人間釈尊(64)
立正佼成会会長 庭野日敬
釈尊の前世物語
人民の犠牲となった猿の王
お釈迦さまが祇園精舎で大勢の人たちにこんな話をなさいました。
――むかしある所に五百匹の猿を従えた猿の王がいた。ある年がたいへんな干ばつで、山の木々にも実がよく生(な)らなかった。それもほとんど食べつくしてしまった。ところが、川一つ隔てた王城の園林には果樹がたくさん栽培されているので、猿王(えんおう)は一族を引き連れて移り住み、命をつないでいた。
しかし、園林の番人がそれを見つけて厳重な檻(おり)を作り、そこへ残らず追い込んでしまった。檻の一方だけは開いていたが、そこは川に面したけわしいがけになっており、逃げ出すことはできなかった。
猿王は一族の猿どもに命じて藤蔓(ふじづる)を集めさせ、それをつないで一本の綱とした。その一方の端を木に結びつけ、他方の端を自分の腰に結びつけ、ブランコのように川の上空を飛んで対岸の木の枝につかまった。そして蔓をその木に結びつけようとしたが、ほんの少しだけ長さが足りず、前足でつかまっているのが精いっぱいだった。
そこへ番人が見回りに来る気配がしたので、猿王はしっかと木の枝にしがみつき「みんな、早く渡れ」と叫んだ。五百の猿たちは藤蔓を伝い、最後には猿王の背中を渡って、無事に川を渡ることができた。
そのとたんに猿王は精根つきてバッタリと地上に落ち、気を失ってしまった。それを見た番人は猿王を捕らえて国王の前に引き据えた。猿王は「王さまの園林を荒らして申し訳ございません。これはわたくしの命令でしたことですから、どうぞわたくしだけを処刑して一族は見のがして頂きとう存じます。わたくしの肉はほんの少しですけれども、王さまはじめ皆さまの一晩のおかずにしてください」と申し上げた。
王はその心根に感動して、猿王を許したばかりか、国内に布告して猿たちが餌を取るのを妨げないようにと命じたのであった。
その猿王がいまのわたしであり、国王は阿難、五百の一族はいまの五百人の比丘たちである――と。
ジャータカの持つ意義
このようなお釈迦さまの前世の物語をジャータカ(本生譚)といい、仏典に出ているだけで約五百五十あります。普通の人間は、出生と同時に過去世のことはすっかり忘れてしまうのだといわれていますが、非常な神通力をもたれた世尊はあるいはそのような記憶を持っておられたのかもしれません。法華経でも、提婆達多品や常不軽菩薩品で前世の思い出を語っておられます。
仏教学者たちは、ジャータカは――世にもすぐれたお釈迦さまのお徳はとうてい現世の修行だけで達成されたものとは考えられないとした後世の信仰者たちが創作したものだ――としています。おそらく大部分のジャータカがそうなのでしょう。
しかし、だからといって、ジャータカを一種のお伽噺(おとぎばなし)として軽く見てはならないのです。わたしたちも子供のころ巌谷小波(いわやさざなみ)のお伽噺に夢中になったものではありませんか。時代が変わっても、子供たちはアンデルセンやグリムの童話をむさぼり読み、それがどれぐらい子供たちの胸に美しい感動を刻みこみ、どれくらい温かな情緒を育て、一生の人間形成に役立ったか、計り知れないものがあります。
ですから、お釈迦さまの説かれた譬え話や、仏典に出てくる因縁話などを、けっして――ありえないこと――などと軽く見過ごしてはならないのであります。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
釈尊の前世物語
人民の犠牲となった猿の王
お釈迦さまが祇園精舎で大勢の人たちにこんな話をなさいました。
――むかしある所に五百匹の猿を従えた猿の王がいた。ある年がたいへんな干ばつで、山の木々にも実がよく生(な)らなかった。それもほとんど食べつくしてしまった。ところが、川一つ隔てた王城の園林には果樹がたくさん栽培されているので、猿王(えんおう)は一族を引き連れて移り住み、命をつないでいた。
しかし、園林の番人がそれを見つけて厳重な檻(おり)を作り、そこへ残らず追い込んでしまった。檻の一方だけは開いていたが、そこは川に面したけわしいがけになっており、逃げ出すことはできなかった。
猿王は一族の猿どもに命じて藤蔓(ふじづる)を集めさせ、それをつないで一本の綱とした。その一方の端を木に結びつけ、他方の端を自分の腰に結びつけ、ブランコのように川の上空を飛んで対岸の木の枝につかまった。そして蔓をその木に結びつけようとしたが、ほんの少しだけ長さが足りず、前足でつかまっているのが精いっぱいだった。
そこへ番人が見回りに来る気配がしたので、猿王はしっかと木の枝にしがみつき「みんな、早く渡れ」と叫んだ。五百の猿たちは藤蔓を伝い、最後には猿王の背中を渡って、無事に川を渡ることができた。
そのとたんに猿王は精根つきてバッタリと地上に落ち、気を失ってしまった。それを見た番人は猿王を捕らえて国王の前に引き据えた。猿王は「王さまの園林を荒らして申し訳ございません。これはわたくしの命令でしたことですから、どうぞわたくしだけを処刑して一族は見のがして頂きとう存じます。わたくしの肉はほんの少しですけれども、王さまはじめ皆さまの一晩のおかずにしてください」と申し上げた。
王はその心根に感動して、猿王を許したばかりか、国内に布告して猿たちが餌を取るのを妨げないようにと命じたのであった。
その猿王がいまのわたしであり、国王は阿難、五百の一族はいまの五百人の比丘たちである――と。
ジャータカの持つ意義
このようなお釈迦さまの前世の物語をジャータカ(本生譚)といい、仏典に出ているだけで約五百五十あります。普通の人間は、出生と同時に過去世のことはすっかり忘れてしまうのだといわれていますが、非常な神通力をもたれた世尊はあるいはそのような記憶を持っておられたのかもしれません。法華経でも、提婆達多品や常不軽菩薩品で前世の思い出を語っておられます。
仏教学者たちは、ジャータカは――世にもすぐれたお釈迦さまのお徳はとうてい現世の修行だけで達成されたものとは考えられないとした後世の信仰者たちが創作したものだ――としています。おそらく大部分のジャータカがそうなのでしょう。
しかし、だからといって、ジャータカを一種のお伽噺(おとぎばなし)として軽く見てはならないのです。わたしたちも子供のころ巌谷小波(いわやさざなみ)のお伽噺に夢中になったものではありませんか。時代が変わっても、子供たちはアンデルセンやグリムの童話をむさぼり読み、それがどれぐらい子供たちの胸に美しい感動を刻みこみ、どれくらい温かな情緒を育て、一生の人間形成に役立ったか、計り知れないものがあります。
ですから、お釈迦さまの説かれた譬え話や、仏典に出てくる因縁話などを、けっして――ありえないこと――などと軽く見過ごしてはならないのであります。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎