人間釈尊(32)
立正佼成会会長 庭野日敬
おおらかな阿難の人柄
他教の信者とも隔てなく
外道(げどう)という言葉があります。「仏教以外の宗教およびその宗教を信仰する人」をいう意味ですが、いつしかそれが侮蔑や憎しみをこめた意味に使われるようになったのは、残念なことです。
仏教の始祖であるお釈迦さまは、そんな偏狭な気持ちは少しもお持ちにならず、バラモン教やジャイナ教、その他さまざまな教えの人たちともなんらの隔てもなく意見を交換され、法の話をされたことが、初期の経典にはたくさん出ています。
こんなこともありました。ヴァイシャーリー国の実力者であったシーハ将軍は著名なジャイナ教徒でしたが、お釈迦さまの説法を聞いて心から感服し、改宗を宣言しようとしました。お釈迦さまは「あなたのような有名人が軽々しく立場を変えるのはよくありません」と注意され、それでもシーハが仏教徒となることを決意すると、「では、ジャイナ教の僧たちをもこれまでどおり供養しなさいよ」と諭されました。
阿難も常時おそばにいただけあって、その感化を強く受けていたらしく、たいへんおおらかなところがありました。ロージャ・マルラという在俗の友だちがいましたが、仏法を信じようともせず僧を敬おうともしない男でしたけれども、いい人間だったので仲よく付き合っており、お釈迦さまも別に交際をお止めになることはありませんでした。
ある時、お釈迦さまは千二百五十人のお弟子たちと共に仏教徒の多いバーヴァリー城にいらっしゃることになりました。城中の人びとは大喜びで、その日に世尊一行をお迎えに出ない者からは、金百両の罰金を取るという取り決めをしました。
さてその日になって、阿難が世尊に従って城内に入ろうとすると、ロージャが仏教徒たちといっしょに出迎えに来ているのです。阿難がそのわけを聞きますと、「百両の罰金を出すのがいやだったから」ということでした。阿難がお釈迦さまにその話をしますと、「かわいそうな男だ。いっぺんわたしの所へ連れてきなさい」と言われるのでした。
衣服をもらいに行った阿難
ロージャがいやいやながらお釈迦さまのもとへ参りますと、まるで息子の友人が来たように親しくお迎えになり、いろいろ世間話をなさりながらだんだん仏法の話をお聞かせになりました。すると、ロージャはいっぺんに仏法の素晴らしさに敬服し、在家の信者にならせて頂きました。
そうなると、阿難とロージャとの友情はますます深まり、阿難にとってロージャの家はまるでわが家同様の気持ちになってしまったのです。俗人の間ではよくあることですが、出家修行者の世界では珍しいことでした。
ある日、阿難はロージャの家に衣服をもらいに行きました。あいにくロージャは留守でしたので、奥さんにそう言いますと、奥さんもすぐ衣類の箱を出してきました。阿難はその中からいちばん古いのを取り、「これをもらって行きますよ」と言って帰りました。
あとでロージャが阿難の所へ来て、
「なんだい。君はいちばん粗末な服を持って帰ったそうじゃないか。どうしていいのを取らなかったんだい」
と聞くと、阿難は、
「いや、上座の人たちのために顔や手を拭く布を作って差し上げようと思ったのだよ。いいものなんかもったいないよ」
と答えました。
教団の一部の人びとの間に、阿難のこのむとんじゃくな行為を非難する声が上がりましたが、お釈迦さまはそれをお取り上げにならず、なんのおとがめもなかったそうです。
ちょっといい話ではありませんか。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
おおらかな阿難の人柄
他教の信者とも隔てなく
外道(げどう)という言葉があります。「仏教以外の宗教およびその宗教を信仰する人」をいう意味ですが、いつしかそれが侮蔑や憎しみをこめた意味に使われるようになったのは、残念なことです。
仏教の始祖であるお釈迦さまは、そんな偏狭な気持ちは少しもお持ちにならず、バラモン教やジャイナ教、その他さまざまな教えの人たちともなんらの隔てもなく意見を交換され、法の話をされたことが、初期の経典にはたくさん出ています。
こんなこともありました。ヴァイシャーリー国の実力者であったシーハ将軍は著名なジャイナ教徒でしたが、お釈迦さまの説法を聞いて心から感服し、改宗を宣言しようとしました。お釈迦さまは「あなたのような有名人が軽々しく立場を変えるのはよくありません」と注意され、それでもシーハが仏教徒となることを決意すると、「では、ジャイナ教の僧たちをもこれまでどおり供養しなさいよ」と諭されました。
阿難も常時おそばにいただけあって、その感化を強く受けていたらしく、たいへんおおらかなところがありました。ロージャ・マルラという在俗の友だちがいましたが、仏法を信じようともせず僧を敬おうともしない男でしたけれども、いい人間だったので仲よく付き合っており、お釈迦さまも別に交際をお止めになることはありませんでした。
ある時、お釈迦さまは千二百五十人のお弟子たちと共に仏教徒の多いバーヴァリー城にいらっしゃることになりました。城中の人びとは大喜びで、その日に世尊一行をお迎えに出ない者からは、金百両の罰金を取るという取り決めをしました。
さてその日になって、阿難が世尊に従って城内に入ろうとすると、ロージャが仏教徒たちといっしょに出迎えに来ているのです。阿難がそのわけを聞きますと、「百両の罰金を出すのがいやだったから」ということでした。阿難がお釈迦さまにその話をしますと、「かわいそうな男だ。いっぺんわたしの所へ連れてきなさい」と言われるのでした。
衣服をもらいに行った阿難
ロージャがいやいやながらお釈迦さまのもとへ参りますと、まるで息子の友人が来たように親しくお迎えになり、いろいろ世間話をなさりながらだんだん仏法の話をお聞かせになりました。すると、ロージャはいっぺんに仏法の素晴らしさに敬服し、在家の信者にならせて頂きました。
そうなると、阿難とロージャとの友情はますます深まり、阿難にとってロージャの家はまるでわが家同様の気持ちになってしまったのです。俗人の間ではよくあることですが、出家修行者の世界では珍しいことでした。
ある日、阿難はロージャの家に衣服をもらいに行きました。あいにくロージャは留守でしたので、奥さんにそう言いますと、奥さんもすぐ衣類の箱を出してきました。阿難はその中からいちばん古いのを取り、「これをもらって行きますよ」と言って帰りました。
あとでロージャが阿難の所へ来て、
「なんだい。君はいちばん粗末な服を持って帰ったそうじゃないか。どうしていいのを取らなかったんだい」
と聞くと、阿難は、
「いや、上座の人たちのために顔や手を拭く布を作って差し上げようと思ったのだよ。いいものなんかもったいないよ」
と答えました。
教団の一部の人びとの間に、阿難のこのむとんじゃくな行為を非難する声が上がりましたが、お釈迦さまはそれをお取り上げにならず、なんのおとがめもなかったそうです。
ちょっといい話ではありませんか。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎