全ページ表示

1ページ中の 1ページ目を表示
人間釈尊(31)
立正佼成会会長 庭野日敬

破戒の危機を救われた阿難

阿難の最大の女難

 阿難は年も若く、まれに見る美男子だったといいます。ある日、托鉢からの帰りみち、のどが渇いて仕方がなかったところ、泉のほとりで一人の娘が水を汲んでいました。
 「その水を一杯供養してもらいたいんだが……」と頼むと、娘はもじもじしながら汲んでさし出しました。
 うまそうに飲んで軽く目礼をして立ち去っていく後ろ姿を見送りながら、プラクリティというその娘はたちまち燃え立つような恋心にとりつかれてしまいました。家に帰ったプラクリティは、呪(まじな)い師だった母親に「あのお方を家に呼び寄せて……」と頼みました。母親が「いいえ、五欲を離れた出家の方には呪いは通じないんだよ」とさとしましたが、「あの方と添えないぐらいなら、わたしは死んでしまう」と泣きくずれるのでした。
 一人娘の可愛さに、母親があらゆる秘術をつくして祈ったところ、それが通じたものか、祇園精舎にいた阿難はついフラフラとプラクリティの家まで来てしまいました。母娘はたいへんに喜び、美しいベッドを用意して阿難を招き入れました。
 その時、祇園精舎におられたお釈迦さまは、愛弟子が破戒の危機にあることを天眼(てんげん)をもって知られ「戒の池清らにして、衆生の煩悩を洗う云々」という偈を唱えられ、定(じょう)に入られました。と、阿難は何か柔らかい風のようなものに包まれたような気持ちになり、われ知らず精舎へと立ち帰ったのでした。

プラクリティの回心

 明くる日から、阿難が托鉢に出ると、プラクリティは舎衛城の城門の所に待ち受けていました。美しい服を着、髪には花を飾り、キラキラ輝く首飾りをつけ、阿難のすぐうしろについて来るのです。阿難が歩けば歩き、止まれば止まります。町の人が食物を捧げれば、傍らからジッとそれを見ています。
 托鉢を終えて城外に出ても、やはりあとからついてきます。祇園精舎の中に入っても、しばらくは門の前に立ちつくしています。
 阿難は恥ずかしいやら煩わしいやらでたまらず、世尊にそのことを申し上げました。世尊はすぐ門の外へお出になり、
 「娘よ、そなたは阿難の妻になりたいのか」とお尋ねになりました。プラクリティが顔を赤らめながら「はい」とお答えすると、
 「では、出家することが条件であるぞ。それでいいか」
 とお聞きになります。プラクリティは素直に、「はい、出家いたします」と言うのでした。
 「では、父母に話して許しを得てきなさい」とおおせられました。
 プラクリティはさっそく家に帰って父母を説き伏せ、黒髪を剃って世尊のもとへ戻ってきました。ただもう阿難のそばにいたい一心からだったのでしょう。そこで世尊は、
 「娘よ、色欲は火のように自分を焼き、相手をも焼くものだ。それを知らぬ者は、蛾が灯火の中へ飛びこむように自分を滅ぼすのだ」と、こんこんと言い聞かせられました。プラクリティはもともと純情な娘でしたので、たちまち証(さと)りをひらき、りっぱな比丘尼になったのでした。
 それはさておき、当時のインドでは身分の制度が非常に厳しく、たまたまプラクリティがいちばん低い身分の家の子でしたので、その娘を出家させたのはけしからんと、猛烈な非難が国内にわき起こりました。しかし、世尊はまったくそれに耳をかさず、「人間はすべて平等である」という信念をつらぬかれたのでした。お釈迦さまこそ、真の民主主義の始祖でもあったと言っていいでしょう。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

関連情報