品では、お釈迦さまがお説きになった教えが真実であることを、多宝如来が証明されています。すなわち、久保角太郎先生は、仏さまの分身として世に現われているのですから、…
50
...宿世の出会い 一 私がいちばん最初に導いたかたが、のちにこの立正佼成会の副会長になりました、長沼妙佼先生です。そのころ、妙佼先生は四十七歳か八歳であったと思うのですが、子宮内膜炎で出血が二か月もつづいてからだが衰弱しているところに加えて、心臓弁膜症があり、胃下垂があるというありさまで、とにかく、内臓も一ところもいいところがない。お医者さんも、…
51
...長沼妙佼という人 一 妙佼先生は、本名長沼政、埼玉県北埼玉郡志多見村の旧家に生まれた人である。お父さんは長沼浅次郎といい、政さんはその六女だった。 祖先は、武蔵国忍城の城主成田氏長の譜代侍として、百二十石を取っていた長沼助六郎で、忍城の落城後、志多見村に土着したものである。 その助六郎から十三代目までは、なんとか旧家の格式を保っていたが、…
52
...目をみはる精進 一 医者に見放された病気が、信仰に入ってわずか六日間で全快し、七日目にはもうお礼参りに出かけるというたいへんなスピードでご功徳をちょうだいした妙佼先生は、生まれながらに施しの好きなかたでした。それにまた、お姉さんの導きで天理教の教えの影響を受けていたことも、施しが好きなことにつながりがあると思うのですが、そういう妙佼先生でしたから…
53
...独立の契機 一 そのころ、霊友会の本部は赤坂にあり、ふつうのしもたやの二階のわずか十畳二間が本部であった。会員の数が急速に伸びつつあったので、飯倉一丁目に百畳敷きの建物を新築することになり、その建設が始まった。 私は朝の配達をすませると、中野から自転車で飯倉までかけつけ、土方の勤労奉仕をし、夕方に帰ってまた牛乳を配り、…
54
...独立の準備 一 全国支部長会議のあくる日、牛乳配達の帰りに妙佼先生のところに寄って、「私は最後まで聞いてきたんだが、あれじゃほんとうの法華経は学べないよ」と話したのです。妙佼先生と一緒に、新井先生に相談するために、配達用の車を家に納めて朝食をすませたあと、先生の家へ出かけました。そして、「先生を中心にして新しい会を立てましょう」と献言したのです…
55
...独立──法華経を護持するものとして 一 一 私にとっては大恩ある霊友会である。感情的にも去りがたいものがあり、道義的にも心にとがめるものをおぼえていた。しかし、『法華経』の偉大さに思い及べば、そうした恋々たる気持ちにとらわれていてはならないと思った。 ふたたび長沼さんと相談し、いよいよ新しい会をつくることに決心した。年は若いし、…
1
...真実顕現の宣言 一 真実顕現といっても、特別なことではありません。今まで“理屈を言うな”の一点ばりで「行」さえやっていればいいという行き方できたものを、その「行」の内容を具体化して、大勢の人々を教化していくうえでの指導理念を、教義的にもはっきりとしたものとして知らしめていくことに、ほかならないのです。このことによって、すべてのことにおいて、…
2
...久遠本仏の勧請 一 創立当時の立正佼成会は、神さまの啓示を中心にして、教化を推し進めてまいりました。所依の経典は法華経でありますけれども、われわれの修行の足りない点を、神さまのご降臨というかたちでご指導いただき、そのご指導によって本尊も決めてきたわけであります。そのような神さまの啓示、神さまのご指導に私どもは純真そのものの気持ちで接し、…
3
...教学研修の開始 一 本会創立当初よりこのかた、会員が実行してきたことは菩薩行そのものであって、それなればこそ枚挙に暇のないほどすばらしい結果現証が出てきたわけですが、その現証のみをもって、「ご法は有り難い」と言いながら歩きましても、その尊い仏法とは果たしてどういうものであるかということを、みずからが知らずして信仰している、つまり“…
4
...『法華経の新しい解釈』『新釈法華三部経』の発刊 一 仏教の教えは、たいへん難しいもののように思われています。その大きな原因の一つは、仏教の経典がいかにもとっつきにくい外見をしているからだと思います。それも無理はありません。二千年以上も前に、インドの言葉で書かれたものが、昔の中国の言葉である漢文に訳され、…
5
...大聖堂の建設 一 満八年の永い年月、みんなで苦労しながらコツコツ造ってきました大聖堂も、ついに完成の日を迎えることができました。去る三月四日(注・昭和39年)の入仏式が終わったあと、独り七階の一隅にたたずんで尊厳の気満ちる大殿堂を見渡しながら、無量の思いに胸の迫るのを覚えざるをえませんでした。 よくぞ皆さん、ここまで私に協力してくださいました。…
6
...第二バチカン公会議への出席 一 私は若いころから、あらゆる宗教は手を握り合って進まねばならないという信念を持っており、とくに立正佼成会を創立してからは二十七年間、常にそれを念願し主張し、実践し続けてきました。 ところが、こんどバチカン公会議に異例の招待を受けて出席し、教皇にお目にかかっていろいろと話し合った結果、ますますその信念を強め、…
7
...政治浄化 一 人間の心を正しく、明るく、豊かにする〈宗教〉と、人間の現実生活を正しく、明るく、豊かにする〈政治〉とは車の両輪であって、どちらを欠いても社会はアンバランスな状態に陥るのです。 これは、一家の中にたとえて考えれば、よくわかることと思います。父はよく働いて豊かな収入を得、母はじょうずに家事の切り盛りをして、…
8
...明るい社会づくり運動の推進 一 自分の住む社会がほんとうに平和で明るいものであってほしい、と願わない人はありません。地球上の一切の人がこぞって、そういう願いを心の底に持っているはずです。ところが、願いというものは、ただ心の底にボンヤリと持っているだけでは、かなえられるものではないのです。ボンヤリと願うのでなく、強く願わなければなりません。それも、…
9
...普門館の建設 一 普門会館の設立ですが、これもつまるところは、国民皆信仰運動の一環にほかなりません。もちろん、第一義的には会員の皆さんのための研修の場でありますが、それと同時に日本中はもとより、広く世界の人々への布教の拠点となるものです。それも、狭い意味の布教ではなく、人間を幸福にするためのすべての宗教・学問・芸術その他の文化活動のために開放し、…
10
...世界宗教者平和会議とアジア宗教者平和会議 一 そもそも、この「世界宗教者平和会議」の構想が芽生えたのは、一昨年すなわち一九六八年一月に開かれた「平和のための日米諸宗教者京都会議」の席上であります。それまで私とは一面識もなかった外国の宗教者と語り合ううちに、世界平和に対するお互いの熱意を確認し合い、同志を見いだしたという喜びを懐いたのであります。 …
11
...普門示現の時代へ 一 創立してから、およそ二十年ぐらいの間は、病気・貧困・家庭の不和と言った現実の苦しみを、仏さまの神力をもって救ってあげることに一途でした。そして、その現実の救いを契機として、法の道に入っていただく……そういったパターンが一般でした。ですから信者のかたがたには、仏さまを、天上かどこかにおられる偉大な神力の持ち主のように、…
12
...「信」について 一 〈信〉ということですが、たいていの人がこれを信仰者だけが持つ特別な心のように思っているようです。しかし、それはちょっと違うのです。〈信〉というものはわれわれが生きていくうえに、もっと厳密に言えば、「幸せに生きていくうえに」一刻たりとも欠いてはならぬ条件なのであります。 (昭和46年01月【佼成】) …
13
...「信仰の充実」とその要諦 一 よく、信仰は悩みから出発すると申します。すると自分には悩みがないから信仰する必要がない、などと言い出す人がいますが、その人は悩みがないのではなくて、反省がないからわからないのです。私達は社会の一員なのですから、自分だけ悩みがなければいいというものではないのです。 (昭和34年12月【佼成】) 「信仰の充実」…
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