人間釈尊(26)
立正佼成会会長 庭野日敬
心美しき富商たち
護弥長者家の大騒ぎは
王舎城切っての大商人護弥(ごみ)家のその日は上を下へのてんてこまいでした。
「大広間には敷物を敷いたか。米は全部洗ったか。芋はそろそろ煮たほうがいいぞ……」
主人が先頭に立って指図をしたり、あっちへ行ったり、こっちへ来たりで、はるばる舎衛城から旅して来て着いたばかりのスダッタはろくろく構ってもらえません。
スダッタは、これも巨万の富を持つ大商人で、大勢のみなし子や養い手のない老人たちへ手厚く施与しているので(給孤独長者(ぎっこどくちょうじゃ))と呼ばれている人でした。護弥家の娘を息子の嫁にもらい受けたいと、その相談に来たのですが、それを言い出すことさえできないテンヤワンヤのありさまです。
「どうしたのです。国王でも招待なさるのですか」と聞けば、
「いいえ。明日ブッダとお弟子方にお越し頂くことになっているんで……」
との答え。よく聞きただしてみると、最近ゴータマ・ブッダというお方がこの地に来られ、多くの人のために尊い法を説いておられるというのです。
「そうですか。わたしもそのお方を拝むことができましょうか」
「できますとも、明日ここへおいでになりますから……」
「いつもはどこにお住まいになっていらっしゃるのですか」
「あっちの町はずれにある寒林(墓場)においでなんですよ」
墓場で釈尊を拝した
その夜、護弥の家に泊まったスダッタは、どうしても熟睡できません。三度も目を覚ましては、ブッダとはどんなお方だろうかと想像し、早くお目にかかりたいという思いに駆られるのでした。そして、ついに堪え切れなくなって、まだ夜も明けやらぬのに屋敷を抜け出してしまったのです。
墓場といっても、そのころのインドでは、穴を掘って埋めるわけではなく、死体は地上に置いたままにしていたのです。お釈迦さまは、菩薩としての苦行中から、そうした墓場で座禅したり、瞑想したりなさいました。骸骨を寝床として眠られたこともありました。(本稿第13回参照)。おそらく「死生一如」ということを悟り切るためになさったことと思われます。
さて、スダッタが寒林にさしかかると、あたりはまだまっ暗です。林をわたる風が不気味な音を立てています。スダッタは総身の毛が逆立つような恐ろしさに襲われ、思わず引き返そうとしました。そのとき、何ともしれぬ大きな力が前へ前へと引きつけるのを覚えるのでした。勇を鼓して歩を進めて行きますと、林がすこしひらけたところを、見るからに神々しいお方がそぞろ歩きをなさっているのです。
「ああ、あのお方こそ……」と直感して近づいていくと、そのお方はこちらを振り向かれ、「よく来た。スダッタよ」と声をかけられたのです。
向こうからわが名を呼ばれたスダッタは、夢かと驚き、全身の血が喜びに沸き立つ思いでした。われ知らずおそばに駆け寄り、そのみ足に額をつけて拝しました。お釈迦さまは、「さあ、そこに座りなさい」と優しくおっしゃって、人間として大切な布施のこと、戒のこと、歩むべき正しい道などをお説きになりました。スダッタがどんなに感激したか、想像に余りあります。
これが、後に祇園精舎を寄進したスダッタとお釈迦さまの尊い出会いだったのです。
それにしても、護弥長者といい、給孤独長者といい、ほんとうに人間らしい、精神性の高い大富豪たちがいた昔のインドが、つくづく懐かしく思われてなりません。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
心美しき富商たち
護弥長者家の大騒ぎは
王舎城切っての大商人護弥(ごみ)家のその日は上を下へのてんてこまいでした。
「大広間には敷物を敷いたか。米は全部洗ったか。芋はそろそろ煮たほうがいいぞ……」
主人が先頭に立って指図をしたり、あっちへ行ったり、こっちへ来たりで、はるばる舎衛城から旅して来て着いたばかりのスダッタはろくろく構ってもらえません。
スダッタは、これも巨万の富を持つ大商人で、大勢のみなし子や養い手のない老人たちへ手厚く施与しているので(給孤独長者(ぎっこどくちょうじゃ))と呼ばれている人でした。護弥家の娘を息子の嫁にもらい受けたいと、その相談に来たのですが、それを言い出すことさえできないテンヤワンヤのありさまです。
「どうしたのです。国王でも招待なさるのですか」と聞けば、
「いいえ。明日ブッダとお弟子方にお越し頂くことになっているんで……」
との答え。よく聞きただしてみると、最近ゴータマ・ブッダというお方がこの地に来られ、多くの人のために尊い法を説いておられるというのです。
「そうですか。わたしもそのお方を拝むことができましょうか」
「できますとも、明日ここへおいでになりますから……」
「いつもはどこにお住まいになっていらっしゃるのですか」
「あっちの町はずれにある寒林(墓場)においでなんですよ」
墓場で釈尊を拝した
その夜、護弥の家に泊まったスダッタは、どうしても熟睡できません。三度も目を覚ましては、ブッダとはどんなお方だろうかと想像し、早くお目にかかりたいという思いに駆られるのでした。そして、ついに堪え切れなくなって、まだ夜も明けやらぬのに屋敷を抜け出してしまったのです。
墓場といっても、そのころのインドでは、穴を掘って埋めるわけではなく、死体は地上に置いたままにしていたのです。お釈迦さまは、菩薩としての苦行中から、そうした墓場で座禅したり、瞑想したりなさいました。骸骨を寝床として眠られたこともありました。(本稿第13回参照)。おそらく「死生一如」ということを悟り切るためになさったことと思われます。
さて、スダッタが寒林にさしかかると、あたりはまだまっ暗です。林をわたる風が不気味な音を立てています。スダッタは総身の毛が逆立つような恐ろしさに襲われ、思わず引き返そうとしました。そのとき、何ともしれぬ大きな力が前へ前へと引きつけるのを覚えるのでした。勇を鼓して歩を進めて行きますと、林がすこしひらけたところを、見るからに神々しいお方がそぞろ歩きをなさっているのです。
「ああ、あのお方こそ……」と直感して近づいていくと、そのお方はこちらを振り向かれ、「よく来た。スダッタよ」と声をかけられたのです。
向こうからわが名を呼ばれたスダッタは、夢かと驚き、全身の血が喜びに沸き立つ思いでした。われ知らずおそばに駆け寄り、そのみ足に額をつけて拝しました。お釈迦さまは、「さあ、そこに座りなさい」と優しくおっしゃって、人間として大切な布施のこと、戒のこと、歩むべき正しい道などをお説きになりました。スダッタがどんなに感激したか、想像に余りあります。
これが、後に祇園精舎を寄進したスダッタとお釈迦さまの尊い出会いだったのです。
それにしても、護弥長者といい、給孤独長者といい、ほんとうに人間らしい、精神性の高い大富豪たちがいた昔のインドが、つくづく懐かしく思われてなりません。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎