人間釈尊(22)
立正佼成会会長 庭野日敬
親子の絆の究極はここに
父子再会の結果は
シッダールタ太子が王城を捨てて出家された夜は、一子羅睺羅(ラゴラ)が生まれてから七日目でした。ヤシュダラ妃は羅睺羅に添い寝してスヤスヤ眠っておられました。太子はせめて羅睺羅を抱き上げて最後の接吻を与えようと思われましたが、妃が目を覚ましてはいけないと、心を鬼にしてそのまま城外へ出られたのでした。
太子が仏の悟りを得られてから三年(一説には五年)後、一度故郷へ帰られました。まず城外のニグローダの林に居を定め、翌朝城内に入って一軒ごとに托鉢されました。それから王宮に入り、久しぶりに浄飯王と対面し、父王を喜ばされたのでした。その折、「元の太子が町の庶民たちに食を乞うことはやめてくれないか」と言われましたが、「出家修行者の法ですから」とそれだけはキッパリ拒否されました。
七日目の朝のことです。世尊はいつものように大勢の弟子たちと共に町を托鉢しておられました。
ヤシュダラ妃は城の窓から幼い羅睺羅にその様子を見せて、
「ごらん。あの沙門たちの中で目立って立派な大沙門こそが、そなたの父上ですよ」
羅睺羅はかわいい目を見張り、
「わたしはお父さまを知りません。わたしの知っているのは老王だけです」
「いままで話したことはなかったけれど、あの大沙門が父上なんですよ。あの方の所へ行って『遺産をください』と言いなさい」
羅睺羅はチョコチョコと駈け出して行き、
「お父さま。お父さまのそばにいるとわたしはうれしい」と言って、いつまでも近くに立ち、世尊を仰ぎ見ているのでした。
世尊が食事をすませてニグローダの林へ戻ろうとされると、母君から言われたとおり、
「お父さま。遺産をください」
と言い、どこまでも後を追って行きます。やがて林に入られた世尊は舎利弗に向かって、
「舎利弗よ。羅睺羅を出家させてもらいたい。そなたが和上となって教育をよろしく頼む」
と仰せられました。そして目連が羅睺羅の髪を剃り、舎利弗が戒師となって出家の儀式をすませてしまったのです。
ヤシュダラ妃の言われた(遺産)とはどんな意味だったか、それは永遠の謎です。しかし、世尊がただちに羅睺羅を出家せしめられた理由は明白です。法による心の安らぎという不滅の財宝を与えようとの親心だったのです。
父も子も「なし終わった」
まだ五つか六つの子供が出家させられたことは、いかにも痛々しく感じられますが、それは凡慮の感傷であって、もし羅睺羅がカピラバスト国の王となっていたとしたら、後世のわれわれの精神になんらの感動も与えることなく歴史の空白へ消えてしまったことでしょう。
思えばお釈迦さまこそ父らしい父であったのです。真に子を愛する慈父であり、厳父であったのです。その真実は、ご臨終に駈けつけた羅睺羅に対する最後のお言葉にしみじみと込められています。
「羅睺羅よ。悲しみに心を乱してはならない。わたしは父としてそなたになすべきことをなし終わった。そなたは子として父のためになすべきことをなし終わった。いまわたしは涅槃(ねはん)に入るが、やはり永遠にそなたとは父と子である。少しも悲しむことはないのだよ。一切諸法は無常である。この無常を離れて解脱を求めるがよい」
父と子の絆(きずな)の究極はこのような精神性にこそあると知るべきでしょう。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
親子の絆の究極はここに
父子再会の結果は
シッダールタ太子が王城を捨てて出家された夜は、一子羅睺羅(ラゴラ)が生まれてから七日目でした。ヤシュダラ妃は羅睺羅に添い寝してスヤスヤ眠っておられました。太子はせめて羅睺羅を抱き上げて最後の接吻を与えようと思われましたが、妃が目を覚ましてはいけないと、心を鬼にしてそのまま城外へ出られたのでした。
太子が仏の悟りを得られてから三年(一説には五年)後、一度故郷へ帰られました。まず城外のニグローダの林に居を定め、翌朝城内に入って一軒ごとに托鉢されました。それから王宮に入り、久しぶりに浄飯王と対面し、父王を喜ばされたのでした。その折、「元の太子が町の庶民たちに食を乞うことはやめてくれないか」と言われましたが、「出家修行者の法ですから」とそれだけはキッパリ拒否されました。
七日目の朝のことです。世尊はいつものように大勢の弟子たちと共に町を托鉢しておられました。
ヤシュダラ妃は城の窓から幼い羅睺羅にその様子を見せて、
「ごらん。あの沙門たちの中で目立って立派な大沙門こそが、そなたの父上ですよ」
羅睺羅はかわいい目を見張り、
「わたしはお父さまを知りません。わたしの知っているのは老王だけです」
「いままで話したことはなかったけれど、あの大沙門が父上なんですよ。あの方の所へ行って『遺産をください』と言いなさい」
羅睺羅はチョコチョコと駈け出して行き、
「お父さま。お父さまのそばにいるとわたしはうれしい」と言って、いつまでも近くに立ち、世尊を仰ぎ見ているのでした。
世尊が食事をすませてニグローダの林へ戻ろうとされると、母君から言われたとおり、
「お父さま。遺産をください」
と言い、どこまでも後を追って行きます。やがて林に入られた世尊は舎利弗に向かって、
「舎利弗よ。羅睺羅を出家させてもらいたい。そなたが和上となって教育をよろしく頼む」
と仰せられました。そして目連が羅睺羅の髪を剃り、舎利弗が戒師となって出家の儀式をすませてしまったのです。
ヤシュダラ妃の言われた(遺産)とはどんな意味だったか、それは永遠の謎です。しかし、世尊がただちに羅睺羅を出家せしめられた理由は明白です。法による心の安らぎという不滅の財宝を与えようとの親心だったのです。
父も子も「なし終わった」
まだ五つか六つの子供が出家させられたことは、いかにも痛々しく感じられますが、それは凡慮の感傷であって、もし羅睺羅がカピラバスト国の王となっていたとしたら、後世のわれわれの精神になんらの感動も与えることなく歴史の空白へ消えてしまったことでしょう。
思えばお釈迦さまこそ父らしい父であったのです。真に子を愛する慈父であり、厳父であったのです。その真実は、ご臨終に駈けつけた羅睺羅に対する最後のお言葉にしみじみと込められています。
「羅睺羅よ。悲しみに心を乱してはならない。わたしは父としてそなたになすべきことをなし終わった。そなたは子として父のためになすべきことをなし終わった。いまわたしは涅槃(ねはん)に入るが、やはり永遠にそなたとは父と子である。少しも悲しむことはないのだよ。一切諸法は無常である。この無常を離れて解脱を求めるがよい」
父と子の絆(きずな)の究極はこのような精神性にこそあると知るべきでしょう。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎